僕(ウマ娘♀)がヤンデレウマ娘に愛され過ぎて眠れない 作:あばなたらたやた
「雨かぁ」
嫌な気分だった。傘がないからだ。天気予報は晴れだったのに、なーんで雨が降ってるのか? 答えは単純、天の気分だ。
空を見上げたところで、分厚い雲が退いてくれるわけではない。世界そのものが機嫌を損ねたかのように、容赦なく雨粒を落としていることを眺めることしかできない。
「ため息が出るね、ホント」
降りしきる雨を前に、僕は諦めの吐息をこぼした。こういうとき運命という言葉は重宝する。
自分の落ち度に都合のいい名前をつければ、人は少しだけ気楽になれる。しかし、いくら運命を呪ったところで、濡れた服が乾いてくれるわけでもない。
さて、どうしたものか。濡れて走るか、雨やどりを決め込むか。
「あの……マキナ先輩」
聞き覚えのある声が届いた。振り返ると、スティルが立っていた。
「スティル? 奇遇だね、どうしたの?」
「これ、使ってください」
差し出されたのは、一本のビニール傘だった。なるほど。天は僕を見放したが、人間捨てたものでもないらしい。
「ありがとう。助かるよ」
素直に受け取り、開こうとした瞬間――彼女はそのまま、無防備にも雨の中へ駆け出そうとしたので、腕を掴んで……って、強い! 強い強い強い!
こいつ力強いな!? 腕がもげる!
「待って待って待って」
「えっ?」
引き留めるように伸ばした手が、しっかりと彼女の腕を掴む。
驚いて目を丸くするスティルを頑張って引き寄せたあと、僕は傘を広げた。弾けた雨粒が、バサリと音を立てて弾け飛ぶ。
「そんな傷つくようなことしないでよ。一緒に入れば大丈夫だから」
「で、でも……っ」
スティルは気まずそうに視線を落とした。
彼女の顔に浮かぶのは、明らかな遠慮だった。
自分が誰かに何かを与えることには迷いがない癖に、誰かから差し出された手を受け取ることには、ひどく臆病になる。
自分のために傘を差し伸ばされること自体が、相手への不当な負担になると信じ込んでいるかのようだ。
「私、先輩には迷惑ばかりかけてしまって……。また私、嫌な思いをさせてしまうかもしれないのに」
「うん。そうだね」
「……っ」
「スティルの突飛な行動にはびっくりするし、怖いと思うことだってあるよ。君の善意が、いつも僕にとって一番嬉しい形で届くとは限らない。というかシンプルにやりすぎなことも多い」
僕は彼女の瞳をじっと見つめた。
人間同士が関わる以上、どれほど言葉を選ぼうと傷つけてしまうリスクは消えない。
善意は万能ではない。だからこそ必要なのは、最初から失敗しない完璧さではない。傷つけてしまったあとも逃げずに、相手と向き合い続けられる強さのはずだ。
「でもね、スティル。それも含めた君を、僕は拒絶しないんだよ。行動への評価と、それをするに至った君自身の精神性を大切にすることは別の話でしょう?」
「…………」
「ロングスパンで君を見て、とても良い子だと思っている」
彼女の濡れた瞳が揺れた。
「だから、傘をくれたのは本当に嬉しい。だけど代わりに君が雨に濡れる必要はないよ」
「…………! マキナ先輩……」
暗闇の向こうに、小さな光を見つけたかのようだった。僕はそれ以上語らず、ただ無言で傘を彼女のほうへ傾けた。
「帰ろうか」
「……はい!」
パツパツとビニールを叩く雨音の中、僕たちは一本の傘を分け合って歩き出した。
特別などんでん返しも、ドラマチックな告白もない。ただ冷たい雨の中、隣に誰かがいて、同じ歩調で歩いている。
人の幸福というものは、思いのほか地味で平凡な形をしているらしい。
もっとも。
「……スティル」
「はい?」
不意に、彼女の左肩がしっとりと濡れていることに気づいた。見上げれば、傘の中心はあからさまに僕の頭上へ寄っている。彼女は僕を濡らさないよう、身体を傘の外側へと押し出していたのだ。
「肩、濡れてる。もっとちゃんと入って」
「えっ。あ……」
己の肩を見下ろしたスティルは、困ったように、けれどどこか嬉しそうに目を細めた。
「……あなたが濡れるより、ずっといいですから」
その微笑みは、息をのむほど綺麗だった。
誰かのために自分を差し出す姿勢を、僕は頭ごなしに否定したいわけではない。
損を承知で他者のために動く姿には、確かに美しさや尊さがある。
しかし、彼女が僕を大切にするために、彼女自身を雑に扱うことが許せなかった。だから言ってやるのだ。
「スティル」
「は、はい」
「君は一つ勘違いをしている」
「勘違い……ですか?」
「そう! 勘違いしている!」
僕たちはアスファルトを叩く雨の足音を踏みしめながら進む。
「君は僕を大切にしてくれる。なら、僕が君を大切にしたいと思う気持ちも、同じように受け止めてくれないかな。君が濡れているのを見て、僕がどんな気持ちになると思う?」
「それは……」
「君は『僕が濡れるよりいい』と言う。でもその言葉を聞いた僕は、君が濡れているのを『良かった』と喜べばいいのかな?」
「そ、そんなことは……っ!」
「でしょう? 君だってそんなのは望んでいないはずだ」
スティルはキュッと唇を結んだ。言葉の弾丸が、まっすぐに彼女の心へ届いた証拠だ。
「僕のために自分を犠牲にされても、僕は嬉しくない」
握りしめた傘の柄に、少しだけ力を込める。
「自分を粗末に扱っている姿を見せられたら、僕は悲しい」
優しささえあれば、自分はどうなってもいいという危うい思考。それを美徳として受け入れてしまえば、彼女はいつか傷つくことこそが愛情の深さだと誤解してしまう気がした。
今ここで、その歪みを正さなければならなかった。
「スティル。僕のためを思うなら、ちゃんと傘に入って」
「……はい」
「君と僕、どっちも大切にする方法くらい、わかるでしょ?」
スティルはハッとしたように顔を上げた。そして、参ったと言わんばかりに眉を下げて笑う。
「……先輩は、ずるいです」
「おや。どうして?」
「そんなふうに言われたら……私、自分のことも大切にしなくちゃいけなくなるじゃないですか」
「当たり前だよ」
僕は可笑しくなって笑った。
「それが僕の望みなんだから」
「……はいっ」
スティルは今度こそ、しっかりと傘の内側へと一歩を踏み込んだ。肩と肩が触れ合うほどの距離。二人分の体温が、雨の冷気を押し返していく。けれど、ふと気づくと、また傘の柄が少しだけ僕のほうへ傾いていた。
長年の癖なのか、それとも染みついた性分なのか。だから僕も、すかさず傘を彼女の側へ押し戻す。
彼女が傾け、僕が戻す。
彼女がまた傾ける。
僕もまた、押し戻す。
「……先輩」
「何かな?」
「これ、いつまで続けるんですか?」
「君が自分を大切にするのに慣れるまで、かな」
「それ……すごく時間がかかると思いますよ?」
「いいよ」
なんか付き合いたての恋人みたいで気恥ずかしいな。
雨は相変わらず降り続いている。けれどもう、天気予報のハズレを恨む気持ちはどこにもなかった。
隣を歩くスティルの頬は、まだ少し照れくさそうに赤らんでいる。
光を呑み影を産む、抱きしめるほどに指を割き、溢れた血底には愛が満ちていた。