お昼。
マンハッタンカフェ相談室にて。
「ってことがあった。僕のプライバシーは遥か彼方だ」
「……スティルさんが、お弁当を……」
マンハッタンカフェは優しく笑う。
「……ふふ。そう、ですか。あなたに、おいしく食べてもらいたくて……何度も味を確かめて、彩りまで考えて……」
少しの沈黙の後、マンハッタンカフェは口にする。
「……なんだか、わかる気がします。大切な人に、自分の好きなものを食べてもらいたい。その人が喜んでくれるところを、想像してしまう……彼女に取って大切な時間だったのでしょうね」
「うん、まぁ、そうだと思うし、ちゃんとお礼を言って受け取ったしね」
スティル渾身の弁当箱を食べる。
お弁当は美味しい。とても美味しい。美味しいんだけどね?
というか、なんでカフェはスティルの方に寄り添っているんだ。
めちゃくちゃ怖かったんだぞ!?
「……あの。あなたは、どう思いましたか?」
「お弁当おいしいかったよ」
「そうではなくてですね。おいしかった、だけではなくて……その……スティルさんが、どんな気持ちで作ってくれたのか。そういうことも、考えましたか……?」
「あー、そういう」
「いえ、責めているわけではないんです。マキナさんも恐怖体験だったと思うので。1番の問題はスティルさんの行動は過剰なだけなんです」
なるほど、と僕は頷く。
スティルは自分を低く見積もる性質がある。その上で色々な欲求はちゃんとあるし、強い方だろう。それを抑えて生活しているのも、知っている。
だからこそ、甘えられる相手がいると、その熱量は莫大なのだろう。
「誰かのために何かをするのは、少しだけ、勇気がいることだと思うんです。相手が喜んでくれるか、わからない。自分の気持ちが、相手にとって重たくないかも、わからない。それでも、スティルさんは作った」
あるいは『重い』『拒絶される』『嫌がられる』としても自分の行動を形にしないと落ち着けない。
ネガティブな想像と、都合の良い妄想が両立した場合、後者になってほしいと願って出力してしまう。
「……素敵なことだと思います」
「そ、そうかなぁ!?」
「……ふふ。私も、あなたにコーヒーを淹れるとき……少しだけ、考えるんです。この濃さで、よかったでしょうか。今日は疲れていないでしょうか……って」
カフェは柔らかく笑う。
「あなたは、いつもおいしいと言ってくださいますけれど。本当は、その言葉を聞くたびに、少しだけ安心しているんですよ」
「カフェさんまでスティルみたいなことを言わないでくださいよ」
「でも、ひとつだけ。私ならお弁当を作るなら、あなたの分だけではなくて、自分の分も作ると思います」
「だって、一緒に食べたいですから。あなたがおいしいと思ったものを、私も食べてみたい。あなたが好きな味を、私も知りたい……そうやって、同じ時間を過ごせたら……きっと、嬉しいです」
「それについてはありがたいと思う」
僕は弁当を食べて、カフェの淹れてくれたコーヒーで喉を潤し、対面に座るマンハッタンカフェに質問を投げかける。
「カフェさんはスティルに親身だね。それは相談員として彼女の方がわかりやすい、とかある感じ?」
「私もあなたのためにコーヒーを淹れているますから」
それは……彼女と同じ視点で、ということなのだろうか?
「いや、そんなに驚かなくても。僕がマキナさんの好みを覚えていること知っているでしょう?」
「それは、うん」
「豆の種類も、挽き方も、お湯の温度も、貴方が疲れている日は少し濃いめにして、ゆっくりしたい朝は、香りを楽しめるように」
「気を遣ってくれてたんだ。ありがとう。嬉しいよ」
「お弁当と違って、毎日同じように見えるかもしれませんけれど、その日の貴女に合わせているんです」
なんか圧が強いね、カフェさん?
冷めたカップから立ち上る湯気は、もうすっかり消え失せていた。静かなカウンター越しに重ねられるカフェさんの言葉は、柔らかな珈琲の香りに似ている。けれど、その奥に潜むかすかな苦味が、私の胸の奥へじわりと染み込んでいく。
「……ありがとうございます、カフェさん」
注ぎ足されたばかりの温かいカップを受け取り、両手でそっと包み込む。
手に伝わる心地よい熱が、どこか落ち着かない私の心を宥めてくれるようだった。お昼に広げるお弁当箱と、そこに込められた一生懸命な気持ち。それを当たり前のように受け取るのではなく、ちゃんと「おいしい」「嬉しい」「ありがとう」と伝えること。カフェさんの言う通りだ。
私はどこか、その温もりに甘えてしまっていたのかもしれない。
「……伝えます。スティルさんのお弁当を食べるとき、ちゃんと、自分の言葉で気持ちを伝えますね」
「ええ、そうしてあげてください」
私はカップを一度手元に引き寄せ、ゆっくりと言葉を繋いだ。
「そしてカフェさんにも感謝を。いつもありがとう。朝、ここに来てカフェさんのコーヒーを飲むこと。今日あったことや、これからのことを話すこと……私にとっても、絶対に無くなってほしくない大切な時間です。ここに来てカフェさんの顔を見るだけで、本当に心がほっとするんですから」
『私と過ごす時間も、あなたにとって、なくなったら少し寂しいものだったら……いいな、と』
そう呟いた彼女の控えめな願いが、あまりにも愛おしく、胸を締め付ける。
帰ってきたときに待っていてくれる、一杯のコーヒー。
今日という一日を振り返る。カフェさんのことを思い出す瞬間、それはお弁当の美味しさとは全く違う、私の日常を根底から支えてくれている、温かな灯火そのものだ。
「お昼のお弁当に敵わないなんてこと、絶対にありませんよ。朝も夜も、私には、カフェさんの淹れてくれるコーヒーと、過ごしてくれる時間が必要です。カフェさんの淹れてくれたこのコーヒーがあるから、私は明日も頑張れます。だから、明日の朝も、そして夜も。またここに来てもいいですか?」
一口、もう一度温かいコーヒーを含み、私はカフェさんに向かって、心からの感謝を込めて微笑み返した。