日本人の自分がアメリカ人に転生した時は驚いたが、一年もあれば大分適応できた。
子供の体というのは驚くべきもので。前世では赤点続きだった英語もあっさり習得できてしまい、走り回っても疲れない。
困った所といえば、僕は親に捨てられたのか孤児院暮らしな所と。
どうもこの世界は、アメコミのマーベルの世界だということだ。
テレビではアイアンマンが番組を賑わせてるし、昔の本を読むとキャプテン・アメリカが出てくる。
僕はアメコミにはあまり詳しくないけれど、この二人がマーベル社のコミックに出てくるヒーローなことは知っていた。
とはいえスーパーヒーローが実際にいた所で、どうせ僕には関わりの無い世界の事である。せいぜい事故に巻き込まれた時に警察や消防に加えて助けてくれる可能性がある人が増えたぐらいだ。
……と思いたい所なのだが、そうとも言えない事情がある。
僕の苗字はパーカーなのだ。
アイアンマンやキャプテン・アメリカと肩を並べる大御所ヒーロー、大いなる力には大いなる責任が伴うことを公私問わず頻発するトラブルを通して教えてくれるスパイダーマンことピーター・パーカーと同じ苗字。
幸か不幸か、僕の名前はピーターじゃない。そんな苗字ごまんといるんだから気にしてもしょうがないし、僕は孤児だから叔父叔母がいるピーターとは違う。
だから僕がスパイダーマンになると決まったわけじゃない。でも、むしろスパイダーマンになれるんだったらその方がいいんじゃないかとも思う。
スパイダーマンは歴史の長いヒーローだ。歴史の長さ故に、スパイダーマンが救った沢山の人の影には救えなかった人が少なくない数いる。
例えばもし僕の親がピーター・パーカーで、やむを得ない事情で孤児院に僕を置いていったとしたら?
僕はいつかその事を知ったヴィランの計画に巻きまれて、スパイダーマンの助けも間に合わずに死ぬんじゃないのか?
そう考えると、スパイダーマンの関係者になることが一番マズい。次点がスパイダーマンになること。最善は何の関係もない一般人であること。
頼むから無辜の一般人として生涯を全うさせてください。
そう祈りながらもスパイダーマンとの微妙な接点が、いつも自分に不安という影を落としていたある日のこと。
「いっ……た!」
外で遊んでいたら、突然首の後ろに激痛が走った。
反射的にそこへ手を叩きつけ、血が付いてないか確認する。
思ったよりも血は少なかったが、代わりに痛みの原因がそこにあった。
赤と青の、毒々しい色をした、僕の小さな手で潰れされた蜘蛛が。
「……ヤバい!」
突如として前世の記憶が蘇り、体が急激に熱くなる。
心臓の音がとんでもなくうるさい。まるで車のエンジンみたいだ。
とりあえず歩こうと足に力を入れたら、右足が地面に沈み込んだ。
僕はバランスを崩し、慌てて近くにあった柵を咄嗟に掴んだらぐにゃりと変な感触。
見れば、金属のはずの柵を僕の小さな右手が握りつぶしていた。
恐る恐る右足を上げると、地面には靴跡がクッキリと残っている。
これはマズい。本当なら孤児院のシスターなり、近くにいた大人なりに助けを求めるべきなんだろう。
でもその時の僕は何故か確信していた。
近くに誰かがいるとロクなことにならないと。根拠のない直感が首の後ろをムズムズと刺激していた。
一歩一歩を気を付けながら孤児院から出ていって、あてもなくフラフラと歩く。
秋で良かった。ニット帽を深く被れば、汗で乱れた髪を誤魔化せる。
そうして限界まで歩いて、人気の無いどこかの裏路地で座り込む。
大人が2人は入れそうな大きなゴミ箱の陰にいれば、この小さな体は表の道からは完全に隠れる。
体調は噛まれた時より悪くなっており、頭痛と関節痛が全身の発熱に加わっていた。
とてもじゃないけどもう動く体力は無いから、後は祈るしかない。
どうか、死にませんように。厄介な人にも見つかりませんように。
そうして僕は、気絶するように意識を手放した。
――――――――――――――――――――――――――――――
「……助かったかな?」
何時間眠っていたのだろうか。
爽やかな休日の朝のように、体調はすっかり良くなっていた。
今ならなんでもできそうな力が体に満ちている。
周囲を見回すと僕の体は真っ白な何かに包まれていた。手を伸ばすと、その白はアッサリと千切れた。
千切れた物を近くでまじまじと見ると、とても細い糸が幾重にも折り重なっている。多分、蜘蛛の糸だ。
そうして何度か手を動かして蜘蛛糸をもぎもぎしていると世界が開けた。
それと同時に、僕を包んでいる蜘蛛の糸の繭が揺れる。
「おっと」
僕は近くにあったレンガの壁に手をついて揺れを抑える。
揺れが落ち着くのを待ってから、壁から手を放す。
すると、レンガが僕の手のひらにくっついたままボゴッと外れた。
「…………」
レンガを取って、手の甲に乗せてから手のひらをひっくり返してみる。
それでも、レンガは重力に逆らって手の甲にくっついたままだった。
レンガを元の場所に戻して、中指と薬指を手のひらに押し付けながら手首を勢い良く伸ばす。
すると手首から液体が勢い良く出る音とともに、レンガをはめ込んだ場所に蜘蛛糸が貼り付いた。
ここまで証拠が揃っては間違いないだろう。
蜘蛛に嚙まれた時から分かってたけど、改めて声に出す。
「僕がスパイダーマンだ……」
子供の頃から映画館でずっと見てきた大好きなヒーロー。
それに、僕がなってしまった。
どうするべきかを悩もうとした時、僕の耳に悲鳴が届いた。
「いやっ、やめ……!」
「黙ってろ!」
「へへっいい顔してるんだからよ……お互い傷がつくのは避けたいよな?」
声の出所を探ると、それは下の方からだった。
見れば、パーカーの男が女の人を地面に抑え込んで、目出し帽の男がナイフを持ちながら周囲を警戒している。
どう見ても犯罪現場だ、助けなきゃ!
ここで気付いたのだが、どうやら僕は今地面よりも高い場所にいる。
なんと熱にうなされた僕は更なる安住の地を求めた結果近くの建物をよじ登って、そこで自分を蜘蛛糸で包みこんだようだ。
どうりでさっき揺れたわけである。
「安心しろよ、すぐ終わるから……」
「ん゛ーーっ゛!!む゛ーーーー!!!!!!」
納得してる場合じゃない。女の人を抑えてるパーカーの男がカチャカチャ音を鳴らしながら自分のズボンを下げようとしている。
急いで助けないと女の人が危ない。壁伝いに降りてたら間に合わないだろう。
飛び降りないと!いや待て僕は今地面より5メートルは上にいるんだぞ!?飛び降りたら僕の方が危ない!
いや僕はスパイダーマンだ。蜘蛛のように壁や天井を這い回ったり強靭な糸を出す能力だけじゃなく、肉体も人間の限界を遥かに超えた力が出せる。
こんな高さぐらい……ぐらい……南無三!
僕は何度か繭を前後に揺らして勢いを付けてから飛び出した。目標着地点は目出し帽の男。
僕は子供だけど上空から落下してぶつかれば、男もしばらく立ち上がれないだろう。お まけに落下の衝撃を男が受け止めるので僕は安全に降りれる一石二鳥の作戦だ。
「がっ!?」
「ぐえっ」
「なんだぁ!?」
結果としては半分成功半分失敗。目出し帽の男は狙い通り倒れて、僕にとって幸運なこ とに頭を地面にぶつけて失神した。
僕はフライングボディプレスみたいな形でぶつかったので、男からはみ出た手足が思いっ切り地面にぶつかって潰れたカエルみたいな着地になり。
当然異音に警戒したパーカーの男が立ち上がってこちらを向いた。
「はぁ……!?むぐっ!?」
「黙ってなよ、すぐ終わるから!」
男の口に向かって手首から蜘蛛糸を発射。長めに発射した糸を全力で引っ張ろうとした所で、全力出したらこの人死ぬんじゃないか?と首の後ろがムズムズしたので慌てて力を緩める。
それでも男は勢い良く地面に額をぶつけて、血を流しながら気絶した。
「うわー……ごめん」
スパイダーマンの力は容易く人を殺傷しうるのだ。本当に気を付けなければ。
僕はパーカーの男をひっくり返して傷が深くないことを確認すると、未だ恐怖で震えている女の人に向き合った。
「大丈夫ですか?」
「ひっ……」
しまった。安心させようとして声をかけたけど、逆効果だったみたい。
女の人は青ざめた顔のまま、路地裏から逃げ出してしまった。
「あちゃー……」
お礼でも言ってくれるかなと思っていたので、予想外の反応に手を軽く上げたまま固まってしまう。
しかし考えてみれば、乱暴しようとした男二人を更なる暴力で片付けたのが彼女から見た僕なのだ。僕が彼女に何かしないという確証も無かった。
吞気に僕と会話して更なるトラブルに巻き込まれる前に逃げ出すのが、彼女にとって最善の行動である。
「まぁ彼女が助かったからいいか」
今の僕はスパイダーマンの力は持っているけど、特徴的なスパイダーマンのコスチュームも親愛なる隣人としてニューヨークのトラブルを解決してきた実績もない。
こういう結果になったのもしょうがないことだろう。ひとまずは気絶してる男二人を縛り上げないといけないなと地面に倒れてる二人に向かって腰を曲げて、あることに気付いた。
なんか地面が遠い。気絶する前は僕と同じぐらいの高さだったゴミ箱が、僕のヘソぐらいまでしかない。
あとちょっと寒い。履いていたはずのズボンは影も形も無いし、上にも何も着てない。
僕は素っ裸で、しかも大人の体になっていた。
「…………マジで?」
解決しないといけないことが増えた。
「そりゃ皆びっくりするよ!」
裸なんだもん!犯罪者でも驚くし助けた人もお礼を言わずに去るよ!
あっなんか寒さが増してきた!さっきまで平気なのは動いてたから!?
僕は気絶する前にいた場所を見る。そこにはビリビリに千切れた無惨な姿の僕の服があった。
「ヤバいヤバいヤバい」
とりあえずジョギングをしている人みたいにその場で腿あげを繰り返す。
僕の服はもう無理だ。冷静に考えたら破れてなくても無理だろう。
とにかく服!全裸で死ぬのは恥ずかしすぎる!
「…………」
周囲を見回した結果、地面に倒れている犯罪者二人の服が目に入った。
「いくらなんでも剥ぎ取って放置は駄目だ……!」
秋も終わり際で連日冷え込んでいる。僕が今そうなりかけているように、この二人も全裸になったら死にかねない。
片方から上、片方から下を取ればセーフか……?いや半裸でもこの寒さはヤバい。
せめてもう一つ何か……
首のムズムズに任せてあちこち見ると、僕の入っていた繭とゴミ箱が目に入った。
「…………やるか」
これなら死にはしないだろう。僕は壁をよじ登って繭を回収し、その中に服を剥いだ二人を詰めてゴミ箱に入れた。ゴミ箱には新聞紙も入っていたので、これも熱を保ってくれそうだから繭に詰め込んだ。
服と一緒に拝借した携帯2台の内1台を使って警察に通報。名前は告げずに電話を切って男達が入っているゴミ箱に携帯をシュート。
「さて……どうしたもんかなぁ」
警察の目から逃れるために、壁をよじ登ってビルの屋上に立つ。
ビルからビルに飛び移りながらこれからのことを改めて考える。
やるべきことはやったが、大人になったこの体じゃ孤児院には戻れない。
金も無いのでこのままだと数日の内に野垂れ死にだ。
それを防ぐためには仕事と雨風をしのげる場所がいる。
「しかし身分証明のできないこの体じゃできる仕事は裏社会一直線だよなぁ……」
本当に孤児院に戻れないのか?事情を話せばなんとか……いや、成長しただけならまだいいけどスパイダーマンになってしまったのだ。
間違いなく元の場所に戻ったら何らかの形で孤児院の皆を巻き込む。
それなら裏社会に行った方がマシだ。犯罪者相手なら迷惑をかけても良心が痛まない。
ホームレスでもできないかな。肉体は頑丈なんだから僕が残飯と段ボールの寝床に耐えられる精神力を鍛えればいけるのでは?
行く当ても無いまま、ああでもないこうでもないと考えていた時。
パトカーのサイレンに紛れて何かの音が聞こえてきた。首の後ろがムズムズする。
音の発生源を探すと街頭テレビのニュースで、一人の男が大きく映し出されていた。
どうやら中継映像のようだ。
「…………?」
どこかで見たことがある顔だ。どこで見たんだっけ。
男は紙を見ながら何かを言おうとして、一度口を閉じ。
それから意を決したかのように口を開いた。
『私がアイアンマンだ』
それは、自分がヒーローであることをカミングアウトする決意の言葉だった。
己の正体を恥じることなく明かし、悪に立ち向かう覚悟の言葉だった。
そしてそれは、僕にとって地獄に垂らされた蜘蛛の糸に見えた。
「あの人の所に行こう」