おほむって友達まどかしかいなかっただけで他に仲良い人がいたらクレイジーサイコレズになってさなそう
「ほむらってなんかいつも眠そうにしてるけど……。もしかして、疲れてたりする? 何だか心配だなぁ……」
ふわりとした、春の陽だまりのような声が耳を撫でた。夕暮れ時の帰り道、隣を歩く〇〇が足を止め、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
彼の言う通り、今の私は酷く疲弊していた。昨夜、見滝原の端で厄介な魔女の結界に迷い込み、夜明け近くまで戦闘を強いられていたのだから。肉体の疲労もさることながら、繰り返す絶望の中で擦り切れた精神は、鉛のように重かった。
けれど、そんな残酷な世界の裏側を、この心優しい彼に打ち明けるわけにはいかない。
「……別に。ただ少し、夜更かしをしてしまっただけよ」
努めて平坦な声を出して顔を背けたが、〇〇がはふにゃりと眉を下げて私の前に回り込んだ。
「夜更かし? ほむらが? ……うーん、僕にはそう見えないけどなぁ」
彼は私の顔をじっと見つめ、目元をそっと指差す。
「ほら、少し顔色が悪いよ。それに、さっきから瞬きが多いし。……無理、してるんじゃない?」
「……っ」
あまりにも図星を突かれ、思わず言葉に詰まった。この人は、いつもそうだ。私がどれだけ感情を押し殺し、周囲を遠ざけるような冷徹な仮面を被ろうとしても、いとも容易くその内側を見透かしてしまう。
「……貴方は、妙なところだけ観察眼が鋭いのね」
「あはは、そうかな。でも、ほむらのことならなんとなく分かるよ。だって、ずっと見てたからね」
その無自覚で真っ直ぐな言葉に、胸の奥がチクリと痛んだ。同時に、張り詰めていた糸がゆっくりと解けていくのを感じる。硝煙と血の匂いが染み付いた私の世界が、彼の放つ穏やかな空気によって少しだけ浄化されていくようだった。
「……バカね。私のことばかり見ていたら、つまずいて転ぶわよ」
「それなら、ほむらが僕の手を引いてよ。そうすれば転ばないでしょ?」
悪戯っぽく笑いながら差し出された彼の手を、私は躊躇いながら見つめた。友達以上、恋人未満。この曖昧で心地よい距離感が、私が背負う運命のせいでいつか壊れてしまうのではないかという恐怖は常にある。
それでも今は、このどうしようもなく優しい温もりに、少しだけ縋りたかった。
「……仕方ないわね。貴方が転んで怪我でもしたら、私が面倒を見ないといけなくなるもの」
ため息をつくふりをして、そっと彼の手を握り返す。〇〇はパッと花が咲いたような笑顔を見せ、私の手を少しだけ強く握り直した。
「うん! あ、そうだ。この後、静かなカフェに行こうか。ほむらがゆっくり休めそうなところ、見つけたんだ」
「……ええ。貴方のおすすめに付き合うわ」
繋いだ手から伝わる体温が、酷く心地よかった。彼の隣を歩くこの時間だけは、血塗られた戦いも、終わりのない迷路のような運命も、すべて忘れてただの「暁美ほむら」でいられるような気がした。
◆
悲劇の連鎖を断ち切り、誰も犠牲になることなくワルプルギスの夜を退けた。見滝原の街に、ようやく本当の意味での平和が訪れたのだ。
完全に脅威が去ったわけではないにせよ、魔女の出現頻度は以前とは比べ物にならないほどに減少し、私たちの戦いにも余裕が生まれていた。張り詰めていた私の精神もようやく安定を取り戻し、こうして放課後に友人とカフェでくつろぐなんていう、ありふれた日常を享受できるようになっていた。
……そう、すべては順調だったはずなのだ。この新たな問題が浮上するまでは。
「ねえ、ほむらちゃん」
「どうしたの、まどか?」
向かいの席でストロベリーパフェをつついていた鹿目まどかが、ふとスプーンを止めて私を見た。私はちょうど、カップのコーヒーに口をつけたところだった。
「ほむらちゃんってさ、〇〇くんのこと好きなの?」
「──ッ!?」
気管に黒い液体が入り込み、あわや盛大にコーヒーを吹き出してしまうところだった。
「ゴホッ、ゲホッ……!」
「あわわ、大丈夫!? ご、ごめんね、急に変なこと聞いちゃって……」
慌てて紙ナプキンを差し出してくれるまどかからそれを受け取り、必死に咳き込みながら口元を拭った。心臓が早鐘を打ち、全身の血液が一気に沸騰したかのように熱い。
「な、何のことかしら……。急に、おかしなことを言うのね」
努めて冷静な、いつもの冷徹な私の声を取り繕おうとした。しかし、裏返りそうになる声帯と、明らかに動揺している自身の態度は、誰の目から見ても隠しきれるものではなかった。
「えー? だってほむらちゃん、〇〇くんと一緒にいる時、いつもと全然雰囲気が違うんだもん。なんていうか、すごく優しそうな顔をしてるっていうか……」
「そ、そんなことないわ。私は誰に対しても同じように接しているつもりよ」
「ううん、違うよ。さやかちゃんや仁美ちゃんも言ってたもん。『ほむらって〇〇くんの前だと、ちょっと隙があるよね』って」
あの二人までそんなことを言っていたなんて。頭の痛い事実を突きつけられ、私は思わずこめかみを押さえた。誤魔化そうとしても、今日のまどかは妙に鋭く、そして全く引き下がる気配がない。
実際のところ、まどかの指摘は的を射ていた。
〇〇。
春の陽だまりのようにふんわりとした性格の彼は、私の数少ない──そして、特別な男友達だ。
思い返せば、あの終わりのない絶望のループを始める前から、私と彼とは交流があった。心臓の病で長期入院をし、すっかり臆病になっていた私に、彼は分け隔てなく優しく話しかけてくれた。「焦らなくていいよ、ほむらのペースでさ。僕でよかったら、いつでもお話聞くからね」と、そのふんわりとした笑顔で言ってくれたのだ。
そして何より、彼が私にとって特別なのは、私が運命を変えるために覚悟を決め、冷徹な仮面を被るようになってからも、その関係性が全く変わらなかったことだ。
私が三つ編みのおさげをほどき、赤い眼鏡を外し、誰も寄せ付けないような冷たい態度をとるようになっても、彼は以前と変わらないふんわりとした笑顔で私に接してきた。
『あれ、ほむら。今日はなんだか怖い顔してるね? 何か嫌なことでもあった?』
『……貴方には関係のないことよ。私に構わないで』
『えー、そんなこと言わないでよ。ほら、この前見つけた美味しいお茶の葉っぱがあるんだけど、一緒に飲まない? ちょっとはリラックスできると思うんだ』
冷たく突き放そうとしても、彼は決して私を詮索しようとはしなかった。私が背負っている過酷な運命も、魔女や魔法少女という残酷なシステムも、彼は何も知らない。ただ、私が何か重いものを抱え込んでいることだけを察して、あえて深入りせずに、ただ隣にいてくれたのだ。
彼が知らないところで、私は何度も何度もまどかを救えずに絶望し、心は擦り切れかけていた。ソウルジェムが穢れきり、魔女になりかけてしまったことも一度や二度ではない。それでも私が完全に壊れてしまわなかったのは、まどかを救うという強い目的があったことと──そして、彼が繋ぎ止めてくれた『穏やかな日常』があったからだ。
血と硝煙に塗れた戦いを終えて日常に戻った時、彼が「ほむら、おかえり」と笑いかけてくれるだけで、私の魂はどれほど救済されてきたことか。
「……ほむらちゃん?」
「……っ!」
まどかの声でハッと我に返る。
気がつけば、彼と過ごしてきた穏やかな日々、そのふんわりとした笑顔、温かい声、少しだけ触れた手の感触などが次々と脳裏にフラッシュバックしていた。
彼を意識してしまった途端、自分でも驚くほど一気に顔が熱くなるのを感じた。きっと今の私は、耳の先まで真っ赤に染まっているに違いない。
「あ、あのね、まどか。これは違うの。その、彼はただの……古くからの友人であって、そういう対象として見ているわけでは……!」
必死に弁解しようと口を開くが、言葉が上手くまとまらない。そんな私を見た瞬間、まどかの瞳がキラキラと輝き始めた。
「やっぱり! やっぱり好きなんだよね!?」
「ち、違うわ! 私はただっ……!」
「ふふっ、顔真っ赤だよ? そっかぁ、ほむらちゃん、〇〇くんのこと……! うんうん、私、すっごくお似合いだと思うな! 応援するよ、ほむらちゃん!」
身を乗り出して満面の笑みを向けてくるまどかに、私は完全に追い詰められてしまった。これ以上この場にいては、何を口走ってしまうか分からない。魔法で時間を止めてしまいたい衝動に駆られたが、こんなことで魔力を使うわけにもいかない。
「わ、私……急に用事を思い出したの! 今日はこれで失礼するわっ!」
「えっ、あ、ちょっと待ってよほむらちゃん! パフェ、まだ残ってるのに!」
「お代は置いていくから! ごきげんよう!」
バッグを掴み、逃げるようにカフェの席を立った。まどかの明るい笑い声と「頑張ってねー!」という声援を背中に浴びながら、私は顔を両手で覆い、全速力でその場から駆け出した。
まどかの核心を突くような追及から逃れるため、私は夕暮れに染まる見滝原の街を宛てもなく駆け抜けていた。
落ち着け、私。あんなに動揺してしまっては、まどかの言いがかりを肯定したようなものじゃないか。いや、言いがかりではないのかもしれないけれど、それでもあそこまで顔に出してしまうなんて、暁美ほむら一生の不覚だ。冷たい秋の風が火照った頬を撫でていくが、心臓の早鐘は一向に鳴り止む気配がない。
このままどこか静かな場所で心を落ち着けよう。そう思って商店街の角を曲がろうとした、その時だった。
「わわっ!」
「きゃっ……!」
どんっ、と。見えない死角から歩いてきた誰かの胸元に、勢いよくぶつかってしまった。相手の体温と、どこか嗅ぎ覚えのある微かな日向のような香りが鼻を掠める。
よろけそうになった体をなんとか立て直し、慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 前方不注意で……」
「ううん、僕の方こそよそ見してて……って、あれ? ほむら?」
降ってきたその声に、私は弾かれたように顔を上げた。夕日を背にして立っていたのは、柔らかそうな髪を風に揺らしている〇〇その人だった。
驚きで目を見開いたまま、私は間抜けな声を漏らしてしまう。
「〇、〇〇……っ!? なんで貴方がここに……!?」
「なんでって、ちょうど帰り道だったからね。スーパーでちょっと買い物してたところだったんだよ」
彼はほんわかとした口調でそう言いながら、提げているビニール袋をカサリと揺らして見せた。こんな時でも微塵も変わらない、そのふんわりとした笑顔。いつもならその穏やかな空気に安堵するはずなのに、今の私にとっては逆効果でしかなかった。
彼を見た瞬間、ほんの数分前のまどかの言葉が脳内で鮮明にリフレインし始めたからだ。
『やっぱり! やっぱり好きなんだよね!?』
『すっごくお似合いだと思うな!』
──だめ、思い出しちゃだめ。
必死に打ち消そうとすればするほど、私の顔は一気に沸騰したように熱くなっていく。首の裏から耳たぶにかけて、カッと血が上っていくのが自分でもはっきりと分かった。
「……どうしたの? ほむら、なんだか顔が赤くなってるよ」
俯こうとした私の顔を、〇〇が不思議そうに覗き込んでくる。その心配そうな瞳。顔と顔の距離が思いのほか近くて、私は思わず数歩後ろへ飛び退いてしまった。
「ななな、何でもないわ! ちょっと急いで走ってたから、そのせいよ! 別に熱があるとか、体調が悪いとかじゃないわっ!」
「そ、そう? なんだかすごく慌ててるみたいだけど……。転んでどこか打ったりしてない?」
「してないわ! 私は平気よ、ええ、全くもって正常よっ!」
早口で捲し立てる私を見て、〇〇は小さく首を傾げたものの、それ以上深く追求してくることはなかった。こういう時、無理に心に踏み込んでこない彼の性格には本当に助けられている。
「それならよかった。……ねえ、ほむら。せっかくだから、一緒に寄り道していかない?」
「寄り道……?」
「うん。今日は天気もいいし、風が気持ちいいからさ。少し先の公園のベンチで、一緒に缶コーヒーでも飲まないかなって思って。ほむらさえよければ、だけど」
彼は少しだけ恥ずかしそうに頬を掻きながら、控えめにそう提案してくれた。
その穏やかな響きに、私の中で荒れ狂っていた動揺が、嘘のようにスッと凪いでいくのを感じた。一緒に居たい。もう少しだけ、この温かい声を聞いていたい。そんな素直な感情が胸の奥から湧き上がってくる。
私は、小さく深呼吸をして乱れた息を整えると、彼に向き直って頷いた。
「……ええ。構わないわ。私も、少し休憩したいと思っていたところだし」
「ほんと? やったあ。それじゃあ、行こうか」
嬉しそうに笑う彼の横に並び、私たちはゆっくりと歩き出した。
オレンジ色に染まる並木道を、二つの影が寄り添うように伸びていく。落ち葉を踏む微かな音と、彼が歩くたびに揺れるビニール袋の音だけが、心地よいリズムを作っていた。
不意に、これが夢なのではないかという錯覚に陥る。
終わりのない絶望の迷路を彷徨い、何度も何度も血を流し、心をすり減らしていたあの残酷な日々。つい少し前までは、誰も犠牲にならない平和な明日が来るなんて、ましてや彼とこうして何気ない夕暮れを肩を並べて歩く日が来るなんて、想像すらしていなかった。
けれど、繋ぎ止めたこの平穏は、紛れもない現実なのだ。
「ねえ、ほむら」
「……何かしら?」
「最近のほむら、すごく元気になったよね」
不意にかけられた言葉に、隣を歩く彼を見上げた。〇〇は前を向いたまま、ぽつりと優しい声で言葉を紡ぐ。
「ちょっと前まではさ、なんだかずっと無理をしているみたいだったから。すごく疲れてそうで、背中が小さく見えて……。僕、ずっと心配してたんだよ」
「〇〇……」
「僕には君が何を抱え込んでいるのか分からなかったし、気の利いた言葉もかけられなかったけど。でも、最近は前みたいに、少しだけ肩の力が抜けた気がするんだ。それが、僕はすごく嬉しい」
彼の言葉が、冷え切っていた心の奥底にじんわりと染み込んでいく。
彼は知らない。
私が何を相手に戦い、何度同じ時間を繰り返してきたのかを。それでも彼は、私の強張った背中を見て、理由も聞かずにただ心配し続けてくれていた。過酷な運命の中で、彼が向けてくれるその無条件の優しさが、私にとってどれほどの救いだったか。
ぽかぽかと温かくなる胸を押さえながら、私は小さく微笑んだ。
「……ありがとう。でも、もう大丈夫よ。貴方が心配するようなことは、もう何もないわ」
私がそう言うと、彼はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。
「そっか! よかったぁ。ほむらが元気なら、それが一番だね!」
屈託のないその笑顔に、心臓がまたしても大きく跳ねる。
『やっぱり好きなんだよね!?』
まどかの言葉が、再び脳裏をよぎる。もう、誤魔化すことなんてできなかった。私は、彼が好きなのだ。どうしようもないほどに、〇〇という少年に惹かれている。
彼は私のことを、一体どう思っているのだろう。ただの仲の良い異性のような、守るべき友人として見ているだけなのだろうか。
そもそも、血塗られた道を歩んできた魔法少女である私が、彼と一緒にいるような普通の幸せを求めてしまってもよいのだろうか。私なんかが、彼のこの温もりを独り占めしたいと願うことは、許されるのだろうか。
ぐるぐると渦巻く葛藤が胸を締め付ける。けれど──今はただ、この愛おしい彼との時間だけを大切にしたい。
「……ありがとう、〇〇」
誰にも聞こえないくらい小さな声でそう呟き、私は、彼の隣を歩くその歩幅を、ほんの数センチだけ彼の方へと寄せる。
私の腕が時折彼の袖口に触れても、彼は嫌がる素振りを見せることなく、ただ優しく微笑んだまま歩幅を合わせてくれていた。