グレゴリー・ラスプーチンという男には黒い噂がいくつも存在している。
曰く皇后アレクサンドラと密通している。
曰く皇帝ニコライ2世を傀儡にしている。
曰く呪術を使い皇帝一家に取り入った。
など。
一瞬、周りに緊張が走る。
転がる暴漢達、ラスプーチンを警戒するレナードとサミュエル、その後ろに立つアナスタシア。
余りにもラスプーチンのタイミングが悪かった。
「ラスプーチン!最近見かけなかったが元気だったか」
そんな緊張を解すかのように上官が声を上げる。
「これはアルバード、久しいな」
「全く、お前はいつもタイミングが悪い上にすぐに引きこもる」
「……」
「いいか、そんなんだから嫁が愛せないだの愛してるはずなのにだの酒の席でしんみりするんだ」
「……全く記憶にない」
「だろうな。捏造だし。ただ、お前は毎回そんな顔をしてるぞ。何かあったら俺を頼れ、何もしてやれんが話位は聞いてやる。ということで、レナードにサミュエル。皇女殿下を宮殿に連れて帰れ。俺はそこでのされてる奴らを警察に引き渡した後で、この自称聖職者の話を聞いてくるわ」
「…は、はい」
「分かりました。行きましょうか。皇女殿下」
「え、ええ」
レナードとサミュエルがアナスタシアとともに宮殿に帰還していくのを見て、上官ことアルバードは改めてラスプーチンの方に振り向く。
「それで、ラスプーチン。どういう了見だ。皇帝陛下や皇后陛下の呼びかけ以外は部屋に籠っている男がこんな店に一人でよお」
「ここでは人の目が多い。口も多い。場所を移そう」
「へえ」
アルバードの目が獰猛に光る。
その目は先ほどまでの優しい上官?としての目ではなくロシア帝国の精鋭を率いる軍人の目だった。
「まっ、少し待ってくれや。警察が来るまでな」
***
しばらくして
「さ~て、ここなら個室だし大丈夫だろ」
「ああ、問題ない」
「ごちになるぜ」
「……金が足りればな」
二人がいるのは高級料理店。具体的には個室がある店である。
「それで、どんな予言だった?」
「何故予言だと思う」
「お前が一人で外出する理由がそれ以外に思いつかないから」
ラスプーチンは心外だという顔をしている。
「それに、ちょっと悩んでんだろ。皇帝陛下に、いや、娘にすらも伝えるべきかどうかな」
「……バレていたか、流石はクリミアの狼。洞察力が違う」
「やめろ、その変な二つ名は。まあ、これでも軍人だからな。人の感情を読み取るのには慣れてる」
「そうか、お前を信じて話してやろう」
「なんでちょっと上から目線なんだよ。お前は」
そもそも人に対して感情を持ってねえだろという言葉をアルバードは飲み込みながらもラスプーチンの話を聞く。
「……私はな、もうすぐ死ぬ。厳密には2年後といったところか」
「はぁ!?死ぬ?お前が?」
「ああ」
「ちょっと待て、理解が追い付かん。何故、そう言い切れる」
「そこから先の未来が見えないが故だ。私が見ることが出来るのは未来の私が見ることのできる未来のみ。それがある時点で途絶えた。それだけの話だ」
「そうか」
その言葉にラスプーチンは意外そうな顔をする。
「正直、お前には止められると思っていたよ」
「止めてほしかったか」
「いいや、諦めがついた」
「だろうな。だが、お前の予言は百発百中。人間程度じゃどうにもできねえ。なら、お前が死んだときに如何に国内の混乱を少なくできるか。それを考えることにするさ」
「それがいい」
ラスプーチンが笑みをこぼす。
「お前、そんな顔出来たんだな」
***
アルバードと別れ一人帰路につくラスプーチン
彼の頭の中には自らが死ぬという予言とともに降ってきたもう一つの予言があった。
「人と人ならざる者の恋という物は悲哀に終わるものだ。だが、私が見たものが現実なのであれば数十、あるいは数百年の先、君たちの恋は成就することになるだろうよ」
そのつぶやきは誰の耳にも入ることなく消えて行った。
ラスプーチンが暗殺されるのはこの約2年後1916年12月17日のことである。
登場人物の簡単な紹介
アルバード
ロシア帝国親衛隊の長官。レナードやサミュエルの上司に当たり、上官殿と呼ばれている。
貴族出身でニコライ2世とは幼馴染。幼い頃は二人でよく宮殿から脱走していた。
ラスプーチンの理解者の一人で親友(と少なくともアルバードは思っている)。