「うわああ! 凄い人!」
「あ、圧巻だね……」
目の前の光景に私と凜ちゃんは圧倒されていた。
延べ五十人近くはいるであろう人たちが、訓練所の前で
「この列の人たち全員がパートナー選抜に出る、んだよね?」
「う、うん。たぶん」
日時は日曜の朝九時前。
今日は待ちに待ったパートナー選抜だ。雫さんにどれだけ近づいたか、今日まで
昨日は朝から晩までずっと師匠と凜ちゃんとショッピングを楽しんでいたため、鍛錬はあまりできなかった。
その代わりに遊びに出かけた心地よい疲労が睡眠の質を良くしたのか、今朝はすこぶる調子が良かった。とりあえずは万全の状態で臨むという絶対必要条件は満たされた。
因みに、師匠は一緒ではない。
昨日ショッピングをしているとき、
明日一日はこのDVDを全部見ると豪語していたので、おそらく今頃はテレビの前に這いつくばっていることだろう。
「あなた達も列に並ぶの?」
立ち尽くしていた私たちの鼓膜を揺らす声。
振り返った私たちの視界に映る人物に驚きを隠すことが出来なかった。
「「さ、西園寺先輩!?」」
「ふふ、こんにちは、お二人さん」
三年生の
学院内で最強と
雫さんと同じ特別生で、単独でゴーストをニ十体以上を討伐する前代未聞の偉業を成し遂げたことで、ニュースにも取り上げられていた。
そこから、テレビ出演を果たし、今も時々だが金山理事長と共にニュース番組に出演している。
雫さんと同様、SNSでも有名だった。
セミロングの金髪を靡かせながら戦場を駆け回る姿はかっこよく、その上、容姿端麗《ようしたんれい》なため、彼女もまた『天使』と称されていた。
学院内では雫さんと並んで、『二大天使』の異名で呼ばれ、皆からアイドル的存在で扱われている。
そんな学院のアイドルがどうして私たちに声をかけたのか、それは西園寺先輩が手に持つあるものが関係していた。
「ど、どうして、西園寺先輩はプラカードを?」
「ああ、これ?」
西園寺先輩は、手に持つ大きな看板に視線を送る。看板には整った字で最後尾と書かれていた。
「
一週間程、学院で過ごしてきて雫さんのことを名前で呼ぶ人なんて聞いたことがなかった。
それは、一年生はもちろん、二年生だって、ましてや、三年生でも、耳にしたことがなかったので、ちょっと新鮮だった。
「西園寺先輩と、しず……白雪先輩って仲が良いんですか?」
「まあ、一緒に部屋で映画を見るくらいには、仲がいいわね」
「白雪先輩と映画!? う、羨ましい」
「うん? 私との映画は羨ましくないのかな~?」
雫さんとの映画が見れる仲の良さである西園寺先輩が羨ましくてついつい口に出てしまった。
西園寺先輩はそんな私の言葉に頬を可愛らしく膨らませてふてくされる。
「い、いえ! け、決してそんなことは!」
私は頭と両手を左右に振り、全力の否定を身体ごと示す。
思い返せば確かにそう捉えられても仕方のない言い方だった。もうちょっと他人の立場になって考えて言葉を発しないと。
「な~んてね。冗談よ冗談。それにしても……」
西園寺先輩の視線は私から凜ちゃん……の胸へと釘付けになる。その視線をキャッチしたのか、凜ちゃんは恥ずかしそうに胸を隠す。
「羨ましい。ねえ、どうしたらそんな風に立派に胸が育つの? やっぱり食べ物? 食べ物が関係してるのかしら?」
「あ、あうあう」
西園寺先輩の怒涛の質問攻めに凜ちゃんは怯えて、私の後方へと身を隠してしまう。
「あ、あの、西園寺先輩。り、凜ちゃんが怯えてるので、その辺で」
「あ、ご、ごめんなさい。私ったらつい」
捕食者のようなぎらついた瞳は私の一声で鎮まり、西園寺先輩は凜ちゃんから身を引いた。
突然の
「私、胸の小ささがコンプレックスで、少しでも大きく育つようにって、マッサージとか食べ物とかいろいろ模索してるんだけど、効果がなくてね。うう……どうして? 妹はあんな立派に成長して女性らしくなっているのに、なんで私はこんな貧しいの?」
西園寺先輩は涙目で自身の胸の小ささを嘆く。
学院では容姿端麗、
非の打ち所がないまさに完璧超人と足り得る西園寺先輩が、胸の大きさで悩んでいることに、意外性と、それと同時に親近感が沸いた。
「西園寺先輩は今でも十分に女性らしいので、えっと、元気出してください!」
「うう、後輩に元気づけられるなんて……ありがとう」
西園寺先輩は目頭の涙を指先で拭うと同時に悲しそうな表情は消え去った。
「話がそれちゃったわね。それで、あなた達はパートナー選抜に?」
「あ、出るのは私だけで、凜ちゃんはその付き添いです」
「そうなのね。じゃあ、最後尾に案内するから付いてきて」
「は、はい。えっと、凜ちゃん」
私が凜ちゃんの方へと振り返ると、凜ちゃんは頷く。
「が、頑張ってね、ひ、光ちゃん! 観客席でお、応援してるから!」
「うん、ありがとう凜ちゃん。私、精一杯頑張るよ!」
お互いに言葉を交わし、凜ちゃんは一足先に訓練所へと足を運び、戦いを一望できる観客席へと移動。
私は西園寺先輩の後ろへとついて行き列の最後尾へと並ぶのであった。
*
九時になりパートナー選抜に出る人たちは
私が最後尾に並んだ後も、結構な人数が私の後ろに並んでいたので、来た時よりも
控室も当然一つでは足りず、五部屋用意してようやく収まりきったほどだ。この人数を雫さんが一人一人
とてもじゃないが、一日で捌き切るには
私はちらっと壁に掛けてある時計を見る。
時刻は十時三十分。
まだ控室に案内されてから一時間半しか経っていなかった。
呼ばれる順番は先着順らしく、私の場合、結構後ろの方だったので、呼ばれるにはまだまだ時間がかかるだろうと、半分以上は今日の出番はやってこないとすら予想していた。
こんこん!
「神崎光さん。グラウンドへお願いします」
「え、は、はい!」
私の予想を遥かに超えた速さで名前を呼ばれてしまい、一瞬戸惑ってしまった。
西園寺先輩に呼ばれた私は、控室を出てグラウンドへと続く廊下へと歩いていく。
廊下の先、差し込む陽光から人影が見えた。その人影は
その人影は、次第に黒から色彩豊かな色合いを見せ始めた。私が近づくにつれ、その色彩はより繊細になっていき、そして。
「!?」
私は声にならない声を上げた。
――見た。
――見てしまった。
あの光すらも飲み込まんとする真っ黒な瞳を。まるで絶望を表すような真っ黒な瞳を。
私は――見てしまった。
その瞳を見た途端、背中に大量の虫が這いつくばっているようなぞわぞわとした
あの少女は私の前に並んでいた子だ。最後尾に案内する西園寺先輩の後ろについて行ったときに、友達と話しているところをちらっとだけ見た。
その瞳は小学生の頃、友達の花音ちゃんが宿していたきらめきと同じ。まさしく憧れを志す光輝く宝石のような瞳だった。
それが、どういうことか。今の彼女は嘘のように光は失われ絶望を示すような真っ黒へと染まっていた。
何が彼女をそうさせたのか、答えはおそらくこの先に……
バシ!
「だめだめ、弱気になっちゃダメだよ私!」
自身の頬を両手で挟み込むように叩いて痛みを与えることで、弱気の自分とさよならをする。
「よし!」
両手でぐっと拳を握り気合を注入した私は、差し込む陽光に身を包み込んだ。
*
グラウンドへと足を踏み入れると、大歓声が私を迎え入れる。ただ迎え入れるのは大歓声だけじゃない。
「やっぱり、光ちゃんも来たね」
雫さんは私がパートナー選抜に出ることを半ば確信をしていたようで、私はそれに小さく頷く。
「じゃあ、位置に着きましょうか」
雫さんはグラウンドの中央を指すとグラウンド中央へと歩みを進める。私も遅れて雫さんの背について行き、守護君を境に分裂した。
私と雫さんは互いに立ち位置に着き、腰の刀を抜く。雫さんの
「ふう」
一呼吸。
たったそれだけで、緊張という鎖で縛り付けられた私の身体は解放に満ち、周囲の大歓声は波のように引いていき、ついには、私の耳から完全にシャットダウンされる。
視界に映る雫さんは、私と同じように両手で刀を持つも、肩や柄を握る手など余計な力は籠っておらず、言うならば自然体な構え。
私の前に多くの挑戦者と対峙していたであろう雫さんは、身に纏うジャージに砂ぼこりの汚れすらなく、何なら、顔に汗一つ無い。
表情から疲労の色はなく、まだまだ
「一応ルール確認を。制限時間は無制限。私に傷一つ付けるか、どちらかがギブアップ、または戦闘不能になったらそこで試合は終了。説明は以上です」
雫さんは端的にルールを説明すると、傍らにいる守護君に試合開始の合図をお願いする。それに了承した守護君は、胸元のタイマーを十秒にセットしスタートさせた。
そのわずかな
あの日、雫さんに救われた翌日から今日まで、私はほぼ毎日鍛錬に
憧れになりたい、その一心でただひたすらに努力を積み重ねてきた。
そして今日、その努力がいかほどに憧れに近づけたのか――その答えを今日知ることになる。
ブウウ!!!
訓練所内にブザー音が鳴り響くと同時に、私は右足を踏み込んで駆ける。
「はあ!」
先手必勝とばかりに私は気合の咆哮と共に刀を
カーン!
金属音が鼓膜を鳴らし、七色の火花が肌をちりちりと焼く。
私の
私の刃は逆時計回りで白い糸を引きながら孤を描く。まるで天と地をつなぐ橋のように私は陽光を受けて一層と輝く白き刃を高く
「やあ!」
声を張り上げ、私は雫さんの脳天へと刀を振り下ろす。
雫さんは脳天に迫りくる刃を受け止めようと刃を地面と平行にする。
カーン!
再び金属音が鳴り響く。
「ふっ!」
雫さんは息を強く吐くと、受け止めた私の刃を押し返す。最大限の力を入れた私の刀は軽々しく持ち上げられ、私は大きくのけ
雫さんは
「がっ!」
肺の中の空気を強制的に全て吐き出された後、私の身体は大きく吹き飛び、受け身も取れずに地面をころころと転がった。
痛みが治まってからゆっくり立ち上がる算段を試みようとするも、それよりも前に、雫さんが
そのせいで息つく間もなく、私は痛みに耐えながら慌てて立ち上がると同時に後ろへとジャンプ。
ヒュン!
私の鼓膜を震わすのは斬り裂かれる風の音。
視界に映るのは雫さんの振るった白き刃と、その後の軌道を予測したような鮮血の雨。
「ぐっ……!」
着地した瞬間の振動が、身体にもたらした傷口を知らせる。
私は咄嗟に左手で右胸を抑える。伝わる感触は生暖かくて、ぬめぬめしていた。
左手を右胸から外し、その手のひらを自身の視界に映した。そこには、真っ赤に染まった鮮血がべたっとこびりついていた。
「まだ、光は失われてない、か」
「え……?」
手のひらを見ていた私に、意味のわからない呟きを零す雫さん。
何のこと? と疑問になる前に雫さんは既に行動を開始していた。
瞬間移動の如く距離を縮めた雫さんは、私の脇腹目掛けて刀を斬り払う。
回避は間に合わないと判断した私は刀を盾にして受け止める選択肢を取る。
「ぐ……! きゃあああ!」
一瞬だけ踏ん張りは効いたのも束の間、雫さんはさらに腕に力を込めて、私ごと薙ぎ払った。
吹き飛ばされた私は一直線に宙を
「!?」
猛スピードで空中浮遊している最中、私が視界で捉えたのは刀を振りかぶる雫さんの姿。
身体は地面から浮いているため、防御したところで背中を地面に叩きつけられ、負傷するのは目に見えている。
私が取る手段は一つ、回避しかなかった。
――土壇場だけど一か八か!
そう決心した私は腰を捻ることで、一直線上の枠内から
シュッ!
私の耳に風を引き裂く音。痛みはない。どうやら無事に回避出来たようで一安心――
「ぎゃっ!?」
最悪の事態を回避できた安堵から着地のことを何も考えておらず、私は体の側面から地面と衝突し、ころころと転がる。
先程の体験があるので、痛みを我慢してすぐに立ち上がる私。それが功を奏して、
「はあ!」
張り上げた声と共に振るう雫さんの刃を寸でのところで回避して
ただ、雫さんは攻撃の手を緩めることはなく、再び間合いを詰めてくる。
このままだと防戦一方、そう思った私はどうにかして形勢逆転の
私から攻撃を仕掛けたところで隙だらけで反撃されるのがオチだ。防御も無意味だと先程の体験で身に
やはり取る選択肢は回避。
回避をして雫さんの攻撃を透かした瞬間の、その隙を突く、
それしか勝ち目はない。
身体は痛みと疲労で悲鳴を上げており、私は立っているのもやっとの状態であった。
体力の限界値が近いことを悟った私は、ここで勝負を決めることを決意。
意識を全てかき集めて集中力に変えていくと、少しだけ時間の流れが
雫さんの挙動がほんの少しだけ目で捉えられるようになった。
ただ、ほんの少し、一粒の
それほどまでに雫さんの一挙手一投足は人間離れした
間合いを詰めた雫さんは、足を踏んばり腰を右に捻る。この後の動きはおそらく……
――
私がしゃがむと、地面に映る影を通して、真横へと描く刃の軌道が見て取れた。雫さんに現れた致命的な隙、私にとっては勝機と言える隙だった。
私はその隙をつつこうと、刀を左下から振り上げる。
――直後。
私の視界に大きく映ったのは、ローファーの靴底。その靴底は視界をどんどん埋め尽くし。
「ぶっ!」
見事私の顔面にクリーンヒット。そして、再び私は低空飛行で宙を彷徨う。
「がは!」
私は背中から大きく打ち付け、仰向《あおむ》けに転がった。
がらがらがら。
手に持っていた刀は地面に打ち付けるのと同時に離してしまい、
私は何も考えずに痛む身体をむち打ち、転がる刀を手にするため、のそのそと地面に這いつくばりながら移動する。
手を伸ばせば柄がつかめる距離まで近づけた私は、疲労困憊でぷるぷると震える腕を持ちあげる。
――あと少し、あと少し。
心の中でそう唱えることで、自身を
――よし!
手のひらに柄が触れたことで、消えかかっていた
「ぎゃあああああ!」
私は手の甲にかかる圧力の痛みで絶叫を上げる。
雫さんは私の手を踏みつぶすと、たばこの火を消すが如くぐりぐりと踏みにじる。
ぴきっ!
私の中にある『何か』がヒビ割れを起こす。
「光ちゃん。そろそろ諦めたらどう?」
「あ、あき、ぐ……、らめ、ません」
雫さんからの悪魔の
「光ちゃん」
「がっ!」
雫さんの足にさらなる力を加えられたことにより、嫌でも脳が痛みを知らせ、強制的に思考を手放される。
「諦めろって言ってるのはこの戦いじゃなくて、私に”憧れる”ことを言ってるの」
「あ、こが、れ?」
痛みで思考に逃げることが出来ない私は、雫さんの悪魔的な囁きを聞き入ってしまう。
これ以上悪魔の囁きを耳に入れてはだめだと、もう一人の私が強く
「ええ。光ちゃんは前に言ったよね? 半年前に私の戦いを見て、私のようになりたいって憧れを抱いたことを」
「そ……うです。しず、くさん……に、憧れて、しず、く、さんの、ようになり、たくて、たくさ、ん、どりょ……くし、てき、ました」
三つ葉女学院に入るため、苦手な勉強を毎日何十時間とやり続け、強くなるために、筋トレや走り込み、刀を扱うための技術を悪戦苦闘しながらも身に着けた。
辛くて、苦しくて、しんどくて、努力すら放棄しようと思ったことも多々あった。
けれど、私はそれらを全て飲み下し、がむしゃらに、ひたむきに諦めることなく、努力を続けた。
それが出来たのは、他ならぬ”憧れ”の力だ。
「そうでしょうね。だからあなたはここにいる。それは努力をした成果が実ってる証拠でもある。けどね」
雫さんの声色のトーンが急激に下がる。
雫さんとの会話中にも、私は踏みつぶされた手をじたばたさせ、雫さんの魔の手、いや、魔の足から逃れようと必死だった。
でも、雫さんの絶対零度のように冷ややかな声音に当てられ、
「それは必ずしも私に近づいたと意味しない。確かに光ちゃんは努力してこの学院に合格した。ただそれは、ゴールが不変という条件があったからで、私はそれに該当しない。当然よね。私も人間、成長する生き物。光ちゃんが憧れた半年前の私よりも、今の私はさらに強くなっている。光ちゃんはこの戦いにおいて、一度も私に傷一つ付けられていない。いや、それどころか、
「――」
「もし、半年前の私が相手だったら、傷一つ付けることは大いにあったかもしれない。少なくとも塵一つはつけられたはず。でも、現状、光ちゃんはそれが出来ていない。要するに、私の成長スピードに光ちゃんは追いついてないってこと。ねえ、私が最終的に何が言いたいか光ちゃんはわかる?」
雫さんは私に問いかける。
会話の中で私は雫さんの言いたいことをうすうす感じ取っていた。
ただ、その言いたいことを形にすれば、私の中の何かが音を立てて崩れていきそうで、私は単語一つ一つを並べることを放棄していた。
「わ、かりま、せん」
この『わからない』は雫さんの問いかけのアンサーで言ったのではなく、私自身にかける暗示に込めた
「なら、教えてあげる」
「やめ、てください、わかり、たく、ない……」
この後の言葉を聞きたくなくて、私は拒絶を示すも、雫さんは聞く耳をもたない。
耳を塞ごうにも、片手は雫さんの足元にあってそれは叶わない。八方塞がりだった。
「光ちゃんが」
――嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
ぴきっ!
「いくら努力しようとも」
――聞きたくない! 聞きたくない! 聞きたくない! 聞きたくない!
ぴきぴきぴきっ!!!
「憧れにはなれないってことよ!」
――あ……
ぱりんっ!
憧れにはなれない、その言葉が耳に入った瞬間、私の中の”憧れ”という名の宝石が砕け散った。
「あ、あああ、あああああ!!」
私は絶望に満ち溢れ、なりふり構わず、叫び散らかす。
「本当はギブアップって言って欲しいんだけど。ルールはルール。仕方ない」
雫さんが何かを言ったようだが、発狂している私にはまったく耳に届かない。
――憧れになるために努力した。
――汗水垂らして努力した。
――辛く苦しみながらも努力した。
――痛みをこらえながらも努力した。
――日々の毎日を努力した。
――全てをつぎ込んで努力した。
――努力した。
――努力した。
――努力した。
――努力した。
――努力した。
――努力した。
――した。
――した。
――した。
――した。
――した。
・
・
・
・
・
・
・
「っ!?」
私の首に唐突な衝撃が走る。
その衝撃は脳に送る伝達信号を遮断。
視覚は黒に侵食されていき、口もほとんど動かせなくなり、耳も遠くなり、グラウンドの土の味も薄味になり、ありとあらゆる感覚が失われていく。
――あ……こ、が
視界が暗くなっていく中、私の視界には、汚れ一つない雫さんのローファーが映る。
そのローファーは陽光に照らされ、きらきらと宝石のような輝きを放っていた。それはまるで、私の抱いた憧れのようで。
私は失われた憧れを取り戻そうと必死に手を伸ばす。
――レ……
けれども、私はその宝石に触れる前に限界が来てしまい、意識を失ってしまった。
意識を失う寸前、私の口の中にしょっぱさが広がった。