学院のヘリポートに到着したころには、既に時刻は日付を
地に足を付けたときに、解放感が凄くて、例えるなら世界を救った勇者のような晴れ晴れとした気持ちだった。
過緊張から解放されたからか、いつもより感じる風が清々しく、空に浮かぶ満点の星空が物凄く輝いて見えた。
いつもと違う幻想的な空気感に、夢の中にいるのではないかと逆に不安になってしまう。
「反町先輩、一つお願いしてもいいですか?」
「およ? お願いとな?」
「はい。夢なのか現実なのかはっきりさせたくて。だから、私の頬をつねってもらえませんか? 自分でつねるより、他人にやられる方が、よりリアルを感じれて、区別がつきやすい気がして」
「なるほど~ いいよ」
反町先輩は私の右のほっぺたを掴むとぎゅっとつねった。
細い針で刺されたようなピリピリとした感覚が走り、私は反射的に目を閉じてしまった。
「どう、区別ついた?」
反町先輩にそう尋ねられて、私は閉じていた目を開ける。
そこは目を閉じたときの景色と全く変わらず、頬の痛みも健在であった。
それは、夢ではないことを明確に示唆していた。
――よかった。夢じゃない。私、ちゃんと初任務を無事に終えれたんだ。
「はい。ちゃんと現実でした」
「それは何より」
「すみません、変なお願いをしてお手数をおかけしました」
「いいよいいよ。私も神崎さんのほっぺたの感触を堪能出来て嬉しかったから。ふふ、ぷにぷにして気持ちよかった~」
反町先輩は私のほっぺたの弾力を再現するように、人差し指と親指をアルファベットのCのような形のまま、互いの指を近づけたり遠ざけたりさせる。
口頭で感触を伝えられるだけでも恥ずかしいのに、視覚情報まで付け加えられると、もう顔を覆うしかなかった。
「も、もう、やめてください。恥ずかしいですから!」
「そんな恥ずかしがらなくてもいいじゃん。私は褒めてるんだよ?」
「褒めてくださるのはありがたいですが、こう、何と言うか、ともかく恥ずかしいんです!」
「ん。渚、神崎さんを辱めるのはやめて。可哀そうでしょう?」
私の、あまりにも羞恥に悶える姿に、臼井先輩は目に余る言動だと判断し反町先輩を注意。
反町先輩はその言葉を受けて「ごめんごめん」と反省の色も見えない謝罪をする。
「さて、改めて今日は初任務お疲れ神崎さん」
「はい。今日は大変お世話になりました」
「ん。じゃあ、私たちはこのまま寮に戻るけど、神崎さんはどうする? 一緒に帰る? それともどこか寄りたいところがあれば、このまま解散するけど」
「あ、じゃあご一緒してもいいですか? 初任務だったので、精神的にも身体的にも疲労困憊で」
「ん。了解。じゃあ一緒に戻ろうか。渚もそれでいい?」
「もちろん。じゃあ、三人で戻ろうか!」
そうして、もう少しだけ先輩たちと一緒になることになった。
*
ヘリポートを後にした私達一行は、寮への道のりを進んでいた。
「あの、先輩たちに一つ尋ねてもいいですか?」
親睦会の時は、先輩たちと初対面で緊張していたのと、反町先輩が場をかき乱したこともあって、あまり会話という会話が出来ずじまいだった。
しかし任務を経た今、多少は打ち解けたので、残りわずかではあるが少しでも先輩たちのことを知りたいなと思い、私は質問する。
「お? 何々?」
「ん?」
私の質問に興味津々な先輩たち。
「お二方とも、白雪先輩とパートナーを組んでましたよね?」
「およ? 知ってたんだ」
「ん」
私の質問に逡巡することなく答えを明かす二人。
「はい。SNSを
「なるほどねえ。それで?」
「あ、はい。えっと、ど、どうして、パートナーをやめたのかなって思いまして」
私は二人が初任務のパートナーとなる連絡を貰ったときに、添付された顔写真を見てすぐにわかった。
――二人はかつて雫さんのパートナーだったのだと。
私の質問に反町先輩はちらっとだけ臼井先輩を見つめてから、
「ん~ごめんだけど、その話は
反町先輩は人差し指を顎に添えながら答えた。
「そ、そうですよね。すみません……」
さすがに、出会って間もない後輩に気軽に話せる内容ではないらしい。
気にはなる。
だが、無理に聞き出したいわけでもない。ただ少し興味本位で尋ねてみただけだ。本人たちが話したくないのなら、それ以上踏み込むべきではないだろう。
……もちろん、気にはなるが。
「ん。別に話しても――」
「光ちゃああああん!!」
前方から私の名前を叫びながら土煙を上げて猛ダッシュで駆けてくるのは、凜ちゃんだった。
土煙の出所からして、寮からなのは明白。
――私の今の地点から寮までの距離は約百メートルあるはずなのに、私の姿を視認できるなんて、どんだけ視力がいいの?
凜ちゃんの人体の不思議さに目を向けている間にも、土煙はこちらに向かってきて、私との距離残り十メートル付近で、凜ちゃんは大きくジャンプ。
十分すぎる速度と踏み込みにより、優位にその距離を縮めていき――
「おわっ!?」
飛び込む凜ちゃんのあまりにも勢いに私は耐えきれず尻もちを着くが、しかし腕はしっかりと凜ちゃんを包み込む。
「うわああああん! ひがりぢゃん無事でよがっだよおおお!」
凜ちゃんは私のお腹に顔を押し当てながら、喉がはち切れんばかりに泣きわめく。
朝食時に、凜ちゃんに私のことは気にせず、ちゃんと英気を養って自分の時間を
凜ちゃんの初任務は私の任務の次の日。
ちゃんと身体を労わって任務に臨んで欲しいし、それに――縁起悪いけど、もしかしたら命を落とす可能性もある。
その時に、あのときあれやっとけばよかったなあなどと、悔いがあれば筆舌に尽くしがたいやるせなさが襲い掛かるだろう。
だから私は任務に万全の体調で臨んで欲しいのと、そんなやるせない気持ちになってほしくなくて、友達としてのお願いではなく、ご主人様の立場を利用して命令した。
友達としての立場なら、凜ちゃんのことだ。
きっと、私のために何もかもを犠牲にして、ヘリポートまで見送った後、私が帰還するその時まで、ずっとそこにいるに違いない。
行きの時に凜ちゃんの姿が無かったことから、きっと私の命令を遂行して、自分の時間を謳歌したのだと思う。
今私にしがみつく凜ちゃんの後ろ髪は跳ねている。
一度ベッドで入眠を試みたのだろう。
でも、私のことが気になって寝付けなくなり、結果的にその衝動が抑えられなくなり、こうして、寮を飛び出してきたのだろうと思う。
本音を言えば、最後の最後まで私のことなんか気にせず英気を養ってほしかったけど、でもまあ、酷ながら、私の命令を忠実に行動を起こしてくれたのだ。
ここで、注意などと言ったことを伝えるのは無粋だ。
それに、凜ちゃんの私の想う気持ちを
「ありがとう。私は無事だよ」
私は右手で凜ちゃんの頭の優しく撫でる。
撫でることに凜ちゃんの強張った身体は安心を得て脱力していく。
凜ちゃんはもう泣きわめくことなく、「えへへ~」と恍惚した声を上げながら――最終的にはすーすーと夢の世界へと旅立った。
「凄い。あれだけ泣きわめいていたのに、もう寝ちゃってる~。あはは~可愛い、赤ちゃんみたい」
「ん。体格に似合わず凄い胸。こんな大きい胸初めて見た。一度、もみもみしてみたい……」
腕の中で眠る凜ちゃんに二者二様の反応を示した。
特に臼井先輩の反応は完全に変態チックで、言動もそうだけど、見つめる先が凜ちゃんの胸部に集中しており、興奮しているのか、眼差しが凄くキラキラしていた。
――ついでに、よだれも垂れていた。
「はーちゃんの変態性に神崎さんが引いてるよ~」
「ん!? 待って、聞いて神崎さん。私は決して変態なんかじゃなく……」
顔を真っ赤にしながら臼井先輩は必死に私に弁明をする。
「ごめんね神崎さん。でもはーちゃんも悪気があって変態言動をしたわけじゃないの。はーちゃんってクッション性のある弾力に満ちたものが好きで目がないの。ぬいぐるみももちろんだけど、特に女性の胸とかお尻だとか――」
「んー!! 渚ストオオオオオップ!!!」
臼井先輩は反町先輩の言動をかき消すが如く両腕を左右に大きく振りながら大声を叫び、反町先輩のこれ以上の言動をストップさせる。
臼井先輩の初めて聞く絶叫に驚いたけど、それ以上に、その大音声が眠る凜ちゃんの鼓膜を盛大に震わせたせいで、凜ちゃんは眠りから覚める赤ちゃんみたいに「ううう……!」と顔をしかめ、うめき声を上げる。
せっかく凜ちゃんは英気を養っているのに、ここで変に中途覚醒させて、いざベッドインした時に寝付けなかったら明日の凜ちゃんの任務に支障が出てしまう。
「臼井先輩、凜ちゃん寝てますから! 静かにお願いします」
「ん! ごめん」
私の注意を受けた臼井先輩は、すぐさま両手で口を塞ぐ。
私は止めていた右手を動かして凜ちゃんの頭を撫でると、しかめっ面は穏やかな表情になり、うめき声は、爽やかな寝息に変わり、私はホッと一息。
「はーちゃん、だめだよ~大声出しちゃ」
「ん……! 渚、覚えとけ……!」
臼井先輩は腹の底から煮えたぎるような憎悪を全身全霊で反町先輩にぶつける。
それを受けた反町先輩はどこ吹く風と言った様子で受け流していた。
「じゃあ神崎さん、この子がまた起きちゃわないように早く寮に帰ろっか」
反町先輩はそう言って右手を差し出し、尻もちを着く私を立たせてくれた。
こうして、私達三人は眠る凜ちゃんの様子を微笑ましく観察しながら、しかし、起こさない程度の声量で会話し、寮までの道のりを楽しんだのだった。
*
「ど、どうしよう……。もしかして昨日、私、知らないうちに反町先輩の地雷を踏んじゃったとか……? 昨日の今日で部屋に呼び出すなんて、まさか私に何か危害を――い、いやいや! 反町先輩がそんなことする人なわけないよね……?」
”休養日”
その名の通り、心身の疲労を回復させることを目的とした休みのことで、任務の次の日には必ずこの休みがある。
丸一日休みの為、座学授業にところどころ穴が空いてしまう。
なので、その穴を少しでも埋めるために、後日、各担当の先生から授業内容をまとめた動画と、それに伴った練習問題、応用問題がメールで届いて、自習という形を取っている。
本当は休養日でも鍛錬に赴こうと思ったのだが、起きて端末を確認すると、一通のメールが届いていた。
差出人は反町先輩からで、『今日、もし暇なら二人だけで会えない? 少し話したいことがあるの』とのこと。
思いもよらない誘いに、私は目を丸くした。
昨日の今日で、しかも『二人だけ』という文言まで添えられている。
なんとなく重要な話のような気がして、私はすぐに了承の返事を送った。
その後すぐに、反町先輩から返答が来て『苦労かけてごめんだけど、私の部屋まで来て欲しい』と。
その一文を読んだ瞬間、胸の鼓動が一段と速くなった。
――部屋に呼ばれるほどの話とは、一体何なのだろう?
私は呪詛のようにぶつぶつと独り言を漏らしながら、昨日の出来事を必死に思い返していた。
しかし、どれだけ考えても答えは見つからず、結局不安だけを膨らませたまま、気づけば私は反町先輩の部屋に到着。
私は嫌な未来ばかり想像していたため、中々覚悟が決まらない。
部屋の前でうろちょろしたり、インターホンを押そうとしてやめたりと、傍から見たら不審者極まりない行動ばかりしていた。
幸いにも周囲に人はおらず、私の行動を目にする者はいないのは救いだった。
「ええい! もういい加減覚悟を決めよう!」
私は両頬を軽く叩いて気合を入れる。
不安を胸の奥へ押し込み、深く息を吸い、意を決して、ゆっくりとインターホンを指に近づけた。
――ピンポーン。
乾いた電子音が静かな廊下に響く。
その音が鳴ったが最後、私はもう後戻りは出来ない。
数秒の沈黙。
やけに長く感じるその時間に、心臓だけが落ち着きなく鼓動を刻む。
「はーい!」
やがて聞こえてきたのは、反町先輩のはつらつとした弾んだ声。
「い、一年の神崎光、です!」
「お、神崎さん。今開けるね~」
そうして通話がぷつりと切れる。
声だけで判断するのは早計だが、印象としては怒りを抱いている様相はなかった。
もちろん、部屋に入った途端に態度が豹変する可能性も無きにしもあらず、だが。
そんな不安を抱いているうちに、ガチャリと鍵の外れる音が響く。
扉が開き、その向こうから部屋着姿の反町先輩が顔を覗かせた。
「いらっしゃい。ごめんね~ 休養日なのに私のわがままに付き合わせて」
「あ、いえ! 大丈夫です!」
「ありがとう。ささ、上がって上がって」
「お、お邪魔します!」
反町先輩に促されるまま私は、緊張しながら部屋へ足を踏み入れた。
考えてみれば、入学してから誰かの部屋に入るのはこれが初めてだ。
師匠や凜ちゃんならまだしも、まさか最初に訪れるのが先輩の部屋になるとは、想像もしていなかった。
リビングに入ってまず目を引いたのは、あちこちに飾られた数多くの写真立てだった。
近づいて見てみると、そのほとんどが反町先輩と臼井先輩のツーショット写真で埋め尽くされている。
臼井先輩は、どうやらカメラがあまり得意ではないらしい。
満面の笑みを浮かべる反町先輩の隣で、どこか照れくさそうに視線を逸らしている。
その対照的な表情が微笑ましく、二人の関係性を自然と感じさせた。
写真に映る景色はどれひとつとして同じものがなく、二人がさまざまな場所を訪れてきたことがうかがえる。
見慣れない風景ばかりで、その一枚一枚から旅の思い出や楽しげな時間が伝わってくるようで、眺めているだけで自然と頬が緩む。
「いい写真でしょ?」
不意にかけられた声に振り返る。
反町先輩はお茶とクッキーを乗せた皿をダイニングテーブルに置きながら、どこか嬉しそうに微笑んでいた。
「はい。お二人共凄く楽しそうです」
「ふふ、ありがと」
柔らかな笑みとともに返された言葉に、部屋の空気がさらに穏やかなものになる。
私は席に着き、反町先輩が用意してくれたお茶に口をつける。
優しい温もりが喉を通り抜け、ほっと肩の力が抜ける。
「さっそく、本題に入ろうかな~」
反町先輩の飄々とした表情は一変し、真剣な表情になる。
そのただならぬ雰囲気に、私も息を呑み、ついぞ、背筋を伸ばしてしまう。
「単刀直入に言うね」
その声には、いつもの甘えるような響きも、間延びした軽さもない。それほどまでに、重大なのだと、嫌と言うほど伝わってきた。
だけど、その重大さは自分の想像を遙かに超えることなど、その時の私は知る
まるで、覚悟を決めるように、反町先輩はすううっと空気を吸い込む。
――そして。
「神崎さん。雫ちゃんに”憧れ”を抱くのを諦めてくれないかな?」
「え……?」
口から漏れた出たのは、もはや言葉とも呼べない
あまりにも予想外すぎる一言に、ただ呆然と反町先輩の顔を見つめることしかできない。
反町先輩の言葉の意味自体は理解できた。だが、脳がそれを受け入れることを拒絶していた。知りたくない。認めたくない。
そんな本能的な拒否感が、必死に理解を押し
「理解できなかった? じゃあ、別の言い方をしましょうか」
反町先輩は、呆然と固まる私の返事を待つことなく、次いで出た。
「神崎さんは、雫ちゃんのようにはなれない。なれるわけがない。なれるはずもない。だから、雫ちゃんに憧れるのをやめて欲しいの、分かった?」
冷徹に。冷酷に。そして、どこまでも非情に。
反町先輩は、残酷な言葉を淡々と並べていく。
同じ意味の言葉を重ねるたび、その願い――いや、意志の強さが骨の髄まで伝わってきた。
私に雫さんへの憧れを捨てさせたい。そのためなら容赦なく心を
胸が痛んだ。
まるで鋭い刃で心臓を何度も刺されているような痛みが全身を襲う。
「どうして……そんな、酷いことを……?」
「酷い? それは違うよ。私は神崎さんのために言ってるんだよ?」
「私の、ため……?」
意味が分からなかった。
どこをどう解釈すれば私のための言葉になるのか、気遣う言葉になるのか、わからなかった。
私からしたら、ただ無慈悲な言葉を投げつけられただけに過ぎない。
「神崎さんが雫ちゃんに憧れたように、私も憧れたんだよ。だからこそ、私は雫ちゃんのパートナーになった」
反町先輩は、目を瞑り、自分の過去を脳裏で浮かべてながら
その話し方は、我が子に絵本を読み聞かせるような母親のような語り口調のようで、私は、先ほどまで抱いていた疑問さえ忘れ、その話に耳を傾ける。
「一番近くで雫ちゃんの戦いを見て、その技術や考え方を少しでも自分のものにしようとした。雫ちゃんから直接指導だって受けた」
そこで反町先輩は、小さく微笑む。だけど、その笑みはどこか
「最初は、本当に嬉しかったんだよ。努力した分だけ成長している実感があったし、少しずつ憧れに近づいている気がしたから。このまま頑張り続ければ、私もいつか雫ちゃんみたいになれるんじゃないかって。憧れた背中に追いつけるんじゃないかって。本気でそう信じてた」
そこで反町先輩は言葉を切り、ゆっくりと瞼を開いた。視線の先にいる私を見つめながら小さく首を横に振る。
「――でも、それは私の思い違いだった……」
そのため息交じりの声音は諦めにも似た苦みが滲んでいた。
「雫ちゃんの成長速度は私の想像を
机の上で組まれた手に、ぎゅっと力がこもる。
「私はそれを日に日に実感して、気づいたら、憧れは絶望に変わっていた。辛かった。苦しかった。生きている実感さえ薄れていって……ずっと出口の見えない暗闇の中を、
その声は決して大きくない。けれど、だからこそ痛いほど胸に響いた。
憧れが希望ではなく絶望へ変わる――。
私も雫さんとの圧倒的な力の差を前に絶望を味わった。
だけど、反町先輩と臼井先輩に至っては、憧れの相手とパートナーになり、その背中を誰よりも近くで見続けてきた。
だからこそ、その差の
私が味わった絶望など比べ物にならないくらいに。
「絶望に打ちひしがれた私は、約二か月の末、雫ちゃんにパートナー解消を持ちかけた。雫ちゃんは食い下がったけど、最終的には、首を縦に振ってくれたわ……そして、はーちゃんも私と同じだった。雫ちゃんに憧れて、そして……私と同じ末路を辿った」
反町先輩も臼井先輩も、私と同様に雫さんに憧れを抱いていたことを告白してくれた。
それはうすうす感じていた。
それは、昨日の任務の時に、二人の振るった刃にある。どちらの刃にも、どこか雫さんの
それはきっと、二人がかつて雫さんへ抱いていた憧れの証だったのだろう。
「二度も、自分への憧れに裏切られた雫ちゃんはね、深い憎悪の下、それを潰すために、ある、一つの
反町先輩は、一つという言葉と共に人差し指をぴんっと突き立てた。そして、ゆっくりと息を吸って、言った。
「パートナー選抜」
「なっ!?」
私はその事実に思わず声が裏返る。
まさか、あの催しの裏に、そんな目的があったなんて、けれど同時に、その言葉は私の中に妙な納得感も生み出していた。
――だからだったのか。
脳裏に、雫さんとの戦いが
雫さんは試合中、
もし反町先輩の言うことが本当なら、すべての説明がつく。
思えば、雫さんは戦う前に、「やっぱり、光ちゃんも来たのね」と、まるで私がはなから、パートナー選抜に出ることを予期、いや、確信していたかのような発言だった。
けれど当然だ。
私は入学初日に、自分が雫さんへ憧れていることを打ち明けている。憧れを抱く者を集め、その憧れごと打ち砕くための催し。
それがパートナー選抜だったのなら、私が現れることなど予想できていたはずだ。
「あの開催に至った根本的な原因は、私とはーちゃんにある。去年、あの催しを私とはーちゃんは見ていた。その光景は悲惨極まるもので、雫ちゃんはただひたすらに憧れを潰すための
反町先輩は、その
反町先輩と臼井先輩はその光景を見て、どんな想いを抱いたのか、私にはわからない。
だけど、想像に絶するような、深い罪悪感、後悔、悔やみ、苦しみ、辛さ、痛みを味わったに違いない。
「私は雫ちゃんと、雫ちゃんに憧れる人たちに物凄い罪悪感を覚えた。正直、耐えられなくて、観戦席から逃げ出そうとも考えた。でも、これは神様から与えられた罰なんだと思って、私は、最後まで見届けることにしたの」
反町先輩は湯呑を手に取り、一口だけお茶を含んだ。
静かに喉を潤したあとも、湯呑を両手で包み込んだまま、あの日の記憶が映っているかの如く、視線を湯呑の水面へと落とす。
「けれど、その途中だった。一人、この光景から目を背けるように会場を飛び出していく子を見かけたの。気になって後を追いかけたら、その子は会場のすぐそばにあるベンチで『私のせいで、ごめんなさい』と何度も謝罪を繰り返していて、泣いていた」
反町先輩は視線を左の方へ向ける。私もそれにつられて、視線を反町先輩と同じ方向へと持っていく。
その視線の先には、反町先輩と臼井先輩のツーショット写真。
「――それが、はーちゃんとの出会いだった」
その声色は
「はーちゃんも私と同じ、あの光景を生んだのは自分のせいだとそう思い、最後まで見届けようとしていたらしく、結局は、罪悪感に耐えきれずに、逃避行動に移してしまった、と私は、はーちゃんから話を聞いた」
反町先輩はそう言って、正面に向き直る。
「だから私は思ったの。同じ罪を背負う者同士なら、その重荷を分け合えるんじゃないかって。一人では抱えきれないなら、二人で抱えればいい。そう思って、はーちゃんにパートナーを持ちかけた。そして、はーちゃんはそれを
二人のコンビネーションは、目を見張るものがあるのは、昨日の任務で理解していた。
互いに言葉を交わさずとも、阿吽の呼吸でゴーストを討伐する姿は芸術のように美しく、私も思わず目を奪われた。
「そして、また、今年も同じくしてパートナー選抜が開催された。雫ちゃんに憧れてここに入学する子がいるだろうと予想はしていたから、驚きはなかった。だけど、想像以上に憧れてる子がいたことは驚きを隠せなかったけどね」
それは、私も驚いた。
あの五十を超える長蛇の列。
そのほぼ全員が雫さんに憧れを抱いていたことに、雫さんの魅力さが数値的に表れていた。
もちろん、私もその一人に含まれているが……
「もう一度、あの辛さを味わうのは耐え難いものがあった。それでも、罪を背負うと決めた私たちは、パートナー選抜の会場へ向かった。昨年と同じく、目を覆いたくなるような光景だったけれど……
「わた、しは……?」
反町先輩の言葉に引っ掛かりを覚えた私は、考えるより先に口から零れた。
「そう。はーちゃんは耐えきれなかった。"ある人"を境に、ね」
そう言って、反町先輩はゆっくりと私に眼差しを向ける。
まるで、その"ある人"を示すかのように。
「あなたよ。神崎さん」
「!?」
名指しをされた私はきゅっと喉を引きつらせる。心臓がドクンッ! と大きく跳ね、その直後に鋭い痛みが胸を襲う。
「あなたは雫ちゃんの圧倒的な実力差の前で憧れを打ち砕かれた。そこまで、他の人たちとは何ら変わらない。だけど、神崎さんは他の人よりも憧れが強かったようで、唯一、あなただけ、発狂した」
発狂。
私がその言葉を聞いたのは、朝倉先生からだった。
私は前の人たちの試合を見ていなかったし、絶望に染まった瞳だけを見て、きっと私を含めた全員が同じような反応を示したのだと思っていた。
「……あの絶望的な叫びは、はーちゃんじゃなくても聞いていて辛かった。もちろん私だって苦しかった。でも、はーちゃんは耐えられなかった。泣きながら私に抱きついて、何度も『ごめんなさい』って……自分を責め続けていたの」
反町先輩の瞳は痛々しいほど揺れていた。
まるで今この瞬間も、あの日の光景から逃れられていないかのように。
そんな表情を見れば分かる。
私はきっと、自分が思っている以上に惨めで、無惨な姿を晒していたのだ。それも、臼井先輩が自責の念に駆られてしまうほどに。
「雫ちゃんも、あなたのその姿を見て、いつもより目に見えて苦痛に表情を歪めていた」
「いつも、より……? どうして、雫さんが苦痛そうな表情を? あれだけ憎悪を宿していたなら、むしろ、本望では?」
雫さんは憧れという感情に、底知れないほど深い憎悪を抱いている。それは、背筋が凍るほどに。
だからこそ、憧れを壊せば、少しは心の
なのに反町先輩の言葉では、雫さんはいつも苦痛に表情を歪めながら、人の憧れを壊していることになる。
その矛盾が、どうしても理解できなかった。
「雫ちゃんの本心までは、私にも分からない。でも――苦しそうな顔をするってことは、少なくとも本人だって、人の憧れを壊すことを心の底から望んでいるわけじゃないんだと思う」
その声色はどこか悲しげで、それでいて、雫さんを案じているようだった。
「昔話が過ぎたね。私の想いはただ一つ。雫ちゃんを、はーちゃんを……これ以上、苦痛を味わわせたくない。ただそれだけ」
揺れる瞳が真っ直ぐ私を射抜く。
そこには何もかもを背負うという
「きっと、近いうちに雫ちゃんからあなたにアプローチを仕掛けてくる。今度こそ本気で、あなたの憧れを壊しに。私とはーちゃんは、それを見届ける覚悟を決めてる。罪を背負うと決めたから。でもね……でも、もし、神崎さんがまた絶望したら……」
反町先輩は、痛々しく、苦悶に満ちたように、唇をかみしめる。反町先輩は私が絶望した状況を想像し、その光景を見たかのように。
「だから、お願い神崎さん。憧れを諦めて! どうか、これ以上の苦しみを二人に味わせるのをやめて! ただ……それだけなの……!」
その姿に息を呑む。
反町先輩ほどの人が、ここまで必死になっている。それだけで、どれほど切実な願いなのか理解できた。
「昨日の任務で神崎さんが私の戦う姿を見て、ひょっとしたら、気が変わってくれるんじゃないかって、私に憧れを抱いてくれるんじゃないかって、淡い期待を抱いてた。神崎さんにカッコいいところを見せるため、いつもより気合を入れて任務に臨んだ。でも、どんなに頑張っても、無理だった。私に出来ることは、こんな酷い手段を移行することだけ。それでも、二人の苦しみを解放できるなら、私は、厭わない。それに、最初に言った通り、これは神崎さんのためでもあるの」
あの脅し文句は建前で、真意は私に憧れを捨てさせ、二人を苦しみから解放することだと思っていた。
今まで聞かされた反町先輩の話を踏まえれば、そう考えるのが自然だった。
だけど――
「あれは、私に憧れを捨てさせるための建前では、ないんですか?」
流石に処理しきれる情報量が
もし、私に落ち着きがあったら答えにたどり着けたかもしれないけど、今の私じゃ、絶対に無理だった。
「まあ、一番の目的としては、神崎さんが言ったことなんだけど、その別の目的として、神崎さんのためってのもほんと。私が二か月間、雫ちゃんとパートナーになったことを、さっき伝えたよね」
「はい」
「そこで、一つ。想像してみて欲しいことがあるの」
反町先輩は先生のような口調でそう言いながら、右人差し指を一本、天に向かって突き出す。
「想像してほしい、こと?」
「そう。神崎さんが雫ちゃんとパートナーになったときのことを……目を瞑って、頭の中で思い浮かべてみて」
反町先輩の指示に従い、私は雫さんとパートナーになったときのことを思い浮かべる。
雫さんとパートナーになり、憧れに一段と近づいたことを喜ぶ私。
任務の時、ゴーストと戦う雫さんの姿を横目で追う私。
そして、その動きを少しでも自分のものにしようと、何度も反復練習を重ねる私。
反町先輩がそうであったように、雫さんに指導を受ける私。師匠にも鍛錬をつけてもらい、ただひたすら強さを求める私。
血の滲むような努力の末、確かな強さを得た私。
『少しは近づけたかもしれない』――そんな淡い期待を抱く私。
――そして、
その横で、三歩以上も前に歩く雫さんに――
絶望する私。
「っ!? ぐ……! はあ、はあ、はあ」
私は雫さんとパートナーになり、絶望する自分の姿を思い浮かべて、胸が苦しくなる。過呼吸になる。
「わかった? 雫ちゃんとパートナーになったときの自分の末路が。背中を追いかけど、追いつけない、ジレンマが。雫ちゃんとの実力の差が開いていくの、毎日、毎日、実感する絶望が。想像だけでその苦しさなら、それが現実で起こったとき、それ以上の、苦しみが神崎さんに襲うよ。私がそうだったようにね」
反町先輩の”私のため”と言う意味を理解した。骨の髄まで、体の隅々まで……
理解した。
反町先輩は、臼井先輩は、その苦しみを味わってきたのだ。
毎日。
毎日。
毎日。
縮まることのない距離を。
埋まることのない隔たりを。
追いかけても追いかけても、遠ざかる背中を。
どれだけ努力しても。
どれだけ血を吐くような鍛錬を積んでも。
どれだけ強くなっても。
届かない。
追いつけない。
並べない。
昨日より強くなったはずなのに、その人はそれ以上に強くなっている。
一歩進めば、相手は三歩進む。
二歩進めば、相手は五歩進む。
必死に手を伸ばしても、その指先は永遠に届かない。
差は縮まらない。
むしろ、開いていく。
毎日。
毎日。
毎日。
その現実を突きつけられる。
それは――
地獄だ。
希望を抱くたびに打ち砕かれる地獄。
努力するほど惨めになる地獄。
憧れれば憧れるほど、自分の無力さを思い知らされる地獄。
地獄、地獄、地獄、地獄、地獄、地獄、地獄、地獄、地獄、地獄、地獄、地獄。
それゆえ。
――絶望的だ。
雫さんとパートナーになれば、この地獄の苦しみを毎日、毎日、味わなければならない。
自分はその苦しみに耐えられるのか?
自分はその辛さに耐えられるのか?
自分はその痛みに耐えられるのか?
自分は、
――その先に待つ絶望に耐えられるのか?
分からなかった。分かるわけなかった。分かるはずもなかった。
だって、私は雫さんとパートナーになった事がないんだから。当然だ。理解出来ようもない。
反町先輩は、雫さんとパートナーになったら、絶望的な毎日を送ることになると、だから、私のために、と言ってるのだと、理解した。
想像しただけで胸が押しつぶされそうになる。それが現実になったら……
「っ……」
気づけば、喉が鳴っていた。
無意識に唾を飲み込む。
想像の中ですら息苦しいのに、現実はどれほど残酷なのだろう。
「……期間は、雫ちゃんが神崎さんにアプローチを仕掛けるまで。その時に、雫ちゃんに答えを聞かせてあげてね」
反町先輩は静かな声で続ける。
「私にできることは、ここまでだから。答えを強制するのは私には出来ない。こればかりは神崎さんに託すしかないんだけど……」
そこで一度言葉を切り、小さく息を吐いた。
「でも、私の願いを言うなら諦めてほしい。――あなたのために。雫ちゃんのために。そして、はーちゃんのために、ね」
反町先輩はその言葉を最後に、これ以上の話すことは無いと言わんばかりに、もうとっくに冷めきった湯呑に口を付けたのであった。