「光ちゃん。今日、鍛錬をするから、授業が終わったらそのまま第二訓練所に来てくれる?」
「たん、れん……」
「あ、もしかして、何か用事あった?」
「あ、いえ! 全然大丈夫です! 分かりました。授業が終わったらそのまま行きます!」
「そう? じゃあ、よろしくね」
「はい!」
凜ちゃんとラウンジで昼食をとっている最中、雫さんから放課後の鍛錬に誘われた。
パートナーとなって初めて雫さんからの鍛錬の誘いに、嬉しさのあまり私はその言葉を理解するまで、一瞬思考が止まってしまった。
私の返事を聞いた雫さんは、その場を後にしようと踵を返した―—。
「白雪先輩!」
鋭く響いた呼び声に、雫さんは足を止めて振り返る。ラウンジに繋がる階段に、赤いツンテールを垂らした立花さんの姿が。
「あなた……」
その姿を認めた雫さんは、小さくため息を漏らす。
立花さんはツインテールを揺らして、ずかずかと足音を立てながら階段を降りると、雫さんの横で足を止めた。
「やっぱり、あたしは認めません! こんなやつが白雪先輩とパートナーなんか! こんな『凡人』より、『天才』であるあたしの方が白雪先輩のパートナーとして相応しいです!」
周囲に大勢の生徒がいることなどお構いなしに、立花さんは私を引き合いに出し、自分こそが雫さんのパートナーに相応しいのだと私に指を差しながら声高に訴えた。
「昨日も言ったでしょ。私は光ちゃんに負けたって」
「信じられません! 白雪先輩ほどの『天才』が、こんな『凡人』に負けるなんて!」
立花さんはそう叫ぶと、雫さんの右手を両手で包み込むように握った。
「白雪先輩……あの輩に何か脅されて、無理やりパートナーを組まされているんですよね? あたしに相談してくだされば、あんな奴、あたしが――!」
私を射抜くような睨みには、隠そうともしない敵意が宿っていた。
そんな立花さんを前に、まるで何度も同じやり取りを繰り返してきたかのように、雫さんは疲れたようなため息を漏らし、静かに首を横へ振った。
「……何を言っても、立花さんの考えは変わらないのね」
「はい!」
「はあ……分かったわ」
雫さんは左腕で右肘を支えながら、右手の人差し指を顎に添えて小さく思案する。 その途中、私へ一瞬だけ視線を向けると、何かを決めたように口を開いた。
「じゃあ、証明してみなさい」
「しょ、う、めい……?」
「あなたが光ちゃんよりもパートナーに相応しいと言うなら、私の前で光ちゃんと戦って勝ってみなさい」
「雫さん!?」
あまりにも突然の提案に、私は思わず椅子から立ち上がってしまう。
「ほ、本当ですか!?」
焦る私に反して、立花さんはその提案に目を輝かせる。雫さんはそんな彼女を見つめ、「ええ」と頷いた。
「ただし、一度の勝負で決めるのは光ちゃんにとって公平とは言えないわ。先に私のパートナーになったのは光ちゃんなんだから、その立場をたった一度の勝敗で奪うのはあまりにも理不尽。だから、立花さんには今週。来週。再来週と渡って三回、光ちゃんと戦ってもらう。もし、そのすべてに勝てたなら、私はあなたとパートナーを組むわ」
雫さんは立花さんに条件を言い渡すと「どう?」と立花さんに訊く。
「ははっ! もちろん、その条件で構いません!」
立花さんは勝利を疑う様子もなく、自信満々に笑みを浮かべる。
「あら、自信満々ね?」
「当たり前です! 『天才』であるあたしが、こんなぼんくらに負けるはずありませんから。昨日の模擬戦だって、こいつは何もできないまま、あたしに敗北しましたし」
立花さんは勝ち誇った笑みを浮かべながら、昨日の模擬戦で私を一方的に叩きのめしたことを、これ見よがしに語った。
「勝負の日程はこちらで決めて連絡するわ」
「分かりました。ご連絡、お待ちしています」
立花さんは「失礼します」と雫さんへ丁寧に一礼すると、くるりと踵を返す。
その途中、私へちらりと視線を向けると、勝ちを確信したように口元をにやりと歪め、そのままラウンジを後にした。
「し、雫さん!? ど、どうしてあんな約束を!?」
「だって、このままじゃ、埒が明かなそうだったからね」
「だ、だとしても、あの条件は流石に。わ、私が負けたらどうするんですか!?」
「大丈夫。光ちゃんは負けないよ。絶対に」
雫さんの眼差しは、先程の立花さんと同じように、勝ちを信じて疑わない、絶対的な勝利を宿していた。
「ど、どうして、そんな確信……」
「だってあの子は……『努力』や『頑張る』ことをしてないから」
「ど、どういう意味ですか?」
「実は私、あの子がゴーストに襲われているところ救ったことがあるのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。その時に、ほんの少しだけだけどゴーストと戦う姿を目撃してね。体の身のこなしは常人のそれだったわ。そして、月日を経て、パートナー選抜の日。憧れが多い中、唯一あの子だけは、ただ純粋に尊敬の念を以て私と戦った。去年の時と照らし合わせて、強いのは確かよ。だけど……」
雫さんは一拍置き、
「強さの向上は見られなかった」
ただ淡々と事実を述べた。
「こう、じょ、う?」
「そう向上。あの子はその時と強さが変わらない。それは、強さを磨く努力をしてないから。その一点に限る」
強さは向上してない。それは分かった。でも、強さが変わらないんじゃ、私にはどだい無理だ。
三回にわたって戦うとのことだけど、勝てる未来がまるで見えない。しかも、その三回は再来週までには決してしまう。
その短期間で、強さを磨き立花さんに勝利するなんて、無理難題すぎる。
「で、でも、私が立花さんに勝てるなんて……」
「思わない?」
雫さんは私の言葉の続きを察して言う。私は雫さんの言葉に「はい……」と力なく頷く。
「光ちゃんは私に勝った。あの子が成し遂げられなかったことを光ちゃんは成し遂げたのよ?」
「でも、それは、単なる『奇跡』で」
「じゃあ、その『奇跡』をもう一度起こしてみなさい」
「そ、そんなの無謀ですよ!」
「無謀? 私は起こせると思うよ『奇跡』」
雫さんの瞳には真摯な輝きだけがあった。その輝きに私は息を呑む。
「どうして、そこまで信じてくれるんですか?」
思わず問い返した。
私には分からなかった。
雫さんに勝てたのは、ただ運が良かっただけ。何かが噛み合った、二度と起こらない奇跡だった。そうとしか思えなかったから。
そんな私を、どうしてここまで信じられるのだろう。
「光ちゃんはあの戦いで私にまた、憧れを信じさせてくれた。だから、私はあなたを信じ切れるの。それに……光ちゃんはさっき『奇跡』って言ったよね」
「は、はい……」
「でもね、『奇跡』って何もないところから生まれるものじゃないの。奇跡って言うのは――」
雫さんは一拍だけ設ける。
「積み重ねた努力の先にあるものなのよ」
「積み重ねた努力の先?」
雫さんは「そう」と静かに頷く。
「光ちゃんの努力は、実際に刃を交えて、私も身を沁みて感じた。すっごい頑張ってきたんだなって、痛いほど伝わってきた。だからこそ、その積み重ねた努力があったからこそ、『奇跡』は起きたの。だから、私は信じてる」
雫さんは私の瞳を真っ直ぐ見つめる。その眼差しには、一片の迷いもなく、揺るぎない。
「……」
「光ちゃんなら、また必ず『奇跡』を起こせるって」
雫さんは、そっと私の右手を取ると、優しく、強く両手で包み込む。
「信じてる」
言い切るその声は穏やかなのに、不思議なくらい力強い。
どうしてだろう。さっきまで無謀だと思っていたのに、今は、もう一度『奇跡』を起こせるかもしれない。
そんな根拠のない想いが、胸の奥で静かに芽吹いた私なのであった。
*
訓練の授業が終わり、私と凜ちゃんは第二訓練所へと向かう。凜ちゃんも一緒について行きたいとのことで、私は特に拒む理由もなかったので、そのまま二人で足を運ぶことに。
「あ、光ちゃん! こっちこっち!」
到着すると、雫さんがこちらへ向かって大きく手を振りながら、手招きをしている。雫さんのほかに二人、どちらも見覚えのある顔があった。
「神崎さん、やっほ~」
「ん。神崎さんはこんにちは」
「こんにちは、反町先輩。臼井先輩」
私達三人が挨拶を済ますと、「およ?」と反町先輩は隣にいる凜ちゃんに視線を向ける。
凜ちゃんはその視線にビクッとするものの、私の左腕を抱きしめながらも、自己紹介をする。
「あ、え、えっと……い、一年Aクラスの、み、水無月凜で、す」
「自己紹介ありがと~。私は二年Bクラスの反町渚って言います。よろしくね~」
「ん。渚と同じクラスメイトの臼井葉月。よろしく」
「二年Aクラスの白雪雫です。よろしくね」
「よ、よろしくおねがいしましゅ! っ~」
凜ちゃんは緊張から噛んでしまい、羞恥に悶える。
「可愛い!」
反町先輩は凜ちゃんの羞恥に悶える姿があまりも可愛かったのか、目を輝かせて、凜ちゃんに抱き着いた。
「可愛い、可愛い」
「~」
反町先輩は凜ちゃんをもみくちゃにするかの如く、身体のあらゆる箇所を目まぐるしく撫でまわし、頬ずりまでする。
「ん。神崎さん」
「なっ!? う、臼井先輩!?」
臼井先輩は何の前触れもなく、いきなり私に抱きついてきた。あまりにも突然すぎて、私は声を大にして驚きを上げる。
「ん。前回はいろいろあって、あまり感触を味わえなかったけど……神崎さん、すごくもふもふする~」
周囲に人は多くいるのに、そんなことお構いなしに、臼井先輩は抱き枕の感触を確かめるように、私をぎゅっ、ぎゅっと抱きしめる。
臼井先輩がこんな大胆な行動に出るなんて、思いもしなかった。普段の彼女なら恥ずかしさが先に立って、自分から抱きつくような真似は絶対にしないはずだ。
それだけに、あまりの不意打ちに私はただ目を白黒させることしかできなかった。
「ん。西園寺先輩の言ってた通り。このもふもふさは、どのクッションにもない魅力がある」
「さ、西園寺先輩の言ってた通りって……?」
「ん。私と西園寺先輩は、もふもふ同盟を組んでる。雫ちゃんと神崎さんが二人で出かけたとき、西園寺先輩があなたに抱きついたらしく、そのもふもふ具合に感動したように私に報告してきた」
臼井先輩と西園寺先輩が知り合いだっただけでも十分意外なのに、もはやそれがどうでもよくなるほど、『もふもふ同盟』という謎の単語のインパクトが強すぎた。
もふもふ同盟って何!?
「二人共、そろそろ鍛錬したいから光ちゃんたちを解放してあげて」
抱きついたまま離れようとしない二人を見て、雫さんは呆れを滲ませた声でそう告げる。
「ん。もうちょっと」
「もうちょっと」
二人は息ぴったりにそう答え、まるで離れる気配を見せない様子に雫さんの眉がぴくりと動いた。
「ふ・た・り・と・も?」
「「っ!」」
一文字、一文字を区切るように紡がれた言葉には、隠そうともしない怒気が込められていた。
その圧を真正面から受けた臼井先輩と反町先輩は、肩をびくりと震わせると、慌てて私と凜ちゃんを解放する。
「じゃ、じゃあ、私たちはこれで失礼するね。た、鍛錬頑張ってね!」
「ん。また……!」
二人はそそくさと逃げるようにそう言い残すと、土煙を巻き上げながら、一目散にグラウンドの彼方へと駆け去っていった。
「水無月さん、光ちゃん。二人がごめんね」
「あ、いえ! 全然大丈夫ですので!」
「だ、だいじょ、うぶ、です……」
雫さんは私たちの反応に、「ありがとう……」とほっと胸をなでおろす。
「それじゃあ、鍛錬を始めるけど、水無月さんは……?」
「あ、わ、わた、しは、ひ、光ちゃんの、つ、付き添いなので、そ、その、ふ、二人のた、鍛錬をみ、みてま、す」
そう言う凜ちゃんに「わかった」と返す雫さん。凜ちゃんは私達と少し距離を離し、見守る体制に入った。
「じゃあ、光ちゃん鍛錬をしよっか」
「は、はい! よ、よろしくお願いします!」
こうして、雫さんとの鍛錬が始まったのだった。
*
「さて、これまで光ちゃんの戦いで、一つ分かったことがあるわ。光ちゃんは、かなり『動体視力』が優れている」
「動体視力……ですか?」
「ええ。例えば、人型と戦ったときの最初の一撃。光ちゃんは接近してくる相手だけじゃなく、その刃の軌道までしっかり目で追えていた」
思いもよらない言葉に、私は目を瞬かせる。
「それを活かした光ちゃんの戦闘スタイルは相手が生んだ一瞬の隙を逃さず突く戦い方がいいと思う。別の言い方をするならカウンター。その戦闘スタイルが光ちゃんに合ってると思う」
雫さんは迷いなく言い切る。
けれど、当の私は自分にそんなことができるとは思えず、不安ばかりが募ってしまう。
「相手の隙を突くためにも、まずは一つ。光ちゃんには受け流しの考え方を覚えてもらうわ」
「受け流し、ですか?」
「そう。相手の攻撃をただ受け止めるんじゃなく、攻撃をいなしながら相手の体勢を崩し、自分に有利な流れを作るための技術よ。力任せに防御を続けるより、体力の消耗も抑えられるわ」
なるほど、と頭では理解できても、実際にどうやるのかまでは想像がつかない。
「言葉だけじゃ分かりにくいわよね。百聞は一見に如かず――光ちゃん、とりあえず私に打ち込んできて」
「は、はい!」
私は雫さんの言葉に頷き、刀を振りかぶる。私の刃は寸分たがわず雫さんに襲い掛かり――、
その時、 雫さんは滑るように一歩身をさばき、私の斬撃の軌道からわずかに外れる。同時に、自身の刀を斜めに差し込み、
甲高い金属音が響く。
叩き込んだはずの一撃は横へと逸らされ、刃に乗せた力が嘘のように抜けていく。
「うわっ!?」
受け流された私は少しだけ前のめりに体勢を崩す。その隙に、雫さんの白刃が私の首元へと接近し――あと数センチというところで、ぴたりと静止した。
私は息を呑み、首元にある白刃へと意識が注がれた。
「っと、まあ、こんな感じ」
雫さんは何事もなかったかのように刀を引き、軽い手つきで鞘へ納める。
「じゃあ、今度は光ちゃんにも感覚を掴んでもらいましょうか。基本を教えるから、実際にやってみよう」
「はい!」
私は雫さんから受け流しの基本的な考え方を教わりながら、何度も刀を交え、その感覚を少しずつ体に覚え込ませていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「よし、今日はここまでにしときましょうか」
「はぁ、はぁ……ありがと、う……ございまし、た……」
約二時間。みっちりと雫さんとの鍛錬を終えた私は、息も絶え絶えのまま土の上へと倒れ込み、大の字になった。
いつの間にか陽は落ち、空にはすっかり夜の
受け流しの基本を教わったあとは、ひたすら雫さんの斬撃を受け流し続ける稽古。
雫さんの指導は言うなれば、スパルタだった。事前に厳しくいくよと言われていたから多少の覚悟はあったけど、それでも想像以上だった。
私の体が悲鳴を上げようと、動きが鈍ろうと、お構いなし。雫さんは一切手を緩めることなく斬撃を繰り出し、私に受け流し続けることを求めた。
私もその期待に応えようと必死に受け流すも、時間が経つにつれて疲労は蓄積し、次第に動きは追いつかなくなっていった。
それとは対照的に、雫さんの斬撃は最後まで一切衰えることなく、鋭さも速さも変わらない。
受け流し損ねた刃が腕や肩をかすめ、そのたびに浅い切り傷が増えていった。
それでも痛みに気を取られる余裕などない。弱音を吐く暇すらなく、次々と繰り出される斬撃を捌くことだけで精一杯だった。
そして鍛錬が終わり、ようやく張り詰めていた気が緩んだ瞬間、全身を襲う痛みと、無数に刻まれた切り傷の多さを改めて思い知らされた。
「ひ、光ちゃん! だ、大丈夫!?」
駆け寄ってきた凜ちゃんが、青ざめた顔で私の傷だらけの身体を見つめる。
「はぁ、はぁ……うん。大丈夫だから、心配しないで」
そう答えたものの、立ち上がる気力が湧かず、寝ころんだまま動けない。ただ、荒い呼吸を垂れ流すことだけだ。
「ごめんね。私、こうやって指導することしかできなくて」
どこか申し訳なさそうに目を伏せる雫さんへ、私は慌てて首を横に振る。
「あ、いえ……大丈夫です。むしろ、このくらい厳しいほうが、私にはいい刺激になりますから」
「そう? ならいいけど」
雫さんはそう言って、腰を下ろすと私を抱きかかえた。
「ふえ!? し、雫さん!?」
雫さんにお姫様抱っこされた私は、全身を包んでいた疲労も痛みも一瞬で吹き飛ぶ。
「その様子じゃ動けないだろうし、私が医務室まで運ぶわ」
「い、いいですよ! し、雫さんにお手数をかけますし、じ、自分で歩けます!」
「いいから、いいから。ほら、大人しく抱きかかえられてなさい」
私の抗議など気にも留めず、雫さんはくすりと笑う。 嬉しさと恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながら、小さくお礼を口にした。
「……は、はい。あ、ありがとうござ、いましゅ……」
「わ、わたしも、ど、同行、します!」
慌てて凜ちゃんが手を挙げる。
「もちろん。じゃあ、水無月さんも一緒に行きましょうか」
そうして私たちは、夕焼けに染まる訓練場をあとにし、三人で医務室へと向かったのだった。