土曜日、午前八時。
雲一つない空は淡く澄み、春らしい柔らかな青がどこまでも広がっていた。入学当初はまだ冬の名残を感じさせる冷たい空気が頬を撫でていたが、今ではその気配もすっかり消え、穏やかな陽気が優しく肌を包み込んでいる。
翌日に立花さんとの二度目の模擬戦を控えた私は、その日に備えて雫さんに鍛錬をつけてもらうため、凜ちゃん、雫さんと三人で訓練所へ足を運んでいた。
やがて訓練所へ到着し、朝の陽射しが降り注ぐグラウンドへ目を向ける。すると、ひときわ目を引く大きな青いリボンが目に飛び込んできた。
「あ、師匠!」
小柄な体に揺れるその青いリボンは、一目見ただけで誰なのか分かる。私は自然と声を弾ませ、師匠へ駆け寄った。
「これは、神崎さ――え? し、白雪先輩!?」
私に向けられていた師匠の視線は、その後ろに立つ雫さんを捉えた途端、驚きに見開かれた。
「おはよう。あなたが光ちゃんの言っていたお師匠さんの嵐山四季さんね。どうも、白雪雫です。光ちゃんがお世話になってます」
まるで保護者が挨拶をするかのような穏やかな笑みを浮かべ、雫さんは固まったままの師匠へ手を差し出した。
一昨日。任務からの帰り道に、私の刀筋が日に日に良くなっていると雫さんに褒めてもらった。その流れで、「独学なの? それとも誰かに教わってるの?」と尋ねられ、師匠から指導を受けていることを話したのだ。
「あ、と、とんでもございません! こちらこそ、か、神崎さんがお世話になっております!」
師匠も慌てて背筋をぴんと伸ばし、差し出された手を両手で包むように握り返した。二人のやり取りは、まるで保護者同士の初対面の挨拶そのもので――。
隣の凜ちゃんも同じことを思ったのか、「な、なんか、ふ、二人共、ひ、光ちゃんの保護者みたいだ、ね」と私に囁いてきた。
本当は血のつながりなんてないはずなのに、二人が疑似的に私の母親のように思えて、不思議とむず痒い。
「これからも、光ちゃんの指導をよろしくお願いします。頑張り屋で、本当にいい子なので」
「こ、こちらこそ、神崎さんのことをよろしくお願いします。素直で努力家な子ですから。……あ、でも、頑張りすぎるのが玉に
「分かりました。肝に銘じておきますね。あっ、そうだ。光ちゃんって、普段の鍛錬ではどんな感じなんですか?」
「四季の言うことを素直に聞いてくれますから、教えてる身として凄くやりやすいですね」
「あ、あのあの! もうその辺でお願いします!」
二人はすっかり意気投合した様子で、私のことを
最初は少し照れくさい程度だったのに、褒め言葉が次々と飛び出すたび、そのむず痒さはどんどん膨らみ、今では全身を掻きむしりたくなるほどに恥ずかしかった。
しかも、周囲には鍛錬中の人がちらほらといて、学院のアイドルである雫さんがいるだけでも視線を集めているというのに、その雫さんと師匠が、楽しそうに口を揃えて私の人となりを語っているのだ。
二人の間に割って入るように声を上げた私を見て、二人は顔を見合わせた。そして、どちらからともなく、くすりと笑う。
最初こそ雫さんを前にして緊張していた師匠だったけれど、今ではすっかり打ち解けたらしく、いつもの自然体を取り戻していた。
「し、雫さん! は、早く鍛錬を始めましょう!」
「ふふっ。はいはい」
雫さんは、照れ隠しのように話を切り上げ、慌てて鍛錬を始めようとする私を見て、可笑しそうに笑う。
「あの、よろしければ四季もお二人の稽古を見学してもいいですか? 一度、どのような鍛錬をされているのか見てみたいと思っていたんです」
「私は構わないけど、光ちゃんは?」
「私も大丈夫です」
「ありがとうございます。では、見学させていただきますね」
こうして師匠も見学者として加わり、いつもとは少しだけ賑やかな特訓が始まった。
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「さて、光ちゃん。今日も今日とて受け流しをしてもらうけど、今日はそれに加えてもう一つ」
雫さんは人差し指をぴんっと立てた。
「常に冷静でいること。今日はこれを意識してほしいの」
「冷静……」
「戦いでは、常に冷静さが求められる。光ちゃんは追い詰められると焦って、反射的に行動してしまう癖があるでしょう。それが経験に裏打ちされた反応ならまだしも、戦いの経験が浅い光ちゃんの場合、焦りに任せた行動は、それだけで相手に隙を与えてしまう」
雫さんの指摘は、あまりにも心当たりがありすぎた。
私は焦ると、途端に思考が止まってしまう。
何をするべきかを考えるより先に、「とりあえず」と反射的に身体を動かしてしまうのだ。
例えば、相手から攻撃を仕掛けられれば、とりあえず刀を盾代わりにして防ごうとする。
相手との間合いを外そうとすれば、必要以上に大きく後ろへ跳んでしまう。
冷静に考えれば、もっと他にやりようがあるはずなのに、焦った瞬間の私はそんな当たり前の判断すらできなくなる。
その結果、何をするにしても必要以上に大げさな動きになってしまう。
言われてみれば、まさに私の悪い癖だった。
「でも、冷静さを保てれば、そうした余計な動きは減らせる。そうすれば、相手に付け入る隙を与えることも少なくなるし、その分、次の動きにも繋げやすくなる。だから今日は、光ちゃんにしっかりと冷静さを身につけてもらうよ」
「はい!」
私が快活に返事をすると、雫さんは満足そうに微笑みながら頷いた。そして、腰の刀を抜くと、静かに構える。
「さて、それじゃあ。鍛錬を開始するよ」
「お願いします!」
私も刀を構え、深く息を吸い込む。雫さんから教わった言葉を胸に刻みながら、私は一振り目の攻撃を待ち構えた。
こうして、何度も何度も繰り出される雫さんの攻撃を、冷静さを意識しながらひたすら受け流しに明け暮れる私なのであった。
*
「さ~てと、今回もサクッと終わらせますか」
私の正面に立つ立花さんは、燦々とグラウンドを照らす太陽へ向かって、大きく伸びをした。
この軽口といい、今から模擬戦に臨むとは思えないほど気の抜けたその態度といい――この余裕ぶりを見れば分かる。立花さんにとって私は、勝敗を左右する相手ですらない。
精々、飛び回る羽虫を一匹払い落とす程度の手間に過ぎないのだろう。
立花さんは見下すように私の方へと視線を向けると、何がおかしいのか、お腹を抱えてけらけらと笑いだした。
「あ~あ、おもしろ。茶番でしかないこの戦いを、そんな険しい顔して臨みに来るなんて『凡人』って言うやつは、ほんと滑稽で惨めな生き物よね~。何? あんた、もしかしてあたしを笑い殺しに来たの? だとしたらとんだ策士ね」
立花さんはひとしきり笑ったのか、「あ~あ」と言いながら、目元からにじみ出た涙を拭う。
「立花さんにとって茶番かもしれないけど、私にとっては大事な戦いなの。私の人生を左右する戦いだから」
「ふ~ん。そうなの。じゃあ、先に謝っとくわ。ごめんなさいね。あなたの人生をめちゃくちゃにして。ああ、でも、恨むならあたしじゃなくて、『凡人』の自分を恨みなさいね」
立花さんはもう自分の勝ちが揺るぎないと確信している。まだこの戦いは続くと言うのに。
「……そんなのまだ分からないよ。私が勝つ可能性だってあるんだから」
「あたしに、勝つ? くく、あーはっはっは! 待って待って、それ本気で言ってるの? あれだけ無様に、何一つとしてあたしに届かなかったのに? 大言壮語にもほどがあるって。西園寺穂花もそうだけど、『凡人』って言うのは、どうしてこうも現実を見ようとしないの? バカでしょ」
立花さんの瞳には、嘲笑と憐れみが入り混じっていた。
「ああ、そうか。あんたの場合は、この戦いが人生を左右するんだもんね。だとしたら、そりゃあ、勝つ可能性に、その
立花さんは、まるで私の抱いている希望そのものを嘲るように、口元を歪める。
「じゃあ今日は、その可能性に縋ることすら無駄だって思い知らせてあげる。あんたには、あたしに勝つなんて絶対に無理なんだってね」
どこまでも傲慢に。
どこまでも不遜に。
どこまでも
そして、こちらの心をわざと踏みにじるように。
立花さんは、嫌味と嘲笑をこれでもかと織り交ぜながら、私を挑発し続ける。
前回、私は立花さんの挑発に乗ってしまい、怒りに吠えたけど、今日は意識改革のために、冷静さを常に意識していたため、その挑発には乗らない。
「……雫さん。早く戦いの合図をお願いします」
「くく。余裕のない人はほんと可哀そう。まあでも、あんたの言う通り、早く戦いを始めましょう。この茶番に時間を使うのも無駄だし……白雪先輩、試合の合図をお願いします」
私と立花さんは雫さんに目配せをすると、雫さんは小さく頷き、
「二人がそう言うなら始めちゃうわね」
雫さんは隣にいる守護君に試合開始の合図を任せる。タイマーが作動し、私と立花さんは互いを互いの正中線に刃をピタッと添えて、試合の火ぶたが上がるのを待つ。
ブウウ!!
グラウンド内にブザー音が響き渡る。
「ふっ!」
前回と同様、立花さんは試合開始と共に目にも留まらぬ速さで、間合いを詰めると、刀を振るう。
染みついた癖なのか、立花さんの間合いから詰めたあとの刀の動作が、一切の無駄なく、川の流れのように自然で、一種の芸術のように美しい。
それを、当たり前のようにやってのけるのが、立花さんの技量の高さが伺える。
私は受け流しの態勢に入り、立花さんの刃を迎え撃つ。
ちらっと視界に立花さんを映せば、浅はかだと言うように、にやりと口端を歪ませていた。
この状況は前回と全く同じで、だからこそ、私は立花さんはまた軌道を変えると予想。
受け流す体勢はそのままで、しかし、意識は立花さんの刃に集中させる。
私は受け流す体勢をとっているものの、刀に力は込められておらず、ただ形だけの受け流しとなっている。
立花さんの刃は、今も私の刃に引き寄せられるように、接近していく。私は集中して立花さんの刃の軌道に集中する。全集中する。
立花さんの軌道が変わるその瞬間を、私は逃さないように全部の意識を集結させる。
ほのかにゆっくりとなった時間軸で私は立花さんの刃を見届け、ついに、目と鼻の先に立花さんの刃が接近。
私の予想が正しければ、立花さんはここで刃の軌道を変えて、隙だらけの身体の位置に刃を移動させてくる――はずだった。
「あ、きゃっ!」
しかし私の予想は外れ、立花さんは私の刃にそのままぶつけてきた。形だけの受け流しは容易に崩され、刀ごと私の身体は真横に吹き飛んだ。
身体にかかる風圧は凄まじく、髪の毛もそのかかる風圧に耐えきれず、まるで無造作に髪を引っ張られてるような痛みが襲う。
視界の景色は目まぐるしく変わり、あまりにも速く移り変わるせいで、地面も、空も、周囲の風景も、何もかもが溶け合い、境界すら失っていく。
けど、そんなめちゃくちゃな視界の中、まるでそこだけ時間から切り離されたかのように、鮮明に映るものがあった。
それは、
やばっ!
そう思い、私はすぐさま刀を盾にしようと試みようと――そう思った。しかし、私は稽古の時の雫さんの言葉を思い出す。
焦っちゃダメ。冷静に、冷静に。冷静になれ私。
自分にそう言い聞かせることで、半ば自己暗示をかけるように、
立花さんは一気に間合いを詰めると、間髪入れずに刀を振りおろした。
雫さんとの模擬戦でこの似たような状況はあった。あの時と同じ、私は腰を捻って刀の間合いを外す選択を取ることに決め打つ。
私は寸での所で腰を捻り、ぎりぎりのところで立花さんの刃を躱し、そのまましっかりと着地。しかし、私は安堵することもなく、立花さんの動向を見守る。
立花さんは回避されたのが意外だったのか少しだけ目を見開くも、すぐに表情を引き締める。先程の一撃で私を沈めるつもりだったのか、瞳には苛立ちが募っていた。
立花さんが地面を蹴った。
その苛立ちを私へ叩きつけるかのような勢いで私の懐に潜り込むと、白き刃を掲げ私の脳天へと振り下ろす。
私は冷静に、冷静に、立花さんの襲い掛かる白刃を視る。
鋭く、早い攻撃だが、全集中を注いだ私の意識は、現実との時間軸がずれ、ほんの少しだけだけゆっくりと見える。
私はゆっくりと襲い掛かる白刃を視て、視て、視て……
「!?」
立花さんの目は大きく見開かれた。
立花さんの刃が私の脳天にぶつかる目と鼻の先で、私の刀に阻まれる。私はここにきて初めて受け流しを成功させた。
立花さんは驚きに一瞬だけ意識を囚われた。そのせいで判断が遅れ、刃が私の刀の軌道に乗り――ついにはバランスを崩す。
今!
私はその隙を見逃すことなく、立花さんの腰を真っ二つしようと刀を振るう。私の勝利は目前であった――。
「な!?」
次はこちらが驚く番であった。
なんと立花さんは前のめりな不十分なバランスにも関わらず、無理やりに脚を動かして跳躍し、私の刃の応酬から逃れたのだ。
私の刃は空? を斬った。
無理やりな態勢だったにも関わらず、立花さんは無駄のない動きで、軽やかに立ち上がると、流れるように私に向かい、刀を振るう構えをとった。
「くっ!?」
勝利を半ば確信していた私は回避された驚きにより、一瞬だけ思考が停止。そのせいで、冷静さを失い立花さんの構えに過剰に反応し、私は咄嗟に刀を盾にする。
その時、立花さんはにやりと嗤いを浮かべた。その瞬間、私は、私は――。
――負けを悟ってしまった。
立花さんは刀を盾にした別方向から刃を仕向け、がら空きの私の左腰辺りから、刃を通そうとして――。
カン!
「ショウシャ! タチバナホムラ!」
立花さんの刃をアームで止める守護君の勝敗宣言が響いたのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「くくく、あははははは! あと一回。あと一回で白雪先輩があたしのパートナーに! くくく、あははははは!」
二回目の模擬戦が終わり、立花さんはグラウンドに高笑いを響き渡らせる。立花さんは項垂れる私に嫌味たらしい表情を浮かべたまま覗き込む。
「いよいよあんた後がないけどさ、今、どんな気持ちなの?」
「……」
「くく、ああ、その表情を見れば何となく察するわ。あんただってたくさん努力してるのにね。それでもなおあたしに手も足も出ずに敗北したんだから。もう絶望でしょ?」
「ぐ……!」
私は何も言えずにただただ、精一杯に拳を握り、奥歯をこれでもかと言うほどに噛み締める。
「さてと、あんたの絶望した顔も拝めたことだし、もう行くわ。じゃあね。所詮、ズルして手に入れたパートナーの座。あんたには過ぎた場所だったのよ。そろそろ身の程を
立花さんは前回同様、高笑いをグラウンド内に轟かせながら踵を返した。
あと一回。
残り一回。
最後一回。
いよいよ追い詰められた私はただ自身の残されたライフを数えるだけに意識を割かれていた。
次の模擬戦で何もかもが決してしまう。現状は全く持って私の敗北が目に見えて、明快すぎる程に、喫していた。
『凡人』がいくら努力しても『天才』には敵わないのだ。それを今までの立花さんとの戦いで身に沁みて分かった。
雫さんとの戦いでもそうだ。雫さんに傷一つ付けれることは可能性としてはあった。『凡人』でも、手が届くそんな可能性があった。だからこそ、あの戦いで、『凡人』の私でも届いた。しかし、それは、雫さんを超えたことにはならない。ただ手が届いただけ。それだけだ。
そして、今回の立花さんとの戦いは、私が立花さんに勝たなければならない。そう、つまりは『凡人』である私が、『天才』である立花さんを超えると言うこと。『凡人』が『天才』を超える。そんな道理が通用することなんてあるのか? いや、ない。あるわけがない。あるはずもない。
私は次の模擬戦で負ける。必ず負ける。二回の模擬戦で、私の努力をあざ笑うかのように、立花さんに手も足も出ず、傷一つも付けられなかった。そんなんで残り数日で、立花さんに勝つなんて、無理だ。例え、血反吐を吐いても、私が死に物狂いで努力しても、無理だ。無理に決まってる。
「お疲れ様。光ちゃん」
雫さんが私の労いの言葉を掛けながらこちらへと近づく。
「……光ちゃん?」
私は雫さんを抱きしめる。それも思いっきり。離したくないと言わんばかりに、抱きしめる。
「し、雫さん。お、お願い……です。立花さんにパートナーは解消しないって、そう言ってください……」
私は雫さんの胸に顔を埋め、嗚咽を漏らしながら懇願する。
模擬戦で負けてしまえば、私の憧れは大幅に、いや、もう追いつくことも出来なくなってしまう。
それは、私の人生の終わりを意味する。それだけは絶対に嫌だった。嫌だからこそ、私はもう、この先、立花さんに何と言われようとも、どんな仕打ちを受けようとも覚悟があった。
雫さんさんの言うことなら、立花さんは従順になる。おそらく、この模擬戦をなかったことにして、約束を反故にしても、立花さんは嫌々ながらも頷くと思う。そうでなくても、雫さんにはパートナーを選べる意思決定がある。
雫さんがその人がいいと思えば、それで終わる。その後に何を言われようとも雫さんが決めたことだから、誰にもその権利は侵害できない。
もし、ここで雫さんが私の願いを聞くなら、立花さんは何か雫さんに良からぬことを吹き込んだと思い、その矛先は必ず私にやってくる。
今までの嫌がらせよりもさらに悪質な嫌がらせを私に施してくる可能性は大いにある。
それでも私は、私は……!
「大丈夫。光ちゃんなら勝てるよ」
その瞬間、私の願いは砕かれたのだと悟った。雫さんは何があってもこの戦いを終わらすことはしない。
それどころか、雫さんはあの戦いを見ても立花さんに勝てるというのだ。その声色には揺るぎない絶対の信頼があった。
「……無理ですよ。わた、しじゃ勝てま、せん」
「大丈夫、勝てる」
雫さんは私の頭を優しく撫でながら言うことで、私の脳内に自信を付けさせようとする。
その柔らかな雫さんの手のひらを私は両手で包みこみ、震える声で。
「しず、くさんは、私のこと、嫌い、ですか?」
「もう、何言ってるの。嫌いだったらこうやって話すことも、鍛錬を施すことも,
ましてや、パートナーになることもないよ」
その言葉の節々から嫌われていないことが雫さんから伝わってくる。それでも、私は信じ切れることが出来なかった。
信じ切れることが出来ないから、たまりにたまった激情が溢れ出してくる。
「だったらどうして! こんな条件を立花さんに課すんですか!? 雫さんも心のどこかで、私みたいな『凡人』よりも、立花さんみたいな『天才』の方が自分のパートナーに相応しいって、そう思っているんですよね!? そうじゃなきゃ、こんな……! こん、な……」
八つ当たりだと分かっていた。それでも、胸の奥に押し込め続けてきた不安は、もう抑えきれなかった。
頬を伝った涙がぽたぽたと地面へ落ち、一つ、また一つと土を濡らしていく。やがて幾つもの雫は境界を失うように滲み合い、不格好な染みとなって広がっていった。
「……何度でもいうよ。光ちゃんなら勝てる」
「どうして? どうしてどうしてどうして!? どうしてそこまで信じられるんですか!? 雫さんだって実際に見たはずです! 感じたはずです! 立花さんと私の差を! 『天才』と『凡人』の差を!」
自分でも、何に対してこんなにも声を荒げているのか分からなかった。
雫さんに怒っているのか、自分自身に怒っているのか、それとも『天才』と『凡人』という埋めようのない差に叫んでいるのか。
積もり積もった感情は、もはや理性では押さえ込めず、激情のまま溢れ続けていた。
「うん。見た。感じた。だからこそ確信した――光ちゃんなら勝てるって!」
「っ!?」
私は息を呑んだ。
あの戦いを目の当たりにしてもなお、雫さんは勝てると言うのだ。勝てると言い張るのだ。
理性の
雫さんの瞳。雫さんの声。雫さんの表情。そのすべてが、私の揺るぎない勝利を信じてるような、いな、確信している眩しい輝きに私はただ、目を奪われることしかできなかった。
「光ちゃんは気づいてないかもしれないけど、実は立花さんに刃が届いていたのよ」
「え……?」
驚愕する私。
知らなかった。だって戦いでそんな手ごたえ一切なかったのだから。
「ええ、まあ身体に傷を付けたわけじゃないけど、ジャージ服を裂かせた」
立花さん自身に傷に付けたわけではないものの、私の刃は立花さんに届いたそうな。
しかし、それは何の気休めにもならない。むしろ希望を与えられたせいで、最後の戦いで絶望に堕とす材料の一つになったに過ぎない。
雫さんは私の暗い表情を見て、私の抱いている気持ちを如実に感じ取ったのだろう。
「確かにその一太刀は立花さんを傷つけられなかった。でもね、届いたという事実が大事。届いたということは、勝てる可能性があると言うことなの」
「……今日届いたからと言って、次の戦いでは届くとは限りませんよ」
「届くよ! ううん。それどころか、光ちゃんは立花さんに勝てる! 私はそう、信じてる」
雫さんは真っ直ぐな、それでいて、真摯な輝きを、眩しいくらいの輝きを、圧倒的な輝きを以て、信じ切れない私の心の濁りを取り去っていく。
もはや、その輝きに私はもう何も言えなくなってしまった。
「私の言葉、信じてくれた?」
雫さんは私の鼻に人差し指をちょこんっと触れ、可愛らしくウインクをして、私にそう言った。
「……信じてみようと思います」
私は直視できず、恥ずかし気に目を逸らしながら、小さくそう呟く。それを見た雫さんはくすっと小さく笑ったのだった。