昼休みが終わり私達一年生は、訓練所に集まっていた。
いつもの白い制服ではなく、学校指定の紺色のジャージ姿で。
「一年生の皆さん! 今日から訓練を開始します!」
訓練所内に、朝倉先生の快活な声が高らかに響き渡る。
数学の担当であり、Aクラスの担任でもあるその人が、一年生の訓練指導まで担っている。
それだけ学院からの信頼が厚いのだろう。
「さて、訓練を開始する前に、一つだけ皆さんに訓練に臨む際の心構えを伝えます!」
朝倉先生は慈愛の笑みを潜め、鋭さが差し込んだ。
体育座りする一年生を見渡しながらそう言うと、一拍の空白を設ける。
それだけで訓練所内の空気感が張り詰めた。
「生半可な気持ちで訓練に臨むことはやめてください。皆さんは近いうちにゴーストとの戦いに身を投じます。それも卒業する三年間、ずっとです」
朝倉先生はいつもの声の調子を静かに沈め、言葉に重みを含ませた。
その重さは私たちの胸にのしかかり、目を背けることを許されない現実を突きつける。
「任務には常に命の危機が伴います。訓練とはその危機を少しでも遠ざけるためにあるものです。日々の訓練の積み重ねが皆さんの『死ぬ』可能性を遠ざけ、逆に言えば、生半可な気持ちで適当に訓練に臨めば、当然ながら『死ぬ』可能性は決して遠ざかりません」
朝倉先生はゆっくりと一つ一つ丁寧に私たちに言葉を投げかけ、訓練の重要性を唱えていく。
「皆さんもそうですが、私達学院側も、皆さんの『死』を望んでいません。だからこそ、私たちは皆さんをビシッ! バシッ と厳しく指導します。はっきり言います! 訓練は、辛く、苦しく、しんどい事しかほとんどありません。でも、仕方ないことです。皆さんの命がかかってますから。こればかりはどうにもなりません。しかし――」
朝倉先生は私たち一年生の表情を伺い、そこから何かを読み取ったのか、満足げに頷くと、強面だった表情を柔らかくする。
「皆さんならそんな厳しさを乗り越えられると信じています。だって、皆さんは自らの意思でこの入学することを望んだ。命の危険性があると知っているのにも関わらず、命を課してゴーストと戦うことを選んだ。だからこそ、皆さんはここにいる。なので、ここに入学できた皆さんには『覚悟』が備わっていると信じています――さて、長話はこれくらいにして」
朝倉先生は話を切り上げると腰にある鞭を手に取り、地面におもむろに叩きつけ、私達一年生の気を引き締める。
「さっそく訓練の方に行きましょうか!」
朝倉先生は声高々に訓練開始を宣言する。
一年生はその宣言に「はい!」と、気合の入れようが伝わる芯の通った返事で応じた。
*
私の五メートル先――正面に映る凜ちゃんは淡く白い刀身を私に向けていた。
凜ちゃんの顔つきは、いつものような弱弱しい面影はなく、戦士然とした
――凜ちゃん、そんな表情も出来たんだ……
意外な一面を垣間見た凜ちゃんに心の中でそう呟くと、私は両手で握りしめる刀を再度ぎゅっと握り直す。
「二人共準備は整ったようなので、改めて模擬戦の説明を。制限時間は五分間。どちらかが意識不明になるか、タイムアップで終了です。そして」
朝倉先生はにこやかな笑みから一転、真剣な表情になる。
「先ほども説明した通り、あなた達の使用する刀は、”刃”があります。それはつまり、簡単に人を殺せるということです。ですが、お二人はそんなこと気にせず、本気で戦ってください。安心してください。あなた達が致死に至る前に――」
朝倉先生は傍に佇む、全長百五十センチほどの大きさで、全体的に角ばったシンプルなデザインの人型ロボットの頭を撫でる。
「この『
「ハイ、オマカセクダサイ。デハ、オフタリトモ、ジュウビョウゴニ、カイシシマス」
そう言って、『守護君』と呼ばれるロボットは胸からタイマーを露にして、カウントダウンを開始した。
このロボット――守護君は、この学院のために開発されたロボットで、昔ながらのレトロなおもちゃような感じで、無機質と言うより愛らしいが印象的。
しかしその外見とは裏腹に、その性能は驚異的だ。
人の言葉を瞬時に理解し、的確に応答する。
役割は模擬戦の監視と制止、審判役にとどまらず、学院内の清掃、生活補助、規律維持など多岐にわたる。
ちなみに守護君の実力は模擬戦が始まる前に、朝倉先生自らが証明してくれた。
朝倉先生が自身の首へと刀を振り下ろそうとした、その刹那。
まる"危険"という未来を予め知っていたかのように、刃が皮膚に触れる寸前で、守護君のアームが閃き、刀を完璧に静止した。
その光景は守護君の信頼性を確固たるものにしていた。
とはいえ、凜ちゃんに殺傷行為を仕向けるのは変わりない。
刃を人に振るう。
その感覚は入学試験の二次試験で一度味わったが、その時は一般的な道徳観のカテゴリーから脱することに激しい抵抗感を示した。
正直、今もその抵抗感はある。
だけど、私は――私の中の憧れがそれを拒絶する。そう、それはまるで一種の呪いのように。
戦いが開始したら私の保っている理性は崩壊し、ただの
――ごめんね、凜ちゃん。
と、心の中で謝罪をする。
こんな簡易な感じで謝罪なんて罰が当たる行為だけど、今、私が出来るのはこのくらいが精一杯だ。
「すう~、はあ~」
私は一度大きく深呼吸する。
意識が波のようにすーっと研ぎ澄まされ、周囲の雑音が完全にシャットダウンされた。
「ブー!!!」
守護君のカウントダウンがゼロになり、大きなブザー音が鳴り響き、戦いの火ぶたが上がった。
「なっ!?」
私は試合開始の合図とほぼ同時に驚愕の声を上げていた。
凜ちゃんの姿が消えたと思ったら、私の
「はあ!」
凜ちゃんは鋭い声を張り上げ、私の左わき腹へと刀を
「っ!」
私は考えるより先に素早く後方へと跳び、刀の間合いから距離を取る。
凜ちゃんの刃は、寸での所で私の脇腹を捉えられず、虚空を斬った。
どさっ! と土が擦れる音を足元に響かせながら、私は地面に着地。
私は気を抜くことなく、凜ちゃんからの追撃の一手を警戒し素早く刀を構える。
しかし、凜ちゃんは鋭い眼差しで私の動向を伺うだけで、アプローチは仕掛けてこなかった。
「はあ、はあ、はあ」
凜ちゃんが動きを止めている、そのわずかな空白に、私は呼吸を整える。いつ、攻められてもいいように視線は凜ちゃんの方を向けたままで。
開始から一秒も経っていないはずなのに、私の額には既に汗が滲みだしていた。
今の一瞬の攻防は肝が冷えた。
全部の意識を凜ちゃんに集中していたのに、凜ちゃんの姿が掻き消え――否、一応は視界で捉えられていた。
だけど、凜ちゃんの凄まじい踏み込みの速さが、私の認識を置き去りにして、あたかも消えたような錯覚に陥ってしまったのだ。
油断はしてないつもりだった。
いや、もしかしたら、普段の凜ちゃんのことを知っているために、無意識下で甘く見ていたのかもしれない。
しれないけど、それにしたって――異常だ。
凜ちゃんの速さを目の当たりにした私は、背筋に冷たいものが走る。
さっきは運よく避けきれたが、次もあの、瞬間移動じみた速度で間合いを詰められれば、今度は負傷する可能性がある。
私は凜ちゃんの速さを警戒しながら、今度は私から攻め込んだ。
視界がみるみる狭まり、凜ちゃんだけが鮮明に浮かび上がっていく。
「はああ!」
特攻した勢いそのまま、私はお返しと言わんばかりに、凜ちゃんの左横腹めがけて刃を滑らせる。
かんっ!
私と凜ちゃんの刃が重なり、そこから火花が散る。
焦げた匂いを鼻で感じながら、私は間髪入れず次の一手を繰り出すため、刀の軌道を凜ちゃんの頭上に移動させると、
「はあっ!」
そのまま刀を振りかざした。
甲高い金属音。
凛ちゃんは振りかざした私の刃を受け止めた。
私は刃を移動させず、そのまま体格差を利用して、凛ちゃんを押しつぶすかの如く、全体重をありったけ乗せていく。
このまま凜ちゃんが私の押しつぶしに耐えきれなければ、自ずと地に伏す。
そうすれば、凜ちゃんの武器である速さは意味を為さない。
速さ以前に、地に伏している状態では、もはや、戦況を覆す手段など、ないに等しいだろう。
そうなれば、凜ちゃんは完全な袋小路になり、
――つまるところの"詰み"と化す。
「はああああああ!!」
私は描いた未来予想図を現実したいという欲望が、雄叫びと共に剥き出しになり、私に更なる力を与えてくれる。
その結果、刃越しに伝わる抵抗がわずかに揺らぎ、凜ちゃんの体勢がほんの少し崩れる。
――いける!
完全に勝ちを確信した私――だったが、それは完全な早計だった。
「……はああああああ!!」
「っ!?」
驚くべきことに凜ちゃんは押し返してきたのだ。
その華奢な体躯のどこにそんな力があるのか? その疑問を解消する暇もなく、均衡が崩れる。
押し返された反動で私は、ばんざいした格好で後方へとバランスを崩す。
こんな無防備な隙を凜ちゃんが見逃すわけもなく。
凜ちゃんは私に向かって刀を――振るわず、変わりに肘を突き出してきた。
「ご、ごめんね……」
凜ちゃんは一言、謝罪を口にすると、私のみぞおち辺りを肘で打った。
「っ!」
その衝撃が頭に留まる意識の集合体を外へと追い出し、貧血のように、視界にぶれが生じる。
ぶれた視界には、凜ちゃんの肘が私のみぞおちにクリーンヒットしている映像が記録されていた。
――あ……まけ、た。
冷静に自分の敗北を自覚した途端、視界は白から黒に暗転し、私は膝から崩れ落ちて意識を失ったのだった。
*
「ん……」
「あ、ひ、光ちゃん!」
沈みきった意識の海底から重たい水を掻き分けるようにして、ようやく顔を出した私を出迎えてくれたのは、瞳に憂いを宿した凜ちゃんだった。
「り、ん、ちゃん……? それ、に、ここは……?」
言葉はうまく繋がらず、かすれた音として途切れ途切れに零れる。
私はゆっくりと首を巡らせた。
ぼやけた視界の中、白い天井があり、左には四角く切り取られた窓、右には隣を隔てる白いカーテンが垂れていた。
「あ、えっと、こ、ここはね。訓練施設にある病室だよ」
「びょ、う、しつ?」
舌の上でその言葉を転がすうちに、
やがて、奥底に沈んでいた記憶がゆっくりと浮かんできた。
――ああ、そうか……私、負けたんだ……
私の脳裏には、先程の模擬戦の光景が蘇る。
為す術もなく、ただ圧倒されて終わった戦い。
きっと凜ちゃんにとって私は赤子の手を捻るに等しい相手だっただろう。
それは凜ちゃんに限った話ではない。
模擬戦の前に見ていた、他の生徒たちの動き。
どれもが洗練され、身体の隅々にまで技術が行き渡っていた。
そこには、私のようにぎこちなく、手探りで動く者の姿は一人として見当たらなかった。
私と凜ちゃんの試合は後半の方だった。だからこそ、ほとんどの生徒の実力を見届けることができた。
そして、否応なく思い知らされたのだ――あの場にいた誰よりも、私が劣っているという事実を。
――もっと努力しないと、憧れどころか、周囲にすら置いてけぼりになっちゃう。
「ひ、光ちゃん!」
「っ……!? ど、どうしたの?」
凜ちゃんの声が、深く沈みかけていた意識を現実へ引き戻した。
とっさに返した声は、自分でもわかるほどわずかに上擦っていた。
「ご、ごめんなさい!」
「え、ちょ、り、凜ちゃん!? いきなりどうしたの!?」
凜ちゃんの唐突な謝罪に思考が一瞬だけ停止してしまう。も、すぐに我を取り戻し、私は慌てて上体を起こして、凜ちゃんの顔を覗き込む。
ジャージの
「わ、わたしが……ひ、光ちゃんの、みぞおちを、強く打っちゃったから……そ、その痛みが残って、それで、辛そうな顔をさせちゃったから……だから、ご、ごめんなさい!」
私はその言葉を聞いて、
どうやら凜ちゃんは、先ほど私が浮かべていた表情を、模擬戦で受けた一撃の
――本当は、まったく別の想いに囚われていただけなのに。
その些細な行き違いが、結果として彼女を追い詰める形になってしまったことに胸の奥がちくりと痛む。
「紛らわしくてごめんね?」
私は出来るだけ柔らかな声で言う。
「ただ自分の
「で、でも……」
凜ちゃんは小さく首を振る。
「わ、わた、しが、ひ、光ちゃんを傷つけたことは、ほ、本当だから」
かすかに震えるその声には、逃れようのない事実を抱え込んでしまった者の、拭いきれぬ罪悪感が滲んでいた。
もしかしたら、彼女は最初から、そのことを謝罪したかったのかもしれない。
「仕方ないよ。模擬戦なんだから、どっちかが負傷するのは当たり前でしょ? 私だって、本気で凜ちゃんに向かっていった。ただ今回、それが私だっただけ」
私はほんのりと笑顔を含ませる。
「だから、凜ちゃんが気にする必要ないよ」
「……」
気にしないでいい、と伝えたけれど、彼女の表情に差した
どうすれば罪の意識から遠ざけてやれるのか。
しばし考えた挙句。
「凜ちゃんはどうしてこの学院に入学しようと思ったの?」
"話題を変えて、そっちに意識を向けさそう"作戦を私は、企てる。
「ふえ?」
不意に投げかけた疑問に、凜ちゃんは間の抜けた声を出す。
その拍子に、張り詰めていた空気がわずかに緩み、彼女の表情にも、ほんの一瞬、淡い明るさが戻った。
「あ、ごめん。言いづらかったら無理に答えなくていいんだけど……ちょっと気になっちゃって」
本心だった。
私は雫さんへの憧れを胸にここへ来たけれど、ほかの人たちはどんな想いを抱いてこの場所を選んだのか、少し気になっていた。
きっと、凜ちゃんにも想いがある。じゃないと、この学院を目指すなどと考えるはずもない。
「え、えっと……そ、その……ま、魔法少女みたいに、わ、わたしも……誰かを、助けられる人になりたいって、憧れて」
凜ちゃんは俯き、互いの人差し指をちょんちょんと触れさせながら、恥ずかし気に語る。
「や、やっぱりおかしいよね!? こ、こんな子供っぽい理由で、こ、ここに入学するなんて」
凜ちゃんは自分で自分を
「ううん、全然おかしくないよ! 凄く立派な理由だよ!」
「ほ、ほんと、に……?」
「うん!」
ためらいなく頷く私に、凜ちゃんは信じられないものを見るように、瞳を剥き出しにする。
「えっと、凜ちゃん? どうかした?」
その反応の理由が分からず、私は戸惑いながら声をかける。
「えっと、て、てっきり笑われるとばかりお、思ってたから」
「笑うわけないよ! 憧れっていうのは、その人にとって、かけがえのない大切な宝物のようなものだから。それを笑うことなんて、私には出来ない。それに――」
「あ……」
私はそっと右手を伸ばし、凜ちゃんの頭に触れた。
指先でやさしく撫でると、凜ちゃんはくすぐったそうに目を細める。
「凜ちゃんは子供っぽいって言ったけど、憧れに優劣なんてないと、私は思うよ」
撫でる手の動きに言葉を添えるように伝える。
すると凜ちゃんは、嬉しそうに小さくはにかんだ。
「え、えへへ、ありが、とう、ひ、光ちゃん」
目を覚ましてから一度も笑う姿を見せなかった凜ちゃんが、ここにきて初めて笑う。
半ば行き当たりばったりな作戦だったけど、凜ちゃんから罪の意識を、ほんの少しでも遠ざけられたのなら、それでよかった。
できることなら、その罪悪感が彼女の心から消えてくれるように――そんな願いを込めながら、私は優しく頭を撫で続けた。
*
ひゅっ、ひゅっ、ひゅっ。
乾いた空気を裂く音だけが、夜の静けさに細く響いていた。
夜八時。
寮で夕食を済ませた私は、ジャージに袖を通すと足早に訓練所に赴いた。
模擬戦で負った傷に後遺症はなく、病院のベッドで寝ていたからか、身体は拍子抜けするほど軽い。
けれどその軽さが、かえって胸の奥に沈む焦燥感を浮かび上がらせていた。
――早くみんなに追いつかないと!
今日の模擬戦で痛感した周囲と自分の実力差。
その事実が私の焦燥感に拍車をかける。
一振り、また一振り。
刀を振るたびに、動きの合間は削ぎ落とされ、間隔は次第に詰まっていく。形を意識する余裕なんてどこにもなく、ただ回数を重ねることだけにすがりつく。
そうしていなければ、この差が永遠に埋まらない気がして、
――怖かった。
「太刀筋がぶれてますよ」
不意に私の背後から声が落ちてきた。
「え……?」
その一言は、水滴のように静かでありながら、私の内側で燃え上がっていた焦燥を、音もなく鎮めていった。
私は振り下ろしかけた腕を途中で止めて、その声に導かれるようにして振り返った。