Dクラスの綾小路と櫛田から『須藤の傷害事件』への協力を頼まれた翌日――水曜日の放課後。
俺と一之瀬、そして「あんたひとりじゃまた無駄にポイントを散財しそうだから、監視に行ってあげる」という謎の理由でついてきた姫野さんの三人は、放課後のチャイムとともに一年Dクラスの教室の前で綾小路たちと合流していた。
「ありがとう、一之瀬さん、相良君、姫野さん! こっちが昨日話してた、堀北さんと須藤君だよ」
櫛田さんが紹介してくれたのは、長い黒髪が印象的な氷のように凛とした美少女――堀北鈴音と、見るからに血の気が多そうな赤髪の長身男子――須藤健だった。
ちなみに、昨日俺たちの教室にいた神崎は、「俺はBクラスとしての独自の情報収集を行う。お前たちはDクラスと動け」と言い残し、今日は別行動を取っていた。
「……わざわざBクラスの人間まで巻き込むなんて、感心しないわね。まあ、一之瀬さんの発言力は生徒会の審議でも役に立つかもしれないけれど。そこのお調子者と、やる気のなさそうな女子まで連れてきて、何の役に立つのかしら?」
堀北が挨拶代わりに、鋭いナイフのような視線で俺と姫野さんを射抜いてきた。
隣にいた姫野さんがピクリと眉を動かし、「……なによ、人がせっかく手伝いに来てあげたのに」と小声でむくれる。俺は姫野さんの肩を軽く叩いてなだめながら、いつもの人懐っこい笑顔で堀北に向き直った。
「手厳しいねえ、堀北さん。まあ、俺たちは一之瀬さんのボディーガード兼、雑用係みたいなもんだよ。この中間テスト、Dクラスさんも直前で『過去問』を手に入れて全員突破したって噂で聞いたけど……いやあ、お互い退学者が出なくて何よりだったよね!」
俺がさらりと『過去問』という単語を出すと、堀北の目がわずかに見開かれた。 うちのBクラスも、一之瀬の広い交友関係と先輩のつてのおかげで二週間前に過去問を入手していたのだが、『全員が過去問を丸暗記するとクラス平均点が跳ね上がり、もし暗記し損ねた奴がいたら赤点ラインが上がって自爆する』というリスクに俺が気づいたため、俺の『75点基礎ノート』で地力を固めてから過去問を配るという二段構えで乗り切ったのだ。 噂では、Dクラスは前日に過去問を配ったせいで、目の前にいる須藤が英語の暗記の途中で寝落ちし、跳ね上がった平均点のあおりを食って一点足りずに赤点になった――のを、誰かがポイントで買収して救ったらしい。
「……ふん。過去問のことまで耳に入っているのね。Bクラスも油断ならないわ」
「おい、そんなことより早く行こうぜ! 俺は一発も先には手を出してねえ! 石崎たちの野郎、俺を特別棟に呼び出して俺がバスケ部のレギュラーになるのに因縁つけてきやがったんだ!」
須藤がイライラと拳を鳴らしながら吐き捨てる。
なるほど、須藤の短気な性格と、バスケ部でのレギュラー争いという一番触れられたくないコンプレックスを正確に突いて暴発させたわけだ。あの龍園という男が裏で描いた絵図面が、手に取るように浮かんでくる。
「よし、じゃあまずは、その当事者であるCクラスの石崎くんたちのところへ行ってみようか。綾小路くん、彼らは今どこにいるか分かる?」
「ああ。放課後はいつも、ケヤキモールのゲームセンターか、その近くのバーガーショップに溜まっているはずだ。……行くぞ」
綾小路が静かに先導し、俺たち六人はケヤキモールへと向かった。
道すがら、俺は綾小路のすぐ隣を歩きながら、小声で話しかけてみた。
「なあ、綾小路くん。昨日、うちの教室で言ってた『俺なら石崎たちからボロを引き出せる』って話だけどさ。ぶっちゃけ、石崎たちが素直に『俺たちが先に手を出しました』なんて白状するとは思ってないよね?」
「……ああ、思ってないな。あいつらの背後には、おそらく龍園がいる。どれだけ問い詰めても、用意された台本通りのことしか言わないだろう」
「だよねえ。じゃあ、なんでわざわざ俺を引っ張り出したのさ?」
俺が探りを入れるように微笑むと、綾小路は前を向いたまま、抑揚のない声で答えた。
「台本を喋らせるためだ。人間は、警戒している相手には完璧な嘘をつけるが、『自分のことを舐めている、あるいは格下だと思っている相手』の前では、必ず余計な一言や態度の綻びを見せる。一之瀬や堀北が正面から問い詰めれば、石崎たちは身構えるだけだ。だが、入学初日に4,500ポイントのパフェを貢いで頭を下げたお前が相手なら、あいつらは間違いなく油断する」
「……うわあ。つまり俺は、石崎たちに気持ちよくおしゃべりさせるための『当て馬』ってわけだ? ひっどいなあ!」
俺は大げさに肩をすくめてみせたが、内心では舌を巻いていた。
こいつ、やっぱり俺が初日に石崎をおだてて手打ちにした時の心理誘導の構造を、一から十まで完全に理解してやがる。しかも、それを今回の事件の『情報引き出し役』としてそのまま再利用しようというのだ。
ケヤキモールの一階、バーガーショップのテラス席。
綾小路の言った通り、そこには顔に大げさな絆創膏や湿布を貼り付けた石崎、小宮、近藤の三人が、ポテトをつまみながらだらしなくたむろしていた。
「――あっ、いたぞ! おい石崎てめえ、よくも被害者ヅラして先生にチクりやがったな!!」
姿を見つけた瞬間、須藤が頭に血を上らせて突進しようとした。 だが、それよりもコンマ一秒早く、俺と綾小路が左右から須藤のたくましい両腕をガッと掴んで引き止めた。
「おっと須藤くん、ストップ! こんな防犯カメラだらけの場所で胸ぐらでも掴んだら、それこそ向こうの思うツボだって!」
「……相良の言う通りだ、須藤。ここは俺たちに任せろ」
俺に掴まれた右腕よりも、綾小路に掴まれた左腕の方がビクとも動かないことに、須藤が一瞬だけ「えっ?」と驚いた顔をしたのを、俺は見逃さなかった。
(……なんだ今の。綾小路が、バスケ部の須藤の突進を片腕でピタリと止めたのか?)
俺は内心で冷や汗をかきつつも、須藤を堀北と一之瀬の後ろへと押しやり、すぐさま満面の営業スマイルを作って石崎たちのテーブルへと歩み寄った。
「おーい、石崎くん、小宮くん、近藤くん! 久しぶりだねえ、元気にしてた……って、うわあ、なんだその顔の絆創膏! 痛そうだなあ、大丈夫!?」
俺がわざとらしくオーバーリアクションで心配してみせると、須藤の姿を見て一瞬身構えかけた石崎たちが、「あ? なんだ、Bクラスのパフェ奢り野郎じゃねえか」と、露骨に緊張を緩めてニヤニヤし始めた。
綾小路の読み通りだ。あいつらにとって俺は『ちょっと脅せばすぐにポイントを貢いでくる都合のいいカモ』として記憶されているらしい。
「おう、相良か。見りゃ分かるだろ、そこのDクラスの狂犬・須藤の野郎に、三人がかりでも止められねえくらい一方的にボコられたんだよ。なあ、小宮、近藤?」
「そ、そうだぜ! 俺たちはただ、特別棟の階段で話してただけなのに、須藤がいきなりキレて殴りかかってきたんだ!」
小宮と近藤が、まるで暗記したセリフを読み上げるかのように声を揃える。
その後ろから、一之瀬と堀北、そして姫野さんが静かに歩み寄ってきた。
「石崎君、ちょっと聞きたいんだけど。特別棟の西側の階段って、誰も通らない場所だよね? どうして三人は、わざわざそんな場所で話してたのかな?」
一之瀬が澄んだ声で核心を突く。すると、石崎は一瞬だけ言葉に詰まり、「そ、それは……ちょっと静かな場所でダベりたかっただけだよ!」と声を荒らげた。 俺はすかさず、「まあまあ一之瀬さん、男子にはそういう秘密基地みたいな場所でダベりたい時があるんだよ!」と石崎の肩を持つようなフリをして割り込んだ。そして、テーブルの上に両手をつき、石崎の顔を覗き込むようにして声を潜めた。
「いやあ、しかし石崎くんたちも災難だったねえ。俺、てっきり石崎くんって中学時代からめちゃくちゃ喧嘩が強いって噂で聞いてたからさ、須藤くん相手でも余裕で返り討ちにするもんだと思ってたんだけど……そっかあ、今回は『手も足も出ずに一方的にやられちゃった』んだね? 痛かったろうに、かわいそうになあ」
俺が同情たっぷりの笑顔で――しかし、不良が一番プライドを傷つけられる『手も足も出ずに負けた弱虫』というワードを強調して――語りかけると、石崎のこめかみがピクリと痙攣した。
「……ああん? おい相良、てめえ今、俺が須藤なんかに本気で負けたって言ったか?」
「え? だって、自分から『一方的にボコられた』って言ってたじゃない。だから俺、てっきり石崎くんでも須藤くんには敵わなかったんだなあって……」
「ふざけんな!! 俺が本気出しゃあ、須藤なんか一発で沈められるっつーの! ただ今回は、『絶対にやり返すな、わざと殴られて被害者に徹しろ』って龍園さんに――ハッ!?」
俺の煽りに乗せられて、自分の強さを誇示しようとした石崎が、決定的な言葉を口走ったところでハッと自分の口を両手で塞いだ。
隣にいた小宮と近藤が「お、おい石崎バカ野郎!!」と血の気が引いた顔で叫ぶ。
「……ふうん。今の、すごく面白い言葉が聞こえたわね。『わざと殴られて被害者に徹しろって、龍園さんに言われた』。つまり、最初から須藤君を罠にハメるための計画的犯行だったってことかしら?」
堀北が一歩前に出て、氷のような微笑みで石崎を見下ろした。一之瀬も「石崎君、やっぱり嘘をついてたんだね」と厳しい目を向ける。
俺の斜め後ろにいた姫野さんが、俺の背中をツンと突いて、「……あんた、ほんとに性格悪いわね。」と、呆れ半分・感心半分の小声で囁いてきた。
「ち、ちげえよ! 今のは言葉のアヤだ! とにかく、特別棟にはカメラもなけりゃ、目撃者もいねえんだ! 傷があるのは俺たちだけで、須藤は無傷! 来週の審議でどっちが勝つかは目に見えてんだろうが! 行くぞ小宮、近藤!」
石崎は顔を真っ赤にして捨て台詞を吐いて逃げるようにゲームセンターの奥へと消えていった。
「おい待てコラ石崎!! 今ボロ出しやがっただろ!!」
「落ち着きなさい、須藤君。今ここで追いかけても意味がないわ。録音していたわけでもないし、審議の場では『言いがかりだ』で突き通されるだけよ」
堀北が冷静に須藤を制し、それから少しだけ感心したような目で俺を見た。
「……でも、驚いたわね、Bクラスの相良君。あなたのその軽薄そうな態度も、相手から本音を引き出すための計算だったというわけ?」
「いやいや、俺はただ純粋に石崎くんの怪我を心配してあげただけだよ! ……ただ、今の小宮と近藤の反応を見て、ひとつだけ確信したことがあるかな」
俺は真面目な顔に戻り、一之瀬と綾小路、堀北の三人を見渡した。
「石崎が『目撃者はいねえ』って言った時、後ろにいた小宮と近藤の二人、一瞬だけ顔を見合わせて、すごく焦ったみたいに目を泳がせたんだよね。……たぶん、あいつらが須藤くんを挑発してる現場を、誰かが見てた可能性が高い。しかも、あいつら自身も『見られたかもしれない』って気づいてる」
俺の指摘に、今まで黙って成り行きを見守っていた綾小路と櫛田が、スッと目を細めた。
「……実はね、相良君。私たちも、ひとりだけ心当たりがあるの」
櫛田さんが声を潜めて打ち明けた。 彼女と綾小路の話によると、事件のあった放課後、同じDクラスの大人しい女子生徒――佐倉愛里が、偶然にも特別棟のあの階段付近を通りかかっていたのを綾小路たちが掴んでいるという。ただ、佐倉は極度の人間嫌いらしく、櫛田が声をかけても「何も見ていない」と逃げられてしまったのだという。
「なるほどね。自分のクラスの須藤くんのためとはいえ、Cクラスの怖い連中に逆恨みされるかもしれない証言をするのは、誰だって怖いもんな」
俺は顎に手を当てて考え込んだ。 来週火曜日の生徒会審議でCクラスの嘘を完全に粉砕するためには、その『佐倉愛里の目撃証言』と、もうひとつ――今の石崎みたいに、審議の場やその直前で『Cクラス側が言い逃れできない物理的な証拠(あるいは罠)』を突きつける必要がある。
「一之瀬さん。佐倉さんの説得は、同じ女子である一之瀬さんや櫛田さん、それに堀北さんたちにお願いした方が警戒されないと思うんだ。……で、その代わりに俺と姫野さん、それと綾小路くんで、審議までに『もうひとつの保険』を特別棟に仕掛けておきたいんだけど、どうかな?」
俺が提案すると、姫野さんが「えっ、私も入ってるの?」と目を丸くし、綾小路は「……もうひとつの保険、か。俺が考えていたことと、たぶん同じだな」と、初めて微かに口角を上げたように見えた。
こうして俺たちは、火曜日の決戦に向けて、それぞれの役割へと動き出すことになった。
話を見直すためにネトフリでアニメを見ているのですが、初期の三宅君や真嶋先生、小宮君の見た目違いすぎて面白い(*^-^*)