「モンスター……!」
とっさに武器を構える。
全身真っ黒な人型の影。
辛うじて顔の部分に目らしき反射光がうかがえる。
「……ロウガ様ですね」
「フォクサス族の影がこの私に何の用だ」
ロウガがそう言うのを聞いて、ようやく気付いた。
この影は、全身真っ黒の毛色をした獣人だったのだ。ロウガと違って狐っぽい。
しかし、会話の雰囲気からいって敵ではないが味方でもない、微妙な関係らしい。
「あなたに我が主からの言伝をお持ち致しました。」
「主、確か……コゲツ殿、だったか?縁談のことなら――」
「そのことも含めて、言伝をいただいております」
「……わかった。話せ。」
「既に傍におられます」
「……!?」
影は忍者が術を使う時のように印を結び、自らの毛を数本むしり取ると、ふうっと飛ばした。
同時に突風が吹く。
その中心にふらふらっと現れたのは、ツキネさんだった。
あ、という間もなく毛を中心に葉っぱがどこからともなくツキネさんに寄り集まって、新しく獣人の姿をとった。出来上がる過程を見ていなければ、とてもツキネさんと同一人物だとは思えなかっただろう。
「そう言えばこの姿でお会いするのは初めてでしたね。手前は、不肖の身ながらロウガ様の婚約者である、コゲツと申します」
お辞儀をする、ツキネだった者。
その所作は優雅でそつがない。
「あ……えっと、どうも……?」
私も慌ててお辞儀をする。ロウガは黙って会釈した。
全体的に細身だが、背は高くひょろっとしている。赤茶色の毛はロウガと違ってやや硬そうだが、それでもさわり心地は良さそうだ。それに、優しそうな甘いマスク。
ロウガとはタイプこそ違うが、十分ハンサムだと思う。
これがロウガの縁談相手か。てっきり脂ぎったおっさんみたいな相手で嫌なのかと思っていたけど、外見だけならむしろこちらからお願いしてもいいくらいだ。
頭では、そう思う。
(――なのに、なんだろう、この気持ちは)
何となく、落ち着かない気持ちになる。
しかしその理由がわからない。
「この度はだますような真似をしてしまい、申し訳ございません。やむにやまれぬ事情があったのです。その事情についてお話してもよろしいでしょうか」
「あ、はい……」
「事情についてお話してもよろしいでしょうか、ロウガさん?」
私のした返事を無視してロウガに聞き返すコゲツ。
気付く。
この人、私を視界に、いや、意識の内側にすらいれていない。
口調こそ柔らかだが、その物言いには有無を言わせぬ迫力がある。
ロウガは頷きながらも、少し怒ったような口調で言った。
「そういう振る舞いはやめていただきたい。スズメは私の友だ」
「お久しぶりです。ロウガさん。まずは変わらずご壮健であらせられることにお慶びを申し上げます。」
深々とお辞儀をするコゲツ。
話を聞いているようで全く聞いていない。
第一印象と変わらず、非常に紳士的、かつ心からの尊敬の念が感じられるお辞儀だった。
ロウガの表情は硬いままだ。
言っても無駄だと判断したらしく、敢えて相手の調子に合わせて会話を進めている。
「ああ、これはどうも。他者を介し、幻像を見せながらの念話とは流石フォクサス族の族長様ですね」
「恐縮です。本来は直接お会いすべきだとはわかっているのですが、何分こちらも多忙でして。」
「ええ、存じております。族長になられたばかりでは色々と大変でしょう。……急な即位ならば猶更。」
ロウガの言い方にはどこかトゲがあった。
どうも、あまりこのコゲツを好きではないようだ。脈無しである。
ついでに言えば私もあんまり好きじゃない。空気みたいに扱われるのは慣れているけど、嫌い。
「そう言っていただけると幸いです。」
「……さて。そろそろ本題に入っていただいても?穏やかな話をしに来たというわけではなさそうだ。わざわざ影まで使ってどういうことですか。」
ロウガは不機嫌になっている。
見慣れていない人にはわからないが、耳がやや低くなっているし、尻尾がいつもより大きい。毛が少し逆立っている証拠だ。
「あは……やはりあなたは特別ですね」
にもかかわらず、コゲツはニコニコと笑っている。
心底楽しそうだった。
そこで、ふともう一つの違和感に気づき、体を震わせた。
このコゲツ、ここに現れてから一度も――“ロウガ以外に視線を移していない”。
普通、私のような人間族(いわゆる異物)が居れば少しはその様子を伺ったりするものだし、特定の相手と会話するにしても目を合わせ続けたりはせず視線を逸らしたりはするものだ。少なくともロウガはそうだった。
だが、コゲツはずっとロウガしか見ていなかった。
小さな違和感だが、それがなにか恐ろしいものの片鱗である気がしてならない。
「いえ、なに。手前と正式に婚姻していただきたい、と。それだけのことですよ。」
それを聞いて、一瞬だけロウガの眼に動揺が走る。
しかし、すぐに牙をむき出しにして威嚇を始める。
(ロウガは怒ってるんじゃない……怖がってる?)
「……貴様、何をしようとしている?いや……一体何をした?」
ロウガは何かを察したように、一足飛びに話題を転換する。
しかし……
「ああもう我慢できない」
……それが逆に、トリガーになってしまったのだ。
「本当にあなたは察しがいいお話が早くて素晴らしいですよツキネと名乗っておそばにいられたのは大変幸福な時間でした手前とあなたの初めてと共同作業でしたねあああうれしいうれしい最後にこのコゲツとしてお会いしたのは確か今から12年と3か月と10日と2時間と3分と1秒前のことでしたね丁度あの時も今日のように天気も晴れていましたあの時行われていたのは異なる部族同士の親睦を深める収穫祭でしたあなたは初めての場所で父と離れ離れになってしまい独りで果汁のジュースを飲んでいた手前にお声をかけてくださいました忘れはしませんええ決して忘れはしませんきっとあなたはいつもそうなのだ誰にでもそうするように手前に手を差し伸べてくださったに過ぎないのでしょう大丈夫ですわかっていますわかっていますとも何故なら手前はあれからずっとあなたを見てきたあなたを知ってきたあなただけを考えてきたあなたはあの無知無能な輩たちの中にあってあなただけは知の光を失わなかった手前はそれが誇らしかった嬉しかったまるで手前と共に歩んでくれているように感じた本当に憧れただが手前の父愚かにも手前の父はあなたと婚姻したいといっても認めてくれなかった族長の息子たるものもっと相応しい相手を選べとなぜと思いましたですがすぐに気づいたああこの男も他の者と変わらない路傍の石だったのだとそうですならば手前が族長になればいいええその気になればそれは難しいことではありませんでしたそれでも何年かの時間を要しましたがねまあそんな事はどうでもいいんです手前なんかのことはどうでもいい大事なのはあなただあなたのことをあなたのことだけを話していたい掟を開始したと聞いてそれはもう驚きましたよ縁談が破棄になりそうなことにではありませんあなたが死んでしまうと思ったからです本当に怖かった怖くて怖くて怖くて怖くて怖くてでもだから気付いたんですならさっさと失敗させてしまえばいいとそう考えた手前は影の一人にあなたを保護して手前の元に連れてくるようにと追わせましたところがあの赤い猪に邪魔されてしまったクソが何が神だあなたをあんな目に合わせる存在が神なわけがないあの醜い獣風情がふざけるな唾棄すべき畜生めおっと失礼言葉遣いがよくありませんでしたねもちろん手前はすぐあなたを追いかけようとしましたがそれよりももっといい方法があることに気付いたんですつまりあなたがあんなカスに負けるわけがないそんなことは自然の摂理に反していますからねならば答えは一つだけですあなたが成功したことを前提にことを進めておくのがよろしいあなたは万人に対して女神のごとく優しいだからこそ手前なんかとでも婚姻していただけるはずですそれこそ掟なんかなかったとしてもですがまあこういうことには正当な手続きというものがありますからね英傑となったあなたが帰ってくればきっと沢山疲れていらっしゃるでしょうそんな中こういった雑事にお手を煩わせるわけにはいかないと思いましてふふいえいえほめていただかなくても結構ですよこんなことは手前でなくともきっと誰かが行ったでしょう単に手前が一番最初だったというだけのつまらない話ですでもあの男問題はあの男ですよとてもあなたの御父上とは思えないなんであんなことを言われなきゃいけないのか酷いことだあってはならないことだまあ予想してはいましたけどね聡明で優しく美しいあなたを異端者扱いするような一族の長だまあさっさと消えてもらおうかと思いましたよ最初はでもやっぱり野蛮人とはいえあなたの御父上だいくら邪魔だとはいえそんな乱暴なことをしてはいけないなと思ったんですだから途中で殺すのはやめて今はあなたの御母上と共に安全な場所でお待ちいただいておりますよはははいえこんなものあなたの慈悲深さに比べれば何でもありませんよそういうわけで手前と正式に婚姻を結んでいただけますよねいえいえ答えを聞くまでもありませんあなたのことできっと良い返事でしょうあははわかっていますいやあ楽しみだなあところでそのそれそれですよそれはなんです獣人ではなく人間のようですが捕虜か何かですかそれとも奴隷ですかまたは玩具でしょうかまあなんでもいいでしょうどうでもいい至極どうでもいいしかし感心しませんね人間の臭いが高貴なあなたの匂いを穢してしまうそんなこと許せない離れてください今すぐ今すぐ今すぐ離れて離れて離れろよ」
「え?」
余りのことに何一つ反応できなかった。
一瞬でその姿は私の前に移動し、声を出す暇もなく短刀が閃いて私の首が切り裂かれる……寸前でロウガに吹き飛ばされてなんとか回避する。
「ッ…………!」
今、目前まで死が迫っていた。
後から上り詰めてくる恐怖で息ができない。
無表情のままなおも切りかかろうとするコゲツと私の間にロウガが割って入った。
さっと剣を引くコゲツ。
「大変申し訳ないのですがロウガさん邪魔をしないでいただきたいのですこれはあなたのためなのです」
「いろいろ言うべきことはある。私の父母をどうした、とか、ツキネと名乗って傍に居た理由は、とか。」
剣を握るロウガの腕に力が入る。
淡々とした調子の声がわずかに震え、そして。
「だがまずは、こう言わせてもらおう。“私の友に何をする”!!」
ビリビリと空気が震える。
それはまるで、ヒヒイロカネがかつて見せた咆哮のようであった。
……まあ、今回は相手が悪かったが。
コゲツは恍惚とした表情を浮かべている。
「……スズメ、立てるか。影が何体いるかわからない。備えてくれ」
「う、うん」
ショックを無理やり鎮め、立ち上がってロウガからもらった予備の剣を構える。
弓矢は既に近距離に入られてしまった場合は役に立たない。
かといって、私は剣がちゃんと使えるわけではない。
ロウガが教えてくれたのは身のこなし。
避けたり受けたりするための技術。
“狩りならばともかく、勝ち負けのわからない戦闘からはまず第一に逃げることだ”
それが、ロウガの口癖だった。
「ご安心ください。ロウガさんにお怪我をさせるようなことは致しませんとも」
円を描くようにロウガとコゲツは間合いをはかっている。
そちらも心配だが、今は――
「っ!」
暗闇から飛んでくる苦無を弾き落とす。
一つ、二つ、三つ――ややタイミングをずらして別方向からの投擲。
全神経を集中して確実に受けきる。
足元にはどんどん苦無が散らばっていった。
(このまま、向こうの弾が尽きるまで待てば――)
そう思ったその時。首筋がチクリとしたかと思うと視界がぐらんと揺れる。
足がふらつき、剣を落としてしまう。
そのまま、くずおれるように倒れた。力が入らない。
「スズメ!?……くっ!」
ロウガが走り寄ろうとするが、その前に影が現れ道を閉ざす。
その隙に、コゲツは目的を達しようとしていた。
思考も、口もうまく回らない。
「ど……して……」
「まあ、ロウガさんの役には立ってくれたわけですし、それくらいは教えて差し上げましょう。フォクサス族秘伝の麻痺毒ですよ」
すっと首筋から何かが抜かれる。
針のようだった。
目が霞む。
「スズメから離れろ……!くそ、どけ貴様ら!!」
ロウガの必死な声が聞こえる。
でも、私はなんとなくわかってしまっていた。
きっとここで、私は、死ぬ。
「最後に言いたいことは?」
私がおとした剣を拾い、その切れ味を確かめるように月の光に照らしながらコゲツが問う。
「ばー……か」
「そうですか」
そして、それを無造作に私へと突き立てた。
麻痺のせいか、痛みはそれほどでもない。
ただ、そこから命が流れ出ていく感じがするだけだ。
息ができない。
切り裂かれた傷口から空気が漏れ出し、ヒューヒューと音を立てている。
ロウガの悲鳴と怒号が合わさったような叫び声が聞こえた。
なにがなんだかわからない。
首から下はあったかいのに、頭はどんどんぼんやり冷たくなっていく。
視界が暗く狭く。自分が終わっていくのを感じる。
もう、周囲がどうなっているかのかもわからない。
私を呼ぶロウガの声がすごく遠くに聞こえる。
(どうしてこうなったんだっけ……)
――人にはそれぞれ生まれ持った時間があって、その終わりを見ることはできない。
……たとえ、自分のものであっても。
(せっかく友達ができたのに。)
悔しいなあ、とぼんやり思いながら、私は暗く、薄くなっていった。
そうして、スズメは死んだのだ。