傷ついた獣人をベッドに寝かせると、不思議なことに、みるみるうちに傷がふさがっていった。
いや、その時私が気付かなかっただけで実際は家に入った瞬間から再生は始まっていたのだが。
そう間を置かず、獣人は目を開けた。
改めてその姿を見る。地球でいうと狼っぽい感じだ。
灰色の毛並みに、精悍な顔つき。
こっちの基準はよくわからないけど多分ハンサムなんだと思う。
「ここは……」
こちらをその瞳がとらえる。
とたん、ばっと体を起こし牙をむきだす。
正直怖過ぎて声も出なかった。
「貴様……!人間族か!!私をとらえてどうしようと……!!……?」
しかし、すぐに首をかしげると、腕を動かしたりして身体の具合を確かめ始めた。
「致命傷だったはずだが、痛みどころか傷痕すらない……あなたが手当してくれたのか?枷もないようだし……何が狙いだ?」
低く深みのある落ち着いた声。
「あ……えと……はい」
人と話すのは何年ぶりだろう。
うまく言葉が出てこなくて、つい俯いてしまった。
「まさか……私をただ助けただけだと?」
目を見られない。
ただ頷いた。
驚いたように息をのむ音。
しばしの沈黙の後、雰囲気が和らいだことを感じて顔をあげると、先ほどとは比較にならないほど穏やかで、かつ、どこか申し訳なさそうな表情で獣人がこちらを見ていた。
「そうか……大変無礼な真似をした。申し訳ない。この恩、ウルフェン族の王族に名を連ねる者、ロウガの名に懸けて報いると誓おう。良ければ、名前を聞かせてほしい」
「……あ、…………です」
「む?すまん、もう少し大きな声で願えるか?」
「ス……メです」
「スズメ?スズメ殿でよいか?」
「…………はい」
精一杯声を出したつもりだったがちゃんと聞こえなかったらしい。
ほんとは違うけどまあいいか。ちょっとかわいいし。
我ながらコミュ障過ぎるな、と自嘲してしまう。
別に本名に思い入れがあるわけじゃないし。何より苗字が無いほうが気が楽だ。
「では、改めて、スズメ殿。心からの感謝を。正式なお礼はまた後程として、今すぐ何か報いたいが……」
ぐう。お腹の音が鳴った。
身体は口よりも雄弁だ。
真っ赤になって俯く。
「ふむ!それならすぐにも用意できそうだ。」
ロウガはにっこりと笑い、懐から何やら植物の葉に包まれたものを取り出した。
「非常食というヤツだ」
包みがほどかれると、こげ茶色のものが現れた。
干し肉のようだ。
その燻製されたもの特有の香りは十分に食欲を刺激するものだった。
「さあ、受け取ってくれ」
言われるがまま口にする。
一口かじると、スパイスの風味が広がる。
燻製によって肉の臭みが香りへと昇華されており、余計な水分が抜かれて旨味の凝縮にもつながっている。非常においしい。
あっという間に平らげてしまった。
「ふふ。気に入ってくれたようでなによりだ。良ければ、これも味わってくれ」
差し出されたのは何かの骨で出来た水筒のようだった。
急にのどの渇きを自覚した私は急いでそれを飲む。
冷たい水、それが一口目の印象だが、すぐに何とも言えないさわやかな酸味が口の中に広がった。活気が体中に染み渡る。
見ると、ハーブらしきものが漬け込んであるようだ。
「ふう……」
「随分と美味しそうに飲んでくれるな。そんなに喜んでくれると私も嬉しいよ」
「ありがとう、ございます」
「お礼を言うのは私の方だ。見ず知らずの、それも獣人である私の命を救ってくれたのだからな」
「わ、私はただ……見捨てておけなかっただけで……」
「人間族にもあなたのような優しい方がいるのだな」
「優しいとか、そんなんじゃ……」
思わず口ごもる。
助けたいから助けたわけじゃない。
見捨てた事実に付きまとわれることが嫌だから、見捨てなかった、だけだ。
その源泉は優しさなんて綺麗なものじゃない。
薄汚いエゴだ。
「……ところで、スズメ殿。私がここに運び込まれてからどれくらい経ったのだろうか」
「そう……ですね、今でちょうど1時間くらいかな?」
言い終わってから、しまった、と思った。
時間の単位は同じなんだろうか。
時間、といえば。そもそもこの世界は惑星なんだろうか?普通に自転のない平らな世界というのだって考えられる。物理法則がゆがんでいたっておかしくない。(正確に言えば、物理法則がゆがむ、というのは一面的な見方だ。この世界ではそれが正しい物理法則として成り立っているだけで、地球と比較した時にゆがんでいるように見える、というだけの話なのである。)
さらに思考が飛躍する。
と、いうか。さっきの食べ物とか飲み物も人間が食べていいやつだったのだろうか。フグ宜しくあとから鉄砲みたいに当たって死ぬのはごめんである。もう食べちゃったけど。
それから、根本的な問題として呼吸できてるんだろうかコレ。
普通に吸ったり吐いたりできるけどちゃんと酸素取り入れてる?
太陽はどうなんだ?紫外線とかの配合は?
生態系が変われば当然微生物のあり方も変わっていて当然である。病気も免疫ちゃんときくのかな……
異世界転生した人たちってこの辺の問題どうやってクリアしてるんだろう。
食べたり、飲んだり、眠ったり、呼吸したり。
地球での生活に適した身体を持つのが地球人、ならどれだけ似ていても異世界のここに適応できるとは限らないのでは……
考えるほど思考の泥沼にはまって怖くなってきてしまった。
あたまぐるぐる。おめめぐるぐる。
「一時間?バカな、それほどの短時間で回復できるわけが……いや、今でちょうど、ということはさらに早く回復した……?」
私が思考の泥沼にはまっている間に、ロウガも何事かをぶつぶつとつぶやいていた。
漏れ聞こえる独り言から察するに、先ほどの治癒現象は異常なものらしい。
獣人族の仕様か何かだと思っていたのだが、そういうわけではないようだ。
「スズメ殿、何か特殊な治療薬、魔法などを使われたのだろうか?」
「い、いいえ、この家なにもなくて、ただ、寝かせただけで……」
「ふむ……?そういえば、この家、何か……妙だな」
くんくん、と匂いを嗅いでいる。
臭いのだろうか?思わず気になって自分の服をかいでみる。……大丈夫、まだセーフのはずだ。
「スズメ殿ではないよ。あなたの匂いがして好ましいのは確かだが。この家にはなにか魔力のようなものを感じる。といって、悪意のあるものではなく、聖域のような清浄なものだ」
あれ、なんか今すごいこと言わなかった?この人。
思考の泥沼はどっかに行ってしまって。再度自分の匂いを確認した。
「確認するが、ここはスズメ殿の家なのだな?」
「は、はい、といっても私も貰ったばかりでよくわかってないっていうか」
「ふむ……魔法に詳しいわけではないが……」
さらに匂いを嗅いでいたかと思うと、おもむろに骨のナイフを取り出し、自分の掌を切った。
つ、と血が流れる。
しかし、その傷は血が流れ落ちる前にふさがっていた。
「やはりそうか。この家には強力な治癒の魔法がかかっている。いや、治癒の力場といった方が正確なのか……?」
「スズメ殿、他にこの家について把握していることは何かあるだろうか。」
「えと、窓が開かないんです、外の様子は一応わかるんだけど、外に出るには絶対にドアから出なきゃいけなくて。」
「そうか……とすると、つまり……」
考え込む。
しかし、その眼はどこか楽しげであった。
未知との遭遇。退屈からの脱却。そういった楽しさ。
私にも覚えがある。
ゲームで同じことの繰り返しだと思っていたら突然隠しダンジョンを見つけたり、ランダムイベントが発生した時にワクワクするあれだ。
人並みの生活をしていれば日常で得られることもあったのかもしれないけど。
「楽しそうですね?」
つい、私もつられて楽しくなってしまい、柄にもなく話しかけてしまっていた。
ロウガはこちらをふいと見あげると、くしゃくしゃ、と自分の頭をかきながら目を細めて照れたように笑った。
普段大人びて見える分、ちょっと子供っぽくてそれがグッとくる。
乙女ゲームなら完全にパッケージ中央にいるタイプである。獣人だけど。
「いやはや。悪い癖だ。“未知を恐れよ”――ウルフェン族の掟だが、どうも私には窮屈でな……」
「王族なのにそんなことを言ってもいいんですか?」
「ふふ。王族だろうとなかろうと私は私だ。変えられるものではない。だが、民はそう思わんだろう。ゆえに人前では品行方正で掟に準じている。まあ皆の期待に応えるのも嫌いでは無いしな」
こう見えてもみんなの前では野性的で肉とか食い散らかしちゃう感じで、群れの女からもモテモテなのだぞ、と苦笑していた。
ウルフェン族は“野生”であることを大切にするため、丁寧な所作よりもやや荒っぽいほうが“品行方正”とみなされるのだとか。
ロウガはその持ち前の好奇心から長らく使われていなかった図書室でたくさんの本を読んでいるうちに自然と今のようになったらしい。
他にも少し話した。
ウルフェン族のこととか、ロウガ本人のこととか。
この世界の暦など、そういった“常識”についても話したけど、やはり元いた地球とはだいぶ違っているみたいだった。
ただ不思議だったのは、言葉や仕組みが違っても意志が伝わっているというか、うまいコト翻訳されて情報伝達されているらしい。
例えば私が一時間と言ったとしても、相手が受け取る時には向こうのフォーマットとして正しい形で情報の伝達が行われているようだ。
簡単に言えば、京都弁でぶぶ漬け云々やられても、向こうは正しくそれを“帰れ”と受け取る、みたいな感じだ。
これは結構な発見だった。
話題が私のことになったときは少し言葉に詰まってしまったけど、ロウガはそれを察してくれたのか話題を切り替えてくれた。
久しぶりに、他人と話すことが楽しい時間だった。
そうしている内に、どうしても気になっていたことを切り出す。
「ところで、その……どうしてあんな?」
「ああ、そうだった。アレはな、その、なんだ」
「アッ別に、言いたくなければ、良いんですケド」
「ああいや……えー……そうだな、試験というか、王族の男として認められるための儀式だな。“魔の森の深奥にて魔物の万斬りを果たす”これに合格すれば女の私でも男として認められる。死の危険はあったが、他部族との嫁に出されるなどまっぴらだったのでな。」
「え゛。」
「どうした?」
「あの、そう聞くとロウガさんがまるで女みたいに聞こえるんですけど」
「おや、言っていなかったか?私は女だよ。」
「――。」
灰色の毛並み。形の良い目鼻に深みのあるいい声。
気遣いも完璧で、どこからどうみても素晴らしいイケメン。――だが女だ。
「……でも逆にそれがイイ……かも……?」
「どうした?なにかこう、真理を悟った賢者のような風格になったが」
「アッ、何でもないです」
無意識に新しい扉を開きかけたところで引き返した。
いずれそうなるとしてもまだ早いだろう。
「ええっと、じゃあ急いだほうがいいんじゃ?だいぶ時間使わせちゃってる私が言うのもあれですけど」
「ん、まあ別に多少遅くなろうが構わんさ。最終的に帰って来さえすればいいんだ。……それより、厚かましくて大変恐縮なのだが、この家を共に調査させてくれないか。こんなに面白いことは久しぶりで、その、」
照れながら言うロウガ。
どうも、照れると頭をくしゃくしゃとかくのは癖のようだ。
女だとわかってもグッとくる。
こちらも笑顔で応える。断る理由はなかった。
素人の私が色々するより、ロウガと一緒の方がきっと捗るだろうし、それに――初めて友達になれそうな人だったから。
「そうだ、その、ロウガ“さん”というのはできれば、無理でなければでいいのだが、自然に取れてくれると嬉しい。気恥ずかしいのでな」
「ええ!これからよろしく、ロウガ。」
「……うむ!」
耳がピコピコと動き、尻尾が嬉しそうに揺れている。
普段は器用に気遣いながら話すロウガだが、どうもわがままになれていないというか、自分の意志を通そうとするときにはどこか不器用なのだった。