スズメはしばし放心していた。
あたりには動物たちの声が徐々に戻ってきている。
戦闘の余波で、すっかり森が開けてしまっており、青空がよく見えた。
さっきまでの激しさが嘘のように、世界はただ静かに、粛々と運営されている。
すぐに部屋に戻るべきなのかもしれない。あるいは、さっさとヒヒイロカネを解体すべきなのかもしれない。
しかし、スズメの心は凪いでしまっていた。
コップに注がれた水が、ゆっくりと満ちて、そして静かにあふれるように、その目からは涙が流れていた。
「このまま、空の向こうに溶けてしまいたい……」
誰に聞かせるでもなくつぶやく。
この戦いに勝つべきだった人はもういない。
風が優しく頬を撫ぜ――もふ。
「もふ?」
おかしな感触に手をやる。
もふ。
もうひともみ。
もふもふ。
「……?」
それを掴んだまま、後ろを振り返る。
――果たしてそこには。親友が照れくさそうに、背中を向けてこちらを振り返りながら頭をくしゃくしゃとかいていた。
「や、やあ!スズメ。えー……なんだ、その。久しぶり?でもないか……そろそろ尻尾を放してくれたらありが痛たたたたた!!!!!!」
知らず力が入ってしまったらしい。
ハッとしてそれを放した。
くてん、と尻尾が力なく垂れさがる。
「え…………だって、死ん……?」
「あー、私も死んだと思ったんだが……どうやら生きていたらしい」
かっこつけたのにかっこ悪いなあ、と困ったように笑った。
もう、いい。
もしもこれが、私の頭が作り出した幻だとしても、私はこのままでいい。
だけど、それなら一つだけ確かめないといけないことがあった。
「スズメ?」
部屋に向かう。
扉の前に立って、開けることを躊躇った。
もしあれが幻なら、ここを開けた先には現実が待っている。忌避すべきソトがそこにある。
でも、でも。
勇気を出して、扉を開ける。
そこにはロウガが横たわって――いない。
「幻じゃ、ない」
うしろからロウガの声がする。
「ああ、うん。この通り、しっかりと本物だ」
その後のことはあんまり覚えていない。
振りかえって、すごく泣いたような気もするし、とても怒った気もする。
なんだか恥ずかしいこともたくさんしたと思う。
抱きついてみたり、幻だと疑って耳を引っ張ったり、逆に頬を引っ張らせたり、子供っぽく甘えてみたり。
手際よくヒヒイロカネを解体していくロウガを見ながらお喋りするのはなんだかとっても愉快だった。
結局。どうやら、余りに傷が深かったせいで流石の治癒でも一気に全回復ができず、先に外側から徐々に回復していった、というのが事の真相のようだった。(真相と言っても、そうかも、という推測が多分に含まれているが。)
目を覚まさなかったのは、単に回復が終わっていなかっただけだったのだ。
まったく人騒がせな話である。
ひとしきり泣いて、怒って、笑って。
時間はどんどん過ぎて、解体が終わるころには完全に夜になっていた。
素材はとりあえず家に運んで、物置にぶちこんでおいたので、ここにヒヒイロカネがいたことを示すのは乾き始めた血痕と戦闘の跡くらいだった。
家の中。いつの間にか増築されていたリビングでテーブルを囲む。
残念ながらこの家に照明は無いので、外が夜の時は窓からさす月明かりでのディナーだ。
テーブルの上には外のたき火で焼いたヒヒイロカネの肉がドンと鎮座している。
ものすごい質量だが、これでも全体の量からすると微々たるものだ。
調理方法はシンプルなもの。森でとったスパイスをまぶし、香草とキノコを添えて表面をあぶり焼きにしただけ。獣臭さのようなものは全くなく、どちらかといえばバター焼きのような芳香を醸し出している。
「えー。それでは!無事ヒヒイロカネを討伐したことを祝して!祝勝会を始めたいと思いまーーーーーす!かんぱーーーい!二人しかいないけど!!それでいいんでーーーーす!」
「ふふ、妙なテンションだなスズメは」
「こら!クールぶってないでちゃんと騒ぎなさーーーい!」
「これでもテンション上がってるさ。」
よく見ると、いつもの落ち着いた瞳は一目でわかるくらい楽しげに輝き、尻尾は別の生き物みたいにぶんぶんふられていた。
「ならばよし!ではいよいよメインをいただいていくとしましょう!」
「世界広しと言えども、神を食べるのは私たちが初めてだろうなあ」
「では!早速!」
「うむ」
「「いただきます!!」」
皿の上に肉が1つドンと載っているだけなので、二人ともそのままかぶりついた。
カリカリに焼けた外側の皮は噛むとパリリとした小気味よい食感で、食欲を無限に引き出してくる。
あっという間に平らげてしまった。
「も、だめ」
「私も、流石に食べ過ぎたようだ」
流石に水浴びしないとまずいだろう。すれ違う時においしそうな肉の匂いがするのは女として気が引ける。あと魔物に襲われまくりそう。
因みに床に吹きこぼれたはずの肉汁や細かいくずなんかはきれいさっぱり消えていた。片づけいらず!便利な家である。
そうして、水浴びを終えて食休みをしているとき。
「ところで、ヒヒイロカネを解体していたらこんなものが見つかってな」
ロウガは胸元から赤く輝く球のようなものを取り出した。
非常にきれいだが、どこか威圧感がある。
「なあに、それ?」
「うん、これほどの大きさのものは見たことがないが、おそらく魔石だろうと思う。魔力をため込んだ結晶というか、一種の真珠のようなものだな。基本的には触媒として、魔法を強化するために使う。それで……一つ、試してみたいことがあって。」
ロウガは意味ありげにこちらを見る。
私に関係のあることだろうか?
「もしかして、この家?」
「ご明察。」
器用なもので、魔石を指の先でくるくると弄んでいる。
「この家は明らかに魔法の産物だ。今でも十分に強力だが……もっと使い勝手をよくできるはずだ。並の魔石では元の魔法が強大過ぎて意味がないだろうが、これは並の魔石じゃない。正真正銘、神の石だ」
なんだかすごそうな話だが、要するにこの家に機能を追加できるかもってことなんだろう。
それは願ったりかなったりだ。
結構不便なことも多いからなあ。シャワーとかトイレが無かったり。
もう慣れたけどやっぱり水回りは恋しいものだ。
「それで、スズメ、この家の中心というか、軸になっているものはどこだと思う?」
「軸?」
「既存のこういう魔法を強化する時は大体その軸になっているところに魔石を使うんだ。神殿だったら祭壇とか、王宮なら玉座とかだな。」
どこだろう、と考えようとしたその時。
首からかけていた鍵が輝きだした。
それに呼応するように、赤い魔石が輝きを増す。
鍵は魔石の方へ、魔石はロウガの手を離れて鍵の方へ近づいていき、ひときわ強く閃光が放たれたかと思うと、魔石が消えてしまった。
その後、しばし待っていたが別に何も起きない。
「おかしいな、失敗したか?……!?」
拍子抜けしたその時。
突如大きな揺れが家を襲った。
揺れはすぐに収まり、明らかな変化が私たちを照らしていた。
「これは……照明が追加されたようだな」
夜を照らす柔らかな光。
これは地味にありがたい変更だった。
さらに、他に変わったことがなかったかとあたりを探し回ると、キッチンに変化が起きていた。
そこにはなかったはずのコンロ、オーブンなど“熱”に関連した機能が追加されていたのだ。
そういうものを見慣れていないであろうロウガに用途の説明をすると、ひどく好奇心をそそられたようで、何度もコンロをカチカチしていた。
カチカチすると火が出るのがとても面白いらしい。
「ふふっ」
つい笑ってしまう。
笑われたことに気付いたロウガは、きまり悪そうに頭をくしゃくしゃとかくと、咳ばらいを一つしてすましたようにこう言った。
「ゴホン。つまり、今回加えられた変更は、“火”か」
「無理しなくていいのに」
「うるさいぞスズメ」
笑い合う。
光があるだけでやはり全然違う。
どこか気分まで明るくなるようだ。
多少ふざけ合った後、眠りにつく。
そうして、長い一日はようやく終わりを告げたのだった。