【うすほそ】軽部生海とかいう女性声優wwww【低音ハスキーボイス】 作:おフィ
1st Voice
「軽部さん」
聞くと背筋が伸びるような、凛とした声。だが温度が無い訳ではなく、どこか柔らかさも孕んだ絶妙な声だった。
「はい、なんですか?」
低く、掠れた声。所謂ハスキーボイスの持ち主である
「オーディションの話が届きまして。是非とも軽部さんに受けていただきたい……というより、軽部さんは受けたがると思いまして」
「……どんな作品ですか?」
「見た方が早いですよ」
そう言い、オーディション資料を手渡される。受け取った軽部は一番上に書いてある作品名に目を通し——目を見開いた。
「え、これって……」
「はい。軽部さんがお好きな、アイドルートの新作です」
「…………!」
——アイドルート。
学校で活動する女性アイドルの物語で、作画の美麗さや滑らかなダンスCG、ストーリーの良さで一時は社会現象を起こした大人気コンテンツ。
そんなアイドルートの、新作オーディションの話がやってきたのだ。
「けど俺はアイドルとかそういう柄じゃ……」
「ふふ、よく見てください」
中村はそう言い、細長い指でページを捲った。するとそこには、パンツスタイルのキャラクターが描かれていた。
「……え。もしかして、これ——」
「はい。私がお勧めするのは、こちらの男装女子役です」
軽部生海は、異性装を好んでいる。とは言っても男性になりたい訳ではなく、クロスドレッサーと呼ばれる異性装を好む性質というだけ。
一人称は俺だし、声や立ち振る舞いも男性らしさがあるが——それでも、性自認は女性だった。
故に、女性役を演じることに抵抗は無い。ただフリフリのザ・アイドル衣装を着るのには抵抗がある。
だから、男装キャラ役というのは軽部にとって願ってもない話であった。
「けど、あのアイドルートが男装キャラなんて珍しいですね。男の影は徹底的に排除するのに」
「……そのことですが」
中村は言いにくそうに、それでも言葉を紡ぐ。続く言葉を聞いた軽部は、またしても目を見開いた。
「……男性版スピンオフ?」
「ええ。メンバーは十名で、その中の一人がこの男装キャラです。残りの九人は男性声優しか募集しない、とのことです」
「男性、声優……」
軽部の反応を、中村は予想していた。このアイドルートという作品、作中では徹底して男性の影を排除してきた。
故にファンも男性嫌い……とまではいかないが、アイドルートに男は不要! と考えている者が大多数であった。
そんな中で生まれた、男性版スピンオフ。その誕生を知ったファンの反応は、やはり軽部のようになるだろう。
特に軽部は、アイドルートシリーズの初代から追っている古参ファン。男性キャラに対する嫌悪感だったりは、強いはず。
「……受け入れられないようでしたら、無理せず断っていただいても——」
「いや」
中村の言葉を遮る。その声には迷いも強さも、全て混じっていた。
「受けてみたいです」
「……いいんですか?」
「はい。折角来たアイドルートのオーディションですし、何より自分らしい格好で活動出来るって考えたら最高じゃないですか!」
男装アイドルということは、演者も男装をするということになる。それは、軽部にはとても有難いことであった。
それだけではない。何の不自由なく男装が出来るというのも魅力的だが、やっぱり、ずっと好きだったアイドルートのオーディションを受けられるのだから。
このチャンスを逃せば、きっと次は無い。なら受けるしかない。そう、考えた。
「……分かりました。ではオーディションに必要な書類を用意しますので、記入事項の回答をお願いします」
「はい!」
所謂、履歴書。特技や趣味などを記載して先方に送る。
流石に入力はデジタルだが、入力する内容を中村と共に決める。
「まず、ご趣味は」
「んー……野球観戦ですかね。千葉が好きです」
「……神奈川のご出身でしたよね?」
「横浜も好きですよ。けど、今は千葉の方に寄ってるって感じですかね。あと、今みたいに神奈川出身なのに? って気になってもらえるのもいいですからね」
コミュ力が無い割に、意外と考えている。中村は軽部のこういう姿勢を高く評価していた。
ちなみに中村相手に普通に話せているのは、既に一年近くの付き合いがあるから。これが一カ月くらいだったら、しどろもどろしている。
「では次は特技を」
「んー……無いんですよね」
「歌があるじゃないですか」
「……アイドルコンテンツで特技が歌って、特にアピールにならない気がしちゃって……」
それは確かにそうだ。歌に苦手意識を持つキャストも居ないことはないだろうが、大半は得意、もしくは好きな人が多いだろう。
そんな中で特技に歌唱と書いたところで、別に目立ちもしない。むしろ埋もれるのでは、と二人は考える。
「かといって嘘は書けないし……」
「軽部さんの特技……良いところはありますが、履歴書に書くものではないですしね」
「えっ」
「?」
この人、真顔でサラッととんでもないことを言わなかったか。軽部の耳が確かであれば、良いところがあるとかなんとか——。
「軽部さんは良いところばかりですよ。レッスンの態度も真面目ですし、苦手なことにも食らいつける忍耐力もある。あとは声質も素晴らしいですし、他にも——」
「も、もう大丈夫です!」
軽部は顔を赤くしてストップを掛ける。そう、この中村という女、クールな顔して他人を褒めることに躊躇が無い。
良いものは良いと言わないといけない、という思考らしいが、褒められ慣れていない軽部には大ダメージだ。
「……大抵の男性ボーカルの曲を元キーで歌える、というのはどうでしょう」
「あー……確かにそれは強みになりそうですね」
「では、それでいいですか?」
「はい、お願いします」
軽部生海の真骨頂はその低音にある。色気あるハスキーボイスだけなら事務所内にも居るが、彼女ほど低音を操れる者は居ない。
一般的に、声帯が長いほど声が低くなると言われており、女性は身長が高い方が声帯が長くなりやすいと言われている。
だが軽部の身長は165cmと、取り立てて大きくはない。それでも調べた結果、一般的な女性よりも声帯がうんと長いことが発覚。
その唯一無二の声帯のお陰で、軽部は男性顔負けの低音を出すことができるのだ。
更に、軽部生海という声優の恐ろしいポイントがある。低音ハスキーボイスだけではなく、高音もある程度までは出すことができる。
具体的に言えば、Hi音域までは地声でいける。ファルセットを使えば、もっと上まで。ここまで音域の広い声優——特に女性声優では、そう多くない。
ほぼ男性の声帯を持っている軽部だからこその音域。それが軽部生海の、真の武器であった。
「書類審査、通るかな……」
「断言はできませんが、見た目のフックは強いと思います」
これには軽部も自分のことながら同意する。
普段から異性装を好むこともあり、メイクや髪も男性に寄せている。
そこら辺に居る女性らしさの残るボーイッシュな女性声優ではなく、最早男性なのでは? というレベルのシャープな顔立ち。
これが書類審査に来たら、間違いなく目に留まるだろう。
「書類、テープ、一次、二次、最終でしたっけ」
「そうですね」
「はぁ……超えるべき壁が多すぎる……」
「それだけ人気なコンテンツということですね」
社会現象にもなったコンテンツの新作なだけに、志望者は多数になることが予想されている。
だからこんなに刻んで審査を行い、精鋭だけを獲ることができている。
「まあとにかくは書類審査です。折角です、宣材も撮り直しましょう」
「あ、ありがとうございます!」
——その後。
軽部は無事に書類審査を通過し、テープ審査、一次審査、二次審査も通過していった。
そして迎えた、最終審査。
「グループ審査、ですか」
最終審査の資料を眺めて、中村は呟いた。その隣では、軽部が頭を抱えている。
「知ってますよ……グループでディスカッションしたりするんです。初対面の人たちと……初対面の人たちと!」
これは、軽部には厳しいなと思った。
彼女のコミュニケーション能力はお世辞にも高いとは言えない——というより、かなり低い。
初対面の人間、それも複数人に混じるとなると一言二言話せればいいレベルだろう。
「軽部さん」
「ふぁい……」
情けない声を出しながら顔を上げる。
「恐らく、狙いは和を乱す人が居ないかの確認だと思います」
「和を乱す?」
「はい。ディスカッションが白熱したら、自分の意見を通すために他者を切り捨てる発言をする人も出てくるかもしれません。そういう人を振るいにかけるために行う……のかもしれません」
それなら軽部にも勝算がある。中村はそう言い切った。
軽部は他人の顔色を伺う傾向にあるが、だからといって自分の意見を持たない人間ではない。
通すべき時はちゃんとそれを通す意志の強さもあるし、グループを壊すような真似はしないと、中村は胸を張って言える。
「一言でもいいんです。その一言で審査員に良い印象を持ってもらいましょう」
「ムズ……」
「はい、とても難しいです。ですが、軽部さんなら平気だと信じています」
だってあなたは、人格も素晴らしいですから。
中村は真っすぐ軽部を見つめながら、言った。
「……そういうの勘弁してくださいって」
「何故ですか?」
「照れるんですよ!」
よく見れば、頬がほんのり赤く染まっている。
こういうところは結構可愛いんだよな、と中村は思った。
——後日。
遂に迎えた、最終審査の日。軽部は会場の椅子に座りながら、ガタガタ震えていた。
(いや怖い怖い怖い。マジで知らない人しかおらんし!!)
決して目を合わせないように、周囲を見渡す。
見渡す限りの男、男、男。
ここまで残ってきた猛者の男性たちが、会場に揃っていた。
(あ、女の人発見……ちょっと安心)
次の瞬間、軽部は首を横に振る。安心してどうするんだ、女の人ということはライバルだ。
自分をそう律して、軽部は審査開始を待つ。
「あの……」
隣から声を掛けられ、肩が跳ねる。
喉からヒュッという音もした。左隣を向くと、柔らかい茶髪をした男性が軽部を見ていた。
「ぇぁ、は、はい……」
「緊張しますよね……お互い、頑張りましょう」
「ぁ、はい」
コミュニケーションに難のある人間は何故、頭に「ぁ」を付けるのだろう。何故かそんなことを考えた軽部は、カッスカスの声でそう答えるのが精一杯だった。
「……ちなみに、何役ですか?」
「ぁ、航野真織です……」
「航野真織?」
端正な顔立ちの男は、首を傾げる。イケメンは何をしてもイケメンだな、と思いながら軽部は考える。
そういえば、自身が狙っている航野真織は一応女性キャラ。男性声優には存在すら知られていない可能性が高いのだ。
「ぁ、男装女子の役で……」
「ああ! え、てことは女性声優さん……?」
「ぃ、一応……」
「めっっちゃかっこいい声ですね……! きっと受かりますよ!」
優しそうな雰囲気の男性は、曇りなき眼差しでそう言ってくれた。
だが、その言葉を受けた軽部はというと——。
(あー……眩しい)
あまりの眩しさに目を焼かれていた。イケメンは揃いも揃ってコミュニケーションが上手い。
何故世の中はこんなにも不平等なのか、軽部はぼんやりとした頭でそう考える。
(……それにしても)
この男は、きっと受かると言った。根拠も何も無い発言だが、軽部は救われた気分になった。
なにせ、声と歌以外に自信が無い人間。他人にこうして言ってもらえることは、本当に嬉しい。
「……ぁの、お互い、頑張りましょう」
「はい! また、顔合わせの時に会いましょう」
何だその格好良いセリフは。軽部はあまりにもスマートな会話をする男に嫉妬しそうになりながら、審査の順番を待つ。
「次、9番から12番の方!」
「はい!」
「は、はい」
12番は、軽部だった。ちなみに隣の男は13番。
軽部がぎこちない動きで立ち上がって審査会場に向かう時、男は胸の前で握り拳を作って応援をしてくれた。
「——本日はよろしくお願い致します」
「よろしくお願いします!」
周りの声の圧が凄い。こういう時、ハキハキと喋られる人間が強いことは知っている。
(けどそれが出来りゃ苦労しねぇんだよ〜〜!!)
軽部生海、心からの嘆き。
それはさておき、最終審査はまず自己紹介から始まった。四人が名前、そして趣味や特技などを審査員に伝える。
その次は、演技審査。これまでは一人でやっていたが、今回は掛け合い。
「な、なぜ僕なんだ……可愛さをアピールしたいだけなら、他に居るだろう! なあ、真織?」
糸永紡役の男が、視線をこちらに向ける。
軽部はスッと息を吸って、話し出す。
「いや、僕も紡が適任だと思うよ。ほら、こういうのってギャップが大事だからさ」
「ぐっ、君まで……!」
声は、思ったより上手く出た。追い詰められた時ほど良い声が出るのは、どうなのだろう。
軽部はそう思いつつ、演技を続けていった。
「——うん、ありがとうございます。では次は、ディスカッションです。お題は、アイドルはどこまで期待に応えるべきか、です」
思っていたより重めのお題が来たな、と軽部は苦々しくなる。
審査員の合図により早速ディスカッションが始まり、まず一人が「アイドルは偶像なのだから、可能な限り応えるべき」だと主張した。
「期待に応えすぎていたら身体が壊れる可能性があります。無理のない範囲にするべきです」
すぐに別の男が自分の意見を主張する。
(うわ、すげー……初対面でこんなに……)
それを軽部はぽかんとした顔で眺めていた。その後も議論は続き、徐々に白熱していく。
「けど、やっぱりファンの意見は優先すべきだと思います!」
「それだと新しいことに挑戦できなくなる可能性もありますよ」
「……挑戦する時は説明するとか?」
ふと、思う。なんか、このコンテンツみたいだなと。
男性版スピンオフ——アイドルート Free! は、間違いなく挑戦作だ。
シリーズの伝統を投げ捨ててまで、男性キャラをメインに据えた。
そして、軽部は考える。このディスカッションに対する答えは——。
「……説明しても、嫌な人は嫌だと思います」
「え?」
軽部が、ぽつりと呟いた。その声は周りよりも小さく、儚かった。
「だから、やるなら結果で納得させるしかない……と思います。期待に応えるっていうのも、全部やる必要はないと思います。けど期待を裏切るなら、それ以上のものを出さないと……とは、思います、はい」
軽部は言い切ると、その後は黙り込んだ。
やがてディスカッションは終わり、最終審査は終了。
「では13番から16番の方!」
13番の男とすれ違う。
「……ぁの、頑張ってください」
「はい。お疲れさまでした」
男は既に集中しているようで、先程よりは声が硬くなっていた。それでも、爽やかな笑みはそのままであった。
「終わった〜〜〜〜!!!!」
「お疲れ様でした」
オーディションの感触を報告するようにと事前に言われていた。なので軽部はオーディションが終わると、事務所に直行した。
「手応えはいかがでしたか? 特に、ディスカッション」
「んー……演技はまあまあですかね。ディスカッションは……あれで良かったのかなぁって」
「ふむ、詳しく教えていただけませんか」
軽部はディスカッションの内容を伝える。
中村はそれを聞き終えると、柔らかく笑う。
「完璧だと思いますよ」
「……本当ですか?」
「ええ。軽部さんの誠実さがよく出ています」
嘘偽りないその言葉に、ホッと息を吐く。
あの討論には、きっと正解はない。ファンへの応え方など、千差万別だからだ。
それでも行うのは——中村の言う通り、チームの和を乱す者が居ないか見極めるためだったのだろう。
事実、白熱した後は言葉にトゲが滲み出る人も居た。あの人はきっと、不利になる。
「……受かってると、いいな」
「後は待つだけ、ですね」
——後日。
軽部は事務所に呼び出されていた。何かしでかしたのか、よりも先に——オーディションの結果が届いたのだと察する。
「軽部さん、オーディションの結果ですが——」
ゴクリ、と喉から鳴る。
「無事合格です、おめでとうございます」
「…………え」
中村がふわっと笑いながら言った言葉に、軽部は耳を疑った。
自分より良さそうな女性は、何人も居た。その中で、自分が? そう考え、信じられなかった。
「ドッキリでも何でもありませんよ。こちらが、その証拠になります」
中村が差し出したのは、顔合わせの日時が記されている書類。
そしてキャスト表には——軽部生海、と書かれていた。
「……うかっ、た……?」
「はい。本当に、おめでとうございます」
じんわりと、視界が滲む。溢れ出るそれを必死にティッシュで拭うが、止まる気配が無い。
中村はその様子を優しく見守っていた。
——軽部生海。
アイドルート Free! 航野真織役、決定。