ACE COMBAT8 ― OUTLIER ―   作:こーま

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だんだん公式本編との乖離が大きくなっていきます。




残影

サンサルバシオン北部沖。2029年11月1日、12時32分。

 

海面を、ひとつの船団が進んでいた。先頭に近い位置を空母エンデュランスとイージス艦ステルウォートが並んで航行し、その後方には徴用されたコンテナ船が二隻、さらに民間の貨物船と小型輸送船が続いている。少し離れたところにはFCUの輸送艦も見えた。軍艦だけで編成された艦隊ではない。戦争で行き場を失った人間と、それを運ぶためにかき集められた船の寄せ集めだった。エンデュランスとステルウォートは船団の外側を抑えるように進み、周囲を警戒している。輸送船や民間船はその内側を進む。どの船も速度は速くない。大量の民間人を乗せている以上、軍艦だけで先を急ぐわけにはいかなかった。

 

*FCUは、ほとんどすべてを失っていた。彼らが向かっているのは、隣国である中立国サンサルバシオンの港だった。そこで食料や水、燃料、医療物資、最低限の整備資材を補給する。避難民を引き渡すこともあるだろう。だが、相手は中立国だ。軍事物資まで大規模に補給すれば、サンサルバシオンにとっても簡単な話ではない。それでも、他に向かう場所はなかった。

 

エンデュランスの艦内では、軍人と民間人が同じ通路を行き交っていた。その医務室で、レイは患者服から軍服へ着替えていた。立ち上がる。足は動く。以前のように歩ける。だが、身体の奥にはまだ重さが残っていた。少し長く歩けば息が上がる。深く息を吸うと胸の奥に違和感がある。それでも、ベッドの上で寝かされているだけの身体ではなくなっていた。レイは傍らに置かれていたヘルメットへ目を向けた。白いヘルメット。左右の耳の上まで伸びる赤い翼。その下に刻まれた、REXの文字。レイはそれを手に取った。自分の名前ではない。それでも、これから自分が身につけるものだった。

 

「俺にはまだやり残したことがある、どうもそうらしい」

 

レイは足を止めた。

 

「一人の男がいたことは思い出せる。それ以上はどうも曖昧だ」

 

レイはゆっくりと顔を上げた。誰もいない。

 

「……コープの声?」

 

そう思った瞬間、声が続いた。

 

「コープ……コープというのがその名前だったか」

 

レイはヘルメットを握り直した。声の主は、自分自身の名前すら確かではないらしい。

 

レイは医務室を出た。艦内の通路は狭く、天井も低い。壁には配管やケーブルが走り、蛍光灯のいくつかは切れていた。残った照明も時折ちらついている。足元から伝わる微かな振動が、巨大な船が海の上を進んでいることを思い出させた。

 

「そうだ。俺はすべてを失ったのだった」

 

声がした。

 

「足を下ろして進むべき大地も、残りの人生、そして形ある肉体も」

 

レイは右手に握ったドッグタグへ目を落とした。その時、前方から足音が聞こえてきた。コツ、コツ、と規則正しい靴音。レイが顔を上げる。

 

そこに、コープがいた。

 

最後に見た時と同じ姿だった。黒いティアドロップのサングラス。フライトジャケット。そして手にはヘルメットを抱えている。コープは何も言わず、右手を胸に当てた。あの時と同じ挨拶だった。

 

「だが俺はまだとどめ置かれている。こんなところで死んでなどいられないと」

 

コープは手を伸ばした。握手を求めるように。レイも手を伸ばした。指先が触れる、その直前だった。

 

「よぉ! レックス!」

 

背後から腕が回ってきた。首を締めるようなものではない。肩口へ腕を回され、そのまま親しげに身体を引き寄せられる。

 

「ッ!」

 

レイがよろめいた。

 

「もう歩けるようになったのか、お前もなかなかのタフガイだ!」

 

ジェンキンズだった。レイが振り返る。先ほどまでいたコープも、薄暗い廊下も消えていた。そこには明るい照明に照らされた艦内があり、通路の両側には避難してきた民間人や軍人が座り込んでいる。毛布に包まれた人間。小さな荷物を抱えた人間。壁に背を預けて眠っている子供。どこかから食事を運ぶ匂いが漂ってくる。

 

ジェンキンズはそんな人々の間を歩きながら、レイの肩を軽く叩いた。

 

「見てみろよ。信じられるか? 救いを待つ世界の小さな縮図さ」

 

その先には、食料の配給を待つ長い列ができていた。軍人も民間人も関係なく並んでいる。

 

「こうして食料を待って並ぶ人の列が大陸中にあって、そして食料をくれる相手はこの艦の司厨員のように愛想が良い人間ばかりとは限らないんだ」

 

ジェンキンズは淡々とそう言った。途中で、顔見知りらしい整備兵が手を上げた。ジェンキンズも軽く手を上げ返す。その直後、別の男から声が飛んできた。

 

「ジェンキンズ少佐、ちょっといいですか」

 

「おっと、じゃあな!」

 

ジェンキンズはレイから離れ、その男のところへ歩いていった。

 

レイは一人になった。

 

「なかなかきついことを言うな」

 

また声がした。

 

レイは周囲を見回す。

 

「……あんたには聞こえるのか? 俺の声が」

 

レイは小さく頷いた。

 

「だが、脳波は正常だと出たはずだったな。……俺だって妙な気分なんだ」

 

レイは何も答えなかった。廊下の先に、上へ続く階段が見えた。黄色い作業服を着た甲板作業員が階段を下りてくる。レイは身体を壁際へ寄せ、その男を避けた。狭い階段を上る。一段ずつ足を運ぶ。身体は動く。だが、呼吸は少しずつ浅くなっていった。

 

「少しピントが合ってきた。あっちへ行こう。彼らがいるはずだ」

 

レイはその声に従うように、さらに階段を上った。

 

扉を開ける。強烈な光が差し込んできた。レイは反射的に目を細めた。目の前には青い空と、どこまでも続く海が広がっていた。

 

「頭上には空が広がる」

 

潮風が吹き抜ける。

 

「あの上の上まで登れるなら、消えてなくなって、無限の自由を得られるような気がしてしまう」

 

レイは空を見上げた。

 

「だが、かすかな記憶がそうするべきではないという」

 

その時、甲板の向こうから犬の鳴き声が響いた。

 

「いい子だ、ファーン。だが、俺の邪魔はするな」

 

レイが声の方を見る。そこには一人の男がいた。大柄な身体。軍人らしい体格。手にはノートとペン。足元では犬が尻尾を振っている。男は犬を静かにさせると、再びノートへ視線を落とした。

 

「そして俺の編隊員たちだ、なんと言ったかな、こいつの名前」

 

男は首を傾げた。

 

「どいてどいて!」

 

レイの横を、先ほどの髪を染めた少女が走り抜けていった。バスケットボールをドリブルをしている。レイは慌てて身体を避けたが、軽くぶつかる。

 

「おおっと、失礼!」

 

少女は振り返ってそう言うと、そのまま走っていく。犬が少女へ駆け寄った。男はその様子を眺め、それから手にしていたパズル雑誌へ目を落とした。

 

「……全く、ダメだダメだ。同じパズルを何十回も解くなんて」

 

男は雑誌とペンを置いた。

 

「こいつの答えは全部記憶してしまった」

 

そしてレイへ顔を向けた。

 

「あんた、陸からなんか読むものなんか持ってきたりしてないか?」

 

レイは少し戸惑った。男は途中まで言いかけたところで、ふと思い出したように口を開いた。

 

「ああ、そうだった。海に浸かったんだっけ」

 

そして手を差し出す。

 

「どうも、バクスターだ、よろしく」

 

レイもその手を握った。硬い手だった。

 

その時、バクスターが大きな声を上げた。

 

「サントス! 頼むよ! いい加減包帯を解いてくれ!」

 

「余計な被弾なんかするからだよ」

 

女性がピシャリと答えた。

 

彼女はレイに気づくと、一瞬だけ動きを止めた。

 

「……あなた、コープと一緒に飛んだっていう……」

 

ほんのわずかな間。

 

「……もう歩いて大丈夫なの?」

 

レイは頷いた。

 

「はい。もう大丈夫だと」

 

「そう」

 

サントスはそれ以上、コープについて何も言わなかった。レイの顔色と立ち方を一度確認すると、すぐにバクスターへ向き直った。

 

「それで、どこが痛いの?」

 

「痛みなんてない、足先も動く、方向舵のペダルを踏むには十分だ! かゆいだけさ」

 

「はいはい」

 

サントスはバクスターの足元へしゃがみ込み、包帯を解き始めた。

 

「我が信頼に値する二番機にして教授と呼ばれる男だ」

 

コープの声が聞こえた。

 

「実際、戦争前にはパートタイムで大学の教室に立っていたらしいのだが……さて、何を教えていたのだったか……」

 

サントスが傷を見る。眉が僅かに動いた。

 

「なんか特別なものでも食べた?」

 

「食べてない」

 

バクスターが答える。

 

サントスは傷を確認した。

 

「……早く治りすぎだよ! どうなってんだ?」

 

バクスターは少し困ったような顔をした。

 

「……丈夫なんだ」

 

サントスは小さく笑った。

 

「そういうことにしておくよ」

 

包帯を外して、最後にバクスターの膝を軽く叩く。

 

「これでよし」

 

立ち上がったサントスは、そのまま別の負傷者のところへ向かった。レイはその背中を見送った。コープの名前を出した時、彼女の手が一瞬だけ止まったことを思い出す。だが、それ以上は何もなかった。ここでは、怪我を治すことが先なのだ。

 

バクスターも何も言わない。ただ、レイの持っているヘルメットへ目を向けた。

 

白いヘルメット。赤い翼。REX。

 

バクスターの表情から、ほんの少しだけ笑みが消えた。

 

「それ……次はあんたか…、俺たちが後ろを飛ぶのは」

 

レイはヘルメットを持ち上げた。

 

バクスターは赤い翼をしばらく見つめていた。

 

「……あいつが乗ってた機体と同じにしたのか」

 

近くで工具を整理していた甲板作業員が口を挟んだ。

 

「D.D.の指示だってさ」

 

「……そうか」

 

それ以上、バクスターは言わなかった。だが、視線はしばらく赤い翼から離れなかった。

 

「そのエンブレムのものを生きて帰らせるのが仕事だ、何があっても……生きて帰らせる」

 

バクスターが立ち上がる。その姿を見たレイは、かつて海の中で見たコープを思い出した。似ている。身体つきでも、顔でもない。そこにいるだけで周囲に与える安心感が、どこか似ていた。

 

「あんたもそれでいいんだな?」

 

バクスターがレイを見る。

 

レイが答える前に、声がした。

 

「その通りだよ、バクスター」

 

コープだった。

 

レイはほんの一瞬だけ目を伏せた。

 

「後の3番機と4番機は……ああ、あそこだ」

 

コープの声にレイが顔を上げる。

 

甲板の先では、先ほどの少女と若い男が1on1をしていた。少女がボールを奪おうとする。青年が身体をかわす。少女がその背中へまとわりつくように追いかける。兄と妹がじゃれ合っているようにも見えた。

 

その時、艦内放送が響いた。

 

「クイーン隊が着艦のため接近する。ジョーカー隊発艦準備」

 

青年がボールを止めた。

 

「行こう」

 

少女が顔を上げる。

 

「あいよ!」

 

そして足元の犬を見る。

 

「ヨシヨシ、行こう!」

 

少女が先に艦内へ入っていく。犬もその後を追った。青年もボールを置き、後へ続く。

 

直後、頭上を戦闘機が通過した。ジェットエンジンの轟音が甲板を震わせる。

 

バクスターが空を見上げた。

 

「敵の追撃で少しくらっちゃってね。なんで、常時上空哨戒の態勢をとっているんだ」

 

上空にはすでに別の機体がいる。今飛んでいる彼らが戻らなければ、次の機体を上げることができない。

 

「ジョーカー隊発艦急げ」

 

艦内放送が急かす。

 

バクスターは歩き出した。

 

「よし、さぁ行こうぜ。俺たちが交代しなきゃ彼らは降りれない」

 

レイの背中を軽く叩く。

 

「背中は守ってやるよ、こんな俺でよけりゃな」

 

二人は艦内へ戻った。

 

その途中、レイは甲板の隅を振り返った。バクスターが日差し避けに使っていたビーチパラソル。その下には彼が座っていた椅子と、隣り合うように置かれたもう一つの椅子がある。その場所が妙に寂しく見えた。

 

格納庫へ降りると、空気が変わった。油の匂い。燃料の匂い。熱せられた金属の匂い。整備員の怒号。工具の音。航空機のエンジンを試す低い振動。戦闘機が並んでいる。その間を人が走り回っている。

 

「よぉ! 相棒!」

 

ジェンキンズがレイを見つけた。

 

「今回はこの機体に乗ってくれ、整備は終わっている」

 

その先に、一機のF/A-18Fスーパーホーネットがあった。

 

レイは足を止める。

 

同じ機種だった。

 

あの海に沈んだ機体と。

 

だが、同じ機体ではない。

 

別の一機。

 

それでも、垂直尾翼に描かれたものを見た瞬間、胸の奥が締め付けられた。

 

赤い翼。

 

コープの印。

 

バクスターが機体を見上げる。

 

「全く、これもネクタイ男が描かせたのか」

 

少女が横から顔を出した。

 

「いいじゃん、いい感じだよ」

 

レイは手にしたヘルメットを見る。

 

白。

 

赤い翼。

 

REX。

 

その名前を背負って、これから自分が空へ上がる。

 

まだ、自分が本当に飛べるのかは分からない。

 

それでも発艦準備は進んでいた。

 

整備員が機体から離れる。

 

エンジンが始動する。

 

低い唸りが格納庫を震わせる。

 

レイはヘルメットを握った。

 

コープの姿は、もうどこにも見えなかった。

 

ただ、その声だけがまだ残っていた。

 

格納庫の奥で、スーパーホーネットのエンジンの低い唸りが徐々に大きくなり、熱せられた排気が格納庫の空気を揺らし、油と燃料の匂いが混ざった風が吹き抜けた。レイはヘルメットを被り、操縦席へ身体を滑り込ませる。見慣れた計器だった。空軍で何度も見てきたものだ。エンジンの始動手順も、操縦系統の確認も、無線の操作も、機体を動かすための基本的なことなら戸惑いはない。だが、これから向かう場所は違う。滑走路ではない。空母の飛行甲板だ。

 

レイはシートに背を預けながら、甲板へ続く巨大なエレベーターを見た。スーパーホーネットは牽引車に押され、ゆっくりと格納庫の奥から移動していく。機体の前後左右には甲板員が散開し、それぞれが手信号を送り合っていた。機体の周囲に障害物がないか、翼端は安全な位置にあるか、牽引車との接続は正常か。別の甲板員がエレベーターの周囲を確認し、そのさらに外側では別の機体との間隔を監視している。陸上基地なら地上員の誘導自体は珍しくない。だが、ここでは一つのミスがそのまま事故になる。海へ落ちる。

 

レイは無意識に息を吐いた。コープの後席から発艦を見たことはある。マニュアルも読んだ。発艦手順だって頭には入っている。だが、自分でやったことは一度もない。

 

「……やれるのか、俺」

 

呟きがエンジン音に消えた。

 

その時、また声が聞こえた。

 

――大丈夫だ。

 

レイの表情が固まる。

 

コープ。

 

まただ。

 

一瞬、操縦席から降りて医務室へ戻ることまで考えた。自分はおかしくなっている。それはもう、かなり深刻なことなのかもしれない。船の中でコープを見た。声まで聞こえる。今もこうして、死んだ人間が自分に話しかけてくる。

 

だが、レイは首を振った。

 

(今はそんなことを考えてる場合じゃない)

 

ソトアから逃げてきた時に見た光景が頭をよぎった。両足を失っているのに、それでも血を撒き散らしながら必死に走って逃げようとしていた男。爆撃で吹き飛ばされた家の前で、死んだ子供を腕の中に抱きながら、いつまでもあやしていた親。あれを見た。あれに比べれば、自分はまだ現実を認識できている。

 

「……俺は大丈夫だ」

 

自分に言い聞かせる。今は飛ぶ。それだけだ。

 

スーパーホーネットがエレベーターへ進入する。甲板員が左右から機体を誘導し、牽引車が速度を落とす。機体が所定の位置に入ると、前方の甲板員が大きく腕を振った。牽引車が停止し、輪止めが入る。周囲の甲板員が機体の翼端と尾部を確認する。レイはその一連の動きを操縦席から眺めていた。ここまでは分かる。地上で何度も見てきた手順だ。

 

だが、問題はその次だった。

 

エレベーターが動き始めた。

 

機体ごと、ゆっくりと上昇していく。格納庫の天井が下がっていくように見え、代わりに海と空が視界へ入ってきた。やがて飛行甲板の光が差し込み、強烈な潮風がキャノピーを叩く。塩の匂いがした。海の匂いがした。そして、その向こうに広がる空が見えた。

 

甲板へ出る。

 

目の前にあるのは、巨大な飛行甲板だった。その左右には海しかない。甲板員たちは休むことなく動いている。無線から短い指示が飛び交い、別の機体が所定の位置へ移動していく。発艦を終えた機体が上空へ上がり、着艦を待つ機体もいる。狭い甲板の上で、すべてが同時に動いていた。

 

レイはスーパーホーネットを慎重にタキシングさせた。操縦桿。ブレーキ。スロットル。呼び方こそ同じでも、目の前にあるものは以前の愛機とはまるで違う。F/A-18Fに乗るための機種転換訓練など受けていない。ましてや、空母から飛ぶための訓練など一度もない。

 

だが、甲板員から次々に手信号が送られてくる。

 

右。

 

停止。

 

前進。

 

わずかな修正。

 

レイはそれに合わせて機体を動かした。

 

自分でも驚くほど自然だった。

 

(……なんでだ?)

 

空母でこんな動きをしたことはない。それなのに、どこで止まるべきか、どの程度まで機首を振ればいいのか、なぜか分かる。

 

スーパーホーネットが発艦位置へ近づいていく。そこで甲板員が機体の前方へ回った。

 

レイは計器へ目を走らせる。

 

ラダー。

 

右。

 

左。

 

左右のラダーが動く。

 

続いて各操舵面を確認する。フラップ。ブレーキ。操縦系統。一つずつ確認していく。

 

(……待て)

 

これは知っている。知識としては。マニュアルで読んだ。

 

だが、実際に空母甲板上でこれを行った経験はない。

 

それなのに、手が迷わない。

 

「……俺、こんなことできたっけ?」

 

誰にも聞こえない声が漏れた。

 

甲板員が親指を立てる。レイはその意味を考えるより先に頷いていた。次の手信号に従い、機体をゆっくりとカタパルトへ向ける。

 

前方に見えるのは、甲板の先端と海。そのさらに向こうに空がある。レイの手が汗ばんだ。基地では滑走路があった。離陸に失敗しても、少なくとも地面がある。ここでは違う。失敗すれば海だ。

 

しかも、空母からの発艦は短い。

 

自分の前席でコープが何度もやっていた。レイは後席からそれを見ていた。

 

「すげえな」

 

あの時は、それだけだった。もっとコープの行動を目に焼き付けるべきだったと後悔するが、あの時はヘリから叩き落とされ、ボートの上で日干しになって拾われたと思ったら、最低限の応急手当を受けて戦闘機の後席に押し込まれたのだ。マニュアル通り発艦前の後席の仕事をこなすので精一杯だった。

 

自分の番は想像より早くきた。

 

機体がカタパルトへ入る。甲板員たちの動きがさらに細かくなる。

 

「ブライドル確認!」

 

前方から声が飛ぶ。

 

「ランチバー確認!」

 

別の甲板員が確認する。

 

レイは計器を見る。発艦重量。エンジン。操縦系統。燃料。フラップ。視線が自然に移動していく。

 

チェックリストを頭の中でなぞっている。

 

いや。

 

違う。

 

なぞっているという感覚すらない。

 

必要な場所を、必要な順番で見ている。

 

「……何故」

 

レイは小さく呟いた。

 

機体がカタパルトへ固定される。拘束された機体の前方から、甲板員が確認の手信号を送ってくる。

 

「カタパルト接続!」

 

「前方クリア!」

 

「周囲クリア!」

 

レイは一つずつ確認する。そのたびに手が動く。スロットル。計器。操縦桿。視線。何度も同じことを繰り返してきた人間のように、操作が続いていく。

 

そして無線から声が入った。

 

『こちら上空哨戒指揮官、クイーン隊隊長』

 

聞き慣れない女性の声だった。

 

『ジョーカー隊、早くおいでなさいな』

 

『空はどこまでも広く、青いわ。そして早く降ろさせてちょうだい。お手洗いに行きたいのよ』

 

甲板員の何人かが苦笑したように顔を見合わせる。レイも一瞬だけ呆気に取られた。戦場の空母で交わされる通信としては、あまりにも場違いだった。だが、その言葉の意味は分かる。ジョーカー隊が出撃して哨戒を引き継がないと、クイーン隊が帰投できない。

 

無線が切り替わる。

 

『エアボスよりレックス、聞こえるな』

 

レイの指が送信スイッチへ伸びた。

 

「……こちらレックス。聞こえています」

 

『貴機のコールサインはジョーカー1だ』

 

レイは一瞬だけ固まった。

 

ジョーカー1。

 

コープのコールサインだった。

 

今、自分がそれを受け継ぐ。

 

胸の奥に重いものが落ちてくる。

 

『発艦チェック、オールグリーン』

 

レイは前方を見る。甲板員が機体の前で大きく手を上げている。

 

その瞬間、レイの口が勝手に動いた。

 

「ジョーカー1、発艦準備完了」

 

自分で言ってから、レイは僅かに目を見開いた。

 

(……俺が?)

 

『ジョーカー1、カタパルト接続を確認』

 

無線の向こうから淡々と指示が続く。

 

『エンジン推力確認』

 

レイは計器へ目を落とした。必要な操作が分かる。

 

『操縦系統確認』

 

手が動く。

 

『フラップ確認』

 

視線が移る。

 

『前方クリア』

 

甲板員が退避する。

 

『周囲クリア』

 

レイの心臓が激しく鳴った。

 

『ジョーカー1、発艦を許可する』

 

レイは操縦桿を握り直した。

 

発艦許可。

 

ここから先は戻れない。

 

レイの脳裏に、コープが前席から発艦していった光景が浮かんだ。あの時は、ただ見ていた。今は自分がやる。

 

「……了解」

 

スロットルを押し込む。

 

エンジンが咆哮した。

 

機体がカタパルトに拘束されたまま、一気に推力を上げる。甲板員が散開する。レイは前だけを見る。

 

海。

 

空。

 

その境目。

 

一瞬だけ、怖くなった。

 

(これ、失敗したら……海に落ちるよな)

 

そう思った直後だった。

 

カタパルトが作動した。

 

スーパーホーネットが弾かれるように前へ飛び出す。

 

視界が一気に流れた。甲板が後方へ消える。海が迫る。

 

機体が甲板を離れた。

 

一瞬だけ、落ちる。

 

それから機首が上がった。

 

青い空へ。

 

*『ジョーカー隊、発艦』

 

────────

 

ジェンギンズは、発艦していくスーパーホーネットを見送った。

 

問題はなかった。誘導員の合図に合わせて機体は滑らかに進み、カタパルトへ入る。甲板員との呼吸にも妙なところはない。発艦準備が整うと、機体は一気に加速し、そのまま甲板を離れて青空へ駆け上がっていった。

 

「……」

 

ジェンギンズはしばらく、その姿を目で追っていた。

 

レックスは空軍一筋だったはずだ。空母勤務の経験があるなどという話は聞いたことがない。そもそもジェンギンズ自身、エンデュランスに乗ってからまだ一週間ほどしか経っていない。元は陸上基地の整備士官だ。空母の甲板で航空機を扱うことも、まだ覚えている最中だった。甲板員がどの合図を出し、機体をどこまで動かし、どの位置で止めるのか。陸上基地とは違うこの場所の勝手を、ジェンギンズ自身もようやく身体に覚え込ませ始めたところだった。

 

だからこそ、妙な感じがした。

 

今のレックスの動きが、本当に初めてのものなのか分からない。だが少なくとも、戸惑っているようには見えなかった。誘導員の合図を待つ間も迷いがない。機体を進めるタイミングも、カタパルトへ入る動きも妙に自然だった。まるで、何度も同じことを繰り返してきた人間のように。

 

「……なんだ、あいつ」

 

思わず呟く。

 

だが、考え込んでいる暇はなかった。次の機体が誘導されてくる。ジェンギンズはすぐに頭を切り替えると、甲板員たちへ声を張った。

 

「おい! 次、入るぞ!」

 

青空へ消えていったレックスのことは、ひとまず頭の隅へ追いやる。今は目の前の機体を安全に送り出すことが先だった。

 

────────

 

無線が響く。

 

『本艦はサンサルバシオン国フラガン海軍基地へ向かう。前方の航路警戒にあたれ。基準針路180』

 

レイは反射的に操縦桿を動かした。

 

機体が旋回する。

 

その操作も自然だった。

 

あまりにも自然だった。

 

「ジョーカー1、了解」

 

返答も自然に出てくる。

 

その瞬間、レイは自分の手を見た。操縦桿を握っている。手は震えている。それでも機体は安定している。

 

「……俺は」

 

言葉が続かなかった。

 

後方から、次々とジョーカー隊の機体が上がってくる。

 

『ジョーカー隊、全機発艦完了。クイーン隊を収容する』

 

レイは振り返った。

 

空母エンデュランスが遠ざかっていく。その周囲には、サンサルバシオンへ向かう船団が続いている。

 

空はどこまでも広く、青い。

 

レイは次々と浮かぶ疑問に蓋をして、ただ計器をチェックすることに集中した。




機種転換訓練なし初見の機体で離着艦訓練したことのない空軍パイロットに空母から飛べ!は普通に酷いと思う。

よしんば飛べたとしても着艦が無理すぎて実質死刑宣告では?

エスコン8の空母着艦の難しさはレイの苦労を物語っていた可能性が…。

初感想と、高評価嬉しすぎて連日投稿しました。皆様からのお気に入り、感想、高評価待ってます!

Syaru0173兄貴、Homes兄貴、runa009兄貴、sigure4539兄貴、高町司兄貴、ジム009兄貴、ロボ戦極凌馬兄貴お気に入り登録ありがとナス!

sigure4539兄貴は高評価ありがとナス!

ザボッテション兄貴感想ありがとナス!

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