TS女神の地球救済政策 ~26年かけて異世界を救った元勇者、絶世の女神になって帰還したら地球が滅びかけていたので、ダンジョン災害で救います~ 作:TS女神
俺はようやく、本当の意味で地球へ帰ってきた。
そう思えたばかりなのだから、本当ならしばらくは何も考えず、家でゆっくり過ごしたかった。
二十六年ぶりの自宅を見て回って変わった場所を探したり、美羽がどんな高校生活を送っているのか聞いたり、父さんと母さんが俺のいなかった二年半をどう過ごしてきたのかも知りたい。自分の部屋がまだ残っているのかも気になっているし、何より久しぶりに母さんの作った飯を食べたかった。
けれど、さっき美羽へ「その話はもう少し後でいい」と言った以上、本当に後日まで放置できるような内容でもない。
俺が地球へ帰ってきたその日に知った問題は、この家だけではなく、今いる世界そのものに関わる話なのだから。
「……で、お兄ちゃん」
掌に浮かべていた光球を消したところで、美羽がじっとこちらを見る。
「さっき誤魔化したやつ」
「やっぱり覚えてたか」
「数分前の話を忘れるほど馬鹿じゃないよ」
「そういう意味じゃないんだけどな……」
どうやら逃げられそうにない。
父さんと母さんも何も言わずにこちらを見ている。ようやく帰ってきた息子が、まだ何か重大なことを隠していると分かれば、気にならないはずもなかった。
「分かった。話す。ただ、先に言っとくけど、明日いきなり地球が滅ぶとか、そういう話じゃないからな」
「何で最初の一言がそれなの?」
「安心させようと思って」
「逆に怖いよ!」
美羽の言うことはもっともだった。自分でも、言ってから完全に順番を間違えたと思う。
「悠真」
母さんに名前を呼ばれ、反射的に姿勢を正す。
「ちゃんと最初から話して」
「……はい」
二十六年生きて、魔王を倒して、挙げ句の果てには神にまでなったというのに、母親からこう言われた時の返事だけは十六歳だった頃とまったく変わらないらしい。
「簡単に言うと……地球が今、かなりまずい状態になってる」
「かなり?」
「俺がいた世界から、二年半ずっと魔力が流れ込んでたらしい。このまま放っておくと、地球が蓄積した負荷を地震や噴火みたいな大規模災害として吐き出す可能性が高い」
三人の表情が一斉に変わった。
邪神が俺を異世界へ送り込んだ際に作った世界同士の繋がりを閉じ忘れ、そこから魔力が流れ込み続けたこと。その影響で地球そのものへ負担が溜まっていることを、必要な範囲だけ説明する。
「いつ起こるんだ」
「正確な日付までは分からない。ただ、このままなら本格的に危なくなるまで大体一年くらい」
「一年……」
母さんが小さく繰り返した。
「それで、悠真が何とかするの?」
その声音に込められた不安はすぐに分かった。二十六年間戦い続け、ようやく帰ってきた息子が、今度は地球のためにまた戦うと言い出したように聞こえたのだろう。
「……いや。今回は俺一人で全部背負うつもりはないよ」
「え?」
「何もしなければ大災害として起きるものを、人間が自分たちで対処できる形に変えられないかって考えてる。準備する時間も作るし、必要な知識や手段も渡すつもりだ」
「具体的には、どうするんだ?」
「それを今、最後まで詰めてるところ。神になったの今日だからな」
「まだ決まってないの?」
「全部決まってるわけないだろ」
「神様ってもっと何でも分かるものだと思ってた」
「残念ながら新人なんだよ」
「新人女神」
「その言い方やめろ」
美羽が少し笑う。
「俺一人じゃ世界管理なんて分からないから、詳しい神に手伝ってもらってる。セレイスっていう奴なんだけど」
そこまで話したところで、ふと思いついた。
どうせこれからも家族へ地球の状況を説明することになるのなら、中途半端な知識しかない俺が全部説明するより、セレイス本人を呼んだ方が早い。ついさっきまで同じ部屋で地球の状態を調べていたのだから、おそらく今も一人で作業を続けているはずだ。
「……せっかくだし、呼んでもいい?」
「誰を?」
「セレイス」
三人が揃って黙った。
「呼べるの?」
最初に反応したのは、やはり美羽だった。
「たぶんまだ、さっきまで俺がいた部屋にいると思う」
「いや、そういう意味じゃなくて。ここに神様呼べるの?」
「呼べるよ」
少なくとも、俺が神域から地球へ戻ってきた時と同じように繋げればいい。
父さんと母さんへ視線を向けると、二人は互いに顔を見合わせた後、父さんが慎重に確認してきた。
「危険はないのか?」
「セレイスがこっちへ来るだけなら大丈夫。ちょっと待ってて」
ソファから立ち上がり、居間の中で少し広い場所へ移動する。
ついさっきまでいた神域の一室を意識し、そこへ繋ぐつもりで神力を流すと、何もなかった空間へ縦に細い光が走った。光はそのまま左右へ広がり、人一人が通れるほどの裂け目となって、向こう側に見覚えのある部屋が現れる。
地球を模した巨大な球体も、空中へ展開された大量の情報表示も、そのままだった。
「うわっ!」
案の定、美羽が真っ先に食いつく。
「何これ!?」
「扉みたいなもの。神域に繋がってる」
「神域!?」
勢いよく立ち上がり、そのまま近づこうとした美羽の肩を慌てて掴む。
「待て待て待て! 入るな!」
「何で!?」
「俺も人間が神域に入って大丈夫か知らないから!」
「見るだけ!」
「見るだけならそこから見ろ!」
美羽を押さえながら裂け目の向こうへ目を向けると、予想通りセレイスがいた。
部屋の奥で一人、先ほどまで俺たちが見ていた地球の投影を前に作業を続けている。周囲には複数の情報が浮かび、俺が家族に会いに行っている間も、地球の状態を調べてくれていたらしい。
「ちょっと呼んでくる」
そう言って裂け目へ身体を寄せ、上半身だけ神域側へ入れる。
「セレイス」
呼びかけると、地球の投影を見ていたセレイスが振り返った。
「戻ってきたのかい?」
「いや、まだ地球。今、実家」
「じゃあ、その状態は?」
「家から顔出してる」
「……そう」
一瞬だけ何とも言えない顔をされたが、セレイスは深く追及しなかった。
「家族に地球のこと話したんだけどさ。せっかくだから、セレイスも来て少し説明してくれない?」
「構わないよ。こちらも追加の確認は一段落したところだ」
「助かる」
身体を引っ込めて地球側へ戻ると、すぐ目の前で美羽が目を輝かせていた。
「今、顔だけ別世界に出てた!」
「神域な」
「それ、私もできる?」
「だから勝手に入るなって」
「ちょっとくらいいいじゃん!」
「いや、よくないよ」
裂け目の向こうから聞こえた声に、美羽の動きが止まる。そのままセレイスが境界を越え、俺たちの居間へ足を踏み入れた。
「初めまして。私はセレイス。《調律》を司る神だよ。今は悠真と一緒に、地球の問題を調べている」
いつもの落ち着いた調子で軽く頭を下げる。
「……本当に来た」
美羽が呟く。
父さんと母さんも完全に固まっていた。無理もない。つい先ほどまで「行方不明だった息子が女神になった」という話だけでも理解が追いついていなかったところへ、今度は別の神が自宅の居間へ普通に入ってきたのだから。
「セレイス、この扉って人間が通っても平気なのか?」
せっかくなので確認すると、セレイスは開いたままの裂け目へ一度目を向けた。
「この先へ、という意味なら勧めないよ」
「やっぱり?」
「神域は人間が存在することを前提にした領域ではないからね。神力の密度や法則そのものが、人間の肉体や魂には強すぎる場所も多い。何の保護もなく入った場合、最悪なら存在を維持できず、そのまま消滅する可能性もあるよ」
「…………」
さっきまで今にも裂け目へ飛び込みそうだった美羽が、音もなく一歩下がった。
「入らなくてよかったな」
「先に言ってよ!」
「俺も今聞いたんだよ!」
「神様なのに知らなかったの!?」
「今日なったばっかだって何回言わせるんだ!」
少なくとも勢いだけで神域へ突っ込む気はなくなったらしい。
「ただし、同じ世界の中で場所と場所を繋ぐなら話は別だよ」
セレイスが続けた。
「悠真なら地球上の二地点を直接繋げられる。接続さえ正確なら、普通の人間が通っても問題はないよ」
「じゃあ、ここから北海道とかも?」
「一秒もかからないんじゃないかな」
「すごっ! じゃあ学校も――」
「駄目」
「まだ最後まで言ってない!」
「通学に神の力を使おうとすんな」
「雨の日だけでも?」
「普通に学校へ行きなさい」
父さんまで加わり、美羽は露骨に不満そうな顔をした。そんな俺たちを見ながら、母さんだけは別のことが気になったらしい。
「……あの、セレイスさん」
「どうしたんだい?」
「失礼かもしれませんけど、どれくらい前から神様をされているんですか?」
「私自身が生じてからなら、一億年は越えているよ」
「一億……」
三人が揃って黙った。
「じゃあ、あの邪神ともそれくらい長い付き合いなの?」
「生じた時期はかなり近いからね」
「一億年以上あいつに付き合ってるのか……」
セレイスが妙に達観している理由が、少し分かった気がした。
「上司の勤続年数一億年越えって、神様の職場やばくない?」
「上司ではないんだけれどね」
セレイスから冷静に訂正された。
本人があまりにも気にしていない。ひとまず裂け目を閉じ、セレイスには空いていた椅子へ座ってもらう。俺も再びソファへ腰を下ろすと、父さんが改めてセレイスへ向き直った。
「悠真から、地球が危険な状態にあると聞きました」
「うん。その認識で間違いないよ。ただ、今すぐ破局的な現象が起こる段階ではないし、対処する時間も手段も残っている」
「……本当に、間に合うんですか」
「少なくとも、私は不可能だとは考えていないよ。今は悠真と一緒に、地球に蓄積した負荷を人類自身が対処できる形へ変える方法を検討している」
母さんはまだ不安そうだったが、セレイス本人からそう聞けたことで、僅かに肩の力が抜けたようだった。
「それで、ちょうどそのことなんだけれど」
セレイスが俺へ顔を向ける。
「対策そのものと並行して、人類への告知方法もそろそろ固めた方がいいと思う」
「ああ……それな」
避けては通れない問題だった。
一年後に地球へ大きな変化が起こるのなら、何も知らせず当日を迎えるわけにはいかない。最初に何が起きるのかを伝え、その後も継続して必要な知識を教えていく必要がある。
「告知って、どうやるの?」
美羽が尋ねる。
「夢を使う予定」
「夢?」
「俺が一度やった神託を、加護みたいな形で世界そのものに残すらしい。あとは人間が眠った時、その人の夢の中で同じ神託が一度だけ再現される。言葉も、その人が理解できる形に勝手に変わるんだって」
「一度だけ?」
「ああ。同じ神託をもう一回見ようと思って寝直しても駄目らしい。まだ受け取ってない奴なら、昼だろうが夜だろうが、次にちゃんと眠った時に届く」
「世界中に?」
「ああ」
「お兄ちゃんが、その姿で?」
美羽が数秒黙った。それから、ゆっくり俺を上から下まで眺める。
嫌な予感しかしない。
「……何だよ」
「いや」
「何だよ!」
「だって、お兄ちゃんがその姿で世界中の人の夢に出て、『人の子らよ――』とか言うんでしょ?」
「言わねえよ!」
「でも女神様なんでしょ?」
「女神だけど!」
とうとう耐えきれず笑い始めた美羽を睨みつける。だが、腹立たしいことに問題そのものは美羽の言う通りだった。
「そもそも俺、そんな女神みたいな喋り方できないぞ」
「やればいいじゃん」
「できるなら苦労しねえよ。普段のまま世界中の人間に『一年後、この世界で大変なことが起きます。今から準備してください』なんて言って、神様だって信じてもらえると思うか?」
「そのままの方がお兄ちゃんらしいけど」
「世界規模の神託で俺らしさはいらないんだよ!」
俺が本当に高瀬悠真なのかどうかを証明する場ではない。世界中の人間に、これから伝える内容を本気で受け止めてもらわなければならないのだ。
さすがに、もう少し説得力のある見せ方を覚える必要がある。そこでセレイスが、ごく普通のことを言うように口を開いた。
「それなら、専門家に習えばいいんじゃないかな」
「専門家?」
「芸能や演劇、表現を専門にしている神はいるよ」
「いるの?」
「神がどれだけいると思っているんだい。人間が何千年も営んできた文化に関係する領域なら、何らかの形で担当している神がいることは珍しくないよ」
言われてみれば、それもそうなのかもしれない。
「演技だけじゃなくて、話し方や立ち方、視線、表情の作り方まで教えてもらえると思う。君の場合は神体だから、人間より身体制御そのものは遥かに簡単だろうしね」
「でも、そんなもの数日習ったくらいでどうにかなるか?」
「数日で足りないなら、もっと長くやればいい」
「いや、一年後まで準備すること他にも山ほどあるだろ」
「地球時間で一年使う必要はないよ」
そこで思い出した。
「……時間密度か」
「そう」
セレイスが頷く。
「神域では、地球との時間の進み方をある程度調整できる。地球側ではほとんど時間を進めず、こちらで長期間訓練することも可能だよ」
「どれくらい?」
「本気でやるなら、神域側で一年ほど確保すれば十分じゃないかな」
「一年!?」
俺より先に美羽が声を上げた。
「お兄ちゃん、女神様になる練習一年もするの!?」
「その言い方やめろ!」
「だってそうじゃん!」
「俺はもう女神なんだよ!」
「じゃあ女神様らしくなる練習?」
「余計悪い!」
笑う美羽を横目に、少し考える。
神域側で一年という数字だけを聞けば長いが、俺にとって二十六年に比べれば大した時間でもない。まして地球ではほとんど時間が進まないのなら、人類の準備期間を削ることにもならなかった。
「一年も専門の神から習えば、人間には演技だと分からないくらいになる?」
「その神次第だけれど、まず問題ないと思うよ。むしろ君の場合、外見と神としての存在感は最初から揃っている。足りないのは、それをどう見せるかという技術だけだから」
「……やるしかないか」
「頑張ってね、女神様」
「お前、後で覚えてろよ」
美羽へそう返してから、ふと別の問題に気づいた。
「そういえばさ。神託する時、俺って何て名乗ればいいんだ?」
「高瀬悠真でいいんじゃない?」
「だよな」
そう返すと、美羽が俺の姿を上から下まで見て、微妙な顔をした。
「その姿で世界中の人の夢に出て、『初めまして、高瀬悠真です』って言うの?」
「俺の名前なんだからいいだろ」
「絶対そこに引っかかる人いるって」
「……まあ、余計な疑問は増やしたくないか」
「別に本名を捨てる必要はないよ」
セレイスが口を挟む。
「神は、個人としての名と公に活動する時の呼称を使い分けることもある」
「仕事用の名前みたいなものか」
それなら抵抗はなかった。俺が高瀬悠真であることには何も変わらない。
「じゃあ、それも後で決めるか」
「私も考える!」
「嫌な予感しかしないんだけど」
ひとまず名前については後回しにし、先に女神らしい振る舞いをどうにかすることになった。
◇ ◇ ◇
セレイスに連れられて再び神域へ戻り、紹介されたのは芸能や演劇、表現に関わる領域を長く担当している神だった。
人間の芸能人を想像していた俺としては、もう少し派手な相手を予想していたのだが、実際に現れた神は驚くほど普通の姿をしていた。もっとも、口を開いた瞬間にその印象は消えた。
「素材そのものは申し分ないね」
初対面で全身を眺められ、最初に言われたのがそれだった。
「素材?」
「容姿、声、身体能力、それに神として人間へ与える印象。これ以上用意する必要がないくらい揃っている。ただし――」
そこで一度言葉を切り、今度は俺の立ち方をじっと見られる。
「見せ方が致命的に素人だ」
「悪かったな」
「だから私が呼ばれたんだろう?」
「……ごもっともで」
それから、神域の時間密度が変えられた。地球ではほとんど時間を進めないまま、俺だけが長い時間を過ごせるよう調整され、そこから先はひたすら訓練になった。
立ち方や歩き方から始まり、視線の向け方、声の高さと響かせ方、言葉と言葉の間の取り方まで一つずつ修正されていく。安心させる柔らかさと、軽く見られない威厳をどう両立するのか。大勢へ向けて話す時と、一人へ語りかける時では何を変えるのか。相手を威圧せず、それでも自然と耳を傾けさせるにはどう見せればいいのか。
最初の頃は、何をやっても直された。
『今の視線は相手を見下している』
『女神なんだから多少は上からになるだろ』
『威厳と傲慢は別物だ』
『難しいな……』
『もう一度』
そんなやり取りを何度繰り返したか分からない。
ただ、神体というものは、こういう時だけ反則じみて便利だった。一度正確に覚えた動きはほとんど狂わず、人間だった頃なら長期間の反復が必要だった細かな姿勢や呼吸、表情の制御まで、意識すれば驚くほど正確に再現できる。
声についても同じだった。普段の俺の喋り方とはまったく違う、柔らかく落ち着いた女性の声。その中へ不自然にならない程度の威厳を混ぜ、聞いた人間が「逆らえない」と感じるのではなく、「この相手の話なら聞いてみよう」と思えるところを探していく。
後半になる頃には神託本番を想定した練習が中心になり、立つ位置や神衣の見え方、銀白色の髪をどう流すか、顔をどの角度へ向け、最初の一言を発するまでどれだけ間を取るのかといった細部まで叩き込まれた。
そうして神域時間でおよそ一年が経った頃、ようやく指導していた神から合格をもらった。
「十分だろう。少なくとも、人間が君を見て『演技している』と気づくことはまずない」
「一年やったんだから、そうであってほしいよ……」
「一年で済んだことを喜びなさい。人間ならもっとかかる」
「神体様々だな」
そんな感想しか出てこなかった。
◇ ◇ ◇
地球へ戻ってみれば、こちらではほとんど時間が経っていない。
俺の感覚では一年もの間、毎日のように女神らしい立ち方だの喋り方だのを叩き込まれていたのに、家族からすればセレイスと一緒に神域へ戻ってから大して待っていないことになる。
居間へ戻ると、美羽が真っ先にこちらを見た。
「あれ、もう終わったの?」
「ああ。俺の主観時間で一年は経ってるはず」
「……本当に一年練習してきたの?」
美羽は半信半疑らしく俺をじっと見ている。
「やってみて」
「嫌だ」
「何で!」
「お前に練習成果見せるために一年やったんじゃない!」
何より、家族の前で本気の女神演技をするのが死ぬほど恥ずかしい。
世界中の知らない人間を相手にするなら仕事だと割り切れる。だが、その演技が全部作ったものだと知っている父さんや母さん、まして美羽の目の前で披露するのは、まったく別の話だった。
「絶対神託見るからね」
「……対象から外そうかな」
「駄目! 家族だけ見られないとかおかしいでしょ!」
「何でお前が決めるんだよ。世界中の知らない人に見られるのと、家族に見られるのは違うんだよ!」
この問題について、妹と分かり合える日は来ない気がする。そして、まだ決めなければならないことが一つ残っていた。
「じゃあ今度こそ名前決めよう。待ってる間に、さっきの続きちょっと考えてたんだ」
美羽がそう言いながら、テーブルの上に一枚の紙を広げた。見ると、そこには名前らしい単語がいくつも書き込まれている。
「……何でそんなにやる気なんだよ」
「まさか一年も女神様の練習してきて、今さら『高瀬悠真です』で始める気じゃないよね?」
「…………」
「ほら」
「いや、だからってこの短時間で何個考えてるんだよ」
「待ってるだけ暇だったし」
「こっちは一年間みっちり訓練してたんだけどな……」
時間の流れが違うせいとはいえ、何とも理不尽な気分になる。
「まあいい。見せて」
「はい」
仕方なく紙を受け取り、美羽が考えていた候補を一つずつ確認していくことになった。
案の大半は美羽が考えたものだったが、当然ながら俺が即座に却下するものも多い。そこへ母さんは響きが柔らかく、聞いた人間が安心できそうな名前を好み、父さんは世界中で発音しやすいかどうかという妙に実用的な観点から意見を出す。
セレイスは候補そのものにはほとんど口を挟まず、他の神が同じ呼称を公的に使っていないかだけを確認していた。
途中から、完全に家族会議になっていた。それでも、不思議と嫌ではなかった。
二十六年前なら、家族全員で俺の名前を考える機会などなかったはずだ。俺が生まれる前、父さんと母さんが「悠真」という名前を決めた時には、当然ながら俺自身はそこにいない。
今度は違う。
父さんと母さんと美羽がいて、俺自身もそこにいる。
高瀬悠真という名前を捨てるわけではない。これはあくまで、地球の人類へ神として名乗るためのもう一つの名前だ。
それでも、自分の新しい名前を家族と一緒に考えているという状況は、何とも妙な気分だった。
「これ、結構よくない?」
何度目か分からない候補を美羽が口にする。
「…………」
今までならすぐに何かしら文句をつけていた俺が黙ったので、美羽が少しだけ目を見開いた。
「え。もしかして気に入った?」
「……悪くはない」
「おお」
母さんもその名前を小さく繰り返し、父さんは少し考えてから頷く。最後にセレイスへ視線を向けると、セレイスも問題ないと答えた。
「同じ呼称を公的に使っている神はいないよ。意味としても、君には合っていると思う」
「じゃあ……これでいいか」
「決まり?」
「ああ」
美羽が嬉しそうに笑った。
「じゃあ次に世界中へ名乗る時は、それなんだ」
「そうなるな」
「楽しみ」
「俺は全然楽しみじゃない」
「一年練習したくせに」
「一年練習したから余計に緊張するんだよ」
そう言い返しながら、美羽の書いた紙へ目を落とす。そこには、高瀬悠真ではない、もう一つの名前が記されていた。
人間だった俺が捨てた名前ではない。高瀬悠真という人間が、地球の神として世界中へ立つために選んだ名前。
その名を最初に口にする場所だけは、もう決めている。世界中の人間へ、初めて神託を届ける時だ。