TS女神の地球救済政策 ~26年かけて異世界を救った元勇者、絶世の女神になって帰還したら地球が滅びかけていたので、ダンジョン災害で救います~ 作:TS女神
次話以降との時系列を合わせるための調整で、展開自体はほぼ変わりません。
すでに読んでいただいた方は、そのまま16話へ進んでいただいて大丈夫です。
【Side:内閣総理大臣 久世隆一】
「海外からの報告は?」
「現時点で確認できている限り、主要国を含むほぼすべての地域から同様の報告が上がっています」
「内容の差異は」
「翻訳上の表現に多少の違いはありますが、意味するところは一致しています。女神を名乗る女性の外見、ルミエラという名、地球の担当神を名乗ったこと、異世界からの魔力流入、一年後のダンジョン発生。そのすべてです」
「……そうか」
短く答え、久世隆一は机の上に並べられた資料へ視線を落とした。
内閣総理大臣となってから、想定外の報告というものには何度も接してきた。自然災害や国際情勢、経済問題、大規模事故。総理という立場にいれば、普通に生活しているだけでは一生聞くこともないような話が、毎日のように机へ運ばれてくる。
それでも今日ばかりは、どう受け止めるべきなのか判断に困っていた。
世界各地の人間が、同じ夢を見た。
それも、ただ似た内容の夢を見たという程度ではない。夢の中で見た場所、銀白色の長い髪を持つ女性、澄んだ蒼い瞳、身につけていた衣装、近づこうとすると遮られる透明な壁、そして、そこで語られた言葉。
多少の記憶違いを除けば、それらが世界規模でほぼ一致しているのだ。
「夢を見た人数の推計は?」
「正確な数字を出すのは不可能です。ただ、昨夜から今朝にかけて睡眠を取った人口の相当数が対象となっている可能性が高いかと」
「見ていない者もいるんだろう?」
「はい。夜勤などで一睡もしていない者からは、現時点では体験報告がほとんど出ていません。逆に、その後仮眠を取った者が同様の夢を見たという報告が増えています」
会議室の空気が僅かに重くなる。
偶然や集団心理、大規模な情報操作、新種の感染症による幻覚、未知の電磁波。考えられる可能性は朝からいくつも検討されてきたが、どれも現時点では、世界中の人間へ同じ内容の夢を見せるという現象を説明できていない。
「映像や音声として記録された例は?」
「ありません。睡眠中の脳活動には変化が見られる事例もありますが、それだけです。夢そのものを外部から記録する手段はありませんので」
「つまり、今のところ客観的に残っているのは、人間の証言だけか」
「はい。ただし、その証言の一致率が異常です」
別の担当者が差し出した資料には、国内外で収集された証言の比較がまとめられていた。
ルミエラ。地球担当神。異世界。魔力。一年後。そして、ダンジョン。どの国の報告を見ても、同じ意味に相当する言葉が並んでいる。
「総理ご自身も……」
「ああ」
久世は資料から目を上げた。
「私も見た」
会議室にいる者の多くも同じだった。官房長官も、危機管理を担当する者も、省庁から集められた幹部の中にも、昨夜あの白い空間へ立った者が何人もいる。
もちろん、それだけで夢の中の女性が本当に神である証明にはならないと、久世自身も考えていた。
世界中の人間へ同じ夢を見せる何かが存在している。そこまでは、もはや否定する方が難しい。しかし、『私は神です』と名乗ったからといって、その存在を本当に神だと認めるのはまったく別の問題だった。
「一年後のダンジョンについては?」
「現時点では確認する手段がありません」
「魔力は?」
「少なくとも既存の科学で『魔力』と断定できるものは確認されていません。ただ――」
「ただ?」
「昨日以前から観測されていた、原因不明の微細な測定値の変動について、改めて洗い直している研究機関があります」
久世の眉が僅かに動いた。
「夢を見る以前から?」
「はい。ただし、それが今回の件と関係しているという根拠はまだありません」
「分かった。結論を急ぐな。関係があると決めつけるのも、無関係だと切り捨てるのも早い」
「承知しました」
今必要なのは、信じることでも否定することでもない。まずは調べることだ。相手が本当に神なのか。一年後にダンジョンが現れるのか。異世界や魔力が本当に存在するのか。
現時点では何一つ証明できないが、世界規模で同じ夢を見せた存在を無視するという選択肢もなかった。
「それと」
久世は資料を閉じた。
「あの女性は、今後も必要な情報を伝えると言っていたな」
「はい」
「今夜も来ると思うか?」
すぐに答える者はいなかった。当然だ。そんなことは、今の人類には誰にも分からない。
「……来れば、少なくとも継続的な意思を持った現象だという可能性は高まります」
やがて一人が慎重に答える。
「来なければ?」
「現時点では何とも」
「そうなるな」
久世は小さく息を吐いた。
夢の中で神を名乗る女性から『またお会いしましょう』などと言われた翌日に、総理官邸で本当に次の夢を待つことになるとは思わなかった。
これを数日前の自分へ話しても、まず信じないだろう。
「各国との情報共有は続けてくれ。特に今夜、二度目の夢が確認された場合は、内容の照合を最優先で」
「はい」
「国内についても同じだ。SNS上の噂だけで判断するな。省庁、研究機関、自治体から可能な範囲で情報を集める。ただし――」
久世はそこで一度言葉を区切った。
「現段階で政府が『神の存在を確認した』などという発表はするな」
当然のことだった。
現時点で確認できているのは、正体不明の存在が自ら神を名乗っているという事実だけ。それ以上でも、それ以下でもない。
「一方で、悪質なデマや便乗した詐欺が出る可能性は高い。そちらへの注意喚起は進めてくれ」
すでに「ルミエラから啓示を受けた」と称する者や、「ダンジョン対策用品」を名乗る商品まで現れ始めているという。
人間の適応が早いのか、それとも商魂が逞しいというべきなのか。こんな時でも、社会は社会らしく動いている。
そうして一日中続いた対応が一段落し、会議が終わった頃には、夜もかなり遅くなっていた。
◇ ◇ ◇
その日、久世がようやく横になれたのは日付が変わってからだった。
本来ならもっと早く休むつもりだったが、各国から届く情報や国内での対応方針を確認しているうちに、すっかり遅くなってしまったのだ。
ベッドへ入ってからも、すぐには眠れなかった。眠れば、また来るのだろうか。昨夜と同じ場所へ。あの女神を名乗る存在の前へ。
「……こんなことで眠るのを意識する日が来るとはな」
小さく呟き、目を閉じる。
もし二度目が来るなら、聞きたいことはいくらでもあった。ダンジョンはどこに発生するのか。何か月後から兆候が出るのか。政府は何を準備すればいいのか。国民をどう守ればいいのか。そして何より、彼女は本当に何者なのか。
だが、昨夜の経験から考えれば、いくら質問しても返事はないのだろう。
あれは会話ではない。こちらが自由に動き、話せるというだけで、ルミエラ自身は世界中へ向けて同じ言葉を届けている。
そんなことを考えているうちに、やがて疲労の方が勝り、久世の意識はゆっくりと眠りへ沈んでいった。
◇ ◇ ◇
「…………」
目を開けた瞬間、久世は小さく息を吐いた。
白い床に蒼白い空。遥か遠くには巨大な柱が並び、そのさらに向こうには雲海が広がっている。
すべて、昨夜と同じだった。
「……本当に来たか」
驚きよりも先に浮かんだのは、やはり確認できたという感覚だった。
少なくとも、昨日一度きりの偶発的な現象ではない。予告された通り、二度目が来た。
そして正面には、すでに見覚えのある女性が立っている。銀白色の長い髪に、白と銀を基調とした神衣。昨日と寸分違わないように見える、美しい姿だった。
「ルミエラ……」
久世がその名を口にして間もなく、閉じられていた瞼がゆっくりと開き、澄み切った蒼い瞳が姿を現した。
その瞬間、昨夜と同じように、空間全体の中心が彼女へ定まったように感じられる。
「皆さん、再びお会いしましたね」
柔らかな声が響いた。
「前回に続き、今回もお時間をいただきます」
久世は黙ったまま正面を見つめる。やはり、こちらの反応に合わせて話している様子はない。
「前回は、現在の地球で起きている変化と、およそ一年後に発生するダンジョンについてお話ししました」
そこでルミエラが僅かに表情を引き締める。
「今回は、そのダンジョンについて、もう少し詳しくお伝えします」
「……来たな」
久世は無意識に呟いていた。
昨夜、政府が最も知りたかったことの一つだ。
「ダンジョン内部には、異世界で『魔物』と呼ばれている危険な生物が発生します」
「魔物……」
嫌な単語だった。ダンジョンという時点で十分に現実離れしているというのに、そこへさらに魔物まで加わった。
「魔物の中には、人間に対して強い攻撃性を示すものも存在します。十分な知識や準備のない状態で接触すれば、怪我をするだけでなく、命を落とす可能性もあります」
夢の中であるにもかかわらず、久世の身体へ僅かに緊張が走った。
つまり、一年後に現れるというダンジョンは、単に不思議な空間が発生するというだけではない。その内部には、人間を殺し得る生物まで存在することになる。
「侵入を禁止すれば済む話なのか……?」
当然ながら返事はない。
だがルミエラは、まるで世界中の人間が同じ疑問を抱くことを見越していたかのように、そのまま言葉を続けた。
「ですが、今この話を聞いた皆さんが、ただ恐れるだけで一年を過ごす必要はありません」
蒼い瞳が穏やかに細められる。
「ダンジョンが発生するまでの一年間で、私はこの星に生きる皆さんへ、ダンジョンや魔物から身を守るために必要な知識と
「……知識と
久世の眉が動いた。
知識だけではなく、術。その言葉が具体的に何を意味するのか。
「それは、具体的に何を――」
問いかけても、やはり返事はない。ルミエラは今日の神託で伝えると決めた内容だけを、変わらず穏やかに話していく。
「その方法については、今後の神託で順番にお伝えします。すべてを一度に覚える必要はありません。一年という時間を使い、少しずつ準備していきましょう」
命令ではなく、急かすような口調でもない。
それでも、一年後に人を襲う可能性のある魔物が現れると告げられた以上、政府として聞き流せる話でもなかった。
そしてルミエラは、そこで一度小さく間を置いた。
「もう一つ、これから一年の間に起こる可能性がある変化についてお伝えしておきます」
久世の意識がさらに集中する。
「ダンジョンが発生するまでの間、地球の魔力環境は徐々に変化していきます」
昨日も出てきた『魔力』という言葉だが、いまだに人類側では、その存在すら確認できていない未知の力だった。
「その影響によって、一時的に地震や異常気象などが増える可能性があります」
「何……?」
久世の表情が変わった。
これは昨日までの話とは意味が違う。
一年後に起きる出来事ではなく、これから一年の間に現実の地球で起こる可能性がある現象について、初めて具体的に言及したのだ。
「規模は? 場所は? いつからだ?」
思わず一歩前へ出る。だが、数メートル先で見えない壁に遮られた。
「っ……!」
昨夜と同じだ。
押してみても、それ以上先へは進めない。
「可能な限り大きな被害へ繋がらないよう、私の方でも抑えていきます」
ルミエラの声だけが、静かな空間へ響いていく。
「ただ、すべてを完全に防げるとは限りません。これまで通り、防災への備えは続けてください」
「……完全には、防げない」
久世はその言葉を胸の中で反芻した。
少なくとも、『私がすべて防ぎます』とは言わなかった。何でもできる存在を装うつもりはないのだろう。
「地震や異常気象が増える可能性があるからといって、過度に恐れる必要はありません。必要な情報がある場合には、今後の神託でもお伝えします」
そこでルミエラの表情が少しだけ柔らかくなる。
「今回、覚えておいていただきたいことは二つです」
一本目の指が僅かに上がった。
「ダンジョンには、魔物と呼ばれる危険な生物が発生すること」
続いて二本目。
「そして、その危険から身を守るための方法を、これから一年をかけてお伝えしていくことです」
久世は黙ったまま、その姿を見つめていた。
昨日よりも情報は具体的になったが、それによって、人類がこれから直面するものもまた、より現実的な危険として輪郭を持ち始めている。
「次回からは、そのために必要となる力について、少しずつお話ししていきます」
「必要となる力……?」
また、気になる言葉だけを残す。しかしルミエラは、それ以上説明するつもりはないらしい。
「それでは、今回はここまでです」
銀白色の髪が緩やかに揺れる。
「またお会いしましょう」
「待ってくれ!」
久世は反射的に声を上げた。
「地震について、もう少し具体的な――」
最後まで言い切る前に、周囲が白い光へ包まれた。
「……っ!」
伸ばした手の先でルミエラの姿が薄れ、白い床も、蒼白い空も、遠くに並んでいた柱も、すべてが光の中へ溶けていく。
◇ ◇ ◇
久世は目を開けた。
一瞬だけ、自分がどこにいるのか分からなかったが、視界へ飛び込んできた薄暗い寝室を認識すると、すぐに身体を起こして枕元の時計へ目を向ける。
「……二度目だ」
夢の内容は、昨日と同じようにはっきりと記憶へ残っていた。魔物と呼ばれる、人間へ攻撃性を持つ存在。身を守るための知識と術。
そして――。
「地震と異常気象……」
そこまで呟いた時、枕元に置いていた端末が震えた。
時刻を確認すると深夜だった。こんな時間に連絡が来る理由など、一つしか思いつかない。画面に表示された相手を確認し、すぐに通話を繋ぐ。
「私だ」
『総理』
聞き慣れた声が、普段より僅かに硬い。
『二度目の神託が確認されました』
「……ああ」
久世はベッドから降りた。
「私も見た」
電話の向こうで、一瞬だけ沈黙があった。
『内容は』
「魔物。一年間の準備。そして、これから地震や異常気象が増える可能性がある」
『こちらでも同様です』
「海外は?」
『すでに複数の国から第一報が入っています。現時点では、内容に大きな差異は確認されていません』
「分かった」
昨日なら、まだ一度だけの異常な夢として、原因不明の現象や説明できない集団体験と呼ぶ余地もあっただろう。だが二度目が、予告された通りに来た。しかも、世界規模で。
「関係者を集めてくれ」
『今からですか?』
「今からだ」
久世は迷わず答えた。
「昨日とは状況が変わった」
二度目の神託が来たことで、もはや昨日と同じ扱いを続けるわけにはいかない。
しかも今回は、一年後の話だけではなく、これから現実の地球で起こる可能性がある現象にまで言及されている。
もし本当に地震や異常気象が増え始めるのなら、それは夢の中でしか存在していなかったルミエラの言葉が、初めて現実世界と直接繋がることになる。
「それと、気象庁を含め関係機関へ確認を。直近の地震活動と気象データを洗い直してくれ」
『承知しました』
「ただし、まだルミエラの言葉と結びつけるな。先入観なしで数字を見ろ」
『はい』
通話を切った久世は、しばらく暗い室内に立ったまま動かなかった。
世界中の人間へ、同じ夢を二度。
一年後にはダンジョンが発生し、その内部には魔物が現れる。そして、その脅威へ対抗するための「術」を、ルミエラは人類へ教えるという。
「……本当に、世界が変わるのか」
昨日なら、そんな言葉を口にすることすら馬鹿らしいと思っていたかもしれない。だが、今はもう笑う気にはなれなかった。
久世は上着へ手を伸ばす。
少なくとも政府としては、もう「奇妙な夢だった」で済ませることはできない。二度目の神託は、確かに届いたのだから。