TS女神の地球救済政策 ~26年かけて異世界を救った元勇者、絶世の女神になって帰還したら地球が滅びかけていたので、ダンジョン災害で救います~ 作:TS女神
「…………どうしよう」
先ほどまで邪神がいた場所をしばらく睨み続けてみたものの、当然ながら光になって消えた相手が戻ってくる気配はなかった。
説明してから消えろと怒鳴ってみても返事はない。そもそも考えてみれば、あいつがこちらの都合を考えて行動したことなど、初めて出会ってから一度としてなかった気がする。
世界を救ってみないかと持ちかけてきたくせに、俺が断れば返事を無視して異世界へ放り込み、ようやく再会したと思ったら、地球へ帰せという要求まで無視して戦いを始めた。そして俺が勝ったら勝ったで、今度は勝手に自分の半分とやらを押しつけ、そのまま満足そうに消えていった。
その結果が、これである。
「…………」
改めて自分の身体へ視線を落とすと、まず嫌でも目に入るものがあった。
胸がある。
いや、あるどころではない。立っているだけでも今まで存在しなかった重量がはっきりと胸元へかかっていて、少し身体を動かすだけで、遅れて揺れる感覚まで伝わってくる。
「重い……」
思わず両手で支えそうになり、途中で我に返って手を止めた。
自分の身体なのだから、別に誰へ遠慮する必要もないはずだ。それでも、ついさっきまで男として生きていた身としては、さすがに精神的な抵抗がある。
しかも、変わってしまったのは胸だけではなかった。
「髪も邪魔だな、これ……」
軽く振り向いただけで、銀白色の長い髪が少し遅れて背中を流れた。身体を屈めれば肩から前へ落ちてきて、首を動かせば頬にも触れる。戦場で邪魔になるからと髪を短く保ってきた俺にとって、腰より遥か下まで届く長さなど完全に未知の領域だった。
試しに片手でまとめて背中へ払ってみると、驚くほど滑らかな髪がさらりと指の間を抜けていく。
「……いや、そうじゃない」
今は髪質を確かめている場合ではない。もっと根本的な問題が、考え始めればいくらでも出てくる。
まず確認したいのは、俺が本当に神になったのかどうかだ。
あの邪神は最後に俺を『女神ちゃん』と呼んでいたし、人間だった頃とは明らかに異なる何かが身体の奥に存在していることくらいは、知識のない俺にも分かる。今までの俺が持っていた魔力とは、比較すること自体が馬鹿らしくなるほど巨大な何かが身体の奥に鎮座していた。
『神力も、神格も。半分あげる』
邪神は確かにそう言っていた。
神力については、まあ名前から何となく想像できる。神が使う力なのだろう。それでは神格とは何なのか。半分受け取ったらどうなるのか。そもそも神という存在は、人間と具体的に何が違うのか。
寿命はあるのか。飯は食うのか。眠る必要はあるのか。怪我はするのか。この身体は人間と同じ仕組みなのか、それとも見た目だけ人間に近い別の何かなのか。
「聞きたいことが多すぎるんだよ……」
そして、そのあたりを一番詳しく知っていそうな奴は誰かと考えれば、間違いなく先ほどまでここにいた邪神だった。問題は、その邪神を倒したのが俺自身だということである。
「…………」
自分で倒しておいて言うのも何だが、せめて説明を聞いてから倒した方がよかったのではないだろうか。そう考えたところで、すぐに首を振った。
「……いや、無理だろ」
あの時の俺にそんな余裕があるはずもなかったし、そもそも向こうから無理やり戦いを始めたのであって、こちらは最後まで地球へ帰せと言い続けていた。
「そうだよ。俺は悪くないだろ」
誰に対して弁明しているのか、自分でも分からない。
小さく息を吐きながら顔を上げ、そこでようやく、身体のことばかり気にして一時的に忘れていた周囲の惨状が目に入った。
「……酷いな」
見渡す限り、まともな地形と呼べるものがほとんど残っていなかった。
地面には何本もの巨大な亀裂が走り、ところどころが深く抉れ、さらに遠くでは地表そのものが溶けたように黒く変色している。山だったはずの場所が途中からごっそり消失しているのも見えたが、あれについては俺がやったのか邪神が吹き飛ばしたのか、やはり思い出せない。
戦っている最中は、生き残ることだけで精一杯だった。
一度攻撃を防ぐたびに景色が変わり、こちらが剣を振るえば地平線の向こうまで大地が割れ、邪神が何気なく振った腕の余波だけで山肌が削れた。途中からは別の場所へ移動していたどころか、本当に最後まで同じ世界で戦っていたのかすら怪しい。
今いる場所が、二十六年間暮らしてきたあの世界であることだけは、慣れ親しんだ魔力の感触から何となく分かる。とはいえ、世界のどこなのかまでは見当もつかなかった。
「……というか」
そこまで考えて、ようやく別の不安が胸の奥から浮かび上がってきた。
「みんな、無事だよな?」
邪神と再会したのは、魔王を倒してから数日後だった。少なくとも、あの戦いが始まるまではそれくらいしか経っていない。
戦争は終わった。仲間たちの中には重傷を負った者もいたが、魔王城で最後まで一緒に戦った連中は、全員生きていたはずだ。
そこまでは覚えている。問題は、その後だった。
邪神との戦いが始まってから、自分がどこをどう移動したのかほとんど覚えていない。戦いの途中で明らかに違う場所へ飛ばされたことは何度もあったが、その余波が元の世界へどこまで及んでいたのかとなると自信がなかった。
何より、どれだけ時間が経ったのかすら分からない。
俺の感覚では、数日程度で終わった戦いではなかった。数ヶ月だったと言われても納得するし、下手をすれば何年にも等しい時間を戦っていたと言われても否定できない。
「まさか、何十年とか経ってないだろうな……」
冗談のつもりで口にしたのに、まったく笑えなかった。相手は神だ。戦っていた場所も時間も滅茶苦茶だった以上、何が起きていてもおかしくない。
そう考えた途端、今まで身体の変化に向いていた意識が一気に仲間たちへ移り、すぐにでも人類圏へ戻らなければという焦りが湧いてきた。
魔王を倒したからといって、それですべてが解決したわけではない。
魔王軍の残党もいるだろうし、二十六年かけて取り戻した領土を安定させるには、これからさらに何年もかかる。戦争中には後回しにするしかなかった問題も、それこそ山ほど残っている。
俺自身、この世界を救ったから今日で全部終わり、あとは知らないと消えるつもりだったわけでもない。
地球へ帰りたいという気持ちは、二十六年間ずっと変わらなかった。それでも同じだけの年月を共に生き、戦ってきた仲間たちがどうなったのかを気にせず帰れるほど、この世界はもう俺にとって他人事ではなかった。
「戻るか」
結局、今できることはそれしかない。
この身体がどうなったのかは後から調べればいい。邪神が消えてしまった以上、ここに一人で突っ立っていても何も分からないのだから、まずは人のいるところへ戻ろう。
そう決めて一歩踏み出した瞬間、身体が思っていたよりも大きく前へ流れた。
「うおっ……!」
危うくつんのめりそうになり、咄嗟に踏ん張る。転びこそしなかったものの、今までなら絶対に崩さなかった程度の重心移動で、身体が妙に振られてしまった。
「そうだった……身体、違うんだった……」
違うのは胸だけではない。腰の位置も違えば、脚の感覚も以前とは違う。肩幅は狭く、手足も明らかに細くなっているというのに、身体能力そのものは落ちるどころか、人間だった頃より遥かに高くなっているらしい。
二十六年間、剣士として磨き続けてきた身体感覚が根本から狂っているのだから、まともに動けないのも当然だった。
今度は意識して重心を確かめながら歩いてみる。普段より少し小さめに歩幅を取り、何歩か進んだところまでは問題なかったのだが、慣れたつもりで歩幅を広げた途端、また胸元の重量が遅れて揺れた。
「…………」
反射的に足を止め、視線を落とす。分かっていたことではあるが、改めて見るとやはり大きい。
「何でこんなにしたんだよ……」
邪神へ文句を言いたくなるが、その邪神はもういない。しかも消える直前には、
『君、そういう子がタイプなんだ』
などという意味不明なことまで言い残していた。
「……何だったんだ、あれ」
俺がこの姿を選んだとでも言いたいのだろうか。
そんなわけがない。
俺は男だったし、女になりたいと思ったことなど一度もない。銀白の髪を腰より長く伸ばしたいと思った覚えもなければ、こんな身体になりたいと願った覚えなど当然なかった。
それなのに、なぜあいつは俺の姿を見て『そういう子がタイプ』などと言ったのか。いくら考えてみても答えは出ず、結局、邪神絡みの疑問がまた一つ増えただけだった。
「……あと、これも何なんだよ」
今度は制服の裾を摘まむ。高校時代に見慣れていたものと、どこかよく似た意匠だった。だが当然、俺が着ていた男子制服ではない。どう見ても女子用である。
神になるとなぜ服装まで勝手に変わるのかも分からないが、よりによって女子制服なのはさらに意味が分からない。
俺はこの世界で二十六年生きた。
鎧も着たし、旅装も着た。貴族に呼ばれた時には礼服を着せられたことだってある。それなのに、神になった瞬間の姿として選ばれたのが、なぜ二十六年以上も前の高校時代なのか。
「せめて鎧にしてくれよ……」
そう呟いたところで、この格好のまま人類圏へ戻る自分の姿を想像してしまった。
銀白色の長い髪に、見たこともない女の顔。そして女子制服。しかも自分で言うのもおかしいが、今の身体は人間として自然な範囲を明らかに越えて整っている。
「…………誰だよ」
仲間たちの前へ行って、『俺だ』と言う。
信じてもらえるだろうか。
「俺だ」
試しに口にしてみると、高く澄んだ女の声が荒野へ響いた。
「……絶対信じてもらえないだろ、これ」
少なくとも、今の自分が同じことを言われたら疑う。
長い付き合いの仲間なら、話し方や共有している記憶から最終的には納得してくれるかもしれない。だが、初対面の兵士や門番に「俺は勇者だ」と名乗ったところで、頭のおかしい女が現れたと思われるのがせいぜいだろう。
それどころか、勇者が邪神との戦いから帰ってこない状況で、突然見知らぬ女が現れて本人を名乗れば、敵の変身や精神操作を疑われても仕方がない。
「……剣があれば多少は証明になるか?」
周囲を探してみると、少し離れた場所に見覚えのある剣が突き刺さっていた。
邪神との戦いで何度壊れかけたか分からない愛剣は、刀身のあちこちが欠け、もはや名剣と呼ぶには痛々しい姿になっている。それでも二十年以上使い続けてきた、間違いなく俺自身の剣だった。
近づいて柄を握り、そのまま地面から引き抜いた瞬間、あまりの手応えのなさに思わず目を瞬く。
「軽っ」
長年使い続けてきた以上、重さも重心も手に染みついている。それなのに今は、木の枝でも持ち上げたような感覚しかなかった。
試しに軽く振ってみようとして、直前で動きを止める。周囲には、抉れた大地と消し飛んだ山が広がっていた。
「……やめとこう」
今の自分がどれほどの力を持っているのか、まったく分からない。邪神から半分とやらを押しつけられた以上、人間だった頃と同じ感覚で剣を振るうのは危険な気がする。
それは魔法についても同じだったが、自分の現在地くらいは調べなければどうにもならない。
人間だった頃なら、探索魔法を使えば数十キロ程度まで周囲の魔力反応や地形を把握できた。そこから街道か領域核を見つければ、人類圏までの方角も判断できるはずだ。
「……少しだけなら、大丈夫だよな」
念のため、人間だった頃なら訓練を始めたばかりの子供でも扱える程度の魔力だけを使うつもりで術式を組み、慎重に目を閉じて意識を周囲へ広げた。
「――っ!?」
次の瞬間、慌てて術式を切る。
意識を自分の身体へ戻した俺は、その場でしばらく息を整えた。今の身体に人間と同じ心臓があるのかどうかすら分からないというのに、胸の奥が激しく脈打っているような錯覚がする。
「何だよ、今の……」
数十キロどころではなかった。
地平線の先、そのさらに向こう。山脈も河川も街も、そこに暮らしている無数の生命反応さえ、これまでなら到底届かなかった距離から一瞬にして意識の中へ流れ込んできた。
それだけの範囲を捉えたというのに、限界へ達した感覚はまるでない。むしろ、その気になればさらに広げられる。この世界そのものを、どこまで見渡せるのだろう。
そう考えたところで、ぞくりと背筋が寒くなった。
「……本当に神になってるのか、俺」
その時になって、ようやく少しだけ実感した。
見た目が女になったことの方があまりにも分かりやすかったせいで後回しになっていたが、本当に異常なのはこちらなのだ。
性別が変わった以前に、俺はもう人間ではない。そう意識した瞬間、それまで何とか軽口で誤魔化していた気分が少しだけ沈んだ。
二十六年間、どれだけ強くなっても俺は人間だった。
毒を受ければ苦しんだ。腹を裂かれれば死にかけた。飯を食わなければ腹が減ったし、眠らなければ動きも鈍った。仲間が死ねば悲しかったし、自分自身もいつか死ぬものだと思っていた。
自分が人間ではなくなる日が来るなど、一度だって考えたことはない。
剣を握っている自分の手へ目を落とす。
以前より細くなった白い手には傷一つなく、二十六年間剣を振り続け、どれだけ治療を受けても消えきらなかったはずの傷跡まで、綺麗さっぱりなくなっていた。
「……参ったな」
女になっただけではない。身体そのものが変わり、持っている力まで別物になり、ついには人間ですらなくなったらしい。それでも地球へ帰りたいという目的だけは何も変わっていないのに、いざ地球へ帰れたとして、自分がどう扱われるのかさえ分からなくなっていた。
父さんや母さんの前へ行ったところで、この姿では絶対に分からないだろう。
息子が突然消え、何年経ったのかも分からない。その後になって見知らぬ銀髪の女が現れ、自分こそがその息子ですと言い始める。
「……新手の詐欺だな」
我ながら酷い。
とはいえ、それについて悩むのは、まずこの世界でやるべきことを終えてからだ。
もう一度探索魔法を使う気にはなれなかったので、先ほど一瞬だけ見えた情報を思い返してみる。距離感が滅茶苦茶で正確な場所までは掴めなかったものの、人の集まっている場所はいくつも存在していた。
少なくとも、この世界から人類が消えてしまったわけではない。それだけ分かれば、今は十分だった。
「よし。まずは仲間たちのところへ戻ろう」
それから、この身体について調べればいい。
地球への帰り方も探さなければならない。
邪神は消えてしまったが、この世界には神について研究してきた神官もいる。どこまで役に立つかは分からないものの、一人で荒野に突っ立っているよりは遥かにましだろう。
そこで次の問題に気づいた。
「……どうやって戻る?」
人間だった頃にも短距離転移なら使えた。
ただし今の状態で術式を組み、出力を少し間違えた結果、世界の外へ飛び出しましたでは笑えない。飛行魔法も同じ理由で気軽には使いたくなかったし、だからといって歩いて人類圏まで戻るのも現実的ではない。
「神って、どうやって移動するんだよ……」
当然、誰も答えてくれない。
ここへ来て改めて、説明役になりそうだった相手を自分で倒してしまったことが悔やまれた。
仕方なく、まずは新しい身体へ慣れる意味も兼ねて歩いてみることにし、剣を片手に荒れ果てた大地を進み始める。
しかし、歩けば歩くほど細かい違和感が気になった。長い髪は動くたびに背中や腕へ絡みつくし、胸元には慣れない重量がある。それに女子制服のスカートというものも、これまで着てきた服に比べるとどうにも落ち着かない。
「これで歩いて帰るのか……」
少なくとも、世界を救った勇者が凱旋する姿には見えない。そもそも今の自分を勇者と呼んでいいのか、それすら分からなくなってきた。
そんなことを考えながら十歩ほど進んだところで、身体の奥にある何かが僅かに揺れた。
「――?」
足を止める。
魔力ではない。先ほどから自分の中に存在している、邪神が神力と呼んでいたものが何かへ反応したような感覚だった。反射的に剣を構えた直後、数十メートル先の空間へ細い亀裂が走った。
魔法による転移とは明らかに違う。空間そのものが紙を裂くように開き、その向こうから一人の人物が姿を現した。
少なくとも見た目だけなら、人間と大きく変わらない。身なりは整っているものの、この世界のどの国にも見覚えのない衣服を身につけた人物が、開いた空間からこちら側へ一歩踏み出した。
そして最初に、周囲を見回す。
大地を走る巨大な亀裂や、途中から消失した山。戦いの余波だけで荒野へ変わってしまった景色を順番に確認した後、その視線が最後に俺へ向けられた。
「…………」
「…………」
しばらく無言で目が合った。
すると、相手の顔が明らかに引きつった。何かを確認するように俺の全身へ視線を走らせた後、もう一度周囲の惨状を見回し、再びこちらを見る。その頃には、先ほどまでより露骨に緊張した様子で姿勢を正していた。
何だ。
少なくとも知り合いではない。魔族にも見えないが、人間ともどこか違う。何より、先ほど身体の奥で感じた妙な反応と同じものが、目の前の相手からも伝わってきていた。
邪神と比べれば遥かに小さい。今の自分と比べても、なぜかそれほど大きな存在には感じない。それでも、人間が持つ魔力とは明らかに別の何かを持っていることだけは分かった。
「あの……」
先に口を開いたのは相手だった。
「はい」
つられて返事をすると、口から出た高く澄んだ声にまた少しだけ違和感を覚える。
相手はそんな俺を見ながら何か言おうとして口を開き、しかし迷ったように閉じた後、やがて慎重に尋ねてきた。
「…………どなたでしょうか」
「それ、こっちが聞きたいんだけど」
「……はい?」
「あんたが誰なのかも聞きたいけど、それ以上に、俺が何なのか知ってたら教えてほしい」
「…………俺?」
相手の視線が、再び俺の頭から足元までゆっくりと下りていく。
「そこは今どうでもいいだろ」
「失礼しました」
反射的に謝られた。妙に低姿勢な態度もよく分からない。こちらは警戒して剣まで構えているというのに、相手には戦おうとする様子がなく、むしろ俺を刺激しないよう必要以上に慎重に振る舞っているように見えた。
「あんた、人間じゃないよな?」
「はい。私は神ですが」
「やっぱり神なのか」
「……やっぱり?」
「ちょうどいい。聞きたいことがある」
「私に、ですか?」
「他にいないんだよ」
今だけは、知らない神が突然現れたという状況そのものより、事情を説明してくれそうな相手が現れたことの方がありがたかった。
剣を下ろし、自分の身体を指差す。
「俺、これどうなってる?」
「…………」
「何で黙る」
「申し訳ありません。質問の意味が……」
「少し前まで俺は人間だったんだ。いや、数時間前なのか、それより前なのかも分からないけど、とにかく人間だった。それも男だったんだよ。それで、ここにいた邪神と戦って勝ったら、あいつが自分の神力と神格を半分よこすとか言い出して、気づいたらこうなってた」
説明し終えた瞬間、相手の顔から表情が消えた。
「……おい?」
「少々お待ちください」
「待つけど」
「今、何と?」
「だから、邪神と戦って――」
「勝った?」
「ああ」
「貴女の言葉を信じるなら、人間の身で?」
「そうだけど」
今度こそ、相手は完全に絶句した。
何だ、その反応は。
邪神本人も百万回に一回くらいなどと言っていたので、珍しいことなのだろうとは思う。それでも神を名乗るのであれば、もう少し落ち着いてほしい。
少なくとも、俺よりは事情を知っている側のはずだ。
「それで、あいつがどこへ行ったか分かるか? 最後は光になって消えたんだけど」
「光に……」
相手は恐る恐る周囲へ意識を向けるような仕草を見せ、何かを探るように目を細めた。数秒後、その顔がさらに強張る。
「神格の残滓は確かにあります。ですが、この損傷……まさか、本当に……」
「死んだわけじゃないらしいぞ。次に起きたらまた遊ぼうとか言ってたから」
「起きたら?」
「ああ。何か長く寝るみたいな言い方だった」
「……休眠」
「それか?」
初めて聞く言葉だった。
相手は額へ手を当てたまま、今聞いた話を必死に整理しているようだったが、こちらとしては邪神の状態よりも、まず自分の身体について知りたい。
「で、俺は?」
「……少なくとも、神格をお持ちです」
「やっぱり?」
「それも、私より遥かに上位の」
「…………」
できれば聞きたくなかった答えだった。邪神の言葉だけなら、あいつがまた適当なことを言っていただけという僅かな可能性も残っていた。
だが、こうして別の神にまで同じことを言われてしまえば、もう否定するのも難しい。
「じゃあ、本当に神になったのか、俺」
「なった、と申しますか……現在の貴女は間違いなく神です。恐らく、位階としては中級上位に相当します」
「…………」
中級上位。またよく分からない単語が増えたが、どうやら神にも序列があるらしい。確かに、目の前の神から感じる存在感は、あの邪神とは比べものにならないほど小さい。人間に強弱があるように、神にも格の違いがあるということなのだろう。
「男には戻れない?」
「私には判断できません」
「この髪は?」
「はい?」
「何でこんなに長いんだ」
「……存じ上げません」
「胸は?」
「それも私には……」
「じゃあ、何で女子制服なんだ」
「女子……制服?」
どうやら、聞く相手を間違えたらしい。俺が肩を落とすと、長い銀白の髪がまた前へ流れてきたので、鬱陶しさに片手で背中へ払いながら溜息をつく。
「ああもう、邪魔だな……」
目の前の神は、そんな俺を何とも言えない顔で眺めていた。
「何だよ」
「いえ……」
「言いたいことがあるなら言ってくれ。今さら大抵のことじゃ驚かない」
「その……本当に、つい先ほどまで人間でいらしたのですか?」
「ああ。この世界で二十六年くらい人間をやって、その前にも十六年くらい地球で人間をやってた」
また相手が黙り込んだ。
「何でまた黙る」
「理解が追いついておりません」
「奇遇だな。俺もだよ」
荒廃した大地の真ん中で、初対面の神と二人揃って頭を抱える。世界の一つや二つが滅びそうなほどの戦闘が終わった直後だというのに、何とも締まらない光景だった。
しかし、相手が本物の神だというのなら、今の俺にはどうしても確認しておきたいことが一つある。
「それより、この世界でどれくらい時間が経ったか分かるか?」
「時間、ですか?」
「あいつとどれくらい戦ってたのか、途中から全然分からなくなったんだ。俺には仲間がいる。魔王を倒してからそんなに経ってないならいいんだけど、下手をしたら何年も経ってる気がして」
「……少々お待ちを」
神はそう告げて目を閉じた。
先ほど俺が探索魔法を使った時とは違い、周囲には何の変化も起こらない。それでも何かを確認しているらしく、やがて静かに目を開いた。
「この世界の基準時間そのものには、それほど大きな経過はありません」
「本当か?」
思わず一歩詰め寄ると、相手が僅かに後ずさった。
「あ、悪い」
「い、いえ。それよりも、戦闘中に複数の異なる時空間を経由した形跡があります。恐らく、あなたが体感された時間と、この世界で実際に経過した時間が一致していないのでしょう」
「じゃあ、仲間たちはまだ生きてる?」
「そこまでは私にも分かりませんが、少なくとも数十年が経過したということはありません」
「……よかった」
その答えを聞いた瞬間、全身から力が抜けた。今度こそ、本当に安心した。その場へ座り込みそうになって、今の自分がスカートを穿いていることを思い出し、途中で動きを止める。
……これ、どう座ればいいんだ。
そんな新たな疑問に頭を悩ませていると、目の前の神が何かを言おうとして、突然顔を上げた。
「……来られます」
「何が?」
「私をこちらへ寄越された方です」
「上司?」
「その表現が正しいかは分かりませんが……私より遥かに上位の神でいらっしゃいます」
「また神か」
今日だけで何柱目だ、と考えてから、今の自分自身までそこへ数えなければならないらしいことに気づいて嫌になる。
そんな俺を置いて、再び周囲の空間が揺れ始めた。今度は先ほどの神が現れた時とは比較にならない。見た目には何も起きていないはずなのに、世界そのものが僅かに身構えたような、奇妙な感覚が肌を撫でていく。
そして、その揺らぎの向こうから声が響いた。
『……なるほど』
「――!」
聞き覚えがあった。
魔王を倒した直後、邪神がもうすぐ俺のことを思い出すだろうと告げ、神へ刃を届かせるための力を勝手に貸してきた、あの声だ。
「まさか、本当に勝つとは思わなかったよ」
「お前か!」
姿を現した存在へ、思わず指を突きつける。隣にいた神がぎょっとした顔でこちらを見たが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「ちょうどいい! 説明してくれ! 俺の身体、どうなってるんだこれ!」
邪魔になった銀白の髪を片手で掴みながら叫ぶ俺を見て、現れた神はしばらく無言になった。やがて俺の姿と隣にいる神、それから周囲に広がる戦闘跡を順番に見回した後、どこか困ったように口を開く。
「……どうやら、説明しなければならないことが随分と多そうだね」