TS女神の地球救済政策 ~26年かけて異世界を救った元勇者、絶世の女神になって帰還したら地球が滅びかけていたので、ダンジョン災害で救います~ 作:TS女神
美羽に試作品を体験してもらってから、少し時間を空けた。
別に修正そのものに何日も掛かったわけではない。神力を使えば、訓練空間の見た目を変えることも、新しい機能を追加することも、それほど難しくはない。
問題なのは、俺が思いついたものをそのまま人類へ押しつけても大丈夫なのか、一つずつ確認する必要があるということだ。前回、美羽をほとんど何の説明もなしにコボルドの前へ放り出してみて、それは嫌というほど思い知った。
「というわけで、改良版ができた」
夕食後のリビングでそう告げると、美羽は待ってましたと言わんばかりにスマートフォンから顔を上げた。
「おおー。今度こそちゃんとしてる?」
「たぶん」
「そこは自信持ってよ」
「だからお前に試してもらうんだよ。実際に普通の人間が使ってみないと、俺じゃ気づけないところあるし」
「また実験台じゃん」
口ではそう言いながらも、美羽の表情は明らかに楽しそうだった。前回はコボルドに一撃で頭を殴られた直後こそ怖がっていたものの、時間が経つにつれて恐怖よりも負けた悔しさの方が強くなったらしい。
「今回は普通に寝る時間まで待つぞ。昼寝させても全然寝なかったし」
「お兄ちゃんが隣でずっと見てたからでしょ。寝たかどうか確認してるのは分かるけど、じっと見られてたら余計寝られないって」
「じゃあ今回は自分の部屋で普通に寝ろ。深く眠ったらこっちから繋ぐから」
「最初からそうしてよ」
もっともな話だったので、今回は美羽が自室へ行ってから接続することにした。
◇ ◇ ◇
「……おお」
訓練空間へ入った美羽は、目を開けるなり感嘆の声を漏らした。前回のような何もない真っ白な箱ではない。
そこに広がっているのは、神託で何度も訪れたのと同じ、白く広大な神域だった。そして少し離れた場所には、いつもの神託と同じ女神の姿をした俺も立っている。
淡い青白色の空がどこまでも続き、眼下には白い雲海が広がっている。磨き上げられたような白い床には空の光が薄く反射し、その周囲には巨大な柱が静かに立ち並んでいた。
ただし、いつもの神託とは明らかに違うものもある。
「すごーい……本当に神託の場所だ」
周囲を見渡していた美羽は、少し離れた場所へ置かれている大きな箱へ目を向ける。
「でも、あんなの前はなかったよね?」
「ああ。その箱に訓練用の武器が入ってる。開けてみろ」
「お兄ちゃんも一緒にいるんだ」
「今日はテストだからな。本番で世界中に開放した時は、ここに俺はいないぞ」
「ちょっと心細いなあ」
「それも含めて試してくれ」
美羽が箱の前まで歩き、両手で蓋を開いた。中には片手剣、短めの槍、棍棒、小型の盾、それに弓やクロスボウまで、いくつもの武器が並べられている。
「あれ、剣が木剣じゃなくなってる」
「ああ。今回はできるだけ本物に近い感覚で練習できるようにした。木剣でも刃筋を意識する練習はできるけど、実際にちゃんと刃が入るかどうかまでは分からないからな」
「刃筋?」
「刃の向きだよ。剣はただ当てればいいわけじゃない。変な角度で当てれば上手く斬れないし、慣れてない奴が扱うと思ってるより難しい」
「へえ……」
美羽は少し感心したように片手剣を眺め、それから箱の中に並んだ他の武器へ視線を移した。
「本当に武器庫になってる」
『戦闘訓練へようこそ』
「うわっ!?」
突然神域へ響いた女性の声に、美羽の肩が大きく跳ねた。
『こちらでは、本物のダンジョンへ足を踏み入れる前に、魔物との戦闘を安全な環境で経験することができます』
美羽はしばらく黙って聞いていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「お兄ちゃん」
「なんだ」
「これ、お兄ちゃんの声だよね?」
「正確には、ルミエラとして喋った時の声だな」
美羽が、目の前に立っている俺と、声の響く何もない空間を交互に見る。
「本人がいる横で同じ声が流れると変な感じ」
「俺もそう思う」
「自分で聞いてて恥ずかしくない?」
「うるさい」
世界中へ公開する以上、誰かが説明しなければならない。ならば知らない誰かの声を使うより、神託で聞き慣れている女神ルミエラ本人の声の方が安心できるだろうと考えたのだ。
そのために何種類もの説明音声を録ったのだが、こうして自分で聞いてみると、想像していた以上に気恥ずかしい。
『まず、使用する武器を選択してください。初めて武器を扱う方は、実際に手に取って重さや長さを確認し、自分が扱いやすいと感じるものを選ぶことをおすすめします』
「ちゃんとしてる……前回の白い部屋とは大違いだね」
「前回散々言われたからな」
美羽は箱の中を覗き込み、しばらく迷った末に片手剣を手に取った。
「槍じゃないのか?」
「前にこれで負けたから、剣で勝ちたい」
「妙なところで負けず嫌いだな」
「悪い?」
「別に」
美羽が片手剣を握った瞬間、少し離れた場所へ淡い光が集まり、人間と同じくらいの大きさをした半透明の人型が姿を現した。
『片手剣を選択しました。まずは基本的な構え方から確認しましょう』
「おお……!」
今度は驚くよりも先に、美羽の目が輝いた。半透明の人型がゆっくりと片手剣を構える。
『足を肩幅程度に開き、どちらか一方の足を少し後ろへ引きます。剣を強く握りすぎず、いつでも動ける姿勢を保ってください』
説明に合わせて人型が正面や横へ向きを変え、足の位置や重心を示す淡い線まで表示されていく。
「……これ、本当に前回と同じ人が作ったの?」
「俺だって反省くらいするよ」
「かなり頑張ったね」
「褒められるとそれはそれで腹立つな」
「なんでよ」
美羽は笑いながらも、半透明の人型を真似して構えを取った。最初はぎこちなかったものの、何度か姿勢を直しているうちに、前回ただ木剣を持たせただけの時よりは随分まともになってくる。
『続いて、基本的な攻撃動作を練習します』
人型がゆっくりと剣を振り、その軌道が薄い光の線となって空中へ残る。さらに剣の刃がどの向きを通るべきなのか、軌道に沿って淡い線が重なるように表示された。
『剣を振る際は、刃の向きにも注意してください。刃筋が大きくずれた状態では、十分な威力を発揮できません』
「さっき言ってたやつだ」
「ああ。最初から完璧にできる必要はないけど、意識だけはしておいた方がいい」
美羽は頷くと、半透明の人型を見ながら同じように剣を振った。
「えいっ」
もちろん、一度見ただけで剣士になれるわけではない。それでも、何も分からない状態で適当に振り回すよりは遥かにましだ。
何度か素振りを終えると、今度は人型の代わりに簡素な訓練用の人形が現れた。
『実際に攻撃してみましょう。急ぐ必要はありません。まずは剣を当てることと、刃の向きを意識してください』
「なんか、本当にゲームみたい」
「ゲームより本物寄りだけどな」
「そこは分かってるって」
美羽が訓練用の人形へ向かって剣を振り下ろす。
最初の一撃は少しずれ、刃も斜めに当たった。だが二度、三度と繰り返すうちに、少なくとも狙った場所へ、それなりに正しい向きで剣を当てられるようにはなってきた。
身体強化についても同じだ。魔力を全身へ一気に流すのではなく、最初は弱く、動きに合わせて補助すること。力任せに動けば姿勢を崩すので、自分の身体が扱える範囲から少しずつ慣らすこと。
第四回神託で説明した内容も、訓練空間では実際に身体を動かしながら確認できるようにしてある。
「これなら、神託だけじゃよく分からなかった人も練習できそう」
「それが狙いだな」
一通りの説明を終えると、神域の奥へ淡い光が集まり、前回までの神託には存在しなかったものがゆっくりと形を作っていった。
「……扉?」
白い神域の中に、一枚だけ場違いなほど重厚な扉が現れる。
石造りの枠に囲まれた黒褐色の木製扉。その向こう側がまったく見えないというだけで、さっきまで安全そのものだった神域の空気が、少しだけ変わったように感じられた。
『基本訓練を終了しました。この先では、実際の魔物を再現した戦闘訓練を行うことができます。訓練へ進む場合は、扉の前で参加する意思を示してください』
「参加する意思って、何て言えばいいの?」
「『入ります』でも『訓練します』でも何でもいい。言葉そのものじゃなくて、その時に本気で入るつもりがあるかを判定するようにしてある」
「じゃあ『怖いけど入ろうかなあ』でも、本当に入るつもりなら開く?」
「ああ」
「神様システム便利だね……」
呆れ半分、感心半分といった顔で美羽が扉を眺めていると、続けてルミエラの案内音声が響いた。
『なお、訓練を終了したい場合は、いつでも「起きる」と意思を示してください。直ちに現実へ帰還できます』
「途中でも?」
「戦闘中でも帰れるぞ。怖くなって無理だと思ったら、いつでも『起きる』って意思を示せばいい。ただ、本物のダンジョンじゃ同じようには逃げられないから、その辺は案内でもちゃんと説明するつもりだ」
「なるほど」
『また、希望する起床時刻を設定することもできます。指定された時刻になった場合、訓練の途中であっても安全に終了し、現実で目覚めるよう調整されます。起床時刻を指定しない場合は、通常の睡眠に合わせて終了します』
美羽が目を丸くした。
「目覚まし機能までついてる!」
「世界中で使わせるなら必要だろ。明日仕事とか学校なのに、夢の中で遊びすぎて起きませんでしたじゃ困るし」
「訓練ね?」
「……訓練だな」
「今ちょっと遊びって言ったよね?」
「気のせいだ」
美羽は楽しそうに笑ったあと、少し考えてから口を開く。
「じゃあ、七時」
『起床時刻を午前七時に設定しました』
「本当に女神様の目覚まし時計だ」
「戦闘訓練システムだよ」
美羽はしばらく扉を見つめていた。
前回は何の心構えもないまま、俺が突然コボルドを出した。だが今回は違う。
自分で武器を選び、最低限の構えを習い、身体強化も確認した。そして何より、自分の意思でこの扉を開けなければ先へは進まない。
美羽は片手剣の柄を握り直すと、扉の前へ立った。
「……戦闘訓練に入ります」
その瞬間、ゴゴゴ、と低い音を立てながら、重厚な扉がゆっくりと開いていった。
「……おお」
その向こうに広がっていた景色を見て、美羽が小さく息を呑む。
そこにあったのは、薄暗い石造りの広間だった。
十数メートル四方はある空間の壁には苔が付き、石畳の隙間には僅かに水が溜まっている。壁へ取り付けられた魔法灯が青白い光を放ち、広間の反対側にはさらに奥へ続く通路が口を開けていた。
湿った空気や石の冷たさまで再現してあり、足元を踏めば硬い感触と共に小さな靴音が返ってくる。
「……すごい。これ、本当にダンジョンみたい」
「みたい、じゃなくて、一応本物を参考にしてる」
「本物?」
「俺が昔潜ったダンジョンの一部だよ」
「えっ」
美羽が足を止める。
「お兄ちゃん、ここ歩いたことあるの?」
「似たような場所じゃなくて、この辺りはかなりそのまま再現してる。細かい傷とか石の位置までは適当だけど、雰囲気はほぼ同じだな」
「……なんか急に重みが出たんだけど」
「初心者の頃に潜ったところだから、そんな大層な場所じゃないぞ」
「お兄ちゃん基準で言われても信用できない」
それは否定しづらかった。
もっとも、今回使っているのは景色だけだ。実際にそこへ出現していた魔物や罠まで同じように配置しているわけではなく、美羽が戦うのは前回と同じ、地球人向けに大幅に弱体化したコボルド一体だけである。
「今回は俺、戦闘エリアには入らないからな」
「え?」
「ここから見てるし、必要なら声は掛けるけど、基本は自分でやってみてくれ」
「……分かった」
少し不安そうではあったが、美羽は素直に頷いた。
扉が背後でゆっくりと閉まり、広間の反対側にある通路から、小さな影が姿を現す。灰褐色の毛、犬に似た頭、粗末な布を腰へ巻いた小柄な身体。そして右手には、前回と同じ木製の棍棒。
「…………」
美羽の表情から、さっきまでの楽しそうな色が消えていく。
「グルルル……」
低い唸り声が石造りの広間へ響き、美羽の肩が僅かに強張った。
さっきまで相手にしていたのは、攻撃してこない訓練用の人形だ。だが今、目の前にいるのは違う。こちらへ敵意を向け、本気で自分を殴り倒そうとしている魔物である。
「……やっぱ怖いなあ」
美羽が小さく呟く。
「やめるか?」
「やめない」
返事は早かった。
美羽は一度深く息を吸い、教えられた通りに片足を少し後ろへ引いて剣を構える。まだ身体は固いし、構えもぎこちない。それでも、武器をどう持てばいいのかすら分からず立ち尽くしていた前回とは、明らかに違っていた。
「身体強化も忘れるなよ」
「分かってる」
魔力が美羽の身体へ薄く巡る。
それを確認したのとほぼ同時に、コボルドが床を蹴った。
「っ!」
美羽の身体が反射的に強張る。だが――今度は、足が止まらなかった。
「えいっ!」
大きく横へ一歩。振り下ろされた棍棒が、さっきまで美羽の頭があった場所を通り過ぎていく。
「避けた!」
「そこで止まるな!」
「分かってる!」
美羽が振り向きざまに剣を振り、片手剣の刃がコボルドの肩へ食い込んだ。まだ完璧な刃筋とは言えなかったが、十分に傷を与えることはできたらしく、小柄な身体がよろめき、美羽の顔が一瞬明るくなる。
「当たった!」
「喜ぶのは後!」
「はい!」
コボルドが唸り声を上げ、再び棍棒を振り回す。今度は完全には避け切れず、棍棒の先が美羽の左腕を掠めた。
「いたっ!」
痛覚は大幅に軽減されている。それでも、攻撃を受けたことが分かる程度の痛みは残してある。
美羽は一瞬顔をしかめたものの、前回のようにその場で固まることはなかった。一歩後ろへ下がって距離を取り、教えられた通り剣を構え直す。
そこへコボルドが再び飛び込んでくる。怖くないはずはない。それでも今度の美羽は、その動きをしっかりと目で追っていた。もう、何も分からないまま襲われているわけではない。
振り上げられた棍棒を、美羽は横へ身体をずらして躱す。その勢いのまま、片手剣を振り抜いた。
「やあっ!」
今度は先ほどよりも綺麗に刃が入り、剣がコボルドの脇腹へ深く食い込んだ。小さな身体が勢いよく石床へ転がる。
「グ、ル……」
それでも起き上がろうとしたコボルドへ、美羽がもう一度剣を振り下ろした。
鈍い音が響き、次の瞬間、コボルドの身体が淡い光へ変わる。そのまま空中へ溶けるように消えていった。
「…………」
美羽は剣を構えたまま、しばらく動かなかった。
『訓練対象の討伐を確認しました。戦闘訓練、成功です』
静かなルミエラの声が石造りの広間へ響き、美羽がゆっくりと剣を下ろした。
「……勝った?」
「勝ったな」
「私、勝った?」
「だから勝ったって」
「…………やった!」
声を上げた瞬間、それまで強張っていた肩から一気に力が抜ける。
「やった! 勝った! 今度は死ななかった!」
「相手は最弱クラスよりさらに弱くしてるけどな」
「今それ言わなくてもよくない!?」
「でも前回はそいつに一撃だっただろ」
「うっ……」
美羽が言葉に詰まる。
とはいえ、俺としても思っていた以上の結果だった。たった一度とはいえ本気で襲われる経験をして、さらに事前に武器の使い方を練習しただけで、ここまで動きが変わる。
もちろん戦闘技術として見れば、まだ初心者どころか素人に毛が生えた程度だ。それでも前回は一歩も動けず頭を殴られた美羽が、今回は自分で攻撃を避け、反撃し、最後まで戦い抜いた。
それだけでも、訓練としての意味は十分にある。
「どうだった?」
「怖かった。でも前よりは全然マシだったよ。最初に練習できたし、自分で扉を開けたから、これから来るって分かってたのも大きいと思う」
「なるほど」
「あと距離。前は出た瞬間すぐ近くにいた感じだったけど、今回は向こうから来るのが見えたから、心の準備ができた」
やはり美羽に試してもらって正解だったらしい。
「痛みは?」
「腕に当たった時はちょっと痛かったけど、あれくらいなら大丈夫。むしろ何も感じなかったら、攻撃を受けたことが分からないと思う」
「じゃあ一割くらいでよさそうだな」
「たぶんね」
ひとまず、初級訓練として必要な部分は形になったと考えてよさそうだ。
戦闘を始める前に自分で準備できる。武器の最低限の扱いを覚えられ、身体強化を練習できる。敵が怖ければ扉を開けずに帰ることもでき、死んでも現実には影響しない。
痛覚は軽減され、精神的な負荷が危険な水準へ達すれば強制的に終了する。それでも、安全だからといって恐怖そのものまでは消していない。
最初の戦闘訓練としては、十分だろう。
「もう一匹やる?」
試しに聞いてみると、美羽は少し考えたあとで首を横へ振った。
「今日はいいかな。勝ったから満足したのもあるけど、一匹倒しただけなのに結構疲れた」
「身体じゃなくて、頭の方が?」
「たぶん。ずっと緊張してたから」
それも重要な情報だった。現実の身体が疲労していなくても、精神的には当然疲れる。一晩中何十戦もさせるようなものではないだろう。
「そこも制限掛けるか」
「制限?」
「最初のうちは一日に三回までとか。あと、一度現実へ戻ったら、その日は入り直せないようにする」
「そこまで?」
「無制限にしたら、三回終わるたびに起きて寝直す奴が出るだろ。下手したら学校や仕事を休んで一日中やる奴まで出てくる」
「……いるね。絶対いる」
「いるだろうなあ……」
世界中の人間を思い浮かべると、簡単に想像できる。
何十回死んでも意地になって挑戦する奴もいれば、睡眠時間いっぱいまで魔物と戦い続ける奴もいるだろう。最速討伐を競い始めたり、訓練なのにゲームのような遊び方を始めたりする人間だって、間違いなく出てくる。
「……まあ、最低限の制限だけ入れておくか」
「女神様、大変だね」
「誰のために作ってると思ってるんだ」
「人類」
「そうだよ」
◇ ◇ ◇
戦闘訓練を終了すると、美羽はすぐには現実へ戻らず、一度神託の間へ戻ってきた。
「ここに戻ってくるんだ」
「戦闘一回ごとに即起床だと不便だろ。終わったあとに休憩したり、別の武器を試したりできるようにした」
「なるほど」
美羽は片手剣を武器箱へ戻したあと、先ほどまで戦っていた扉の方を振り返る。
「ねえ。さっきの場所って、本当にお兄ちゃんが昔行ったダンジョンなんだよね?」
「一部を参考にしただけだけどな」
「あの先ってどうなってたの?」
「先?」
「通路。今回はコボルド一匹が出てきただけだったけど、本当はもっと奥まで続いてたんでしょ? 曲がり角とか、別の部屋とかもあったんじゃないの?」
「そりゃダンジョンだからな。分かれ道も階段もあったし、魔物が出る場所もあれば罠がある場所もあった。宝箱が置いてあることもあったし、安全に休める場所もあったぞ」
「へえ……それも作れないの?」
「……それ?」
「だから、魔物一匹と戦うだけじゃなくて、本当にダンジョンを歩くやつ」
言われて、少し考える。
一対一の戦闘訓練だけなら、今の仕組みでも十分だ。
だが、本物のダンジョンへ入れば、魔物が正面から一匹ずつ現れてくれるわけではない。暗い通路を歩き、曲がり角を警戒し、足元を確認する。物音を聞き、逃げ道を覚え、敵が複数いれば戦うか逃げるかを判断する。
怪我をしたなら引き返す必要があるし、場合によっては魔物と一度も戦わず、危険を避けて進むことだって重要になる。
「……確かに、戦闘だけじゃ足りないな」
「でしょ?」
「本物のダンジョンだと、敵を倒すことより、生きて帰ってくる方が大事だし」
そう言いながら、自分の記憶を探る。
二十六年間の冒険の中で潜ったダンジョンは、一つや二つではない。
初心者だった頃に入った小規模な迷宮もあれば、慣れてから挑んだ洞窟型のダンジョンもある。古代文明の遺跡や、森林そのものが迷宮化した場所、地下深くまで続く巨大迷宮まで経験してきた。
中には、今思い返しても二度と入りたくない場所だってある。そのすべてを再現する必要はない。まずは、俺自身が初心者だった頃に使った場所からでいいだろう。
「作れると思う」
「ほんと?」
「ああ。俺の記憶を元にすれば、かなり本物に近いところまで再現できる」
美羽の目がさらに輝く。
「じゃあ次、それやりたい!」
「お前、さっき一匹倒しただけで疲れたって言ってただろ」
「今日はね。次は別の日にやればいいじゃん」
「もうやる気満々じゃねえか」
「だって面白そうだし。それに、お兄ちゃんが昔本当に冒険してた場所なんでしょ?」
「そう言われると、ちょっと違う気もするけど……まあいいか」
訓練という意味でも悪くない。むしろ、実際の探索を経験してもらうなら、俺の記憶以上に適した教材はないのかもしれない。
「じゃあ次は、戦闘訓練じゃなくて探索訓練だな。俺が昔潜ったダンジョンを再現して、入口から自分で歩いてもらう。魔物もいるし、分かれ道もある。どこまで進むか、いつ引き返すかも自分で決める」
「……本当にゲームみたいになってきた」
「ゲームじゃないって何回言わせるんだよ」
「分かってるって。でも楽しそうなのは仕方ないじゃん」
その言葉に、少し考える。
怖がりながらでもいい。楽しみながらでもいい。それで本物のダンジョンへ入る前に必要な経験を積めるのなら、訓練への入り口は何だって構わないのかもしれない。
「とりあえず、戦闘訓練の方はこれで公開できそうだな」
「世界中に?」
「ああ。細かいところをもう少し確認して、問題なければ次の神託で説明する」
「じゃあ世界中の人が、私が最初に負けたコボルドと戦うんだ」
「そうなるな」
美羽は少しだけ考えたあと、にやりと笑った。
「みんな最初は負ければいいのに」
「性格悪いぞ」
「私だけ一撃でやられたの悔しいんだもん」
「大丈夫だろ。多分かなりの人数が同じ目に遭う」
「なんか安心した」
「それで安心するなよ」
笑いながら、美羽が神域の中央へ戻ってくる。
「じゃあ、今日は起きる」
『訓練を終了しますか?』
「はい。起きます」
『承知しました。お疲れさまでした』
ルミエラの穏やかな声が響くと、美羽の身体が淡い光へ包まれていく。
「……最後まで女神様なんだ」
「案内役なんだから仕方ないだろ」
「じゃあ、おやすみ……じゃなくて、おはよう?」
「どっちでもいいよ」
美羽が笑いながら光の中へ消える。
神域に一人残された俺は、先ほどまで開いていた扉へ目を向けた。
まずは戦うことに慣れてもらい、その次はダンジョンそのものに慣れてもらう。俺が異世界で二十六年間積み重ねてきた経験を、これからは地球の人類が生き残るための教材へ変えていけばいい。
「……探索訓練か。悪くないな」
どうせなら、俺が最初の頃に何度も潜ったダンジョンを使おう。
命の危険が当たり前だったあの場所も、今なら誰かが安全に失敗し、生き残る方法を覚えるための教材へ変えられる。
そう考えると、少しだけ不思議な気分になる。
「まあ、その前にこっちを公開しないとな」
完成した戦闘訓練システムを眺めながら、俺は次の神託で説明する内容を考え始めた。
人類が初めて、本物そっくりの魔物と戦う日。
たぶん、かなり騒がしくなるだろう。