TS女神の地球救済政策 ~26年かけて異世界を救った元勇者、絶世の女神になって帰還したら地球が滅びかけていたので、ダンジョン災害で救います~ 作:TS女神
【Side:一般大学生 山田太郎】
ここ数日、少しだけ物足りなかった。
別に大学生活に何か不満があるわけではない。講義へ出て、友人と昼飯を食べ、帰宅したらゲームをして、適当な時間になったら寝る。どこにでもいる大学生らしい生活を送っているし、少なくとも本人としてはそれなりに満足している。
俺――山田太郎、二十歳。ちなみに偽名ではなく、本当に山田太郎という。
初対面の相手に名前を名乗ると、たまに「仮名じゃなくて?」と聞き返される程度にはモブっぽい名前だが、両親がつけてくれた立派な本名なので仕方がない。
そんな俺の平凡な日常へ、少し前からとんでもないものが入り込んできた。
女神様である。
「今日も来なかったな……」
大学から帰る途中、電車の中でそんなことを呟きながらスマートフォンを眺める。
もちろん、女神様本人が大学へ来なかったとか、そういう話ではない。俺が待っているのは神託だ。
最初に世界中の人間が夢の中で女神ルミエラと名乗る女性を見てから、神託はかなり短い間隔で続いていた。地球にダンジョンが発生すること、そこには危険な魔物が存在すること、魔力というものが地球にも満ち始めていること。そして、俺たち人類自身にもその魔力を扱う力があること。
最初は世界規模の集団幻覚だの、宇宙人による精神攻撃だの、最新技術を使った何かだのと好き放題言われていたが、《光球》が本当に使えるようになったあたりで、そういう話も随分減った。
少なくとも、俺はもう疑っていない。
「実際に出るしなあ……」
電車の窓へ映った自分の手を見る。
さすがに車内で試すつもりはないが、意識すれば小さな光の球を手のひらの上へ作ることができる。最初に成功した時は夜中に一人でめちゃくちゃテンションが上がったし、ファンタジー作品を多少なりとも見て育った人間なら、自分の手から本当に魔法が出た時に興奮するなという方が無理だと思う。
しかも、少し前の神託では身体強化まで教えられた。まだ劇的に強くなるわけではないし、俺自身も使いこなせているとは言い難い。それでも階段を上った時や重い荷物を持った時に、いつもより身体が軽く感じる程度の効果は実感できている。
だからこそ、次が気になっていた。
今までかなり頻繁にあった神託が、ここ数日は少しだけ途切れている。もちろん女神様にだって都合はあるのだろうし、毎晩新しい魔法を教えろなんて言うつもりはない。
それでも、世界中の人間が次を待っているのは間違いなかった。
SNSを開けば、
『今日は神託あるかな』
『最近寝るの楽しみになってきた』
『女神様、次のアプデまだ?』
『神託をゲーム運営みたいに言うな』
などと、似たような投稿がいくらでも流れてくる。
「……アプデはちょっと分かるけど」
《光球》が追加され、身体強化が追加されたのだから、感覚として分からなくもない。
もっとも、本当に一年後には命懸けでダンジョンへ入ることになるかもしれないのだから、ゲーム扱いしていい話ではない。そのくらいは俺にだって分かっている。
分かっているのだが、それでも次は何が来るのだろうと楽しみにしている自分がいるのも事実だった。
◇ ◇ ◇
その夜、いつも通り布団へ入り、スマートフォンを充電器へ繋いでから目を閉じた。
そして気がつけば、俺は見慣れた白い空間に立っていた。
「……来た!」
思わず声が出る。
どこまでも続く淡い青白色の空と、その下へ広がる雲海。白い床は鏡のように薄く光を映し、遥か遠くまで巨大な柱が並んでいる。もう何度も見ている光景ではあるが、現実では絶対に目にできない景色なので、訪れるたびに少しだけ感動してしまう。
やがて俺の前方へ淡い光が集まり、見慣れた一人の女性の姿を形作っていった。
長い銀白色の髪に青い瞳。この世のものとは思えないほど整った容姿に、柔らかく神々しい微笑みを浮かべた女性――地球担当神、ルミエラだ。
『皆さん、再びお会いしましたね。地球担当神のルミエラです』
来た。
別に女神様から俺の姿が見えているわけではないと思うのだが、なんとなく神託中は姿勢を正してしまう。
『少し間が空きましたが、その間に《光球》や身体強化の練習を続けていた方も多いようですね』
「やっぱり分かるんだ……」
世界中の人間一人一人を監視しているわけではないのだろうが、全体としてどの程度使われているかくらいは把握できるらしい。
『今回、新しい魔法をお教えする予定はありません』
「えっ」
思わず残念な声が漏れた。たぶん今、世界中のかなりの人数が俺と同じ顔をしていると思う。
だが、ルミエラは穏やかな表情のまま言葉を続けた。
『代わりに、これまで皆さんへお教えしてきたものを、実際に使うための訓練環境を用意しました』
「訓練環境?」
『一年後に発生するダンジョンでは、実際に魔物と遭遇することになります』
それまで柔らかかった女神の表情が、少しだけ真剣なものへ変わる。
『身体強化の方法を知っていること。武器の扱い方を知っていること。そして、本気で自分を傷つけようとする魔物を目の前にして行動できること。この三つは、同じではありません』
言われてみれば、当たり前のことだった。
俺はゲームなら何百、何千という魔物を倒している。剣も使えば槍も使うし、巨大な竜とだって戦ったが、それはあくまで画面の向こうの話だ。
本物の犬に本気で噛みつかれそうになっただけでも、たぶんかなり怖い。ましてや、今まで一度も見たことのない魔物が武器を持って自分へ襲いかかってくるところを想像してみると――。
「……普通に怖いな」
『本物のダンジョンへ入ってから、初めてその恐怖を知る必要はありません』
まるでこちらの考えを読んだかのような言葉だった。
『そのため、今回の神託を受け取った方から順に、睡眠中に利用できる戦闘訓練空間を開放します』
「……戦闘訓練?」
一瞬、言われた意味を理解するのに時間が掛かった。
『訓練空間で負った怪我が、現実の身体へ影響することはありません。訓練中の痛覚も大幅に軽減されており、精神的な負荷が危険な水準に達した場合には、自動的に訓練を終了します。また、訓練中に死亡した場合も、現実の皆さんが死亡することはありません』
夢の中で本物そっくりの身体を使い、魔物と戦える。しかも、そこで死んだところで現実の身体は無傷。
「それってほぼ――」
フルダイブゲーム。
危うく口から出そうになった言葉を飲み込む。
いや、違う。
女神様は訓練と言っている。遊ぶためではなく、一年後に本物のダンジョンで生き残るためのものだ。
そう。これは訓練である。
決してゲームではない。
たぶん。
『ただし、痛みや恐怖を完全になくすことはしていません』
「ですよね」
少し安心したような、残念なような、自分でもよく分からない感情になる。
『安全だからこそ失敗できます。怖くて動けなかったとしても、攻撃を受けても、たとえ一度死んだとしても、その経験を次に生かすことができます』
その言葉には妙な説得力があった。
本番で初めて失敗するより、何度でもやり直せる場所で一度失敗しておいた方がいい。実際にダンジョンへ入る可能性を考えれば、これは遊びではなく、本当に必要な準備なのだろう。
『訓練への参加は任意です。望まない方へ強制することはありませんし、途中で訓練を終了したくなった場合は、いつでも「起きる」と意思を示してください。戦闘中であっても、訓練を終了できます。また、希望する起床時刻を設定することも可能です。学校や仕事など、現実での生活へ支障が出ないよう利用してください』
「そこまであるんだ……」
女神様、随分親切である。
いつでもやめられて、起きる時間まで指定できるのなら、少なくとも一度くらい試してみてもいい気がしてきた。
『訓練を開始すると、まず安全な場所で使用する武器を選び、基本的な構え方や扱い方を学んでいただきます。最低限の練習を終えたあと、ご自身の意思で戦闘訓練へ進むことができます』
説明に合わせるように、俺の目の前へ映像が浮かび上がる。
片手剣、槍、棍棒、盾、それに弓やクロスボウ。それぞれの武器を扱う半透明の人型が、ゆっくりと基本動作を見せていた。
「おお……」
思わず見入ってしまう。
現実でこんなものを練習しようと思ったら、道具を買って、場所を探して、場合によっては誰かに教えてもらわなければならない。それが寝ている間に、全部無料でできる。
やっぱりこれ、かなりすごいのではないだろうか。
『最初の戦闘訓練では、一体の魔物と戦っていただきます』
映像が切り替わり、小柄な人型の魔物が映し出された。全身を灰褐色の毛に覆われ、犬や狼に似た頭を持ち、手には粗末な木製の棍棒を握っている。
『名称はコボルド。今回の訓練用に、実在する個体よりも大幅に身体能力を低下させています』
「コボルド!」
知っている。
ゲームで何度見たか分からないし、だいたい序盤に出てくる雑魚である。
『身体強化を使用し、落ち着いて対応できれば、戦闘経験のない方でも一対一で十分に勝利できるよう調整してあります』
「やっぱり雑魚じゃん」
それなら、さすがにいけるだろう。
俺は剣道経験者でも格闘技経験者でもないし、運動神経だって特別良いわけではない。それでも相手は弱体化した初心者用コボルド一匹で、こっちには身体強化まである。
さすがに負ける未来が見えない。
『ただし、本物の魔物は訓練用の個体よりも強く、複数で行動する場合もあります。今回の訓練で勝てたからといって、実際のダンジョンで安全に戦えるという意味ではありません。その点だけは、決して忘れないでください』
「はい」
思わず返事をしてしまった。
たぶん聞こえてはいない。
『また、今回開放するのはあくまで、一対一で魔物と戦うことに慣れるための初歩的な訓練です。ダンジョンそのものを探索する訓練については、現在準備を進めています』
「探索まで!?」
さらにテンションが上がる。
いや、訓練だ。これは訓練なのである。
『一度に長時間利用することはおすすめしません。現実の身体には疲労が残らなくても、精神的には疲労します。そのため、最初のうちは利用回数などに一定の制限を設けています』
先回りされていた。
たぶん、世界中には一晩中やろうとする人間が相当数いるのだろう。俺も制限がなかったら、少なくとも何回かは続けて挑戦していたかもしれない。
『これは遊びではありません』
「…………」
心を読まれた気がした。
『本物のダンジョンへ足を踏み入れる前に、安全な場所で怖がり、失敗し、そして次へ進むための訓練です。どうか無理をせず、ご自身のペースで利用してください』
ルミエラはそう告げると、最後にいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
『それでは皆さん。また次の神託でお会いしましょう』
その言葉を最後に女神の身体が淡い光へ包まれ、やがて神域から姿を消していった。
神託が終わった。普段ならこのまま意識が遠のき、気づけば朝になっている。けれど今回は違った。
俺の目の前へ再び淡い光が集まり、それが次第に形を持って一つの大きな箱へと変わっていく。その中には、先ほど説明された片手剣や槍、棍棒、盾、弓、クロスボウが綺麗に並べられていた。
「……おお」
さらに神域の奥、今まで何もなかった場所へもう一つの光が集まり始める。
石造りの枠が生まれ、その内側へ黒褐色の木が形作られていき、やがてそこには一枚の重厚な扉が現れた。
「…………」
あれを開けば、向こう側には本物そっくりの魔物がいる。
死んでも大丈夫で、怪我も残らない。それでも痛みはあるし、怖さまで消えているわけではない。
さっきまでなら「コボルド一匹くらい余裕だろ」と思っていたのに、いざ目の前に扉が現れると、ほんの少しだけ緊張してきた。
俺は昔から、特別何かが得意だったわけではない。勉強は平均より少し上、運動も人並みで、ゲームだってプロになれるほど上手いわけではない。
ただ、一つだけ、一度「面白い」と思ったものについては気が済むまで繰り返す癖があった。勝てないボスがいれば勝てるまで挑戦するし、分からないシステムがあれば自分なりに調べて何度でも試す。
そんな性格が今まで何かの役に立ったことがあるかと聞かれれば、特にはない。
でも――。
「……これ、行かない選択肢あるか?」
俺はそう呟くと、目の前の武器箱へ向かって歩き出した。
世界で最初でもなければ、特別選ばれた人間でもない。ただの大学生、山田太郎。
そんな俺が、この先どこまで行くことになるのか。
この時はまだ、当然ながら知る由もなかった。