TS女神の地球救済政策 ~26年かけて異世界を救った元勇者、絶世の女神になって帰還したら地球が滅びかけていたので、ダンジョン災害で救います~ 作:TS女神
セレイスが目の前に浮かんでいた情報を整理すると、複雑に重なっていた世界構造が一度消え、代わりに地球と一つのダンジョンだけが残った。
ここから決めるのは、自然発生型のダンジョンに存在する機能のうち、何を残して何を変えるのかだ。
「最初に聞きたいんだけどさ。ダンジョンって、俺たちが階層の形から出す魔物まで全部決めなきゃ駄目なのか?」
セレイスから説明を受けたことで、俺が二十六年間で見てきたダンジョンの様々な現象にも、ようやく理由が分かってきた。
外部から魔力を吸収しながら成長し、内部には独自の生態系を作り上げ、人間を誘い込むための資源まで生み出す。俺にとっては長い間ただの「攻略する場所」だったが、実際には建造物というより、自ら環境を変化させながら活動する巨大な生物に近い存在だったらしい。そこまで自律して動けるのなら、地球用に作る場合も、俺が一から十まで設計図を書いてやる必要はないはずだ。
「その必要はないよ。むしろ、細部まで固定しない方がいい。必要な処理能力と基本的な制約だけ与えれば、その範囲内でダンジョン自身が内部環境を調整できる」
「やっぱり?」
「階層の形や生態系、魔物の配置、資源の生成場所まで毎回君が決めていたら、それこそ世界中のダンジョンを四六時中監視することになるよ」
「絶対嫌だ。一つ二つならともかく、世界中のダンジョンの内装担当になるつもりはないぞ。他にやることも山ほどあるだろうし」
ただでさえ地球を救うために考えることが増え続けているのだ。そこへ「第百二十三ダンジョンの十五階にはゴブリンを何匹配置するか」なんて業務まで加わったら、本当に一生神域から出られなくなる。
「じゃあ俺が決めるのは、絶対に守らせるルールと必要な性能くらいでいい?」
「その方がいいと思う。外してほしくない条件だけ設定して、後はダンジョン自身に任せる。同じ基準から作られても、周辺から得る情報や内部で起きた変化によって、それぞれ違う個性を持つようになるだろうね」
世界中どこへ行っても同じ洞窟に同じ魔物が並んでいるより、その方が人間側にとっても研究する価値がありそうだ。
「ただし、好き勝手させすぎるのは困る」
「もちろん。そのための制約だよ」
セレイスが指先を動かすと、ダンジョンの横へいくつかの項目が浮かび上がった。
「まずは危険度だね。特に入口付近には明確な上限を設けた方がいい」
「そこはかなり弱くしたいな。地球全体なら銃が身近な国もあるだろうけど、日本じゃ普通の人間が拳銃やライフルを持ってダンジョンへ行くなんて無理だぞ」
地球人が魔力を扱えるようになる可能性は既に聞いている。それでも、基礎的な身体強化を覚えたからといって、いきなり全員へ魔法剣や全身鎧が配られるわけではない。最初に用意できるものなど、金属バットや丈夫な棒、刃物、工具を多少加工したもの程度だろうし、防具にしても一般人が手に入れられる範囲から始めることになる。
「なら、浅い階層はそれを基準にしよう。基礎的な身体強化を覚えた成人が数人で協力し、一般的な武器を適切に使えば十分対処できる程度。素手なら危険だけれど、遭遇した瞬間に殺されるような魔物は出さない」
「そのくらいがいい」
完全に無害な生き物しかいなければ必要な循環量を確保できないが、だからといって初めて魔物を見る人間を入口で殺すような場所にもしたくない。
浅層では、教えられたことを守り、仲間と協力すれば戦える。その先から徐々に身体強化だけでは厳しくなり、魔力を通した武器や魔法、集団戦術が必要になる。さらに深い場所では、専門的に鍛えた者でなければ生き残れない。そうやって段階的に危険度が上がるなら、挑む側にも自分がどこまで進めるのか判断する余地が生まれる。
「いきなり第一層にドラゴンとか出されても困るしな」
「それは制約違反にしておこうか」
「違反したら?」
何気なく聞いた俺に、セレイスは平然と答えた。
「君が修正すればいい」
「俺が?」
「担当神だろう?」
少し想像してしまった。
地球のどこかで生まれたダンジョンが、何を思ったのか入口付近へ即死級の魔物を配置する。それを知った俺が現地まで赴き、管理核と対面する。
『お前、何で第一層にそんなの置いたんだ』
そんな説教をしている自分の姿が妙に鮮明に浮かび、俺は思わず顔をしかめた。
「……オハナシしに行くことになるのか」
「どういう意味だい?」
「いや、何でもない」
基本は自律運営に任せ、明らかに危険な方向へ進化した個体だけこちらで止める。それくらいなら、まだ何とかなりそうだった。
「次は入口かな」
「そういや、異世界にいた頃からちょっと気になってたんだけどさ。ダンジョンって、入口から先は普通の地下じゃなくて別空間なんだよな?」
「そうだよ。正確には、世界へ接続された閉鎖領域と考えた方が近いかな。入口だけが通常空間に存在して、その先にはダンジョンが形成した独立空間が広がっている」
「やっぱりそうだったのか」
二十六年間も冒険者をやっていれば、さすがにおかしいとは思っていた。地下へ潜っているはずなのに、地上の地形とは到底辻褄の合わない広さがあったり、巨大な森や湖、それどころか空まで存在する階層に出くわしたこともある。当時は「ダンジョンだから」で済ませていたが、本当に普通の地下ではなかったらしい。
「なら地球でも同じ形にすればいいな。入口だけこっちに作って、中は異空間」
「その方が都合はいいだろうね。入口を世界との接点として周辺から魔力や世界負荷を取り込み、それを内部へ流す形にできる。中がどれだけ広くなっても、地球側で必要なのは入口と、その周囲だけだよ」
「それなら土地の問題もかなり減るな」
本物の地下へ何十階層もの迷宮を作れば、地下鉄や上下水道、建物の基礎まで巻き込んで大惨事になりかねない。その点、入口の先が最初から別空間なら、地球側で気にするべきなのは人間が安全に出入りできる場所を確保することくらいで済む。
「問題は、その入口を誰がどこへ置くかだな」
「君が全部決めたい?」
「嫌だ。東京はここ、大阪はここ、北海道はここ、って世界中の住所を俺が一個ずつ決めるのか? それは神じゃなくて不動産屋だろ」
セレイスは少し笑った後、地球上へいくつもの光点を浮かべた。
「なら、ここも条件だけ決めればいい。世界負荷の分布、魔力濃度、人口、周辺環境、他のダンジョンとの距離。それに、人間社会の重要施設を直接潰さず、入口周辺に最低限の管理空間を確保できることも加えておこう」
「その条件に合う場所を、ダンジョン自身が選ぶ?」
「君が必要な地域と処理能力だけ決めて、具体的な接続地点はダンジョンと世界側に選ばせる。それが一番自然だと思うよ」
これなら病院の手術室や空港の滑走路の真ん中に入口が生えるような馬鹿な事故は避けられるし、俺が世界地図と一日中睨み合う必要もない。
人間にとって便利な場所へ自由に移動させるような施設ではなく、あくまで必要な場所へ発生する災害。その発生条件だけを理不尽にならないよう整えるくらいが、神として手を加える範囲としてもちょうどよさそうだった。
「ところでさ。ダンジョンが魔物を勝手に作るのは分かったけど、その魔物って何を元にしてるんだ?」
魔物はダンジョンが取り込んだ魔力を材料に形成するらしい。だが、材料が魔力だとしても、どんな姿や能力を持たせるのかを決める情報まで無から生まれるわけではないはずだ。
「俺がいた世界のダンジョンだと、外にいる魔物を真似てる?」
「それが一番多いね。周囲の生態系や実在する魔物を読み取り、それを基礎情報として再現する。完全な複製ではないけれど、長期間繰り返すうちに特定の種族へかなり近くなる場合もあるよ」
「狼がいる地域なら狼型が出たり、ゴブリンがいるならゴブリンを作ったりする?」
「その理解でいい」
「じゃあ地球は?」
聞いた瞬間、セレイスが少し黙った。
「…………いないね、魔物」
「いないよな」
「少なくとも、現在の地球には直接参照できる自然発生型の魔物はいない」
「じゃあ、何を出すんだ?」
「んー……」
珍しくセレイスが少し考え込み、やがて地球の投影へ視線を向けた。
「地球と接続される以上、その世界に存在する情報そのものを参照するんじゃないかな」
「情報?」
「生物だけではないよ。人間が積み上げてきた神話、伝承、物語、想像上の生物に関する概念も含まれる」
「……ちょっと待って。それって、創作の怪物も?」
「含まれると思う」
「じゃあゴブリンとかスライム出てくる?」
「可能性はかなり高いね」
「創作物だぞ?」
「特定の作品に登場する個体をそのまま複製するわけではないよ。ただ、人類が長い時間をかけて『こういう存在だ』と共有してきた怪物の像は、世界に蓄積した情報としてかなり安定している。魔物を形成するための型として利用するには都合がいいんだ」
俺は思わず額を押さえた。
「いや待て。地球人が『ダンジョンといえばゴブリンとかスライムだよな』って思ってるから、本当にゴブリンとスライムが生えてくるの?」
「極端に単純化すれば、そうなる可能性があるね」
「因果関係が逆だろ!」
ファンタジー作品で散々見慣れてきた怪物が、人間が想像し続けた結果として現実側へ逆輸入されるなど、誰が予想できるだろう。
地域ごとの神話や伝承も多少は影響するらしいが、現代では情報そのものが世界中で混ざり合っている。日本でゴブリンが出てもおかしくないし、海外で妖怪に似たものが現れても不思議ではないようだ。
「でも、人類が想像したものなら何でも作れるってなると、洒落にならない怪物も山ほどいるぞ」
「だから能力と危険度には制限が必要になる。どれほど強力な怪物像を参照しても、設定された上限を超える個体は形成できないようにしておけばいい」
「見た目がドラゴンでも、第一層なら犬くらいの強さとか?」
「そこまで弱体化する意味があるかはともかく、理屈としては可能だよ」
魔物の種類そのものまで俺が指定する必要はないらしい。ただ、感染しただけで致死性の病気を撒き散らすものや、見るだけで精神を破壊するような存在まで自由に作られては困る。強さだけでなく、扱ってよい能力にも明確な上限を設けておく必要がありそうだ。
「次は、放置された場合だな」
「通常時には、魔物が外へ出られないようにするんだったね」
「ああ。ただ、内部活動が足りなくなって限界へ近づいた時まで、何も知らせないのはまずい」
前の話で、人間側へ対処する余地を残すという方向は決めている。なら今度は、それを実際に誰でも分かる仕組みへ落とし込まなければならない。
セレイスが入口の横へいくつかの表示を浮かべた。
【正常】
【注意】
【警戒】
【危険】
【臨界】
「……やっぱりゲームっぽいな」
「分かりやすい方がいいだろう?」
「そこは否定しない」
相手は世界中の人間なのだ。神秘的だからという理由で意味不明な光や古代文字を使う必要などない。
「正常なら通常の活動で十分。注意に入れば攻略量を増やす必要があることを知らせる。警戒ではより積極的な対応を求め、危険まで進めば周辺住民の避難準備も必要になる。臨界まで放置された場合にだけ、最終手段として魔物を外部へ放出することを許可する形ならどうかな」
「いいと思う。ただ、それぞれの段階にちゃんと猶予を持たせたい。昨日まで正常だったのに、明日いきなり臨界になりました、なんてのはなしだ」
「人間が対処できるだけの時間を確保すること自体を、制約へ入れておこう」
「それならいい」
少なくとも、何も知らないうちに手遅れになっていた、という事態だけは避けられる。
「撤退も同じだな。逃げる判断に意味を持たせたい」
「一定区画ごとに帰還地点を置く?」
「ああ。異空間なら入口へ直接繋げられるんだろ?」
「できるよ。例えば階層ごと、あるいは一定距離ごとに退避地点を設け、そこまで戻れば入口付近へ転移できるようにする」
どこからでも好きな瞬間に脱出できれば安全性は上がるが、それでは危険を見極めて引き返す意味が薄れ、内部で生じる活動量にも影響するらしい。
「なら、帰還地点まで戻れば確実に逃げられる。それくらいでいい」
判断を誤れば怪我をするし、無茶をすれば死ぬ可能性も残る。それでも、途中で危険に気づいた人間から、引き返すという選択肢そのものまで奪うような場所にはしたくなかった。
「次は報酬か」
「人間を内部へ呼び込むための資源だね」
「だから餌みたいに言うなって」
「事実ではあるよ」
相変わらずセレイスは悪びれもしない。
「浅層は、地球で既に使い方の分かってるものを多めにしたい。鉄や銅、アルミ、レアメタル。金や銀は量を絞るとして、石油や天然ガスみたいなものも出せるなら候補かな。それに異世界産の薬草や低級魔物素材、低級魔石を少し混ぜる」
「使い道の分からないものばかりにはしないわけだね」
「そう。最初から謎のファンタジー金属だけ山ほど出しても、研究が終わるまでは使えないだろ」
異空間内部で生成する以上、その土地の地質に同じ資源が存在する必要はないらしい。なら浅層では既存技術ですぐ利用できるものを中心にし、未知の素材を少しずつ混ぜるくらいが、人類側にとっても扱いやすいだろう。
「中層からは地球じゃ作れないものを増やしていく?」
「魔力伝導性に優れた金属、軽くて強靭な素材、魔力を蓄積できる結晶、高性能な薬草、中位以上の魔物素材。その辺りが候補になるね」
「治療関係は多めにしたいな」
「生命力へ作用する植物や、再生能力を持つ生物を元にした素材も生成できるよ。ただ、完成品の薬を大量に出すよりは、原料として人類へ研究させる方が長期的にはいいかもしれない」
「俺もその方がいいと思う」
何でも神が完成品として配ってしまえば、人間側に技術が残らない。素材の性質を調べ、加工方法を見つけ、安全に利用する技術まで人類自身が作れば、それはやがて地球独自の技術として根づいていく。
「深層は、完全にファンタジー素材でもいい?」
「構わないよ。君がいた世界の高位金属や、通常の物質では実現できない性質を持つ素材、膨大な魔力を蓄えられる結晶、高位魔獣素材、特殊な樹木なんかも作れる」
「完成品の武器や防具は?」
「低確率なら生成してもいい。ダンジョン自身が、侵入者をさらに奥へ誘うための報酬として判断することもあるだろうね」
「そういえば宝箱とかもあったな……。あれも要するに、冒険者を奥まで来させるための餌ってことか」
夢のない話ではあるが、仕組みとしてはよくできている。希少な装備や素材が存在するなら、それを求めて危険な場所へ挑む人間も間違いなく現れるだろう。
「これ、やっぱり経済はぶっ壊れるよな」
「かなり変化するだろうね」
「金がダンジョンから出れば金価格に影響するし、石油やレアメタルが世界中で採れるようになれば、資源国とそうじゃない国の関係も変わる」
「新しい素材が既存材料より高性能なら、それを前提にした産業へ移っていくだろうし、魔石をエネルギー源として利用できるようになれば、さらに大きな変化が起こるだろうね」
そこまで聞いて、俺はしばらく地球の投影を見つめた。
表面上はまだ、俺がいなくなる前と大して変わっていない。できるなら今ある社会を大きく壊したくはないし、そこで十六年ほど生きてきた俺にとっては、以前と同じ生活が続いてくれる方がいいに決まっている。
だが、地球そのものが既に変わり始めている以上、それだけを願って済ませることはできない。
「……たぶんさ」
「何だい?」
「人類に、『今までの常識が壊れてでも生き残るのと、今の社会を守ったまま文明ごと滅ぶの、どっちがいい?』って聞いたら、大半は前者を選ぶんじゃないか?」
セレイスは少し考えてから、静かに答えた。
「全員がそう答えるとは限らないよ」
「それは分かってる。今の生活や財産や地位が変わるくらいなら、そんな世界はいらないって人間もいるかもしれない。でも、だからって今までの常識を守るために、人類全員が巻き込まれる方を俺が選ぶのは違うだろ」
「そうだろうね」
「金の価値が下がるとか、既存の産業が衰退するとか、それで困る人が出ることも分かる。でも、人類が生き残るために役立つものを、今の経済を壊したくないからってわざと出さない方が本末転倒だ」
何もかも好き勝手に変えるつもりはない。金を無限に生成する必要もなければ、既存資源を全部無価値にするほど大量に供給する必要もない。それでも、これからの地球で必要になるものなら出すべきだと思う。
「地球にはもう魔力が流れ込んでる。それを人間も使うようになって、ダンジョンまで現れる。その状態で、経済や社会だけ昨日までと同じって方が無理だ」
「つまり、変化を防ぐことより、生き残った後に適応できる余地を残す?」
「ああ。ただ、その後どう使うかまで俺が全部決める気はない」
「市場価格や税率まで?」
「絶対やらない」
即答すると、セレイスが僅かに笑った。
「賢明だと思うよ」
「人間社会の経済は人間に任せる。俺が決めるのは、ダンジョンへ入る価値をなくさないことと、新しい環境へ適応するために役立つ資源を出すところまでだ」
「それで十分だろうね」
報酬がなければ、人は危険を冒してまで中へ入りたがらない。そうなれば内部で起こる活動も減り、結果としてダンジョンの処理能力にまで影響する。
「……やっぱ餌なんだよな」
「だから最初からそう言っているじゃないか」
「言い方が嫌なんだよ」
ため息を吐きつつも、これで地球用ダンジョンの骨格はかなり見えてきた。俺がすべてを一つずつ管理するのではなく、絶対に外してほしくない条件だけを決め、その範囲内でダンジョン自身に動いてもらう。
「……これなら、一年後には出せそうだな」
口にした直後、胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。
一年後まで、地球人は今まで通り魔物など存在しない世界で暮らしている。身体強化も魔法も知らず、魔石が何なのかも、薬草をどう扱うのかも、ダンジョンの危険表示が何を意味するのかも知らない。
その状態で、ある日突然世界中へ入口だけが現れる。
「…………いや」
「どうしたんだい?」
「これ、一年後にいきなり出したら駄目じゃん」
どれだけ浅層を弱くし、人間が対処できるよう設計したとしても、何の準備もしていない人間へ突然渡したところで意味がない。
こちらは自然災害を「人間が対処できる災害」へ変えようとしているのに、肝心の人間側が対処する方法を何も知らないのでは本末転倒だった。
「一年あるんだよな」
「今の推定ならね」
「だったら、その一年を準備に使う」
今度は迷わなかった。
「ダンジョンが現れることを先に知らせる。中には魔物がいることも、放っておけば危険になることも。その上で身体強化とか魔法の使い方、魔物との戦い方まで教える」
「世界中へ?」
「できるなら」
俺は二十六年間、魔物のいる世界で生きてきた。戦い方だけではなく、武器の選び方も、仲間と動く方法も、自分より強い相手へ遭遇した時に何をすべきかも知っている。
特に最後の一つは重要だ。
勝てない時には逃げる。
自分の実力を見誤らず、撤退するべき時に撤退するだけで助かる命があることを、俺は二十六年間で何度も見てきた。
「問題は……どうやって世界中へ教えるかだな」
テレビに出るのか、インターネットを使うのか。それとも、どこかの政府へ連絡して世界中へ情報を回してもらうのか。
だが、今の俺は地球では二年半前に行方不明になった男子高校生であり、その本人が似ても似つかない銀髪の女の姿になり、しかも自称女神として現れて、
『一年後に世界中へダンジョンが発生します』
などと言い始めたところで、まともに信じてもらえる気がまるでしない。
「一人ずつ説明して回るのは無理だな」
「八十億を超える人間がいるからね」
「何かない? こう……神っぽいやつ」
「随分雑な要求だね」
「だって神だろ?」
「君ももう神なんだけれど」
「なったばっかなんだよ!」
自分の能力さえまだ把握しきれていないのだから、仕方がない。セレイスはそんな俺を見て少し考えた後、地球の投影へ視線を向けた。
「全人類へ同じ情報を届けるだけなら、方法はいくつかある。ただ、強制的に精神へ情報を刻み込むような方法は勧めないよ」
「それは俺も嫌だ」
勝手に頭の中へ情報を流し込み、人格や記憶へ影響を与えるような真似はしたくない。
「なら、睡眠中の夢を利用するのが一番穏当かな。眠っている間だけ映像や音声を見せる。記憶を書き換えるのではなく、一つの夢として情報を届けるなら、精神への負担も小さい」
「……全員に?」
「設定すれば可能だよ。言語も、受け取る側が理解できる形へ自動的に変換できる」
世界中の人間が眠り、その夢の中で同じ銀髪の女神を見る。そこで一年後にダンジョンが現れると告げられるのなら、確かにテレビやインターネットよりよほど神らしい方法ではある。
「めちゃくちゃ神託っぽいな」
「神が行うんだから、神託では?」
「そうなんだけどさ……」
こういう話をするたび、自分が本当に人間ではなくなったのだと改めて実感させられる。
「夢なら何回も流せる?」
「必要ならね」
「最初の一回で信じてもらえると思う?」
「思わないよ」
「即答だな」
「君が逆の立場なら信じる?」
「……夢の中で知らない女から『一年後に魔物が出ます』って言われても、寝起きに変な夢見たなで終わると思う」
「だろう?」
それもそうだった。
「なら、一回だけじゃ駄目だな。最初は短い内容にして、重要なことは何度か繰り返し伝える。その上で、少しずつ具体的な情報を増やして、身体強化とか魔法の使い方も教えて……」
口にしながら、これから一年間でやらなければならないことの多さに頭が痛くなりそうになる。
だが、その準備期間について考えたところで、別の問題が浮かんだ。
「……待てよ」
「何だい?」
「俺たちが一年かけて準備してる間にも、地球の負荷は増え続けるんだよな?」
「増えるね」
「それで予定より早く臨界に入ったらどうするんだ? 半年くらい経ったところで、やっぱり一年もちませんでした、なんてなったら全部台無しだぞ」
一年というのは、あくまで現在の状態から計算した推定にすぎない。その間にも魔力は流れ込み続けるし、地球側の適応や負荷の増え方によっては、状況そのものが変化する可能性もある。
だが、セレイスはそれほど困った様子を見せなかった。
「前に話しただろう? 溜まっている負荷の一部を、小規模な自然現象として先に排出することはできるよ」
「あ……そういや言ってたな」
「根本的な解決にはならないけれど、本格的な自然排出へ至るまでの時間を延ばすことはできる。地球の状態を見ながら、危険になりすぎない範囲で少しずつ抜いていけばいい」
「小さい地震とか、多少の異常気象にして出すやつか」
「そうだね。完全に無害にはできないけれど、文明そのものを破壊する規模になるよりは遥かに制御しやすい」
それなら、一年間という準備期間をただ祈りながら待つ必要はない。こちらで地球の状態を監視しながら負荷を少しずつ逃がして時間を稼ぎ、その間に人類へ必要な知識と力を渡していけばいい。
「でも、その間に地震とか変な天気が増えたら、人間側も不安になるよな」
「何も説明しないつもりかい?」
「いや。ただ、全部話す必要はないと思う」
文明が壊れかねないほど世界負荷が蓄積していて、それを一気に排出させないために神が意図的に小さな災害へ変換しています――最初からそこまで説明しても、余計な混乱を招くだけだろう。
だからといって、嘘をつくつもりもなかった。
「『ダンジョン発生に備えて地球の魔力環境を安定させるための調整を行います。その影響で、一時的に地震や異常気象が増える可能性があります』……くらいならどうだ?」
「事実から外れてはいないね」
「だよな。ダンジョンができるような世界へ変わってる途中なのは本当だし、その調整で負荷を抜くのも本当だ」
「原因のすべてを説明してはいないけれど、嘘ではない」
「それならいい」
必要以上に怯えさせず、それでも知っておくべきことは伝える。その線引きまで考えなければならないのだから、神様というのも思っていた以上に面倒な仕事だった。
ただ、これで一年間をどう使うべきかは見えてきた。
地球が限界を迎えないよう、こちらで負荷を小出しにしながら時間を稼ぐ。その間にダンジョンの危険性と対処法を伝え、身体強化や魔法を使えるようにし、魔物との戦い方を教えていく。何より、勝てない時には無理をせず逃げるべきだという判断まで含めて知ってもらわなければならない。
何も知らない人間を、ある日突然魔物のいる異空間へ放り込むような真似だけはしない。
「……やること、増えたな」
「最初から少なくはなかったと思うよ」
「言うな」
地球を救う方法を考えていただけのはずが、気づけばダンジョンの運用基準から世界規模の教育計画まで考え始めている。それでも、その準備によって生き残れる人間が増えるのなら、やらない理由はなかった。
「今日は……いや、神域だから時間の感覚がおかしいけど、とりあえずここまでにしない?」
「疲れた?」
「身体じゃなくて頭がな」
「神になったからといって、精神的な疲労まで完全になくなるわけではないからね」
「便利なんだか不便なんだか分からない身体だな……」
細部はまだいくらでも詰める必要があるが、少なくとも俺が世界中のダンジョンを一つずつ管理する必要はなく、大枠を決めた上で危険な方向へ逸れた時だけ止めればいいと分かった。それだけでも、最初に想像していたよりは随分と気が楽になった。
「セレイス」
「何だい?」
「続きは後でもいいんだよな?」
「もちろん。神域と地球の時間差はこちらで調整できるから、今すぐ全部決める必要はないよ」
「じゃあ……一回戻る」
そう口にした瞬間、さっきまでダンジョンや世界負荷について考えていた時とは違う重さが、胸の奥へ戻ってきた。
二十六年間、ずっと帰りたいと思い続けていた場所へ、ようやく戻ってきた。それなのに世界の異常を知り、神域へ連れてこられ、結局まだ本当に帰りたかった場所には辿り着けていない。
「家族に会ってくる」
今度こそ、本当の意味で家へ帰る時だった。