TS女神の地球救済政策 ~26年かけて異世界を救った元勇者、絶世の女神になって帰還したら地球が滅びかけていたので、ダンジョン災害で救います~ 作:TS女神
家族に会うと決め、地球へ戻ろうとしたところで、セレイスがふと俺の全身へ視線を向けた。
「その前に、一ついいかな」
「何だ?」
「その格好で行くのかい?」
「……あ」
言われて自分の身体へ視線を落とすと、銀白色の長い髪に、どう見ても二十代前半くらいの女の身体。そして身につけているのは、神になった直後からずっと着ていた女子用の制服だった。
この服が高校時代に見慣れていた女子制服によく似ていること自体は、身体が変わった直後から気づいている。改めて細部まで見れば、やはり俺が通っていた高校のものを元にしているらしく、ブレザーの形やスカートの色、胸元のリボンまで記憶にあるものとよく似ていた。完全に同じではないのは、俺自身の記憶から再構成された神衣だからだろう。
「……これで実家行くの、まずいな」
「そうなのかい?」
「どう見ても成人した銀髪の女が、女子高生みたいな制服着て一般家庭のインターホン押すんだぞ。ただでさえ説明不能なのに、余計に怪しくなるだろ」
「なるほど」
「なるほどじゃない」
地球へ帰ってきた直後は、自分の身体が女になっていることや神になっていることの方が問題として大きすぎて、制服姿のままでも特に気にしていなかった。
だが、今から会いに行く相手は、二年半前に高校生の息子を失った家族である。そこへ本人とは似ても似つかない銀髪の成人女性が、かつて息子が通っていた高校の女子制服によく似た服を着て現れるなど、どう考えても情報量が多すぎる。
「これ、着替えられないのか?」
「神衣なら変えられるよ」
「変えられるの?」
「君の神体に付随して形成されているものだからね。物理的な衣服とは少し違う。慣れれば形状や材質くらいなら自由に変更できるよ」
「先に教えてくれよ……」
「聞かれなかったから」
セレイスは悪びれもせず、自分の服の袖を軽く摘まんだ。
「難しく考えなくていい。着たい服を明確に想像して、神衣へ反映させればいいんだ」
「着たい服って言われてもな……」
二十代くらいの女が普通に街を歩いていても不自然ではなく、家族の前へ現れても余計な疑問を増やさない服装。
そう考えてみるものの、そもそも俺は女性用の私服になど詳しくない。
「……女物の私服なんて分からないぞ」
「私に相談されても困るよ。私は人間の男女どちらの服装にも特別なこだわりはないからね」
「その姿で何千万年も生きてるんじゃなかったのか」
「性別はないんだけれど」
「知ってるよ!」
結局、記憶の中にある無難そうな服装を適当に組み合わせることにした。派手なものは避け、スカートも今の俺にはまだ何となく落ち着かないので、白に近い淡い色のシャツと濃い色のパンツ、その上に簡素な上着を重ね、足元も目立たない靴にする。
頭の中で形を作りながら神衣へ意識を向けると、制服だった服の輪郭が僅かに揺らぎ、次の瞬間には想像した通りの姿へ変わっていた。
「……おお」
袖を引っ張ってみると、感触は普通の布とほとんど変わらない。
「便利だな、これ」
「神だからね」
「こういうところだけ神様っぽいんだよな……」
もっとも、服装を普通にしたところで、銀白色の髪も青い瞳も、この異様に整った顔も消えてくれるわけではない。目立たない格好にしたつもりでも、おそらく普通に目立つだろう。
「まあ、制服よりはマシか」
「そうだろうね」
「ちなみに、地球側って今何時?」
セレイスが一瞬だけ地球へ意識を向ける。
「日曜日の午後三時を少し過ぎたところだよ」
「日曜か」
それなら都合がいい。父さんが仕事へ行っている可能性も低いし、母さんも家にいるかもしれない。妹は――俺がいなくなった頃はまだ中学二年生だったはずだが、今どうしているのかまでは分からない。
「じゃあ、行ってくる」
「うん」
セレイスはそれ以上何も言わず、静かに頷いた。
俺は自分の魂に残っている地球との繋がりを意識し、そこへ神力を通す。ほんの一瞬、身体がどこにも存在しなくなったような奇妙な感覚があったかと思えば、次の瞬間には見慣れた住宅街が目の前に広がっていた。
「…………」
少し離れた場所に立つ、一軒の家を見つめる。
二十六年間、何度思い出したか分からない。異世界へ飛ばされた直後は毎日のように思い出していたし、魔王軍との戦いが激しくなってからも、死にかけるたび頭のどこかに浮かんだ。戦いが終わってからは、今度こそ帰れるかもしれないという希望と一緒に、何度も思い描いた場所だった。
外壁の色が少し変わっている。玄関脇に置かれていた鉢植えも以前とは違うし、昔はなかった物までいくつか増えていたが、それでも間違えるはずがない。
「……帰ってきたんだよな」
地球へ戻った時にも同じことを思ったはずなのに、今になってようやく実感が追いついてきた。
あそこが俺の家だ。
父さんと母さんと妹が暮らしている、俺が二十六年間ずっと帰りたかった家。地球では二年半しか経っていなくても、俺にとっては本当に二十六年ぶりだった。
足を踏み出しかけたところで、ふと自分の身体へ視線を落とす。
服装だけは何とか普通になったが、それ以外はどうしようもない。銀白色の髪は腰を遥かに越えて伸び、日本人離れした青い瞳に、どう見ても成人女性の身体。控えめに言っても、二年半前にこの家からいなくなった男子高校生の面影は一切なかった。
「……これで『ただいま』は無理だろ」
玄関を開けて『ただいまー』などと言えば、普通に知らない女が家へ侵入してきただけである。
では何と言えばいいのか。
『二年半前に行方不明になった息子さんについて、お話があります』
どう考えても、死体が見つかった時の台詞だ。
『息子さんの居場所を知っています』
こちらはもっとまずい。誘拐犯か、二年半越しに現れた怪しい情報提供者にしか聞こえない。
『俺が息子です』
「…………警察呼ばれるな」
自分で言っておいて頭を抱えたくなった。
世界を救う方法については何時間でも考えられたのに、玄関の前まで来て家族へ何と声をかければいいのか分からない。神というのも大したことがない。少なくとも、家族への帰還報告一つ、神力ではどうにもならなかった。
「……行くしかないか」
ここで何時間悩んだところで正解など出そうにない。
俺は意を決して玄関へ近づき、見覚えのある位置に取り付けられたインターホンのボタンへ指を伸ばした。
押す。
家の中から小さく呼び出し音が聞こえた瞬間、魔王城へ突入した時より緊張している気がした。
『はい』
聞こえてきた声に、胸の奥が大きく跳ねる。
忘れるわけがない。二十六年経っても、俺にとっては何一つ変わらない母さんの声だった。
「あ……」
『どちら様ですか?』
「…………」
声が出ない。
今の俺に心臓が必要なのかすら分かっていないが、少なくとも胸の奥が異様にうるさい。
『もしもし?』
「あ、いや。すみません」
咄嗟に出た言葉がそれだった。
自分でも何をしているのか分からないまま、どうにか続ける。
「突然すみません。ちょっと……話があって」
『お話、ですか?』
「ああ、じゃなくて……はい」
敬語を使おうとして失敗した。
インターホンの向こうで僅かな沈黙が落ちる。
『どちら様でしょうか』
「それを説明するのが、かなり難しくて……」
最悪の答えだった。
顔も知らない女が玄関先に現れ、名前すら名乗らず「説明が難しい」と言い出す。自分で聞いても怪しさしかない。
「いや、怪しいのは分かってる。警察呼んでも構わないから、そのままインターホン越しでいい。少しだけ話を聞いてほしい」
『……何のお話ですか?』
当然、声が警戒している。
当たり前だ。むしろ玄関を開けてこないことに安心すらした。
「二年半前に……この家から、息子がいなくなっただろ」
自分のことを「息子」と呼ぶのは、何とも妙な気分だった。
インターホンの向こうが静まり返る。
『……どうして、そのことを知っているんですか』
「それは……」
ここからどう言えばいい。
『悠真を知っているんですか?』
「知ってるというか……」
『どこにいるんですか?』
母さんの声が変わった。
警戒より先に焦りが混ざったのが分かり、俺は慌てる。このままでは本当に、行方不明の息子について何か知っている謎の女になってしまう。
「ごめん。先に結論言う」
『……はい』
「俺です」
『…………』
「…………」
沈黙が落ちた。
当然だった。
『……はい?』
「だから、その……俺」
『何を言ってるんですか?』
「そうなるよな!」
思わず素の声で返した瞬間、家の中から小さな物音が聞こえた。
『お母さん、誰?』
今度は別の声だった。
妹だ。
記憶より少し大人びているが、それでも間違えるはずがない。
『美羽、ちょっと待ってなさい』
『何? セールス?』
『違うから』
『じゃあ誰――』
そこまで聞こえたところで、向こう側が少し騒がしくなった。どうやらインターホンの画面を美羽も覗き込んだらしい。
『……何この人』
「おい」
思わず反応してしまう。
『え?』
「いや……」
しまった。
今の返し方も完全にいつもの調子だった。
『お母さん、この人、何て?』
『……お兄ちゃんだって』
『は?』
「その反応は正しいと思う」
『何でそっちが同意するの』
「だって俺でも逆の立場なら信じないし」
『…………』
また沈黙が落ちた。
『……何か』
美羽の声が少し低くなる。
『何か喋り方、嫌なくらいお兄ちゃんっぽくない?』
「嫌って何だよ」
『今のそれ』
「いや知らねえよ!」
『それも』
「…………」
自分では意識していなかった。
二十六年間、異世界で暮らした。勇者と呼ばれ、国王や将軍と話し、神とまで戦った。それでも家族を相手に口を開いた瞬間、二十六年前――いや、地球時間では二年半前の自分へ戻っている。言葉遣いも返し方も、何一つ意識して変えたつもりなどなかった。
『……ちょっと待って』
美羽の声が遠ざかり、何をしているのかと思っていると、今度は母さんの声が戻ってきた。
『あなた、本当に……』
「信じられないのは分かってる」
『本当に、うちの息子だっていうんですか?』
「ああ。でも、それを証明しろって言われても難しい」
家族構成も、昔住んでいた場所も、俺の部屋に何があったかも言える。家族しか知らない思い出を話せば、もっと信憑性は増すのかもしれない。
それでも「そんなこと本人しか知らないはずだ」と思わせることはできても、目の前にいる銀髪の女がその本人である証明にはならない。調べたのだと言われれば、それまでだ。
「俺が何を言っても、知ってる情報を仕入れてきたって言われたら終わりだと思う」
『……それは』
「だから、無理に信じてくれとは言わない。玄関も開けなくていい。ただ……」
そこで言葉が詰まった。
二十六年間、帰ったら何を言うのか何度も考えてきた。ただいまと言うのか、ごめんと言うのか、待たせたと言うのか。
けれど、いざ本当に家族の声を聞いてしまえば、そんなふうに用意していた言葉は何一つ出てこなかった。
「……帰ってきたんだ」
結局、口から出たのはそれだけだった。
長い沈黙が続き、やがて家の奥から低い男の声が聞こえてきた。
『どうした?』
父さんだ。
『お父さん、ちょっと来て』
『何だ』
『この人……』
またしばらく、俺には聞き取れない程度の声で何か話している。
その間、俺は玄関先で一人立ち尽くしていた。
逃げたい。
何度か本気でそう思った。魔王から逃げたいと思ったことさえほとんどなかったのに、今はこの場から消えてしまいたくて仕方がない。
だが、それだけは絶対に駄目だった。
二十六年間帰りたかった場所から、自分で逃げてどうする。
『……君』
父さんの声がインターホンから響いた。
「……はい」
『警察には、連絡してもいいんだな?』
「ああ。というか、した方がいいと思う」
『……』
「知らない女が行方不明の息子を名乗って家の前に立ってるんだぞ。俺だったら呼ぶ」
『自分でそれを言うのか』
「言うだろ」
そう返したところで、父さんの声音がほんの僅かに変わった気がして、俺は息を呑んだ。
『……少し待っていなさい』
「ああ」
インターホンが切れた。
本当に警察が来るのかもしれない。それでも構わないのだが、地球へ帰って最初に警察署へ連れていかれることになるのは、さすがに想定していなかった。
そんなことを考えているうちに玄関の向こうから音がして、鍵が開き、続いてチェーンらしき金属音が鳴る。そして、扉が僅かに開いた。
「…………」
隙間から母さんの顔が覗く。
二年半しか経っていないはずなのに、記憶より少しだけ歳を取ったように見えた。俺がいなかった時間を、家族は家族で生きてきたのだから当然なのだろうが、それを自分の目で確かめると胸に来るものがあった。
「母さん……」
無意識に口から出た。
母さんの目が大きく揺れる。それでも扉を完全には開かず、俺の顔から足元まで何度も確かめてから、困惑したように眉を寄せた。
「……本当に、女の人なのね」
「俺も最初見た時そう思った」
「そういう意味じゃありません」
「あ、はい」
反射的に返事をすると、母さんが少しだけ目を細めた。その表情を見た瞬間、何となく嫌な予感がした。
「……あなた」
「ん?」
「今、叱られた時の返事まで、あの子と同じなのよ」
「…………」
「でも、顔は全然違う」
「うん」
「声も違う」
「身体ごと変わってるからな」
「そんなことを普通に言われても、分からないわよ」
「俺だって分かんなかったよ」
思わず言い返すと、後ろから美羽の声が飛んできた。
「そういうとこ!」
「何が!」
「その顔!」
「顔?」
「見た目全然違うのに、今の顔すごいお兄ちゃんっぽい!」
何を言っているのか自分ではまったく分からない。
だが、母さんも何か思うところがあったらしく、こちらを見たまま黙り込んでしまった。
やがて扉がもう少しだけ開き、その後ろから美羽も顔を出す。
「……うわ」
「何だよ」
「本当にめちゃくちゃ美人」
「そこ?」
「いや、だって……」
美羽は遠慮なく俺の全身を眺めた。
「銀髪だし、髪長いし……何その身体」
「俺に言うな」
「その服は普通なんだ」
「そこだけは着替えてきた」
「着替えてきた?」
「説明すると長い」
「もう全部長いよ」
そんなやり取りをしているうちに、美羽の顔から僅かに警戒が薄れていく。
もちろん、信じたわけではない。それでも少なくとも、完全な「知らない女」と話している時の顔ではなくなりつつあるのは分かった。
「……異世界?」
突然そう聞かれた。
「え?」
「だから、異世界転移とか、そういうやつ?」
「……何で分かった?」
「いや分かってないから。ただ、言ってることからするとそれしか思いつかないだけ」
「そうなのか」
「そういうラノベなら読んだことあるし」
「お前、そんなの読むようになったのか」
「前から読んでたよ!」
「知らなかった」
「お兄ちゃんが人の部屋とか趣味に興味なかっただけでしょ!」
「あー……」
言われてみれば、そうかもしれない。
美羽は大きく溜息を吐くと、改めて俺を上から下まで見た。
「意味は全部分かるよ。異世界に飛ばされて、何かあって女になって帰ってきたってことでしょ」
「だいたい合ってる」
「意味はね。現実に起きましたって言われて信じられるわけないからね?」
「それはそう」
「何でそんな納得するの」
「俺だって地球にいた頃なら絶対信じねえもん」
「……そういう返しも腹立つくらいお兄ちゃんなんだけど」
どうやら褒められてはいないらしい。
「とりあえず」
父さんが奥から姿を見せた。
母さんと美羽より少し離れた位置で立ち、じっと俺を見ている。
「中へ入れるかどうかは、まだ決めていない」
「ああ」
「ここで話せることを、まず話してくれ」
「分かった」
当然だと思った。むしろ、ここまで玄関を開けてくれただけでも十分すぎる。
「二年半前、俺は……」
言い始めたところで、家の奥から聞き覚えのある軽い足音がした。
ぱたぱたと床を叩きながら近づいてきたそれに顔を向けると、開いた玄関扉の隙間から一匹の猫が顔を出す。
「……え?」
一瞬、言葉を忘れた。
「お前……」
俺が消えた頃は、まだ小さかった。両手で抱き上げても軽く、夜中に俺の布団へ潜り込んできては、朝になると勝手に顔の上へ乗っていた。
その猫が、今はすっかり成猫になっている。
「……でかくなったな」
猫は俺を見ると、その場で止まった。耳を立て、こちらをじっと見つめている。
「おいで」
無意識にしゃがみ込み、手を差し出した。
だが猫はすぐには来なかった。
当たり前だ。見た目も匂いも、昔の俺とはまるで違うはずである。少し近づいては止まり、鼻を動かして俺の匂いを確かめ、それからまた一歩だけ近づいてこちらを警戒するように見上げる姿を見ていると、頭では仕方がないと分かっていても胸の奥が僅かに沈んだ。
「……そりゃ分かんないよな」
「こいつ、人見知りするから」
美羽が小さく言う。
「最近は特に、知らない人にはあんまり近づかないよ」
「そうなのか」
なら仕方がないと思って手を引こうとしたところで、猫がもう一歩前へ出た。
俺の指先へ鼻を近づけ、しばらく匂いを嗅いだ後、妙に慎重な様子で俺の手へ頬を擦りつける。
「…………」
「え」
美羽の声が漏れる。
俺も少し驚きながら、昔からそうしていたように顎の下へ指を入れて軽く掻いてみると、猫の喉から小さく音が鳴った。
「お前、分かるのか?」
もちろん答えるはずもない。
「あ……」
今度は母さんまで声を漏らした。
「何?」
「そこ」
美羽が俺の手元を見ている。
「その子、そこ触られるの好きなんだけど」
「知ってるよ。昔から――」
言いかけて、止まった。
母さんも父さんも黙っている。
「……いや。別にこれも、証拠にはならないけどな」
猫の喉を撫でながら苦笑する。
猫が懐いたから本人です、などという理屈だけで、二十六年の異世界生活や、性別まで変わった今の身体について納得できるはずがない。たまたま猫に好かれやすい人間だったのかもしれないし、こいつが昔から好きだった撫で方を偶然知っていただけだと言われれば、それまでだ。
「でも……」
美羽が小さく呟く。
「この子、知らない人にそんなすぐ触らせないんだけど」
「だからって猫で本人認定するなよ」
「してないよ!」
「ならいいけど」
「……何か、そういうとこも腹立つ」
「さっきから俺、腹立つって言われすぎじゃない?」
いつもの調子で返した瞬間、母さんが片手で口元を押さえた。
「……母さん?」
「ごめんなさい」
母さんは顔を伏せ、少しだけ息を整えてから俺を見る。
「まだ、信じられないの。だって、あなたは……どう見てもあの子じゃないから」
「分かってる」
「でも、話し方も、返事の仕方も……時々する顔も、本当に似てるのよ」
「…………」
「似てるっていうか……」
母さんは言葉を探すように少し迷い、それから俺を見つめた。
「本人がそのまま、知らない人の身体に入ってるみたいで」
そこで一度口を閉じる。
何かを確かめようとするように、母さんはもう一度俺の顔をじっと見つめた。その目にはまだ困惑も疑いも残っている。それでも、さっきまでとは違う何かが混ざり始めているのが分かった。
「……悠真、なの?」
「…………」
その名前を母さんの声で呼ばれるのは、二十六年ぶりだった。
今の身体になってから、自分が高瀬悠真ではなくなったと思ったことは一度もない。それでも、この顔を見て、この声を聞いて、それでも母さんの口から昔と同じ名前が出てきた瞬間、胸の奥へどうしようもないものが込み上げてきた。
「……うん」
それ以上は、上手く言えなかった。
母さんも、それだけで完全に信じたわけではないのだろう。それでも俺を見る目は、さっきまでよりほんの少しだけ変わっていた。
「俺もこの身体になって、まだそんなに経ってないから」
「……そうなの?」
「ああ」
「じゃあ、女の人として暮らしてたわけじゃないんだ」
「いや、今日なった」
「今日!?」
美羽が大声を上げた。
「待って、お兄ちゃんが消えたの二年半前だよね?」
「地球ではな」
「地球では?」
「……その話すると長いぞ」
「もう十分長いよ!」
美羽はしばらく俺と両親を見比べた後、大きく息を吐いた。
「……まだ完全には信じてないからね」
「分かってる」
「詐欺師かもしれないし」
「その可能性を捨てるのは早いな」
「自分で言うな!」
怒鳴り返した美羽だったが、そこで一度言葉を切ると、さっきまでより少しだけ真剣な顔になった。
「でも……もし本当にお兄ちゃんなら、ここで追い返したら、もう帰ってこないかもしれないじゃん」
「…………」
「だから……とりあえず入れば?」
頭が真っ白になった。
信じてもらえたわけではない。
おかえりと言われたわけでもない。
それでも今の俺には、その一言だけで十分だった。
「……いいのか?」
「まだ怪しいと思ってる」
「ああ」
「本当に変なことしたら警察呼ぶから」
「分かった」
「あと、その髪、玄関で踏まないようにして。長すぎ」
「そこ?」
「邪魔でしょ」
言われて自分の足元を見ると、確かに銀白色の髪が危うく地面へ届きそうになっている。
「これ、切っていいのかな……」
「知らないよ」
「俺も知らないんだよ」
「何で自分の身体のこと何にも分かってないの?」
「今日なったばっかだって言っただろ!」
言い合っていると、父さんが小さく息を吐いた。
「……入りなさい」
その一言で、俺は父さんを見る。
「いいの?」
「信じたわけじゃない。ただ、本当にお前だという可能性が少しでもあるなら、ここで帰すわけにもいかない」
「……そっか」
「靴は?」
「あ」
今さら気づいた。
神衣として形成した靴も普通に脱げるらしい。玄関へ足を踏み入れて靴を脱ぐと、たったそれだけの動作なのに妙な感覚がした。
二十六年ぶりに、自分の家の玄関へ靴を置く。
視線を上げれば、家の中には俺の記憶にない物がいくつも増えている。その中で玄関脇に置かれた一つの通学鞄が目に入り、俺は思わず足を止めた。
「……これ」
「何?」
美羽が振り返る。
鞄についている校章には見覚えがあった。というより、忘れるはずがない。
「お前、俺が行ってた高校に通ってるの?」
「うん」
「マジで?」
「家から近いし、普通に第一志望だったから」
「何年?」
「二年だけど」
「…………高校二年?」
「そうだけど、何?」
思わず美羽の顔をじっと見る。
俺がいなくなった時、美羽はまだ中学二年生だった。十三歳で、制服姿を見てもどう見ても子供だったはずなのに、今はもう高校二年生だという。
「お前、今何歳?」
「十六」
「……十六か」
「何?」
「俺がいなくなった時と同じ歳だ」
美羽の表情が止まった。
俺が地球から消えた時も高校二年生で、十六歳だった。地球では二年半しか経っていないというのに、中学生だった妹がいつの間にか俺のいた場所まで追いついている。
改めて見れば、最初に声を聞いた時から少し大人びたとは思っていた。背も伸びているし、顔つきからも中学生だった頃の幼さがかなり消えている。
「……本当に大きくなったな」
「何その言い方」
「いや、だって俺からしたら……」
言いかけて、止まる。
「俺からしたら?」
「……二十六年ぶりだから」
空気が止まった。
「…………え?」
美羽だけではない。母さんも父さんも、揃ってこちらを見ている。
「今……何て?」
「あ」
そういえば、まだその話をしていなかった。
地球では二年半しか経っていないのだから、家族が俺も同じだけの時間をどこかで過ごしていたと思っているのは当然だった。
「……向こうでは、時間の流れが違ったんだ」
「どれくらい?」
父さんが聞いた。
「地球では二年半だったらしいけど、俺がいた世界では二十六年経ってる」
誰もすぐには反応しなかった。
その沈黙の中で、足元の猫だけが何事もないように俺の脚へ身体を擦りつけている。
「二十六年……?」
母さんがようやく呟いた。
「ああ」
「じゃあ」
父さんが俺の顔をじっと見つめる。
「お前、今いくつなんだ」
「身体は知らない。見た目なら二十代前半くらいらしい」
「そうじゃない」
父さんは静かに首を振った。
「お前自身は、今いくつなんだ」
「…………」
答えようとして、少しだけ迷った。
俺が地球から消えた時は十六歳だった。
それから二十六年。
「……四十二、になるのかな」
初めて、はっきり数字にして口にした。
今度こそ、家族全員が言葉を失った。