ここはアクセル。表向きは「駆け出しの冒険者たちが集まる街」ということになっている……のだが、正直なところ、ここを本当の意味でそんな微笑ましい名称で呼んでいいものかどうか、俺には強い疑問――というか、もはや強い憤りすらある
確かに、地理的に見ればこの街は魔王城から最も遠く離れた安全圏に位置している
周辺に棲息するモンスターといえば、物理攻撃に対しては無類の強さと粘り強さを誇るものの、それ以外にはこれといって大きな脅威のない『ジャイアントトード』くらいしか特筆すべきものが存在しない
そのカエル共にしても、衣服を溶かす胃酸への対策と効率的な狩り方さえ一度覚えてしまえば、初心者でも安全かつ手軽に経験値と報酬を稼げる、まさにボーナスキャラのような存在だ
一見すれば、確かに命の危険が少ない、駆け出し冒険者にはうってつけののどかで平和な街に思えるだろう
だが、実態は全く、180度違う
いつ予告もなく姿を現すか分からない魔王軍幹部たちが周辺の森や街道を我が物顔でうろつき回り、その魔王軍が通り過ぎた後には――狂信的で頭のネジが飛び散ったアクシズ教徒たちが「厄災の浄化」と称して大暴れする
その煽りを食らう形で、草木一本すら残らないと言われる恐怖の古代移動兵器『機動要塞デストロイヤー』が平然と飛来して街を更地にしようとしたこともあった
おまけに、挙句の果てには私腹を肥やす悪徳貴族や怪しい宗教団体がゴロゴロと蜘蛛の巣を張っている始末
この街に真の平穏な一日など、俺がやってきてから訪れた試しがない。常に何かしらの理不尽なトラブルと大爆発が渦巻く、文字通り狂った魔境なのだ
「アクア!! お前また俺の名前と顔を勝手に使って、酒屋のツケを限界まで増やしてきたなっ……! いい加減にしろ、この駄女神!!」
そして俺は、そんな毎日胃が痛くなるような狂気の街で、最弱の底辺職である「冒険者」をやりながら必死に日銭を稼いでいる佐藤カズマ
元々は日本の片隅で引きこもりのゲーム三昧な毎日を送っていたごく普通の(?)高校生だったのだが、ある日不慮の事故……いや、まあ、実に色々とくだらない事情があって、このファンタジー世界へと転生を果たすことになった。世界を救うため、魔王を討伐するという大義名分を無理やり背負わされて、だ
……一応言っておくが、俺がなぜこの世界に転生することになったのか、その情けなさすぎる恥ずかしい経緯については、俺個人の尊厳とプライバシー保護の観点から固く「黙秘権」を行使させてもらう。絶対に人には言えない
「なによーっ! なによカズマさん、そんなに青筋立てて怒鳴らなくたっていいじゃない!! 私だってたまにはパーッと美味しいお酒を浴びるほど飲みたいお年頃なのよ!!」
「これで今月に入って何度目だと思ってやがる!! 毎月毎月、俺の全財産を綺麗サッパリ撃沈させやがって! 弁償できないなら、せめてその高そうなシュワシュワの瓶を今すぐ俺に渡して飲ませろ!!」
「嫌よ絶対嫌!! これは私が汗水流さ……まあ実際には流してないけど、とにかく私の美貌と苦労で手に入れた特製のエールなんだからね! 渡したらカズマさんに一滴残らず飲まれちゃうもん!」
木製テーブルの傍らで、現在進行形で俺に両肩をガチガチに掴まれ、からんからんと脳揺れを起こすほど激しく揺さぶられながらも、泡の立つ透き通った高級な瓶をまるで我が子のように後生大事に抱きしめているのは――この理不尽な世界に俺を無理やり送り込んだ張本人であり、元凶中の元凶である自称・女神のアクアだ
思い出すだけでも腹の底から怒りが湧いてくる
俺がこの世界に転生する際、天上の世界で調子に乗って散々俺の死に様をバカにしやがったコイツを、当時の精一杯の仕返しとばかりに「持参する特典」として道連れにしてやったのだが……まさかここまで頭のネジが抜け落ちた駄女神だったとは、当時の俺は夢にも思わなかった
神々しい見た目と無駄に高いステータスだけは一人前だが、中身は毎日のように途方もない借金と壊滅的なトラブルを爆発的に量産する、世界で最も危険な害悪ヒロイン
それが、俺の目の前にいるこの青髪の女なのである
「アクア! 流石に何度も何度も勝手にカズマの名前でツケ払いをするのは感心しないな。どうしてもと言うなら……そうだな、せめて次回からは私の名前でするべきだ!」
「黙ってろ、この役立たずのへっぽこドMクルセイダー! 今日こそは、この反省という概念が脳みそに存在しない駄女神を反省させないと、俺の気が済まねぇんだよ!」
「んひぃ……っ!? きょ、今日もカズマの容赦ない冷酷で軽蔑に満ちた罵倒が……私の心の奥底に深々と突き刺さるぅぅ……♡ ああ、素晴らしい……もっとゴミを見るような汚物を見る目で見つめてくれ……っ!」
今、俺からの氷のように冷ややかな罵倒と吐き捨てるような言葉を浴びながら、両頬を桃色に染め上げて恍惚とした淫らな表情を浮かべ、ハァハァと荒い息を吐いているこの金髪巨乳の女は――一応これでも、この国で由緒正しき高貴な貴族の令嬢であるダクネスだ
クルセイダー(聖騎士)という威厳ある最上位職を名乗っている割には、剣の攻撃精度が壊滅的で、目の前に立っている巨大な的にすら掠りもしないという致命的すぎる欠陥を抱えている
彼女の戦闘において唯一役に立っているのは、常軌を逸したドM精神と、どれほど激しい攻撃を食らっても無傷で耐え抜く謎の頑丈な肉体のみ
本当にコイツが本物の貴族の令嬢なのかどうかは、実際にその生家や屋敷を見るまでは絶対に信じられなかったレベルの極上変態ドMである
「カズマ!」
「んだよめぐみん、今は駄女神の懲罰とドMの相手で取り込み中だ」
「そろそろ約束の良い時間じゃないですか? ほら、今日はウィズの魔法道具店に新商品が入荷するって、昨日から楽しみに言っていたじゃないですか」
「あっ、いけね……! すっかり忘れてた!」
そして、我がパーティの最後のメンバー。高い知性と圧倒的な魔力を誇る、紅魔族自慢の天才エースアークウィザード――めぐみん
なのだが……紅魔族特有の重度に拗らせた中二病はもとより、彼女がまともに実戦で使える魔法は「一撃の威力と破壊力だけなら人類最強クラスだが、一度ぶっ放すだけで自慢の魔力が完全に空っぽになってその場に倒れ込み、自力で動けない置物と化す」という、極めてピーキーで取扱注意な爆裂魔法(エクスプロージョン)ただ一つ
これが、俺の周りを固める愉快で、個性的すぎて、頭の痛い厄介なパーティメンバーたちの全貌だ
そして今日、俺たちがわざわざウィズの店に行くのには明確な理由がある
道具屋の店主である気弱で優しいリッチーのウィズ……というより、正確にはその店の経営コンサルタント面をして図々しく入り浸っている地獄の公爵たる悪魔・バニルに呼び出されていたのだ
「今日は、あの子が初めて自分で仕入れの手伝いに挑戦した日だからな。行かないわけにはいかないよな」
そうして、アクアの借金とツケの件はいったん後回し(絶対に後で問い詰めるが)にすることにし、俺たちは全員で手早く支度を済ませると、ギルドを出て街のはずれにある静かなウィズの道具屋へと急ぐことにした
♢
「ふん、やっと来たか、忌々しい人間どもと駄女神め。待ちくたびれたぞ」
ギシギシと音を立てる重い木の扉を押し開けて店内に足を踏み入れやすや、そこには不機嫌そうに両腕を組み、仮面の奥から不敵な笑みを浮かべるバニルの姿があった
そして、そのカウンターの後ろでは、申し訳なさそうに「すみません、すみません……」と何度も頭を下げているウィズの姿と――その傍らの冷たい床の上で、なぜか全身が見事に真っ黒に焦げ付き、アフロヘアのようになった髪から薄い煙を立ち上らせながらピクピクと痙攣して倒れている、もう一人の少女の姿があった
その少女の名前は、梔子ユメ
今から1週間ほど前、アクセルの街の外れにある不気味なダンジョン周辺で、アクアの作った膨大な借金返済のために嫌々ながらも素材採取に潜っていた俺たちが、偶然にも全身血まみれで倒れているところを保護したのだった
幸いにして、傷の完全治癒や死者の蘇生すら一瞬で行えるチート級の女神・アクアがその場にいたおかげで、瀕死の状態だった彼女はどうにか一命を取り留めることができた
だが、問題は命が助かったことだけで終わりではなかった
意識を取り戻した彼女に、ダクネスが優しく声をかけて名前や家を尋ねたものの、彼女自身の口から困惑気味に語られたのは「何も思い出せない」という、あまりにも衝撃的な記憶喪失の事実だったのだ
幸い、彼女が身につけていた見たこともないデザインの制服のポケットから、奇跡的に一枚の頑丈な「生徒証」が見つかり、そこに記されていた『梔子ユメ』という名前と、自分が『アビドス高等学校3年生』であるということだけが辛うじて判明したのだった
もっとも、剣と魔法とモンスターが跋扈するこのファンタジー世界に「高校」などという現代的な名前の学校が存在するはずもなく、日本からの転生者である俺や、元の世界の知識を持つアクアは一瞬で悟った
彼女が自分たちとは全く異なる、高度な文明を持つ「別の異世界」からやってきた人間なのだと
その後、街に戻ってからも身寄りのない彼女はしばらく俺たちの保護下に置かれ、静養していたが、持ち前の能天気さと手器用さからウィズの奇妙な商売に興味を示し、今日は彼女にとって記念すべき「初めての魔道具仕入れ体験」に同行することになっていたのだ
「……もしかして、その黒焦げになって煙を吹いているユメも、ウィズ同様に何かとんでもない大やらかしでもしたのか?」
「フッ、それを聞きたいか? いや、聞かずにはいられないはずだ貴様はな!! 吾輩が、貴様らが勝手に押し付けてきたこのワケありの小娘のせいで、本日どれほど筆舌に尽くしがたい地獄の苦労をさせられたのかを、コンクリートに頭から叩きつけて手取り足取り教えてやりたい気分だわ!!」
「お、おう……落ち着けよ……」
いつもは仮面の奥から飄々とした態度を崩さず、人の不幸を嘲笑うはずの「すべてを見通す悪魔」バニルが、ここまで露骨に角を逆立て、顔を盛大にしかめて捲し立てるとは一体――
いったい彼女の身に、今日の仕入れの最中で何が起きたというのだろうか。カズマは背筋に嫌な汗を伝わせながら、思わず一歩、二歩と引きつった顔で後じさりを始めたのだった
「おいバニル! いくらなんでも人間の女の子相手に、自慢の殺人光線(バニル式殺人光線)を直接浴びせるなんて、やり方があまりにも酷すぎるんじゃないか!?やるなら私にやれ!」
バニルから向けられる尋常ではない怒りの剣幕に対し、普段は変態的な言動ばかりが目立つダクネスが、珍しく正義の騎士らしい真剣な面持ちで一歩前に出て詰め寄る
彼女がそれほどまでに怒りを露わにするのも無理はなかった。この仮面の悪魔――バニルは、一応これでも魔王軍の幹部クラスという途方もない脅威の肩書を持つ存在である
しかし、このアクセルの街でウィズの道具屋の経営顧問に収まってからは、無益に人間を害するような悪事は一切働いていなかった
彼が怒りのあまりお仕置きの攻撃を放つと言えばせいぜい、人の話を一切聞かない駄店主ウィズが、店を致命的な赤字のどん底に追い込むようなゴミ魔道具を大量に買い込んできた時くらいのものだ
「ふんっ! 自分が吾輩の極上の殺人光線の直撃を受けたいがために、もう必死に身勝手な言い訳を隠す気すらないドMクルセイダーよ! ではあえて問うてやろう……この足元の木箱の中に入っている商品が、一体何に見えるかね?」
バニルは不敵な笑みの仮面を張り付けたまま、足元の大きな木箱から乱暴に、奇妙な文様が幾重にも刻まれた金属製の小箱を掴み取り、ダクネスやカズマたちの目の前へと突きつけた
「……ただの、どこにでもあるありふれた鉄の小箱に見えますね? 」
ダクネスの背後からひょっこりと顔を覗かせていためぐみんが、怪訝そうに小さな片眉を吊り上げながら呟いた瞬間、バニルは待ちかねたとばかりに勝ち誇った甲高い高笑いを店内に響かせた
「ふはははは! そう見えるだろうとも! だがな、この箱には恐るべき古代の魔力がこれでもかと封印されており、一回きりの使い捨てではあるが、なんとあらゆる属性の最高位魔法すら代行して一瞬で撃ち出すことができる超ド級の代物なのだ!」
「おおっ……! なんだ、一回使い捨てとはいえ、めちゃくちゃ凄くて強力な魔法の道具じゃないか! ウィズの店にしては超大当たりの仕入れだろ!」
カズマが思わず感嘆の声を漏らし、目の色を変えたのも束の間、バニルはすかさず氷のように冷徹な声音で言葉を継いだ
「――だが!!」
「だが、なんだよ。毎回毎回、その『だが』の後にロクな話が続かないんだよこの店は」
「魔力を持たない人間がこれを使った場合に限り正常に起動し、逆に少しでも魔力を持つ人間が触れようものなら、一切の反応を示さずただの重い鉄くずと化すのだ!」
「……は? なんだよそれ、じゃあ使い道がめちゃくちゃ限られるゴミじゃねえか。魔導士が使えない魔法道具って何なんだよ」
「愚か者め、それがどういう恐ろしい意味を持つか分からないのか? 吾輩のような強力な魔力を持つ者にとっては宝の持ち腐れ、まったくの使い物にならん。そして、『魔力を持たない人間』という起動条件自体がこの世界では決定的に狂っているのだ! なぜなら、そこの変態クルセイダー並みの、常軌を逸した肉体的頑丈さがなければ、最高位魔法が起動した瞬間の絶大な反動で、使用者の四肢が跡形もなく粉々に破裂して吹き飛ぶからにな!!」
「こわっ!? なんだその自爆専用の即死トラップみたいな狂気の魔道具は! 誰が使うんだよそんなもん!」
「そして極めつけの決定的な事実を教えてやろう!! そもそも、この世界において、生まれつき一切の魔力を持たない人間など存在せんのだ!!」
バニルの凄まじい指摘通り、このファンタジー世界においては誰もが微なりとも魔力を身に宿して生きている
たとえ前衛の戦士や盗賊であっても、身を守るための初級の補助魔法くらいは自然と使えるのがこの世界の常識だった
つまり、この小箱は「この世界の誰も正しく使えず、万が一使えばその瞬間に爆死する」という、商売道具としても呪いのアイテムとしても一切救いようのない、不良在庫の極みだった
「それを……よりによってこの小箱を、この小娘は『誰でも魔法が使えるなんて、とっても素敵な夢がある魔法のお箱ですね!』などと目をキラキラと輝かせながら、倉庫の棚が完全に崩壊しきって入りきらないほどの膨大な数を取り寄せてきやがったのだ! しかも、これだけの量でもまだ買い足りないなどと、平然とのたまうのだぞ貴様ら!?」
「ひぃぃん……だってぇ、お店の棚の品数が少ないと見ていて寂しいと思ったから……みんなが喜んでくれる夢の魔道具だと思って、私なりに一生懸命仕入れたのにぃ……」
「って、ユメ!? もう意識が戻ったのか!? 体は本当に大丈夫なのか!?」
「なっ……!? 吾輩の極上の殺人光線を手加減は多少したとはいえ、直撃を食らって数分で、もう自力で起き上がって喋り出しただと!? そこにいるポンコツ店主よりも遥かに回復が早いではないか!?」
アフロヘアのように黒焦げになりながらも、モゾモゾと芋虫のように可愛らしく上半身を起こしたユメの姿に、ダクネスとバニルは目を剥いて心底驚愕した
それもそのはず、バニルが放つ魔力の光線はたとえ手加減したとて、普通の人間であれば一撃で全治数ヶ月の致命傷に至る。不死の絶対的特性を持つリッチーのウィズですら、まともに食らえば最低でも1時間は完全に意識を失ってピクピクと気絶し続けるほどの絶大な威力を誇るのだから
「ねぇカズマ、カズマ……。やっぱりあの子、どう見たってただの華奢な人間じゃないわよね」
「ああ、間違いないな。普通の人間ならバニルの『殺人光線』なんて危険な攻撃をあんな至近距離で直接食らったら、その場で即座にお前の回復魔法をぶち込まないと絶対に再起不能で死んでるぞ」
「そうよね……。ねえカズマ、あの子のタフネスって、もしかしてやっぱり、あの子の頭の上でふわふわと綺麗に光っているあの『変な光の輪っか』が原因だったりするのかしら?」
驚愕に目を見開くダクネスやバニルを他所に、アクアがカズマの耳元へとこっそり顔を寄せ、ひそひそとコソコソ声で不気味そうに囁いた
だが、めぐみんやダクネス、そしてすべてを見通すはずの地獄の公爵たる悪魔バニルでさえも、ユメの頭の上にぽっかりと無機質に浮かんでいる不可思議な「光輪(ヘイロー)」の存在には一切気づいていない
それを確かに視認できているのは、この世界に異世界・日本から持ち込まれた特異な次元の視覚を持つカズマと、高位の神としての次元の違う圧倒的な知覚能力を持つアクアの二人だけだった
「ええい! 貴様は今後二度と商品の仕入れに関わらず、店の隅っこで帳簿の計算と会計業務だけに専念していろ!! そこの数字の計算能力と正確な事務処理能力だけは、そこにいるポンコツへっぽこ店主より遥かに正確で優秀だということは認めてやるからな!」
「ひぃん……私なりに、このお店の役に立ちたくて一生懸命頑張っただけなのにぃ……」
「ひ、酷いですバニルさん……! そんなに私の経営能力と計算能力が信用できませんか……! 私だって一応、頑張ってるんですよ……!」
バニルからの容赦ないお仕置きとお達しに、ユメがガックリとショックを受けて丸く項垂れ、その傍らで自分の経営能力をこれでもかとディスられたウィズが「うぅ……ひどいですぅ……」と涙をぼろぼろ流してとばっちりを受ける
「メソメソといつまでも無駄な感傷に浸っている時間があるのなら、貴様はさっさと裏の暗い倉庫に散らばった不良在庫のゴミ魔道具を片付けてこい!! ついでにそこのポンコツ店主も手伝いに行かんか! 今日は夜通しで在庫整理作業だ!」
「「ひゃ、は、はぃぃぃっ……!!」」
バニルから容赦のない雷が飛ぶと、ユメとウィズはビクッと盛大に肩を跳ね上げ、慌てふためきながらバタバタと悲鳴を上げて小走りで裏の倉庫へと消えていった
その慌ただしく頼りない二人の背中を、カズマは心底うんざりしたといった様子で深い、深い溜息とともに見送る
やれやれと頭を振ってから視線を店内へ戻すと、仮面の悪魔――バニルは不敵な笑みを貼り付けたまま、再びカズマたちパーティのほうへとゆっくりと振り返った
「そして、心の中を覗き見るまでもなく、人間の小僧よ……今まさに貴様がその脳裏で引っかかっている疑問、それは吾輩にとっても大いに気になるところなのだよ」
さすがはすべてを見通すことのできる地獄の悪魔、というべきか
こちらの腹の底で何を考えているのかなど、口に出して説明せずとも一発で見抜かれてしまう
自分の思考を丸裸にされるこの仕様は、いつ体験しても厄介極まりなく気味が悪いことこの上ないのだが、面倒な事情や複雑な経緯をゼロからイチまで長々と説明し直さなくていいという一点においては、世にも奇妙なほど便利な能力だった
「お前がわざわざ『気になる』なんて怪しい口にするくらいだ。どうせ碌なことじゃないんだろうがな。またろくでもない悪巧みか?」
「ククク……謙遜するなよ、愚かな小僧。まずは手始めに、貴様ら全員でそこにある木箱の一つを持ち上げてみせろ」
「は? 木箱をか? なんだよ急に」
言われるがまま、カズマは先ほどまでユメが仕入れ品として山積みにしていた頑丈な木箱の一つに歩み寄り、その両手でずっしりと重みのかかる木枠の縁をガッチリと掴み上げた
「ぐっ……!? お、重っ……! なんだこれ!?」
床から持ち上げられないわけではない。だが、まるで中身に高密度の鉛でもぎっしりと詰まっているかのように、ズシリと腕の筋肉の繊維にダイレクトに響くような過剰な重みが両腕に食い込む
「ふっ、相変わらず情けない腕力だな、カズマ。男のくせにそんな生半可な筋力では、いざという時に私の盾としても足手まといだぞ」
冷ややかな視線を向けながら、ダクネスはカズマの横にひょいと足音もなく歩み寄ると、重厚な大鎧を纏った片手でひょいと木箱の端をつまみ上げるようにして、何事もないかのように軽々と持ち上げてみせた。
「……なっ、おいふざけんな!」
こっちは両手の全霊の筋肉と腰の力を絞り出さないとまともに持ち上げることすらままならないというのに、この脳筋ドMクルセイダーめ。カズマが不服そうに悔しそうに奥歯を噛み締めるのを横目に、ダクネスは「ふんっ」と勝ち誇ったように鼻を鳴らしてみせる
その後を継ぐようにして、めぐみんが「少し重いですが……まあ、持てないこともないですね」と小柄な身体で両手を使って普通に持ち上げ、さらにその隣ではアクアが「ちょっと、私を誰だと思っているのよ、気高き女神の腕力を思い知り……って、おもっ!? 嘘でしょ、これ中に金塊か岩石でも入ってるの!?」と、カズマと同じく両手をプルプルと震わせながらヒーヒー言ってようやく持ち上げる始末だった
「それで、この重たい木箱を俺たちに全員持たせて、一体何が言いたいんだよ。ただの腕力自慢の体力測定か?」
額にうっすらと脂汗を浮かべ、膝をプルプルと震わせながら木箱を抱え込むカズマが、睨みつけるように問い質すと、バニルは仮面の奥の赤く怪しく光る目を意地悪く細めた
「時に、そこの脳筋ドM娘よ。貴様のその常軌を逸した異常なまでのフィジカルと筋肉量から推測して、もしこの高密度の鉄くずが詰まった木箱を一度に運ぶとしたら、お前なら何個が限界だと予測する?」
カズマの切実な質問を華麗に、そして容赦なくスルーし、バニルはこの場の中で最も圧倒的な物理的筋力を誇るダクネスへと鋭い視線を投げかける。
「なんだ藪から棒に……。そうだな、私ならば……せいぜい4個……いや、無理をすれば5個か。バランスを巧みに取れば4個あたりが安全に運べる限界といったところだろう」
真面目な顔で太い腕を組み、プロの戦士として真剣に自己分析してみせるダクネスに対し、バニルはフッと鼻で嘲笑うように小さく笑った
「――『本当は全力で行けば確実に6個は余裕で持てるが、最近あまりにも筋肉ムキムキになりすぎているのがパーティの連中にバレたら乙女として死ぬほど恥ずかしいから、あえてサバを読んで少なく答えておこう』と考えている、頭の中までドMな変態汁で満たされたそこのお前の心理など、すべてを見通す吾輩の前では丸見えなのだぞクルセイダーよ」
「ぶっ殺してやるこの悪魔ぁぁぁーーっ!!! 女の乙女心を勝手に暴いて覗き見るなーーっ!!!」
核心と羞恥心を完璧に突き刺されたダクネスは、顔面を熟したトマトのように真っ赤に染め上げ、悲鳴のような絶叫を上げながら腰の重厚な聖剣を一気に引き抜き、殺気全開でバニルめがけて突撃していった
もちろん、その不器用極まりない剣先が当たるはずもなく、バニルは足元を軽々と跳ねてひらりとかわし、風のように避けてみせる。
カズマは氷のように冷ややかな目でそのお約束の茶番劇を一瞥すると、「こいつ、日頃の過労とウィズに対するストレス発散も兼ねて、ダクネスのドM心理で遊んでやがるな」と内心で深く、深くだけ納得した
「おい、いつまで茶番を続ける気だ。さっさと本題を言えよ。手が痺れてきたんだよ」
カズマの冷たく刺すようなツッコミに、バニルは不敵な笑みを一度収めると、剣を振り回してハァハァ息を切らすダクネスを完全に無視してスッと人差し指を立てた
「では問おう。先ほど、我が渾身の殺人光線を至近距離で直撃しながらも数分でケロリと復活した、あの記憶の抜け落ちた小娘が、一度の仕入れでこの木箱を何個抱えて店まで持って帰ってきたと思う?」
「は? 何個って……せいぜい一、二個だろ。いくらなんでも、ダクネスの6個なんて化け物みたいな量を、あんな華奢で柔らかそうな少女が持てるわけないだろ。常識で考えろよ」
カズマが鼻で笑い飛ばすように呆れた声をあげた瞬間、バニルは両腕を大げさに大きく広げ、まるで劇場の主役支配人のようなオーバーなポーズをとってみせた
「――甘い! 砂糖よりも甘すぎるぞ愚かな小僧よ! なんとあの小娘は、これと同じ激重の木箱を一度に、しかも驚くなかれ『10個』同時に山のように抱え込んで持ってきておったのだ! しかも、呼吸一つ乱さず、まるで軽やかな羽毛でも運ぶかのように軽々と、な!」
「はぁっ……!? じ、十個だと……!? ふざけんな、物理法則はどうなってんだよ!?」
ダクネスの限界値である6個を遥かに超越する「10個」という狂気の数字
しかもそれを、見た目はごく普通の、か弱い女子高生(に見える)が軽々と運んだという衝撃の事実を聞き、カズマは思わず我が目を疑うように顎を外しかけて絶句した
――だが、言葉で幾ら説明されるよりも早く、バニルは店の表に面した大きなガラス窓をスッと無言で指さした
そこから外の舗装された通りを見下ろすと、そこには――先ほどバニルに言い渡された不良在庫の返品・移動作業のためだろうか
あの激重の木箱を両腕と肩、胸元、そしてなぜか頭の上にも奇跡的なバランスで器用に積み上げ、合計で「10個」……いや、よく数え直せばどう見ても「12個」もの木箱の塔を、まるで小犬のお散歩でもしているかのような軽やかな足取りでひょいひょいと運んでいる梔子ユメの姿が、夕陽の中にバッチリと映し出されていたのだった
「そして、貴様ら……。いくつか重大で、かつ根本的な大切な事をすっかり忘れているのではないかね?」
窓の外をヒョイヒョイと軽快に歩くユメの呑気な背中から目を離し、開いた口が塞がらないカズマたちへ向け、バニルはこれでもかとばかりにわざとらしく大げさな身振りを交えながら、盛大に呆れ果てた声をぶつけてきた
「な、なんだよ急に。俺たちが何か重大な忘れ物でもしたっていうのかよ。ちゃんと家賃も払ってるし、クエストもこなしてるぞ」
「決まっているだろうが! あの娘は単に記憶を失っているだけの一般人ではない、そもそもこの世界の住人ですらない、全く素性の知れない異世界の人間なのだぞ! それなのに、なぜお前たちは、冒険者ギルドでの正式な身元鑑定やギルドカードの発行、そしてこのアクセルの街についての基礎知識の教育よりも先に、我が輩のような魔王軍幹部の悪魔のいる店へとポンとぶん投げてきたのだ!?」
「あー……それはその、何と言うか……ユメのあの『私、お店のお手伝いしたいです!』っていう圧倒的な笑顔の押しと、断りづらい天真爛漫な勢いに負けてついなぁ……」
「ふんっ! 何を上から目線で言っているのよクソ悪魔! 私だって本音を言えば、こんな不気味で禍々しい仮面をつけた悪魔にあの子をそのまま渡したくなかったわよ! だって、何を吹き込まれるのかも分からないし、変な呪いや悪趣味な悪魔菌がうつるかもしれないでしょうが! だからこそ毎日こうして私が目を光らせてあげていたのよ、私に感謝しなさいよね!」
カズマが言い訳がましく頭をかいた瞬間、その隙を突くようにしてアクアが勢いよく割って入り、バニルの胸ぐらにバシッと詰め寄るように怒鳴り声を上げた
「やかましいわっ! 我が輩の正当な商売の邪魔をした挙句、真っ直ぐな善意の小娘への悪影響の元凶と勝手に認定された腹いせを、あろうことか我が輩にぶつけるとは……! 本当に貴様の尻から一生ねばねばしたアロエが生え続ける呪いをかけてやろうか!」
「上等じゃないのよ! アンタのそんな下品でマイナーな呪いなんて、この気高き水の女神である私の美しい浄化の前では一切通用しないわよ! 今すぐ綺麗サッパリ消し去ってあげるわ!」
――うん、心から固く決めた。今度からバニルに用があってこの店に来る時は、アクアの奴は絶対に屋敷に置いてこよう。
しかし、それはそれとして、バニルの指摘はぐうの音も出ないほど正論だった。確かに彼女を保護してからのこの1週間、我が家と同じように寝食を共にしてはいたものの、冒険者ギルドへの正式な登録手続きのことも、この世界の危険なルールやモンスターのことも何一つ教えないまま、あろうことかこのブラックで経営破綻寸前の道具屋にユメの世話を丸投げしていたのは、冷静に考えれば完全に俺たちパーティの監督不行き届きであり、失策だった
「まぁいい、とりあえず小僧よ! 当分の間、あの世にも珍しい無駄に頑丈な小娘は、我が輩がこの店で徹底的に厳しく労働させて、商人としての基礎の基礎から叩き直してやるからな! その間に貴様らは、ギルドでの手続きや身元照会の準備でもとっとと進めておくことだな!」
アクアとの見苦しいまでの激しい小競り合いの末、仮面の額あたりにみっともないヒビをピキピキと入れながらも、バニルは両腕を組んで不敵に高笑いを上げながらそう言い放った
「おっ、いいのか? そこまで面倒見てくれるなら、正直めちゃくちゃ助かるな」
「ふん、そこにいるポンコツ店主と違ってな、あの小娘は複雑な帳簿の数字合わせと売上金の計算だけは、恐ろしいほど正確かつ迅速で優秀なのだ。その圧倒的な事務処理能力を徹底的に利用して、我が輩の負担を減らしてやろうというだけの話よ!」
「なるほどね……。よし、それじゃあお言葉に甘えて、今日はこれで引き上げさせてもらうよ。ほら、いつまでもギャーギャー暴れてないでさっさと家に帰るぞ、アクア!」
「いたっ!? な、何するのよカズマぁ! 離しなさいよ、今日こそあの小生意気な仮面ヤロウの鼻を明かして、私のアクシズ教団特製の聖水を頭からぶっかけてや……痛いっ! 痛いから耳を引っ張らないでよ!?」
そう言い捨てるやいなや、カズマはまだバニルに向かってキーキーと威嚇し続けるアクアの服の首根っこを容赦なく掴み上げ、そのまま引きずるようにして店の外へと強引に連れ出した
「あ、みなさーん!もうおうちに帰っちゃうんですかー?」
丁度店の前の通りで、返品用の激重な木箱の山を綺麗に整頓し終えたばかりらしいユメが、店内から引っ張り出されてきたカズマたちの姿に気づき、夕陽を浴びながらトコトコと軽い小走りで近づいてきた
「おう。バニルの機嫌もかなり悪そうだしな。これ以上この駄女神が変な難癖や言い掛かりをつけて大喧嘩になっても、巻き込まれる俺たちが面倒だからさ」
「あはは……。アクアさん、バニルさんとケンカしちゃダメですよ? バニルさんはちょっと口が乱暴で意地悪だけど、本当は私に色々と優しく教えてくれる、とっても面倒見のいい良い人なんですから!」
「うっ……くっ……! なにこの子……! 眩しすぎる……! 笑い方や言葉の純粋さ、心の清らかさだけなら、この私よりよっぽど女神様らしい聖なるオーラを放っているじゃない……っ! 嘘でしょ、私がかすんで見えるわ……!」
ユメの少しの曇りもない真っ直ぐな太陽のような笑顔と、心からの無邪気なフォローを正面から直撃したアクアは、胸を鋭い聖剣で突かれたかのようにその場でガクッと膝から崩れ落ち、両手で自分の顔をバッと覆って悔し涙をポロポロと流し始めたのだった
(こいつ……、自分が日頃いかにクズで不純で自堕落な生き方をしているか、少しは自覚するまともな脳みそがあったんだな……。ユメのピュアさが特効薬すぎるだろ……)
地面に膝をついて泣きじゃくるアクアを冷ややかな横目で見つつ、カズマは改めて心の中で痛感していた
バニルの言う通りだ
俺たちはユメが記憶喪失の可憐な少女であることばかりに気を取られて、彼女がこの世界において危険すぎる素手ゴロの怪物級のフィジカルを持っていることや、この世界の基本的なルール、危険なモンスターの知識について何一つ教えてやれていなかった
よし、明日はとりあえず、朝一番でユメを連れて街の冒険者ギルドに連れて行き、正式な冒険者登録とカードの発行、そして事情聴取を進めてやるとしよう
そんな計画を頭の中で密かに組み立てながら、カズマ達はジタバタと暴れるアクアの襟首をガッチリと掴んだまま、黄金色に染まる夕暮れ時のアクセルの街を、賑やかな家路へと歩みを進めたのだった
――だがしかし。その平和で穏やかなはずだった夜は、あまりにもあっけなく破られることになる
「か、カズマさーん! お願いですから早くドアを開けてくださーい……っ! 私ですーっ!」
夜の帳がすっかり下り、静まり返った屋敷の中でカズマたちが夕飯を終えてくつろいでいた頃、玄関の重い木の扉を激しく叩く痛々しい音が屋敷中に響き渡った
慌ててカズマがドアの鍵を解除して開けると、そこには――昼間と同じく、いや昼間以上に見事なまでに全身が真っ黒焦げになり、涙目でススまみれになったユメの痛々しい姿があった
詳しく事情を聞けば、昼間にバニルから厳しく言い渡された不良在庫の返品作業を、持ち前の生真面目さで順調にこなしていたはずなのだが、その帰りの道中で「これならきっと珍しくて、お店の売り上げにすっごく貢献できるはずです!」と目をキラキラと輝かせ、よりによって以前ウィズがどこからか買い込んできてバニルに記念すべき初の『バニル式殺人光線』を喰らった伝説の奇物『カップル用ペンダント(装備者が瀕死(モンスターに襲われた際など)になると、「愛するもの(彼女)を守るため」に大爆発を引き起こす、しかし範囲が広く守るものすら吹き飛ばす)』を、ウィズにもバニルにも完全に内緒で、自らの独断とノリで新しく全財産を叩いて仕入れてきてしまったのだという。
そしてその結果、報告を受けた瞬間に激怒したバニルの容赦ない本気のお仕置き(殺人光線連発)を再び全身に真っ正面から浴びせられ、店から文字通り「二度と来るなー!」と投擲されてつまみ出されてしまったのだった
……ひょっとして、ユメが潜在的に持っている「商売と仕入れ」の恐ろしいセンスは、あのポンコツ店主であるウィズの破滅的レベルを優に超え、このアクセル街の経済と治安を根底から完全に破滅させかねないほどの、とんでもない「呪われた壊滅の才」なのではなかろうか
「あー……まぁ、呼ぶ手間が省けたと思えばいいのか」
カズマは遠い目をしながら、黒焦げでアフロヘアになったユメを、深く重いため息とともに屋敷へと招き入れるしかなかったのである
ユメって騙されやすいので商売下手そう……