--- ルーデウス視点 ---
カオスが、行方不明になった。
いつの間にか事務所にいたカオスに、ループの話を聞かれてしまったのだ。
……あんな能面のようなカオスの表情は、初めて見た。
普段のカオスは、仮面を外すと意外なほど表情豊かだ。
だが、あの時だけは何を考えているのかまるで分からなかった。
あの時のカオスを思い出すと、心臓が底冷えするような思いがする。
よほど、オルステッドのループに関する話が地雷だったらしい。
事務所を去ったカオスに対し、オルステッドは何事もなかったかのように振る舞っていた。
「よ、よろしいのですか……?」
「カオスが本気で逃げたのなら、探し出すのは難しいだろう」
オルステッドは、既に諦めているかのようだった。
「で、でも、説得とかしないと……」
「今までのループで何度も殺されていたと知ったのだ。そんな相手に、これ以上付き合おうとは思わんだろう」
まるで、自分自身に言い聞かせるような口ぶりだった。
オルステッドは相変わらず無表情のまま、書類に何かを書き記している。
だが、本当に何も感じていないわけではないように思えた。
むしろ、平静を装っているようにも見える。
「こうなることを、予測していたんです?」
俺が尋ねると、オルステッドの筆がぴたりと止まった。
「……正直、五分五分だとは思っていた。アイツが気にせずこれまで通り接してくる可能性も考えてはいたが……少々、都合よく考えすぎたな」
自嘲気味に呟いたオルステッドは、それきりカオスのことを口にしなかった。
どうやら、本当にカオスのことは放っておくつもりらしい。
そうは言っても、このまま放置するわけにはいかないだろう。
とりあえず、先日新設されたルード傭兵団に捜索を依頼した。
「名誉会長が……!?」
傭兵団の面々は、なぜかざわついていた。
俺がいない間に、カオスが何かやっていたのだろうか。
とにかく、カオスが使徒になったとしたら、とても厄介だ。
早く見つけ出し、何とか説得しなければ……。
そう考えていた矢先、大森林で聖獣が行方不明になり、騒ぎが起きているという知らせが入った。
カオスのことで忙しいが、うちに聖獣レオがいる以上、そちらを無視するわけにもいかない。
カオスの捜索はいったん傭兵団に任せ、リニアと聖獣レオを連れて大森林へ向かうことになった。
ただ、事務所にある転移魔法陣ではドルディアの村まで少々距離がある。
そこで、ペルギウスに頼んでみることにした。
「大森林か? ……話はそれだけか?」
「そうですけど……何か問題でも?」
「……いや、いい。すぐに行くのか?」
「早い方がいいでしょう」
俺がペルギウスに会い、用件を伝えると、彼は意外そうな顔をした。
まるで、俺が別の用事で訪ねてきたと思っていたかのようだ。
俺はそんなペルギウスの様子に首を傾げつつも、ひとまず話を終えた。
転移魔法陣の準備には、しばらく時間がかかるらしい。
それならばと、ナナホシにも挨拶をしておくことにした。
リニアとレオは部屋に残し、俺一人でいつもの部屋へ向かう。
ついでに、カオスのことも相談してみよう。
ナナホシなら、カオスが行きそうな場所を知っているかもしれない。
いや、それならペルギウスに聞いてみてもよかったか。
なんだかんだ言いつつ、あの二人は仲が良さそうだし。
そんなことを考えながら、ナナホシの部屋をノックした。
「ナナホシ? 俺だけど。入っていいか?」
「! えっと…………ええ、いいわ」
何やら妙な間があった。
こそこそと、小声で誰かにささやいているような声も聞こえた。
もしかして、取り込み中だっただろうか。
そう思いながらドアを開けた。
そこには、困ったような顔で椅子に座るナナホシがいた。
そして、その足元には、何やら丸まった塊がある。
よくよく見ると、それは——
半べそをかきながら、三角座りをしているカオスだった。
「カ、カオスさん!?」
そう。あの行方不明だったカオスが、まさかの場所にいたのだ。
オルステッドがあんな言い方をするものだから、てっきり人知れぬ山奥かどこかに身を隠しているのだと思っていた。
まさか空中要塞にいるとは。
灯台下暗し、というやつだろう。
「この間、突然やって来たかと思えば、ずっとこんな状態なのよ」
カオスは口をへの字に曲げ、むすっとしている。
女子高生の生足にくっついているのはどうかと思うが、ナナホシは特に気にしていないようだった。
まるで、人見知りをしている子供か犬でも相手にしているかのような態度だ。
「えっと……カオスさん? 探していたんですよ――ひっ!」
俺が近づくと、カオスは今にも殺しそうな目で睨みつけてきた。
さながら野生動物である。
「落ち着きなさいよ。ルーデウスも、あなたを取って食ったりなんかしないと思うわよ」
そう言ってナナホシがカオスの頭を撫でると、カオスはすっと殺意を収めた。
おかしい、顔立ちも体格も実年齢も、明らかにカオスの方が年上のはずなのに、なぜか、ナナホシの方が年上に見えてきた。
「まさか、ずっとナナホシにくっついているのか?」
さすがに、それはどうなんだろう。
見た目も対応も、ほとんど動物に対するそれだが、一応は男女である。
見る人が見れば、けしからん関係に見えなくもないだろう。
「私か、ペルギウス様のどっちか、って感じね」
どうやら、最初はナナホシにひっついていたらしい。
だが、ペルギウスが女性に失礼だろうと言い、カオスを引き剥がしたとかなんとか。
ナナホシは困ったように肩をすくめた。
「一体、何があったの? 聞いても、あんまり答えてくれなくて……」
俺は、事の顛末をナナホシに説明した。
カオスは俺の説明に特に反応することもなく、相変わらず不貞腐れた様子でいる。
「なるほど……」
話を聞いたナナホシが、何か分かったようにうなずいた。
そして、ナナホシが口を開きかけたその時、扉が開いた。
ペルギウスだ。
その姿を見て、俺は自分の失態に気づいた。
そうだ。空中要塞での会話は、すべてペルギウスに筒抜けなのだ。
つまり、先ほど話したオルステッドのループに関する話も、聞かれてしまっていたということになる。
……それは、多分、非常にまずい気がする。
俺が冷や汗をだらだらと流していると、ペルギウスがこちらを見た。
「聞きたいことは山ほどあるが……我は関与せぬ。命が惜しいからな」
どうやら、俺の顔色から事情を察してくれたらしい。
幸い、これ以上の追及はしないでくれた。
とはいえ、社長には何と説明したものか……。
ペルギウスはそれから、ナナホシに声をかけた。
「転移魔法陣の準備だ。今日教えたものの応用を行う。来い」
「は、はい! ……うっ」
ナナホシはちらりと足元のカオスを見た。
カオスは、まるで母親が離れていくのを拒む幼子か、飼い主を見上げる子犬かのような瞳で、ナナホシを見つめていた。
ナナホシがたじろいでいる。
……いや、あれは若干ときめいていそうだな。
「カオス、いい加減にしろ」
見かねたペルギウスが注意した。
「貴様はそろそろ、拗ねるのをやめろ。準備ができるまで、話でもしているんだな」
そう言うと、ペルギウスはナナホシを連れて去って行ってしまった。
話、と言われても、まともに話せる状態なのだろうか。
俺はそっとカオスの様子を見やる。
いや、最初から及び腰ではいけない。
動物と話す時は、まず目線を合わせるところからだ。
俺はしゃがみ込み、カオスと目を合わせた。
「えーっと、カオスさん。そろそろ出てきて……一緒にお菓子でも食べませんか?」
俺は家から持ってきた、ポテトチップスと塩おにぎりを見せた。
すると、カオスの目がきらりと輝いた。
どうやら、効果があったらしい。
おかしいな。なんだか、ルーシーやレオを相手にしているような気分になってきた。
カオスはすっと立ち上がり、ナナホシが座っていた椅子に腰を下ろした。
俺が、ポテトチップスを器に出して差し出すと、カオスは慣れた手つきでそれをつまみ、口に運んだ。
初めてこれを見た人は、どうやって食べるのか少し迷うものなのだが、カオスにはそんな様子がまるでない。
ナナホシあたりに教わったのかもしれないな。
「......」
しばらくの間、カオスがポテチを貪る音だけが部屋に響く。
気まずくなった俺は、とりあえず世間話をしてみることにした。
「そういえば、最近、俺の妹のアイシャが傭兵団を設立したんですよ。何だか、行ってみたら屈強な人ばかりで、ちょっとビビっちゃいました。ところで、カオスさんが名誉会長とか呼ばれていたんですけど……もしかして、アイシャに何かしてくれたりしました?」
そう尋ねると、カオスはびくっと肩を震わせた。
そして、ポテチを咥えたまま、スッと椅子を降り、また三角座りをしようとした。
「あっ、ちょっ! 待ってください! 大丈夫です、答えなくていいですから!」
俺が慌てて止めると、カオスは元の椅子に戻った。
まずい、何が地雷なのか、まったく分からん。
……いや、男ルーデウス。これしきのことくらい、乗り越えなければ。
女心と秋の空、というだろう。カオスは男だが。
妻を三人も持つ身として、これくらいは人の心に寄り添わなければならない。
カオスがどんな理不尽な文句を言ってきても、俺は「そうだね、それはオルステッドが悪いね」と言って受け入れるのだ。
「俺、別にオルステッドのループのことは大体知ってたんだけど」
「そうですよね。オルステッド様が全部悪いですよね………………え?」
俺は耳を疑った。
「ループのことは知っていた……?」
聞き間違いかと思って聞き返したが、カオスはこくりと頷いた。
なるほど。カオスは、すでに知っていたのか。
確かに、オルステッドの発言には不用意なところが多い。
数十年も一緒にいたカオスなら、気づいていてもおかしくはない。
……ん?
なら、余計に分からないぞ?
「なら、その……カオスさんは、何に怒っているんです?」
カオスはぷいっとそっぽを向いた。
どうやら、言う気はないらしい。
成人男性がそんな振る舞いをしていたら、普通は結構キツいはずなのに、妙に馴染んでいるな。
しかし、カオスはループのことを知っていた。
となれば、オルステッドが考えているカオスの怒りの理由は、見当違いということになる。
当人同士できちんと話し合った方がいいと思うのだが……この様子を見るに難しそうだ。
どうすればカオスの心を解きほぐせるだろうか。
ここは、少し嘘をついてみるのもありかもしれない。
「オルステッド様は、カオスさんがいなくなって寂しそうにしてましたよ」
「嘘だな」
俺の嘘は、一瞬で見破られた。
い、いや嘘ではないかも……あ、でも割といつも通り無表情だったもんな……
手の内が尽き、どうしようかと途方に暮れていると、シルヴァリルが呼びに来てしまった。
どうやら、準備が終わったらしい。
もう少し話していたかったが、ペルギウスを待たせるわけにもいかない。
「また帰りに寄りますから」
そう声をかけ、俺はリニアとレオを連れて、転移魔法陣のある地下へと移動したのだった。
しかし、ナナホシが起動した魔法陣に乗って移動する、その直前。
部屋に置いてきたはずのカオスが、ふらりと姿を現した。
そして、俺を指差して言った。
「オルステッドに俺の居場所をバラしたら許さないからな」
まるで、バラしたら殺すとでも言いたげな殺気だった。
俺はその殺気に当てられ、ぶるぶる震えながら転移することになったのだった。
大森林での諸々をなんとか片付けた俺たちは、
空中要塞に立ち寄った際、もう一度カオスを説得しようとしてみたが、結果は惨敗だった。
困り果てた俺は、ペルギウスにも相談してみた。
すると、ペルギウスは訳知り顔で「奴が拗ねたら、謝罪しようが何だろうが機嫌が直るまで二百年はかかるぞ」と、言った。
なんだか経験談のようだった。
というか、龍族の感覚で話さないでほしい。
俺が死ぬまでには仲直りしてほしいなんて、悠長なことを言いたくないんだけども。
とにかく、まずは事務所に戻り、オルステッドにカオスの居場所を報告した。
黙っていろとは言われたものの、さすがにそういうわけにもいくまい。
カオスがループのことを実は知っていたとか、そういう当事者で話し合った方が良さそうなことは、言わないでおいたが、場所くらいはいいだろう。
もし殺されそうになっても、オルステッドが守ってくれる……はずだ。
「そうか……」
俺の報告を聞いたオルステッドは、少しホッとしたような様子で頷いた。
表面上は何でもない顔をしていたが、やはり内心ではカオスのことを心配していたようだ。
少し機嫌が良くなったように見えたので、俺はこの機を逃すまいと、ペルギウスにループのことを漏らしてしまった件も、さりげなく報告してみた。
悪鬼のごとく怒られた。