ヤチヨから歌う題目を聞いた私は、ちょっとだけ安心していた。
だって、せっかくのヤチヨとの演奏なのに、
「その曲は練習してないから弾けません」
だなんてかっこ悪すぎる。私もよく聞いている、ヤチヨがカバーしてる曲で本当によかった。
私はちょっとだけ時間をもらって、スマコンを付けたまま目を開けた。
暗くなった窓ガラスに、ゴールデンイエローの瞳が妖しく光る。まるで、地球の外から来た宇宙人のようになっている瞳を他所にして、私は気になるところをチェックしていく。
音量を確認して、音の種類を確認して。出まくっていた手汗を拭いて、冷や汗を拭って。つけてたタオル生地のヘアバンドを、もう1回つけ直した。
最後にもう一回。音周りを確認してまた目を閉じる。
再びツクヨミの、楽器広場に降り立った私は、楽器とツクヨミとの感覚を確認する。
自分の感覚と、ツクヨミでの演奏の感覚に齟齬が無いか確認する。ネット速度のせいで遅延があったりしたら、致命的。音と音を合わせて音楽を作るのに、バラバラだったら一方通行の音になるからだ。
慣らしに、十数秒程のジングルを適当に流す。思いつきで弾いてるからタイトルはない。けど、私の様子をしげしげと見るヤチヨは、何故か嬉しそうに。近くなのに遠くを見ているように、少しだけ微笑んでいる。
「よし、大丈夫。いけます」
意を決して、私はヤチヨ伝える。ここまで来たら、もう流れに身を任せるだけ。やれる事を、やり切ろう。
「うんうん、良きかな良きかな♪ ……それでは、皆ー!」
──
それは、ヤチヨの定型句のようなものだった。
遠い星の鼓動を聞くような。ずっと出逢いたかった夢に出会えるような。いつの日か、約束した場所に戻ってくるような。
そんな世界へと誘ってくれるチケットのようなものだった。それさえあれば、何処にでも行けちゃうような、切符のようなものだった。
そんな世界へと。ヤチヨは私達を導いていく。
最初は私の伴奏から始まった。
現実と連携しているキーボードで、最大限感情のうねりを出せるよに最高潮に集中していた。
導入で、何個かのコードを繰り返す。ひとつ回る事に、また少し上のスタートラインから、音は始まっていく。
音が装飾されていく。ひとつ、またひとつと重なっていき、また一つの音となる。
そこに、ヤチヨの歌声が加わった。私の演奏とヤチヨの歌声が合わさり、混ざり合い、音楽となった。音楽はツクヨミの空に響いて、私達の間を通り抜けて、また私達へと帰ってきた。
ヤチヨはとても楽しそうだった。楽しそうなヤチヨを見ていると、私も嬉しかった。普段きく音楽としてのヤチヨよりも、数段高いところにある気がした。
そんなヤチヨの歌声は、とても透き通っていた。透き通っているけど、その意志までは透明じゃなかった。
高めのトーンの中に、独特の掠れのようなものがあった。聞き取りずらさは全く無く、はっきりとした言葉がそこにはあった。
それは、艶かしい程の光りだった。光は収縮して、拡散して、伝播して、儚く消失していった。消えてしまう前に、また光が灯っていった。夜を照らす月光のように、暖かな光だった。
暖かな光は確かに、私達の心に響いていた。頭の先からつま先まで浸透していくようだった。
「……胸に秘めた言葉乗せ、空に解き放つの──!」
解き放つのは、届けたい言葉。伝えたいこと。伝えたい音、届けたい歌。優しい愛に、夢に満ち溢れていたあの一瞬。無限に続くようで、刹那に終わる愛みたいなもの。
ヤチヨは、一瞬を永遠にしてきたんだろうなと、私は思った。
この歌声みたいに伝えたい事が沢山あって。夢や希望みたいなキラキラしたものが山ほどあって。人々が創る記憶とか、夢みたいなものが好きで。
だから、この
私はピアノを弾きながらも、見惚れていた。高らかに歌い上げる彼女を。ミクロをマクロにしていってしまうこの電子の歌姫を。
独りよがりかもしれないけど、ヤチヨと繋がっている気がした。運命共同体……とまでは全然言えないけど。その先っぽくらいなら、今、この瞬間だけ繋がれた気がした。
「……君に伝えたいこと、君に届けたいことが」
けど、それ以外のなにかがあるような気がした。
隠された本音みたいな物が、隠れている気がした。
幸せだけど悲しい。ヒリついているけど、ドキドキしている。覚悟しているけど、踏み出せてないような感じ。どうして、こんなことを感じるのかは、分からないけど。
「……君
ヤチヨが私を見る。目と目があっても、言葉が交わされないと、瞳の奥に秘める想いが何なのかは分からなかった。
今の私には、その欠片も分からなかった。本当に伝えたい事なんて分からなかったし、今後解るかも知らなかった。
だから。
「全て、繋げてく。……どこにだって!」
だから、せめて。この一瞬、一秒を大切にしよう。
流星が燃え尽きる一瞬のように。一番儚くて、一番輝いている、一番私達に近いこの一瞬を。奇跡に近い確率で繋がれたこの時を。今は、今を好きなだけ楽しもう。
流れ落ちる流星に願いをかけるように。祈るような気持ちで、この歌姫と歌おう。
最後のコーラスは、私も歌った。歌ったというか、自然と声が出たような感じだった。
初めて歌うはずなのに、初めて合わせたはずなのに、不思議と違和感とかはなかった。調和の中に、溶け込んでいるような感覚だった。
きっとヤチヨが、皆の事を想っているからだろうなと、私は自己完結していた。
それにしても……。最高に楽しかった。たった数分の出来事だけど、あまりにも熱すぎて、あまりにも嬉しくて。驚きに溢れていて、パーティのようだった。
この余韻は、しばらくの間……。いや、本当にしばらくの間、消えることは無いだろう。進級しても、大学生になっても。大人になっても、おばあちゃんになっても、この夢のような出来事を擦り続けるだろう。糧にできるだろう。"私はヤチヨと一緒に演奏したんだぞ"って、行動する力になるだろう。
興奮で、息が上がっていた。熱を帯びるを冷ますように深呼吸を繰り返していた。
対するヤチヨも、本当に楽しそうに見えた。歌うのが楽しくてたまらない……と言うよりも、
なんだろう、まさか私とできたからじゃないだろうし……。
まぁ、ミステリアスなのは今に始まったことじゃない。月見ヤチヨとは、いつも楽しそうにケラケラ笑うけど、ミステリアスな部分も併せ持つ電子の歌姫なのだ。
「……聞いてくれて、感謝、感激! 雨アラモード♪」
擬音をつけるなら、"にぱー"という音が似合うだろう。ダブルピースで、エモショーナルな表情を観客たちに向けた。
聴き入る、というのが正しい表現のようだった。声を荒らげず、立てず、静かにヤチヨの歌を聞いていた人々は、その言葉を起点に止まらない拍手が鳴り響いていた。
そのうちに、「良かったぞー!」とか、「ありがとうー!」とか、楽しいヤジが飛んでくる。思わず私も飛ばしたくなるヤジを我慢して、私はファンサービスを続けるヤチヨに声をかける。
「ヤチヨ」
「ん? なんだいなんだい?」
少し離れてファンサをしていたのに。いえーいとか言って、楽しそうに触れ合っていたのに。声をかけた途端、ずいと私に寄ってきてくれる。
鳴り止まない拍手と声援の中、私はどうしても言いたいことを口に出した。
「あの、本当にありがとうございました! めちゃくちゃ楽しくて、いい思い出になりました!」
1ファンとして、月見ヤチヨを推してる者として。最高のプレゼントをもらっていた。不思議に思う事もあったけど、心の底から楽しい出来事だった。だからこそ、全力で頭を下げた。
ヤチヨは、少しだけ私の姿をまじまじと見た後。まるで、何かを抱きしめ、噛み締めるような笑顔で言った。
「ヤッチョこそ、とーっても楽しかったよ! 」
零れ、漏れ出た言葉は、声援にかき消されて届くことは無かった。
私とヤチヨはお互いに感謝を交換し合って、楽しい瞬間を共有出来た事を祝って。この音楽の締めとして、最後の最後にヤチヨとハイタッチをして。興奮と驚愕と、高揚感でどうにかなりそうになりながら、このミニ演奏会は終わった。