私は今、ノートPCの前に正座していた。
背筋を伸ばして正座して、あとちょっと震えていた。あとひとつ、たったひとつのボタンが中々押せなかった。
少ない隙間時間で真実、芦花に動画投稿について教えてもらった。勉強とか、バイトとかではない自分からやりたい事を目指してやっていく感覚は、やっぱり久しぶりだった。
はるか昔に忘れていたはずの感覚、目的に向かって走る爽快感。ただ漠然とこなすものとはワケが違っていた。
そんな動画の初撮影は、ツクヨミで撮ることにした。真実が、自身のツクヨミプライベートルームを貸してくれると言うこともあって、何回もやり直したり、弾く曲を考えたり、熟考できたと思う。
……二人程、興奮してくれた
ほんと、真実が貸してくれて良かった。折角やる気になったのに、スタジオ借りなきゃいけないなんて、金無し苦高校生からしたら厳しい話すぎる。今住んでるあの四畳半の空間で、実際に音を出して弾くにはかなり迷惑だろうしね。
そういった理由もあって、私はツクヨミで演奏する事にしたのだ。
更に、コントローラーでの操作ではなく、ある程度の自由さが現れるマニュアル操作で行う事にした。演奏している時の手指の動きとか、身体の揺れとか、そうったものを表現出来るようにした。現実で、実際に演奏しているような動きに近づける為だ。
そして、演奏するアングルとかも決めていった。
アバター全体とか、真正面とか色々考えたけど、結局手元を移す形のアングルに決めた。
アバターの顔も映らないし、何より実際に弾いている事に近いから、臨場感も出るだろうと言うことから決まったことだった。
まぁ、アバターから身バレとかは一切考えれないけど、一応の保険と。私のアバターの顔なんかよりも、音楽を聞いて欲しいという事からこのアングルになった、ということもある。
芦花と真実は、何故か残念がってたけどね。私のこの、狐のアバターを広めないのは損だとかなんとか言っていた。正直、よく分からなかった。
そんな事よりも、投稿だ。私の音楽を世の中に解き放つ時が来た。カバーだけど、今できる最高まで仕上げたつもりだった。
演奏する曲は"Remember"。私の大好きな、大切な曲。母親のような暖かい慈愛を持つ、月見ヤチヨの代表曲。
そんな曲を、私は私のデビュー曲とした。ヤチヨのように、無限に広がっていく曲をいつの日か奏でられるように……そんな想いを込めて。
さあ、あとは押すだけだ。
この、"公開"というボタンを押すだけで、初めての投稿が完了する。
──大切なのは、意志と勇気だ。やったれ酒寄彩葉……!
私は、なんだか祈るような気持ちで、"公開"のボタンを押した。
「……」
──本当に投稿されたん?
何か特別なことがある訳でもなく。ノートパソコンの画面に、"動画が公開されました"と無機質なメッセージが表示されているだけだ。
世界に広がる瞬間は、とても呆気なかった。
「……ちょっと見てみるかな」
ちょっとだけ気になる。私の投稿した動画が、どんなかんじで公開されているのか、ちょっとだけ気になる。
私は、あえて投稿サイトの検索欄から自分の動画を検索した。"月見ヤチヨ"、"Remember"、"弾いてみた"、"iro"と、検索ボックスに入れて検索をしてみた。
関連動画がいくつも表示されていた。世界的AIライバーのデビュー曲なのだ。色々な人が影響されているし、沢山の人がその曲を歌っている。歌ってみた、演奏してみたなんかは、とても大量の動画が溢れていた。
その中で。
「……あった」
ちょっとスクロールした下の方、そこに確かにあった。
『月見ヤチヨの"Remember"弾いてみました』
やけに丁寧なタイトルの動画が、目に付いた。私のアバター名、ツクヨミでの名前"iro"を、そのままつかったアカウント名。サムネイルは、キーボードを弾いているとこのワンシーン。青を基調とした私のアバターの、胸から下が映っていた。
再生回数は、まだ10回もない。それもそうだ、数多くの動画が溢れる中、全くの無名が投稿した動画に、再生回数なんてすぐに伸びるわけがない。
けど、全世界に広がったのだ。私の音が、空に解き放たれ、遠く響くことができるようになった。その実感は確かに、私の中に灯った。
その感覚は、なんだかとても嬉しくて。心地よくて、かつて感じたことない充実感に満ち溢れていて。
「……ふふっ」
誰もいない四畳一間。京都に居た頃、お父さんがまだ居た頃のような、優しく穏やかな気持ちに私は浸っていた。
「うーん。ストリートピアノ弾いてた人、やっぱりライバーじゃないのかなぁ。確かにビビッと来るものがあったんだけど……」
『月見ヤチヨの"Remember"弾いてみました』
「……ん? こ、これは……! やっぱり自分の嗅覚信用してよかった……!」