広場は案の定というか、沢山の人で溢れ返していた。
草原に植えられた切り株や、平たい岩には当然人が座っているし、草原に直接座り込んでいる者もいた。真ん中を開けて囲うように人々は座っていて、演奏する所はまだ空白だった。
皆、楽しそうに笑顔を浮かべながら談笑しており、演奏されるのを期待して待っているようだった。
ちなみに、ヤチヨの言う通りに中央には立派なピアノが鎮座していた。近くにウィンドウが浮いていて、楽器を選ぶとそれに切り替わるようになっているようだ。
「……ちょっとやるには人が多いね」
ざっと見ても100人くらいはいる気がする。個人チャンネルで話をしている人が多いようで、以外と会話のざわめきの音は聞こえない。
私は人混みを避け、若草の上へと腰を下ろした。もしなにか聞けるなら、離れて静かに聞きたかった。聞こえた歌を、音楽をゆっくり噛み締めようとした。
そんな事を思っていると、群衆の中から茶髪の猫耳を持つアバターを持つ人が中央へと躍り出た。
ウィンドウをいじくり、ピアノを消したと思ったら手に持つのは真っ赤な深紅の星型ギター。手に持って、ピックを当てて、1度じゃらんと音を出す。
すると、上空に大きなスクリーンが現れていた。中央の演者を拡大表示してくれて、遠い位置に陣取っている私にはありがたい仕様だった。
赤い、星を型取ったようなギター。昔のバンドの、有名だったはずのもの。なんて名前だっだっけ……。
そんな事を考えながら、ギターの音に聴き入る。何かのカバーの様で、弾きなれた様子で指顔踊っている。
中々にロックで、カッコ良く、得意げにポーズも決めている。音楽が本当に好きなんだということが、伝わってくる演奏だ。
イヤホンで、ヘッドホンで、スピーカーで聞くだけでは足りない音圧を、感じる気がする。ビリビリと肌に伝わる、心地よいうねりのようなものは、私の心を揺さぶってくる。
目を閉じて、音を浴びる。全身で受けるように、脱力して聴く。なんだか、感じないはずの触覚が、そこにはあるような気がしていた。
音が終わり、私は目を開ける。気がついたら、演者は5人になっていた。どうやら友達同士らしく、笑顔を浮かべて楽しそうに笑い合っている。
しかも、即興でバンドサウンドを聞かせてくれるようで、準備も進めている。
ドラム、ベース、キーボードにギターが二人。リードギターとサイドギターに別れるのだろう。まるで予定調和の様に、特に話し合いをすることもなくチューニングを始めていた。
少しして、ドラマーのスティックカウントから、歌は始まった。
音が、電撃の様に走り抜けた。人々の間を駆け抜けて、また戻って来て。繰り返して重なっていく。
それは、世界一有名なバンドの曲だった。音と音が重なるのを、私は感じていた。重なって、ひとつになって、音楽になっていくのが解った。
楽しいというのが伝わってきた。歌いたいというのが、伝わってきた。その陽気な曲風からか。リズミカルで、ポップなリズムだからか。軽すぎるほどに軽快で、可笑しいくらいに明るいそれが伝播している。観客達も、リズムを取ったり歌を歌ったりして、楽しんでいる。
心揺さぶられながら、私はお父さんの言葉を思い出していた。
音楽を、自由に楽しむということ。
いつだって、どこだって、なんだって。自由に楽しめるということ。
表現の形に際限はなく、永遠に無限に続いていくこと。言葉に出来ない想いを、伝えることができること。
それは、弾きたい時に弾ける。ということでもあって。楽しみたい時に、楽しめる、ということであって。
「……」
バンドの音楽が終わった。
最後で、無敵になれるような音楽だった。元気をもらえる音だった。5人は仲良さげに談笑しながら、ぺこりとみんなに挨拶をしていた。辺りからは、拍手が自然と溢れていた。
私は、ヤチヨのライブを聞いた直後のように、爽やかな気持ちだった。大丈夫だよって、言われた気がした。
五人が離れた後、楽器がピアノに戻っていた。
目の先にあるピアノから、私は目を離せなくなっていた。黒く、綺麗に光るピアノから、弾いてもいいよと、言われている気がした。
気がついたら、私はピアノに向かって歩んでいた。
好きなものを、嫌いと言いたくない。大切なものを、離したくなかった。
誰かに強制されて、「だったら、もうやらない」なんて、言いたくなかった。弾きたいから弾く。やりたいから、歌う。奏でる。音楽をする。私は、そんな単純だけど。確かに大切なことを、思い出した気がした。
広場の中央へ辿り着く。
コンサートホールにあるような椅子に座ると、感じないはずなのにひんやりとした硬質感がある気がする。
鍵盤を、ひとつ押す。ぽーんと響く、聞き慣れた音は、私の中をすうっと通り抜けた。弾けなくなるような物が、弾けなくしていたものが、少し薄まった気がした。
私の指は、自然と動き出す。踊るように、舞うように。白鍵を、黒鍵を、行ったり戻ったりして、音を奏でる。
私は、音楽が好きだ。何度救われたか分からないほどに、音楽が好きだ。
月見ヤチヨの歌が好きだ。鈴の様に清らかな歌声から、私達へと歌う。伝わってくる"Remember"が好きだ。
指が踊るように続いていく。触覚は無いはずなのに、私は確かに鍵盤を押していた。強弱をつけて、弾くように。感情が入り込んで、華やかに。そんな私の指先から迸るのは、大切な音楽。
───大切なメロディは流れてるよ。あなたのハートに。
どうしてこんなにも揺さぶられるのだろう。どうしてこんなにも頑張ろうと思えるのだろう。
"Remember"がそういうものだと言えばそれまでだけど。それだけでは説明できないなにかが、そこにはある気がした。
最後にもう1度。良く聞き慣れたメロディで、この歌は終わる。一番儚くて、一番良く響いて、一番願いに近いような……。そんな優しい音。柔らかに減衰していって、静寂が戻ってきていた。
───静寂?
私は、目の前しか見えていなかった。ただ、ピアノを弾くことしか考えていなかった私は、突如として周囲からの視線を感じる。言葉を発することもなく、ただ私の事を見ている。
───もしかして、やっちゃった?
どうも、音楽をするとこうなる。熱が入って、周りが見えなくなる。私自身は気持ちよく弾けてるし、楽しい時間だったけど……。
不安になって、辺りをキョロキョロと見渡す。話してる手を止めて、こちらをただ見る視線に、私はだんだんむず痒くなってくる。
少しの居心地の悪さを感じて、すぐに離れようと席を立った……その時に。1番近くに居た、犬耳褐色のギャル風お姉さんが、全力で拍手を始めた。
するとどうだろう。周りの人々も、順を追うように拍手を重ねてくるようになる。
それは徐々に大きくなっていき、気がついたら殆どの人が拍手をしているように思えた。十人とかそこらで聞こえる音量では、到底無かった。
次第に、私へ投げかけてくれる声も聞こえてくる。「いいぞー!」だとか。「もっと弾いてー!」だとか。中には、「あの狐耳アバターって誰? ライバーの人?」と、私を特定しようとする人も居たくらいだった。
……というか、目の前のこの人、『NEWS TSUKUYOMI!!』のキャスターの人じゃない? なんでこんな所で、全力拍手してるのよ。
浴びる賞賛は、この前の
それを実感したのはいいが、目立って注目の的となっている事とは話が違う。人気のライバーのように場慣れなんてしてないし、プロゲーマーの様に緊張に慣れているわけでもない。
何かやらかす前に、さっさと退散しよう……。そう思って、ささやかに手を振りながらその場を後にしようとした時だった。
「ヤオヨロ〜! うんうん! みんな楽しくやってるみたいだね~」
目の前に、現れた。フワリと空から、舞うように着地した。
息を飲んでしまう程の白銀。月夜に輝いて芸術的に煌めいていて、神々しささえ感じる。北国の白い雪を思わせる肌、綺麗に整いすぎた藤色の双眸。青を基調とした、花柄のジャカードデザインのクラシックな着物風ドレス。大きく空いたスリットから見える白雪のようなスラッとした美脚は、海のようなグラデーションを持つタイツによってより一層映えるようになっている。
さらに、形の良い唇と、誰もを魅了する愛嬌。和風のツインテールを揺らしながら、楽しそうに笑うその姿は、紛うことなき"月見ヤチヨ"そのものだった。
……けど、あれ。なんだかいつもよりも小さいような……?
「えっ、ちょっ、なんっ。なんっ、で、ヤチヨ……さんが?」
私史上最大最高の"推し"を目の前に、良くここまで声が出せたと褒めて欲しかった。私だけでなく、周りからも驚愕の声が上がっている。
そんな様子の私達を面白そうに笑って、ヤチヨは言った。
「言ったでしょ? ヤッチョも見に行くかもよーって。まぁ、分身だけどねぇ」
いえーい、と両手を振りながらファンサービスをしている。私に背を向けて、右に左に、笑顔を振りまく姿は、その小さな可愛らしい容姿と相まってとても可憐だった。
なるほど、だから普段より小さいのか。それによく見ると、肩にFUSHIが乗っていない。ヤチヨが出る時はいつも彼のウミウシがいる為、確かに分身なようだ。
けれど、ヤチヨには変わりない。
分身といえど、小さいといえど、
つまり……。今の小さいヤチヨも可愛いってことだ。
「さてと」
ヤチヨがそう言って、こちらを振り向く。何かを期待するような、デジタルなのに蘭々と光るその瞳を見た途端に心臓の音が高鳴った。
……ううっ。上目遣いとか反則でしょ!
「ヤッチョね、みんなが楽しそうだからちょっとだけ歌いたくなっちゃった」
……突発ライブってこと?
でも、なんで私を見てるのだろう。ヤチヨが歌うのに、私が居たら邪魔になるんじゃ……?
「いろ……じゃなかった。iro」
「ひゃ、ひゃい!」
突然名前を呼ばれる。いや、名前と言っても、アバター名だけど。いや、私には違いないけど。
というか、これなんてファンサービス? 私、供給過多でどうにかなっちゃいそう……!
羞恥と驚愕。歓喜と、焦りで感情がぐちゃぐちゃだ。思わず目を逸らしてしまいそうになるが、その御姿を何としても収めるべく私は意志の力でヤチヨを見る。
ところで、スマコンには緊急用の機能が標準搭載されている。
感情が揺れ動く事でふじゅ~が支払われるというシステムを取っている都合上、急激な心拍数の増加や減少。体温の計測と血圧の上昇。ドーパミンやアドレナリンなどといった興奮性の物質が分泌される事などに応じて、ユーザーに対して警告がでてくる。規定値を超える危険な状態になったらアラートが視界に表示されて、最後には強制ログアウトと言った具合だ。体調が悪くても、急激な興奮とかで起こりうることがままある。
私が何故。急にそんな事を思い出したのかというと……。
「どうか一曲。一緒に奏でてくれる?」
ヤチヨから差し出された手。演奏の誘い。
私の視界には、警告のアラートが画面一杯に表示されていた。
モチーフが分かったら僕と握手です。
ちなみにもう出ることはありません。