酒寄彩葉は音楽が好きだ。   作:冴月

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キリがいいので一旦ここまでで。


⑧

 ──どうか一曲。奏でてくれる?

 

 その誘いは、甘美なものに違いなかった。

 差し出された手。小さくスラっと細く、綺麗なヤチヨの手を、私は警告が出まくっている視界に収めている。

 

 演奏の誘い。私が、ヤチヨの為に、ヤチヨと一緒に、ヤチヨの音楽をやるって事。

 こんな場面を思春期特有の想像力で、妄想した事もあった。なんだったら、文章として書き出したことだってある。とても恥ずかしすぎて、決して表に決して出せないけど。

 

 そんな事を考えてしまうくらい、ヤチヨは高嶺の花なのだ。

 妄想しちゃうくらいに高く、想像してしまうくらいに尊い、推し。触れることすら許されない、大海に咲く1輪の花なのだ。

 

 そんなヤチヨと、一般人である私が演奏……?

 

 完全に私はフリーズしていた。1周回りきって、冷静とも言えた。

 確かに一緒に歌えたら、奏でられたら、演奏出来たらとは思う。過去最高に楽しいと思う。はつらつとして、溢れた情熱をそのまま形にすることは、最高だと思う。けど、けれど。これは、流石に……!

 

「……うっ」

 

 上手く声が出せなかった。自分の中で、色々なものがぶつかり合っているのを感じていた。

 

 私は、やりたい自分と、台無しにしたくない自分がせめぎ合っているのを感じていた。この一瞬が、最高の瞬間になることは間違いないけれど、この一瞬のせいでヤチヨを貶めてしまう可能性があるのは否定できなかった。

 そんな、"やりたい"と"出来ない"の間。不確定で、定まっていないゆらぎのせいで、私はヤチヨの手を軽々取ることはできない。

 

 出続けるアラートを尻目に、回らない頭を回す。回しているせいで、なかなかその手を取ることができない。手を出そうとしても、心にかかってる枷みたいなものが、それを阻んでしまう。見えているはずなのに、ぼやけて霞んでしまう。

 ……私はそんな状態だった。一体、私はどんな表情をしていたのだろう。いずれにせよ、変な顔をしてるに違いなかった。

 そんな私を見て、可笑しそうにヤチヨはクスクスと笑う。手を口に当てて、その姿からは考えられない程に上品だった。

 

「ねぇ、もしかして……やりたくてもできない?」

 

 ちょっと不安を顔に浮かべながら首を傾げて、そんなことを言う。上目遣いで、何故か寂しげに。私は、しどろもどろになりながらもなんとか言葉にする。

 

 ──い、いや! そんな事は……。ただ、そう。私がヤチヨの歌を台無しにしちゃうのは、一ファンからしたら到底許されざるべき行為と言いますか、なんと言いますか……!

 

 たどたどしくも、そう伝える。自分で自分に弾くなら兎も角、あの大大大ファンで最大の推しである月見ヤチヨとやる(演奏)のだ。ちょっと、流石に、色々とやらない、やれない理由が多すぎた。

 憧憬と、羞恥心と、推しであること。色々な理由でヤチヨを直視できなくなった私は、視線を右往左往させてしまう。

 

「ねぇ、iro」

 

「は、はいっ!」

 

 名前を呼ばれて、直立不動である。鬼教官(酒寄紅葉)とかから呼ばれた時のように、背筋がピンと伸びた。

 ヤチヨは出した手を1回戻して、後ろで手を組む。

 

 その後のヤチヨの言葉は。まるで、呪文の様に私の中へと染み込んできた。

 

「……大切なのは。やろうとする意志と、ひとつ踏み出そうとする勇気。それだけあればなんだってできちゃうって、ヤッチョは思うんだ」

 

 それは。

 その言葉は、私にとっての啓示なのかもしれなかった。かけて欲しかった言葉なのかもしれなかった。親からの抱擁に近い、温かいものかもしれなかった。

 なにかに影響されてから、きっかけがあってから動くような私。踏み出すのに迷いがある私。ちょっと遅れてから動き出す私。過去を振り切れず引きずる私。

 何かやりたいことがあれば。したいことがあれば、周りを気にせず、1歩踏み出せるのだろうか。踏み出した先で、なにか"夢"みたいな自分の強い意志を固められる物ができるのだろうか。

 自分への自己嫌悪の様な。内から外に出すことができない引きこもった感情が私を取り囲んでいるのを感じた。常に下を向いて歩き続けているような感覚だった。

 やりたい事とか、したい事とか。夢とか、希望みたいなキラキラした事は、下を向いていて見つかるはずもないのに。

 

「だから……。ねぇ」

 

 ヤチヨはまた、私に問いかける。

 私にそんな事を考える暇を与えないように。考える前に動けと、感情のままに動けと言うように。

 私に呼びかけるように、願いをかけるような優しい声で、私に声をかける。

 

「……私と一緒に。奏でてくれる?」

 

 再び、手が差し出されていた。

 ぼやけて、霞んで見えないはずだったヤチヨの手が、今度はちゃんと見えていた。今度ははっきりと、アラートも無く見えていた。

 

 私は、無意識にヤチヨの手を取ることができた。

 

 感覚は無いけど、確かに触れていた。温度は無いはずだけど、暖かい気がした。

 

 ヤチヨの思いに触れた気がした。神様のような、天使の様な心に触れた気がした。

 

 ああ、この人は本当に"月見ヤチヨ"なんだなと。包み込むような優しさを持つ彼女なんだなと。そう思えた。

 

「……はい。私でよければ、喜んで」

 

 忠誠を違う、騎士と姫のような感じだった。

 姫の手を取って、その甲に唇を落とすかのように。私はヤチヨの手を取った。

 

 

 

 

 

 

 

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