TCG未経験の36歳無職、TCG能力《因果祭典》で異能バトル世界を駆け抜ける 作:パラレル・ゲーマー
関係者の間で『八咫烏』と呼ばれる、国の特殊事象対応機関。
その地下に設けられた安全試験室は、独特の静寂に包まれていた。
「では三浦さん、召喚解除が可能か確認しておきましょう」
ガラス越しのマイクから、担当官である高梨紗季の淡々とした声が響く。
和真の目の前には、依然として片膝をついたままの少年騎士、《天輪騎士-初陣のレオ》が実体化していた。
カードのテキストには『最大存在時間:60分』とあったが、和真は視界のUIへ意識を向けた。
『MANA 0/2』
先ほどの初回発動クエストの報酬で上限こそ『2』に増えたが、現在のマナはゼロ。
もし召喚解除にも追加のマナが必要なら、今の状態では何もできない。
「解除って……消えろ、とか念じればいいんですか?」
『召喚者は三浦さんなので、私に聞かれましても』
「それ、さっきまで俺が高梨さんに言う側だったような台詞じゃないですか」
和真は小さくため息をつき、目の前のレオへ向き直った。
実体の人間と見紛うほどの存在感。だが、これは自分が生み出した『因果の結晶』だ。
「もう戻っていいぞ」
声に出すと同時に、頭の中で「カードを仕舞う」イメージを強く念じる。
するとレオは、まるで主命を全うした兵士のように無言で一度深く頭を下げ、直後に光の粒子となって霧散した。
床には何も残っていない。
召喚者が任意に解除できることは確認できた。
和真は視界のUIを再確認する。
『DECK 23』
『HAND 6/7』
『DISCARD 1』
『MANA 0/2』
『STORED DRAW 0/7』
「高梨さん。呼び戻しても、手札にカードは戻らないんですね」
『そこまで都合は良くないみたいですね。使用済みになった以上、基本的には捨て札(ディスカード)として処理されるのがTCGの原則です』
なるほど、と和真は頷いた。
使った分だけ手札は確実に減る。当然の理屈だ。
試験室を出て、一階の応接スペースへ戻る。
高梨から渡されたのは、能力者登録の仮証明書と、二十四時間繋がるという緊急連絡先が書かれたカードだった。
「正式な査定結果と登録証は、後日郵送か手渡しでお渡しします」
高梨は事務的に処理を進めながら、最低限の注意事項を口にした。
「一般人の前で不用意に能力を使わないこと。能力の詳細をSNS等へ書き込まないこと。新しい大規模な能力の発現や、身体に危険な変化が出たらすぐに連絡すること。緊急時はそのカードの番号へ。……以上です」
「ええと……」
和真は戸惑った。
「それだけですか? 明日からどう生きればいいかとか、能力の訓練メニューとか……」
「普通に生活して構いません」
「普通にって言われても、昨日まで超能力なんてこの世に存在しないと思ってた三十代の一般人なんですが」
「慣れてください」
高梨のあっさりとした返答に、和真は肩透かしを食らった。
「随分と雑ですね」
「真面目な話、新規覚醒者全員にこの世界の仕組みから能力の歴史まで、三日三晩講義していたら我々の業務が破綻します。生活に支障がないレベルの能力なら、放任が基本方針です」
いかにもお役所仕事らしい割り切り方だ。和真は苦笑しながら仮証明書を財布にしまった。
「それと、三浦さん」
帰ろうと立ち上がった和真を、高梨が呼び止めた。
「はい?」
「本当に、一度でいいのでカードゲームに触れてみてください」
「……そんなにですか?」
「そんなに、です」
高梨は腕を組み、深刻そうな顔で虚空を見つめた。
「三浦さんの能力のルールを見る限り……土地のようなリソースカードからマナを生み出すタイプではないですよね。時間経過で自動回復するということは、どちらかといえば『ハースストーン』や『シャドウバース』のようなDCG(デジタルカードゲーム)のシステムに近いのか……。でも、《天輪騎士-初陣のレオ》とか《天輪総騎-アルシオン》とか、カード名のネーミングセンスは妙に『遊戯王』っぽいですし……」
専門用語の羅列に、和真の顔からスッと表情が消える。
「すみません、高梨さん」
「はい?」
「今の話、一個も分かりません」
高梨はハッとして、バツの悪そうな顔をした。
「……そうでした。完全に初心者の方でしたね」
「だから、今から覚えに行くんですよ」
和真が冗談めかして言うと、高梨は真剣な表情に戻った。
「大きめのカードショップなら、初心者講習をやっているところもあります。別に特定のタイトルを極めろと言っているわけではありません。TCGの『基本概念』を知るだけでも、能力の運用効率が劇的に変わるはずです」
「分かりました。寄ってみます」
「……あと、くれぐれもご自身の能力のことは話さないでくださいね」
「三十六にもなって、いきなり店員に『俺の超能力について教えてくれ』なんて言いませんよ」
そう言い残し、和真は八咫烏の庁舎を後にした。
時刻は午後一時を少し回ったところ。
朝から眼科へ行き、謎の組織に連行され、自らの手で騎士を召喚した。
わずか半日の出来事とは思えないほど、脳内の情報処理が限界に達していた。
「とりあえず、腹減ったな……」
霞が関周辺の喧騒を抜け、和真は目についた古びた蕎麦屋へ入った。
ざる蕎麦をすすりながらも、和真の頭の中には常に視界の端の文字がチラついている。
『DECK』『HAND』『MANA』『DISCARD』
高梨から「カードショップへ行け」と強く念を押されたものの、和真の人生において、カードゲームの専門店などという場所に足を踏み入れた経験はない。
食後のコーヒーを飲みながら、スマートフォンで検索をかける。
『カードショップ 初心者』
『TCG 初心者講習 東京』
いくつかヒットした店の中から、秋葉原周辺で「スタッフによる無料ルールティーチング実施中」とデカデカと掲げている店舗を見つけた。
電車で移動することにして、席を立つ。
ふと、自分の能力に意識を向けた。
地下の試験室でレオを召喚してから、一時間あまりが経過していた。
視界の中央に、音もなく小さなポップアップが表示される。
『Elapsed Time Processing』
『Hourly Cycle ×1』
『MANA 0/2 → 2/2』
『STORED DRAW 0/7 → 1/7』
「……本当に戻った」
歩きながら、和真は小さく呟いた。
試験室での推測が確定した。手札の枚数は6枚のまま。マナが最大値まで回復し、『STORED DRAW(ストアド・ドロー)』という項目が1つ増えている。
『DECK 23』
『HAND 6/7』
『MANA 2/2』
『STORED DRAW 1/7』
『DISCARD 1』
「これ、一枚引けるってことだよな」
和真は視界の端の数字を見つめた。
名前からすれば一枚引けるということなのだろうが、カードを引くことにどれだけ意味があるのか、今の和真にはまだ分からない。
ここで使って手札を補充してもいいが……。
「……いや、使い方がちゃんと分かってからでいいか」
和真は意識を逸らし、能力のUIを視界の端へ追いやった。
よくわからないままシステムを弄って、取り返しのつかないペナルティが発生するリスクを、元商社マンの危機管理能力が警戒したのだ。
秋葉原駅から徒歩数分。
雑居ビルの三階にある、カードショップ『ドローフェイズ』。
和真が想像していた「小学生が床に座り込んでカードを広げている店」という偏見は、ドアを開けた瞬間に打ち砕かれた。
店内は明るく清潔で、ガラス張りのショーケースには、一枚数千円から数万円という値札が付けられたカードが整然と並んでいる。
壁一面には様々なタイトルの未開封ボックスや、色とりどりのカードスリーブ、プレイマットといったサプライ商品が陳列されていた。
奥の対戦スペース(デュエルスペースと書かれていた)には、数十人ほどの客が座っている。学生らしき若者もいるが、ワイシャツ姿の会社員や、和真と同年代に見える男性、さらには女性客の姿も珍しくなかった。
(……思ってたより、大人の趣味なんだな)
三十六歳にして初心者、という引け目が少しだけ和らいだ。
しかし、安心したのも束の間。
店内に溢れる圧倒的な情報量に、和真は完全に立ち尽くしてしまった。
どの棚を見ても、パッケージに描かれたキャラクターやロゴが違う。何がなんだか全く分からない。
レジ付近の初心者向け商品コーナーらしき場所で、十五分ほど不審者のように商品を凝視し続けていた和真に、一人の店員が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
声の主は、三十代前半くらいに見える女性店員だった。
首から『店長代理:瀬川(せがわ)』というネームプレートを提げている。
ショートカットで快活そうな印象だが、いわゆるオタク特有の早口や、押し付けがましい熱量は感じさせない、落ち着いたトーンの接客だった。
和真は少し躊躇してから、正直に口を開いた。
「すみません。三浦といいます。その……カードゲームを始めたいんですけど、何をどうすればいいのか全く分からなくて」
瀬川は少しも嫌な顔をせず、微笑んだ。
「ご来店ありがとうございます。何か気になっているタイトルや、好きなアニメのカードはありますか?」
「タイトル……?」
瀬川は一拍置いて、和真の顔をじっと見た。
「……もしかして、カードゲーム自体に触れるのが本当に初めてですか?」
「はい。人生で一度も」
瀬川は少し意外そうな顔をした。
「ご友人に誘われたとか、職場の付き合いとかですか?」
「いや……仕事柄、基本を覚えた方がいいと言われまして」
言ってから、和真は内心で(数日前から無職だけどな)とセルフツッコミを入れた。
「お仕事でカードゲームを?」
瀬川の目が少し見開かれる。
「……仕事というか、これからちょっとそういう界隈に関わる可能性があって」
八咫烏のことや、能力のことは当然言えない。
「ゲーム業界の方ですか?」
「違います」
「イベント会社とか、イラスト関係?」
「それも違います。ただの素人です」
瀬川の表情に、微かな疑問符が浮かんだのが分かった。
「……詳しくは言えないんですが、とにかくカードゲームの基本的なルールや考え方を知っておいた方がいいらしくて」
「なるほど?」
瀬川の相槌は、全く納得していない響きだった。
(この人の中で、俺が『未発表ゲームの関係者』みたいな胡散臭いポジションになりつつあるな)
和真は冷や汗をかいたが、訂正するのも面倒なのでそのまま押し通すことにした。
「では、本当に一番の基本からご説明しましょうか」
瀬川はカウンターの内側から、無料体験用のシンプルなハーフデッキ(構築済みデッキの半分サイズ)を二つ取り出した。
「助かります。……まず、一番初歩的な質問なんですが」
「はい、何でも聞いてください」
「デッキって、何なんですか?」
瀬川は一瞬だけ動きを止め、和真を見た。
「……本当に、そこからですね?」
「そこからです」
瀬川は苦笑いを噛み殺し、カードの束をカウンターの上に置いた。
「これが『デッキ』です。ゲームで自分が使うカードを、ルールで決められた枚数だけ集めた束のことですね。自分の戦力そのものです」
「なるほど。この束全部を使って戦う?」
「いえ、ここから何枚か引いて使います。ゲーム開始時に引くカードの束が……」
瀬川が和真の前に数枚のカードを裏向きで配る。
「これが『手札』です」
「ああ……ハンド」
和真は思わず呟いた。
「英語だとそう呼びますね」
「本当に手のことだったのか」
「え? そりゃ手で持つ札ですから」
「いや、気にしないでください」
瀬川は訝しげな視線を向けつつも、説明を続ける。
「そして、まだ引いていないデッキの残りを『山札』。使ったカードや破壊されたカードを置く場所を『墓地』や『捨て札置き場』と呼びます。トラッシュやディスカードと呼ぶゲームもありますね」
和真の脳内で、バラバラだったピースが急激に組み合わさっていく。
『DECK 23』
『HAND 7/7』
『DISCARD 1』
視界に浮かんでいた謎の文字列が、完全に物理的な位置関係として理解できた。
自分の能力は、三十枚のカードの束(デッキ)を持ち、そこから七枚を手札として引き込んでいる状態からスタートしたのだ。
「例えば」和真は身を乗り出した。「デッキが最初に三十枚だったとして」
「三十枚ですか。少し少なめのゲームですね。はい」
「最初に七枚引いたら、山札の残りは二十三枚になりますよね」
「計算上はそうですね」
「……なるほど」
和真が一人で深く納得していると、瀬川が首を傾げた。
「何か?」
「いや。ちょうど、そんな数字を見たことがあって」
「どこでですか?」
「……仕事で」
ますます胡散臭い。瀬川の目が「やっぱり未発表ゲームの開発に関わってる素人のお偉いさんか何か?」と雄弁に語っていた。
「次に、カード一枚の見方です」
瀬川がカードを一枚表に返す。ファンタジー風の剣士が描かれたカードだ。
「ゲームによって違いますが、基本的には『カード名』『コスト』『カードの種別』、そして『効果テキスト』を見ます。キャラクターが戦うゲームなら、攻撃力や体力などの数値も書かれています」
和真は、今朝実体化させた《天輪騎士-初陣のレオ》のカードを脳裏に思い描いた。
名前。左上の『1』というコスト表記。Type:Summon。そして、最大存在時間60分というテキスト。
「……攻撃力とか体力が書いてないカードってのも、あるんですか?」
「ありますよ。呪文や道具のカードなら数値を持たないことが多いです」
「キャラクターを召喚するカードなのに、数値がない場合は?」
「それは少し珍しいですね。召喚したものの能力値が、ルール上の固定値だったり、プレイヤーのレベルに依存するようなシステムならあり得ますが」
和真は顎をさすった。
「……なるほど」
「何か具体例が?」
「いや、仮の話です」
瀬川の眉がわずかにピクリと動いた。
「次は『コスト』についてです」
瀬川は別のカードを指差した。
「強力なカードには、使うための条件があります。それがコストです。マナやエナジーと呼ばれることもありますね」
「マナ」
朝から視界に表示され続けていた言葉だ。
「土地やエネルギー源となるカードを場に出してマナを生み出すゲームもありますが……」
「何も出さなくても、勝手にマナが回復するゲームもあるんですか?」
和真が食い気味に聞く。
「ありますよ。特にデジタルのカードゲームだと、ターンの経過とともに最大マナが増えたり、毎ターン全回復したりするシステムが主流ですね。プレイヤーの計算の手間を省くためです」
「一時間で全部戻るとか?」
「…………一時間?」
瀬川が呆然と和真を見た。
「一時間って……リアルタイム制ですか? ターンじゃなくて?」
和真は慌てて取り繕った。
「そういう場合です」
「……三浦さん、本当に何のゲームの話をしてるんですか?」
「ちょっと特殊なルールを想定してまして」
完全に疑われている。
だが、和真にとっては重要な確認だった。自分の能力《因果祭典》は、デジタルカードゲームのマナシステムに近いということだ。
さらに和真は、高梨の「名前が遊戯王っぽい」という言葉を思い出した。
《天輪騎士-初陣のレオ》
《天輪騎士-城壁のガルド》
《天輪総騎-アルシオン》
《天輪の護壁》
「同じ名前の一部……例えば『天輪』って単語を共有しているカードが多いんですが、これって意味あるんですか?」
「『天輪』ですか? 架空のゲームの話ですよね?」
「はい」
「意味はあります。テーマやカテゴリーとして扱うゲームですね。『天輪』と名のつくカードの攻撃力を上げたり、山札から特定の『天輪』カードを手札に加えたりする効果(シナジー)を作るためです。デザインを統一して、プレイヤーにデッキを組みやすくさせる意図もあります」
(……なるほどな)
和真は内心で膝を打った。
自分の手持ちのカードは、ただのバラバラの能力の寄せ集めではなく、《天輪》という一つのテーマでシナジーを生み出すようにデザインされている可能性が高い。
和真の視線が、初心者向け商品の陳列棚に向いた。
「……同じカードを、何枚もデッキに入れる意味ってあるんですか?」
「もちろんです」
「色んな種類のカードを一枚ずつ入れた方が、色んな状況に対応できて強くないですか?」
いかにも初心者らしい発想に、瀬川は柔らかく微笑んだ。
「三浦さん。例えば三十枚のデッキの中に、絶対に引きたい強力なカードが一枚だけ入っているとします。毎回、都合よく引けると思いますか?」
「……いや、無理でしょうね」
「では、同じカードが二枚入っていたら?」
「一枚の時よりは、引く確率は上がりますね」
「そういうことです。カードゲームにおいて一番怖いのは『何もできずに負ける』こと。同じカードを複数枚入れるのは、同じ行動を繰り返すためというより、自分のやりたい戦術の『安定性』を高めるためなんです」
和真は、自分のデッキにも同じカードが入っているのか気になった。
同じカードが二枚あれば、それだけ必要な時に引ける可能性は高くなる。
三十枚の全リストをまだ把握していない和真にとって、帰宅後にデッキを確認するという明確な目的ができた。
「じゃあ、単純に強いカード……高コストのカードばかりを入れるのが一番強いんですか?」
「使えれば、ですね」
「使えれば?」
「コストが重いカードばかり引いてしまって、序盤にマナが足りずに何も出せなかったら、相手の安いカードにタコ殴りにされて負けます」
今朝見た手札にも、コスト6のアルシオンやコスト3の拘束鎖が混ざっていた。
マナは1しかなかったので、それらは当然使えなかった。
「……なるほど。痛いほど分かります」
和真の妙な納得具合に、瀬川が首を傾げる。
「何か心当たりが?」
「あります」
「?」
「ちょっと似たような状況を見たので」
瀬川は小さくため息をついた。
瀬川はメモ帳を引き寄せ、簡単なグラフのようなものを書き始めた。
「コスト1が何枚、コスト2が何枚、コスト3が何枚……と、デッキに入っているカードのコスト帯ごとの枚数を視覚化したものを『マナカーブ』と呼びます。低いコストのカードが少なすぎると序盤が動けない。逆に低コストばかりだと後半に息切れする。このカーブを綺麗に整えるのが、デッキ構築の基本中の基本です」
「マナカーブ……」
今日初めて、和真は自らの意志でTCGの専門用語を脳裏に刻み込んだ。
カードの能力の強弱だけではなく、デッキ全体のバランスを考える。
(面白いな……)
和真は、このシステムに奇妙な知的好奇心を刺激され始めていた。
「次は『ドロー』ですね」
瀬川が和真の前に置かれた山札を指差す。
「カードを引くことですか」
和真は、視界のUIにある『STORED DRAW』を思い浮かべながら聞いた。
「カードを引くだけの効果って、強いんですか?」
「効果次第ですね。例えば、カードを一枚使って二枚引くなら?」
「一枚使って二枚?」
「ゲームのスピードにもよりますが、かなり強い可能性がありますね」
和真は少し眉をひそめた。
「攻撃も防御もしないのに?」
「しません」
「それで強いんですか?」
瀬川は、カウンターの上にカードを並べて見せた。
和真側に一枚。瀬川側に五枚。
「この二人が、全く同じ強さのデッキを使っているとして、どちらが圧倒的に有利だと思います?」
「……そりゃ、五枚持ってる方でしょうね」
「なぜです?」
「選べるから……」
和真は、自分で答えてハッとした。
「そういうことです」
瀬川は満足そうに頷いた。
「すごく大雑把な言い方ですが、カードゲームにおいては『使える選択肢そのもの』が最大の資源なんです。カード一枚を使って二枚引いたなら、結果的に手札は一枚増えますよね。この選択肢の差を『カードアドバンテージ』と呼びます」
選択肢が資源。
その言葉は、元商社マンである和真のビジネス感覚にスッと腑に落ちた。
交渉の場で、相手よりも多くのカード(情報や選択肢)を持っている側が圧倒的に有利に立つのは当然の理屈だ。
和真は視界の右上に目を向けた。
『STORED DRAW 1/7』
一時間ごとに貯まる、カードを引く権利。
(……これ、俺が思ってた何倍も重要なシステムなんじゃないか?)
理解が進むにつれ、和真の探求心に火がつき始めた。
「じゃあ、仮にですよ」
「はい、仮に」
「三十枚デッキで、初期手札が七枚」
「少し初手が多いですね」
「マナは最初の一からスタートで、クエストをクリアすると最大値が増える」
「……クエスト?」
「仮です」
瀬川のジト目が和真を射抜くが、和真は止まらない。
「マナは一時間ごとに全回復。ターンじゃなくて、現実の一時間です」
「リアルタイム……」
「同じ一時間ごとに、ドローできる権利が一回分貯まる。好きな時に消費して引ける。上限は七回。手札の上限も七枚」
瀬川のカードゲーマーとしての脳が、即座にその特殊ルールの合理性を分析し始めた。
「……かなり合理的ですね」
「そうなんですか?」
「手札が上限の七枚で満杯の時、不要なカードを一枚捨ててからドロー権を使えば、実質的に手札交換(ルーティング)ができます。初期手札が事故っていても、時間さえかければ盤面を整えられる」
和真は息を呑んだ。
そこまで考えていなかった。
手札が7枚ある。いらないカードを一枚捨てる。ドロー権を使う。新しいカードが入る。
これなら、一生使えない高コストカードを抱え落ちするリスクを減らせる。
「……そういう使い方もあるのか」
「本当に何のゲームのテストプレイですか?」
「そういう前提の話です」
和真の質問攻めは続く。
「じゃあ、1コストで召喚したユニットが一時間、その場に残り続けるのは?」
「……現実の一時間?」
「はい。例えば、人間の等身大くらいの騎士が」
「ちょっと待ってください。等身大?」
「《天輪騎士-初陣のレオ》って名前で――あ」
具体名を出してしまった。
「天輪騎士? レオ?」
「仮のカード名です!」
「随分と設定が完成してますね……」
瀬川は額を押さえた。
「でも、もし本当にそれが戦闘可能なユニットで、1コストで長時間盤面に干渉し続けられるなら、異常なほどコストパフォーマンスが高いカードだと思います」
(レオ……1コストにしては、かなり当たりなのか?)
和真は、地下室で片膝をついていた少年の姿を思い出し、少し申し訳ない気持ちになった。
和真はさらに、《天輪の護壁》や《天輪の手当》といったカードの効果も大まかに説明した。もちろん、八咫烏から能力の秘匿を命じられているため、「仮のゲーム案」という体裁を崩さずに。
瀬川は少し考えてから答えた。
「ゲームによりますけど、単純な回復(手当)よりは、相手の攻撃を無効化する防御(護壁)の方が、盤面への影響力が大きくて強いとされることが多いです」
和真は、瀬川の言葉を聞きながら、現実世界とゲームとの『評価のズレ』に気がついた。
ゲームの中でHPを少し回復するのは地味かもしれない。
だが、現実世界で《手当》を使えるなら? それは『怪我を治せる』ということだ。
《護壁》も、ゲームなら一回攻撃を防ぐだけだが、現実で交通事故や刃物から身を守れるなら、それは最強の防御魔法になる。
「……カードゲームの中で弱いとされるカードでも、現実ならめちゃくちゃ強いことってありそうだな」
和真の無意識の呟きに、瀬川がピクリと反応した。
「現実?」
「……例えです」
和真は引き攣った笑いを浮かべた。
瀬川の目は、「この人、確実に何かヤバい未発表ゲームの内部情報漏らしてるな」と確信しているようだった。
「言葉で説明するより、一回やってみますか?」
瀬川の提案に、和真は二つ返事で頷いた。
店舗が用意している、オーソドックスなマナ制の初心者用貸出デッキ。
和真は言われるがままに七枚のカードを引いた。
「これが手札です」
瀬川の言葉が、今度は全く別のリアリティを持って和真の脳に響く。
最初のターン。
和真は手札の中で一番数字が大きく、イラストが派手なドラゴンらしきカードに目を留めた。
「これは……まだ出せないんですよね?」
「はい。今はマナが足りません」
朝から嫌でもコストを意識してきただけあって、そこはもう間違えなかった。
次のターン。マナが2になった。
「じゃあ、この2コストのカードを」
「コスト1のカードを二枚使うという選択肢もありますよ」
「ああ、そうか」
同じ『2マナ』でも、高コストを一枚使うか、低コストを複数展開するか。
現在の《因果祭典》の『MANA 2/2』というリソースの使い方が、実体験として直結していく。
数ターン後。
和真は初心者にありがちな「使えるカードはとりあえず全部使う」というプレイングをしていた。
瀬川は手加減しつつも、的確なアドバイスを挟む。
「三浦さん。無理に全部のカードを使い切らなくてもいいんですよ」
「なんでですか? 出せるものは出した方が得じゃないですか」
「相手の動きに対応できなくなりますから。手札を残すことも戦略です」
その次のターン。瀬川が強力な攻撃カードを切ってきた時、和真の手札には防御用のカードが残されていた。
「ここで、これを……」
和真が防御札を切ると、瀬川の攻撃は見事に防がれた。
「……なるほどな」
和真は小さく息を吐いた。
ただ強いカードを押し付けるだけじゃない。相手が何を持っているか予測し、リソースを管理し、選択肢を確保する。
それは、会社員時代の過酷な交渉や、営業の駆け引きとどこか似通ったヒリヒリとした感覚があった。
結局、そのまま和真はあっさりと敗北した。
「負けた……」
「初めてなら普通ですよ。むしろ、防御のタイミングはすごく良かったです」
瀬川がカードを片付けながらフォローする。
「……もう一回やったら、勝てますかね?」
和真の負けず嫌いな一面が顔を出した。三十六年間見向きもしなかったTCGという文化を、和真は明確に「面白い」と感じ始めていた。
結局、一時間以上も無料でティーチングを受けてしまった和真は、申し訳なさから初心者用の構築済みデッキと、安いプラスチック製のカードケースを購入した。
「なんでケースまで?」
「カードを輪ゴムで束ねたり、裸でカバンに突っ込んだりして曲げる人、私、見てられないので」
瀬川のカードゲーマーとしての矜持が垣間見えた。
和真は、自分の左手から出るカードを思い浮かべた。
「……俺が持ってるカードって、曲がるのかな」
「何の話ですか?」
「こっちの話です」
会計を済ませ、和真は瀬川に頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました。めちゃくちゃ勉強になりました」
「いえいえ。ここまで全くの白紙の初心者の方に教えるの、逆に新鮮で楽しかったです」
瀬川はネームプレートを指差して笑った。
「また分からないことがあれば、いつでも来てください。あの『仮のゲーム』の続きも気になりますし」
「それは忘れてください」
和真も苦笑しながら店を出た。
店を出た時点で、時刻は午後三時半を少し回っていた。
秋の傾きかけた陽射しの中、和真が視界右上のHUD(ヘッドアップディスプレイ)に意識を向けると、前回の処理から二時間あまりが経過していたため、二回分の時間処理がまとめて走った。
『DECK 23』
『HAND 6/7』
『MANA 2/2』
『STORED DRAW 3/7』
『DISCARD 1』
店に入る前は、ただの「謎の英語の羅列」でしかなかった情報。
だが今は違う。
残りのリソース、手元の選択肢、使用可能なエネルギー、補充の権利、失われたカード。
それぞれの数字が持つ重みと意味が、手に取るように理解できた。
「……ちゃんとカードゲームなんだな、これ」
朝には、ただの「謎の超能力」にしか見えなかった。
だが瀬川からTCGの基本概念を教わった今、《因果祭典》には少なくとも理解できるルールがある。
夕方。
自宅のアパートに戻った和真は、自室のテーブルに買ってきたばかりの初心者用デッキを置いた。
店を出てからはまだ一時間経っていない。視界のUIを確認しても、新しい時間処理は発生しなかった。
『STORED DRAW 3/7』
表示は店を出た時と変わっていない。
「三回分も貯まってるなら、一回くらい試してみるか」
カードショップへ行く前とは違い、今ならドローの意味も少しは分かる。
和真はソファに腰を下ろし、左手を開いた。
視界の『STORED DRAW』へ意識を向ける。
手札には一枚分の空きがある。
「じゃあ……ドロー」
和真が『STORED DRAW』の項目を意識して消費の意思を示すと、視界の数字が書き換わった。
『DECK 23 → 22』
『HAND 6/7 → 7/7』
『STORED DRAW 3/7 → 2/7』
左手の中に、光の粒子が集まり、新たな一枚のカードが実体化する。
《天輪の補給》
Cost:2
Type:Action
Draw 2.
「…………」
和真は、そのカードをじっと見つめた。
カードショップへ行く前なら、「二マナも払って二枚引くだけ? 攻撃も防御もしないのか、弱いな」と考えていただろう。
だが、今は違う。
『使える選択肢そのものが資源なんです』
瀬川の言葉が脳裏に蘇る。
瀬川の説明を聞いた今なら、《天輪の補給》が手札を増やすカードだという意味は分かる。
さらに現在のマナは2/2。今すぐにでも使える。
だが、和真はカードを使わなかった。
(今、手札は上限の七枚だ。ここで《補給》を使って二枚引いたら、上限をオーバーして処理が面倒になるかもしれない。それに、ドロー権もまだ二回分残ってる)
和真は、しばらく《天輪の補給》を眺めた。
「使えるからといって、無闇に使うべきじゃないな。……今使う意味は、薄い」
《天輪の補給》を、残った手札へ戻す。
瀬川に教わったばかりの「選択肢を残す」という考え方が、早速役に立った。
それだけで、カードゲームというものが少し身近になった気がした。
和真はテーブルの上に置かれた、市販の初心者用デッキと、自分の左手にある実体化した七枚の因果のカードを見比べた。
片方はただの紙切れの遊び。
片方は、現実の物理法則を書き換える規格外の異能。
まったく違うはずの二つが、驚くほど同じ原理で動いている。
「……本気で覚えた方が良さそうだな、カードゲーム」
和真は苦笑いを浮かべ、買ってきたばかりのルールブックのページをめくった。
無職生活数日目。
本来なら昼まで寝て、怠惰に海外ドラマを消化するはずだった三十六歳の男が、人生で初めてTCGの勉強にのめり込み始めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!