TCG未経験の36歳無職、TCG能力《因果祭典》で異能バトル世界を駆け抜ける 作:パラレル・ゲーマー
午後一時。
秋晴れの空の下、和真は指定された新宿区内の雑居ビル前に立っていた。
目の前にあるのは、一階に大手コンビニチェーン、二階に歯科医院、三階以上は学習塾や無名の企業のオフィスが入っている、都内ならどこにでもありそうな中規模の商業ビルだ。
看板のどこを見回しても『鳥籠』などという物騒な名前や、八咫烏を示す文字はない。
「ここに、鳥籠があるんですか?」
合流した高梨に、和真は率直な疑問をぶつけた。
今日の高梨は、昨日のような隙のないパンツスーツではなく、少し崩したオフィスカジュアルな装いだった。それでも、知的な雰囲気とどこか寝不足気味な眼差しは変わらない。
「ありますよ。このビルの地下です」
「全然それっぽくないですね」
「それっぽかったら、一般人に怪しまれてSNSに書かれるでしょう。我々の最大の敵は怪異でも犯罪者でもなく、特定班とインフルエンサーですから」
高梨は慣れた足取りでビルの入り口を潜り、一般の利用者が向かうエレベーターホールを素通りした。
ビルの奥、関係者以外立ち入り禁止のプレートが掲げられた従業員用の通路へ向かう。高梨が社員証のようなカードをセキュリティリーダーにかざすと、重厚な防火扉が静かに開いた。
その先は、薄暗い階段になっていた。
階段を下りていく途中、和真は奇妙な感覚に襲われた。
一段下るごとに、空気の密度が変わっていくような錯覚。耳鳴りとは違う、空間そのものが微かに振動しているような感覚だ。
「……なんか、急に空気が変わりましたね」
「認識阻害と空間拡張の多重結界です。昨日の仮登録時に、三浦さんの因果反応を入域許可へ登録してあります。許可のない一般人が迷い込んでも、ただの薄暗い地下倉庫にしか認識できません」
高梨が立ち止まり、最後の扉を開けた。
和真は身構えた。
『鳥籠』という名前。秘密の地下施設。
武装した能力者たちが円陣を組んで怪しげな取引をしているのか、あるいは暗殺者のような目つきの男たちが刃物を研いでいるのか。
「さあ、どうぞ」
高梨に促されて扉を潜った和真の目に飛び込んできたのは――。
「……ショッピングモール?」
和真は思わず呟いた。
そこは、天井の高い広大な共用区画だった。
明るい照明。清潔なタイル張りの床。
手前にはおしゃれなカフェスペースがあり、コーヒーのいい匂いが漂っている。奥にはコンビニのような売店や、ジュースの自動販売機。
数十人の男女が、テーブルで談笑したり、ノートパソコンを開いて仕事をしたり、スマホを弄りながらくつろいでいる。
武装したテロリストも、血生臭い空気も一切ない。
「規模はもっと小さいですけど、イメージとしては近いですね」
高梨が隣で頷いた。
「能力者だからといって、常に血で血を洗う戦いをしているわけではありません。仕事の合間の休憩、情報交換、あるいはただの暇つぶし。日常の延長ですよ」
とはいえ、ここはやはり『異常』な空間だった。
和真が周囲をよく観察すると、カフェの隅で、マグカップに入った冷めたコーヒーに指先を向け、小さな炎を灯して温め直そうとしている男がいた。
しかし、すぐにエプロン姿の施設スタッフが飛んできて、「施設内の共用区画での無許可能力使用は禁止です! レンジ使ってください!」と怒られている。
別のテーブルでは、女性が宙に浮かせた三つのスマートフォンを、指一本触れずに同時にスワイプして操作していた。
すれ違った大柄な男は、どう見ても身長が二メートル半を超えており、肌が岩のように硬質化している。
また、学生服を着た若い男女のグループが、楽しそうに笑い合いながら通り過ぎていく。
「……普通にいるんですね」
「何がですか?」
「超能力者」
「ここ、能力者専用の施設ですからね」
「そうでした」
昨日まで存在すら知らなかった能力者たちが、ここでは当たり前のように日常を送っている。
和真はしばらく周囲を眺めてから、高梨へ視線を戻した。
「で、実験台を探すんでしたっけ」
和真が周囲を見回しながら言うと、高梨がピシャリと制した。
「その言い方だと、私がマッドサイエンティストみたいに聞こえるのでやめてもらえますか」
「言い出したの、高梨さんですよ」
「勝手にその辺の怪我人を捕まえるわけではありません。まずは医療区画へ行きます。そこで正式に協力を仰ぎます」
高梨に案内され、和真はカフェスペースの奥にある、白を基調とした医療区画へ向かった。
ガラス張りの医務室の中では、白衣を着た医師や看護師が数名働いていた。
その中の一人、二十代後半くらいの男性スタッフが、ベッドに座った若い能力者の腕に手をかざしている。
淡い緑色の光がスタッフの手から溢れ、患者の腕にあった訓練で負ったらしい浅い切り傷が、みるみるうちに塞がっていく。
「……治った」
和真はガラス越しにその光景を見て、目を丸くした。
「治癒系の能力者自体は、それほど珍しくありませんよ。こうして医療の補助として普通に雇用されています」
「じゃあ、俺の《手当》のカードも、別に特別ってわけじゃないんですか?」
「『治癒能力』という一点だけを見れば、特別ではありません。需要は常にありますけどね」
高梨はそこで言葉を区切り、真剣な顔で和真を見た。
「ただ、三浦さんの場合、問題はそこじゃないんです。《因果祭典》という一つの能力体系の中から、『召喚』もできて、『拘束』もできて、『防御』もできて、さらに『治癒』まで出てくる。その異常なまでの『多機能性(マルチロール)』が変なんです」
和真は黙って頷いた。
医務室に入り、高梨が責任者らしき五十代の男性医師に事情を説明した。
医師は和真の顔を興味深そうに眺め、カルテ用のタブレットを手にした。
「なるほど、新規能力の検証ですね。対象のカードを見せていただけますか」
和真は左手に《天輪の手当》を実体化させ、医師へ差し出した。
「これです。『対象一人の軽症を治療する』。以上ですね」
医師はカード面を覗き込み、そこで僅かに眉を上げた。
「……三浦さん。これ、《軽傷》ではありませんね」
「え?」
「《軽症》です。傷ではなく、症状の『症』」
医師がカードの一文を指差す。
和真と高梨は顔を見合わせた。
「違うんですか?」
「かなり違います。医療や救急でいう『軽症』は、単に軽い怪我という意味ではありません。大まかには、傷病や体調不良の程度が軽く、入院治療を必要としない状態を指します」
「……病気も入るんですか?」
「言葉の定義だけを参照しているなら、その可能性があります。擦過傷、浅い切創、軽い打撲、軽度の捻挫や火傷だけでなく、入院を必要としない疾病や体調不良まで対象になるかもしれません」
和真は驚愕した。
「……思ってたより、めちゃくちゃ範囲広くないですか?」
「かなり便利ですね」
高梨も目を輝かせた。
「もっとも、能力が本当に医療上の分類をそのまま参照しているのか、疾病まで対象にするのかは別問題です」
医師が釘を刺す。
「今日はまず、明確に『軽症』と判断できる外傷で確認しましょう。入院が必要な外傷、大量出血、臓器損傷などは、仮にこの解釈が正しくても対象外になると考えるのが自然です」
最初の『実験台』は、訓練区画で転倒して医務室に来ていた、二十代前半の男性能力者だった。
右前腕には擦過傷と打撲があり、さらに転倒した際に足首も軽く捻っている。
医師が一通り診察し、「いずれも外来処置で十分です。医学的には軽症ですね」と判定を下した。
高梨が男性に検証の趣旨を説明し、同意を得た。
和真は男性の前に立ち、《天輪の手当》のカードを握った。
視界のUIを確認する。
『MANA 3/3』
「使います」
和真が念じると、カードが眩い光の粒子へと分解された。
『MANA 3/3 → 2/3』
光の粒子は男性の身体へ吸い込まれるように降り注ぎ、淡い発光現象を伴って全身を包み込んだ。
数秒後、光が収まる。
右腕にあった擦り傷は完全に消え、打撲による腫れも引いていた。
男性が恐る恐る立ち上がり、軽く足首を回す。
「……痛くない」
「足首もですか?」
「全然」
「うわ、本当に治った」
和真自身が一番驚いていた。
ゲームの中のテキスト一行が、現実の肉体を修復したのだ。
高梨がタブレットに記録しながら医師に尋ねる。
「擦過傷、打撲、軽度捻挫。三つとも一枚で消えましたね」
「ええ。一つの傷を指定して治療しているわけではなさそうです」
医師も興味深そうに男性を再診する。
「対象者に成立している『軽症』に該当する状態を、まとめて治療している可能性が高いですね」
「病気にも効くんですか?」
和真が尋ねる。
「可能性はあります。ただし、今日確認できたのは外傷だけです。疾病や体調不良については、別に対象を用意して検証しない限り断定できません」
高梨が端末へ結果を入力する。
「Tier4相当の治癒能力としては、十分に実用範囲ですね。対象が軽症に限定されるとはいえ、複数の症状を一括で処理できるのは使い勝手がいいです」
「これでもTier4なんですね」
「はい。一つ一つの現象規模はTier4の範囲です。重症者を一枚で完全回復させられるわけではありませんから」
高梨は和真に向き直った。
「現時点で確認できる出力と現象だけを見れば、三浦さんの公式評価は『Tier4』のままで問題ないでしょう。汎用性はかなり高いですが、一つ一つの効果は基準内です。ただ……」
高梨は少しだけ困ったような、しかし面白がっているような顔をした。
「この能力、伸び代が全く読めません」
「伸び代?」
「クエストによるマナ上限の増加、未発見のカードの獲得、まだコストが高くて使えない上位カードの存在……。しかもカード形式ですから、今後どんな効果が増えるのか予測しづらい。能力体系としての将来性が未知数すぎるんです」
和真は視界の表示を確認した。
『MANA 2/3』
「とりあえず、一枚分は使いましたね」
「ちょうどいいです」
「何がですか?」
「次の回復まで鳥籠の施設内を案内します。……そのあと、別の検証もしましょう」
高梨の笑顔に、和真は嫌な予感しか抱かなかった。
施設ツアーはテンポよく進んだ。
カフェやラウンジを抜け、能力者専用のショップへ。
そこには、特殊繊維で編まれた破れにくい衣服、呪物を保管するための鉛色のケース、能力試験用の計測機材などが並んでいた。
「普通のホームセンターみたいですね」
「値札の桁を気にしなければ、ですね」
さらに奥へ進むと、見慣れた看板があった。
「……漫画喫茶?」
和真は目を疑った。
「ありますよ」
「なんで能力者の秘密施設に漫画喫茶が?」
「能力者だって、出番がなければ暇ですから。漫画も読みますし、ネトゲもします。長期滞在用の仮眠スペースとしても使われています」
「なるほど……」
こんな場所でも、やっていることは案外普通らしい。
続いて案内されたのは、大きな電子掲示板の前だった。
昨日、高梨が電話で言っていた『求人・依頼』のリストだ。
『新規能力開発の試験モニター求む(時給1万円〜)』
『特殊区域の探索補助・荷物持ち(日給5万円)』
『能力者育成学校 非常勤の実習補助スタッフ募集』
「本当に求人あるんですね」
「だから言ったじゃないですか。三浦さんも、生活が落ち着いたら何か受けてみます?」
和真は適当に頷きながら、求人リストを眺めた。
施設の最奥部へ進むと、空気が一変した。
分厚い防音扉と強化ガラス。壁は全て衝撃吸収材で覆われている。
射撃場や、能力の威力を測るための訓練室。
そして、その中央には、総合格闘技で使われるような八角形の巨大なケージ(模擬戦場)が設置されていた。
「……あれ、何です?」
「模擬戦用のアリーナです」
ケージの中では、ちょうど二人の能力者が激しくぶつかり合っていた。
一人は全身の筋肉を異常に膨張させた身体強化系の男。もう一人は、両手から圧縮された風の塊を放って相手を吹き飛ばそうとする風圧系の男。
凄まじい衝撃音が響き渡るが、周囲の観客(他の能力者たち)は、スポーツ観戦のようにリラックスして見ている。
もちろん、出力制限や殺傷技の禁止、医療スタッフの待機など、厳重な安全措置が取られているようだった。
「……普通に殴り合ってますね」
和真はドン引きしていた。
「訓練ですからね」
「俺、ああいうの絶対に無理ですよ。格闘技なんて高校の体育以来やってませんし」
「三浦さん本人が殴り合う必要はありませんよ」
施設を一周し、ケージの前に戻ってきた頃だった。
和真の視界にポップアップが表示された。
『Hourly Cycle ×1』
『MANA 2/3 → 3/3』
『STORED DRAW 7/7』
ドロー権はすでに上限なので変化はない。
「マナ、戻りましたよ。3まで」
和真が報告すると、高梨の瞳の奥がキラリと光った。
「三浦さん」
「はい?」
「怪我しない範囲で、一戦やってみます?」
和真は素で驚き、数歩後ずさった。
「ええ!? 無理ですよ! だから格闘技なんて――」
「いやだなあ」
高梨は朗らかに笑った。
「だから、三浦さんご本人にケージの中で殴り合えとは言ってませんよ」
「じゃあ、何するんです?」
「『召喚者』としてです。ご自身は安全圏にいて、《天輪騎士》を召喚し、指示を出して戦わせるんです」
和真はハッとした。
(なるほど……)
確かに、昨日のレオは剣と盾を持ち、和真の命令に正確に従った。
「でも、あいつらって本当に戦えるんですか?」
「立派な鎧を着て武器まで持っている召喚体が、戦闘能力を全く持っていなかったら逆に驚きですよ。少なくとも、どれほどの自律戦闘能力を持っているかはデータを取る必要があります」
八咫烏の担当官としての、極めて合理的な提案だった。
「……まあ、召喚した騎士に戦わせるだけなら」
和真は少し考え込んだ。自分が殴られないなら、ハードルは一気に下がる。
「怪我しない範囲なら、やりますよ」
「決定ですね」
高梨はすぐに訓練場の受付スタッフへ向かった。
「すみません、新規の召喚型能力者のテストに付き合ってくれる、Tier4の常連さんいます?」
「そんな簡単に相手が見つかるんですか?」
和真が疑問を口にすると、高梨はニヤリと笑った。
「見つかりますよ。召喚物と戦いたがる戦闘狂……いえ、熱心な方は結構多いんです」
「なんでですか?」
「人間相手の模擬戦だと、どうしても怪我をさせないように手加減しないといけないじゃないですか。でも、召喚体が相手なら、多少本気で殴っても人間ほど問題になりませんから」
「……つまり?」
「手加減が嫌いな野蛮人には、大人気コンテンツです」
「なんかニュアンス違いませんか?」
「まあいいじゃないですか」
高梨の予想通り、対戦相手はすぐに見つかった。
「召喚体? 剣持ってるタイプ? 壊してもいいなら俺やるよ」
ケージに現れたのは、二十代後半くらいの、スポーツマン体型の男だった。
能力は皮膚を強固にする防御系のTier4。常連らしく、格闘技の経験も豊富そうだ。
訓練用の防具も身につけているため、召喚体の攻撃を受けても大怪我にはなりにくい。和真の初めてのデータ取りの相手としては申し分なかった。
スタッフから簡単なルールの説明を受ける。
『和真本人への直接攻撃は禁止』
『召喚体を破壊、または無力化すれば相手の勝利』
『相手を行動不能にするか、降参させれば和真の勝利』
和真は、ケージの端の安全地帯(サークル)の中に立った。
左手に意識を集中させ、残っている六枚のカードを実体化させる。
『MANA 3/3』
手札の中には、0コストの《天輪の標章》、1コストの《天輪の護壁》、2コストの《天輪騎士-城壁のガルド》、3コストの《天輪の拘束鎖》がある。
和真はただ召喚体を出すだけだと思っていたが、高梨からは「マナの範囲内なら、自由にカードを使って支援して構いません」と言われている。
つまり、初めて『デッキ』として戦うことになる。
向かい側で、対戦相手の男が首をポキポキと鳴らしながら準備運動をしている。
「おい、召喚体相手なら、ちょっと強めに行ってもいいよな?」
「完全に壊すなよ。データ取れなくなるから」
スタッフが呆れたように注意している。
和真は、そのやり取りを見ながら、隣に立つ高梨に小声で言った。
「……今からでも、帰っていいですか?」
「ダメです」
「俺、さっきまで怪我の治療実験しに来ただけだったんですけど」
「ついでですよ、ついで」
「八咫烏の人、ついでの範囲が広すぎません?」
和真のぼやきを無視して、ケージ内に模擬戦開始のブザーが鳴り響いた。
三十六歳、無職。人生初の異能バトルが、今、幕を開ける。
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