ポケットモンスターAGE 英雄のいない物語 作:natsuki
初めてのバトルを終えたあと、ユウリとホップはすぐにブラッシータウンへ向かうことはせず、まずは疲れたサルノリとメッソンを休ませるため、それぞれの家へ戻ることにした。勝ったサルノリも無傷だったわけではなく、家へ着く頃には朝の勢いが嘘のようにユウリの肩へ身体を預けており、母親に事情を説明して傷の手当てを済ませると、用意された食事を夢中で平らげ、そのままソファの上で丸くなって眠ってしまった。
「初めてのバトルだったんでしょう? この子も疲れたのね」
「うん。私よりずっと頑張ってたから」
サルノリを起こさないよう声を落としながら答え、ユウリはソファの傍らへしゃがみ込んだ。眠っているサルノリはバトル中の勇ましさなどどこにもなく、頭から外した枝を大事そうに抱え、ときおり小さく鼻を鳴らしている。
「それでね、お母さん」
「なに?」
「私、ジムチャレンジに出てみようと思う」
口にしてみると、改めてその言葉の大きさを感じた。昨日まで考えたこともなかったし、ホップがいつかダンデを倒してチャンピオンになるのだと話すたび、頑張ればいいと思ってはいたものの、自分まで同じ道を歩く姿など一度も想像したことはない。それなのに今は、自分の口からジムチャレンジへ出たいと言っている。
母親も驚くかと思ったが、返ってきたのは穏やかな笑みだった。
「そう。決めたのね」
「……反対しないの?」
「反対してほしいの?」
「そういうわけじゃないけど」
ユウリは少し困って、眠っているサルノリへ視線を戻した。
「まだ、チャンピオンになりたいとか、そういうのじゃないんだ。ホップみたいにちゃんとした目標があるわけでもないし、今日だってサルノリが頑張ってくれたから勝てただけで……私がジムチャレンジなんてしていいのかなって、ちょっと思う」
「いいんじゃない?」
「そんな簡単に?」
「最初から旅の終わりを決めておかなきゃいけないなんて、誰が決めたの?」
そう言われ、ユウリは答えに詰まった。
「行ってみたいと思ったんでしょう?」
「……うん」
「だったら、それで十分じゃない。旅をして、それでも違うと思ったら帰ってくればいいし、途中でやりたいことが見つかったなら、そっちへ行ったっていいのよ」
母親の言葉を聞きながら、ユウリは昨日から自分の中で起きている変化を思い返した。サルノリと出会い、初めてバトルをして、それまで遠い世界の出来事だったポケモンバトルをもっとやってみたいと思った。それはホップが抱いているチャンピオンへの憧れに比べればずっと曖昧で、明日になれば気が変わってしまいそうなほど小さなものかもしれないが、自分の中から生まれた気持ちであることだけは間違いない。
「……そっか」
「ただし、無茶はしないこと。昨日みたいにポケモンもいないのに森へ入ったりするのは禁止」
「それ、ダンデさんにも言われた」
「だったら二人分ちゃんと聞きなさい」
「はーい」
「返事が軽い」
「ちゃんと聞いてるって」
笑いながら答えたところで、ソファの上から小さな声が聞こえた。
「サル……」
見ると、サルノリが薄く目を開けている。
「起きた?」
「サル」
「もう大丈夫?」
問いかけると、サルノリはゆっくり身体を起こし、一度大きく伸びをしてからソファを飛び降りた。先ほどまでの疲れはだいぶ抜けたらしく、床へ降りるなりユウリの鞄を見つけ、今度はそちらへ興味を示している。
「それは私のだからね」
「サル?」
「旅に持っていくやつ」
何気なく言ってから、ユウリは自分の言葉に少しだけ戸惑った。
旅と呼んだ途端、ブラッシータウンへ行くだけだったはずの今日が、急に大きな何かの始まりに思えてくる。もちろん、まだジムチャレンジへの推薦状さえもらっておらず、ダンデから言われたのは、まずソニアのいる研究所へ行くことだけで、その先の予定など何も決まっていない。
それでも、もし推薦状をもらえたなら、ハロンタウンを離れてガラル地方を巡ることになる。テレビでしか見たことのない街へ行き、知らないポケモンと出会い、今日よりずっと強いトレーナーとも戦うのだと想像すると、不安より先に胸が高鳴った。
「……やっぱり、行ってみたいな」
「サル?」
「ガラル。いろんなところ」
サルノリが意味を理解したのかは分からない。ただ、ユウリが差し出した鞄へ勝手に手を突っ込み、中から木の実を一つ取り出した。
「あっ、こら! それは勝手に食べちゃ駄目!」
「サル!」
「返して!」
逃げるサルノリを追いかけるユウリを見ながら、母親が楽しそうに笑っていた。
結局、木の実を取り返すことはできなかった。代わりに母親からいくつかの木の実と簡単な食料を鞄へ入れてもらい、必要になったら連絡すること、危険な場所へ勝手に入らないこと、ポケモンの体調には自分以上に気を配ることを念押しされる。今日のところは隣町へ行くだけなのだから大袈裟だとユウリは思ったものの、これがこの先の旅支度も兼ねているのだと考えれば、母親も何かを感じているのかもしれなかった。
玄関で靴を履き、鞄を肩へ掛ける。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。サルノリも、ユウリをよろしくね」
「サル!」
「なんで私が面倒見てもらう側なの」
「昨日の話を聞く限り、その方が安心でしょう?」
「ひどいなあ」
口では抗議しながらも笑って家を出ると、朝の柔らかな風が頬を撫でた。
家の前にはホップが待っていた。その足元にはすっかり元気を取り戻したメッソンがおり、ユウリたちを見つけると小さく手を上げる。
「遅いぞ、ユウリ!」
「サルノリを休ませてたんだから仕方ないでしょ」
「俺たちはとっくに準備できてたぞ!」
「メッソン、本当に大丈夫?」
「メソ!」
メッソンは元気だと示すように両腕を上げたが、その直後に少しよろけ、ホップが慌てて支えた。
「……本当に?」
「だ、大丈夫だ! なあ、メッソン!」
「メソ……」
「無理させないでよ」
「分かってるって!」
ユウリは苦笑しながら、ホップと並んで歩き始めた。いつもの道を家から牧草地の横へ抜け、ハロンタウンの出口へ向かうだけなのに、今日は肩に鞄があり、隣にはサルノリがいて、その先にはソニアの研究所が待っているというだけで、昨日までとは少し違って見える。
町の端が近づくにつれて、ユウリは何度も後ろを振り返りそうになった。生まれ育った家はまだ見えており、帰ろうと思えば数分も歩けば帰れるのだから、本当の意味での旅立ちと呼ぶにはまだ早いのかもしれない。それでも町の境を越える直前、ユウリは一度だけ足を止めた。
「どうした?」
「……いや」
振り返れば、朝日に照らされたハロンタウンは昨日までと何も変わっていなかった。ウールーたちは牧草地を歩き、遠くでは風車がゆっくり回り、そのさらに向こうには昨日入ったまどろみの森が見える。
ここから始まるのだと、ふと思った。
何が始まるのかは、まだ分からない。ジムチャレンジなのか、サルノリとの旅なのか、あるいは、あの森で見た名も知らないポケモンへいつかもう一度辿り着くための何かなのか。
「ユウリ?」
「ごめん。行こう」
「おう!」
ユウリが前を向くと、サルノリが先に町の外へ駆け出した。
「サル!」
「待って、サルノリ!」
慌ててその後を追い、ホップとメッソンも続く。そうしてユウリは、大袈裟な決意の言葉を口にすることもなく、まだ自分の目指す場所さえ知らないまま、生まれ育ったハロンタウンの外へ最初の一歩を踏み出した。
もっとも、町を出たからといって景色が急に変わるわけではなく、ブラッシータウンへ続く道の両側には見慣れた草原が広がり、少し離れた牧草地ではウールーたちがのんびりと草を食んでいる。これまでにも買い物や用事で何度となく通った道なのだから当然なのだが、それでも今日はサルノリが道端の花へ近づいて匂いを嗅いではくしゃみをし、頭上を飛んでいくココガラを見つければ立ち止まって見上げ、草の間を何かが走り抜ける音がすれば、今度は何がいるのだろうと顔を向けるものだから、いつもなら気にも留めず通り過ぎていたものが次々と目に入ってくる。
「なんか、いつもと違って見えるなあ」
「何が?」
少し先を歩いていたホップが振り返る。
「この辺。何回も通ったことあるのに、こんなにポケモンいたんだなって」
「そりゃいただろ。ユウリが気にしてなかっただけじゃん」
「そうなんだけど」
「でも、分かるぞ!」
ホップは得意げに胸を張ると、足元を歩いていたメッソンを指した。
「今までは野生のポケモンを見つけても、俺たちだけじゃ何もできなかったからな。でも今はメッソンがいる! どんなポケモンが出てきたって、バトルできるんだ!」
「メソ!」
名前を呼ばれたメッソンが張り切って両腕を上げたものの、すぐ近くをココガラが飛び立った音に驚き、ホップの脚へしがみついた。
「……どんなポケモンでも?」
「こ、これはまだ慣れてないだけだ!」
「無理させないでよ」
「分かってるって! それにバトルだけじゃなくて、モンスターボールがあれば野生のポケモンを捕まえることだってできるんだぞ」
そう言われ、ユウリは鞄の中へ入れてきたモンスターボールの存在を思い出した。ダンデから渡されたものを母親が旅支度と一緒に確認してくれたのだが、サルノリを最初から託されたユウリにとって、自分で野生のポケモンを捕まえるという行為にはまだ実感がない。
「ホップは、もう次に捕まえるポケモン決めてるの?」
「決めてない! でも強そうなやつがいたら捕まえる!」
「適当だなあ」
「会ってみないと分からないだろ。ユウリだって、すげえポケモンが出てきたら欲しくなるって!」
「どうだろ」
ユウリは足元のサルノリを見る。
「まだ、この子のこともよく分かってないし」
「サル?」
「別に悪い意味じゃないよ」
自分の話をされていることだけは分かったらしく、サルノリが首を傾げたので、ユウリは苦笑しながらその頭を軽く撫でた。サルノリは最初こそ不思議そうにしていたものの、嫌ではなかったらしく、そのままユウリの手へ頭を押しつけてくる。
「だからって、ずっとサルノリ一匹ってわけにもいかないだろ。ジムチャレンジするなら、いろんなタイプのポケモンがいた方が絶対いいって!」
「それはそうかもしれないけど、まだジムチャレンジに参加できるって決まったわけじゃないよ」
「兄貴が推薦状を書いてくれるって言ったんだから決まったようなもんだろ!」
「その前にソニアさんのところへ行けって言われたでしょ」
「分かってるよ。だから今向かってるんじゃん」
言いながらホップが先へ進み、ユウリもその後を追おうとしたところで、それまで隣を歩いていたサルノリが突然足を止めた。
「サル……」
低く鳴きながら、道の脇へ顔を向けている。
「どうしたの?」
ユウリも足を止める。
サルノリの視線の先には背の低い草が生い茂っているだけで、ユウリには特に変わったものは見えなかったが、サルノリは頭に挿していた枝へ手を伸ばしながら、じっと草むらを見つめている。
「なんかいるのか?」
気づいたホップも戻ってきた。
「分からない。でもサルノリが気にしてる」
ユウリが答えた直後、草の一角がかすかに揺れた。周囲の草はほとんど動いていないのに、そこだけが内側から押されるように揺れている。
「野生のポケモンじゃないか?」
ホップの声が少し弾む。
「さっき話してたら本当に出てくるんだ」
「ほらな! こういう出会いがあるんだよ!」
「まだ何か分からないでしょ」
そう言いながらも、ユウリは自然とサルノリの隣へ並んでいた。昨日までなら草むらが揺れたところで立ち止まることなどなかったかもしれないが、今はその向こうにいるものがどんなポケモンなのか、少しだけ気になる。
やがて葉が擦れる音が大きくなり、草の中から茶色い頭が覗いた。
「あ」
姿を現したのは、ふさふさした尻尾と丸い頬を持つ小柄なポケモンだった。
「ホシガリスだ!」
「なんだ。ホシガリスか」
「なんだってなんだよ。野生のポケモンだぞ!」
「ハロンタウンにもいるじゃん」
「でも、ポケモンを持ってから会うのは初めてだろ?」
「それはそうだけど……」
ホシガリスは二人の会話など気にする様子もなく、草むらから身体を出すと、鼻先をひくひくと動かしながら周囲の匂いを嗅いでいた。こちらを警戒しているというより何かを探しているようで、右へ左へ顔を向けていたホシガリスの視線が、やがてぴたりとユウリのところで止まる。
「……なに?」
「ホシ」
ホシガリスが一歩近づく。
「ユウリ、気に入られたんじゃないか?」
「何もしてないけど」
「だったらゲットのチャンスかも――」
「サル」
ホップの言葉を遮るようにサルノリが鳴き、ユウリとホシガリスの間へ入った。
そこでようやく、ユウリも気づいた。
ホシガリスが見ているのは自分ではない。正確には、自分が肩から提げている鞄だった。
「……もしかして」
家を出る前、母親が何を入れてくれたのかを思い出す。
木の実。
ユウリが確かめようと鞄へ手を伸ばした途端、それまで慎重に距離を詰めていたホシガリスの目が大きく見開かれた。
「ホシ!」
「えっ?」
次の瞬間、ホシガリスが地面を蹴った。
「わっ!」
ユウリが身体を引くより早くホシガリスが鞄へ飛びつき、留め具の隙間から強引に顔を突っ込もうとする。
「ちょっと、何してるの!」
「サル!」
すぐさまサルノリが間へ入り、鞄にしがみついていたホシガリスを引き離した。
「ホシッ!」
「サルッ!」
地面へ降りたホシガリスとサルノリが向かい合い、互いに一歩も退かず睨み合う。
ユウリは慌てて鞄を開き、中に入っているものを確認すると、案の定、母親から持たされた木の実がいくつか収まっていた。
「……やっぱり、これか」
一つ取り出してみると、先ほどまでサルノリと睨み合っていたホシガリスの視線が、吸い寄せられるように木の実へ移った。
「ホシ……!」
「そんなに欲しいなら、普通にあげるけど」
「待て待て待て!」
横からホップに腕を掴まれ、ユウリは木の実を持ったまま振り返った。
「なに?」
「そこであげたら終わりじゃん!」
「お腹空いてるんでしょ?」
「そうじゃなくて、ゲットだよ! ゲット! さっき話してただろ!」
「話してたけど……だからって、出会ったポケモンを全部捕まえなくてもいいでしょ」
「でもせっかく向こうから出てきたんだぞ!」
興奮するホップと、木の実から一瞬も目を離さないホシガリス、その間でいつでも飛び出せるよう枝を構えているサルノリを順番に見ながら、ユウリは手の中の木の実を軽く転がした。
「じゃあ、こうしようかな」
「なんだ?」
ユウリはしゃがみ込み、木の実をホシガリスから見える高さへ掲げた。
「これ欲しい?」
「ホシ!」
「じゃあ、サルノリと勝負する?」
「えっ」
驚いたのはホップだった。
ホシガリスも意味が分からないらしく首を傾げている。
「私たちが勝ったら一個だけ。そっちが勝ったら二個」
「それ、ユウリに得なくない?」
「バトルの練習になるからいいの」
「サル!」
サルノリは話をどこまで理解したのか怪しかったが、バトルをするということだけは察したらしく、頭から枝を抜いて構えた。対するホシガリスは木の実とサルノリを交互に見たあと、頬を膨らませながら一歩前へ出てくる。
「ホシッ!」
「やるってことかな」
「たぶんな」
ホップも苦笑する。
昨日のメッソンとのバトルとは違う。相手は野生のポケモンであり、こちらの都合に合わせて動いてはくれない。
ユウリは一度息を吸い、サルノリを見る。
「いける?」
「サル!」
昨日よりも、その返事を頼もしく感じた。
「じゃあ、いこう!」
最初に動いたのはホシガリスだった。地面を勢いよく蹴り、小さな身体を弾丸のようにしてサルノリへ迫ってくる。
「サルノリ、避けて!」
サルノリが横へ跳ぶ。
しかしホシガリスはそのまま通り過ぎることなく、数歩先で身体をひねって方向を変えると、すぐさま二度目の突進を仕掛けてきた。
「速っ……!」
今度は避けきれず、サルノリが腕で攻撃を受けて後ろへ押される。
「サル!」
「大丈夫?」
サルノリはすぐに姿勢を戻した。
ユウリも慌てて指示を出すことはせず、昨日ダンデから言われたことを思い出しながらホシガリスの動きを見る。
速い。
けれど、ずっと走り続けているわけではない。突進したあとには必ず一度速度を落とし、身体の向きを変えてから次の攻撃へ移っている。
「サルノリ、次に来たら横じゃなくて、ぎりぎりまで待って!」
「サル?」
「私が言ったら動いて!」
どこまで伝わったかは分からない。それでもサルノリはホシガリスへ向き直った。
「ホシ!」
再びホシガリスが地面を蹴る。
まだ。
ユウリは距離を見る。
怖くなって早く避けろと言いたくなるが、それを堪えてホシガリスが目前まで迫るのを待つ。
「今!」
サルノリが横へ跳んだ。
勢いのついたホシガリスが目の前を通り過ぎ、その先で急いで方向を変えようと足を止める。
「追いかけて!」
「サル!」
今度はサルノリが走った。
ホシガリスが振り返るより早く追いつき、その背中へ腕を振り下ろす。
「ホシッ!」
攻撃を受けたホシガリスが芝生の上を転がったが、すぐに身体を起こし、サルノリを睨み返した。
「まだ元気だな」
横で見ていたホップが呟く。
「うん。でもさっきより動きは遅くなってる」
「お、ちゃんと見てるじゃん」
「昨日それで勝ったからね」
言いながらユウリはサルノリの様子も確認する。先ほどの攻撃は受けたものの動きに大きな問題はなく、まだ十分に戦えそうだった。
なら、もう一度。
「サルノリ――」
指示を出そうとした瞬間、ホシガリスの視線がサルノリから外れた。
その先にあるのは、ユウリの鞄だった。
「あ」
嫌な予感がした。
「ホシ!」
ホシガリスが突然進路を変え、ユウリへ向かって走ってくる。
「ユウリ!」
ホップの声が響き、ユウリは反射的に身構えたが、ホシガリスの狙いは最初から彼女ではなかった。
「ちょっ――!」
ホシガリスはユウリの足元をすり抜けると、開きかけていた鞄へ飛びつき、中から木の実を一つ奪い取った。
「ホシ!」
そのまま逃げようとする。
「待って!」
「サル!」
ユウリより先にサルノリが追いかけた。
ホシガリスは木の実を咥えたまま草むらへ飛び込もうとしたが、サルノリが横から回り込み、その進路を塞ぐ。
「ホシ……!」
「サル!」
二匹が睨み合う。
ユウリも追いつき、息を整えながらホシガリスを見る。
「……そこまで欲しかったんだ」
「ホシ」
木の実を咥えているせいで、鳴き声が少しくぐもっている。
勝負の途中で木の実を奪われたのだから怒るべきなのかもしれないが、その姿を見ていると怒る気にはなれなかった。何よりホシガリスにとっては、ユウリたちが勝手に持ちかけた勝負より、目の前の食べ物の方がずっと大事だったのだろう。
「もう、それあげるよ」
「ユウリ?」
「最初に約束したし」
「いや、勝負の途中で盗んだんだぞ?」
「でも一個なら、私たちが勝ったときと同じでしょ」
「そういう問題か?」
「たぶん」
ユウリが肩をすくめると、ホシガリスはまだ警戒しながらも木の実を齧り始めた。
その横でサルノリが不満そうに枝を地面へ叩く。
「サル!」
「分かった、分かった。サルノリも食べる?」
「サル!」
もう一つ取り出して渡すと、サルノリはあっさり機嫌を直し、ホシガリスの隣で木の実を食べ始めた。
「……似た者同士じゃん」
ホップの呟きに、ユウリは聞こえなかったふりをした。
しばらくして木の実を食べ終えたホシガリスは、満足したように頬を撫でると、ユウリたちを一度だけ振り返り、そのまま草むらの奥へ消えていった。
「本当にゲットしなくてよかったのか?」
再びブラッシータウンへ向かって歩き始めてから、ホップが尋ねる。
「うん」
「なんで?」
「なんでって言われても……」
ユウリは少し考える。
「まだ、サルノリのこともちゃんと知らないからかな」
「サル?」
名前を呼ばれたと思ったのか、サルノリが見上げる。
「一緒に旅するポケモンを増やすのも楽しそうだけど、捕まえられるからって全部捕まえる必要はないでしょ」
「まあ、それはそうだけど」
「そのうち、この子と一緒に行きたいって思うポケモンに会ったら、そのとき考える」
「なるほどなあ」
ホップは腕を組み、妙に真剣な顔で頷いた。
「じゃあ俺もそうする!」
「ホップはホップで決めなよ」
「なんでだよ!」
「私の真似してどうするの」
「真似じゃない! 参考にしただけだ!」
そんな話をしているうちに、丘の向こうからブラッシータウンの赤い屋根が見えてきた。ハロンタウンとは違って人の行き来も多く、線路を走る列車の音が遠くから聞こえてくる。そのさらに向こうには、これまでユウリが自分の足で旅したことのないガラル地方が続いていた。
昨日までなら、その景色を見ても何も思わなかっただろう。
けれど今日は、自然と足が止まった。
「どうした?」
「……この先って、ずっと繋がってるんだよね」
「何が?」
「道」
ホップがきょとんとする。
「そりゃ繋がってるだろ」
「そうなんだけど」
ブラッシータウンへ続く道も、その先の駅も、さらに遠くの街も、テレビの中にしかなかったスタジアムも、全部同じ地面の上にある。当たり前のことなのに、今まで本当の意味では考えたことがなかった。
「行ってみたいな」
ユウリが小さく呟く。
「だから行くんだろ?」
ホップは迷いなく答えた。
「俺たち、ジムチャレンジするんだからさ!」
「まだ推薦状もらってないけどね」
「兄貴なら絶対書いてくれる!」
「その自信はどこから来るの?」
「兄貴だから!」
「理由になってないよ」
笑いながら歩き出すと、サルノリもユウリの横へ並び、枝を肩へ担ぐようにして歩いていた。
やがて二人はブラッシータウンへ入り、ダンデから聞いた場所を頼りに町の外れへ向かった。湖を望む場所に建つ研究所の庭には色鮮やかな花が咲き、その向こうにはユウリには用途の分からない機械らしきものがいくつも置かれている。
「ここだな!」
ホップが扉の前まで駆けていく。
「ソニアさん、いるかな」
「いるだろ。兄貴が行けって言ったんだから!」
「ダンデさん、方向音痴だけど大丈夫?」
「研究所の場所くらい覚えてる!」
「本当に?」
「……たぶん」
急に自信をなくしたホップを見ながら、ユウリは扉へ手を伸ばした。
そのとき、研究所の中から聞き慣れない女性の声が響いた。
「だから、その数値がおかしいのよ。昨日まではこんな反応、一度も――」
ユウリの手が止まる。
続いて別の誰かの声が聞こえたものの、扉越しでは内容までは分からなかった。
「どうした?」
「……なんか話してる」
「研究所なんだから研究の話くらいするだろ?」
「それはそうだけど」
気にするほどのことではないのかもしれない。
ユウリが改めて扉を開けると、室内にいた赤毛の女性が振り返った。
「あら?」
机の上には何枚もの資料が広げられ、その中央にはガラル地方の地図が置かれている。地図の各所には赤い印が書き込まれており、ユウリにはその意味までは分からなかったが、なぜかそのうちの一つが、昨日自分たちが入ったまどろみの森の近くにあるように見えた。
女性は二人の顔を交互に見て、それから肩の力を抜くように笑った。
「もしかして、ダンデから聞いてきた子たち?」
「はい! 俺、ホップです!」
「ユウリです」
「やっぱり。話は聞いてるわ」
女性は机の資料をさりげなく重ねると、二人の前へ歩いてくる。
「私はソニア。ポケモンについて研究してるの」
その足元から、小さなワンパチが顔を出した。
「イヌヌワン!」
元気な鳴き声が研究所に響き、サルノリが興味深そうに身を乗り出す。
ユウリはそんな二匹を見ながらも、ほんの一瞬だけ、ソニアが隠すように重ねた資料へ視線を戻した。
そこに何が書かれていたのかは分からない。
ただ、赤い印の位置だけが妙に頭へ残った。
まどろみの森で見た、霧の向こうのポケモンとともに。