『もう一つの物語』   作:ミサ菓子折(LRA)

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1月17日(日曜日)

 

 

     1月17日(日曜日)

 

 

 んーっ、とシャーペンを机に置いて背伸びをする。

 三学期も始まったばかりだからか、朝からやっていた宿題はあっという間に終わってしまった。

 時刻は昼の1時。

 お昼ご飯を食べてからまだ三十分しかたってない。

 困った。完全に暇になってしまった。

 ちらり、とベッドの上を見ると、ぺったり寝そべりながら真琴が本を読んでいる。

 尻尾をふりふり、ずいぶんご機嫌そうだが何を読んでるのだろう?

 元は野生動物なのに意外だが、真琴はかなりのインドア派だったりする。

 うちはお父さんが映画好きで十数年に渡って溜めてきたビデオがあるけれども、私が勉強してたりして構ってあげられない時はよく鑑賞しているらしい。

 他にも漫画や絵本、アニメなど、絵付きのものへの興味は大きい。

 しかし、今日見てるのはめずらしく絵付きの本ではなく、活字の本だ。

 そんなのも読むんだ、と少し感心する。

「真琴、何を読んでるのですか?」

(え? これ?)

 ひょいっ、と顔を上げて私の顔を見つめる真琴。

 くりくりっとしたおめめが今日も愛らしい。

(えへへー、面白いんだよこれ)

 そう言うと本を甘噛みして、裏にひっくり返す。

 ああ……そんなことをすると涎と歯型が、とか思うも既に遅し。

 本というものの構造が、いかに人間規格でしか作られてないかを実感する。

 そもそも手なんて便利なものがない真琴にすれば、本を読むのも一苦労なのだが。

「江戸の笑い……ですか」

(うん、すっごく楽しいんだよ)

 江戸の笑い。落語や小噺の面白おかしいものを集めた子供向けの本だ。

 

「十両やるから殴り殺してもいいか?」

「それなら半殺しにして五両くれ」

 

 とか、子供のころ読んだ記憶ではそんな笑い話が詰まった本だったはず。

 しかし、またなんて渋い選択を……。

 まあ、これなら真琴が楽しんでたわけもわかる。

(ところで、美汐どうしたの? お勉強終わった?)

「ええ、まあ。何かして遊びます?」

(んー……)

 視線を泳がせて考え込む真琴。

 遊ぶと言っても、人間と狐だからあれこれと遊びが思いつかないのだ。

 これが普通の狐ならボールでも投げて『取ってらっしゃーい』とかやれないこともないだろうけど、真琴はそういう狐ではない。

 おまけに、それは犬だし、こんな雪の積もっている外でそんなことをして遊びたいとは、さすがに思わない。

 同じ理由でかくれんぼも却下。

 鬼ごっこも却下だが、そもそも真琴の方が圧倒的に早いので勝負にならない。

 もっとも、これは不注意な真琴が車にでも轢かれたら危険すぎるという意味でもやりたくない。

 となると、家でトランプとかしりとりをするより他がなくなる。

 トランプも真琴が手札を持てるわけないので、神経衰弱のみだ。

 しかし、ルールは簡単ですぐに飲み込めても……真琴はどうしようもなく神経衰弱に弱かったりする。

 私がそこそこ得意なせいでその差は強調され、これまた勝負にならない。

 ……私もルールくらいしか知らない将棋でも教えてあげるべきだろうか。

 なんて考えていたら、真琴がぴこぴこっと耳を動かした。

「何か思いつきました?」

(うん、あのねあのね……)

「はい」

(おひるね)

 

 …………。

 ……。

 

 おひるね?

 昼寝?

 

 …………。

 ……。

 

「それは……遊びとは違うのでは?」

(で、でも、楽しいよ? 気持ちいいし)

 それはまあ、確かに気持ちいいし、真琴を抱きながらおしゃべりをして夢の中に入るのは楽しいかもしれない。

 しかし、それはどう考えても遊びではないと思う。

「やめておきましょう。夜寝られなくなりますし」

(うーん、じゃあお風呂)

 じゃあ、と言いつつまたヘンなことを言い出す子狐。

 お昼寝とお風呂が遊びなんて、いったいどういう認識が出来ているのだろうか?

「真昼間からお風呂入ってどうするんですか。温泉じゃないのに」

 それに、夜もお風呂を沸かすことを考えると水道代やガス代も馬鹿にならない。

(おんせん? あのお湯が地面から湧いてるっていう?)

「ええ。行ったことは、ないんですよね?」

(うん。知ってるだけ。おじいちゃんはイイトコって言ってたけど)

「まあ、ご老人には人気の場所ですから」

 ……果たしてあの妖狐のおじいちゃんに腰痛とか、そんなのがあったのかどうかは分からないけど。

(じゃ、温泉いこっ)

「ぶっ!」

(あぅ?)

 きょとんと首を傾げる真琴。

 でも、私は噴かずにはいられなかった。

 何で自動販売機の缶ジュースでも買いにいくかのような、そんな気軽な感じで言えるのだろうか?

「無茶言わないで下さい!」

(何で?)

「すぐ近くに温泉なんかありませんよ。それに、狐を連れて入れる温泉はありません」

(そうなの? でも、おじいちゃんは入ったって言ってたよ)

「えっ!?」

 とんだ知識不足だった。

 どうやら世の中には狐も入れる温泉があるらしい。

(おサルさんと一緒に入ったんだって。気持ちよかったらしいよ)

「……そういう温泉ですか」

(あ、あるんだ。じゃ、温泉いこっ)

「そっちは下手すると行く途中で遭難しますよ」

 痛くなってきた頭を押さえる。

 どこの山奥か分からないが、今から行って日帰りで帰ってこれるとは思えない。

 外出と言っても、夜には学校に行かなければいけないのだからどっちにしても秘湯探しは無理である。

(んー、じゃあ……)

「あ、ちょっと待ってください」

(あぅ?)

「用事を思い出しました」

(……用事?)

「ええ、図書館に行ってみようと思っていたのを忘れてました」

 真琴の本を見て思い出した。

 前に真琴のような前例がないのか調べてみようと思っていたのだ。

 ついでに舞さんとまいさんのことも。

 今、私がおかれている状況はあまりに不明確だ。

 何か指針となる情報を少しでも得られるのならば、それに越したことはないないはず。

(ね、図書館って本がいっぱいあるところだよね?)

「駄目です」

(まだ何も言ってないよ?)

「駄目ったら駄目です。狐を連れて入れる場所では……」

 断固とした態度で連れて行くことを拒否しようとしたけれど、そこでふと思い出す。

 ああ、そうか、別に連れていっても問題はないのか。

 考えてみれば温泉に連れて行っても問題はないかもしれない。

「駄目、と思いましたがやっぱりいいです。行きましょう真琴」

(えっ、いいの?)

 ぱぁっと真琴の顔が明るくなる。

 耳をぴんと立てて、尻尾をふりふり。すこぶる上機嫌だ。

 ついつい、頬が緩んで抱きしめてしまいたくなる。

 って、そうじゃなくてちゃんと釘は刺しておかないと。

「ただし、例のステルスモードとやらでお願いします。あと、人前で私に話し掛けたり、その他目立つ行動は厳に慎んで下さい。いいですね?」

(うんっ)

 お座りして、元気のいい返事に、大きな頷き。

 素直なのはいいことだ。

「……分かりやすく言うと、静かにして暴れないで下さい」

(……? あっ、うんもちろんおっけーだよ)

 一瞬きょとんとしたあと、こくこくと頷く真琴。

 やっぱりさっきのはただの分かったつもりでしたか。

 なんというかまあ……せこ賢くなってきてる気がする。

 狐らしいといえば狐らしいけど。

(でもさ)

「はい?」

(真琴、どうして狐なのかなぁ)

 なんだか残念そうに真琴が呟く。

 ただし、あんまり悲愴感とかそんなのはなしで。

「どうしてって、狐に生まれたからでしょう」

(分かってるけど、人間になれたら色々便利なのになあって)

 そう言いつつ、真琴は自分のにくきゅーをじーっと眺めていた。

 確かに……狐では色々不便があるかもしれない。

 あの手ではコップさえ握れないのだから、本を読むのも難儀だろう。

 

 

 

 

 

 何もすることがない者には手頃な場所なのか、近所の図書館は意外に人がたくさんいた。

 と言っても、芋の子を洗うとかそんな意味ではなく、がらんと空いている光景を予想していたのとは違ってという意味で。

 よくよく考えたら、暖房代を浮かせるわけだから、ここで時間を潰す方が有効だと思う。

 

 

 さて、郷土の資料は……と。

 そう思って、久しぶりに来た図書館の案内板を見ていると、妙な光景が目に入った。

 かなりいかつい顔の中年男性が、児童書や童話のコーナーの子供向けのイスに無理矢理腰掛けながら、何かの本を読んでいる。

 まわりに、彼の子供らしき様子の児童はいない。

 むしろ、逆に子連れの親達が不審そうにその男性を眺めている。

 何かを夢中になって読んでいた男性だが、視線に気付いたのか顔を上げた。

 男性は、怖い顔に似合わず気の弱い性格なのか、周りから向けられる不審の眼差しに、きょろきょろとするばかり。

 やがて、顔を真っ赤にした男性は、席を立ち上がると、本を元の場所に戻して、ほうほうの体とばかりにその場を逃走した。

 行き先はWC……すなわち、お手洗い。

 何だったんだろうか、今の人は。

 判断に困って周りを見回したけれども、見ていた人たちは全員同じようで、当惑の表情を浮かべるばかりだった。

(ね、今のおじさん、何を読んでたのかな?)

「……さあ?」

 周りに聞こえないように、小声で言葉をかわす私達。

 だいたい真琴の次の言葉は予想できたので、私は本棚に向かって歩き出した。

「実際に見てみたほうが早いでしょう」

(さっすが、美汐。話がわかるー)

「いえ、実際私も気になりますから」

 一体、いい年をしたおじさんが、あんな座りにくい小さな椅子に腰掛けて、何に夢中になっていたのか。

 しかも、最後は逃げ出すという幕切れ。

 これでは気にするなという方が無理だ。

 

 

 ちらちらとその本棚を伺っていく人が引くのを見届けてから、本棚に近づいた。

 さっと、本を抜き取り人気のないところへ移動する。

 男性が見ていた本は……。

(……ごんぎつね?)

「そう書いてますね」

 ごんぎつね。子狐が主人公の有名な童話だ。

 注文の多い料理店や猿蟹合戦と並んで、聞いたこともない人はほとんどいないだろう。

 

 イタズラ好きの『ごん』という子狐が、ある日兵十という村人からウナギを盗む。

 いつものイタズラのつもりだったが、その後訪れた村でごんが目にしたものは兵十の母のお葬式。

 ごんが盗んだウナギは、兵十が死ぬ間際の母に食べさせてやろうとしたものだったのだ。

 ごんは自分の行いを後悔する。

 ほんの軽い気持ち行ったそのイタズラは、兵十に深い心の傷を残してしまった。

 ごんは、償いにクリやマツタケを毎日兵十の元へと運び続ける。

 来る日も来る日も、兵十に知られないようにこっそりと。

 だがある日、家に侵入しているところを兵十に見つかり、ウナギの恨みとばかりにごんは撃たれてしまうのだった。

 兵十が今際の際のごんに駆け寄ると、なんと土間に栗が固めて置かれているではないか。

「ごん、おまえだったのか、いつも、栗をくれたのは」

 子狐の償いに気付き、兵十が誤解に気付いた時は時既に遅し。

 ごんは兵十の問いかけに頷くと、そのまま絶命してしまう。

 

 笑いどころもない、どうしよもなく三文芝居な悲劇。

 だけど、私はそんな物語が嫌いじゃなかった。

 やりきれないはずなのに、何故かあたたかいものが胸に広がる。

 奇しくも狐の物語で、あの子達のように人の心に触れるところから始まる悲劇だからかもしれない。

(ねえねえ、美汐。それって面白いの?)

 ちょんちょん、と真琴に足を突かれる。

 それ、とは私が手に取ってる『ごんぎつね』のことだろう。

「そう、ですね……」

 面白い、エンターテインメントとかそっち方面での面白いはないと思う。

 これを読んで大声で笑える人がいるとするなら、それはきっと事故とかを見て大笑いするのが趣味のような人間だけだろう。

 交通安全教室で、人形がトラックに轢かれる様を大はしゃぎして見ていた人が数名いた。

 同じ人間として悲しいことだと思う。

「真琴が望んでるような面白さはないかもしれませんが、私は好きな物語です」

 少し考えた後、私はゆっくりとそう答えた。

(ふーん。じゃあ真琴、美汐が本読んでる間それ読む。貸して)

「はい……?」

(だから、読むの。本って食べるものじゃないのあたしは知ってるよ)

 えっへんと、胸を張る子狐。

 ふさふさこんもりした胸毛が気持ちよさそう……じゃなくて。

「どこで読む気ですか?」

 いくらステルスモードとやらでも、本は隠せないだろう。

 机で読もうものなら、風もないのにめくれる本が一冊。

 図書館の七不思議に加えられること請け合いだ。

 ……一瞬、面白そうだからやらせてみようかと思ったのは内緒にしておく。

(大丈夫大丈夫。ほら、ここなら問題ないよ)

 とんとんとん、と器用に足をかけて真琴が跳躍する。

 ものの一秒足らずで、本棚の上から覗く愛らしい顔があった。

(ね、こういうところの真ん中なら見えないよ)

 なるほど、確かに本棚は高く幅広だ。

 その真ん中に本を置けば、完全に下からは死角になる。

 なんとなく真琴に知恵で負けたのは癪だが、ここは素直に認めてあげるべきだろう。

「わかりました。その作戦を認可します」

(やたっ)

 尻尾で二三回ご機嫌のサインをして、真琴がぴょんと本棚を飛び下りる。

「……え?」

 何か変だと思いつつも、目は真琴に釘付けになる。

 物理法則と万有引力の法則に従い、放物線を描いて落ちてくる真琴。

 思わず凝視して発動させてしまった『狐の眼』は、真琴の動きをコマ送りで私の脳に伝える。

 ここは本棚が並ぶ樹海のような場所。

 本棚と本棚の間隔は人二人が通れる程度のものだ。

 そして、本棚の高さはというと身長が170センチあったとしても脚立なしに最上段は厳しい高さ。

 そんなところから放物線を描く、小溝でも飛び越すようなジャンプをしたらどうなるか?

 結論が出てからはトレースするまでもなかった。

 というか、思わず目をつぶった。

 

(あうううーーーっ!?)

 

 ボスッ、とかいう何かにはさまったような音と真琴の悲鳴。

 目を開けると、向かいの本棚の百科事典か何かが抜けた空間に頭をめり込ませてジタバタしている真琴の姿があった。

 人気はない区画とはいえ、悲鳴に人が寄って来る可能性がある。

 はぁ、と溜息をつきながら遠慮なしに真琴の尻尾を掴むと、カブでも引っこ抜くつもりで一気に引きずり出してやった。

 

 

 やっぱり馬鹿だ、この狐。

 

 

 

 

 

 

 適当に他のお薦め童話も数冊持って、目的のコーナーへと移動する。

 さっきの真琴の姿から、思わず『大きなカブ』も手にとってしまったけどまあいいだろう。

 他から少し隔離され、小部屋のように区切られたスペースが私の目的地。

 相変わらずここは人気がない。

 地域のコーナーとかそういう名前のところで、私の目的の物以外にも近所の人が自費出版した詩集やら小説なども並べられているらしい。

 一度興味本位で手にとってみたことはあるけれど……このコーナーが何故人気がないのかという理由がよく分かっただけだった。

 探してみたら隠れた名作があるのかもしれない。

 でも、さすがにそんなことをしているほど暇はなかった。

 どこの誰が書いたのかもわからない傑作より、歴史に名前を残した文豪達の本の方が価値がある。

 受験というものを考えると、学生にはそんな図式が常に付きまとってしまうものなのだ。

 こんなところに来ていながらも、そんな考えが浮かぶ自分に溜息。

 そんな価値のないものの一つに興味を示して欲しいと思う自分もいるのだから。

 きっと、ここのコーナーに集められた本の著者達はそんなことを考えながら筆を執り、あるいは調査を続けたのだろう。

 私の目的の物は地方の伝承を集めた資料。

 しかし、それも普段は誰も興味を持たないものだ。

 何しろ、こんなところに足を運ばないでも誰もが知っている。

 老人から、親から、あちこちに残されている碑文や看板から、この地域に生まれ育った者ならどこかで知っているのだ。

 だから、図書館に来てまでそれを調べようとは思わない。

 でも、忘却に備えて、どこかに伝承は保存されていなければならない。

 また、この地に興味を持った他所の人に提供できる資料がなくてはならない。

 そんな微妙なニーズに応えてなのか、地域のコーナーには伝承の類が棚の一つを占拠している。

 

(あぅー、何かにおう~)

「カビでしょう。ここはほとんど人が来ませんしね」

(でも、なんだか落ち着くにおいかな)

「そう……ですか……?」

 

 すーっと息を吸い込んでみる。

 うっ、慣れないにおいに咳き込んでしまいそうだ。

 いったい、これのどこが落ち着くにおいだと……。

 

(なんだかシンキ臭くて、美汐が懐かしくなっちゃうかんじだよね)

「死んでください、切実に」

(あぅ、あぅっ!? あぅーーっ!?)

 

 手にした数冊の本を真琴の頭の上に降らす。

 今度のカビ臭い深呼吸が、とってもすがすがしく感じるのは気のせいじゃないはずだ、うん。

 辛気臭いは百歩譲るとして、まだ懐かしまれるような存在になった覚えはない。

 というか、しないで欲しい。だってまだ生きてるし。

 

「……ん?」

 

 がたん、とイスを引く音がした。ついでに不審そうな呟きも。

 死角になっている隅から、男の人が身を乗り出してこちらを覗いていた。

 これはまずい。

 慌てて降らせた本ごと真琴を抱き上げて、男の人に背を向ける格好になる。

「あ、すみません。お騒がせして」

 背中の向こうに首を向けながら、ごまかしに入る。

 故意に本を落としたのは見てなかったはずだし、きっと大丈夫だ。

 と……あれ?

「ああ、うん。気にしてないよ。用があったのならお構いなく」

 顔の前で手を振りながら、男の人は気にしてないをアピールする。

 いかつい外見とは逆に、おおらかで懐の広そうな雰囲気だ。

(あれ? あの人さっきの?)

「しーっ! 黙ってて下さい。他の人には狐の鳴き声が聞こえるんですから」

 そう。本の間からぴょこっと顔を出した真琴の言う通り、男の人はさっき児童文学コーナーから逃げ出した不審な中年男性だった。

 何でまたこんなところに……。

 児童文学の次は人気のない地方のコーナー。

 相当の変わり者だろうか?

 あんまり……いや、真琴もいるから今日は特に関わらないほうがいいタイプかもしれない。

 と、思っていると、男性はまたも不審の眼差しで周囲を見回した。

「……何か今、動物っぽい鳴き声がしたような?」

 まずい。

 どういう人かはよく分からないけど、ここは徹底無視だ。

 出来る限り関わらないほうが、余計な騒動を呼び込むこともないだろう。

「さあ? 私は何も聞こえませんでしたけど」

 努めて冷静に、『頭大丈夫ですか?』と言わんばかりの返答をする。

 よし、男性がひるんだ。

「あ、あはは……僕の空耳かな……。いや、ごめん気にしないでくれ」

 ううっ、なんだかこの人、もの凄くいい人っぽいです。

 ごめんなさい、本当にごめんなさい。

 悪気も恨みもないので、無礼をお許しください。

 と、心の中で再三再四謝罪しながら室内に足を踏み入れた。

 男性は、見ているこっちが気の毒になりそうなくらい小さくなりながら、再び本に向かっている。

 なんだか、壮絶なまでに悪いことをした気分に……。

 

 

 

 とりあえず、男性の死角に入っていることを確認しながら真琴を本棚の上に登らせる。

 それから持っていた本を、背伸びして本棚から首を出してる真琴の口に運搬する二人バケツリレー。

 一分たらずで真琴と本を上にあげる作業、もとい隠蔽工作は終了した。

 ……本をくわえさせてよかったんだろうか?

 歯形がついてないか心配だけど、気にしないことにしよう。

 

 

 さてと、真琴を気にしなくてよくなったところで私の用事に取りかかろう。

 郷土の資料、ものみの丘の狐達に関する本だ。

 ええと、たしかこのあたりに……あった。

 足繁く図書館に通い、答えを求め続けたのはもう数年前のこと。

 ハッピーエンドへの道なんてないことを、探せば探すほど知らされた悲しみの場所。

 だけど、あの時見た本達は、ほぼその時のまま並べられていた。

 すぐさま目星をつけて三冊手に取ってみる。

 タイトルの難しさから、以前は読まなかったはずの本だ。

 今なら読めるかもしれない。

 さすがに漢文が来たらお手上げだが、古典くらいならなんとか……学校で習ってるし。

 そんなことを考えながら、もう一度棚を見回す。

 他はもう見たことのある本ばかり、だろうか。

 そのまま本を置いて近くの席についた。

 

 

 一応現代教育を受けてきた私に四、五十年以上前の古い文体は厳しいものがある。

 読めないことはないのだけれども、とにかく疲れるのだ。

 言葉は変遷していくものというのは本当だと思う。

 四、五十年でもこれなのだから、千年前の文章ともなるともはや外国語のように見えるのも仕方がない。

 とはいえ、数年前より頭が成長したのだろう。

 喉に引っかかりを覚えるような読書ではあるものの、我慢すれば読めないことはなかった。

 しかし、肝心の探し物は見つからない。

 難しく書いてあるだけで、書かれていることは数年前に見たことと同じだった。

 細部に若干違いがある程度である。

 

 曰く、ものみの丘には不思議な生き物がいる。

 姿は狐のそれと同じ。

 多くの歳をえた狐が、そのような物の怪となる。

 それが姿を現した村はことごとく災禍に見舞われることになり、その頃より厄災の象徴として厭われてきた。

 

 人のぬくもりを知って、人の世界にあこがれる狐達。

 だが、彼らは世界に留まることが出来ずに消えていく。

 残されるものに大きな心の傷を残して。

 

 具体的な逸話か、抽象的な説明かのどちらかだが、まとめるとそこに行きつく。

 真琴のようなケースはどこにもなかった。

 むしろ、真琴のおじいちゃんから直に話を聞いた私の方が一番真実に近い位置にいるような気がする。

 だいたい、災厄の象徴という言い伝え自体が既に捻じ曲がったものなのだ。

 本当はそんなものじゃないはずなのに。

 

 本棚を上を見てみると、真琴があくびをしながら本をめくっていた。

 今日はお昼寝をしていなかったからそろそろ眠いはずなのに、それでも起きているということは本を楽しんでいるのだろう。

 

 何かの気配を感じる。

 斜め向かいの男性が、本を閉じて顔を上げたのだ。

 男性は何やら訝しげにこちらを凝視している。

「あの、私に何か?」

 やはりこの男性は不審人物なのだろうか?

 女子高生をじろじろ見つめるのが良い趣味の年齢とは思えない。

 どう見積もっても、私より三十歳ぐらい上だ。

「いや、こんなコーナーに若い子が興味あるなんて変わってるなと思ってね」

 ……若い子?

 ああ、そうか、確かに変な光景かもしれない。

「街の伝承のことが気になったんですよ。ちゃんとした資料で見たみたいと思いまして」

 当たり障りのない返答をしておく。

 嘘は言ってない。

「ものみの丘の伝承か……」

 男性は懐かしそうな目で私の持つ本を見ている。

「君も信じているのかい?」

 男性は奇妙な問いかけをしてきた。

 君『は』ではなく、君『も』だ。

 それは、つまり……。

 この人も、私の『あの子』のように、大事な物を失って世界に取り残された側の人間なのだろうか。

「はい、信じています」

 私がそう答えると、男性は驚いた表情を浮かべた。

 そして、焦ったように問いかけてくる。

「まさか、体験した……いや、している最中なのか?」

「あ、いえ。経験済みというか、体験中と言いますか」

「うん?」

「いえ、気になさらないで下さい」

 なんだろう。

 中年と女子高生の会話では、体験済みの意味が別の意味に聞こえてくる。

 おまけに、今経験してる伝承はどうしようもなく俗っぽい体験だ。

 本棚の上であくびをしてる真琴をちらと見つつため息。

 本当に、どうしてこうなった……だ。

「よくは分からないけど、特に困ってはいないんだね?」

「はい」

 嘘である。

 困りまくっている。

 童話の世界観がどんどん壊れていっていることに。

 とはいえ、そんなことを見ず知らずの男性に言ってもしょうがないので黙っている。

「いや、うん、ならいいんだ。ごめんね、いきなり声をかけて。怖かっただろう」

「いえ、別に」

「いや、いいんだ。よく顔が怖いとは言われるから」

 別にそういう意味ではない。

 ここ連日の魔物との戦いで、人間の男性に恐怖心なんて全然感じなくなってるだけだ。

「ところで、君はものみの丘の伝承に詳しいのかい?」

「まあ、相応には」

 多分伝承以上に知っている。

 伝承がぶち壊されるレベルで知りたくないところまで。

 そんな私の内心を全く知らず、男性は続ける。

「そのものみの丘には、不思議な獣が住んでいる」

「古くからそれは妖狐と呼ばれ、姿は狐のそれと同じ」

「多くの歳をえた狐が、そのような物の怪となる」

「それが姿を現した村はことごとく災禍に見舞われることになり、その頃より厄災の象徴として厭われてきた」

 男性の発言に続いて、私は伝承を読み上げる。

 全て言い終えたあと、男性は驚いた顔をした。

「本当に詳しいね」

「まあ、これぐらいは知ってる人なら知ってますよ」

 この地域のお年寄りと懇意であれば、誰だって知っている。

 とはいえ、もう若い世代は知らない人も多いのかもしれない。

 男性が驚くのも、不思議ではない。

「だが、厄災ってのは何なのだろうね?」

 と、ここで男性が疑問を呈する。

 ああ、またか。

 妖狐の事情も知らず、こうやって人々は物語を完結させるのだ。

「厄災ってのが僕にはよく分からない。彼らは人に化けてやってくるという。だけど、それのどこが厄災なのだろう?」

「それは、残された人の心に深い傷を残すからでしょう」

 深い傷……だったはずだが、真実を知ってしまったために悩んでいた自分が馬鹿らしくなりつつある今日この頃だ。

 だが、男性は私の言葉に首を振る。

「確かにそれは辛いことだ。だけど厄災と言えるほどのことだろうか?」

「え?」

「個人が巻き込まれる程度の不幸を『厄災』と言うのはおかしくないかい?」

 確かに。

 厄災とは『災』である。

 すなわち、災害のような社会全体に及ぶような重いわざわいに使うのが普通のはずだ。

 だが、あの子たちが人の元にやってくるのが、社会全体に及ぶほどのわざわいかと言われると、明らかに『NO』だ。

「嘘……だったんでしょうか?」

「確かに、狐を虐めてはいけない、って教訓のために言った可能性はあるね」

 それはあるかもしれない。

 でも、狐を狩猟していた時代もあるのに、そんなことを言うだろうか?

 お稲荷さん信仰みたいなものにしても、バチがあたる程度でいいはずだ。

 厄災というのは仰々しすぎる。

 ……と、本棚の上で揺れてる真琴の尻尾を見ながらため息。

 あれが厄災なら、厄災とは大分盛られた言葉だ。

 どのへんが厄災なのか教えて欲しい。

 洗濯機に落ちてマワされることか、カーテンに爪を立てて登る事か……うん、どう考えても厄災ではないな。

「何か、僕らの知らない伝承の裏があるのかもしれないね」

「そうですね」

 ここ最近色々と裏事情を知ってしまっただけに、男性の言葉には頷くしかない。

 まあ、男性はそういう裏事情は一切知らないだろうが。

「うん、ごめんね。図書館で雑談は良くないな。僕はもう帰るよ。邪魔して悪かった」

「あ、はい。すみません」

 言われてはっとした。

 そうだ、ここ図書館だった。

 幸い周りには誰もいなかったけど、職員が傍にいたら怒られていただろう。

 男性は申し訳なさそうに、そそくさと荷物をまとめて帰っていった。

 しかし、本当に変わった男性だ。

 もしかして、あの子たちとの別れを経験した人なんだろうか?

 まあ、私なんかよりは立ち直ってるようで心配の必要はなさそうだけど。

(ふぁー、読み終わったから寝るー)

 お気楽狐の眠そうな声が上から聞こえてくる。

 肝心のあの子の同種は、私達の気も知らずとことん暢気だった。

 

 

 

 

 結局、それから閉館まで居座ってみたものの、分かったことは何もなかった。

 真琴のような事例は見当たらず、ましてや私の眼の事例だって見当たらなかった。

 ならばせめてとオカルト関係を調べてみたが、舞さんのようなケースは見つからない。

 いや、そっち方面はデマも含めて情報が錯綜しているので、元より調べるだけ無駄だとは分かっていたけれども。

 根本問題、超能力で街一つが消し飛んだなんて話を聞いたことがない。

 正直なところ、まいさんの話も信憑性は半々といったところだ。

 誰も知らないのか、それとも誰も書き残さなかったのか、そのどちらかは分からない。

 だけどこれだけは確かなこと。

 私は……私達は未知の領域にいる。

 

 

 

 

 

 

 日曜日は魔物も休日なのだろうか?

 そして、舞さんもいるのだろうか?

 そう思いつつも、私達は夜の学校へやってきた。

 出るとか出ないとかの問題ではなく、下手をすると残された時間は二週間しかないのだ。

 可能性があるなら、一日も無駄には出来ない。

 ……と、思っていたのだけど。

(あれ? 舞は?)

「いないですね」

 いつもの場所に、剣士の姿はなかった。

(やっぱり、今日は舞もお休みなのかな? 日曜日だし)

「真琴に曜日感覚が定着してるのなら、舞さんにも曜日感覚があっておかしくないと思いますね」

(……なんだか美汐、遠まわしに真琴を馬鹿にしてない?)

「そんなことは大いにあるかもしれません」

(そっか、そうだよねー……って、大いにあるの!?)

 ががーん、と今更のことに驚く真琴。

 ちょっと、冗談が過ぎただろうか?

 真琴は泣きそうな顔をして……。

(……ま、いっか)

 あっさりとなかったことにしてしまった。

 多分、こういうのを皮肉がまったく通じないタイプと言うのだろう。

 下手をすると、直球でも攻撃が通じるかどうか。

 でも、そういうところが外見込みでかわいらしく思えて怒る気にもなれないあたり、無敵と言えるのかもしれない。

 

 

 もう一度ぐるりとあたりを見回してみる。

 だけど、やっぱり何の気配もない。

「舞さんがいないということは、今日は出ないということなのかもしれません。もう少しだけ様子を見たら帰りますか」

 あれだけ魔物にこだわってる舞さんだ。

 魔物が出る可能性があるのに、ここに出向かないということはないだろう。

(……あれ? ちょっと待って)

 私の提案を真琴が制止する。

 耳をピンと立てて、あたりをうかがい始めた。

「どうかしました?」

(しっ。何か聞こえるよ)

 真琴が向いている方向に、耳を澄ましてみる。

 何も聞こえない。

 いや、まだ人間の耳には遠いだけだろうか?

(こっちにくる。この足音……多分、舞だよっ)

 ぴくん、と真琴が耳を震わせ、弾んだ声で告げる。

 舞さん? でも、私には何も……。

 

 たんっ!

 

 そう思った矢先、廊下の先から床を弾く甲高い聞こえた。

 あれは……階段を飛び降りた舞さん?

 舞さんは、着地するやいなや、膝を折った姿勢から体をひねるように床を転がった。

 と、同時に舞さんのいたところを青い火球が直撃し、炸裂音が響く。

 舞さんは、転がった反動を利用してすぐさま立ち上がると、一目散に私達の方へ駆けてきた。

 青い火球の追撃は……ない。

 ついでに、火球を操る主、おそらくは魔物『れい』の姿も。

 

 

「……逃がした」

 胸を押さえ、ぜーぜーはーはーと息をつきながら、舞さんは開口一番に戦況報告をしてくれた。

 だが、その様子やさっきの状況からして突っ込まずにはいられない。

「あれは『逃げてきた』って言うんですよ!」

「…そうとも言う」

 そうとも、じゃなくて、それ以外の何物でもないと思う。

 魔物を討つ者としては、一時的とはいえ、自分が狩られる側に回ったことを認めるのはプライドが許さないのだろうか?

「真琴、魔物の気配はまだあります?」

(んー、多分ないよ。さっきので舞を諦めて、一旦帰ったみたい。こっちのぞいてる嫌な感じはあるけど)

 確かに、言われてみると露骨にこちらを伺っているような、嫌な肌触りの感触が空気に漂っている。

 これはつまり、また仕掛けてくる可能性があるということだろう。

 どうやら、夜の休日登校も無駄足ではなかったようだ。

 とりあえず状況把握終了。

 ひとつ大きな深呼吸をして、舞さんに向かい合った。

「順番が逆になりましたが、こんばんはです舞さん」

(こんばんはっ、舞)

 こくり。

 さすがと言うべきか、もう舞さんの呼吸は平常時のものに戻っている。

 上の階での戦闘を含めて、廊下を全力疾走したばかりだというのに、運動不足の私とは大違いだ。

 だが、闘志は冷え切らず、保たれたまま。

 今日の舞さんは、明らかに猛っている。

 いや、感じるのだ。

 体から溢れ出る、熱い何かを。

 なら、私達もそれに従おうと思う。

 何より、残された時間は限られている。

「舞さん、どうします?」

「狩り出す。美汐は下に行って。きっとまた来る」

「分かりました」

 こないだから続けているように、上と下から廊下を練り歩く作戦だ。

 珍しく舞さんは襲撃を確信している。私もそうだと思った。

 肌に刺さる敵意のような視線。

 どこから来ているものか分からないけれども、明らかに魔物が私達を狙っている。

 向こうも熱くなっているのだろうか?

「それと……」

 作戦を実行しようと階段に向かおうとしたら、険しい顔をした舞さんに呼び止められた。

「気を付けて。魔物の様子がやっぱりおかしい」

「また、ですか? 昨日もそれ聞きましたけど」

 さすがに何度も同じことを繰り返されると、目の前の人物の記憶を心配したくなる。

 でも、舞さんは真剣な表情のまま首を横に振った。

 目はいっそう険しく、私達の目をはっきりと捉えている。

 これは……魔物の様子の違和感がはっきりしたということだろうか?

「興奮してる。今までにないくらいに。それに……」

「それに?」

「遠くから狙い撃ちされた。こんなのは初めて」

 それは、舞さんの戦っていた相手が火球を操る魔物『れい』だったからで……ってあれ?

 そういえば、舞さんは魔物の姿や攻撃を具体的には知らない。

 どの魔物ともほぼ同じように戦ってきたはずだ。

 その舞さんが、魔物『れい』の攻撃方法を『遠くから狙い撃ち』と断定した。

 それはつまり……。

「……はっきりとは言えないけれど、魔物が違うものになりかけてる」

「いえ、あの魔物はもとから遠距離攻撃を使ってました」

「でも、私がそうと感じたのは初めて」

 念のために確認をしてみたが、舞さんのそれを悟った上で反論した。

 分かっているのだ、私以上に。舞さんは。

 感じているのだ。長きに渡って戦ってきた相手であり、自分より分かたれた欠片の確かな変容を。

「……気を付けて。何をしてくるか分からない」

「分かりました。舞さんも気を付けて」

 

 

 私が頷くのを見て、舞さんは振り返らずに駆け出す。

 珍しく、真琴を抱いて撫でることもなかった。

(……美汐)

 不安そうに私を見上げる、金色の瞳。

 私達を覗き見る虚空からの視線は強まる一方だ。

 肌に触れる、ざらつく空気が気持ち悪い。

「ええ、私達も行きましょう」

 舞さんの言うとおり、魔物に何か変化が起こり始めてるのかもしれない。

 でも、一体何が?

 

 

 

 

 一階の端にたどり着くと、また空気が一変した。

 さっきのようなざらつく感触はない。

 闇のざわめきに似た、何かの存在感も消えうせた。

 だが、逆にそれが不気味だ。静か過ぎる。

 何の物音も聞こえない、それこそ外の風の音すらも。

 ちくちくと、身を切るような寒さが静寂を支配している。

 その中で……恐ろしく澄み渡った足音だけが、かつんかつんと硬質の響きをかき鳴らしていた。

(な、なんかもの凄くヤな予感。毛が立ってぞくぞくするよ)

 隣を歩く真琴は、体中の毛という毛を逆立てて小刻みに震えている。

 私も、服をめくってみれば腕や太ももが鳥肌だらけだろう。

「確かに、これは何か来そうですね」

 警戒を怠るな。

 前後からいっせいに襲いかかってくるかもしれない。

 いや、相手は人知を超えた魔物だ。

 上下前後左右、全方位に神経を張り詰めろ。

 

 こつ、こつ……。

 こつーん……。

 こつ、こつ……。

 こつーん、こつーん……。

 

(美汐!)

「はっ!?」

 

 真琴の叫び声に、慌てて足を止める。

 何だ? 今確かに何か。

 足音が……増えた!?

 

 こつーん、こつーん、こつーん……。

 

 間違いない。足音だ。

 私達以外の足音がしている。

 ゆっくりとした歩調を思わせる、間延びした足音。

 それも、私達が歩いてきた後ろから。

 真琴と顔を合わせて鉈を構えると、小さく頷きあう。

 ごくりと、息を飲み込みながら二人同時に振り向いた。

 

 こつーん、こつーん、こつーん、こつーん……。

 

(……あれ?)

「……舞さん?」

 後ろから、足を投げ出すかのように、ゆっくり一歩一歩を踏み出す人影は舞さんその人だった。

 だけど、どうしてここにいるのだろう?

 ここはまだ一階。

 作戦通りなら、落ち合う場所は三階か二階の廊下になるはずだ。

 何かを報告するために、予定を切り上げて一階に下りてきたのかもしれない。

 それにしたって、わざわざ後ろから無言で近づかないでもいいだろうに。

「どうしたんですか? 何かありました?」

 やれやれと思いつつも、構えた鉈を下ろして問いかける。

 

 こつーん、こつーん、こつーん、こつーん……。

 

 返事はない。

 無表情のまま、舞さんがこちらに歩いてくる。

 歩調を速めることもなく、嫌なくらいに長く響く足音が等間隔に打ち鳴らされる。

 何か、おかしい。

 絶対におかしい。

 からん……と、鐘の音が遠くに聞こえた気がした。

 それは、警鐘という名の鐘。

(美汐、違う!)

 川澄舞の姿をしたソレが剣を水平に構えるのと、真琴の叫びは同時だった。

 違和感が確信に変わる。

 

(そいつ、舞じゃない!)

 

 間一髪、後ろに反らせた鼻先を銀の残光がかすめる。

 あと一瞬気付くのが後れていたら危なかった。

 横薙ぎを外したソレは一旦距離をとると、どこを見つめてるとも知れぬ虚ろな目でこちらの様子を伺っている。

 虚ろ……というよりは、白い眼球にどんよりと浮かんだ黒一色の瞳。

 これは、明らかに人間の目ではない!?

「真琴、どうしてあれが舞さんじゃないと?」

(あいつ、においがまったくないんだもん。それでおかしいって……)

「おかげで助かりました。ありがとうございます」

 そう、馴染みのある川澄舞の姿をしたモノは『魔物』だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 魔物が両手で剣を構える。

 私も身構えて、左手で真琴に下がるよう合図した。

 敵の魔物は四体。

 多分、この魔物とは出会ったことはない。

 今まで会った二体とはまるで性質が違う。

 まいさんの話からすると、残る魔物は影の『えい』と破壊の『かい』。

 この魔物は、どっちなのだろう?

 たん、と地を蹴る音。来る!

 縦斬り、一歩横に移動してかわす。

 横斬り、一歩後ろに下がってかわす。

 突き、体を横に開いて流す。

 再び、縦斬り。モーションは変わらない。確かに早いが、それだけだ。

 ほとんど作業感覚で処理できる。

 横に一歩、剣の軌道から体をずらす。

 振り下ろすに剣の隙間に、鉈を滑り込ませる。これで!

 

 がきんっ!

 

 激しい金属音とともに、腕に鈍い痺れを覚える。

「くっ!」

 感づかれた。攻撃を中断して、鉈の進路上に剣をこじ入れたのだ。

 なんという反射神経だろう。

 相手が普通の人間なら、間違いなく鉈の一撃が食い込んでいたはずだ。

 それくらい、必殺を確信できる感触だったのに。

(美汐、来るよ!)

「分かってます」

 凄まじい勢いで横に回転しながら飛び、首を落とさんばかりの斬撃を私の頭部めがけて放つ。

 そうかと思ったら、腰より低くかがんだ体勢から足を狙っての連続突き。

 相手は馬鹿じゃない。

 私が単純な動きを見切れることに感づいたのだ。

 あえて反撃を返しにくい複雑な動きをすることで、翻弄しにかかっている。

 だけど……!

「そんなに足が欲しければ、くれてあげます!」

 これでも喧嘩の場数なら、子供時代に数え切れないほど踏んでいるのだ。

 そんな簡単に翻弄されるわけにはいかない。

 左足を狙ってきた突きの伸びきった瞬間を狙い、剣をかかとで踏みつける。

 がきり、と剣は床に食い込み、さらに力を入れるとぺたんと横に倒れた。

 剣の自由を完全に奪うと同時に、右足を一歩踏み出す。

 その後に展開される光景を思うとあまりいい気はしないが、狙いは相手の首。

 全力で、その虚ろな目を備えた頭部をもぎ取る。

 

「はぁっ!」

 

 だが、気迫もむなしく、鉈が何かの感触を捉えることはなかった。

 謎の魔物は剣をあっさり捨てて、あろうことか腕立て後方転回で難を逃れたのだ。

 その洗練された動きに、思わず見とれてしまう。

 狐の眼は、相手の体が流れるようにブリッジを描いていくのを余すところなく映し出した。

 

 

 魔物は依然無傷。とはいえ、もう先ほどまでの危険はない。

 脅威だった敵の得物は私の足元にある。

「勝負ありですね」

(美汐、強い~。見かけ倒しだったね、この舞もどきのヤツ)

 剣を失い、立ち尽くす相手に鉈を向けて挑発する。

 その横では、真琴が飛び跳ねながら尻尾を振っていた。

(美汐、剣くわえとくからあいつにインドー渡しちゃって)

「ええ、取り返されないように気をつけて下さい」

 真琴に奪った剣を任せて、鉈を構える。

 素手の相手を鉈で惨殺するなんて抵抗もなくはないが、場合が場合だ。

 それに、下手をすれば状況はまったく逆になっていたかもしれない。

「行きます」

 ……? 何かおかしい。

 いつから私はこんなに饒舌になった?

 命のやり取りをしている最中だというのに、相手に話しかけて、あまつさえ挑発じみたことまでしている。

 いつもならそんなこと考えられないはずだ。

 何かがおかしい。

 それに何にイライラしているのだ、私は?

 まったく動かない魔物を見つめる。

 その顔は、相変わらず無表情で何を考えているか分からない。

 いや、待て。

 瞬きを……していない……!?

 無表情なんかではない、そもそも表情変化がまるでないのだ。

 あたかも、フィルムに焼きついた画像であるかのように。

 別の言い方をすれば、水面に一瞬映った影がそのまま動いているような……影?

 まさか、この魔物は……。

 

「……あなたが、魔物『えい』ですか」

 

 影は何の反応も示さない。

 そう、だからイライラさせられるのだ。

 呼吸も、思考もまったく読めない。

 命のやり取りをしているというのに、敵意や殺意すら感じられないのだ。

 これほど真剣にやってる者をイラ立たせるものはない。

 真面目になれば真面目になるほど、馬鹿を見ているような気分になるのだ。

 だから、自然と挑発じみた言葉を口にしてしまう。

 それに加えて、ピンチだというのにまったく動じるそぶりを見せないのが気に食わない。

 何のつもりだ、この相手は?

 

(あ、あれ? あれれ?)

 

 後ろに剣を持って避難したはずの真琴が、突拍子もない声を上げる。

 振り返ると、口を開けたままうろたえている子狐の姿があった。

「真琴、剣は!?」

(わ、わからないの。気がついたら突然消えて……)

 はっとして、魔物をにらみつける。

 魔物『えい』は、顔色一つ変えずに左手を空中に突き出した。

 ぼうっ、と青いオーラが左手から噴き上がる。

 オーラが棒状に収束したと思うと、そこには奪ったはずの剣が現れていた。

(な、な、なんで!? どうして!?)

「ぬかりました。こんな単純なことに気付かないなんて……」

(どういうことなの、美汐?)

「あの剣は魔物『えい』のチカラで作られたコピーです。新しいのを作ろうと思えばすぐに作れるんですよ」

 躊躇なく剣を捨てて回避したのには、ちゃんとわけがあったのだ。

 まずはそれを疑うべきだったと思う。

 調子に乗って突っ込んでいたら、足元をすくわれたかもしれない。

(そんなぁ……真琴の活躍は何だったのよぅ)

 活躍というほどのものだっただろうか?

 そう思いながら、真琴の落胆振りがおかしくて苦笑する。

 一人で戦っていたら、落胆で心をかき乱されていただろう。

 真琴のコミカルな反応を見て、それが少し緩和された気がする。

「ありがとう、真琴」

(えっ?)

「いえ、まだまだ戦えます」

(あ、うん。がんばってね、美汐)

 真琴の励ましを背に、ふざけた格好の魔物『えい』を睨み付ける。

 本物の舞さんはどうしたのだろうか?

 既に何度か大きな音も立てている。気付かないということもないはずだ。

 となると考えられるのは、他の魔物と戦っている……か。

 だったら、私の力でどうにかするまで。

「第二ラウンドと行きましょうか」

 鉈を構えると同時に、魔物『えい』も剣を構えた。

 最悪タイムリミットはあと二週間。

 何としても、今日で一体は仕留める……!

 

 

 

 

 

 魔物『えい』と、向かい合う。

 相手は剣を構えたまま、ぴくりとも動かない。

 カウンター狙い、なのだろうか?

 瞬きも、吸気による体の揺れすらない。

 気にするな、私。

 あれはただのバケモノだ。

 生意気なハリボテをティッシュペーパーのように引き裂く、それで終わり。

 終わり……なのに、なんでこうも心をかき乱される?

 必死に自分をなだめ、冷静に相手を分析しようとするが、相手の無味乾燥なたたずまいを見ていると、イラつきが止まらない。

 表情が無い、それが相対する者にとってここまで厄介なものとは……。

 

 

 じりじりと、少しずつ間合いを詰めてみる。

 詰めたところで意味はない。

 相手は分かっているのだろうか?

 私は自分から攻撃することができない、ということを。

 身体能力に、保持する特殊能力の性質から、私の戦法は相手の攻撃の隙に必殺の一撃を叩き込む、それだけだ。

 自分から攻撃をしかけても、逆に隙を曝け出すだけに終わる。

 

 来い…………!

 来い……!

 

 魔物『えい』の剣がゆらりと動く。

 中段の構えから、徐々に徐々にと上に……。

 何だ? これは、まさか力を……溜めている?

 緩慢な動き、踵を地に付けどっしりと腰を降ろした構え。

 それは威風堂々という言葉を思わせるものだ。

 

「何を……」

 

 ……する気ですか? と漏らした刹那、相手の姿が二倍に膨れ上がった。

 さながら、ロケットエンジンの点火のように、爆発的な勢いで距離を詰められる。

 断頭斧を思わせる凶刃が振り下ろされた。

 相手からは感じられなくても、その刃にこめられたものは紛れもない殺気。

 理屈などではない。

 本能に恐怖を叩き込むそれは、私の心を束縛する。

「あ…」

 動けない。

 なんで?

 見えてるのに、動けない。

(ま~こ~と~)

 視界の隅から、何か黄色いものが飛び出す。

 

(あたーっく!)

 

 それは、私の足元で身を伏せ、魔物『えい』の顔面目掛けて飛び上がった。

 効果があったのかどうかは分からない。

 だが、強烈な頭突きを見舞われた魔物『えい』は大きくのけぞり、体勢を崩した。

(美汐!)

「は、はいっ!」

 真琴の叫びに我に返る。

 そうだ、私は真琴に助けられたのだ。

 急いで魔物『えい』と距離を取る。

 ひとまず相手の間合いから逃れるために。

 そして、勝機を掴むために。

(美汐、また来るよ!)

 体勢を立て直すやいなや、また大上段に剣を構えて敵が飛び込んでくる。

 対する私は……。

「ああああああああっ!!」

 奇声を上げて魔物『えい』を睨みつけた。

 飲まれません!

 あなたの殺意には!

 その意思を、声に乗せて吐き出す!

 

 ガキッ!

 

 ほんの目の数ミリ先を剣が通り抜ける。

 私は、魔物『えい』の必殺の攻撃をギリギリかわしたのだ。

「そこっ!」

 その隙を逃さず、私は鉈を突いた。

 というより、距離が詰まりすぎていて、それ以外できなかった。

 だが、手応えはあった。

 鉈は相手の体を貫いたはず……。

「あ、あれ?」

 魔物『えい』の姿を見て驚く。

 突き飛ばされはしたものの、突かれた場所は無傷。

 それどころか、突かれた場所を不思議そうにさすっているではないか。

(あのさあ、美汐……)

 真琴の呆れたような声が聞こえる。

 何ですか、真琴。

 私は命のやり取りをしてるんですよ。

 

(先っぽとんがってない鉈で突いてどーすんのよっ!)

「あーーーーっ!」

 

 手元の鉈を見て、あらびっくり。なるほど納得。

 まいさんに強化してもらって、とても頑丈になった鉈でしたが、先端には刃がついてなかったのです。

 まあ、薪割り用の鉈なんだし、これは当然。

 ごめんなさい、真琴。

 命のやり取りをしてるのに、ボケてたのは私の方でした。

 

(美汐、危ない!)

「え? きゃあっ!?」

 

 私のうかつな攻撃は、ヒントを与えてしまったらしい。

 魔物『えい』は突きを連打してきた。

「う、く、この……!」

 かいくぐって前に出たいが、魔物『えい』はコンパクトに突いてくる。

 付け入るスキがない。

 このままでは、押されていずれは壁に追い詰められる。

 

(ま~こ~と~あたーー……あうっ!?)

 

 私の窮地を察したのか、真琴が再び魔物『えい』の顔面目がけて飛び上がろうとした。

 だが、敵もそう甘くはない。

 真琴の飛び上がりに合わせて、後ろ蹴りを放った。

 哀れ、真琴はサッカーボールか何かのように蹴り飛ばされ、廊下をごろごろと転がっていく。

「くっ!」

 自分で何とかするしかない。

 そう思って、魔物『えい』の突きを払おうとした鉈は、鋭い振り上げによって打ち払われた。

 鉈が私の手を離れ、からんからんと廊下に転がる。

「あ、う……」

 読まれてた!?

 私の反撃は、それを待ち構えていた魔物『えい』によって完全に潰された。

 万事休す。

 武器も持たないまま、壁に追い詰められる。

 もう……駄目だ。

 

「……待たせた」

 

 死を覚悟した私の耳に、そんな声が降ってきたのと、目の前の魔物が剣を横に構えたのは同時だった。

 何事? と思うまでもなく、何かの黒い影が私の頭上を通り抜け、目の前へと舞い降りる。

 

 ガキイイイン!

 

 金属のぶつかり合う激しい音と同時に、火花が散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぎりぎりと、金属を擦り合わせる嫌な音が廊下に木霊する。

 闇を切り裂いて飛び込んできたのは、他ならぬ舞さんだった。

「…ふっ!」

 剣を引くと同時に、空気を吐き出し、返す刃を敵目がけて叩きつける。

 しかし、剣は同じ動きをした敵の刃と交差。

 互いに埒が開かないと判断したのか、その反動で後ろに飛んで距離を取った。

「…怪我は?」

「だ、大丈夫です。それより、どうしてここに?」

 まるで、ヒーローのような登場だった。

 あんなタイミングで助けられたら、多分誰の胸だってときめくだろう。

「分からない。上で戦ってた魔物が突然消えた。気配を追ってたら、ここに」

 魔物が突然消えた……?

 そして、気配を追ってたらここに?

 まさか……『まい』さん!?

 いや、間違いない。

 魔物を強制的に引っ込ませるなんて、まいさんにしか出来ないことだ。

 おそらく、舞さんをここまで誘導した気配は、まいさんのものだろう。

「……頭でも打った?」

「……え?」

「血が出てるのに笑ってるから」

 言われてみてはっとする。

 確かに、私の頬は緩んでいた。

 さっきまで、死に怯えて心まで凍り付いていたというのに。

 なのに、どうしてこんなに胸が温かいんだろうか?

「失礼ですね。助けていただいて、嬉しいだけですよ」

 苦しんでいるのは私達だけじゃなかった。

 まいさんも、一緒に戦ってくれてる。

 見えなくても、まいさんが私と真琴を守ろうと頑張ってくれたのだ。

 あの人の言った『友達』という言葉は本物だった。

「…そう」

 あまり納得できてない様子だったけれど、舞さんは私から目を逸らして魔物に目を向ける。

 ギロリ、と殺気に満ちた視線をぶつけながら。

 ああ、この人もまいさんと同じなのだ。

 いつもの魔物を狩る者の目ではない。

 今のは、私を傷つけた者に向けた怒りの眼差しだ。

「…そのふざけた格好は何?」

 剣を構えた舞さんの視線が、眼前の魔物を貫く。

 おそらく、舞さんも事の異常性が分かっているはずだ。

 その驚きと不快感は私なんかの比ではないだろう。

 何しろ、相手は他ならぬ自分自身の姿をしているのだから。

 それも、今まで不可視だったはずの魔物が、こともあろうか肉眼ではっきりと見えているのだ。

 しかし、睨まれた側は何の反応も示さない。

 表情一つ変えず、黒一色の薄気味悪い瞳でこちらを見ているだけだ。

 いや……本当にあれはこちらを『見て』いるのだろうか?

 凝視すればするほど、不安と不気味さと、そして生理的嫌悪感とも取れる不愉快さが込み上げてくる。

(あぅぅ、ヒドイ目にあった……)

 視界の端に、体を起こして頭を振ってる真琴の姿が映った。

 蹴られただけなのでもとより大丈夫と思っていたけれど、実際無事な姿を見て一安心だ。

 と、少し緊張を緩めた時、横から聞こえた声に、背筋がぞくっと震える。

「……こんな小さな子に何をしたの?」

 振り返りたくないのに、振り返らざるをえない。

 あの舞さんが、怒気をはらんだ声を絞り出している。

 それだけで、爆発寸前の火薬が傍にあるような危うさを覚えた。

 真琴をちらりと視界に納めた舞さんの目が、一層険しさを増す。

 魔物は答えない。というより、元から答える口など持っていない。

 だが、舞さんは状況と合わせて、その態度を肯定と取ったのだろう。

 

「あなただけは許さない!」

 

 怒れる剣士が、闇に白刃を踊らせ魔物に切りかかる。

 その魔物の名は『影』。

 驚くほど剣士の姿に似てはいたが、奇妙なことに生命の営みがまるで感じられなかった。

 

 

 

 闇……と言っても、私にははっきり見えるが、その闇の中に幾つもの火花が散る。

 刃と刃が交差するたびに飛び散る光。

 それは、あまりに常識外れな戦いだった。

 相応の速度と威力をもって叩きつけなければ、あのような火花は出ない。

 それに、そんな乱暴な扱いをしていれば、剣はすぐに折れてしまう。

 なのに、金属と金属の打ち合う音は、まるで止まず、狐の目には火花がまるで昼間のように絶え間なく瞬いた。

 もうこれは人間の戦いではない。

 元より片方は魔物だが、舞さんもまた人間とは思えなかった。

 というより、有視界下の剣と剣での戦いになると、舞さんはこんなにも強かったのだろうか?

 初めて出会ったとき斬られずに済んだのが、いかに偶然の産物であったかと、改めて背中に冷たいものが走る。

(美汐、これ)

「あ、どうも」

 とことこと、鉈を咥えて真琴が歩み寄ってきた。

 つい、魔物と舞さんの戦いに唖然として武器を拾うのを忘れていたようだ。

 しかし……。

(ねえ、美汐。舞を手伝わなくていいの?)

 そう、これはチャンスのはず。

 なのに、どうして私はこんなところで指を咥えて、ただぼーっと立ってるのか。

 いかに魔物といえ、前と後ろから攻撃されてはたまらないだろう。

 いや、そもそも魔物『えい』は舞さんと全く同じ。

 完全に互角なのだから、舞さんを受けきるので手一杯に違いない。

「そう、ですね。真琴の言う通りです」

 鉈を手に、戦場を睨みつける。

 下手なタイミングで加勢をしたら、逆に舞さんの足手まといだ。

 どこで手を出せばいい?

 そう悩んでいると、一瞬魔物『えい』が強く舞さんを押し込んだ。

「今!」

 瞬間、私の体は反射的に動いた。

 舞さんに追撃を加えようとする魔物『えい』の背中目がけて、渾身の一撃を振り下ろす。

 だが、それは、あっさりと受け止められた。

 それでも、私は構わず押し込む。

 一秒でも、一瞬でも、少しでも長く魔物『えい』を抑え込むために。

 力任せに鉈を抑えつけた。

 魔物『えい』が、そんな私を力任せに跳ね飛ばす。

 そして、ゴミでも切り払うかのように私を……。

 

「助かった」

 

 私を斬り飛ばそうとした魔物『えい』は、肩から割かれて動かなくなった。

 そう、舞さんだ。

 背後から、魔物『えい』に致命傷の一撃を叩きこんでくれたのだ。

 魔物『えい』の体がぐらりと揺れる。

 それは、そのままばたりと倒れ、霧散した。

「やってくれると信じてましたよ。ありがとうございます」

「お礼を言うのはこっち。あのままだと、決着が付かなかった」

 お礼を言う私に、お礼を返す舞さん。

 この人が、はっきりとお礼を言うなんて珍しい。

 それだけ、魔物『えい』との戦いは手詰まりだったのだろう。

「お礼なら真琴に言ってあげてください。加勢しろって言ったのは真琴です」

(えっへん)

「そう。ありがとう」

 お座りして胸を張る真琴に、これまた舞さんは素直にお礼を言っていた。

「ようやく魔物を一人倒せましたね」

 そう、やっと一人なのだ。

 これが後四体。

 うち一体は、抵抗する気はないと言っていたが、それでも残り三体だ。

 先が思いやられる。

「…仕留めた?」

「舞さん?」

 何か、舞さんの様子がおかしい。

 ただじっと左手を見つめている。

「どうかしました?」

 まさか、まだ仕留めてないのだろうか?

 いや、どう考えてもさっきの結末はそんな感じではなかった。

「……はじめて魔物を倒せた気がする」

「……は?」

 何を言ってるのだろうか?

 今ので一体目、はじめてに決まってるはずだ。

(ねえ、あいつのことじゃない? ほら、舞を騙してた)

「ああ、なるほど」

 真琴の言葉で、合点がいった。

 そういえば、舞さんは魔物『れい』によって幾度となくダミーを討たされていたのだ。

 自分の記憶や人格を自ら傷つけているのにも気付かずに……。

「今までは化かされていたんですよ、きっと」

「キツネさん?」

「ええ、そんなところです」

 言い方はどうかと思うものの、間違ってはいないし頷いておく。

 舞さんは、しばらく左手を眺めた後、視線を上げた。

「おいで、キツネさん」

(わわっ!?)

 そして、おいで、とか言いつつひょいっと真琴を抱き上げる舞さん。

 いきなり抱き上げられて真琴は驚いたようだが、すぐに舞さんの胸に体をうずめて『ふわふわぬっくぬくー』と言いながら目を細めていた。

 やはり胸か。この淫獣め。

「こうしてていい?」

「はいはい、どうぞ」

 見せつけるように、舞さんは胸元で真琴を撫で続ける。

 まったく、この人もこの人で……。

 私は嫉妬の混ざった目で二人を見つめるしかなかった。

 

 

 だけど、突然舞さんがその手を止めて、真琴をぎゅっと抱きしめる。

 そして、ぽつりと窓の外の月を眺めて呟いた。

「……私は知らない」

「え?」

「あんな魔物、私は知らない」

 それは、どういう意味だろうか?

 言葉の真意を図りかねて私が困惑していると、舞さんは次の言葉を告げた。

 私達をこの場に呪縛する、決定的な言葉を。

「……美汐達が魔物を変えた」

「私達が、ですか?」

 とぼけることでもない。

 魔物『えい』を見たときの舞さんの怒り様に、薄々気付いていたはずだ。

 あのような形で魔物が現れることなど、今の今まで一度もなかったのだろう。

 いや、今までに二体を見てきた私にも、あれが他と明らかに異質なものであることは感じられた。

 だけど、その変貌の理由が私達にあると舞さんは言っている。

 思い込み……? いや、舞さんがそんないい加減なことを言って私達を困らせるとは思えない。

 じゃあ、やっぱり私達が魔物に何か影響を与えたのだろうか?

「……私は怖い。どうなってしまうか分からないから」

 真琴を抱きしめて、こっちに顔を向けた舞さんの目は、今にも涙が溢れそうで、体は小刻みに震えていた。

 その姿はあまりにも弱々しく、どんな言葉をかければいいのか分からず困惑する。

 だが、そんな舞さんと私の顔を交互に見つめた真琴は……。

(んー、せっかくボス倒したんだからさ、スキップしながら帰ったらいいんじゃないかな?)

 ずるっ、とあまりに温度差のあるお気楽発言に、脳の皮がぴろーんと一枚むけかけた。

 ああ、というか、頭からお天道様が一つそちら目ざして上って行きましたよおじいちゃん。

「真琴! あなたは、ちょっとは緊張感というものをですね……!」

(だって、体当たりしたり、蹴っ飛ばされたりで、真琴もう疲れただもん)

 ふぁーあ、と舞さんの腕の中で大きくあくびをする子狐。

 あなた、夜行性じゃなかったんですか……?

 呆れ果てて言葉も出ない。

「……何て言ってるの?」

「『そろそろ帰って、風呂で歌でも歌おうや、元気が出るぞーい』だそうです」

 舞さんの質問に、なかばヤケクソ気味に脚色加えて返答しておく。

 言ってて、真琴よりはるかに悪化してる発言に自己嫌悪した。

 だけど、舞さんはその言葉にきょとんとした顔をして、次の瞬間、何を思ったのかこくんと頷いてみせた。

「うん……帰ろう」

 とんっ、と真琴を地面に下ろして舞さんは一人歩き始める。

「今日はもう出ない」

 と、言い残していつものようにどこかへと去っていった。

 その後姿を眺めながら、真琴が一言不満げに漏らす。

(今日はもー会いたくないわよぅ、あー、お腹痛い)

 ごもっともな文句に、思わず口から笑みがこぼれた。

「同感です。お腹、大丈夫ですか?」

(へーきへーき。こう見えてもシツジツゴウケンだから。それより、帰ってお風呂入ろ。真琴、歌っていいんだよね?)

 何か言葉の意味も使いどころも微妙にずれてるような気がしたが、あえて気にしないでおこう。

 足元で尻尾を振ってる真琴に、頷きで返した。

「そうですね。温泉の素でも入れて温まりましょうか」

(さんせー!)

 

 

 こうして、一夜の奇妙な人形劇は幕を閉じた。

 本当は、新たな幕を開けてしまったのかもしれないけれど……。

 とりあえず、今夜は『ただいま』を。

 そして『おやすみなさい』。

 

 

 




図書館のシーンで出ている男性は、月宮あゆの父親こと月宮さんです。
彼は『Kanon Trilogy』からのゲストキャラですね。
何気に『Kanon Trilogy』とリンクしているシーンになります。

さて、それはともかく、この作品はここで失敗をやらかしました。
実は、魔物『えい』との戦いは、もっと長かったのです。
初めての魔物との決着回だったのもあって、張り切りすぎたのでしょう。
しかし、その結果はここで20年の連載中断という酷いものでした。
実際にはこれの翌日執筆分で力尽きましたね。
理由は単純で、最終決戦でもないところで力を使いすぎたことです。
『ここでこんだけ書いて、最終決戦どうするんだよ』という気持ちに負けてしまいました。
というか、後で文章を見てみても『これいるか?』ってレベルの自己満足で読みづらいっていう。
そこで、リブート(連載再開)する前に大幅に削りました。
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