1月13日(水曜日)
……昼までの日誌記載終了。
色々細々記載するところがあるためか、日直の仕事は黒板消しよりも日誌の方が敬遠される傾向にある。
まあ、私のように休み時間これと言って話相手のいない人間にはいい暇つぶしだが。
ぱたん、と日誌を閉じて席を立つ。
もう一人の日直、私に日誌を押し付けた男子は黒板をいい加減に消している最中だった。
まったく、食事前に粉まみれの黒板消しで黒板を消したらどうなるか少しは考えないのだろうか?
まあ、席が後ろの私には関係ないことだ。
誰も文句を言ってないようだし、好きにさせておこう。
……そういえば、昨日の大破壊のあたりはどうなっているのだろうか?
あのまま放置して帰ったのだが、あの一帯は酷い有様だった。
少し気になったので屋上に向かう前に寄り道をして昨日の戦闘区域に立ち寄ってみる。
割れた窓ガラスにはダンボールとベニヤが張られ、砕け散った蛍光灯は既に片付けられていた。
まあ、当たり前か。
あんな風穴が空きっぱなしでは暖房が効かないし、割れたガラスで誰かが怪我をする危険もある。
朝か授業中にでも業者が来るまでの仮措置として、事務の人が片付けたのだろう。
既に人だかりもなく、何のことはない日常風景がそこにあるだけだった。
「あ、美汐ちゃん。こんにちはーっ」
(美汐、遅いよー)
に、対してこっちはどうだろう?
学校だというのに、花見のようなビニールシートに宴会のような重箱弁当。
能天気一名に狐が一匹、それと……。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
……ごっくん。
「佐祐理、お茶」
「はい、今すぐ」
今日は挨拶を期待できないようだ。
これが本来の舞さんの姿なのだろう。
「こんにちは。お邪魔しますがよろしいでしょうか?」
「どうぞどうぞ、ささ、遠慮なく」
既に真琴がお邪魔してるが、それはそれ、これはこれだ。
しかし、昨日の夜に続いて今回の真琴の外出まですんなり許可するなんてお母さんもどういう風の吹き回しなんだろう?
何か深い考えでもあるのだろうか?
……スポイトタイプのうがい薬を目薬と勘違いする人に、そんな考えがあるとは到底思えなかった。
いや、今だから笑い事で済むわけで、その時は大騒ぎだったが。
まあ、平和そうだし気にしないでおこう。
……ひょっとしなくても、この思考放棄する癖はお母さんの遺伝なんだろうか?
そう思いつつ、ビニールシートの端に腰を下ろして自分のお弁当を広げる。
「…うめぼし」
(あぅっ!?)
舞さんが突然ぽつりと呟くと同時に真琴の素っ頓狂な叫び声が上がる。
「はぇ?」
見ると真琴が重箱を前に背筋をビシッと直立させていた。
いわゆるお稲荷さん状態。
「何かあったんですか?」
「私に訊かれても……」
呆ける佐祐理さんに訊ねられるも言葉に詰まる。
私だって何がどういう流れで真琴を驚かせたのかわからない。
真琴を驚かせたであろう張本人の舞さんに私達の目が向けられる。
「……?」
こちらも何がなんだかわからないらしく、神社の置物と化している真琴を奇異の目で見つめている。
「………」
と、何を思ったのか舞さんは箸を突き出し……。
ツンツン
と、それで真琴のおでこを突付いた。
(って、何するのよぅ!)
きしゃー! とばかりに口を大きく開けて箸を威嚇する真琴。
「……お手?」
「何をどうしてそういう結論に至ったんですか?」
いくら言葉が分からなくてもやっていい事と悪い事があるだろう。
そもそもそれ以前に何が『お手』なのやら。
「舞、お箸は人を突付くものじゃないよ」
「…そうかもしれない」
舞さんは本当は分かってるんだろう。
ただ単に箸を手放すのが面倒くさかっただけのようだ。
「美汐」
「は、はい?」
舞さんに名前を呼ばれてびっくりする。
初めて名前を呼ばれたことも驚きだが、それよりも私の名前を覚えていたことの方が驚きだった。
「…うめぼし」
そう言ってずいっと箸を私に向かって突き出す。
その先には私のお弁当に乗った梅干があった。
「梅干が欲しいのですか?」
こくり。
(美汐、たっぷり、存分にくれてやって!)
「……は?」
(ウメボシよ。食事中にあたしのおでこをつつくなんてれーぎ知らずなんだから)
……おじいちゃん、美汐は今日も元気です。
そっちではいかがお過ごしですか?
いけない、一瞬意識が天国にいってしまった。
しかし、真琴の勘違いが何なのかようやく分かった。
前日のあれがよっぽど効いたのだろう。
「真琴、そっちのウメボシではなくて、こっちの梅干です」
箸に梅干をつまんで、真琴の前に持ってゆく。
真琴は、しばらくそれをきょとんと見つめた後……。
(あははー、勘違いは誰にでもあるよね。うん)
と早口に言って、そそくさと重箱に顔を突っ込むようにして食事を再開した。
照れ隠しのつもりらしい。
私が呆れて真琴を見つめていると、横から箸が伸ばされる。
そして、私の箸の先にあった梅干をひょいっと持っていってしまった。
「ちょっと、舞さん!」
いくらしびれを切らしたとはいえ今のはよくない。
箸から箸で物を受け渡しなんて行儀が悪すぎる。
私も昔それをやって『お骨運び』が云々とお母さんに怒られた。
「…だけど届かないから」
「自分から動けばいいでしょう。二度とやらないで下さい」
もぐもぐ。
……駄目だこの人。
態度が子供でも分かるほどに馬耳東風である。
「あははー、いい梅干を使ってますね」
誤魔化しなのか何なのか分からないが、その様子を見て佐祐理さんが微笑む。
まあ、たしかにお弁当屋さんのカリカリ梅なんかよりはいいものだろう。
梅干を食べ分ける趣味などないのでよく分からないが。
「自家製なんです」
「はぇ、美汐ちゃんが作ったんですか?」
「いえ、母が家の庭に植えてある梅の木から作ってます」
「そうなんですか、肉厚でおいしそうな梅干です。なかなかこんなのはありませんよ」
そういうものなのか。
おじいちゃんが庭に植えていた梅を『もったいないから』とお母さんが使っているだけの物だから、いいものと言われもピンとこない。
たしかあまり使わないので毎年余りがちだったはずだ。
「よかったら母に言ってお裾分けしましょうか?」
「いいんですか?」
「多分構わないと思います。あまり食べないのに成った実を全部梅干にしてしまってますから」
「あははーっ、じゃあ是非お願いしますね」
このお嬢様が、梅干しなんかもらって喜ぶんだろうか?
まあ、喜んでもらえるならいいか。
実際のところ、庭の梅はちょっとした贈り物やお歳暮で投げ捨てるように扱われているのが実情だ。
柿やリンゴの方がもっと役にたっただろうに。
まあ実が成るからといって食べなければならないというわけでもないのだが。
下校前。
書き上がった日誌を持って職員室に向かうと佐祐理さんに出くわした。
目が合い、お互い軽く頭を下げる。
「何をしていらっしゃるのですか?」
「……あ」
人当たりのいいこの人にしては珍しく気まずい表情。
あまり訊ねられたくないといった様子である。
すると、職員室の扉が開き中から舞さんが姿を現した。
いつもどおりの無表情、職員室で何があったのかは窺い知れない。
「舞……どうだった?」
佐祐理さんが不安そうに舞さんに話しかける。
問題を起こしたのは舞さん、という雰囲気なのに他人の方が本人より心配しているというのは変な光景だ。
「…大丈夫だった」
「あはは、よかったぁ」
ぶっきらぼうな舞さんの一言を聞いて脱力する佐祐理さん。
一体何のことだろう?
その時、職員室の扉が開き、中から石橋先生が出てきた。
それを見て佐祐理さんの表情がこわばる。
そういえば、この先生は2年生の学年主任で生徒指導部長かそういう役割だっただろうか。
ひょっとすると舞さんと中で話していたのはこの人なのかもしれない。
「あー川澄、今回くらいははっきり否定してもよかったんじゃないのか?」
「………」
舞さんは黙って何も答えない。
石橋先生はその様子を見て、お手上げとばかりに両手を広げた。
「あれはどう見ても人間一人でやれるもんじゃないし、お前が否定すればそれで済むんだぞ」
「………」
「まったく強情な奴だな。まあいい、今日はもう帰りなさい」
やれやれ、とそんな感じで自分の肩を揉みながら石橋先生は向こうへと去っていった。
「ええと、私は用事がありますので失礼しますね」
「あ、はい。さようなら美汐ちゃん」
慌てて二人にお辞儀をする。
舞さんを見ると……。
こくり
と挨拶らしき会釈を返してくれた。
それを見届けてから急いで石橋先生を追う。
「あの、石橋先生!」
角を曲がったところで石橋先生に追いついた。
「ん、何だ天野か。昨日のハンバーグは美味かったか?」
「いえ……幸か不幸か本当にハンバーグでしたが」
……昨日の一件のせいで変な覚え方をされている。
そんなことでもなければ、担任のクラスでもない生徒の名前と顔がすぐに一致したりはしないだろうけど。
「そうか、先生はハンバーグ好きだぞ。息子も好きでな、ハンバーグの日は……」
「あのー、よろしいでしょうか?」
「あー、こほん。何だね?」
放っておくとそのうち『ハンバーグの天野』等という名前が付きかねない勢いだったので白い視線を送って牽制する。
「さっき舞さんに何を言われていたのでしょうか?」
「……む」
私がそう訪ねると途端に石橋先生が怪訝な表情を見せた。
「お前は川澄と仲がいいのか?」
「いえ、仲がいいというほどではありませんが、知らない仲でもないです」
「ふ…む…まあ、人の付き合いにどうこう口出しするのは好かんが、川澄とは関わらんほうがいいぞ」
「どういうことですか?」
確かにどこか現実から逸脱した人間には見えるが、教師をしてそう言わせるとは一体……。
「何だ、お前何も知らないのか? 川澄舞といえば我が校最大の問題児だぞ。不良と言ってもいい」
「舞さんが……不良!?」
あの舞さんのどこが不良なのだろう?
制服を着崩し、煙草を吸う、時には道具を持って喧嘩をして……全然舞さんのイメージじゃない。
「あー、確かに世間で言う不良のイメージではないな。夜な夜な窓ガラスを割って回ってるという噂があるだけだ」
「窓ガラス……ああ、なるほど」
「ん? なるほどとは?」
「あ、いえ……」
危ない危ない。
あくまで知らないふりをしておかねば私も不良の仲間入りだ。
「まあ、いつもは人為的ということもあって夜間外出が目撃されている川澄が容疑者になるんだが、今回は少し事情が違ってな」
「あの、二階の廊下ですよね?」
石橋先生が静かに頷く。
「窓ガラスや蛍光灯はともかくとして、壁に穿ったようなおかしなヘコミやヒビ、まるでヒグマでも暴れたんじゃないかという状況だったよ」
……まあ、たしかに似たようなものか。
破壊だけ見れば獰猛な獣が暴れた後のようにしか見えまい。
「前科のこともあって一応川澄を呼べってことになったんだが……」
石橋先生はそう言ったところで、はぁーと溜息をつく。
「あの通りいっつもダンマリでな、否定もせんから何もかもあいつがやったことになる。さすがに今回は決め付けにも無理がありすぎたが」
どうやら、石橋先生は舞さんの味方らしい。
味方というのがこの場合正しい表現かは分からないが、証拠不十分なものを黒にする人ではないということだ。
だが、逆に是が非でも誰かを犯人に仕立てたい人間もいるということだろう。
どちらが良いか悪いかは置いといて、人間社会とはそういうものだ。
「とにかく川澄とは関わらんほうがいい。教師にも生徒会にも快く思ってない者は少なくないからな」
たしかに、問題児や不良といった風体が付いている人物と付き合うのは学校生活ではマイナスだろう。
下手をすると共犯扱いされるかもしれない。
いや、実際既に舞さんを犯人扱いしている人たちから見れば私は共犯者の領域に入ってしまっているわけだが。
あの破壊の現場に居合わせたわけだから。
「ところで、前科とは何かあったのですか?」
石橋先生は再び溜息をつき、腕組みをして窓の外を眺める。
どうにかならんもんか、といった様子で。
「停学一週間だよ」
ツツツツツ。
小気味のいい音を背景音にして夜の校舎を歩く。
なんだか今日は妙に落ち着いた雰囲気だ。
敏感なはずの真琴もあたりをキョロキョロと校舎の探検を楽しんでいる。
魔物にも休日があるんだろうか?
「お邪魔します」
「………」
こくり。
剣を片手に、廊下の壁を背にしていた舞さんが無言の会釈をする。
どうやら客人として迎えてくれているらしい。
と、舞さんがすすっと真琴に歩み寄り、片手で抱き上げた。
「こうしてていい?」
昨日も同じことをしていなかっただろうか?
「狐、好きなんですか?」
こく。
「狸も好きですか?」
こく。
「熊も好きですか?」
こく。
「蛇も好きですか?」
……こく。
少し間があった。
だが、基本的に動物は好きらしい。
ちょっと趣向を変えてみよう。
「モンシロチョウは好きですか?」
こく。
「イモムシは好きですか?」
……こく。
「ムカデは好きですか?」
ふるふる。
「ゴキブリは好きですか?」
ぶんぶん!
私もアレは苦手だ。
あの黒光りするナマモノが腕をカサコソ這った時の感覚は今でも思い出すたびゾッとする。
(ゴキブリって胸キュン?)
「いきなり何とんでもないこと言ってるんですかあなたは」
舞さんの腕の中で真琴がすっとぼけた顔を覗かせていた。
(んー、名前だけなら結構かわいけど?)
「……実物を見たら嫌でも嫌いになれますよ」
(ふーん)
野外生活が長かったせいか、ゴキブリという知識はないらしい。
こっちは名前を聞くだけでもあまりいい気分ではないのに。
……いや、真琴なら面白がって逃げる彼らを追いかけ回すかもしれない。
その光景を想像して一瞬頭が痛くなった。
実物を見たときは気味悪がってくれることを祈ろう。
しかし、それにしても昨日の夜といい、今日の昼といい、真琴は舞さんとの相性がいいとは思えないのに素直に抱かれているのはちょっと意外だ。
「真琴は舞さんの腕の中が気に入ってるみたいですね」
「…そう?」
舞さんが上から真琴の顔を覗き込む。
すると真琴は、目を線にして気持ちよさそうに……
(あははー、やわらかい~)
と、のたまった。
……何がやわらかいのかは敢えて語るまい。
舞さんが前屈みになることで真琴の頭に一層強く押し当てられているふくらみのことだ。
真琴はお母さんにもよく抱いてもらっているはず。
舞さんのはお母さん以上というのだろうか?
あんな重たそうなものは要らない……要らないが、何か悔しい気がしてならない。
もういい、胸のことは忘れろ自分。
「舞さん、石橋先生から聞きました。停学のこと」
舞さんは何も答えない。
ただじっと真琴を見つめている。
でも話はちゃんと聞いているだろう。
「なぜ否定されないのですか? 窓ガラスを割ったのは舞さんじゃないのに」
確かに剣を振り回しているのは事実だが、舞さんの仕業と決め付けられるほど証拠があるわけではない。
誤まって舞さんが割ってしまったものもあるかもしれないが、必ずそれだけでは説明がつかない不審な点があるはずだ。
あの拳や火球で割られたガラスや蛍光灯は剣で割られたものとは全く違うだろう。
つまり、舞さんが断固否定すれば舞さんの責任と言えるのは極々小さなものに限られるのは間違いない。
「…でも私のせいじゃないとも言い切れない」
顔を上げて舞さんがそう呟く。
何なのだ、その無茶苦茶な理由は。
確かに魔物との戦いがなければ割れなかったとも言えるわけで、そういう意味では舞さんのせいでないわけでもない。
だが、それはあくまで魔物の責任であって舞さんが悪いわけではない。
否定すれば容疑は晴れないまでも犯人には出来ないものを、わざわざ自分から不利益を呼び込むなんてどういう考え方をしているのだろうか?
自己犠牲精神なら『私がやった』と言うところだが、彼女の取った選択は黙秘。
彼女の味方をしようとしてくれる人がいるにも関わらず、である。
どう考えても一番回りくどく、それでいて事態が好転することのない非合理的過ぎる行動だ。
「舞さんが割ってないなら割ってないと言えばいいんです。そして割ったものは割ったと言えばいい、それだけです」
「………」
舞さんは何も答えない。
「停学になりたいんですか?」
ふるふる。
それはそうだ。
どうでもいいと思ってるなら、さっさと全部肯定して処分だけ受ける。
わざわざ誰かの説教を長々と聞く必要などどこにもない。
「だったら何故?」
答えはない。
いつもそうだ。
この人は肝心なところで何も答えてくれない。
いや、私には理解できないのだ。
「もういい……」
「分からない。だけど、それが正しいと思うから」
もういいです、そう言おうとしたとき、舞さんが私を見据えてはっきりとそう答えた。
「沈黙が答え……ですか?」
こくり。
沈黙が答え、それはどういう意味なのだろう?
「……うまく言えないけど、私がやってないとは思えない」
「そう……ですか」
珍しく舞さんが踏み込んだ答えを返してくれたことに驚きを禁じえない。
否定したくても、やってないと思うことが出来ない。
舞さんは何が言いたいのだろう?
いや、本人すらその意味が分かっていないのだ。
「…今日はもう出ない」
舞さんが真琴を足元にゆっくりと降ろす。
そして後は無言で去っていった。
出口とは違う方向だが、剣をどこかにしまいに行ったのだろうか?
(帰ろっか、美汐)
「そうですね」
どちらともなく歩き出す私たち。
魔物という目に見えない不可思議な存在。
誰も知るはずのないその存在を知り戦う少女。
本来ありえないはずの幻の戦い、その始まりはどこにあるのか?
少女は魔物の破壊行動を自分の責任のように感じている。
まさか……魔物が暴れる原因、いや魔物の発生に舞さんが何か関係しているのだろうか?
そうだとすれば、彼女があのような答えを返した理由も納得がいく。
ツツツツ……ツ……
真横の小さな足音が突然不協和音を奏でる。
見ると真琴がその場で耳をピンと立てて立ち止まっていた。
「どうしたのですか?」
(今、何か聞こえた)
まさか、魔物か?
いや、舞さんが戻ってきたという可能性もある。
「何が聞こえたのです?」
(多分……声だったと思う)
二人で耳を澄ませる。
あたりは静かだ、何の物音も聞こえない。
立ち止まり、二人が息をひそめると全くの無音が空間を支配した。
まさにその瞬間……。
「こっちへおいでよ」
二人の金の眼が交錯する。
そして頷き合う。
確かに聞こえた。
舞さんの声じゃない……もっと子供の声だ。
(ど、どうするの美汐?)
「どうもこうも、こんなところに来ておいて引き返すのも」
声に敵意はなく、むしろやさしい雰囲気だった。
だからこそ罠とも考えられるわけだが、好奇心でこんなところに踏み込んでおいて引き返すのも間抜けな話である。
しかし、『こっち』とはどっちなのだ?
「と、とりあえずこっちに行ってみましょう」
(う、うん)
おっかなびっくりすり足で前進する。
すると……。
「そっちじゃないよ」
再び声が空間に響く。
間違いない、この声……人間のものではない。
ましてや校内放送でもない。
私たちを呼んでいるのは魔物なのだろうか?
二人で顔を見合わせ頷き合うと、右手の階段に足を向ける。
まずは下だ。
「そっちへいくとかえっちゃうよ」
声が誘う場所は上らしい。
階段を四階まで上っていくと再び声が響く。
「こっちへおいでよ」
聞こえた、今まででいちばんはっきりと。
そして今度は空間ではなくはっきりとした方向から聞こえた。
近くの教室……その表札は確か生徒手帳で見た舞さんのクラスだ。
二人で顔を見合わせ、そしてその扉を開け放つ。
中で私たちを待ち受けていたのは……。
「わっはー。待ってたよー」
来た! 見た! 固まった!
「ん? どしたの?」
首を傾げて私たちを見上げているのは、まぎれもなくあの魔物の少女だ。
前の二体の表情が無邪気、無表情とすると三体目は友好的と言うべきだろうか?
いや、それどころか喋った!?
そもそも何なんだその場違いかつ空気のかけらも読んでない挨拶は?
激しく脱力、激しく頭痛、ああ……私の平穏な日々はどこに?
さしもの真琴ですら口をあんぐりあけて固まってしまっている。
「むー、見えてないのかな? えいっ」
ツンツン。
(って、何するのよぅ!)
少女が手にした木の枝で真琴のおでこを突つく。
きしゃー! っとばかりにそれを威嚇する真琴。
「あははっ、よかった見えてる見えてる」
どこかで同じような光景を見たような……そうだ、今日の昼ご飯の最中に舞さんが。
デジャヴってこういうのを言うのだろうか?
「あなたは、何なのですか?」
ようやく我に返った私は、真琴を木の枝でからかっている少女に問いかける。
「あたし?」
少女は木の枝を真琴に放り投げると、両腕を腰に当てて私のほうにくるりと向き直った。
身長は130センチほど、向かい合うとかなり目線の下だ。
「あたしは『まい』。あなた達が魔物って呼んでるうちの一人だよ」
「ま…い……?」
「そ。名前なんてないに等しいんだけど、強いて言うならあたしも『まい』だから。あっ、かわいーくひらがなをイメージしながら『まい』って呼んでね」
舞さんが戦っているのは魔物。
その魔物の名前が舞さんとおなじ『舞』。
外見の年齢による違いこそあれ、舞さんと目の前の少女は顔立ちもよく似ている。
いったい二人にどんな関係が……?
そして、その名前のこだわりは何なのだろう? まあ確かに、『舞』より『まい』の方が合ってる外見だけど。
どうも、かわいさにこだわりがあるらしい。
「真実を知りたいんでしょ?」
「え……?」
「あたしと舞にどんな関係があるのか。そのために美汐と真琴を呼んだの」
思わず真琴と顔を合わせる。
(なんであたし達の名前を知ってるのよ)
「舞の知ってることならあたしは何でも知ってるよ。舞とあたしは一緒だからね」
えっへんとばかりに宙に浮き、腕を組んで反り返る。
そしてゆらゆらと揺らめく青のオーラ。
全てが彼女が日常という世界からあまりにかけ離れた存在であることを証明していた。
そんな少女が真実を教えてあげる、と申し出てきている。
いや、もちろん教えてもらえるのは嬉しい。
渡りに船のいいタイミングだ。
だけど、翻って考えるとそれはタイミングが良すぎないだろうか?
そもそも相手は人間ではない、『魔物』だ。
この友好的かつひどく俗っぽい態度は罠かもしれない。
「して、真実の見返りにいかなる約定をお望みですか? 化生の者よ」
目を鋭くして少女に問いかけると、少女は手を腰に当て、あからさまに不愉快そうな顔を見せた。
不愉快、と一口に言っても小動物のそれに近い。
「あーのーねー、そんな文語体にまで構えなくてもいいじゃない。だいたい『けしょう』って真琴もそうでしょ」
……言われてみればそうだった。
外見が人畜無害そうで言動がどこかマヌケでも、真琴は化生の者だった。
(ブンゴ隊? 化粧?)
駄目だ……1000歩譲ってもそうは思えない。
別の物を浮かべているのか真琴の発音は妙に狂っている。
同じ部類の存在としてもこの違いは何なのだろうか……。
「それに美汐だってその目、あたしたちとどう違うの?」
痛いところを突かれた。
闇夜で光る私のこの目もたしかに人間のものではない。
つまり、ここに居合わせる三人は全員が日常世界からのはみ出し者だった。
「……参りました」
「うん、素直でよろしい」
見かけや軽い口調と裏腹にこの少女は利口だ。
まともに問答してもとうてい敵わないだろう。
反論するだけ無駄なら向こうのペースに合わせよう。
「では、一つだけ教えて下さい。何故私達に真実を教えてくれるのですか?」
「うーん、何でって言われてもねー」
少女は腕を組みながら右に左にウロウロする。
そしてこちらに笑顔で振り向いた。
「お友達になりたいからっ……じゃダメ?」
「いえ、駄目も何も……」
否定をするにしても肯定するにしても困る答えである。
「だってあたしこんなんだから」
そう言って少女が体を両手を広げてみせる。
「こんな、とは?」
「普通の人には見えないし、お話もできない。美汐と真琴だけだったんだよ、あたしの声を聞けたのは」
「……そうだったんですか」
この陽気な性格で誰とも話すことができない。
だとすると『お友達になりたい』というのは十分すぎるほどの理由ではないだろうか?
(あれ?)
「どうしたんですか?」
(そういえば真琴の言葉を分かる人も美汐以外じゃ初めてだよ)
言われてみればそうだ。
『人』なのかどうかはともかく、少女は真琴の言葉を理解している。
「きっと運命なんだよ。あたしたちがここで会ったのは」
そう言って少女が手を差し出す。
「だから、お友達になろうよ」
額に拳を当てて唸る私。
どうしたものか……。
ここでこの手をつかもうものなら非現実街道まっしぐらだ。
いや、真琴を家に連れ帰った時点で既にこうなる運命だったのかもしれない。
(美汐、何してるの?)
「って、何してるんですかあなたは」
真琴の声に顔を上げると、少女が真琴を抱いて宙に浮いていた。
(だって楽しそうだし、あたしも言葉が通じて嬉しいんだもん)
「ほらほら美汐も」
「ああもう、分かりましたよ。お友達になります」
もうここまで来たらヤケクソだ。
やりたいようにやらせてやろう。
差し出された少女の手を握り握手する。
半透明な少女の手の感触は空気をつかむような感覚だった。
何かを掴んでいるという実感はあるのに、同時に存在しないと知覚される……そんな、なんとも言えない感覚である。
その戸惑いに気付いたのか、少女の顔が曇る。
「ごめんね……こんな体で」
「いえ、慣れてなかっただけですから」
少女は確かに魔物であり、言わばバケモノだ。
だけど、この少女は間違いなく人の心を持っている。
何気ないことで少女を傷つけたことに申し訳なさを感じずにはいられなかった。
「昔あるところに超能力を持った女の子がいたの。超能力ってわかるかな?」
「ええ、一般的な意味では」
握手を終えたところで、少女……まいさんは『真実を教えてあげる』と言って語り始めた。
(ねんりきしゅーちゅーぴきぴきどかーん、ってあれ?)
「……まあ、間違ってないですが」
「なんだか超能力使ってる本人の頭がとろけそう」
目線の高さを合わせるために机に登ってお座りしていた真琴の無茶苦茶な発音にいきなり気が抜ける。
肝心のまいさんまで呆れ顔だ。
(それでその女の子がどうしたの?)
「うん、女の子はその力のせいで皆にのけ者にされてたの。誰もそんな力なんか持ってないから女の子のことが怖かったんだね」
……今の流れで何故話が繋がるのだろう?
まいさんって真琴の扱いに慣れている?
いや話し上手というべきなんだろうか、これは。
「だけどそんな女の子にもある日友達ができたの。女の子の力も受け入れてくれる、ね。女の子はそれがとても嬉しかった。だけど……」
(何かあったの?)
「その友達は遠いところから来てた子で、お休みが終わったらそこに帰らなくちゃいけなかったの」
視線を落とし、地面に降り立つまいさん。
頭のウサギ耳が所在なさげに揺れていた。
「女の子はその子に帰って欲しくなかった。だから嘘をついたの」
予感がした。
そこに真実の核心があるという、そんな予感が。
ごくりと唾を飲み込み、まいさんの言葉を待つ。
「『魔物が来るの! 二人で遊び場を守ろう!』ってね。力で魔物を用意してまでついた嘘」
「魔物……では、まいさんはその時に生まれた?」
こくり、とウサギの耳が縦に揺れた。
「生まれた、というよりは放り出された……かな。あたし達はその子の中にいた力そのものだから。でも、あたし達が魔物になったのはその時からだね」
(それでその友達の子はどうしたの?)
今度はウサギの耳が横に揺れる。
「来るわけないよ。嘘なのはすぐにバレてたし、その子が帰るのは決まってたことなんだから」
「でもその女の子はそれに納得出来なかったんですね」
「そう。女の子はその事実を受け入れられなかった。そしてあたし達を拒絶した。あたし達がいるから嫌われるんだってね」
「その女の子の名前が……川澄舞なんですね?」
「びんごーっ! 美汐って頭いいね」
びしっと人差し指を突き出してふわふわ浮いてみせるまいさん。
今の会話の流れからして女の子が舞さん以外の人と考える方がおかしいと思うが……。
まいさんの知性を鑑みると、どう考えてもわざとだ。
ひょっとしてこれがまいさんの芸風?
(ふ、ふん。真琴はそんなの最初から知ってたんだから)
「いや、あなたも何を張り合ってるんですか」
遠まわしに馬鹿にされたと思ったらしい、真琴が知ったかぶりをしてみせる。
でも真琴、それは図星って言うんですよ?
「あたし達は舞の中に戻ろうとした。そこがあたし達のあるべき場所だからね」
「でも舞さんがそれを許さなかったわけですね」
「そう、それが舞の戦いの始まり。でもね、あたしはもう諦めてるんだ。このまま消えちゃっても、舞に討たれてもあたしはいいの」
「どういう意味ですか? そういえばさっきから『あたし達』と言われてますよね」
まいさんはこくんと頷くと、うつむき、辛そうな顔を見せた。
「美汐達も気付いてると思うけど、魔物はあたしを含めて五体。あたし以外は今も諦めてない。ううん、諦めるってことを知らないの」
「どういう意味ですか?」
(頭が悪いってこと?)
真琴……あなたは自分のことを棚に上げるって言葉を知ってますか?
「んー、真琴のは当たらずとも遠からずだね」
(やったー)
「いや、クイズじゃないですから」
喜んで机からずり落ちかけた真琴の尻尾をつかみ、元に戻してやる。
まいさんはその様子を見てくすくすと笑っていた。
「思考能力を持ってるのはあたしだけで他はそうじゃないの。美汐達も見たでしょう?」
「ええ。つまり、まいさん以外は本能的に動いていると?」
「まあ、ある程度性格の違いはあるけど概ねそうだね。他の四体は舞の体に戻ることを目的に動いてる。舞を殺してでも……ね」
淡々とした語り口、その内容にぞっとする。
自分の力が自分を殺しにかかってくるというその構図は考えるだけでも恐ろしい。
「それでね、美汐達にお願いがあるんだ」
「お願い、ですか?」
「うん。舞を助けてあげて欲しいの」
舞さんを助ける……それはつまり。
「私達に魔物退治の手伝いをしろと」
「簡単に言っちゃうとそうなるね」
「私達が戦力になるとは思えませんが」
逃げ回ることは出来ても、戦うとなると話は別だ。
私達はあくまで戦いを観察していただけに過ぎない。
「美汐なら戦えるよ。美汐は舞より強いもん」
「……そんなこと」
「少なくとも、舞はそう思ってるよ。そうでなければ美汐を追い返してるし」
舞さんが私を自分より強いと思っている?
あの人間離れした運動能力の持ち主の舞さんが?
「本当ですか?」
「言ったでしょ。舞の知ってることならあたしは何でも知ってるって」
確かに、私は魔物に対して恐怖を感じていない。
あの人知を超えた魔物の暴力は恐怖である。
しかし、面と向かい合えば攻撃が当たる気がしないのだ。
加えて、まいさんに正体を聞かされて恐怖心は一層薄くなった。
この眼の力があれば戦えるかもしれない……あの化物たちと。
だけど……。
「何故私が舞さんを助けなければならないのですか? それに、魔物のまいさんが私にそれを頼む理由が分からないのですが」
「まあ、そうだよね。美汐のそんな慎重なところ嫌いじゃないよ」
まいさんは溜息をつきながら机の真琴を抱き上げ、真琴を膝に乗せてぴょこんとその机に座った。
「このままいくと舞は死んじゃうの」
「……またいきなり唐突ですね」
「美汐も昨日見たでしょう? 『れい』の偽装能力」
「レイ?」
「あ、昨日美汐が見た魔物にあたしがつけた名前。幽霊みたいだから『れい』。その前に見たのは『めい』」
「そちらはどんな由来ですか?」
「無邪気に彷徨う者。迷うってところから『めい』。後は影の『えい』、破壊の『かい』がいる」
「れい、めい、えい、かい……」
「それとあたしね」
自分を指差し、にこっと微笑んでみせるまいさん。
その仕草や表情は魔物という物々しい響きの存在とはかけ離れたものだ。
本当にこの子は魔物なんだろうか?
いや、魔物だというのは分かっている。
だけど、この子が魔物に生まれたことが何故か無性に悲しいことに思えた。
代われるなら私がこの子と入れかわってあげたい。
彼女の方が私より人の世界で生きるにふさわしい、素直にそう思う。
だけど現実は物凄く不条理で……私は人間、彼女は魔物、その事実は変えられないのだ。
「美汐の悪い癖だね」
「はい……?」
我に返ると、まいさんが膝の真琴を猫撫でしている最中だった。
真琴はというと、気持ちよさそうに目を細めている。
小さな女の子とその膝の上の子狐。
それはどこかの童話の挿絵かと思える光景だった。
「そうやって考え込まないでさ、もっと目を開いてみようよ。きっと楽しいよ」
「その…私は……」
「うん、分かってるよ。そうしたくても出来ないんだよね。だけどいつかは」
まいさんはそこで言葉を止めて、真琴を見つめる。
「この子と一緒に……ね」
「……はい、頑張ってみます」
外見は子供なのに、私の方が背も圧倒的に高いのに。
だけど、まいさんの前では私は小さな子供だった。
そしてこの人の前では何もかもまっすぐに見られている気がする。
いつもなら耳を背けるはずの言葉も、しっかりと耳に入ってくる。
同じだ、舞さんと。
本当にこの人は舞さんと一緒なんだろう。
「話、戻すね。舞のこと」
「はい」
「れいの擬態能力は見てのとおりの死んだふりなんだけど、あれはまるっきり嘘ってわけじゃないんだ」
(あぅ、さっきからよく分からないんだけど。つまり、舞はどうなっちゃうの?)
頭に両前足を乗っけて、いかにも頭が痛そうにしてみせる真琴。
本人に言うのは何だが、ここまで話になんとかついてこれただけでも敢闘賞ものだと思う。
「簡単に言うと、舞はれいに騙されて偽者を斬るたびに、人間性や記憶を奪われていってる。ううん、自分で破壊していってるの」
「人間性を破壊……ということは昔の舞さんは」
こくん、とまいさんが頷き、自分を指差す。
「そう、これが昔の舞。舞はこんな子だったんだよ」
ぞっとした。
こんな性格の人物があそこまで現実を逸脱した人間になってしまうなんて。
「馬鹿だよね。自分を守るためについた嘘で自分を苦しめるなんて。もう舞は何のために戦ってるかも覚えてない」
「馬鹿って、あなた自身のことじゃないですか」
「うん……ほんと馬鹿だよ」
その昔、分かれるその瞬間まで彼女は舞さんと同一のものだったのだろう。
盲目の戦士として生きることになった川澄舞と、魔物として生きることになった川澄舞。
まいさんは涙をこぼしながら自嘲していた。
(美汐……まいをいじめちゃ駄目だよ)
その様子を眺めていた真琴が背伸びをしてまいさんの頬をぺろっと舐める。
「あははっ、くすぐったいー」
真琴を抱きしめて無邪気な笑顔を見せるまいさん。
わたしは思わず頭を下げた。
「いじめてませんよ。ですが、ごめんなさい」
「あはは、あはは…は…は、えぐっ…ぐす……」
どういうわけか、まいさんが今度は大粒の涙を流して泣き始める。
突然のことに私と真琴は顔を見合わせて固まった。
しばらく涙を流したあと、まいさんは右手でごしごしとそれを拭った。
「ごめんね。こんな体になって、誰かに優しくされたのって久しぶりだったから嬉しくって……」
……本当に、世の中はなんて不条理なんだろう。
何故彼女のような子がこんなに苦しまなくてはならないのだろうか。
彼女の居場所にふさわしいのは私なのに。
「それでね、偽物を斬るだけでそれだけの影響があるってことは、本体を斬った時の影響は計り知れないの」
(もし斬ったらどうなるの?)
「多分……体の自由を奪われていって、最後は完全に死んじゃうと思う」
「そんなことって……」
二の句が告げられなかった。
舞さんの過酷な戦いは自分を殺すための戦いだというのだ。
こんな皮肉な話があるだろうか?
「まあ、全部倒す前に舞が先に参っちゃうだろうけどね。二体も倒せば舞はろくに戦えないと思う」
ろくに動かない体で魔物に戦いを挑む。
無理だ。
舞さんは現状で魔物の少し上を行く程度。
そこから二まわりほど力が落ちては肉塊に変えられるのも時間の問題だ。
そして、残りの魔物の数が少なくなればなるほど舞さんに勝機はなくなる。
また、全てを倒しても舞さんは死ぬのだ。
既に戦う意味を忘れた舞さんはそこから逃げ出すこともできない。
なんと恐ろしい運命の檻なのだろう。
あれ? 何かおかしくないだろうか?
「何故、私が舞さんを助けることに意味があるのです? 自殺幇助に命をかけろと言うのですか?」
五体全てを倒せば舞さんは死ぬ。
ならば私が舞さんを助けて魔物退治を手伝っても意味がない。
「んむ、痛いところを突かれたね。確かに魔物を全部倒せば舞は死ぬ。だけど、希望がないわけじゃないの」
「舞さんを生き残らせる手立てがあるのですか?」
「五分五分だけどね。まず、あたし以外の魔物を全部倒す。最後にあたしが舞に討たれれば助かるかもしれない」
(あぅ……またよく分からないんだけど)
「魔物達は舞の分身だから、魔物達の苦痛が大きければ大きいほど、舞にもその苦痛が返っちゃうんだよ」
「つまり、あなたが最後に抵抗しないで倒されれば舞さんは持ち堪えられるというわけですか?」
こくん、と真剣な表情で頷くまいさん。
「瀕死状態に陥るかもしれないけど、峠を越せば舞は力なんてない普通の女の子として命を留められると思う」
力のない普通の女の子……今の舞さんは分からないが、彼女が戦い始めた時の望みだったに違いない。
そのために自分の命を捧げるというのは、やはりまいさんがかつて舞さんと同じものだったからだろうか?
(んー、魔物退治するなら最初にまいを倒しちゃったら駄目なの?)
「ぶっ」
真琴の唐突かつ無邪気に残酷な発言に思わず噴いた。
まいさんも唖然とした表情を見せている。
「うわぁ、この子かわいい顔して末恐ろしいこと言うねえ」
……あんまり焦ってはいなかったが。
(だって頭数を減らすのは戦いの基本でしょ?)
「淡々と怖いこと説明しないで下さい!」
ある意味正論だけに性質が悪い。
(あぅ、何で美汐怒鳴るの?)
「うにゅう、この子本気であたしを殺る気だよ~」
まいさん、脈絡なくおかしなキャラ付けしなくていいですから。
(狩りの基本だよ。まずは弱そうなのから……むぐーーーっ!)
とりあえずまいさんの膝から真琴を引っ張り上げ、口をつかんで無理矢理黙らせる。
真琴は腕の中でジタバタと猫キックならぬ狐キックを繰り出し抗議するがとりあえず無視。
これ以上御伽噺が壊れるのは何としても阻止しなくては。
「一応言っておくけど、知能がある分あたしは魔物の中で二番目くらいには強いよ?」
「まいさんも子供の言うことにムキにならないで下さい」
弱いと言われたのが癇に触ったのか、まいさんは握りこぶしをぷるぷるさせて薄ら笑いを浮かべていた。
もちろん声は笑ってない。
弱い強いの問題じゃないとは思うが、雑魚呼ばわりされたらやっぱり気分は悪いのだろう。
悪意のない暴言であれば尚更。
「こほん。子供の発言にムキになっちゃって。まだまだあたしも青いね」
「だからと言っていきなり老け込まなくても」
というか、転生前の歳を加算すると真琴はこの中で一番年上とも言えるのだが。
「まあ、真琴の言うことも変じゃないけどね。あたしが他の四体を始末させて何か企んでるっていうこともありえるわけだし」
「企んでるんですか?」
「ぜーんぜん。あたしはきれいバッサリ舞に斬られるつもりだよ」
「だと思いました」
両手を宙に投げ出し降参ポーズを取ってみせるまいさんに思わず笑みがこぼれた。
話してる内容は殺伐としたもののはずなのに、何故こんなに明るいのか不思議なくらいに。
「どうせ舞が死んじゃったらあたしも消えるしね。だったらもう一人のあたしを生かしてあげたいんだよ」
「本当に舞さんに似てますね」
「にゃ?」
頭についたウサギの耳が片方ピクンと震える。
……あれって自前なんだろうか?
なんだか一瞬どうでもいいところが気になる私だった。
「舞さんもそういう優しいところを時々見せますから」
「あははっ、そりゃ動物虐待なんかやってる美汐よりはねー」
「これは不可抗力です」
腕の中では真琴がむがむが唸りながらいまだにジタバタ暴れていた。
解放するとまたうるさそうなので、しばらく放すつもりはない。
「あたしは最後じゃなきゃいけないの。四体も倒したら舞も虫の息」
「苦痛を和らげないとトドメになってしまう?」
「うん。あたし以外は討たれる気なんてさらさらないだろうしね。弱った舞にその苦痛が返ったら助からないと思うよ」
だいたい状況がつかめてきた。
舞さんを助けるには、まず、まいさんを除く四体の魔物を倒し、最後にまいさんを討つ。
まいさんがすんなり倒れれば、舞さんに返る苦痛は最小限で済み、舞さんが辛うじて生き残れる余地ができる。
そして峠を越せば、舞さんは命を取り留められるというわけだ。
「私達は、弱った舞さんを助けて魔物を倒すというわけですね」
こくん、とウサギの耳が揺れた。
「舞が途中で魔物に殺されちゃったら本末転倒だしね。舞も強くなってきたし、フラフラ出てきてる『めい』や『れい』あたりはそろそろ討たれると思う」
つまり、このままいけば舞さんは遅かれ早かれ自滅の道を辿ってしまう。
「と、いうわけなんだけど……協力してくれるかな?」
一呼吸置いてまいさんが私を正面から見据える。
私の答えはもう決まっていた。
「お断りします」
拒否、それが私の答えだった。
「私にあなたを殺せと言うのですか? そんな酷なことはないでしょう」
「だけど、あたしを殺さなければ舞も死ぬんだよ?」
「命は数勘定できるものではありません」
わかっている。
まいさんの話が真実なら、まいさん達を倒すのが最善の道だ。
誰も助からないより、舞さんだけでも助かった方がいい。
まいさんのその気持ちはよくわかる。
だけど、仮にも友達になった私達にそれを頼むのは酷すぎないだろうか?
誰かを生かすために手を貸すのなら、多少面倒でも聞きはしよう。
だけど、誰かの死のために手を貸すなんて背筋が寒くなる。
そんな残酷なこと、私には無理だ。
受け入れられるわけがない。
「それに、そもそも自業自得じゃないですか、舞さんの。そのために関係ない私達に命の危険を冒せと?」
「それは……うん、そういうことになるんだよね」
まいさんは反論しようとして身を乗り出したが、すぐに顔を落とす。
しょぼんとしたまいさんに私は追い討ちをかけるように冷たく言い放った。
「笑えない冗談です」
違う、本当はそんなことは思ってない。
本当は私だって舞さんを助けたい。
だけど、舞さんだけが私の全てではない。
その戦いに身を投じ、怪我を負ったら、ましてや死んだりしたらお父さんとお母さんは どんな顔をするだろうか?
そして真琴はどうなる?
逆に私の見ている前で真琴が殺される可能性だってある。
いくら舞さんを助けたくても、足枷が多すぎる。
これが私一人の問題ならば何とかなったかもしれないが、やはり無理だ。
だから、私は後悔を残さないよう、まいさんに冷たく当たった。
「もう、ここには来ません。彼女に関わることもないでしょう」
私のことは嫌ってくれてもいい。
もう、忘れてください。
「さようなら」
真琴を降ろしてまいさんに背を向ける。
真琴はしばらく私とまいさんの様子をきょろきょろと伺い……
(ごめんね)
そう言って私の側に駆け寄った。
そのまま二人で教室の外へ……。
「待って」
出ようとしたところをまいさんに呼び止められた。
どこか切羽詰った声に思わず振り返る私達。
「この街から逃げて。できるだけ早く」
真剣な表情のまいさんから告げられた言葉はあまりに唐突で突拍子もないことだった。
だが、冗談で言っている言葉ではない。
その表情と口調が、明確に何かの危機を伝えていた。
「どういうことですか?」
「この街はもうすぐ消えてなくなるかもしれないの」
「な……?」
街が……消える!?
そんな馬鹿なことがあるわけ……。
「あたしたちが舞の力だって話はしたよね」
「それと街の消滅にどんな関係があるのですか?」
「あたしたちは舞の制御を離れてしまった力。言い換えれば、常に暴走状態で無秩序に増長を続けている」
「いずれ膨れ上がった力が暴発する?」
こくん、とまいさんが頷く。
真剣な眼差しは変わらない。
「あたしには他の魔物を制御する力があるけど、あたしも暴走している力の一つなのは同じ」
そう言ってまいさんは机から飛び降りると人差し指をぴんと立てた。
何が始まるのだろうか?
そう思った矢先、キンッという鋭い音とともに青い光が走る。
続いて起こる、何かのずり落ちる音。
大きな崩落音に振り返ると、教室の後ろにある掃除道具箱がど真ん中から真っ二つに『切断』されていた。
何か巨大な刃が通ったように、中の掃除用具も切り口に合わせて恐ろしいほど綺麗に切り落とされている。
(な、何? 今の!?)
人間技でも妖の技でもない。
私達が見たのは、まるで神か悪魔の力の一端だった。
「もう……ちょっと気を抜いただけで、指の先だけでもこんな状態なんだ」
自分の手を見つめながら自嘲するまいさん。
それだけで十分だった。
指の先の力が暴発するだけでこの威力。
それが全身ともなるとどんなことになるか想像もつかない。
ましてや、それが五体もいるとなると……果たして、この街だけで済むのだろうか。
「何故……教えてくたのです?」
あんなに冷たく突き放したのに。
すると、まいさんはにこっと微笑んで言った。
「だって、美汐と真琴は友達だから」
……と。
見抜かれていた。
真琴のような無心の信頼ではなく、全てを見通しているからこその信頼。
まいさんは私の本心をしっかりと把握していた。
やはり、この人にはかなわないのかもしれない。
「期限はあとどれくらいですか?」
「もって数ヶ月。運が悪くて今月の終わり。満月の夜は力がより膨れ上がるから」
(止める方法はないの!?)
まいさんは目を閉じて首を横に振った。
「あたし達が全員消えるか、舞が死んであたし達が消えるか……だけど、今のままじゃそのどっちにもならないだろうね」
猶予は数ヶ月、悪くてあと2週間ほど。
無理だ、今の舞さんでは勝負がつかない。
つまり、全ての破滅の時が来る可能性は極めて高いということになる。
「美汐達だけでも逃げて」
まいさんが私達に背を向ける。
「それが伝えられただけでも……二人に会えてよかった」
小刻みに震える肩、まいさんはきっと涙を堪えているのだろう。
私達との別れに対して。
今度は自分が別れに未練を残さないために。
(……美汐)
私を見上げる真琴に頷く。
「まいさん……私、戦います」
「……え?」
消えてしまう。
私達の家族も。
あの丘の生き物たちも。
そして、何も知らないこの街の人たちも……。
こんな話、誰も信じないだろう。
この街の運命を変えられるとすれば、それは私達だけなのだ。
誰かが何とかしてくれる、放っておけばどうにかなる。
そんないつもの逃げ場はどこにもありはしない。
ならば、私達が戦うしかない。
「でも、さっきは……」
「戦います。この街は、私の大切な故郷ですから」
(真琴も!)
私達に見つめられて、まいさんは一つ溜息をついた。
そして、表情を和らげる。
「うん、あたしもだよ」
とんっ、と真琴が跳躍し机の上に乗った。
誰ともなく差し出される三つの手。
手だったり、半透明だったり、前足だったりするけれども、それが真ん中で重なり合う。
「よろしくね。あたしも出来る限り手伝うから」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
(真琴も頑張るよ。この街も、みんな大好きだから)
三人で頷き合う。
私達の戦いは、ここに火蓋を切って落とされた。
大きなお知らせがある前に、とりあえず本編の後書きから。
さて、ついに本作最後のメインキャラクター、『まい』が登場しました。
原作で最後に舞に討たれた彼女と会話できたら、どうなるんだろうか?
原作で彼女が背負っていた物が、プレイヤーの想像もしていないものだったらどうだろう?
そう思って登場させてみました。
原作では、たった一人ですべてを背負って死んでいったことになる彼女ですが、
この物語ではどんな結末を迎えるでしょう?
楽しみにしてもらえると嬉しいです。
そして、ここからは、ちょっとしためでたいお知らせです。
突然ですが、驚くなかれ。
たった今、手元でこの『もう一つの物語』が完結しました。
間20年開いての連載再開。
そこから一気に駆けぬけて完結させました。
終盤の展開は、完全にキャラたちが私の手を離れて暴れ回ってくれました。
もともと、美汐に『書いてくれ。終わるまで、投げ出して別作品に行くなんて許さない』と言われて始めた作品でしたが、とても楽しかったです。
まだ掲載作業も終わってないですし、これから推敲を重ねてこちらにも投稿していくことになると思いますが、ひとまずは安堵してます。
良かったら、美汐ちゃんたちの戦いとその結末を見届けてやってください。
よろしくお願いします。
というか、今さらサイトに掲載しても感想を受け取る手段も用意してなかったので、それでこちら(ハーメルン)を利用させてもらってるという次第です。
代表作ぐらいは回収しておこうかなあ?
どれもこれも、今さら感想なんかもらえるとは思えないけど。
しかし、完結してから見て見ると、このころの佐祐理さんは本当に無神経ですね。
相手の気持ちも考えずに、言ってみれば押し付けがましく愛をふりまいている感じがします。
ただ、美汐には打算なく愛を振りまく真琴という存在がいるので、そんな佐祐理さんが小賢しく思えてしまったんでしょうね。