『もう一つの物語』   作:ミサ菓子折(LRA)

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1月14日(木曜日)

 

 

     1月14日(木曜日)

 

 

 魔物と戦うには武器がいる。

 いくらなんでも素手であれと戦うのは無理だ。

 しかし、どんな武器を使ったものだろうか?

 舞さんのような剣は重すぎる。

 予備の剣、というか刀だが、それを借りても私には使いこなせない。

 重さに振り回されて、相手の攻撃をかわせなくなってしまう。

 それに相手も止まっているわけではない。

 動きを妨げず、尚且つ相手を確実に討てる武器。

 すぐ手に入る物としては包丁が考えられるが、あれは危険すぎる。

 完全に相手に密着しなくてはならない。

 リスクの面でも、私の身体能力面から考えても無理だ。

 もう少々リーチのある武器でないと。

 とはいえ、ただの木の枝とかでは話になるまい、攻撃力が低すぎる。

 そこそこリーチを持ち、攻撃力も兼ね備えた武器……そんなものがあるのだろうか?

 案外そのへんに転がっている石ころを全力で投擲した方が効果があるかもしれない。

 いや……無理だ。

 撃ち落されるのが関の山だろう。

 とりあえず、帰ったら家の物置を調べてみよう。

 何かいいものが見つかるかもしれない。

 そんなことを考えながら、私は屋上までの階段を登っていた。

 

 

 

 

「お邪魔しま……」

「あっ」

 挨拶をしようとすると、佐祐理さんがあわてて口に指を持っていく。

 『しーっ』のポーズだ。

 何だろう? そう思いつつもとりあえずは黙って上に。

 屋上の前に敷かれたビニールシートのところにたどりついてその意味に気付いた。

(……すー)

 真琴が気持ちよさそうにお昼寝をしている最中だったのだ。

「……くかー」

 壁にもたれて、足を投げ出したまま、いびきをかいてる舞さんの膝の上で。

 動物二匹、という表現が似合いそうな二人である。

「どうしたんですか? 昼休みは始まったばっかりですけど」

 来たばっかり、にしては二人とも完全に眠りこけているのはおかしい。

 二人を横目にゆっくりお弁当を並べている佐祐理さんに尋ねる。

「佐祐理達は四時間目が自習だったんですよ。と言っても、もうほとんどそうですけどね」

「ああ、そうですね。三年生はもうすぐ卒業ですから」

 三学期のこの時期ともなれば、三年生は大学受験と卒業式を残すのみだ。

 私にとってはまだ先の話なのでよく分からないが、もう授業はあまり意味のない時期なのだろう。

「佐祐理も舞も、もう大学は決まってるんです。いつもは教室でおしゃべりしてるんですけど、舞が真琴ちゃんに早く会いたいって教室出て行っちゃいまして」

「それで、4限の間からこの調子ですか」

「あははーっ、そういうことです」

 壁際で寄り添っている動物二匹を眺めて、佐祐理さんは照れ笑いを浮かべた。

 無理もない。

 真琴はともかく舞さんの格好のだらしなさときたら……。

 真琴が膝の上に乗っていなければ、見えてはいけないところが見えているかもしれない。

 ただ、気持ちよさそうではある。

 私もそこに並び、足を投げ出して壁にもたれてうとうとしてみたい。

 もっとも、お腹が減っているので今はちょっと無理だが。

「不思議ですよね」

「はい?」

「舞って女の子達に結構人気あるんです。『凛々しい』って」

「そうなんですか」

 確かに、黙って立っていればそう見えなくもないだろう。

 背が高く、戦いの賜物か背筋もしゃきっとしている。

 容姿も決して悪くない。

 そう考えると、今目の前にさらけ出されている彼女のだらしない姿は、あまりに似つかわしくないものの気がする。

 もっとも、私はもういい加減見慣れてしまったけれども。

「でも、佐祐理は……こんな舞を見ているほうが幸せです」

 佐祐理さんの視線の先には、口を開けたまま天井を仰いでいる舞さんの寝顔。

 本当にだらしない。

 だけど、そこには見る者の気持ちを穏やかにさせる何かがあった。

 膝の上の真琴が耳をぴくぴく動かす。

 きっと、人はこういうのを『平和』と呼ぶのだろう。

「そうですね。私も、そう思います」

 お互いに頬を緩めて頷きあう。

 この人とこんなに打ち解けた気持ちで会話したのは初めてだった。

 それも目の前で眠っている動物二匹のおかげだろう。

 

 

「お弁当用意できましたし、そろそろ起こしましょうか」

「そうですね。真琴」

 佐祐理さんが重箱を開けるのを横目に真琴に手を伸ばす。

 背中をさすって起こそうとしたその時だった。

 お弁当の匂いに気付いたのか、真琴の鼻がひくひくと動く。

(…にく…まん……?)

 そして、目を閉じたまま何か呟いたかと思うと……。

 

 かぷ。

 

 と、舞さんの胸に噛みついた。

 寝ぼけている、壮絶に寝ぼけている。

 噛み付いているというよりは口を開けたまま、舞さんの胸に引っ掛かっているという状況だが、いずれにしろまずい。

 よだれが舞さんの服を汚している。

「真琴! 寝ぼけてないで起きなさい!」

 声を上げながら引き剥がしにかかる。

 が、肉まんを取られるとでも思ったかはしっと、舞さんの体にしがみつく真琴。

 そしてその状態で尚もはふはふと肉まん、もとい舞さんの胸を緩やかに咀嚼し続ける。

 困った……無理に引き剥がそうとすれば思い切り噛み付くかもしれない。

 子狐とはいえ、本気で噛み付いたら舞さんもただじゃすまないだろう。

 かといってこのまま放っておくわけにも……。

 現に舞さんの服はどんどん汚れていってる。

 

 はふはふ、はふはふ。

 

 恍惚とした表情で大事そうにお口の運動を続ける真琴。

 幻の肉まんは相当おいしいようだ。

 噛まれるがままになっている舞さんはというと、目をうっすら開けてどこか視点の定まらない目をして、こちらも恍惚とした表情を……?

「……んっ」

 舞さん、その色っぽい吐息は何ですか?

 

 はふはふ、はふはふ。

 

「……んっ、……ふっ」

 なんとも甘美な舞さんの吐息。

 見ているこっちの方がおかしくなりそうな……。

「はぇー」

 佐祐理さんも手を口の前に当てながらごくりと息を飲み、その様子を眺めている。

 どことなく顔も赤い。いや、多分私の顔も。

 

 はふはふ、はふはふ。

 

 って、見とれている場合か私。

「いつまで寝ぼけてるんですか!」

(あ、あぅぅううっ!?)

 真琴が口を広げた瞬間を見計らって間髪こめかみに拳を押し当てる。

 伝家の宝刀『ウメボシ』だ。

 真琴は大口を開けながら悲鳴をあげて首を左右に振ろうとするが、私の拳で固定されているのでそれもかなわない。

 そのまんまの体勢で、舞さんから真琴を引っぺがした。

 

 

 まったく人騒がせで破廉恥な狐だ。

 と、真琴の悲鳴でこちらも目を覚ましたのか、舞さんが目を擦っている。

 その顔は何かが腑に落ちないといった表情だ。

「舞、どうしたの?」

 親友のおかしな様子に気付いたのか、佐祐理さんが声をかける。

 舞さんはしばらく首をかしげた後、よだれで汚れた胸を押さえながら……。

「なんだかよく分からないけど……体の奥がじんじん熱い気がする」

 と言った。

「ふぇ、大丈夫? 風邪?」

 ふるふる。

「…風邪じゃない。なんだかとても気持ちよかった」

「はぇー……不思議だね。大丈夫ならお昼ご飯にする?」

 こくり。

 どこか納得のいってない様子だったが、頷き、佐祐理さんから箸を受け取る舞さん。

 佐祐理さんは大丈夫と聞いて、安心したのか、舞さんに重箱の一つを差し出し、いつもの顔に戻っていた。

 

 

 やはり、あれだけ大きいと感じるものも色々変わってくるのだろうか?

 そっと自分の胸に右手を持っていってみる。

 そして、軽く揉……もうとしたら、するっと手が抜けた。

 小さすぎる。悲しいまでに小さすぎる。

 せめてあと一回りはないと揉むなんてとても……。

(何やってるの美汐?)

 いい加減目を覚ました真琴が不思議そうに私の行き場を失った右手を見つめている。

 うめぼしの影響か、頭はふらふら揺れていてどこか危なっかしい。

 

 じーっ。

 

 見つめられている。

 思いっきり見つめられている。

 その罪のなさそうな顔を見てると、なんだか無性に腹が立ってきた。

 行き場を無くしていた右手を思わず真琴の頭に振り下ろす。

 ぽかっ、とかそんな具合に。

(あぅっ! 何でぶつの!?)

「私だって知りませんよ!」

 色んな意味で真琴に八つ当たりせざるをえない私だった。

 

 

 

 

 

 

 家に帰った私は、お母さんから物置の鍵をもらった。

 そして、それでしばらく誰も立ち入らなかった物置の扉を開ける。

(ケホッ、ケホッ)

 吹き込む風に積もっていた埃が舞い上がり、真琴が咳き込んでいた。

 

 

 我が家の、庭先にある物置には割と色々なものが置いてある。

 例えば困った時の日曜大工用品とか、置き場に困った書物とか、果ては冬場使われないお父さんのバイクも。

 バイクも入るくらいなので、物置というよりは倉庫と呼ぶべきかもしれない。

 整理はお世辞にもしっかりされているとは言えない。

 かなりいい加減に色々つっこまれている状態だが、私は嫌いではなかった。

 なぜなら……ここにはそれだけたくさんの思い出が埋まっているということだから。

 少し掘り返してみれば、それらと出会うことが出来る。

 ここはそういう場所として、家族に愛されていた。

(美汐、ここに何があるの?)

「色々です。ここなら魔物に対抗する武器があるかもしれませんし」

(ふーん。じゃあ、真琴も手伝うね)

 目を輝かせながら真琴が尻尾を振っている。

 ……どう考えても役に立ちそうもないが、まあいいか。

 ここなら真琴を楽しませるものがいくつも埋もれているかもしれない。

「では、真琴は下の方にある物を調べてください。私はしゃがまないといけないですから」

(おっけー、任せて)

 ててて、っと備え付けてある棚の下段を調べ始める真琴。

 前言撤回。

 あのミニサイズならかなり役に立ちそうだ。

 

 

 とりあえず、下は真琴に任せて私は上を探すことにする。

 まずは基本だが、工具入れだろう。

 ぱっと思いつくだけでも凶器の宝庫だ。

 棚の上段に置いてある工具入れを開けてみた。

 金槌、ドライバー、桐、釘……武器として使えそうなものは幾つもある。

 しかし、いかんせん、どれも短すぎだ。

 桐は使えるかもしれないが、こんなもので一突きしたところで魔物に効果があるのか怪しい。

 ふと、金槌などの奥に奇妙な物があるのに気付く。

 ハンドルのついた奇妙な鉄製の道具だ。

 何だろう?

 映画とかで見る、マシンガンやガトリングガンのような物に見えなくもない。

 上に乗っかっている邪魔なものをのけて取り出してみる。

 持ち手にハンドルと、それによって回るらしき輪がついているだけの珍妙な道具。

 首をかしげながらも、そのハンドルを回してみた。

 

 きゅるきゅるきゅる……。

 

 そんな音を立てて、何かが回転する。

 よく見ると持ち手の先端部分に何やら尖ったものが突き出していて、それが回転しているらしい。

 というか、ただの手動ドリルだった。それもドリル部分が折れた。

 お父さん、こんなゴミを工具入れの中に放置しないで下さい。

 そもそもドリルなんか何の目的で購入していたのやら。

 折れてるということは、何かに使ったのだろうけど。

(美汐、何それ?)

 回転音が気になったのか、折れたドリルを見たまま沈黙している私を真琴が見上げている。

 そうだ、いいことを思いついた。

 ちょっとからかってみよう。

「これですか? これは……」

 ガチャ、とわざと金属部分の音を響かせて真琴にそれを向ける。

 そして、ハンドルを一気に回した。

 きゅるきゅるきゅる、とハンドルが軋みを上げる。

 びくっと体を硬直させた真琴に向かって叫んだ。

 

「だだだだだーっん!」

(あぅっ、あぅっ、あぅーーっ!?)

 

 真琴が大きく後ろに弾け飛ぶ。

 そのままごろごろごろっと、ダンゴムシのように地面を転がり、壁に激突した。

 その衝撃で、上に置かれてあったらしいテニスボールが転がり、トドメとばかりに真琴の脳天を直撃。

 真琴は大の字になって地面に伏せ、というか倒れ状態。

 尻尾だけが天を向いて、ぴくぴくと小刻みに震えていた。

 ひょっとしなくても……やりすぎた?

 

(……みーしーおー)

 

 ギロっと、恨みがましく座った目が私を見上げている。

 誰が見ても怒っているだろう、これは。

「あの、その……ごめんなさい。つい」

 素直に謝る。さすがに、おふざけの度が過ぎたみたいだ。

(もうっ)

 ぷんすか、ぷんすかという音が似合いそうなしかめっ面で体を起こし、作業に戻る真琴。

 私もドリルは脇にやって、再び探索作業に戻ることにした。

 しかし、冷静になって考えると恥ずかしい真似をしたものだ。小学生か、私は。

 

 

 

 ノコギリ、バット、模擬刀、ゴルフクラブ、丸めた世界地図……物置には驚くほど色んな物が入っていた。

 しかし、どれもこれも私の手に合いそうなものはない。

 強いて言うならゴルフクラブだが、両手で扱うというのは大きなデメリットだ。

 動きが制限されてしまう。

 そもそもこんな打撃武器が効くのだろうか?

 舞さんの使っている武器から考えると、やはり『断ち切る』のが有効と考えられる。

 となると、やっぱり包丁くらいしか使えないのかもしれない。

 物置は何でもあるように見えて、どれも中途半端なものばかりだ。

(美汐、こんなのがあったけど……)

 真琴が下の段から何やら重量感のある物を引きずり出す。

 黒ずんだ木製の持ち手と、その先に取り付けられた斧と見紛う野太い刃。

 小振りながらも、見るからに強力な暴力性を秘めたその刃物は『鉈』だった。

「これは……鉈ですね」

(なた? それって強いの?)

「そうですね、真琴の首や私の手足くらいなら一振りでコロン……です。もちろん力があれば、ですが」

(じゃあ、それって凄く強いってことだね)

「ええ」

 真琴の足元に置かれた鉈を片手で拾い上げる。

 ノコギリなんかよりはるかに重いが、バットや模擬刀ほどではない。

 いや、むしろ、元より片手で扱う道具であるためか、感じる重さほど邪魔には思えない。

 試しにその場で軽く二三回ほど縦横に振ってみる。

 もとより片手で扱う想定の道具だ。使い勝手は悪くなかった。

 藪を払ったりするのに使うもので、断ち切る想定の物の中には竹も入っている。

 これを生き物に使うとなれば、間違いなく致命傷となるだろう。

 私には相手の攻撃をかわしてかわして、必殺の一撃を入れる瞬間を狙うぐらいしかない。

 見た目は武骨で女の子の持つ物としてあまりに不釣合いだが、これこそ私向けの武器だった。

 

 

「真琴、ありがとう。これなら使えそうです……って、あら?」

 足元にいたはずの真琴がいなくなっている。

 いったいどこへ? そう思ってあたりを見回すと、私の後ろから何かを必死に引きずり出していた。

「……真琴」

 引きずり出されたモノを見て言葉を失った。

 人の気も知らず真琴がぱたぱた尻尾を振って報告を始める。

(美汐、そんなのよりこっちが最強だよ。みんな怯えてたし、魔物だってこれで)

「あなたは私をモンスターにしたいんですか!」

 

 

 真琴が引っ張り出したモノ……それは、スプラッタ映画でお馴染みのチェーンソーだった。

 いったい、私の知らないところで真琴は何を見ているんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 物置から出ると、日はすっかり落ちていた。

 冬の日が落ちるのは早い、大体六時過ぎだろうか。

「美汐」

「……え?」

 玄関前で呼び止められる。

 振り返ると背広姿のお父さんが立っていた。

「あ、お帰りなさい。今日は早かったんですね」

「おいおい、それはお母さんの台詞だろう」

 それもそうだ。少し恥ずかしい。

 当然といえば当然だが、お父さんの目が私の右手に握られた鉈へと向かう。

「おや、懐かしいなそれ」

「はい?」

「その鉈、覚えてないか? お爺さんの使ってた鉈だよ。物置から持ってきたのかい?」

「ええ」

 右手の鉈をまじまじと見つめる。

 そういえばこれ、おじいちゃんが流しそうめんをする時、竹を割るのに……。

 そっか、じゃあこの黒いのはおじいちゃんの手垢なんだ。

「お爺さんは昔、林業をやっていたからな。それもその一つだよ」

「あ、それでチェーンソーが置いてあったんですね」

「チェーンソー……? ああ、あったな。小さい美汐が触れちゃ危ないって奥にしまい込んでいたよ」

「そうだったんですか」

 おじいちゃんらしい孫への思いやり、何か心の中が熱くなるのを覚えた。

 あの頃は、林業なんて言われてもよく分からなかったけれども今なら分かる。

 おじいちゃんがこの鉈をどのように使っていたのかも。

 うっすらと錆を被った刃から、おじいちゃんの命の残り香が確かに感じられた。

 

 

 おじいちゃん、おはなしきかせて。

 おじいちゃん、美汐、水族館でペンギンさんを見たいの。

 おじいちゃん、あのね、あのね……。

 

 

 おじいちゃんはいつもせがむ私に、よしよしと言って撫でてくれた。

 物心ついた頃、お父さんは忙しくて家にいないことが多かった。

 お母さんは家にいたけども、家事が忙しくて私にそこまで構うことは出来なかった。

 代わりに、まだ甘えたいざかりの私の相手になったのはおじいちゃんだった。

 お母さんのお父さん、つまり母方の祖父ということになるわけだが、祖母が亡くなってからは仕事もやめて老後をうちで過ごすことになったらしい。

 

 ちなみにお父さんの両親はまだまだ健在だ。

 健在どころか元気すぎるくらいで、家庭菜園で作った芋等がよく送られてきている。

 

 おじいちゃんは、毎日いつでも私の相手をしてくれた。

 今思えば、おじいちゃんも寂しかったのかもしれない。

 おばあちゃんに先立たれ、友人達も一人また一人と減っていく。

 そんな中、孫がなついてくれるのに嫌な気持ちはしなかっただろう。

 おじいちゃんは、私を目の中に入れても痛くないというほどに可愛がってくれた。

 そんなわけで、私はかなりのおじいちゃんっ子だったように思う。

 

 

 おじいちゃんのいた頃の私といえば、かなりの腕白でずいぶんおじいちゃんを困らせていたものだ。

 お馬さんごっこに、ちゃんばらごっこ、お父さん達には『生まれてくる性別を間違えた』とよく言われた覚えがある。

 でも、おじいちゃんはいつも『いやいや、ばーさんは昔もっとお転婆だった』と言っては、『美汐は将来きっとかわいい女の子になる』と言ってくれた。

 実際、小学生の小さい頃の話である。

 私と同じくらい腕白な子は決して少なくなかった。

 あの丘に繰り出すメンバーも、私一人だけが女の子というわけではなかったから。

 まあ、確かに女の子というよりは男の子寄りだった気もする。

 友達も男の子の方が多かった。必然的に喧嘩する相手も。

 良くも悪くもそれのせいで負けん気の強い性格が身についてしまったのは間違いないだろう。

 今でも冷静にとは思っても、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、知らず拳を握りしめてしまうことは多い。

 一応、あの頃からスカートをめくられるのには怒っていたので、女の子であったのは間違いないとは思うけども。

 

 

 あの丘、ものみの丘は遊び盛りな私達の格好の遊び場だった。

 森ではかくれんぼ。

 丘の草原では野球をやったり、フリスビーを投げたり……。

 その頃、同じ学年の子がうちの周りに集中していたこともあってか、近場のそこにみんなが集まることは多かった。

 都市部の子供が受験を意識し始めるかもしれない頃にも、土地柄か私達は変わらぬ日々を送っていた。

 まあ、小学生も中ほどになるとゲームなど他の遊びを覚えて、丘への足は遠のく者も確かにいたのだが。

 でも、丘で遊ぶ子供の数はあまり減らなかった。

 なぜなら、丘でしか会えない友達が出来たから。

 狐である。

 犬を飼ってる子も狐はやっぱり珍しいのか、狐を撫でている時は嬉しそうだった。

 その狐は妙に人懐っこく、最初少し警戒していたのが嘘のように私達になついた。

 お菓子を持っていったら喜び、ボールを投げたら嬉しそうにそれを追う。

 でも、枕にした子は怒ったその子に噛み付かれていた。

 今思えば……おかしいと感じるべきだった。

 その狐は決して大きくなく、子狐が少し育ったくらいの大きさだった。

 その子と私達が出会ってから過ごしたのは一年近く。

 なのに、その子は出会った時の大きさのままだった。

 もっとも、だからこそ私達は同じ狐が会いに来てくれているとすぐに分かったのだが。

 

 

 

 ざわわ……ざわわ……。

 私は丘に座っていた。

 夕日がさす、秋風の通るその場所で。

 大好きなおじいちゃんが死んだ。

 順番を守って死んだ、それだけのこと。

 お父さんも、お母さんも、私も生きている。

 おじいちゃんは一番年をとっていた。

 だから先に死んだ、それだけ。

 でも、私は残された。

 

『天野のやつどうしたんだ?』

『しーっ、そっとしておいてあげなよ』

『あ……そか。おい、みんな向こうに行こうぜ』

 

 みんな優しい。

 教室に事務の人が来て私を呼んだから、みんな知っている。

 私が二日、学校を休んだわけ。

 誰にも見せなかった涙を流していたわけ。

 ざわわ……ざわ……。

 音が乱れた。誰?

 気がつくと、私の傍にあの狐が座っていた。

 ……私を心配してくれてるの?

 返事をするかのように、その子は私の手をちろちろとなめた。

 あはは……くすぐったいよ。

 私は、涙を拭いながら狐を抱き上げる。

 そしてぎゅっと抱きしめて、また泣いた。今度は涙が枯れるまで。

 その子の耳に呟いた一言。

 

『寂しいよ』

 

 たった一言だけ。

 たった一言だけ私は弱音を漏らした。

 それがさらなる悲しみの引き金となるとも知らずに。

 

 

 それから、一週間。

 私の家に、新しい家族がやってきた。

 その子は『あの子』となって私の心に刻み付けられる……。

 

 

 

 

 

 

 

「ところで……それはともかく、何でそんなものを持ち歩いてるんだい?」

 お父さんの声に我に返った。

 目に映るのは、年月を感じさせられる鉈の表面に浮かんだ錆。

 どうやら、一時の間この錆に意識が吸い込まれていたようだ。

「あ、その……これは……」

 お父さんがあごに手を当て不思議そうに私と鉈を交互に見つめている。

 そして、傍らの真琴も。

 娘と鉈と狐、嫌でも気になる組み合わせだろう。

「ま、美汐が言いたくないならいいよ」

 だが、お父さんは食い下がらず、あっさりと追及をやめた。

 あまりにあっさりしすぎて拍子抜けする。

 こんな見るからに物騒な物を持っていれば、細部まで説明を求められそうなものなのに。

「あの、どうしてですか?」

「ん? 何が?」

「どうして訊かないんですか?」

「そうだな……」

 腕を組んで空を見上げるお父さん。

 ふう、っと白い息を一つ空に吐いて私達を交互に見つめる。

「やっぱり、最近美汐が活き活きしているからだろうね。何をしているのかは分からないけど、私達の美汐は悪い子じゃないって信じられるから、だから、何も訊かなくてもいいんだよ」

「……お父さん」

「ははは、さすがにちょっと買いかぶりすぎかな。さ、家に入ろう。ここは寒くていけない」

 笑いながら、お父さんが家の鍵を取り出す。

 信じてもらえないかもしれない。

 いや、信じられないと思っているから事実に目を向けないのかもしれない。

 私は信じられても、理由は理解できないから……だからお父さん達は距離を置いてくれているのかもしれない。

 その気持ちはとても嬉しい。

 だけど、この人には分かってもらいたい。

 この人には聞いてもらいたい。

 私が何をするつもりなのかを。

「お父さん」

「何だい、家に入らないのかい?」

「もし、もしですよ」

「……ん?」

「この世界がもうすぐ消えてしまうとして、その運命を変えられるかもしれないのが自分だけだったら……お父さんはどうしますか?」

「これはまたファンタジーだな」

 少し口を開け、驚いた素振りを見せながら、身近なファンタジー、すなわち真琴を見つめるお父さん。

 そう、ファンタジーは決して嘘なんかじゃない。

 存在するかもしれない、それがファンタジーのあり方なのだ。

 現実に、私達の前にはその一つが形を持って実在している。

「多分……」

 一旦私達から視線を外し、横を向いて呟いた後、お父さんは再び私達に目を向け……。

「美汐や真琴と同じことを考えるんだろうな」

 と言って私の頭をわしわしと強く撫で、次にしゃがんで足元の真琴の頭を撫でてくれた。

 頑張れ、と強く励ますように。

 

「…ありがとうございます」

(…あぅ)

 

 私達は、そんなお父さんに、感謝の気持ちでいっぱいだった。

 

 

 私達は死ねない。

 生きて、必ずこの家に帰る。

 

 

 

 

 

 

「…それは何?」

 夜の校舎で顔を会わせるや否や、開口一番に舞さんがそう言った。

 心なしか、若干驚いているようにも見える。

「鉈ですが」

「知ってる。それで何をするつもりなの?」

 何と言われても、深夜の学校に鉈といえば答えは一つだろう。

「魔物退治に使います」

「…それを?」

「はい」

「…………そう」

 かなり長く言葉に詰まった後、舞さんは何とか言葉を搾り出した。

 どうやら、色々な意味で肝を潰したらしい。

 いきなり私が魔物退治に加わる意思を見せただけでなく、あろうことかその武器は鉈。

 いくら無頓着の舞さんでも驚くだろう。

 私としては、この人にここまでの表情変化をもたらしたことに、どこかしてやったりな気持ちだが。

「…どうして?」

「どうして魔物と戦うか? ですか?」

 こくり、と舞さんが真剣な表情で頷く。

 中途半端な気持ちでこの場にいられても邪魔だと言わんばかりの鋭い眼光で。

「では、私から訊ねます。舞さんは何故魔物と戦うのですか? 誰に頼まれたわけでもないのに」

「…私は魔物を討つ者だから」

 舞さんの理由はまったく理屈になってない。

 ならば私も理屈をもって答えるのは無駄というものだろう。

 舞さんが出て行けと言っても聞くつもりはさらさらない。

「同じですよ。私も魔物を討つ者になったんです」

「そんなはずはない。この戦いは……私だけの……」

「ええ。舞さんとはちょっと違います。私達はある人に頼まれてここにいます」

「……ある人?」

 あまりに予想の範疇外だったのか、舞さんが混乱しているのが見て取れる。

 ある人とは言うまでもなく、まいさんのことだ。

 しかし、舞さんとまいさんは狩る者と狩られる者の相容れぬ関係。

 舞さんにそのことを教えるわけにはいけない。

 いや、そもそも舞さんはそれを理解することが根本的に不可能だ。

「…分かった」

 もう少し引っ張るかと思ったが、舞さんは意外に早く折れてくれた。

 この場合、諦めたと言うべきかもしれないが。

 そして、私に向かって手をすっと差し伸ばす。

 これは、握手?

「…目的が同じなら、この方がいい」

「仲間として認めて下さるということですか?」

「美汐なら……いないよりいたほうが役に立つ」

「……それは激励して下さってるのですか? それとも馬鹿にしてます?」

「さあ…よくわからない」

 飾らない舞さんの言葉を好意的に解釈すると『あなた次第』というところなのだろう。

 少なくとも『邪魔』とは言われていない。

 それは分かるが、もう少し言い方というものがないのだろうか?

 握手という友好姿勢を示しておきながら、仲間にかけるべき言葉ではない。

 まあ、もうその辺は事情を知っている私が我慢するべきか。

 今は舞さんと協力体制が取れたことでよしとしよう。

 そう思い、差し出された舞さんの手を取った。

 

 

「…ところで」

 お互いの手をぐっと握りめて、その直後。

 舞さんがひょいっと真琴を抱き上げる。

「どうしてこの子を連れてきたの?」

(あぅ?)

 宙ぶらりんになったまま、ぽけーっとする真琴。

 言われてみればそうだ。

 私は何のために真琴を連れてきたんだろう?

 確かに、まいさんと約束をしたとき、真琴もその輪に入っていた。

 しかし……。

 

 くりっとした、かわいい目にふさふさ尻尾。

 まるでヌイグルミのようにキュートなミニマムサイズ。

 

 一体それらがこの場でどう役に立つのだろうか?

「さあ……戦うんでしょうか?」

 尋ねられたのは私なのに、何故か尋ね返してしまう。

 その問いに舞さんはというと無言。

 訊かれても困る、ということだろう。

(やるよ。魔物なんて真琴一人で十分なんだから)

 問題の小動物は、勘違いなやる気を誇らしげに見せていた。

 真琴……意欲は買いますが、あなたはどう考えても戦力外です。

 いや、待った。真琴も長所があったではないか。

「まあ、耳や鼻は利きますし、意外に役に立ってくれるかもしれません」

 実際に単純に耳や鼻が利くだけじゃない。

 魔物の感知能力ならきっと私よりも上だろう。多分。

 背後の警戒なら安心して任せられる気がする。

(意外にって何よぅ! MVPはあたしなんだから)

 何がMVPですか、何が。

 どんどん俗っぽくなってくる妖狐の姿に溜息が出るのは私だけだろうか?

「何て?」

「戦うつもりだそうです」

「…そう」

 この人はこの人で何か他に感想はないんだろうか?

 そう思っていると、舞さんはきゅーっと真琴を抱きしめて、

「こうしてていい?」

 と、いつもの問いかけ。

「構いませんよ。真琴が嫌がらなければ」

 まあ、戦いで役に立つかは置いといて……。

 舞さんは真琴を抱けて嬉しいようだから、それだけでも連れてきた価値があったことにしよう。

 協力者のご機嫌をとるのはきっと大切なことだ、うん。

 などと、場違いなところで無邪気に戯れている二人の姿を眺めつつ思う。

 

(殺ってやる、殺ってやるー)

「…キツネさん」

 

 ……手元の小動物がどんな物騒なことを言ってるか、嬉しそうに抱きかかえている当人に伝えるべきだろうか?

 それ以前に、真琴はこの戦いの果てにあるものが何か本当に分かっているのだろうか?

 私達は、『まいさんを殺すため』に戦わなくてはいけないということに。

 いや……分かっているのかもしれない。

 真琴の命に関する認識なら、まいさんが舞さんを助けるためと決意をしたところで既に踏ん切りがついているのだろう。

 何より、もう消滅を免れないというまいさんの運命をそのまま受け入れているに違いない。

 そんな切り替えができることを羨むべきなのだろうか?

 でも私は……人としてそれは悲しいことだと思いたい。

 

 ぴくっ

 

 突如、真琴の体が激しく震えた。

 抱いていた舞さんが危うく真琴を落っことしそうになるほどに。

「どうしたんです?」

(しっ!)

 前足を口元に当てて、『静かに』の意思表示。

 慌てて私も口をつぐむ。

(何か聞こえた)

 ぴん、と耳を立ててあたりをキョロキョロ見回す。

 ただ事でない様子にそれを見ている私達にも緊張が走る。

(あっち……向こうに何かいる。多分足音。あいつらだと思う)

「向こう…ですか?」

 真琴が首を向けた方向を仰ぎ見るが、廊下には何の姿も見えない。

 だが、何かに気付いたのか舞さんは真剣な表情で真琴を足元に下ろした。

「あの、どちらへ?」

「見てくる。向こうに何かいる」

「では私も……」

「美汐はここにいて。あそこは危険」

 そう言って舞さんが視線を向けた先は階段だった。

 確かに、二人で戦うには狭い上に地形も最悪だ。

 身体能力の優れた舞さんならともかく、私はいつ足を踏み外すかわからない。

「分かりました。気をつけて下さいね」

 こくり。

 軽く頷くと、舞さんは姿勢を低くして走っていった。

 もう、戦いは始まっているということだろう。

 

 

 

 舞さんの背中が見えなくなったところで、緊張を解き鉈を下ろす。

 ふう、と息を吐き出して真琴の方に目をやった。

「どうしたんですか?」

 少しは緊張を和らげていると思ったのに、真琴は険しい顔をしたままあたりを警戒している。

(近くにいる気がする)

「え?」

(魔物。なんだか背中の毛が逆撫でされてる感じが止まらないの)

 聞き返さずとも、真琴が警戒する相手は一つしかない。

 だが、魔物は舞さんが追っていった。

 この近くにいるはずが……まさか!?

 魔物は合わせて五体いるのだ。

 つまり、同時に出現する可能性もあるというわけだ。

 いや、何故その可能性を考えなかったのだろう?

 むしろその方が自然ではないか。

 しかし、答えは分かっている。

 そのことを想像すると、あまりに恐ろしくて脳が考えることを拒否していたのだ。

 あんな魔物に二体同時に襲われたらそれこそ一巻の終わりだろう。

 一個体を、それも向かい合う形での戦闘は想定していても、複数を相手にすること、最悪挟み撃ちされるなどという事態は考えてもいない。

 私の眼も、見えない背後のことに関しては完全に無力だ。

 例え一個体が相手であっても、後ろを取られることだけは絶対避けねばならない。

(んー……気のせいかな)

 かぶりを振って、警戒を緩める真琴。

 直感が走った。その認識は危険極まりない、と。

「真琴、どんな気配も見逃さないで下さい」

(え?)

「こういう時、『気のせいか』と済ませるのが一番危険なんです」

 B級ホラーなどでもよくあるパターンだ。

 『気のせい』が本当に『気のせい』だったという例外はまずない。

 おまけに今の私達はというと、夜の校舎に魔物退治……まさにその絶好のシチュエーションにいる。

(う、うん。わかった)

 あたりに集中する真琴の傍で、鉈を振る動作をイメージする。

 相手の懐に入って一閃。大丈夫だ、やれる。

 これを叩き込まれればいかに魔物とはいえ無事で済むはずがない。

(あぅー、何か気持ち悪い……)

「どうかしたんですか?」

(何かね、見られている気がするの)

「見られている?」

(うん、なんかヌメヌメしたものがベトベトって感じで)

「意味がよく分かりませんが」

(とにかく、気持ち悪いの!)

 よく分からないが……まとわり付くような視線を感じるということだろうか?

 だけど私はまったく感じない。

 真琴だけが見られているのか、単に私の感覚が鈍いだけか、どっちだろう。

 いずれにしても、真琴がここまで何かに不快感を覚えているということはただ事ではない。

 どこから、何が来る?

 

 ギィ……

 

 嫌な音が空間に響いた。

 瞬間、嫌な気配を感じ取り私達は後ろに跳ぶ。

 にたぁー、と無邪気に嗜虐的な笑みを浮かべ、あの少女が空間の歪から姿を覗かせていた。

 その視線が向けられる先は真琴。

 表情から感じられる意思は、『見ぃーつけた』と言わんばかりの愉悦。

「まさか……めい!?」

 私が疑問を口にした瞬間、返答代わりに青い炎の巨腕が真琴に振り下ろされ、床を打つ。

 衝撃が校舎全体を突き抜けるが、そんな大雑把な攻撃は当たらない。

 真琴は小さい上に、私と同じような眼を持っているから。

(美汐、こいつ)

「狙われてるのは真琴です。下がってください!」

 獣も、自らに傷を負わせた相手のことはしっかりと記憶している。

 そればかりか、その相手を次からは憎悪する。

 手負いの熊が恐ろしいのは、それゆえである。

 彼らは自らに銃弾を打ち込んだ人間を決して許しはしない。

 この魔物、ここではじめて出会った『めい』もまた、真琴に手傷を負わされたことを忘れてはいなかった。

「私が相手です。かかってきなさい」

 後ろに下がった真琴の前に踊り出て、魔物『めい』の進路を塞ぎつつ、こちらに注意を向けるべく挑発する。

 言葉が分かっているかは問題じゃない。

 いかに眼を持っているとはいえ、真琴は非力すぎる。

 この魔物の猛攻を受けようものならたまったものではない。

 私が前に出ないと……そう思った時には体が動いていた。

「……キ」

 だが、魔物『めい』は怪音をわずかに発してこちらをちらりと見ただけだった。

 あくまで私の背の後ろにいる真琴を見ている。

 私など眼中になしということか。

 ならば、強制的にでもこちらに向いてもらう。

 

 

 たんっ、と地を蹴り、魔物『めい』に肉薄する。

 そして、鉈を左から右へと大きく払った。

 すんでのところで体をそらし、そのまま後転して距離を取る魔物『めい』。

 起き上がったその瞳にははっきりと私の姿が映し出されていた。

「キ、キ、キ」

「ええ、そうですよ。あなたの相手は私です」

 奇声を発するその化物に臆することなく存在をアピールする。

 魔物『めい』との戦いの幕開けだった。

 

 

 

 

 戦いへの恐怖はない。驚くほど私は冷静だ。

 相手を打ち倒すことも、相手に打ち倒されることも全て予想の範疇だ。

 眼前に迫った蜂を叩き落としたこともある。

 森で直面したマムシの頭を、とっさに踏み潰したこともある。

 相手は化物。黙っていたら私が殺される。

 だから、戦うのを恐れてはいけない。

 

 ぶんっ、と魔物『めい』の巨腕が振り下ろされる。

 半歩横に動き、それをやり過ごす私。

 遅い。隙だらけだ。

 桁外れに腕が大きいということを除けば、攻撃の起点からはっきりと読める。

 むしろ、かえって読みやすい。

 魔物『めい』が腕を後ろに引き絞る。振り下ろしの合図!

 相手の左腕が振り下ろされると同時に、今度は右足を斜め前方に大きく踏み出した。

 背後を巨腕が通り抜け、地に衝撃が走る。

 が、空振りは空振りだ。私には何の影響もない。

 魔物『めい』と私の間合は一歩分、足をもう一歩出せば届く。

 『当たれ!』

 そう強く念じ、鉈を全力で振るった。

 

 ガッ!

 

 確かな感触が腕に伝わる。入った!

 私の攻撃は魔物に通じる……のだ?

 鉈を振るった瞬間思わず閉じた目を開けると、目の前に魔物『めい』はいなかった。

 いや、いた。廊下の脇に転がりうずくまっている。

 勝った?

 そんな淡い希望を打ち砕くかのように、右腕を押さえながらのそりと立ち上がる魔物『めい』。

 覆っていた手を下ろすと、鉈にえぐられた傷口が露わになった。

 ざっくり切り裂かれたその腕に思わず目を背ける私だったが、それがおかしいことに気付いた。

 傷があまりに浅すぎる。

 私は鉈を本気で振るった。

 あの魔物『めい』本体の細腕なら、断ち切ってもおかしくないはずだ。

 それが僅かに皮と肉を裂いた程度というのはどういうことだ?

 頭がある推論を導き出す。魔物『めい』が廊下の脇に転がっていたわけを。

 間違いない、鉈が当たると同時に自分から吹っ飛び威力を殺したのだ。

 

 

「キ、キ、キ、キ、キ、キ」

 魔物『めい』の笑顔が引きつり、目がかっと見開かれる。

 同時に膨れ上がる左右の巨腕。

 よくもやってくれた、そんな強い怒りと殺意が私の体を射抜く。

「あ…ああ……」

 見ないと、相手の攻撃を見ないと……。

 なのに視界が揺れる、焦点が定まらない。

 手に残る、魔物『めい』を裂いた感触。殺し合いの感触。

 蜂や蛇が相手とは大違いだ。

 蜂や蛇がこんな激しい、まるで心臓を鷲掴みにするような怒りを見せるか?

 そんなのは蚊を潰すのとそんなに変わりない。

 私の目の前にいるのは正真正銘の人知を超えた化物なのだ。

 どうして私は、こんなのを相手に鉈を叩きつけてしまった?

 どこの世界に、眠る獅子の尾に噛み付く兎がいる?

 私がやってしまったのはそういうことだ。

 肩が震え、歯がガチガチと鳴る。足に力が入らない。

 気がついた時には、床に膝がついていた。

(どうしちゃたの美汐? 美汐!?)

 遠くから真琴の叫び声が聞こえる。

 おかしいな、真琴はすぐ傍にいたはずなのに……。

(美汐! しっかりして、美汐!)

 ああ、もっと遠くなった。でもいいや。

 これだけ遠ければ、真琴は無事だから。

 

(みーしーおーっ!)

「ひゃうっ!?」

 

 なにやら情けない声を上げて飛び上がる私。

 左頬に鋭い痛みが走ると同時に、流れ出す熱いもの。

 魔物『めい』の拳が左頬をかすめたようだ。

 しかし、それとは逆に鈍く激しい痛みが別の場所から起こる。

 真琴が私のお尻にこれでもかと言わんばかりにがっぷりと噛み付いていた。

「…ったいですね! 何をするんですか!?」

 お尻から引き剥がした真琴を宙吊りにして絞り上げる。

 もう、なんというか、今まで感じたこともないくらいにとんでもなく痛かった。

(馬鹿、美汐! 前、前!)

「前じゃないです。女の子のお尻に思い切り噛み付くとはどういう了見……っ!?」

(あぅっ!?)

 真琴と一緒に後ろからの衝撃で跳ね飛ばされ、床に転がる。

 背中に感じたのは魔物の巨腕ではなく、人間の手の感触。

 

 

「邪魔」

 舞さんだった。

「キ、キ、キ、キ、キ」

 同時に私達から目を離す魔物『めい』。

 怒りの矛先は舞さんに向けられたようだ。

 なるほど、本命の舞さんを前にすれば私達はどうでもよし、か。

 間を置かずして始まる舞さんと魔物『めい』の戦い。

 だが……。

「キ! キ! キ!」

「っ!?」

 敢然と突っ込んだ舞さんが一撃で吹き飛ばされた。

 命中はしていない。

 魔物『めい』の突き出した拳と、舞さんの剣がぶつかったのだ。

 だが、力比べは魔物の圧勝。

 舞さんは成すすべもなく床に叩きつけられた。

「……く」

 辛うじて受け身を取った舞さんだが、固い床に背中から落ちたダメージはかなりのものらしく、起き上がる動作が鈍い。

 何故? 何故、舞さんがこんな一方的に?

 そう疑問に思った瞬間、はっとした。

 舞さんには相手の姿はおろか呼吸も感知する術がない。

 だから、相手が手負いの荒れ狂う獣と化していることに気付かず突っ込んでしまった。

 結果、タイミングがずれ、思わぬ攻撃が舞さんを襲った。

 おまけに、あの乱雑だった攻撃が、怒りのためにかえって洗練され無駄のない動作になっている。

 考えてみれば当たり前のことだ。

 魔物は、『めい』は凶悪な獣がわずかばかりの理性を持っているような存在なのだから。

 理性のタガが外れれば、本能的な攻撃性が露わになる。

 そして言うまでもなく、そんな獣が倒れこんだ相手に取る行動は一つだ。

 一片の慈悲も躊躇いもなく、全力でトドメを刺す。それだけである。

 

 

 猛獣が飛び掛るように、舞さんに襲い掛かる魔物『めい』。

 右に左に、舞さんめがけて巨腕が絶え間なく振るわれる。

 舞さんはというと、まともに起き上がることも出来ず、床を転がり続けるばかりだ。

 もはや回避というより避難という表現が正しいかもしれない。

 このままではいつかやられる。

(美汐? しっかりして美汐! 舞がやられちゃう!)

 真琴の声にはっとした。

 私は何をのんびりと観察しているのだ。

 いや、今、私は何を感じていた?

 安堵、そう安堵だ。

 化物の注意が自分達から完全に逸れて、助かったという。

 何をしにここにやってきたのだ、私は。

 舞さんを苦境に追い込むためか?

 違う。舞さんを助けるためにここに来たのではないか。

 見ろ、魔物の背中を。隙だらけではないか。

 腰を抜かしている私など、既に眼中になしだ。

 今、動かなくてどうする。動け、動け!

 震える足を叱咤し、壁にもたれかかりながら立ち上がる。

 だが、足はガクガク震えて言うことを聞いてくれない。

 くっ、この! しっかりしろ!

 

 パシーンッ!

 

 夜の校舎に、大きく響いた乾いた音に魔物の動きが止まる。

 冷え切った腿に平手打ちは、涙が出そうなほど痛い。

 だけど、その痛みは体の芯まで染み込んだ恐怖を一瞬にして吹き飛ばした。

「あああああっ!」

 こちらを振り返り、呆然としている魔物『めい』に向かって叫び声を上げながら突撃する。

 慌てて飛び退こうとする魔物『めい』を逃さじと、余分に一歩踏み込んで鉈を振り上げた。

 

「ギイイイイイイアアアッ!」

 

 絶叫が校舎を揺らし、その衝撃に思わず目を閉じる。

 目を開けるとそこにはちぎれた左腕を右手に抱え、憎々しげにこちらを睨んでいる魔物『めい』の姿があった。

 左腕の切断面からは血らしき液体が滴り落ちては、床から蒸発し、消えていく。

 そんなおぞましい光景の中、不気味な沈黙が場を支配した。

 お願い、退散してください!

 足を思いっきり引っ叩いたのが裏目に出て、今一度攻撃をかけるのはもう無理だ。

 いや、再び私に向けられた膨大な殺意に体が動いてくれない。

「……キ」

 願いが通じたのか、それとも向こうも不利と感じたのか、小さく音を発したかと思うと、魔物『めい』は空気にすーっと霞んで消えていった。

 オーラも完全に消え去り、どうやら今日は完全に退散してくれたようだ。

 緊張を解いた真琴の姿を確認すると同時に、足の力が抜け、私はへなへなとその場に座り込んでしまった。

 あちこち痛いけれども、それでも私は生きている。

 自分が生きているという事実を不思議なくらい強く実感した。

 

 コツ、コツ……。

 

 リノリウムの床に、乾いた足音が響く。

 顔を上げると、起き上がった舞さんだった。

「……舞さん」

 相変わらずの無表情に、何を言ったものか困り、恐る恐る名前を呼ぶ。

 怒っているのだろうか? 足手まといな私の存在に。

 予期せぬ魔物の行動を呼び込んだ私の行為に。

「……え?」

 だが、舞さんはしゃがみこむと、何も言わず両手を私の肩に置いて顔を近づけ……。

 え? あの? 舞さん!?

「ま、舞さん。私達は女の子同士ですし、その……きゃっ!」

 生温かい感触が左の頬に伝わる。

 つまりペロっと舌でなめられた。

 突然のことに呆然としてしまう私。

 てっきりキスをされるかと思った。

「よかった」

 顔を離すと、舞さんはそうぽつりと呟く。

 左頬に感じるかすかだが、はっきりとした痛み。

 ひょっとして、さっき切られた傷を心配してくれているのだろうか?

「あの、何がよかったのでしょうか?」

「…顔に傷が残らないくて」

「私の顔なんてどうでもいいです。舞さんは……」

「どうでもよくない」

 舞さんは大丈夫なんですか? と訊こうとしたら、舞さんが強い口調でそれを遮った。

「…美汐の顔はきれいだから」

「はい!?」

「傷はない方がいい」

 私がきれい? 綺麗?

 何か舞さんにとんでもないことを言われたような……。

 親にも真面目な顔をして綺麗だなんて言われたことなかったのに。

 いや、毎日すり傷を作って家に帰っていた少女に綺麗だなんて言う親もいないだろうけど。

 未体験かつ唐突なその形容詞に頭が真っ白になる。

 

 

 そんな私から目をそらすと、舞さんは立ち上がり歩き始めた。

「あの、どちらへ?」

 慌てて我に返り呼び止める。

 舞さんはちらっと振り返り……。

「…帰って休むから」

 そう呟いて、とぼとぼと校舎の向こうへと去っていった。

 それを唖然として見送る。

 舞さんの姿が見えなくなって、しばらくしてから真琴と顔を見合わせる。

 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒……緊張が完全にほぐれた瞬間、私達は吹き出した。

 去り際の舞さんの言動がやせ我慢だったことに気付いて。

 やはり床に叩きつけられて背中が痛かったのだろう。

 『もう来るな』とは言わず、舞さんは平気な素振りを見せて帰っていった。

 舞さんなりに『私は大丈夫だから気にしなくていい』と伝えてくれたのだ。

(舞も素直じゃないね)

「そうですね」

 口で言ってくれればいいのに、そう思うと舞さんの少しおぼつかない足取りはおかしくて笑ってしまう。

 と、もう一つ忘れてはいけなかった。

 傍でお座りしている真琴を掴み上げる。

 不敵に頬を緩める私に、ビクっと震える真琴。

 その嫌な予感は間違ってない。

「真琴……」

(え、何?)

「お尻が物凄く痛いのですが」

(あ、あぅ、あれはキンキュージタイだったし)

「だからって本気で噛むことはないでしょう! 狐の歯がどれだけ鋭いか分かってるんですか?」

(あぅあぅあぅー!?)

 上下左右に真琴を激しく揺さぶる。

 頬の傷は残らないかもしれないが、お尻には一生物の歯型がついているかもしれない。

 というか、あまりにじんじん痛むので怖くてその部分を触る勇気が起きなかった。

 既に白いパンツは赤パンへと姿を変えていそうな気もする。

 

「あー、こほん」

 

 突然、空間に響いたかわいらしい声に真琴を揺さぶるのをやめた。

 人のものじゃないけど、安心できる声。

 まいさんの声だ。

「調教プレイ中悪いけど、ちょっとこっちに来てくれないかな。時間もないし早めにね」

「あ、いえ、これは……」

 調教プレイってなんですか、まいさん!

(まいー、美汐が動物虐待するー)

「人聞きの悪いことを言わないで下さい。元はと言えばあなたがお尻を」

「あー、もう。お尻の穴でもなんでもいいから早く来てってば」

 どうでもよくないです。

 私は一体どういう女の子なんですか。

「まいさん……わざと変な変換してますね」

「んー、あたしはお子様だからそういうのは分かんないんだよね。うん」

 ……絶対わざとだ。

(お尻の穴って見られると何だか恥ずかしいよね。真琴はいつも尻尾で隠してるけど)

 こっちは無視しよう。

 故意と天然の勘違い二名に溜息をつくしかない私。

 

 

「で、どちらに行けばよろしいのですか?」

「昨日の教室。分かる?」

「はいはい、今すぐ行きます」

「『はい』は一回」

「まいさん、本気で無視して帰りますよ?」

「あ、ごめんごめん。じゃ、待ってるからねー」

 小鳥のさえずりのように明るい場違いなテンションの声が、夜の校舎にこだまする。

 お尻以上に脳が痛くなってくる私だった。

 

 

 

 

 

 

「あ、来た来た。いらっしゃーい」

「何だか、いきなりフレンドリーですね」

 扉を開けると、まいさんが教卓の上から手を振っていた。

 出会って、まだたったの一日だというのに、随分馴れ馴れしい。

 いや、別に不快ではないが、客観的に見ればそうなるだろう。

「あ、そうそう。こっちこっち」

 来い来い、と手のジェスチャー。

「何ですか?」

「いいからいいから」

「……はあ」

 よく分からないが言う通りにする。

 真琴と一緒に教卓の前まで行くと、まいさんはぴょこんと飛び降りて私の周りを一周した。

 その表情はやや真剣味を帯びてて、見つめられている私もゴクリと唾を飲む。

 腕組みをして考え込んでいたまいさんがふわっと浮遊して、私の後ろに回った。

 一体、何を……?

 そう思った瞬間、微妙な空気の流れと冷気が背中に入り込んできた。

 

「ふむ、白。左に紅桜模様つき」

「って、何やってるんですか!」

 

 ガンッ、と水で満たされたヤカンを叩いたような音が響く。

 振り返ると、まいさんが不満顔をして頭を押さえていた。

「うう、ケチ。スカートをちょっとめくるくらいいいじゃない」

「どこがちょっとですか! それ以前にめくらないで下さい!」

 何を考えてるんだこの人は。いや、人じゃないけど。

 さっき頭を殴った音と感触は、人のものというより、無機物のそれだったから。

 それにしても紅桜模様とは……真琴に噛まれたところはやっぱり出血していたらしい。

「ごめんごめん、冗談。ちょっとじっとしててね」

 頭を押さえていたまいさんだったが、不満顔から一変、てへっとばかりに可愛らしい微笑みを見せた。

 多分、こういうのを小悪魔系の可愛らしさというんだろう。

 真琴のそれとは明らかに別属性のものを感じる。

「ちょいちょい、っと。よし、おっけ。いくよー」

 じくじく痛むお尻と、痺れるような痛みを感じる腿、それと鋭く痛む頬をまいさんが小さな手でちょんちょんと触れて、私の前に戻ってくる。

 そして、両手を組んで何か念じたかと思うと、元気よく両手を広げた。

「ひーりんぐ~」

 ぽうっと、まいさんの体を覆うオーラが青く発光したかと思うと、同じ物が私の体を覆う。

 次の瞬間、温かいものが私を包み、同時に体中から痛みが消えていった。

「あの、まいさん。これは……?」

「あ、言ってなかった? これが舞の『チカラ』だよ」

「これが……」

 手を頬に持っていく。

 撫でてみると、傷は完全になくなっていた。

「そ、治癒能力っていうのかな。条件さえ揃っていれば蘇生だって出来ちゃうよ」

 腕を組んでえっへんと反り返るまいさんを横目に、もう一度頬を撫でる。

 ついでに、痛みが嘘のように消えてしまった腿とお尻も。

 何も感じない。完全にいつも通り、いや、むしろいつも以上に調子が良くなっている?

 間違いなく本物の力だ。

 しかし、ならばどうして?

「何故なんですか?」

「ん? 何が?」

「こんな素晴らしい力がどうして拒絶されたのですか?」

 力は拒絶された。世間から、そして舞さん自身から。

 私は、初めて出会った魔物の凶暴さと、暴走した力が街を破壊するという話から舞さんの力は破壊の力だとばかり思っていた。

 私が舞さんの立場でそのような力を持っていたならば、きっと世間から恐れられ、自分もその力のことを嫌っただろう。

 だが、それが再生の力ならば……。

 そう思ったところで、まいさんが寂しそうに首を振る。

「そのことはまた今度にしないかな。今日は……もう時間がないから」

「あ……はい。すみません」

 そんな単純なものではないのかもしれない。

 私のこの眼だって、他人から見れば素晴らしいものと思えるかもしれない。

 事実、こうやって夜の学校にいると私自身ありがたいものに思える。

 だけど、私はこの力のことを決して歓迎したりはしていないのだから。

 何の考えもなしに疑問を口にした自分の軽率さを恥じた。

 

 

(ところで、時間がないって?)

「うん。今日はめいの時間だからね。あたしは本来出て来れないはずなんだけど、めいが帰ったから無理矢理割り込んだんだ」

「そうなんですか」

(あと何分くらいなの?)

「大丈夫。用件を済ませるくらいの時間はあるから。ていうか強引に作っちゃうけどね」

 くすくすっと悪戯っぽく微笑むまいさん。

 魔物を統率する力を持つと言うだけあって、何やら格上の威厳が感じられた。

「ま、それでも1時間くらいが限度だから手早く済ませるよ」

「はい。よく考えたら私達もそろそろ帰らないといけないです」

(あ、真琴も見たいテレビがあった)

 

 くいっと袖を引っ張られ、まいさんに教室の隅に連れて行かれる。

 そして小声で話しかけられた。

「…ねえ、あれ本当は何なの?」

「見ての通りの妖狐ですけど……」

「狐の妖怪がテレビ好き?」

「……みたいです。子供の夢も台無しですが」

「むー……あたしも人のこと言えた身じゃないけど何だかなあ」

「まいさんは一応『元』人間じゃないですか」

「そうなんだよねえ」

 二人して何となく脱力してしまう。

 いや、そもそもこの状況で『テレビ>まいさんの話』な思考が清々しい。

 

(二人とも何の話してるの?)

 とてとて、と私達の傍に寄ってきた真琴がきょとんと首をかしげる。

「ううん、何でもないよー」

「ええ、何でもないです。……多分」

 純真な相手に嘘をつくのは何だかむず痒いので、申し訳程度に小声で『多分』と付け加えておいた。

 一応これで嘘は言ってない。詭弁だけど。

(…なんだか、二人して真琴の悪口言ってない?)

 う……意外に鋭い。いや、私が余計な一言を付け加えたのがまずかったか?

「そんなことないよー。真琴ってかわいいねって言ってただけだから」

(真琴を誤魔化そうったってそうはいかないわよ。二人で真琴の悪口……)

「あー、そうそう美汐。その鉈ちょっと貸して」

 だが、まいさんは真琴の二枚も三枚も上だった。

 というか、そこまであっさり無視しますか。

 真琴も完全に話題から放り出されて黙るしかなくなってしまっている。

(あうう、話聞いてよぅ)

 訂正。ふてくされるしかなくなってしまっている、だ。

「これですか?」

「そう、それそれ」

 今、真琴にかまうとどうなるかは火を見るより明らかなのであえて私も気にしないことにする。

 三分もあれば立ち直るだろうし。

 

 

「ふぅん、美汐って随分いい趣味してるんだね」

 鉈を手に取ったまいさんは、しげしげとそれを見つめながらそう感想をこぼした。

「どういう趣味か分かりやすく教えていただけると幸いです」

「見敵必殺! 即時粉砕! もうなんていうか男のロマンだね」

「私は女なんですが……」

「ええっ!?」

 スカートまでめくっておいて……いてこましたろうかこのアマ。

 一瞬、そんな殺意が湧いた自分を慌ててなだめる。

「ええ、そうですよ。もう男の子のロマンでも女の子のマロンでも何とでも呼んでください」

 こうなればもうヤケクソだ。

 こっちから先に開き直って壊れてやる。

 そうすれば、まいさんもそれ以上はふざける余裕なんて……って、あれ?

「……えっと、その」

 何故かまいさんは恥ずかしそうに身をよじりながらもじもじとしている。

「美汐のえっち」

 ……?

 何か変なことを言っただろうか?

(美汐、マロンって何?)

「英語でクリのことですけど」

(女の子のクリっておいしいの?)

「いえ、それはロマンを入れ替えただけで深い意味は」

 ちらりと横を見るとまいさんは、さらに赤面していた。

 ウサギ耳のせいか、なんとなくお口が×印のウサギのキャラクターが思い浮かんでかわいい。

「……ちっさな女の子の前でなんて会話してるんだよー」

「あの、何がいけないのかよく分からないのですが」

「そんな恥ずかしいことあたしの口からは言えないよ」

 結局、何を恥ずかしがっているのかはさっぱり分からないままだった。

(男の子のロマンも女の子のマロンもすごくえっちなことなんじゃない?)

「そうみたいですね」

 まいさんのあの様子を見ているとかなり良くない言葉のようだ。

 他所で恥をかかないために、今後はとりあえず使わないでおこう。

 

 

 どうにかこうにか、まいさんも正気に戻ってくれたので話を本題に戻してもらう。

「うん。まあ、鉈って選択は悪くないと思うよ。確かにこれなら美汐の力でも十分効果あると思う」

「何か足りないことでも?」

「うーん、その、何ていうか古過ぎるかなあって」

 確かに。

 鉈の表面には細かい錆が浮き出ていて、どことなくボロボロな印象を受ける。

 そもそもおじいちゃんが使っていたものなので当たり前といえば当たり前だけど。

「それに柄の部分。こっちも古くなってるからいつ折れるか分からないし」

「……ですね。新しいものを買うべきでしょうか?」

 正直言うと、お小遣いから鉈を買うお金なんて出したくない。

 というか、どこの店で扱ってるのかも分からないから余計に面倒だ。

「ノンノンノン、心配無用。何のためにこのまいちゃんがいると思ってるんですか?」

「何故いきなり芸人口調……」

(おおー!)

 ちっちっち、と指を振るまいさんを見て、この人のノリには一生ついていけそうにないと何となく思ってしまう私。

 すぐに乗れる真琴の単純さがある意味羨ましい。真似たくはないけど。

「さあさあ、お立会い! ここに取り出だしたる鉈は何の変哲もない、古い鉈」

 ぶんぶんぶん、と鉈を私達の目の前で回転させてみせる。

 割と細部まで芸に凝る人だ。

「そしてこの鉈を……」

 ん……? え……? まさか?

「お腹に刺します」

 

 ブスリ! ドサッ!

 

「○×△□~~~っ!?」

(あぅ~~~っ!?)

 

 唐突に始まり、唐突に終わりを迎えた切腹ショーに声にもならない悲鳴を上げる。

 宙に浮いていたまいさんは、操り糸が切れたかのように床に力なく転がっていた。

「まいさん! まいさん、しっかりしてください!」

 急いでまいさんの体を抱き起こし、体を揺さぶる。

 だが、鉈はその腹部に深々と突き刺さり、まいさんの動く気配は全くなかった。

 そんな……そんなことって……。

 最後は自分を討つと、まいさんはそう言っていた。

 なのに、こんなに早く、自分で自分を始末してしまうなんて……。

「嘘だと言って下さい! ……まいさん」

 再度激しく揺する。

 だけど、まいさんはぴくりとも動かなかった。

(…ねえ美汐)

「何ですか? 真琴もまいさんの名前を呼んであげてください!」

 この光景を前に、なんでそんな落ち着いていられるのか?

 いくら命に無頓着とはいえそれはあんまりだ。

 

(あのさ、その鉈、とんがってないのになんで刺さるの?)

「……はい?」

 

 まいさんの体をさらに持ち上げて、腹を貫き背中から突き出た鉈を見る。

 本当だ。鉈の先端には刃がついておらず、とうてい刺さるとは思えない。

 狐につままれたように首をかしげながらまいさんの体を降ろすと、ぱっちり開いた二つの瞳が困惑げにこちらに向けられていた。

「えーっと、その……」

 言葉を失った私に、言葉に詰まるまいさん。

 しばらくそのまま沈黙が続く……かに思えたところで、まいさんが両手の人差し指を頬に当ててチャーミングポーズを取った。

「嘘ぴょーん。えへ」

 ちょうど引っ張ってくれと言わんばかりに目の前で揺れているウサギの耳をつかむ。

 それを左右逆の方向に絡めてきゅーっと引っ張った。

「いたたっ! やめて! その耳、自前だから。ごめんってば美汐」

 

(自前?)

「本物って意味です」

(ふぅーん。じゃあ、まいって耳がよっつもあるんだ)

 

「冷静に解説してないで放してー。そこほんとに痛いんだから」

 叫びが完全に悲鳴に変わってきたので放してやることにする。

 まいさんは頭を押さえて耳の無事を確認していた。

 しかし、この光景どこかで……ああ、真琴の尻尾をつかんだ時の反応にそっくりなのか。

 つまり二人とも体から伸びて突き出ているところが弱点というわけだ。

 優位に立つためにも覚えてこう。

(美汐、なんだか口元が緩んでるけど)

「いえいえ、なんでもありませんよ」

(……なんだか余計に嫌な予感がするんだけど)

 その予感は間違ってない、多分。

「それにしても、その耳、飾りじゃなくて本物だったんですね」

「うん。舞はウサギさんが好きだったから、多分あたしになった時にこの飾りも一体化しちゃったんだと思う」

 そう言って、耳をぴょこぴょこ動かしてみせるまいさん。

 うむ、見事なまでに自前だ。

 ついでに言うと、また引っ張りたい衝動に駆られる。

(ところで、まい。それ痛くないの?)

「これ? 平気平気。ていうか、これ取り込んでるだけで刺さってるわけじゃないから」

 真琴が前足で指す先には、まいさんのお腹に深々と突き刺さった鉈があった。

 本人は平気とは言っているが、見た目はご臨終寸前な姿で、ちょっと勘弁して欲しい。

 まあ、刺さってる本人の顔は活き活きとしているのでまだマシといえばマシだが。

「んー、そろそろいいかな」

 まいさんはそう言うと、鉈を更に押し込み、柄まで一度腹に埋める。

 そして……。

「えいっ!」

 海老ぞりになって体を震わせると、お腹に埋もれた鉈が勢いよく飛び出し、まいさんの 手に舞い降りてきた。

 ……なんていうか、爆裂産卵?

「はいっ、一丁あがり。刃の錆を取って、ついでに全体をあたしの力でコーティングしておいたよ」

「はあ、どうも」

「む、何その気のないお礼は。これでも結構疲れるのに」

「いえ、何がどうなったのかよく分からないので」

(あぅ、真琴も)

 口をへの字にして、頭をポリポリ。

 ウサギの耳がゆーらゆーらと揺れる。

「つまり、切れ味が良くして、ついでにちょっとやそっとのことじゃ折れないようにしたってこと」

「なるほど。それは助かります」

 確かに、よく見ると刃の部分の光沢が新品さながらになっており、全体的にも引きしまった感じがする。

 あと、まいさんの力の干渉のせいかうっすらと青いオーラが揺らめいているようにも見えた。

 伝説の鉈誕生? いや、何を考えてるんだ私は。

 頭に浮かんだ妙な単語を慌てて外に追い出す。

 

 

(それにしても、どうなってるの?)

「何が?」

(その中)

 びっ、とまいさんのお腹を指差す真琴。

 たしかに、一体どういう体の構造をしていたらこんな真似が出来るのか、私も気になる。

「気になる?」

「ええ、一応は」

「ふぅん……」

 邪悪な笑みをまいさんが浮かべる。

 ……何か訊かない方がいいことに触れてしまったような。

「やっぱりいい…」

(もったいぶらないで教えてよ)

 辞退しようとした私の声はあっさり真琴にかき消されてしまった。

「…では」

 真琴にこくんと頷くと、まいさんは服の裾を掴み……。

 それを一気にめくり上げてみせた。

「ぴろーん、なんちゃって」

 

 そこには何もなかった。

 いや、まいさんは女の子だから何もなくて当然。

 ……じゃなくて、そこを覆うはずのモノがない。

 つまり、その……まいさんはパンツをはいていなかった。

 わずかにくびれた腰に、なだらか且つぷっくりと肉のついたそこはある種芸術的な均整を保っており、見つめているとドキドキしてしまう。

 いや、違う。別に私にそういう趣味はない。

 だけど、普段隠れていて目にすることがあまりない人のものとなると気になって仕方ないではないか。

 実際、見とれるほど美しい曲線が形作られているし。

「…あのー」

「何ですか?」

「驚くとか、顔を赤くするとかしてくれないと困るんだけどな」

「…何故?」

「何故って、女の子同士でも、そんなに見つめられたらやっぱり恥ずかしいし」

 なら冗談で見せる方もどうかと思うが。

 普通女の子同士でも見せっこするものじゃない。

「そもそもどうしてパンツをはいてないんですか?」

「スカートにノーパンって結構気持ちいいんだよ」

「落ち着かないと思いますけど、色々と」

「んー、そう思うんだったら今度裸で毛布にくるまってみてよ。気持ちいいよ、絶対。それが癖になってきたらパンツなんか邪魔になってくるから」

 そういうものなのだろうか?

 今度一度試して……いや、この年になってそんな恥ずかしいことは無理。

 って、何をその気になってる私。冷静になれ。

 ちなみにこの間ずっとまいさんは裾を上げっぱなしたままだった。

 

(つるぺた…)

「いや、あなたも何を感慨深げに呟いてるんですか」

 

 

 

 ……閑話休題。

 

 

 

「何だか、余計なことしているうちに時間がなくなってきたからさっさと話を進めちゃうね」

 誰のせいだと思ってるんですか、誰の。

 などとは言うまい。また脱線するに決まってる。

「前にも言ったとおり、あたしは力そのものだから、この体も当然『力』そのものってわけ。むしろ体の中は力の奔流って感じになってるの」

「つまり、溢れかえった力が体の中には渦巻いている?」

「そういうこと。だからこの体の中に物を入れれば魔法みたいなことも出来ちゃうんだね」

(あぅ、電子レンジ?)

「あはは、よく似たものかな。舞の武器もそうやってあたしが作ってあげたの」

「……え?」

「あれ? 変だと思わなかった? あんな武器、普通は手に入らないと思うけど」

「いえ、それは納得なんですが……」

 衝撃を受けたのは、まいさんが自分を殺すための道具を舞さんに与えていたということだ。

 私が言葉に詰まっていると、まいさんは溜息をついて自嘲した。

「分かってるよ。あたしがおかしなことをしてるってのは。舞に戦うのをやめて欲しい。だけど、武器をあげないと舞は死んじゃうから」

「それは……分かってますが」

 まいさんと舞さん、その二人の運命を考えれば考えるほど胸が苦しくなる。

 ある時まで同一のものだった二人。

 それが片方は憎しみを持って、もう片方は慈しみの心を持って相対してるのだ。

「あー、もう。辛気臭いのはなし! あたしはこの姿になって楽しむところは楽しんだ。空を飛んだり、楽しい話をたくさん聞いたり。でも舞はそうじゃない。舞はあの日から一度も笑えてない。あたしはそれを舞に返してあげるの、OK?」

 一気にまくしたてて、ふんっとまいさんが鼻を鳴らす。

 その姿が滑稽で、ついつい吹き出してしまった。

「ふ、ふふ、明るい自殺希望ですね。悲しむのが馬鹿らしく思えてしまいます」

「それでいいんだって。美汐達のおかげで最後の心残りも吹っ切れたしね」

「最後の、心残り?」

「そう、こないだまで舞にはあってあたしにはないものが一つだけあった」

 ……? そんなもの何かあっただろうか?

 私達が来て、まいさんにもそれがあるようになったとなると……何なのだろう?

 悩んでいると、真琴がとことこと前に出て口を開いた。

(佐祐理さんのこと?)

「うん」

 こくっと頷き、私達に背を向けるまいさん。

「舞にあってあたしになかったもの、それは友達」

「…まいさん」

 小さく寂しげな後姿に対して私はかける言葉が見つからなかった。

 だが、まいさんはすぐに振り返る。持ち前の明るい笑顔を見せて。

「最後の日まで友達でいてくれると嬉しいな。そうすれば、あたしはきっと幸せだったと思えるから」

 決意を秘めた少女の瞳。

 私達はそこから目を逸らすことが出来なかった。

「忘れません。まいさんのことはいつまでも」

(真琴も忘れないよ)

 それを聞いたまいさんは、何を思ったか突然私に抱きつき頬にキスをする。

 続いて、真琴を抱き上げて真琴の頬にも。

 そして照れ笑いを浮かべて言った。

「えへ、大好きだよ二人とも」

 

 

「……と、ほんとに時間がなくなってきたね」

「もうこんな時間ですか」

(あぅ、テレビ始まっちゃってる)

 三者三様の時間に関する感想。

 一人だけ何か温度差を感じるが気にしないことにしよう。

「そうそう、その鉈だけど校舎の好きなとこに置いといていいよ。美汐が使ってない時はあたしの力で人の気に止まらないようにしておくから」

「いいんですか?」

「うん、舞もそうしてるしね。あ、だけど廊下の真ん中とかはやめてよ。ある程度は人目に触れないところの方が気をそらすのもやりやすいからね」

「わかりました。下駄箱の上にでも置いておきます」

「あー……うん、OK。そこならあたしも助かる」

 正直こんな物騒な物を持って出歩くのはどうかと思っていたのでありがたい申し出だった。

 これでわざわざ裏を回って学校に来なくても済む。

「それと……最後に良くない報告」

「え?」

 まいさんの声のトーンが下がる。

 それはまさに不吉の前兆。

「今日、めいが来る前に魔物の気配があったでしょ?」

(あ、うん。舞が探しに行ってたけど、あれ真琴達の前に出た魔物の気配じゃなかったと思う)

「うん、そうなんだ。結論から言っちゃうと、影の『えい』が少しの間出てたみたいなの」

「何かまずいのですか?」

「今まで魔物は二体同時に出現することは無かった。ううん、舞にも他の人にも危険だからあたしがそう抑えていたの。あ、ついでに出現時間が夜になってるのもあたしの力」

「なるほど。夜に、それも一体だけでしたら危険度は幾分か減りますね」

 あんなものが昼間に複数校舎で暴れ回ったら大惨事となるだろう。

 いや、待て。今、まいさんは何と言った?

 まいさんの抑制が効いていない?

 その事実の恐ろしさにはっとした私の心を読み取ってか、こくんと頷くまいさん。

「そう。あたしの力が制御できなくなってきているのか、他の魔物の力の暴走が激しくなってきているのか、多分その両方」

(あぅー、どういうこと?)

「つまり、タイムリミットが近いということですね」

「うん。もう今月の終わりあたりの満月の日が最後かもしれない」

「……残り、二週間」

 

 思わずギリッと歯を噛みしめる。

 あまりに時間が少なすぎる。

 それだけの時間で四体倒しきれるのか?

 一体倒すごとに舞さんはあてに出来なくなる。

 加えて、魔物のうち二体はいまだ正体がつかめてもいない。

 

「まいさん、私達が出会ってない魔物について知っていることを……」

 教えて下さい、そう言おうとして言葉が止まった。

 まいさんの体が薄くなり始めている。

「ごめん、今日はもう限界。出現時間の制限を解いてしまえばいくらでもいられるんだけど、それは猛獣の檻を壊すって意味だからね」

「他の魔物も自由になるということですか」

「うん。これを解いちゃったら明日にも最後の日が来ちゃう」

 ばつが悪そうにうつむくまいさん。

 時間が無い、自分の身を自由に出来ない、アドバイス出来ない、協力を要請したものとしてこれほど心苦しいことはないだろう。

 だけど……。

「気にしないで下さい。この鉈を一日も早く届けようとしてくれただけで十分です」

 そもそも今日も無理して出てきてくれたのだ。

 それでこんなものを作ってくれたのだから、むしろ感謝すべきだろう。

 雑談だって、まいさんにそれをするななんて言うのはあまりに酷なことだ。

 まいさんにとって人と話せる時間はかけがえのないものなのだから。

「また今度、時間のある時、ついでに昔話でも聞かせてください」

「ありがと、約束するよ。じゃあ、二人とも……お休みなさい」

 まいさんはにこっと微笑むと、右手を振りながら空気に溶けていった。

 

「お休みなさい、まいさん」

(じゃあね、まい)

 

 

 色々あったし色々あるけど、今日はひとまずおやすみ。

 明日は明日の風が吹く、どこかで聞いたそんな言葉が思い出された。

 

 

 




初期の時点では美汐のイメージが、随分原作と違っていると思われた方も、今回の話で納得してもらたんじゃないでしょうか?
美汐は昔こんなのだった、というより、こんな子がこういう経過で原作の美汐になったって感じです。

あと、個人的に、こういう過去があったのなら美汐が『本当に…いい子たちだから…』と原作で語るのにも繋がるかなあと。
祐一と違って、一方的に助けられた側ってわけですね、美汐は。
いや、まあ怪我をした狐を拾って、のパターンだとものみの丘の狐ってみんな同じパターンかいってなっちゃいますし。

そして、『まい』がとにかく明るいおかげで救われてますが、真面目に考えると『まい』の境遇はとにかくヘビィだと思います。
自分が同じ状況に置かれた時、こうも割り切れるだろうかとは思いますね。
ただ、原作シナリオよりは現時点でもかなり救われてるとは思います。
原作シナリオでは誰にも理解されないまま、一人で背負って死んでいったわけですからね、彼女。
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