『もう一つの物語』   作:ミサ菓子折(LRA)

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1月15日(金曜日)

 

 

     1月15日(金曜日)

 

 

「ふ…あ……」

 箸を片手にあくびをかみ殺す。

 その様子を佐祐理さんがおかしそうに見ていた。

「眠そうですね、美汐ちゃん」

「昨日遅かったので」

「一年生なのに大変ですね。都会の大学でも受けるんですか?」

「あ、いえ、ただの夜更かしです」

「ふぇ……ダメですよ。夜更かしはお肌によくないです。せっかく美汐ちゃんは綺麗な顔してるんですから」

 

 んぐっ!

 

 箸につまんでいた豆か何かを噛まずに飲み込んでしまった。

 慌ててお茶を注ぎ込み呼吸を整える。

「……それ、本気で言ってますか?」

「はい?」

「私の顔がどうこうということです」

 さすがに自分で綺麗などと言うのは憚られるのでちょっとぼかす。

 すると、佐祐理さんは両手を胸の前で合わせてにっこり微笑んだ。

「もちろんですよ」

「…本当ですか?」

「はいっ」

「本当に本当ですか?」

「佐祐理が並んだら見劣りしちゃいます」

 しばらくじーっと佐祐理さんの顔を眺める。

 ついでに今朝鏡に映った自分の顔を思い出す。

 中途半端に髪を長くしてるためか、かなり寝癖が酷い。

 櫛を通していくのが面倒くさくなって湯を張った洗面台に頭を突っ込む。

 洗顔と寝癖直しを同時に行う裏技、もといズボラ技だ。

 

 それはともかく結論。

 

「…鏡で自分の顔をよく見てから物を言ってください」

「はぇ?」

 素で言ってるのだろうが、余計にそれが癇に障った。

 他人の容姿を褒めるのに自分を引き合いに出すのは良くないというのがよく分かる。

 だいたい、このお嬢様は自覚を持つべきだ。

 はっきり言って、私が今まで見てきた老若男女の中でも外見の美しさは群を抜いている。

 まあ、中身まで美しいかどうかなど誰にも分かったものではないが。

「ねえ、舞もそう思うよね?」

 真琴と肩を並べて黙々と重箱の弁当に向かっている舞さんに声をかける。

 今更だが、この二人も傍で食事中だ。

 舞さんは口に箸を入れたまま、しばらく停止する。

 ……いや、これは考え込んでいるのか?

 そして、次の瞬間。

 

 ザクッ!

 

(あぅーっ!)

 隙をついてタコ型ウインナーを掠め取ろうとした真琴の鼻先を無言で突いた。

 二本の箸をグーで握って的確に鼻の頭をぐさりと。

「…で、何?」

 そんな何事もなかったかのように……。

 舞さんの膝元で鼻を押さえて悶えている真琴が哀れだ。

 さすがの動物好きも好物の前には容赦無しとは、げにも恐ろしきかな食べ物の恨み。

「だから、美汐ちゃんってきれいだよねって」

 舞さんの反応は無言。

 いや、真剣に悩んでいる。

 じーっと私を観察している。

 やがて、結論が出たのか、こくんと頷いた。

「…若いし」

 それは褒め言葉と取っていいんだろうか?

「すじは悪くない」

 あの、何の話してるんですか? 舞さん。

 真剣な顔で舞さんが語っているのは武道の話にしか聞こえなかった。

「あははーっ、やっぱりそう思うよね」

 なのに分かったつもりになって喜んでいる佐祐理さん。

 こっちはこっちでおめでたい人だ。

「真琴ちゃんもそう思うよね?」

(うん。ゾウの次くらいにはかわいいよ)

「やっぱりそうですよねー」

 真琴が頷いたのを肯定と取ったのかますますはしゃぐお嬢様。

 はっきり言って、いい加減うるさい。

 まあ、それは今に始まったことでもないのでどうでもいいとしよう。

 問題はこっちだ。

「ゾウって何ですか?」

(何って、大っきくて鼻の長い動物)

「…ぱおーん」

 舞さん、あなたには訊いてません。

 だいたい、『ぱおーん』なんて答えになってないし。

「誰もそんなことは聞いてません。ゾウの次とは何ですか?」

(ゾウだから、サルより下で、ペンギンより上だよ)

「なるほど。私は猿以下ですか、そうですか」

(舞はタコくらいで、佐祐理は桜くらいかな)

 どういう基準なのかさっぱり分からない。

 というか軟体動物や植物まで混ざってるし。

「褒めてるんですか? 馬鹿にしてるんですか?」

(あぅ? 褒めてるに決まってるじゃない)

 ……褒めてるらしい。タコでも。

 どういう序列になってるのかまでは訊きたくなかった。

 訊く意味もなさそうだし。所詮は狐の判断基準だ。

 私達がクジャクをきれいと思ったり、ゴキブリを醜いと思ったりするのと同レベルのことなのだろう。

 そう思うと怒る気も失せる。

 

 

「はぇー……やっぱり」

「はい?」

 溜息をついていると、佐祐理さんが何か感心したように呟く。

「何か?」

「いえ、美汐ちゃんって真琴ちゃんと会話できるんだなーって。前からそんな気がしてたんですけど」

「……あ」

(できるよー)

 指摘されてはっとする。

 ついうっかりごく自然に人前で会話をしてしまっていた。

 いや、舞さんの前では普通に会話していたのでその癖が昼間にも出てしまったようだ。

 ここは何とか誤魔化す方法を……頭の危ない人と思われるのはごめんである。

「ええ、まあ真琴は特別な狐ですので」

「特別なんですか?」

「『FOX HOUND』という部隊で特殊訓練を受けた狐なんですよ。真琴はその中でも特に優秀ということで『グレイ・フォックス』の名を与えられていたそうです」

「はぇー……そんな特殊部隊があったんですね。初めて聞きました」

「ええ、ですがサバイバリティで犬に劣るということで計画は断念。部隊は事実上解体されてしまいました」

(…真琴はそんなとこにいたことないけど)

「人のぬくもりを覚えた狐を野に戻すのはかわいそうということで、この子はうちに引き取られたんです」

「そうだったんですか。真琴ちゃんも大変だったんですね」

 真琴を完全に無視して話を進めたが、完全に嘘は言ってない。特に最後の方。

 なにやら白い目で舞さんがこっちを見ている気もするがそっちも気にしないことにする。

 しかし、こんなでっちあげを信じるとはおめでたい人だ。

 からかって楽しむ分には悪くないかもしれない。

「…美汐」

 などと思っていると、しびれを切らしたのか舞さんが私の名を呼ぶ。

 嘘くらい合わせてくれてもいいのに、そう思いつつも仕方なく振り向く私。

 舞さんは真剣な表情で私を睨み、『嘘はいけない』と……

 

「感動した」

 

 ずるっ!

 本当にこけそうになった。

「本気で言ってるんですか!?」

「…何か悪いの?」

 本気と書いて『しんけん』そのものだった。

 って、言ってるそばから食事を再開しないで下さい!

 どういう神経をしてるんだこの人は。

「美汐ちゃんは知っていますか?」

「はい?」

 舞さんに呆れていると、真琴に自分のお弁当箱からタコ型ウインナーを出して与えながら佐祐理さんが私に問い掛ける。

「この地域に伝わる古いお話です」

「えっ?」

「このあたりには不思議な力を持った狐さんが住んでいるそうです。人間とお友達になりたくて時々山から下りてくるって言われてますが……」

 

       「まるで真琴ちゃんみたいですね」

 

 佐祐理さんはそう言ってくすっとはにかんでみせた。

 ひょっとして、この人は気付いて……?

「うむ」

「って、何で舞さんが分かったようなフリをするんですか!」

 本日二度目のずっこけ。

 この人が何も分かってないのはさっきの反応で丸分かりである。

「あははーっ、さすがだね舞」

 こっちもこっちで何も分かってない人を褒めないで欲しい。

 だいたい何が『さすが』なのやら。

「でも、懐かしいお話ですね。舞は聞いたことないの?」

「うむ」

 さっきと矛盾してますよ……舞さん。

 どうやら単に食べ物を口に入れていてまともに返事をするのが面倒くさいだけらしい。

「舞さん、ひょっとして昔からここに住んでた人じゃないんじゃないですか?」

「あ、そういえばそうだったね」

「うむ」

 ……もう返事しないでいいですから、舞さんは。

 

 

 それはともかく、丘の不思議な生き物の話はこの地域ではかなり有名な話だ。

 ずっとこの町に住んでる人なら誰もが耳にしたことがあるだろう。

 祖父母から、両親から、先生から、あるいは友達から。

 狐を祀った神社も多く、この地域で狐といえば神かその使いであった。

 災厄とは言い換えれば狐達が畏れられていたことでもあり、それを鎮めるために彼らは祀られたのだろう。

 一言に妖狐伝説と言っても、それはかなり多種多様なものだ。

 ただ一つ、人になった狐の話が『一月ほどで消える』というあたりで一致しているに過ぎない。

 

「今度教えてあげようか?」

 

 こくり。

 

 佐祐理さんの問いかけに、今度は無言で頷く舞さん。

 頷いてはじめてちゃんとした肯定らしい。

「でも困ったな……佐祐理もしっかり覚えてないし」

「図書室においてますよ。『ものみの丘』で探してみてください」

 数冊そういう本があったのを思い出し、口を挟む。

 『ものみの丘の物語』とか『ものみの丘の伝承』とかそういうタイトルだった。

「あ、そうなんですか。ありがとうございます」

「…いえ」

 ちゃんと覚えてますけど説明するのが面倒くさいので、とはさすがに言えない。

「あとで一緒に読もうね、舞」

 

 こくり。

 

 ただ、舞さんと肩を並べて本を読むのを想像して楽しそうな佐祐理さんを見て、悪い気はしなかった。

(ねえ、美汐。ここって楽しいね)

「ええ、そうかもしれませんね」

 

 

 踊り場のそばにある窓から陽光がちょうど私達の座っている場所に差し込む。

 そのとき確かに、私はこの場所に日溜まりを感じ始めていた。

 あの恐ろしい夜から帰ってこれる、そんな場所として……。

 

 

 

 

 

 

 さてと……という感じに頬をパンっと叩く。

「魔物退治、始めましょうか」

 

 …………こくり。

 

 舞さんはしばらく無言でじーっとこちらを観察してから、ゆっくりと頷いた。

 今夜も学校で魔物退治。

 もうそろそろこの空間にも慣れてきた。

 狐の眼のおかげで暗闇への恐怖がないだけ順応も早かったということだろう。

 それに……私は戦える。昨日は戦えた。

 だから、今度こそ私一人で戦ってみせる。

 残り時間はあと二週間。ことが進めば舞さんの助けは望めない。

 今から戦えるようにならないといけないのだ。

 僅かな甘えが許されるのも今のうちしかない。

 そう思って自分に活を入れる。

 なんだ、勇者になるって簡単なことじゃないか。

 自分の命を軽く見てて、他人の命が少しは重く見えてさえいればいい。

 後は危険にさらされてる他人の数が多ければ自然と死地に赴ける。

 でもそれはきっと誰にも祝福されることのない英雄。

 

 てんてん、カラン。

 

(美汐、はいこれ)

 

 後ろに控えていた真琴が私の前に回り、咥えていた鉈を床に置く。

 持ってみたいというので渡してやったものだ。

 お稲荷さんのポーズで姿勢正しくお座りする真琴を見て自然と笑みがこぼれる。

「ありがとう、真琴」

 一人じゃなかった。

 私にはこんなに心強い友達がいる。

 他の誰のためでもない。ただ自分のためだけに。

 未来を夢見るために私は武器を取る。

 出来たばかりのもう一人の友達の想いを無駄にしないためにも。

 

 

「……何かあったの?」

 しばらく無言を通していた舞さんが不思議そうに私達の様子を眺めていた。

 なんとなく最近舞さんの表情が微妙に読めるようになってきた気がする。

「いえ、ちょっとした心境の変化があっただけです」

「……そう」

 まあ、返事は相変わらず本当に興味あったのかと訝しみたくなる態度なのは相変わらずだが。

 舞さんにしては十分興味を持っている言動だと、そちらも薄々わかるようになってきた。

 

 

 三分経過。

 

 …五分経過。

 

 ……十分経過。

 

 ………十五分経過。

 

 …………三十分経過。

 

 

 何かに向けて気合を入れている者にとって、ただ無意味に待たされることほどやる気を削がれるものはない。

 待つ、という行為は相当な忍耐力を要求する技能である。

 つまり何が言いたいのかと言うと、飽きっぽい者には向いてない。

(あぅー、退屈!)

 お座りを止め、立ち上がり、しまいにはウロウロ周りを歩き回っていた真琴がとうとう音を上げた。

 苛立たしげに叫ぶと、ふてくされたように寝転がって後ろ足で首の後ろを掻く真琴に溜息をつく。

 まあ、私も真琴みたいに露骨に態度に出さないだけで待つのはあまり好きではない。

 ただぼーっと廊下に立っているだけというのもそろそろ限界だった。

 おまけに何と言っても寒い。

 

「……どこに?」

 ゆっくりと歩を進めた私に舞さんの声がかかる。

 無関心なように見えて一応ちゃんと見てるらしい。

「見回りしてきます。真琴も退屈してるみたいですし」

 しばらく無言。やがて、こくんと舞さんの首が前に揺れた。

「…わかった。私はあっちを見てくる」

 舞さんの指先は斜め上。つまり、上の階を見てくるということだろう。

「では私は一階を。お互い端から歩いてまた合流しましょう」

 ……こくん。

 昨日の前例もある。

 魔物はどこかに出現してうろついている可能性があった。

 こちらから出向くのは危険な気もするが、時間が限られているのだし止むを得ない。

 何より待つことで溜まるストレスの方が今は問題だった。

「気をつけて」

「舞さんも」

 お互いに頷き合って別れる。

 こうして私達は一旦別行動を取ることになった。

 

 

 

 てん、てん、てん。

 夜の校舎を一人と一匹でゆっくり歩く。

 今のところ魔物の気配らしきものはない。

「少しは気も紛れましたか?」

(うん、学校の中はあまり探検したことないもん)

 ああ、そういえばそうだった。

 真琴にとっては馴染みない風景がいっぱいで歩き回るのは十分楽しいのだろう。

(あっ、消火器)

 廊下脇に置かれた赤い筒を見つけて、てててっと真琴がそれに駆け寄る。

 消火器なんかが面白いんだろうか? 相変わらずよく分からない趣味をしている。

「消火器がどうかしたんですか?」

 かつんかつんと鼻先を消火器にこすりつけている真琴に訊ねる。

 はっきり言って何をしたいのか謎な光景だ。

(え? これをいじくると白いのが吹き出るんでしょう?)

「まあそうですが」

(やってみて)

 お座りしながら尻尾をふりふり、首をちょっと横に傾けておねだりポーズ。

 か、かわいい。思わず抱きしめたくなってしまうほどに。

 ……じゃなくて。

「なんでそんなことしなきゃならないんですか」

(だって面白そうだし)

「真琴、これは消火器、火を消すためのものです。火事でもないのに使うものじゃないです」

(火事になればいいの?)

「何か根本的に間違ってる質問の気もしますが一応そうです」

(……残念)

 内心放火すれば使うところを見られるとか思ってるんじゃないだろうか?

 さすがにそこまでは考えてないだろうが……でも否定できない、真琴だと。

「そもそも何で消火器の使い方なんて知ってるんですか、あなたは」

(何でって、じょーしきでしょ? それくらい)

 いや、確かに常識は常識だがそれはあくまで人間の常識であって、狐の常識ではない。

 野山で生活してて消火器なんかに縁があるとは到底思えない。

「あなたは狐でしょう。何か消火器に思い出でもあるんですか?」

(ううん? 知ってるだけだけど?)

「……それもまた妖狐転生の賜物ですか?」

(多分。なんか地域に流れる思いとか知識とかそんなのがついてきちゃうんだよね)

 ああもう、またなんていうかデタラメな。

 だいたい他人事のようにそんなことをさらっと語らないで欲しい。

(あ、そうだ)

「何ですか?」

 にまーっと笑みを浮かべているように見える顔から嫌な予感がする。

(えっちな話聞かせてあげようか?)

「いりませんよ! だいたいなんでいきなりそんな話になるんですか」

(えー? だって美汐ってすごくえっちな感じがするけど?)

「ど、こ、が、で、す、か」

(んー、色々と)

 なんだか泣きたくなった。

 凄んでも平然と言い返されたあたり特に。

 いや、でも……そう思ってここ最近の自分の行動を思い返してみる。

 

 舞さんの胸を揉んで興奮している自分が確かにいた『かもしれない』。

 真琴の大事なところをお触りして平面ふさふさの感触を楽しんでる自分もいた『かもしれない』。

 真琴に触られて……以下略。

 

 結論。私はちょっとえっちなのかもしれない。

 なんだかその結論を導き出して本当に泣きたくなってきた。

(美汐?)

「…なんでもないです。周囲への警戒をしながら進みますよ」

 そろそろ本気で今の自分のあり方を変えないと、とんでもないことになりそうだ。

 人との触れ合いを断っていたせいで、ちょっとの触れ合いで余計に他人の深いところまで意識してしまっている気がする。

 嫌な方向性で自分を再認識させられて溜息をつくしかない私だった。

 

 しかし、真琴の知ってるえっちな話とは一体……?

 溜息をついたそばから浮かび上がる疑問。

 ダメだ私。それを訊いたら色んな意味で負けだ。

 首を振る私を不思議そうに見ている真琴が無性に小憎らしかった。

 断言してもいい、絶対この子狐はたいそうなことを知ってるはずもないし、勘違いなことを考えているに決まってる。

 ……それが分かっていながら心乱されてる自分は何なんだろう、はぁ。

 

 

 少し歩いたところで真琴が立ち止まる。

 また何かあったのだろうか?

(ねえ、美汐)

「はい」

(たしか魔物って舞を狙ってるんだったよね?)

「ええ、そういうはずでしたが」

 理解してたんですか? と口を挟むのは一応止めておく。

 特別な理由がない限り、舞さんがいるならまっ先にそちらを狙うのは前日のことで証明済みだ。

(さん、にい、いち、で横に)

「……え?」

(行くよ。……さん)

 一瞬何のことか分からず面食らう私だったが、同時に感じた。

 後ろに起こる僅かな風の流れを。

(……にい)

「……いち」

 

 ……ぜろっ!

 

 頭の中でそう叫ぶと同時にお互い左右に跳んだ。

 タァァン! と鋭い音が床に弾ける。

 振り向いた先には、手に次の火球を用意している無表情の少女。

 

 ケタケタケタ。

 

 『霊』の名を持つ『れい』がいた。

「『めい』じゃない!?」

 そんな馬鹿な、私達に何の恨みもないはずの魔物『れい』が何故直接私達を狙ってくる?

 

 ケタケタケタ。

 

(え、わっ!? ちょっと!)

 空間に響く無気味な笑い声、同時に火球が真琴に向かって放たれる。

 一発二発三発……止める気配はない。

 真琴は巧みに右に左に飛んでそれをかわすが、何故自分がそこまで執拗に狙われるのか分からず完全に混乱している。

「このっ、やめなさい!」

 こっちに見向きもせず、次から次へと地を這い回る小動物を相手に攻撃である何かを放つ魔物『れい』に向かって鉈を振るう。

 その攻撃は難なくかわされるが、回避と同時にさらに一つ火球が真琴めがけて放たれた。

 が、しかし、逃げながら放たれたそれは大きく狙いを外し、真琴の前で床を直撃して弾けて消えた。

 タァァン! と鞭が高速で地を打つ様な音がしたということはそういう威力なのだろう。

 当たったらただではすまないし、ましてや真琴の小さな体では致命傷にもなりうる。

(な、何なのよぅ、コイツ)

 一旦止んだ攻撃に呼吸を整えながら真琴が悪態をつく。

 

 ケタケタケタ。

 

 間違いない、今でこそ攻撃を仕掛けた私と向かい合う形になっているが、この魔物は確実に真琴を狙ってきた。

 それもこの前舞さんに対して仕掛けたように激しく攻撃を浴びせた。

 いったい何故?

 

 ケタケタケタ。

 

「考えてる暇はありませんか」

 魔物『れい』の両手にぼうっと新たな火球が作り出される。

 狩りを邪魔した私を敵と認識したのが容易に見てとれた。

「真琴、下がってなさい。流れ弾が行きますよ」

(う、うん。お願い)

 たたたっ、と走って後方数メートル先に避難する真琴。

 ひとまずはこれで安心だ。

 一つ呼吸を吐き出し、眼に全神経を集中させる。

 見える。右を放ち、避けたところに左の火球。

 なら……と、魔物『れい』の右手が振るわれると同時に左に歩を進める。

 右に進めば魔物『れい』の思うとおり次の左手が射程圏内になっただろう。

 しかし、目標を大きく失った左手の火球は回避行動をとるまでもなく私の二十センチほど隣を通り過ぎていった。

 今だ。次の攻撃が来る前に間を詰めて!

 頭を低くして一歩前に詰める。あと一歩詰めれば届くはず。

 だが、魔物『れい』の行動はそれよりも早かった。

 私が相手を鉈の間合に捉える一歩前のところで次の火球が放たれる。

 左! は駄目だ、壁がある。右!

 返すもう一撃をかわして次こそ間合に潜りこむ……なっ、早い!?

 忘れていた。

 相手が飛び道具ということは一歩近づくごとに、相手の攻撃はより早く正確にこちらに到達する。

「……く」

 上半身を大きくひねり、なんとかやり過ごそうとする私だったが、右手に鈍い衝撃が走る。

 被弾? いや、違う。体はそらし切れたが、鉈に火球が直撃したのだ。

 突然変な方向から加わった強い力に右手が痺れる。

 

 ……カラン、カラン。

 

「あっ……」

 乾いた金属音が響いた瞬間しまったと思った。

 さっきの衝撃で鉈が手から離れ後方に大きく飛ばされてしまったのだ。

 

 カシャーン!

 

(あぅっ!)

 さらにその後方で流れた火球が天井を直撃し、真琴の頭上付近にあった蛍光灯を木っ端微塵のガラスシャワーに変える。

 って、後ろを見てる場合じゃない!

 振り返りつつ、痺れる右手を抑えながら一歩後ろに下がる。

 鉈さえ、鉈さえ手元に残っていればあと一歩で一撃入れられたのに……。

 悔やんでも仕方がない、このまま下がって鉈を回収しなければ。

 そう思って前を見やると魔物『れい』の姿がない。

「どこに……」

 一瞬後ろに気を取られた隙に魔物『れい』の姿は消えていた。

 あの時間でこの眼から隠れるなんて芸当が出来るのは……。

(美汐! 後ろーっ!)

「くっ!」

 真琴が叫ぶと同時に地を横っ飛びに転がった。

 後方を見ている瞬間に背後に回られたのだ。

 魔物『れい』がいたのはまさに私の真後ろ。

 すんでのところでその攻撃をやり過ごす。

 しかし、事態は悪化してしまった。

 今の攻防で私と魔物『れい』の位置が入れ替わってしまったのである。

 つまり、転がった鉈と私の距離が遠のき、挙句その間に魔物『れい』が立ち塞がる構図になっていた。

 

 ケタケタケタ。

 

 気付いている。

 相手は私が攻撃手段を失っていることに気付いている。

 今踏み込んでも何ら怖くないということに。

 攻略の糸口が掴めたかもしれないのに、こんな所で……。

 青い火球を左右から次々に放ち、私に迫り来る魔物『れい』。

 後ろに下がりながらかわすことは造作もないが、ますます落とした鉈から遠ざかってしまう。

 一か八か、背を向けて全力で逃げるという選択肢もあるが危険すぎる。

 相手が巨腕を振り回す魔物『めい』ならば問題ないとしても、魔物『れい』の武器は飛び道具だ。

 背を向けるなど、狙い撃ちにしてくれと言ってるようなものである。

 相手に突っ込むなんて玉砕の選択肢は論外だ。

 集中砲火を抜けなければならない上に、位置が入れ替わる瞬間は狙い撃ちの構図である。

 こうなった以上舞さんがこちらに気付いて来てくれるのを望むしかない。

 でもおかしい。これだけの物音がしているのに何故舞さんは来ないのだろう?

 まさか、舞さんの方にも魔物が……?

 まずい、もうすぐ廊下の端だ。

 上に上る階段があるが、階段では自由に動き回れない。

 つまり、そこも狙い撃ちの状況が作り出されてしまう。

 もう一か八か、相手に突っ込んで位置を入れ替えるしかないのだろうか?

 幸い右手の痺れは引いてきた。

 集中すれば何とか潜り抜けられるかもしれない、そう覚悟を決めた瞬間だった。

 

 カン、カラン!

 

 魔物『れい』の合間を縫って何かが私の方に投げ込まれた。

 地を転がり廊下の端で止まったそれは……鉈?

(美汐、それを使って!)

 真琴だった。

 向こうに飛ばされた鉈を拾って、こちらに投げてくれたのだろう。

 おそらく、口に咥えて首の力で必死に。

「真琴、離れてなさい! これで倒します」

(……え? あ、うん。分かった)

 鉈を拾い叫ぶ私に、一瞬きょとんとしたあと急いで物陰に避難する真琴。

 よし、舞台は整った。

 まいさんの力を得たこの鉈なら……。

 さっきこの鉈に当たった魔物『れい』の火球は確かにコースを曲げたように見えた。

 災い転じて福となす、今がその諺が正しいかを証明する時。

 

 ケタケタケタ。

 

 引きつけろ。体の軸は軌道から外し、鉈の軌道に相手の軌道を重ねる。

 後は鉈をしっかり握り、力の限り振り抜くのみ。

 

「だあああっ!」

 

 『はい』とか『行きます』とか、そんなのは着飾った言葉だと思う。

 今この一瞬に臨んで私の喉から搾り出された音は品の欠片もない叫び声だった。

 だけどそれでいい。私は本当に戦っているのだから。

 腕に僅かな抵抗……刹那、鉈の描く軌道が中央を捉えた火球はそれを放った魔物『れい』めがけて一直線に跳ね返った。

 

 ケェッ!?

 

 返す手の火球で相殺するも、跳ね返った火球の方が勢いがついている。

 余波をもろに受けた魔物『れい』は奇怪な怪音を空間に響かせ、大きくのけぞった。

 好機。

 この時を逃さじと一気に詰め寄り鉈を振るう。

 勝っ……てない! しまった!

 魔物『れい』の姿が二つに割れる。

 一つは私の振るう鉈の正面に、もう一つは大きく後ろに弾けとんで……。

 忘れていた、魔物『れい』の偽装能力。

 気づいた時にはもう遅い。

 私の鉈が粉砕するのは相手の虚像のみ。

 魔物『れい』の本体は完全に間合の外へと逃れていた。

 

 ケタケタケタ。

 ケタケタケタ。

 

 『なかなか楽しかったよ、ア・ナ・タ』

 そう馬鹿にするかのように耳障りな笑い声を響かせながら、前に舞さんにそうしたように魔物『れい』は空気へと溶け込んでいった。

 

 

(みしおっ!)

 たたたっ、と物陰から姿を現わし駆け寄ってくる真琴。

 それが戦闘の終了を私に教える。

「しくじりました。あと少しのところで」

(そんなのどうだっていいよ)

 真琴が首をふるふると振ってみせる。

 そして心底安心したような表情で私を見上げた。

(美汐が無事でほんとによかった)

「……真琴」

 その言葉を聞いた瞬間、その名前を呟いた瞬間……胸の中に何かが溢れる。

 気づいた時には、私はその場に崩れ落ち、真琴の暖かい体をきゅっとただ抱きしめていた。

 良かった、私まだ生きてる。

 真琴もまだ生きてる。

 

 タンッ!

 

「ひっ!」

(あぅっ!)

 

 背後に響いた音に驚き、恐る恐る振り返る私達。

 ……舞さんだった。

 魔物でないことにほっと安堵の溜息をつく。

「…無事?」

「ええ、まあなんとか。そちらは?」

「すぐに来るつもりだったけど」

 舞さんが頭上を指差す。

 上の階でということだろう。

「…昨日美汐が手負いにした魔物に邪魔された」

「そうですか」

 やはり今日も二体出現していた。

 いや、それどころか連携して行動した?

「おかしい」

「はい?」

 何がおかしいのだろうか?

 そもそも、魔物なんておかしいことしかないはずだが。

 

 

「美汐達が来てから魔物が変わった気がする」

 

 

 ぽつりと舞さんが口にした疑問の言葉。

 そこには何か深い意味があるように思えたが、今の私達にその意味を知る術はなかった。

 

 

 

 

 

 かくん、と重い頭が落ちる感覚に我にかえる。

 いけない。どうやら机に向かったまま舟を漕いでいたようだ。

 時計を確認すると夜の11時。

 少し早いがそろそろ寝た方がいいだろうか?

 宿題はまだ残っているが、まあ明日早起きして学校で済ませれば問題ない。

 よし、寝よう。うん、寝るべきだ。

 夜の学校での戦いは肉体的にも精神的にも疲労が溜まる。

 そのあとお風呂で温まってから部屋に戻ってくると、どうにも気持ちよくてたまらない。

 つまり、猛烈に眠い。その眠さが何故かとても気持ちいいのだ。

 あんな恐ろしい目に遭っておきながら変かもしれないが、天国をさまよう心地とはまさにこのこと。

 いや、あの恐ろしさから解放されたからこそ、こんな気分なのかもれない。

 口を押さえて小さくあくびをしながら、歯を磨きに部屋を出ようとする。

 と、ベッドの上の奇妙なものに気付いた。

 

 ……つん。

 

 恐る恐るそれに触れてみる。

(あんっ……)

 それは色っぽい吐息を漏らして身をよじる。

 

 ……つん、つん。

 

 今度は二度つついてみる。

(あふ、あうっ……)

 かなり嬉しそうだ。

 というか白いお腹を丸出しにして眠りこけている真琴だった。

「……はぁっ」

 思わず呆れから溜息が出る。

 狐が仰向けになって寝ている姿なんて初めて見た。

 無警戒を通り越して完全に安心しきっている姿なのだろう。

 そこまで私を信用されても困るのだが……。

 やれやれと思いつつ部屋を出ようとしたその時、何かの物音に気付いた。

 

 かつん、かつん。

 

 何か固いものと固いものをぶつかり合わせるような音。

 いったいどこから……?

 常人離れした目に対して私の耳は普通の聴力しかない。

 こういう時はその感覚の格差がむず痒い。

(……あぅ?)

 ベッドで完全にだらけ切っていた真琴が耳をぴくくっと動かして半目を開ける。

 どうやらこちらも不審な音に気付いたようだ。

 しばらく耳を立てて音を聴いていた真琴は一度開けた目をまた閉じて言った。

 

(あー、美汐。窓、見てきて)

「どういたしまして」

 

 ボスッ!

 

(あぅっ!? なに、何!?)

 『礼儀正しく』情報を教えてくれた真琴に感謝を込めて枕を落としてやる。

 当然の報酬だ。いかに外見が狐とはいえ、横柄な態度を見逃すわけにはいかない。

 

 

 枕と格闘している真琴を横目に窓に向かう。

 ぱっと見て特に異常は見当たらないのだが……。

 外は吹雪いているらしく、風と雪で窓の外の視界は悪い。

 風で飛んできた小石でも窓に当たったのだろうか?

 

 かつん、かつん。

 

 それにしては定期的な音がする。

 思い切って窓にもっと近づいてみた。

 すると、ふと視界のぎりぎり真下に何かがうごめくのが見えた。

 ……今のは?

 そう思ってそこを注視する。

 それは白い子猫だった。いや、雪をかぶってそう見えるだけで、雪の切れ目からこげ茶色の毛も覗いている。

 たしか、そうだ……シャム猫と呼ばれる種類の猫に似ている。

 

 かつ! かつ!

 

 私の視線に気付くと子猫は必死になって窓を叩き始めた。

 固い爪が窓ガラスを打ち、物静かな部屋にその音が響く。

 開けてくれ、ということだろうか?

 

 

 不思議な猫だと思いつつも、吹雪の中外にいさせるのはかわいそうなので開けてやることにした。

 窓を一気に開けると寒気が入ってきてたまらないので、そっと少しずつ開ける。

 吹き込む風で十分寒いがなんとか耐えられる範囲だった。

 子猫はわずかに開かれたその隙間から、するっと部屋に侵入する。

 それを見届けてから私は窓を閉じた。

 

「ふぅ、寒かったワイ。あー、お嬢さん、すまんがホットミルク一杯」

「いきなり上がりこんできて何様ですかあなたは」

 

 何故か猫が突然喋ったことよりもそっちに不満を漏らす私。

 ああ……慣れって怖い。

 こんな奇怪生物と普通に会話してどうする。

 

「いや、久々の生身は辛うございましてなぁ。寒いわひもじいわ臭いわで大変ですゾイ」

「誰も世間話をしてくれとは頼んでないのですが……」

 

 普段なら『よいお日柄ですね』とか『それはまた大変ですね』とか答えていたところであろう。

 相手が人間ならば、だが。

 ……って。

「臭いってなんですか?」

「おお、聞いてくださるか。野良猫に混じって生ゴミを漁っておりましたら臭いがついて取れませんのじゃ。猫というのはいけませんな、まったく。そもそも……」

「お風呂とホットミルク、それと残飯でいいですね」

 何やら付き合っていると長くなりそうなので横槍を入れる。

 おまけに本当に臭い。魚の腐ったような臭いがかすかに漂ってきて顔をしかめた。

「いやぁ、感心なお嬢さんじゃ。これでワシも……っとぉ、い、痛いではないですか。首筋を掴まんで下さい」

「臭いんです。お風呂場までは我慢してください」

 喋り続ける猫の首の後ろをつまんで釣り上げる。

 一応親猫が子猫を運ぶ時の持ち方なので問題はないだろう。

「大丈夫ですじゃ。歩いてついて行きますゆえ」

「その汚れた足でうちを歩き回るつもりですか」

「あひゃあ、おっかない娘じゃ。くわばらくわばら。ああ、あまり揺らさんで下されよ。揺れると痛いですからのう」

 ……振り回してやろうか、なんとなくそんな殺意に似たモノがわく。

 いったいぜんたい何なのだろう、このやたらよく喋るUMAは?

 

(おじいちゃん?)

 

 猫をお風呂場に運んでいこうとした瞬間、ベッドの上の真琴が一言そんな言葉を漏らした。

 いつの間にか四本足でしっかり立ってこちらを見ている。

「はい?」

(おじいちゃんなんでしょ? その変なパンダ)

 

 ボテッ。

 

「……猫ですよ」

(あー、そうなんだ。出来損ないのパンダだと思っちゃった)

「こ、こりゃあっ! 人様をこんな高いところから落っことすとはなにごとじゃあ!」

 

 三者三様の微妙にズレた反応。

 とにかく、これが真琴とそのおじいちゃんの再会の瞬間だったらしい。

 

 

 

 

 

 

 真琴のおじいさんらしき猫をお風呂で洗い、温めた牛乳と炊飯器の底に残っていたご飯で作ったおにぎりをあげた。

 お父さんとお母さんはもう寝室にこもっているらしい。

 随分早い就寝だが……まあ野暮なことは言わないでおこう。

 どこかの子狐のせいで疲れているだけかもしれないし。

 食器、もちろん真琴用の物だが、を片付けてから私達はその猫と向かい合った。

 おじいさんと真琴はベッドの上。私は椅子に座って。

 

 

「……とりあえず、お名前を聞かせてもらえませんか?」

「プリスキン……プリスキンⅢ世じゃ」

「ぷりすきんさんせい?」

 真琴の顔を見る。ふるふる。違うらしい。

「この猫の名前じゃあ」

「あなたの名前です、おじいさん」

「ワシは……はて誰じゃったかのう?」

「頭、大丈夫ですか?」

「ダメじゃあ~」

「しっかりしてください」

 もうイヤだ。

 なんで最近私の周りにはマトモなのがいないんだろう?

 単細胞底抜け純真に無口純真、どこか底が抜けたお嬢様に、はっちゃけ幼女。

 で……今度は大ボケ老人である。

(あー、ダメダメ。そういう時はこうやるの)

 私が頭を抱えていると、真琴が立ち上がり猫の傍に歩み寄る。

 そして、右前足を上げたかと思うと……。

 

「あひゃっ」

 

 後頭部を思いっきりはたいた。

「凄いことしますね……」

(いつものことだから)

 いつものことだったんですか、これが。

 ボケても真琴の世話になるのは遠慮したい。

 

「……で、お名前は思い出されました?」

「控えろ痴れ者!」

「は、はいっ!?」

「城代家老、欲に目がくらみ余の顔見忘れたか?」

「どこ見て言ってるんですか」

 猫はさっき真琴に落とした枕に向かって話しかけていた。

(……角度が悪かったかな? えいっ)

 今度は脳天めがけて狐チョップ。

 

「うひゃっ」

 

 こんなので本当にまともになるんだろうか?

 ラジオやテレビじゃあるまいし……。

 なんて思っていたら、猫は頭をぶるぶる振ってゆっくり顔を上げた。

 目の焦点は合っている……ように思う。

「あー、その。おはようございますじゃ。ようやく目が覚めましたワイ」

「って、今まで寝てたんですか!」

 ああもう、誰か何とかしてくださいこのおじいさん。

「何しろ外はあの寒さでしたからな。意識がモウロク……いや、モウロウとしておりました」

 まだどことなく不安です、おじいさん。

「ワシのことは翁とでも爺とでも好きに呼んでくだされ。名前は特にございませんのでのう」

「お名前、ないのですか?」

「ほっほ、仙狐と人に呼ばれるほど天涯孤独の身でしたからの。名前など用をなしませぬ」

 せんこ、つまり……狐の仙人ということだろうか?

 確かに真琴と比べて精神的な年齢が随分と高い。

 さっきとは一転、ボケているように見えるのもどこか芝居がかっていて、老獪さに似た威圧感がある。

 猫の姿であるにも関わらず、だ。

 話に聞いていた通り、明らかに真琴とは格の違う妖狐だ。

(でもびっくりしたよ。おじいちゃんがまだ生きてたなんて)

「いやいや、ワシはもう消滅しておるよ。妖狐としての二度目の生も終えての」

「えっ?」

 驚いてはみたものの、よく考えれば何で猫の姿でここに狐のおじいさんがやってきたのか謎だった。

 消滅という言葉とそれには何か深い因果関係があるのかもしれない。

「真琴のことが心配での、消える前に最後の力で通りがかったこの猫の体を借りたんじゃ。この通り…こほん…じゃからな真琴は」

「なるほど、その気持ちよく分かります」

(……なんで二人とも頷き合ってるの?)

 咳払いで理解を促すとは、このおじいさんはかなりの策士だ。

 あれ? 何かおかしくないだろうか?

 当然にして浮かんできた疑問を口にする。

「あの、気になったのですが、今まで一体どこにいたんですか?」

 真琴がうちにやってきてもうすぐ十日。

 一体どこで何を……?

「それじゃ」

「……それ?」

「ワシが街で人に化ける真琴のために財布を調達して戻ってきたら、真琴の姿が消えておったんじゃ」

 ああ、なんとなく話が読めてきた気がする。

 ごくごく単純なことだったのだ。

「人間の体に自らを再構成する術は時間がかかるものなのじゃが、真琴は既に立ち去った後。びっくりしたゾイ」

 つまり、私達とおじいさんは入れ違いになっていたのだろう。

「探しに探して、ようやくこの家に真琴のにおいを嗅ぎつけたという次第ですじゃ」

「すみません、勝手に連れて帰ったりして」

「いや、お嬢さんには感謝こそすれ恨み言を言うことなど一つもございません」

 首を横に振っておじいさんは真琴に顔を向ける。

「おかげさまで、この子の元気な姿を見れましたからの。冥土の土産にはもったいないくらいです」

「今、なんと? めいど……?」

「ですじゃ。天に召されるところをこの猫の体を借りて無理矢理留まっておりますからな、もって数週間でしょう。それに……」

 一度私に向けていた顔をまた真琴に向ける。

「真琴、わずかばかりじゃが術を使ったな?」

(うん。分かるの?)

「わずかじゃが命の波動が弱まっておる。体がだるかったり眠かったりしてないかな?」

 こく、と真琴が頷く。

 凄い。見ただけでそんなことが分かるなんて……。

 その症状は真琴が昼間よく訴えていて、私も心配していたことだ。

「ほうっておいても害はないじゃろうが、不自由じゃろう? ワシに残された最後の力を真琴にやろう。色々オマケもつけてのう」

(ほんとっ?)

「本当だとも。ワシが真琴に嘘をついたことがあるかな?」

 ぶんぶん、と首を振る真琴に、ほっほっほ、と笑うおじいさん。

 その光景に……胸がチクリと痛んだ。

 ずるいよ真琴。

 あなたはいなくなったおじいさんにまた会えて、またお別れだっていうのに悲しまないなんて。

 私だって、おじいちゃんにまた会えたら……して欲しいこといっぱいあるのに。

 して欲しいこと……?

 ふと、そこで重大なことに気がついた。

 今この機を逃したら、一生わからないままになることがあるかもしれない疑問に。

「おじいさん」

「なんじゃあ?」

 とぼけた顔で振り向いたおじいさんに、私は意を決して言った。

「おじいさんに、教えてもらいたいことがあるんです」

 

 

 私は話した。

 真琴の言葉も挟みながら、私達の周りでここ最近起きていることを。

 そして、あの子からもらった私の眼のことを。

 

 

「すまぬ」

 私達の話を聞き終えて、おじいさんはまず謝った。

「その魔物とやらに関してはワシにもとんと分からんワイ。もう十年若ければ、ワシも調べたいところじゃが、この体では足手まといじゃ」

 おじいさんはそう言って頭を下げる。

 きっとおじいさんは、事情はどうあれ窮地にある私たちを手助けしたかったに違いない。

「じゃが、お嬢さんの眼のことに関しては心当たりがある」

「本当ですか?」

「嘘を言ってどうなるんじゃ。ワシはこれでも正直者なのが自慢ですゾイ」

「そう…でしたね」

 ちょっと笑んでみせているような顔を見せるおじいさん。

 真琴の表情を読めるようになったおかげか、猫でもそれに苦労しなくなったようだ。

「さてと、すみませぬがちょっとその眼の力を開放していただけますかな」

「あ、はい」

 電気のついている部屋だから……使うのはオーラを見る力だけでいいか。

 そもそも知りたいのはいまいち判別のつかないその力に関してだし。

 そう判断して狐の眼を開放していく。

 一部だけを引き出す調整は微妙に難しい。慣れるまでは苦労したものだ。

「しました。今のところ特に変わったものは見えません」

 部屋の中には特に眼が反応を示すものはない。

「ふむ、それではこれで……」

 

 どうですかな? という言葉と同時にぶわっとおじいさんの体から青いオーラが立ちのぼった。

 

「見えます。はっきりと青いオーラが」

「そうですか。やはりのう」

 しきりに頷いて何かに納得している様子のおじいさん。

 

 こくこく。

 こくりこくり。

 こっくりこっくり。

 

 ……ひょっとして、寝てる?

(あー、また)

 真琴が溜息をつきながら立ち上がる。

 そしておじいちゃんの前に立つと……。

 

「あひゃっ、うひゃっ」

 

 前足で容赦ない往復ビンタを放った。

 本当にこの二人、今までどういう関係だったのだろうか?

 なんだか想像するのが怖い。

「あー、すみませぬ。歳をとってからというもの、どうも突然眠くなるようになりましてなぁ」

「しっかりしてください、頼みますから」

 ボケとは脳のスイッチが入ったり切れたりするようなものらしい。

 おじいちゃんも突然ぼーっとしていることが時々あった。

 が、ここまで酷くはなかったと思う。

 長く生き過ぎるとこうなってしまうのだろうか?

 妖狐というのも因果な生き物だ。

 

「おそらくお嬢さんが見ているのは、人ならざるものの力……その流れじゃろうな。人間のお嬢さんが戸惑うのも無理はない。ワシらにしてみればいつも見えていて当たり前のものですからな」

「人ならざるものの力の流れ、とは?」

「まあ分かりやすく言ってしまうと、霊気妖気といった気の類じゃ」

「なるほど」

 そう言われてみるとなんとなく納得がいった。

 人に化けた狐や、魔物にオーラが見えるのはそういう理由だったのだ。

 確かにそれらには人ならざる力が働いている。

 ましてや魔物に至っては人ならざる『力そのもの』だ。

(あれ? そういえば、どうしておじいちゃんはそれの出し入れが出来るの?)

「言っておるじゃろう。ワシは普段『気』を断っていると。人間にも勘の鋭い者はいるからの」

(ああ、レーカンショーホーとかいうやつだっけ?)

「商法は余計ですよ、多分」

 私の指摘におじいさんは、いかにもと言った感じで頷いていた。

 二人はおじいちゃんと孫だと思う。本当に。

 きっと昔の私も、今の真琴のように合点のいかない変なことを口走ってはおじいちゃんを苦笑いさせていたのだろう。

「あの、そう言えば何もない空間にも見えることがあるのですが」

「それはあれじゃ。残留思念が漂っていたり、霊的な場所だったり……つまり」

「幽霊だったり、パワースポットだったりということですね」

 私が言葉の続きを予想して言うと、おじいさんは少し驚いた顔をして、それからゆっくりと真琴の方を向く。

「なんじゃ、話しておったのか?」

(話しちゃいけなかった?)

「いや、そういうわけではないが。まさか覚えておった……ごほっごほっ、持病の尻尾プルプル病がぁ」

(あぅ、大丈夫おじいちゃん?)

 尻尾プルプル病で何故咳を……?

 そもそもそんな病名あるのだろうか?

「ごほっ、すまぬお嬢さん、洗面所に連れて行ってくださら、ごほっ、ぬか?」

「え、あ……はい。あら? 真琴は来ないんですか?」

 おじいさんを抱き上げて部屋を出ようとするも、真琴はベッドの上から動かない。

 こういう時は真っ先について来るはずなのに。

(おじいちゃんのジビョーは妖狐には伝染るから近寄っちゃダメなんだって)

「そうなんですか?」

「そうなのです。咳さえ、ごほごほ、おさまれば問題ないのですがの。この、ごほっ、咳が、ごほごほ、問題なのですじゃ」

 要所要所で咳き込んでみせるおじいさん。

 どう見ても嘘だ。

 というか猫に乗り移っている現在、妖狐の病気とやらまで猫に受け継がれるのだろうか?

 多分そんな訳ない。典型的な仮病という病だろう。

 やれやれと思いつつ、おじいさんを部屋の外に持ち出す私だった。

 

 

 洗面所には行かず、一階の応接間に向かう。

 そこでおじいさんを降ろした。

「いや、すみませんな。少し二人でお話しとうございまして」

「あれで気付かない真琴もどうかと思います」

 私がそう言うと、おじいちゃんは物憂げに溜息をついた。

「あの子、頭悪いですじゃろう?」

「え……いや、それほどでも」

「隠さないでもいいですワイ。顔にハッキリ書いてありますゾイ」

「恐れ入ります」

 やはり、年の功にはかなわないということか。

 咎めるわけでもなく、おじいさんは穏やかな顔を見せていた。

「真琴から聞きましたな? 我々妖狐という種族の生い立ちを」

「はい。歳を経た狐が、その土地の霊的な力を受けて生まれ変わったものが妖狐と」

「そうですか。あの子にしては上出来……ですな」

 やはりまた物憂げに溜息。

 いったい何だというのだろう?

「どういうことですか?」

「あの子、いや、あのものみの丘の妖狐は人間で言えば未熟児でしてな。力も思考も、純正の妖狐には大きく劣るのですわ」

「つまり、おじいちゃんの話をしっかり記憶できていたのは快挙なのですね」

「ですじゃ。あの子はその中でも特に未熟でしての。あそこまで小さい仲間はワシもはじめて見ましたワイ。それで見ていて危なっかしくて、気がついたら残りの一生をあの子の傍で費やしておったのです」

 妖狐はその地の力を受けて、その強さに応じた姿で転生すると真琴は言っていた。

 おじいさんの口ぶりからすると、あの幼い姿で転生するのは相当格が低いということなのだろう。

 真琴ほどではないが、あの子もそうだった。

 ……待った。力も思考も、純正の妖狐には大きく劣る?

 それはひょっとして……。

「おじいさんは人間の側に伝わるものみの丘の妖狐の伝承をご存知ですか?」

「無論存じてますゾイ。仙狐ともなれば読心の術もお手の物ですからな。ああ、この姿のワシにはそんな力はもうないですから構えないで下され」

「その、純正の妖狐ならば人に化けることは可能なのですか?」

 私の問いに対し、しばらく黙り込むおじいさん。

 何か難しい質問だったのだろうか?

 そう思って息を飲んだ時、おじいさんは口を開いた。

 いや、正確には思念を飛ばしているという感じなのだが。

「人に化けるのと人になるのとでは話は違いますが、化けるだけならば成体一歩前の妖狐でも可能ですな」

「人になる……とは?」

「文字通り、姿だけでなく完全に人間になりきることですじゃ。妖狐としての力を全て人間の代謝作用に置き換え……ようは擬似的に受肉するわけですワイ」

「えっと……はい、何とか理解出来ました。つまり力で本物の人間に偽装する、というかなりきるわけですね」

「ふむ、聡明なお嬢さんですのう。ならば丘の伝承の真相もお分かりじゃろう?」

 こくり、と私は頷いた。

「完全に人になりきって生きることは出来るのですか?」

「可能じゃ。無論、力があればじゃが」

「それはどれくらいなのでしょう?」

「そうじゃな……成体以上というところかのう。じゃが、その術は使おうと思えば誰でも使えることが問題なんじゃ」

 そう、記憶と命を犠牲にすれば……。

 そして、転生体が幼い姿の妖狐であればあるほど、ただ純粋に人のぬくもりを求めてしまう。

 おじいさんと話していてそれがよく分かった。

 この人ならば、妖狐の力を捨てること、人間世界で生きる厳しさ、それらを考えて自制する理性があるだろう。

 だが、あの子たちには……。

 胸が痛くなる。

 遊びたいざかりの子供が一人でいられるわけなどないではないか。

 誰もあの子たちを止めることなど出来ない。

 

「人と妖狐の悲しみは……いつまで続くのでしょうね」

「続きはせんよ。この土地に限っては」

「……え?」

 

 誰にともなく問いかけた言葉に予想外の答えが返ってくる。

「それはどういうことですか?」

「この地には、もう妖狐を生む力がほとんど残っていないようじゃ。いや、ここだけでなくワシの故郷でもそうでしょうな。土地の霊的な力は、そこに住む人間の信仰が遠のけばそれだけ弱まりますからのう」

「ちょっと待って下さい。人間の信仰ということは、つまり……」

 頭に浮かんだ恐ろしい想像に体が震える。

 そんな、そんなことって……。

 だが、無情にもおじいさんの首は縦に振られた。

「妖狐を弱らせ、滅ぼすのは人間じゃよ。木々や動物達の生命力も重要じゃが、人間達の精神活動もまたその土地を支える重要な力じゃからな」

 

 私達人間が妖狐を弱らせた。

 私達人間が妖狐を滅ぼす。

 なんて皮肉で残酷なことだろう。

 私達のせいで一つの種が終わりを迎えようとしているのに、そんな種がいたことすら忘れている人がほとんどなのだ。

 そして、その忘れているということがますます彼らの滅びを進める。

 だけど、だけど……それなのに私は……。

 

「気になさらんことですじゃ。この地の妖狐は人に忘れられるべき運命なのでしょう。お嬢さんもそう思ったのではないですかな?」

「な、何故それを?」

「分かりますワイ。悲しい出会いを見た人間ならば、尚のことワシらのことを忘却したいでしょうからのう」

 残酷な事実を語っているにも関わらず、おじいさんの顔は少しも悲観的ではなかった。

 むしろ、その顔はどこか晴れ晴れとしたものを感じさせる。

「誰かを悲しませてまで生きるなら、ワシらは素直に滅びを受け入れましょう。もとより一度は死んだ身、諦めはとうについておりますワイ」

 そう言って、ほっほっほと笑うおじいさん。

 その言葉には一片の曇りもなかった。

 

 

 ひとしきり笑った後、おじいさんは私の顔を見つめて、今までで一番の真剣な表情をみせる。

「お嬢さん、お名前は美汐さんと言いましたな」

「はい。天野美汐と申します」

「あの子を連れ帰ってくれたのが美汐さんで本当に良かった。この地に生まれた、おそらく最後の妖狐に……末永く良い夢を見させてやってくだされ。老いぼれからのお願いですじゃ」

 末永く、とは人となる術を使わせず今のままということだろう。

 真琴のおじいさんからのお願いに、私は首を横に振った。

 

「それは出来ません」

「なんと!?」

「夢を見させてもらっているのは、私の方ですから」

 

 お互いしばらく無言。

 沈黙を破ったのは、穏やかに目を閉じたおじいさんの方だった。

「ワシも真琴には良い夢を見せてもらいましたワイ。あの子の『おじいちゃん』として過ごした最後の時間、ワシは幸せでした」

 私はどうなのだろう?

 あの子の代わりなのか、新しい家族として喜んでいるのか……

 でも、これだけは確かな気持ち。

 

「私も、今きっと幸せだと思います」

 

 こうして、自らが幸せだと感じられたのは、いつが最後だっただろうか。

 変な人たちばっかりに囲まれているけれど、今の私は幸せなのだと思う。

 おじいさんは、うんうんと頷いて顔を上げた。

 

「さて、そろそろ行きますかな。いるのじゃろう、真琴」

「えっ?」

 

 驚くと、応接間の入り口の陰から真琴が、てこてこと姿を現した。

(えへへ、来ちゃった)

「やれやれ、いつまでたっても変わらないの、真琴は」

(そんなことないよ)

「ほう?」

(おじいちゃんの嘘つき。真琴わかっちゃったんだから)

「ほっほっほ、ついにバレてしもうたか」

 嘘……ああ、さっきの仮病のことか。

(性格の悪い美汐といっつもいるから真琴も成長したんだよ)

「……美汐さん、あなたもなかなか悪ですのう」

 ふふふ、うふふふふ。

 後で必ずシメてあげますから覚えてなさい、真琴。

 性格は決していいとは思えないが、こうハッキリ言われると心の中で乾いた笑いが止まらない。

 ああ、こういうところが性格悪いのか、納得。

 納得したところでお仕置きを免除するつもりはまったくないけれども。

 

 

 

 

 おじいさんの希望で、最後は私の部屋で迎えることになった。

「このベッドで、真琴と一緒に寝ていらっしゃるのですか?」

「はい」

「そうですか、そうですか。なるほど、あたたかくていいですのう。ワシも人間になってみてもよかったかもしれませぬな」

「でも、後悔はなさってないのでしょう?」

 吹雪が収まり、わずかに星が見える窓の外を眺めたおじいさんがこちらに振り向く。

 その顔は迷いもなく晴れやかそのものだった。

「もちろんですじゃ。美汐さんも真琴も、悔いのない人生をな」

(うん、真琴は楽しい人生実行中だよ)

「ほっほ、元気が良くていいことじゃ。おや、美汐さん。どうかなさったか?」

 無言でうつむいていた私におじいさんの声がかかる。

 言葉を選んで、その言葉を口にするための勇気を胸に。

 そして、私は精一杯の笑顔を作って言った。

 

「美汐って呼んでください。おじいちゃん」

 

 その言葉を聞いたおじいさんは、しばし呆然として目をパチパチさせる。

 だが、次の瞬間、優しい顔をして言ってくれた。

 

「素敵な女の子になるんじゃよ、美汐」

 

 ……と。

 その言葉を聞いた私は、一気に胸が熱くなって、気がついたらおじいさんを抱きしめていた。

 

「おじいちゃん……おじいちゃん……会いたかったよ」

(あーっ、美汐ずるいっ! おじいちゃんは真琴のおじいちゃんだよ)

 

 おじいさんの背中に飛びついて、はしっとしがみつく真琴。

 私と真琴にサンドイッチにされながらも、猫の姿のおじいさんは笑っていた。

「かわいい孫が二人もできて、ワシは幸せじゃワイ」

 

 

     真琴、美汐、達者でのう。

 

 

 二人の頭にそんな声が響いた気がした。

 と、同時に腕の中で暴れ始める子猫。

「にゃ、にゃーっ! フーッ」

 何事かと思って慌てて猫を放すと、猫は激しく動揺して部屋中を駆け回る。

 そして窓に向かって突撃した。

 が、外の寒さを遮る二重ガラスだ。

 子猫の突進ごときではびくともしない。

 おじいさんの豹変ぶりに顔を見合わせる私達。

「ひょっとして……」

(うん、いっちゃったみたい。体が軽くなった気がする)

 もう私達の前の猫はただの野良猫だったのだ。

 真琴に残る力を全て託して、おじいさんはいなくなった。

「フーッ! フカーッ!」

 いきなり見知らぬ場所に連れ込まれていた上に、不審人物に囲まれて驚いたのだろう。

 子猫はかなりの興奮状態だった。

「出してあげましょう」

(えっ、こんなに寒いのに?)

「あの猫はここにいることを嫌がってます」

(うん……そうだね)

 私達を威嚇し続ける猫の姿に真琴も頷く。

 何がそのものにとって幸せなのかなんて、本人が決めることだ。

 目の前の猫にとっては『自由』こそが幸せなのかもしれない。

 

 刺激しないようにそっと窓に近寄り、窓を開く。

 そのほんの小さな隙間から、振り返ることもなく小さなシャム猫は外の世界へと飛び出していった。

 

 

 

 雲の切れ間にのぞいた空を星が一つ流れる。

 さようなら……私達のおじいちゃん……。

 

 

 

 

 

 




美汐の適当な大ぼらはメタルギアソリッドのネタです。
まともなツッコミ役がいないのでスルーされてますが、『まい』が聞いていたら
よくこんな嘘ペラペラ喋んなーって思われてたでしょうね。

そして、ここでまさかのぴろ登場!
本作品では祐一が出ないためぴろという名をつけられてませんが、真琴シナリオでぴろと呼ばれる猫です。
真琴シナリオとの関連を考えて、アナザーな世界観を楽しんでいただければ……。
ついでに言うと、プリスキン3世みたいです。
つまり、その昔秋子さんが拾った白猫の子孫ということになります。
交雑が進んだのか、シャム猫の血も入ったみたいですね。
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