島嶼灯台帯の中継塔。霧の夜から、その翌日。
レムは窓を閉めすぎた。対岸の灯を隠したことに気づき、板戸を押し戻した。風が入り、机の細帯が床へ落ちた。
島の下には小さい船着場がある。その先の港は、いつもなら倉の屋根まで見える。今夜は水面から霧が盛り上がり、塔の下の道も半分しか見えなかった。港へ渡る者が階段を下りると、途中で身体が消える。
レムは細帯を拾い、正規の符号帳の横へ置いた。受けた文をそこへ写し、窓ごとに別の灯で次へ継ぐ。潮文の仕事に就いてから、送り終えるたび、次の塔から受けたという返事を待った。今夜は、返事が遅い。
控えの帳を開くと、古い書き写しが挟まっていた。
帆布払底。八分停に訂正。
共通符号を使い始めた灰暦11年、見習いエネが不足の知らせを、尽きたと読んだ一件だった。同じサイの名を持つオルドから、レムはこの二行を写すよう言われた。なぜ誤った方も要るのかと聞くと、オルドは、次へ送られたのはどっちだ、と指で押さえた。
後から正しい文だけ残せば、買いに走った船頭が勝手だったことになる。
その紙を下へ戻し、レムは窓へ顔を寄せた。光が霧の中で丸く膨らんだ。間を取って紙へ打ちを置く。途中が途切れ、向こうへ繰り返しを求めた。
先任のバルが、別の紙へ取っていた。
「黒帆、までは同じだ」
「帆影多数。そのあと」
「待て、と読める」
二人で受け直すと、停戦文はまだ起案中だと分かった。レムはそのまま書いた。沖で黒い帆の群れを見たという知らせは昼から来ていたが、どの船を指しているかは揃っていなかった。
「これを港へ回します」
バルが椅子を寄せた。
「停戦はまだだ」
「まだだ、とつけて」
「灯の最後だけ消えれば、停戦が来たと取られるぞ」
レムは南の窓を見た。港側へ文を継ぐ塔の灯も、見えたり消えたりしていた。先ほど、繰り返せという光を受けたのに、そのあとへ答える光が戻らない。
バルは窓へ立ち、相手の灯が出るのを待った。
塔の下から、小石を踏む足音が来た。港へ渡る船に乗る使い走りが、階段を上がってきた。船宿で停戦だと言い始めた客がいる。出港するか、荷を下ろすか、荷役が決められずにいると言った。
「今は、成立していない」
レムが言うと、バルが首を振った。
「成立した文を、ここではまだ受けていない。そこを変えるな」
レムは言い直した。使い走りは、船着場へ降りる前にもう一度、その文を口で確かめた。
二つ目の知らせでは、黒帆は停戦外、と読めた。前の文に続くはずの所が欠けている。停戦に入らない船なのか、沖で続いている戦いの話なのか。バルは空きを残した。レムも埋めなかった。
霧が薄れ、南の灯が戻った。
レムは、停戦成立文は未受信、沖の帆影に注意、とだけ継いだ。受けたという返事まで確かめたが、港からは照会が返った。
黒帆停戦外とは、誰の判断か。
レムは受けたままの文を出しかけた。バルが、欠けた所はどうする、と聞いた。レムはもう一度、最初の塔へ返事を求めた。
そこで灯が消えた。
レムは窓を押さえた。向こうの油が切れたのか、霧で見えなくなったのか、どちらでもこちらの手は同じ所で止まる。だが港に伝えれば、同じ意味にはならない。
バルは茶を飲もうとした。椀を持ち上げ、口へつけずに戻した。
三つ目の文は、整った長さで来た。
――停戦成立。沿岸攻防を止めよ。私掠取り締まりは別令を待て。
二人の紙が合った。レムは正規帳へ写し、南へ向いた。
バルが、先の文はどうする、と言った。レムの指が灯の手元で止まった。黒帆が停戦の相手に含まれるかは、今の文でも分からなかった。
この文だけ先へ出せば、次の塔には短く届く。止めよ、の意味も揃う。先の疑義を添えれば長くなる。霧の中で、どこまで一緒に届くか。
「先行文と食い違っています。確認します」
レムは言った。バルはすぐには頷かなかった。南の灯が、こちらを待っている。
レムは発信側へ、停戦外とは何を指すか、と照会を返した。向こうから受けたという合図が出た。そのあとが来ない。
足の指を靴の中で曲げた。長く待ってはいないと思いたかった。南の灯がもう一度、文を求めた。
「回せ」とバルが言った。
レムは南へ立った。停戦成立。沿岸攻防を止めよ。私掠取り締まりは別令を待て。まず受けた文を継いだ。終わりを取り、返事を待った。
受けたという光が返るまで、次を足さなかった。
続いて、塔からの注記だと断り、先行文に黒帆停戦外とあるが意味は再確認中、と送った。バルが控えへ書きつける音がした。
次の塔からは、停戦外をもう一度、と求めてきた。
レムは送り直した。南で受けたことが確かめられ、バルが紙の端へ南塔の返答を書いた。
レムは自分の手を下ろした。指が油で滑っていた。布へこすりつけたあと、控えの欄外に、確認を待ち送信遅れる、と書いた。
バルがその字を見た。
「何を待った」
「黒帆の意味を」
「そこも書け」
レムは細い字で足した。隣には、バルの書いた南塔の返答がある。狭い余白へ別の文を詰めると、二人の字が触れた。
港の使い走りが戻った時、外套の裾が裂けていた。
「倉へ人を入れています。船は、出たのと出ないのがあります」
レムは注記まで聞いたかと尋ねた。男は、停戦と、沖へ出るなという話を聞いた、と答えた。
「沖へ出るなとは、送っていない」
「では、出ていいんですか」
レムは口を閉じた。窓から見えるのは霧だった。男の外套から水が落ち、細帯の裏へ広がった。バルが細帯をずらした。
「黒帆が停戦の相手か、まだ分からない」
レムは言った。
「なら、そう伝えます」
男は返したが、階段を下りる途中で止まった。
「倉へ入った者を、また船へ乗せなくていいんですね」
レムは、港の配置を知らない、と答えた。男が顔を見た。レムは知らない物の名前を探して、付け足すのをやめた。
足音が塔の下へ消えた。レムは後を追いたくなった。窓の向こうで新しい文が始まり、バルが紙へ取った。
夜明けに届いた訂正には、停戦旗を掲げ、略取防止にあたれ、とあった。私掠認定は別紙参照。別紙は塔にはなかった。
その頃には、港で火が出たという知らせが来ていた。どの倉かと聞いても、隣の港の火まで同じ文へ入ってくる。バルは一つずつ出所を聞いた。レムは受けた文と、確かめられた所を別に写した。
送る手を交代した時、霧が少し上がった。対岸には昨日と同じ屋根が並んでいた。屋根の一部が黒い。
レムは机へ座った。控えの最初に挟んだ、帆布の訂正を取り出した。払底の二字も、訂正後の八分停も残っている。
昨夜の紙は、もっと多かった。正規帳には受けた停戦文がある。控えには待った理由、読み切れない所、送り直した文がある。きれいに写せば一冊へ入る気がした。
バルが椅子の背へ外套を掛けた。
「先に寝ろ」
レムは紙を揃え、欄外の字を写そうとして止まった。細帯へ出した文と、あとで帳へ足した説明とが、同じ行へ入っていた。分けて印をつける。バルへ、これを送った時にはまだその返事はなかった、と確かめた。
「そうだ」
「ここも、今直したと書きます」
「余白がなくなるぞ」
バルは言いながら、白い紙を一枚寄せた。
翌日の昼、港から受信記録を求める者が来た。略奪された荷の申請に添えたいのだという。停戦を聞いて防備を解いた船がある。黒帆が停戦外だと聞いて、倉を守るため避難を遅らせた者もいる。使いは二つの申立てを読み上げ、塔からはいつ停戦を送ったか、と尋ねた。
レムは正規帳を出した。使いが受信の欄を見つけ、そこで送ったのですね、と指を置いた。
バルが返事をする前に、レムは控えも開いた。
「ここで確認を求めました。送信は、そのあとです」
使いの指が、欄外へ移った。
「あなたが、待たせた?」
レムは頷きかけた。どの港までどれだけ遅れたか、ここでは確かめられなかった。けれど、自分が灯へ手を置いたまま照会を選んだことは、帳面の空きではなかった。
「この塔で、私が確認を待ちました」
使いはその行を書き写した。隣の小さい字も、とレムが言うと、今は停戦の送信が要る、と返された。
バルが机へ手をついた。
「先の文も持って行け。停戦の文だけ、ここから出てきたんじゃない」
使いは紙を足した。待った理由を書き写し、念のため原帳も後で見せてほしい、と言った。レムは返事をした。サイの名を末尾へ書く時、筆の先が少し太くなった。
使いが去ると、バルは控えを閉じなかった。昨夜の頁は乾き、塩を含んだ細帯だけが反っていた。
レムは帆布の紙を元の所へ戻した。外の灯が光り、交代の塔守が顔を上げた。
レムは起きて答えそうになった。手を机から離し、昨夜の紙を指した。
「この照会だけ、まだ返事がない」
交代の者が、分かったと言った。レムはその返事を聞いてから、階段を下りた。