灰灯圏――百年の記録   作:飯尾みくじ

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灰暦1年 ネマ|持ち手

クシャ採掘帯。移住後のネマの一家。

 

小刀を入れた所から、木の縁が欠けた。

 

ネマは、欠けた分だけもう少し削れば揃うと思った。刃を持ち替えると、横から手が伸びてきた。

 

「待て。それ以上薄くしたら、持ち手ごと取れる」

 

男は木箱を起こした。ネマが削った切り込みを指で押すと、底の方で乾いた音がした。箱の隅の釘も浮いている。

 

「切れる刃だからって、何でも切ればいいわけじゃない」

 

ネマは小刀を膝へ戻した。父から借りている刃だった。板場で魚の腹を裂いていた時には、手を止められたことなどなかった。

 

クシャの宿へ移ってから、朝は母と炊き場を手伝っていた。根菜を切り終えると水を汲み、濡れた籠を片づける。その日は父に忘れ物の布を届けに来て、荷下ろし場の端に空の木箱が積んであるのを見つけた。

 

金具や工具を運んできた箱だった。蓋が割れたものや、持ち手の切り込みから裂けたものを、この男が直していた。ネマはしばらく見ていて、削る所だけならできる、と言ったのだった。

 

男は箱を裏返し、釘抜きで浮いた釘をつかんだ。頭が持ち上がると、板の下へ薄い木片を差し入れた。釘抜きが板へ食い込まなくなった。

 

「それも捨てる木なの」

 

「捨てる前に使える」

 

ネマは足元の欠けた木を拾った。男に渡そうとすると、そこへ置け、と箱の横を指された。

 

「手伝いたいなら、先に釘を集めてくれ。曲がったのと、使えるのを分ける。刃はしまえ」

 

ネマは小刀を鞘へ戻した。しゃがんで釘を拾っているうちに、父の車が空になった。父がこちらを見つけ、手を拭きながら来た。

 

「何をしてる」

 

ネマが答える前に、男が箱をひとつ持ち上げた。

 

「これ、おまえのところで使えるか。蓋なしだが、釘の頭は出てない」

 

父は箱の底と隅を見た。持ち手へ指を掛け、持ち上げ直す。

 

「楔をまとめて積むのにいい」

 

男は荷下ろし場の奥へ顎を向けた。前に来た荷が片づかないうちに、次の工具が積まれている。壊れた箱をただ放っておける場所もなくなっていた。

 

「直すのが間に合わん。釘拾いでも助かる」

 

父はネマの膝を見た。土がついている。

 

「今日は母さんの所へ戻れ」

 

ネマは拾った釘を置いた。男は、手伝った分だ、と小さな銅貨を差し出した。持つと、母に返す籠より軽かった。ネマは握り込まず、手のひらの上で一度ひっくり返した。

 

宿へ戻る途中、包みを開いている売り手を見た。塩漬けの魚だった。値を聞いてから、掌の銅貨をしまった。もう少しあれば、一尾を買える。

 

母は寝床で弟の靴を縫っていた。靴の中へ木の端を当て、底から針を通していた。弟は片方だけ裸足で、布切れを足へ巻いている。

 

「どこへ行ってたの」

 

ネマは釘を拾った話をし、銅貨を見せた。

 

「明日も来いって」

 

「言われたの」

 

「手がいるって」

 

母は針を布へ刺した。

 

「それは、明日も来いとは違うよ」

 

ネマは銅貨を握った。母の言う通りだったので、返す言葉を捜した。

 

「削り方を覚えたい」

 

「朝の片づけが済んだら、この子を見てもらう約束だったでしょう」

 

弟は布切れを結び、もう一度足へ巻いた。ネマが見ていなくても巻ける、と見せたいらしかった。母はその手へ靴を返さず、縫い目を確かめた。

 

「私は昼も炊き場に入る。そう話をしてきた」

 

クシャへ着いたばかりの頃は、朝だけと言っていた。今は、昼に帰る組へ出す食事も増えた。母は鍋を任されるようになり、その分をもらえるという。

 

「じゃあ、私はずっとここにいるの」

 

母の指が止まった。

 

「ずっとなんて言ってない。今日は、この靴を仕上げるまで待って」

 

ネマは寝藁の上へ腰を下ろした。弟が布で巻いた足を差し出す。結び目をほどいてやると、また巻こうとした。ネマは手を貸さずに見ていた。

 

父が戻ったのは、薄暗くなってからだった。荷を曳く仕事をもう一往復増やせるらしい。そうすれば借りを早く払える、と父は言った。

 

「増やせば、それだけ遅くなるんでしょう」

 

母は父の濡れた上着を広げた。父は頷いた。

 

「ここに長くいるつもりはない」

 

ネマは母を見た。母は上着を掛ける所を捜していた。

 

「私、箱を直す仕事を覚えたい」

 

父はすぐに返事をしなかった。ネマの腰にある小刀へ目をやり、それから椀を受け取った。

 

「そのために、ここへ残るのか」

 

「ここへ残るって、まだ言ってないよ」

 

「向こうで使う箱は、向こうの者が直す」

 

「今は、私も向こうの者でしょう」

 

言ってから、強すぎたと思った。父は椀を膝へ置いた。弟が父の靴に触れたので、父は足をずらした。

 

母が、食べ終えてからにしよう、と言った。父は匙を持った。ネマも口へ粥を運んだが、まだ熱く、すぐには飲み込めなかった。

 

翌朝、ネマは炊き場の片づけを早く終えようとして、籠を倒した。泥の残った根菜が転がり、母に洗い直すよう言われた。

 

母が代わってやることはなかった。ネマは泥を落とし、籠を壁へ寄せた。それから弟を連れて荷下ろし場へ行った。

 

男は長い板の反りを見ていた。ネマが立つと、昨日はどうも、と言った。ネマは、釘を拾いに来たのではなく、削り方を教えてもらいたいのだと伝えた。

 

「その子もか」

 

弟が頷いた。男は弟の背後へ手を伸ばし、地面に落ちていた釘を拾った。

 

「ここで遊ばせるわけにはいかん」

 

弟はネマの服を引いた。危ないと聞けば、帰りたくなるのだった。

 

ネマは男に、手伝いの仕事は残っているか聞いた。

 

「箱はある。この山が空になる前に、また来る」

 

「釘拾いだけじゃなくて」

 

男はネマを見て、作業台から短い板を取った。片方に大きな節がある。

 

「持ち手をつけ替える箱がある。まず、削りながら節を避けられるか、ここで試す。仕上がった物の分は払う。やり直す分まで払う余裕はない」

 

「いつまで」

 

「次に荷が来るまでに、今ある箱を空けたい。半日来られる時に来い。来られなければ、こっちでやる」

 

男は板を渡した。ネマは弟に触らせないよう、肩へ担いだ。まだ仕事を任されたわけではなかったが、板を持って帰る足は昨日より速かった。

 

宿の外で、弟を横に座らせて削ってみた。木の筋に沿って刃を動かすと、薄く長い屑が出た。逆から入れると途中でつっかえ、力を入れた途端に大きく割れた。小刀を置き、割れた所を指でなぞる。もう一度、浅く刃を入れた。

 

弟は丸まった屑を拾い、髪へ載せた。ネマが笑うと、もっと載せた。

 

炊き場から戻った母は、弟の頭を見て吹き出した。ネマが削った板を見せると、母は手のひらを当てた。

 

「こっちは引っかかる」

 

削ったばかりの所だった。ネマは、まだ途中だと言った。

 

母はそこで座り直し、弟の髪から木屑を取った。

 

「明日の朝は、私がこの子を見る。あんたは箱の所へ行っていい。昼に戻って。私は昼の鍋へ行くから」

 

「朝の手伝いは」

 

「代わりを頼んだ。ずっと代わってもらえるわけじゃないよ」

 

ネマは板を抱えた。嬉しかったが、昼までに何ができるかは分からなかった。

 

「すぐにできるって、言わないでおいた」

 

母は、そう、と答えた。弟の髪にはまだ一本、木屑が残っていた。

 

男は、ネマが削ってきた板を持って表と裏を見た。割れた所で止まった。

 

「ここは反対から削ったな」

 

ネマは頷いた。男は作業台に板を置き、端を押さえて、どちらから刃を入れるか見せた。同じ方へ削っていても、節の近くでは変わる。刃が入りにくくなったら、腕の力を増やす前に板を見るよう言った。

 

「魚なら、頭と尾が見えるけど」

 

「木も見える。こいつはちょっと捻れてるだけだ」

 

男は節を指で弾いた。ネマも節を見た。昨日までただの硬い点だったものの周りで、筋が回っていた。

 

男は箱の裂けた切り込みを指し、ここはもう持たせない、と言った。細い板の両端に木片を挟み、箱の外側へ当てる。ネマが下から指を入れると、板と箱の間に収まった。反対側にも一枚つけるのだという。

 

ネマは指の当たる下の角を薄く削り、いったん止めて握った。目では揃っていても、掌に角が当たった。そこを削る。別の所が気になり、また止める。

 

男はネマの遅さを急かさなかったが、釘を打つ音を止めることもなかった。箱が一つずつ積み上がるのを見て、ネマは腕を速く動かしたくなった。小刀を握り直し、同じ薄さで続けた。

 

昼前に、二枚ができた。男が重ねると、片方の縁が出た。

 

「もう少し。箱の両側へつける。片方だけ低いと持ちにくい」

 

ネマは母の所へ戻る時刻を気にして、男へ二枚を置いていこうとした。

 

「次は自分で揃えろ」

 

男は小さな布を二枚の間に挟み、ネマへ返した。削った縁が傷まないためだった。ネマは両手で受け取り、宿へ戻った。

 

母はもう出る支度をしていた。ネマは遅くなったことを謝り、二枚を見せた。母は眺める時間もなく、弟をネマの方へ向けた。

 

「その子、もう食べたから。あんたのは鍋に」

 

ネマは板を隅へ置いた。覚えたことを話したかった。母が戻るまで、板を手で握り、目を閉じても引っかかる所が分かるか試した。

 

父はその日の追加の往復を断って、早く帰った。弟は父が眠る前に遊べるのが嬉しく、繰り返しその腕にぶら下がった。

 

ネマが、明日も行っていいか尋ねると、父は男に会ってきたと言った。

 

「俺が荷を取りに行くまでなら、この子を見られる」

 

「追加は」

 

「今日は断った。明日からは、仕事の回し方を聞く」

 

母がそれなら午後は自分が戻れる、と言った。父は頷いたが、借りを払う話をやめたわけではなかった。

 

「箱の分で増えても、使ってしまったら帰れん」

 

ネマは布から二枚を出した。

 

「帰ったら、もう箱を直したらいけないの」

 

父は黙った。ネマは、戻りたくないと言っているのではないと伝えた。自分が覚えたことまで置いていくのは嫌だった。

 

母が、私も鍋を任されるようになった、と言った。

 

「浜へ戻っても、私だけ前の仕事がすぐあるとは限らないよ。戻れるかどうか、聞いてからにしよう」

 

父は弟を膝から下ろした。弟がまた登ろうとして、服をつかんだ。

 

「聞くには、便を捜さないとな」

 

母はそれで頷いた。今夜のうちに行き先が決まることはなかった。ネマは二枚の高さを合わせてみた。片方の出た縁を、明日削るつもりだった。

 

仕事場へ戻ると、箱の山がまた高くなっていた。荷下ろしの男たちが、邪魔な所へ置くなと言い合っている。ネマが借りる作業台は、昨日より壁へ寄せられていた。

 

二枚を揃えると、男は箱へ釘を打った。ネマは釘の先が中へ出ていないか覗き、箱の両側へ手を掛けた。削った所に指が収まった。

 

空では確かめられない、と男は鉄の金具を入れた。箱は地面へ沈むように重くなった。ネマが腰を伸ばすと、底が少し上がった。

 

「下ろせ。両側の板を見せたかったんだ。おまえ一人で運ばなくていい」

 

ネマは下ろした。男が片方を持ち、ネマがもう片方を持った。二人で浮かせると、さっきよりも手の当たる所がよく分かった。指の腹に木が触れ、角は当たらなかった。

 

父が車を引いて来た。男に頼まれ、箱の反対側を持った。ネマの方へ少し傾け、戻した。

 

「痛くないか」

 

「痛くない」

 

父は箱を車へ載せた。置いてから、持ち手をもう一度握り直した。

 

「急いで持っても、手に刺さらん」

 

ネマは返事を忘れた。父が次の箱へ向かってから、うん、と言った。

 

男は仕上がった二枚の分を払った。残りの持ち手も任せると言い、ネマの板を作業台の隅へ寄せた。小刀では届きにくい所を削る刃を貸してくれた。自分の刃を買うには、まだしばらく働く必要がありそうだった。

 

ネマは帰りに塩漬けの魚を買った。小さいのを一尾。残った銅貨はしまい、包みを抱えて宿へ歩いた。

 

母は魚を見て、先に靴だろうと思った、と言った。父も借りへ回す分を取っておくよう言った。ネマは残した銅貨を出した。

 

「全部じゃない。今夜だけ」

 

母は包みを開き、魚の塩を指で落とした。水へ浸す時間は要る、と言った。弟は今すぐ食べたがり、ネマの周りを何度も回った。

 

父の小刀で、ネマは骨に沿って身を外した。生の魚より刃が入りにくかった。鍋で煮ると、小さな身がほぐれた。弟の分から細い骨を抜き、母と父の椀へ分けた。自分にも一切れ残した。

 

父は食べてから、明日の荷が遅ければ、箱の仕上げをまた見に行くと言った。

 

「遅れなくても、見に来てよ」

 

「車を止めてはおけん」

 

ネマは不満だったが、父の椀へ汁を足した。弟が魚の骨を釘にしようと言い出し、母が、それは使えない、と取り上げた。

 

外ではまだ荷を運ぶ声がしていた。木を直す男の小屋にも灯りがついている。ネマは小刀を洗い、布で拭いて父へ返した。明日は向こうの刃を使える。

 

父が小刀を鞘へ戻す横で、ネマは母の靴へ手を伸ばした。弟のよりも底が減っていた。次の持ち手ができたら何を買えるか、銅貨を並べてみる。弟が一枚へ指を置いたので、ネマは残りの数を、初めから数え直した。

 

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