西岸の港。クシャへの道具荷が増えた頃。
サデクは、荷を送り終えるたび、自分の手で札を裏返した。
鍬、釜、寝藁。裏返った札を束ねると、朝にはばらばらだった荷が、ひとつの仕事になって手へ収まる。昨日の束より厚ければ、上役も目を留めるはずだった。
採掘請負の使いに入ってから、港と荷を集める小屋を何度も往復していた。高純度の灰油がクシャで出た。掘る手だけでなく、運ぶ手と、その手が使う道具を送らなければならない。許可を持つ者が小屋へ来ると、サデクは控えを運び、船を捜し、荷を呼んだ。
初めは、運ぶ札を間違えないだけで精いっぱいだった。今は、次の荷が来る前に、空く舟を見つけられる。
「昼の分も任せてください」
上役は札の束を受け取り、同じ面に揃えた。
「夕方までに釜を渡せ。鍬も今日のうちに向こう岸へ」
サデクは頷いた。向こう岸には、クシャへ荷を運ぶ大きな船が待っている。岸のこちら側では荷を小舟へ分けて載せた。板場や干し場へ回っていた舟も、いまは工具の箱を運んでいた。
桟橋へ戻ると、釜が転がらないよう木片を噛ませていた。荷役の男が、舟へ足を掛けたままサデクを呼ぶ。
「これで全部か」
「全部です」
「じゃあ、俺の昼飯もここへ入ってるんだな」
「釜は空です」
男は笑って、空だから軽いわけでもない、と言った。サデクは反対側を持った。岸で待つ者の声を聞き、縄を渡し、最後に札を裏返す。男が櫂を取るまで、舟の縁へ手を置いていた。
小屋へ戻る途中、魚の匂いがした。
桶に蓋をした男が、道の端に立っていた。サデクが来ると、袖へ手を掛けた。
「昨日の札を見たろう。いつ通す」
入江の干し場へ魚を送る板場の親方だった。魚を買い付ける方の船は着いたが、そこから桶を運ぶ小舟が回ってこないという。
「採掘の荷が先です」
「昨日もそうだった」
親方は蓋をずらした。魚の目に、白く曇った所があった。
「こっちを先にしてくれ。明日じゃ出せん」
「向こうでも、人が道具を待ってる」
親方はサデクを見た。手を離し、桶の蓋を戻した。
「魚の方は、待てばよくなると思うか」
サデクは小屋へ向かった。戻ると次の札がある。鍬の束を載せる舟へ渡す札だった。その下に魚の札が挟まっていた。端が濡れ、文字の所まで黒く広がっている。
上役は人を集める紙を見ていた。サデクが舟の話をすると、空いたものから工具へ回せ、と言った。
「魚を一便、先に戻せませんか」
「道具が着かなければ、着いた人間に何をさせる」
サデクは、昨夜見た寝藁の荷を思い出した。鍬を使う者を先に送り、道具を遅らせては、寝床と食事だけが要る。
上役は返事を待たず、集める人数を別の使いへ伝えた。サデクは札を束ね直した。魚の札は、鍬の下へ戻した。
昼を過ぎて、鍬を取りに桟橋へ行くと、板場の前に女が座っていた。足元へ空の籠を置き、親方と話している。
「今日は払えないと言ってるんだ」
「昨日の分だよ」
「昨日の魚が出てない」
女は籠を持ったが、立たなかった。サデクは通り過ぎ、鍬を積んだ場所へ着いた。船頭が、魚を運ばなくて済むから早く終わると言った。
「戻ったら、鍬を載せます」
「戻ったら?」
サデクは札を開き、魚を上へ置いた。親方が桟橋の手前から見ていた。
「先に入江へ、これを」
船頭は魚の札を取り、次に鍬を見た。
「上で変えたのか」
サデクは、はいと言いかけた。
「俺が変えました。今日の一便だけ」
船頭は札を返した。
「それでいいなら桶を持ってこい。戻るのは風次第だぞ。鍬を全部積んでから、魚へ行くほどの場所はない」
サデクは親方を呼んだ。親方は、札を見せろ、と聞き直した。サデクが開くと、ようやく走った。
桶が来た。蓋を持つ女も来た。サデクが持ち上げると、紐が掌へ食い込んだ。積む時に桶を傾け、船頭に怒鳴られた。親方が腰を下げ、もう一方へ肩を入れた。
「魚まで泳がせるな」
「船に載れば、また泳ぐでしょう」
「売る前に逃げられてたまるか」
親方が笑った。蓋を持つ女も笑い、桶の口へ両手を置いた。今朝まで捌く仕事をしていたらしく、指に細い鱗が残っていた。
最後の桶を積むと、彼女は舟へ乗った。入江で魚を渡し、受取分を持ち帰るのだという。
鍬を運ぶ荷役が桟橋へ来た。
「こっちは」
「舟が戻ってからです」
サデクが答えると、男は荷を下ろした。
「向こうの船には、今日渡すと言ったんだろう」
言った。上役にも、今日だと答えた。
サデクは、戻る便を待ってください、と言った。男は空いた場所へ鍬を寄せた。魚の舟が出る間、笑わずに見ていた。
***
夕方になっても、舟は戻らなかった。
鍬の荷役は、もう別の仕事へ呼ばれていた。向こう岸の大きな船から、いつ積むのか聞く使いが来た。サデクは海を見て、それから自分の札を見た。
戻る舟の名を言うと、使いは風を確かめた。
「今日はもう無理かもしれん。向こうでは荷を積み直してる。今から来ても場所を空けて待てない」
サデクは、別の舟を借りられないか桟橋を回った。釜を渡した舟は、次の木材に使われていた。空いて見えた舟には、船底へ水が溜まっていた。荷役の男に、乗って掻き出してみるか、と言われた。
やりかけたが、底板が動いた。男はサデクを岸へ引き戻した。
「その鍬より先に沈むぞ」
サデクは舟の縁を放した。
小屋へ戻り、鍬を今日中には渡せない、と伝えた。上役は、何があったか、と聞いた。魚を先にしたと答えると、札を全部出すよう言われた。
裏返した魚の札を置いた。鍬は、まだ表だった。
「明日の朝、向こうの船へ持っていけ」
上役はそれだけ言った。サデクが、先にする順番は、と聞くと、明日決める、と答えた。
外へ出た時、魚の舟が戻ってきた。女は袋の口を抱えて降り、足を滑らせかけた。サデクが腕を出すと、まだ洗ってないよ、と言って、自分で縁を掴んだ。
「売れたんですか」
「傷んだのはよけられた。それでも残りは取ってもらえた」
彼女は親方の所へ行った。サデクも板場までついていくと、親方が袋を開いた。女たちを呼び、一人ずつ銭を渡す。昼に籠を置いていた女は、受け取ったあと、残りは、と尋ねた。
「まだ全部じゃない。これから売れた分を引いてみる」
女は指を開き、掌の銭を数えた。それを包んでから、空の籠を取り上げた。帰り道に待っていた水売りへ声を掛け、籠の底へ小さな壺を収めた。
親方がサデクへ、魚を持っていくかと聞いた。
桶には、売れずに戻った魚もあった。サデクは首を振り、明日はまた工具を先にすると伝えた。
「分かってるよ。もう残りは干すしかない」
親方は魚へ塩を擦り込んだ。サデクは桶を持ち、女が塩を入れ直せるように寄せた。一便出たのだから、仕事を全部戻せた気がしていた。桶の底はまだ濡れて重かった。
***
翌朝、小屋の机に自分の札の束はなかった。
別の使いが舟の順を確かめていた。魚の札は後ろへ戻っている。サデクが手を伸ばすと、上役が鍬の荷を指した。
「今日は、あっちを運ぶ方だ」
「昨日の分を渡したら、戻ります」
「札はこいつに渡す。おまえは順を伝えるだけにしろ。勝手に差し替えるな」
サデクは机へ手をついた。昨日の朝、自分で任せてほしいと言った場所だった。
「魚が駄目になる前に、通したかった」
「鍬が着かなかった。向こうに人だけ先に入った組がある」
上役は札を新しい使いへ渡した。サデクが、今日は早く着けます、と言っても、それは荷を運んでから聞く、と返された。
鍬の所へ行くと、昨日の荷役がいた。
「今日の魚は」
「後です」
「今日はそうなんだな」
男は片側を担ぎ、サデクへ反対側を持たせた。紙の束と違って、持った場所で片方の重さまで変わる。サデクが肩を上げすぎると、下ろせ、と止められた。
向こう岸で荷を渡すと、大きな船の荷役は他の箱を動かした。もうそこを空けて待ってはいなかった。サデクも箱を運び、足元の寝藁へ鍬の先が刺さらないよう、横へ倒して積んだ。
受け取った印を貰って戻る頃には、腕が熱くなっていた。板場の前を通ると、昨日の親方が干す棚へ魚を並べている。昼まで来ると言っていた女は、まだ来ていなかった。
「あの人は」
「水を汲んでからだってさ。少し払えたら、先に家のことをやってくると言い出した」
親方は困ったように笑った。サデクも笑いかけたが、昨日待たせた荷役の肩を思い出した。
「鍬は渡しました」
親方は、それはこっちへ言われても、と返した。
「そうですね」
サデクは頷き、立ち去ろうとした。棚の端から一尾落ちかけ、親方が手を伸ばす。サデクも支えた。腹の裂け目が指へ触れた。
水壺を抱えて女が来た。親方が遅いと声を掛けると、あんたが昨日これを払ったんでしょう、と返した。女は壺を置き、サデクの手にある魚を受け取った。
「今日は持って行ってくれるの」
「俺には、今は順を変えられません」
女は棚へ魚を置いた。
「分かった。そこはもう、いいよ。これを持って」
棚の片端を示された。サデクは両手を掛け、親方と一緒に日の当たる所へ動かした。女は壺の水を少し手へ取り、魚に触れた指を洗った。
サデクも洗わせてもらった。手を拭く布を取り出すと、鍬の受取を記した紙が袖から落ちた。女が先に拾い、乾いた棚の端へ置いてくれた。
彼は紙を受け取った。荷が着いたことを伝えに、小屋へ戻らなければならなかった。指の間に残った塩を払ってから紙を畳み、今度は濡らさないよう、上着の内へしまった。