灰灯圏――百年の記録   作:飯尾みくじ

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灰暦55年 札を運ぶ私|止まった綱

イルハ港。二番倉から、南の荷受け場まで。

 

私が運んだ最初の札には、三日なら持つ、四日は持たぬ、と書いてあった。

 

薄く削った木片だった。端に節がある。私はその節で、一緒に運ぶほかの二枚と見分けた。二番倉、今夜は灯を早く落とす。南の荷は触るな。そちらはもう、渡す先を聞いてあった。

 

三枚目だけは、縄打ち場の婆が手を離さなかった。

 

「読めたかい」

 

「四日はいけない」

 

「そこを飛ばすやつがいたら、もう一度読ませな」

 

明け方の岸では、綱が濡れた板を擦っていた。魚箱を肩へ載せる声と、荷車の輪が石を噛む音が重なった。私の札のことを知っている者も、その中で働いていた。

 

二番倉のノロに渡すと、彼は札を表裏ひっくり返した。班頭の補佐で、荷の帳面を書く人だった。

 

「字しかないな」

 

「名前も要る?」

 

「いや。ここに置くな。南へ持っていけ」

 

倉の壁際には、片腕を吊った荷役がいた。昨日、夜の積み替えで箱に挟まれた。ノロの開いた日誌には、負傷一、軽症、とある。その男は今朝も来ていたが、綱を取れなかった。

 

「これで軽いのか」

 

私が聞くと、男は口で肩の布を引っ張った。

 

「死んでないからな」

 

南では、二人で運ぶ一箱の賃を、一人分に減らすという話が来ていた。二人で箱を持つから、二人分が一人分になるわけではない、と女たちは言った。新しい勘定はまだ始まっていなかった。始まってから返せと言っても、次の荷の陰へ逃げる。その前に止めたいという者がいた。

 

ほかの持ち場には、別の理由があった。怪我の間の賃。長く待った舟の損。倉に入る前に漏れた樽の金。私にはどれを先に言うべきか分からなかった。

 

南の女は三枚目を読むと、乾魚の山を振り返った。

 

「今夜ここへ新しいのを積ませなければ、持つ」

 

彼女は私を倉へ戻した。札の上にはなかった言葉も、私は覚えて運んだ。

 

その夕方、二番倉の灯が早く落ちた。空いた場所へ次の荷を置こうとした荷主の使いを、ノロが止めていた。倉へ入れたら引き受けたことになる。使いは明日から動かさないつもりかと聞き、ノロは今夜の受取をしないとだけ答えた。

 

私は、明日の仕事をしないための仕事が、こんなにあるとは知らなかった。

 

翌朝、綱を取る音が消えた。

 

沖には船がいた。海も風も、いつもどおり岸を叩いた。私たちは倉の陰に立った。槌を持っていなかったし、腰を落として荷を受ける構えにもなっていなかった。それでも、家へ帰ってはいなかった。

 

昼前、船の者が自分で桟橋へ板を掛けた。岸の荷役を待たず、渡してしまうつもりらしい。板の下に、昨夜残した小さい箱が二段になっている。

 

オルマ・デトが箱の方を見た。

 

港で彼女が声を張ると、ふだんなら人が走る。あの日は何も言わなかった。空の手を一度だけ、箱の角へ向けた。

 

板を掛けた男が、その上へ踏み出した。

 

下の箱が揺れた。私は走りかけて止まり、隣の人足と一緒に角を押さえた。

 

「手があるじゃないか」

 

船の男が言った。

 

「それなら上げてくれ」

 

私たちは箱を持ち上げなかった。男が板から降りるまで、押さえていた。彼は箱を蹴った。私の手のすぐ脇だった。

 

オルマが間へ入った。男ではなく、こちらを見ていた。私は箱から手を離し、腰に差していた札を出した。

 

倒れる荷だけ支えよ。動かすな。

 

朝に南から戻ってきた札だった。男に見せるためではなく、自分でもう一度読むために出した。

 

隣の人足が私の袖を引き、倉の陰へ戻った。

 

二日目、新聞の書き手が岸へ来た。

 

私は水の桶を運んでいた。働かない人間も水は飲む。四人に配った所で、書き手に呼び止められた。

 

「誰に言われて止めた」

 

「私も止めたいと思った」

 

「そういうことではなくて。最初に言った者だ」

 

婆は私に札を渡した。ノロは南へ回せと言った。南の女は荷を入れなければ持つと言った。オルマは昨日、箱の角を指した。どこから答えても、私が見ていない所を、その人が全部やったようになる。

 

「最初は、知らない」

 

私は言った。

 

書き手は水桶へ目を落とした。

 

「指図する者がいないなら、いつ戻す」

 

私は三枚目の札を見せなかった。最終日を誰が決めたか聞かれる気がしたからだ。

 

「私たちが持てるうちに」

 

書き手は何も書かなかった。桶をどけてほしいと言われ、私は道を空けた。

 

その夕方、ノロの日誌には、作業停止、荷崩れ防止、衝突なし、と並んでいた。

 

「昨日、蹴られた」

 

私が言うと、彼は筆を止めた。

 

「蹴ったのは箱だな」

 

「私が殴ってたら?」

 

ノロは日誌をこちらへ向けた。衝突なし、の行を指した。

 

「これは書けない」

 

昨日の袖を引かれた感触が戻った。荷を動かさないことと、人を殴らないことを、同じ時にやらなくてはならなかったのだ。

 

三日目には、水の桶を持つ腕まで重くなった。

 

家の椀は昨日から少し薄い。岸に来る者が減れば、止まったままの箱を支える手も減る。倉の中では乾魚の匂いが変わり始め、沖の船から、水を分けろという声が来た。

 

南の女が、三枚目の札を返してきた。節の所に爪の跡がある。

 

「明日の朝、先にこっちへ来な」

 

「荷を出す?」

 

「風を通す。出せる物と出せない物を見分ける」

 

隣の男が、戻ったら何も勝っていないじゃないか、と言った。誰も、賃が上がったとは聞いていなかった。怪我の金が出るという返事もない。

 

女は倉の中の荷を見たまま答えた。

 

「明日腐らせた分まで、うちの金にされるのは嫌だよ」

 

私は、今日で終えるという札を腰に入れた。運ぶたびに、やめたくない者の顔を見る。三日なら持つ。もう一度読ませるのは、自分より年を取った者に向かっても同じだった。

 

二番倉へ戻ると、ノロが灯を落とす前に人数を見ていた。

 

「南は」

 

「明けに風を通す」

 

彼は明日渡す荷の帳面を開いた。私が書き手に見せなかった札を、自分の手で机の上へ置いた。

 

四日目の朝、私は南の女と倉の戸を開けた。

 

中へ風が入り、魚の匂いがこちらへ押し出された。女は一箱目を開けて、角の湿りを確かめた。私は新しい敷き板を持った。

 

「まだ載せるな」

 

彼女は言った。

 

遠くで綱が鳴った。別の持ち場が先に動いたらしい。こちらの荷を見終えてからでなければ、私たちの手は戻せなかった。

 

女が蓋を閉めた。私は板を置き、隣の人足と箱を持った。箱は初日、板の下で押さえた物より重い。三日分を一度に取り戻そうとして、腰を急がせたくなった。

 

オルマが岸から手を低く出した。私は息を吐き、隣と歩幅を合わせた。

 

昼前には、いつもの声が戻った。けれど、前の荷が板を離れるまで次を持つな、と誰かが何度も言った。止めている間にも、私たちは危ない箱を見続けていた。

 

新聞は、三日間の停止から秩序回復、と書いた。ノロはその紙を倉の戸へ貼らず、帳面の間へ挟んだ。四日目の荷移し賃がいくらでつくかは、まだ帳場の返事を待っていた。

 

私は夜、使い終えた札を婆の所へ持っていった。

 

婆は三枚目を見て、節の所の爪跡を指で擦った。

 

「持ったね」

 

火鉢は小さかった。札を割ると、節の所だけが残った。私はもう一度膝で折り、ほかの札と一緒に火へ入れた。

 

煤の字が赤く縮んだ。今日で終える、の字がいちばん遅くまで読めた。私はその端が火になって崩れるまで、次の木片を入れずに待った。

 

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