西部陶工村。市へ出す品を揃える工房。
底を見るために壺を持ち上げると、手首が先に負けた。
サドは壺を台へ戻した。若い陶工のソヨが、向こうから手を伸ばした。
「返しておく?」
「布を敷いて。口を欠く」
ソヨは古い前掛けを畳み、その上へ壺を伏せた。サドは座り直した。これなら持たずに底へ手が届く。口縁が濡れているので、長く置いてはいけない。
今日は市の前日だった。庭では焼けた椀を藁へ包み、戸口では荷の縄を切っていた。まだ湿ったこの壺は次の窯へ入れる品だが、買い手は今日、字を決めたいと言っていた。
「サド婆の、怒った字を」
買い手は土間へ入るなり、そう言った。
町で古い刻文のある器を売る男だった。壺の口の細さを一度見たが、撫ではしなかった。サドが底へ近づけた骨べらの方を見ている。
「何に怒ってるの」
「昔の。紙を燃やした時のことだよ」
男は懐から銭を出し、まだ台へ置かずに掌で鳴らした。
「教本を守った手で、役人には渡さぬ、と。あんたが入れれば値が違う」
ソヨがサドを見た。その話は知っている。工房へ来る者からも聞くのだろう。サドはべらを下ろした。
「燃やす紙を指したのも、私だ」
「だから、怒った字でいい」
男は底へ指を置いた。
「この辺から。長すぎると、棚で読みにくい」
棚へ底を向けて並べるつもりなのだ。サドは男の指をどかさず、台の端へ手を戻した。爪の間に土が入っていた。取ろうとしても、指先がうまく寄らない。
「その文は、誰が言ったの」
「私が考えた。気に入らなければ変えてくれ」
サドは頷いた。男は銭を台へ置いた。
「私が考えた、と入れるなら」
「あんたの字で売るんだよ」
「なら、私が燃やした、とも入れる」
男は銭を拾った。
「それじゃ教本を燃やしたように読める」
サドは返事をしなかった。あの夜、火へ入れたものを全部見分けられたわけではない。守った本だけを思い出す時にも、それは残る。
ソヨが壺の下の布を引き直した。口縁に重みがかかりすぎていた。男はその動きを見て、次の市まで待つと言った。
「まだ字がないんだから、壺はほかへ売らないで」
「買っていないよ」
サドが言うと、男は口を結んだ。庭の荷を避け、工房から出ていった。
ソヨは戸口の方へ動きかけて止まった。
「返さなくてもよかった銭なのに」
「受け取ってない」
「次の窯代には、入れてた」
サドは彼女を見た。
ソヨが作った椀と小壺も同じ窯へ入る。大きい品の注文が一つ通れば、それに載せて焼けると思っていたのだ。窯を焚く者へ、今日は品数を伝える約束だった。
「ほかへ入れられるか、聞いてくる」
ソヨは前掛けを外した。サドが立とうとすると、壺を指した。
「それ、戻してから。口が潰れる」
二人で壺を起こした。ソヨは荷を包む男に呼ばれ、先に庭へ出た。サドは台へ掌をついて立った。
*
窯へ入れられるのは、小壺だけになった。
椀は数が揃うまで待つ。大壺は、今日の買い手が引き取らなければ、次に焚く時も場所を取る。窯の係は品の底を叩き、どの棚へ置くかだけを答えた。
工房へ戻ると、ソヨは椀を並べ直した。形の違うものを分け、口が少し開きすぎた一つを最後に置いた。
「それ、捨てる?」
サドが聞いた。
「自分で使うなら、困らない」
「売るには」
「値を下げる」
ソヨは椀の底を見た。
「字があれば、同じ値で売れるかな」
サドは首を傾けた。さっきの男が買うのは、ソヨの椀ではなく、自分の昔だった。
ソヨがべらを取った。
「婆さまの名、借りてもいい?」
「これは、あんたが作った」
「だから聞いた」
サドは手を出しかけ、止めた。
「何と入れたいの」
「ソヨ。売れ残ったら、次も私へ来るように」
名の形は知っているが、べらで入れると細い線が崩れると言った。サドは台へ土を寄せ、先に書いてみせた。ソヨはその横で真似し、最後の線を深く押しすぎた。
「浅く」
サドが言うと、ソヨは自分の指で潰した。
昔、この工房とは別の台で、帰るという字を賃の返せへ変えかけた娘がいた。サドはその時にも、何を言いたいか聞いた。
二度目は線が残った。ソヨは椀を持ち、底へ自分の名を入れた。
サドが見ると、最後の字だけ少し斜めだった。
「これで読める?」
「読める」
「じゃ、このまま」
サドはべらを受け取らなかった。ソヨは椀を棚へ戻した。口の開いた形も、斜めの字も、そのままだった。
*
翌朝の市で、サドはまだ焼いていない見本の椀を膝へ載せた。
ソヨが奥の棚から小壺を取るあいだ、代わりに品を見ている。向かいの露店から、干した根の束が風で揺れた。買い物籠を持つ女が足を止め、膝の椀へ手を伸ばした。
「婆さまが作った?」
「ソヨ。今、壺を取りに行ってる」
女は口を指で確かめた。
「広いね。子が匙を入れるにはいい」
サドが焼き上がりの値を言うと、女は、いつ持って帰れるかと聞いた。ソヨの戻る方を見る。ちょうど、両腕に小壺を抱えて人の間を抜けてきた。
「まだ窯へ入れる順がついていない。頼むなら、その子へ」
サドは椀を差し出した。底の名をこちらへ向けるためには返す必要があったが、女は中へ指を入れて、深さを測っていた。
ソヨは小壺を布へ置き、客へ顔を向けた。
「これは見本です。次は、これより口を狭くするつもりで」
「これと同じのがほしいんだよ」
ソヨは膝の椀を見た。
「作れます。ただ、窯を焚く日は、まだ決められません」
「一つだけなら急がない。次の市で、どうなったか聞くよ」
女は手付けの銭を差し出した。ソヨは受け取ってから、もう一度、同じ口でよいか確かめた。サドは先に頷いてしまわないよう、手を前掛けの上へ置いた。女へ渡しかけた見本は、膝に戻した。
女が去ると、ソヨは受け取った銭を数えた。
次の窯を頼むには足りない。けれど、口を直さず作る注文が一つあった。ソヨは土をどれだけ分けておくか、声に出して考えた。
サドは持って来た包みを開いた。中に、焦げた教本があった。
子どもが一人、露店の前へ来て、黒い角を見た。
「それも売るの」
「売らない」
サドは残った頁を開いた。種の絵と、下が欠けた行がある。子は絵を指し、次の字を読んでと言った。
「ここは、残ってない」
「婆さまでも?」
「残ってる方なら」
サドは指を移した。子はその指を見て、種、と言った。
ソヨが隣で椀の注文をもう一度数えていた。サドは教本を膝へ寄せ、子の指が絵を隠さない位置へ置き直した。