五港同盟圏。荷袋を繕う縫い場と、夜間識字施療所。
サナが部屋へ行くと、女は針に糸を通していた。
糸の先は少し濡れている。針穴を通るまで時間がかかり、サナは手を出しかけたが、女が目を上げたので引っ込めた。
「通ったよ」
女は針を見せた。それから、膝に置いた薄い布へ刺した。
荷鉤が指を打ったのは去年だった。巻いていた布はもう外れ、爪の脇に白い筋が残っている。女は針を持つ方より、布を押さえる方を先に置き直した。
「縫い場へ行ってみる。明日」
「帳場から呼ばれたの?」
「自分で行くんだよ。小さい袋なら、できるかもしれない」
サナは持ってきた紙を膝へ置いた。女が宿舎を出たのに、寝床と灯りの分が引かれていた。その願い出の控えだった。足りない印をもらい、出た日を確かめてもらうあいだにも、賃から金は引かれた。宿舎費が止まったと聞いたのは、何度か票を取りに行ったあとだった。
止まる前に引かれた分は、まだ戻らない。灯りの分は、縫い場で使う分もあるので同じには扱えないと言われた。女が来なくなったあとの分まで混じっている。
サナは引かれた数を書き出し、読めないところを教師のユナに尋ねた。去年は賃銀票の同じ場所を指で捜していた。今は行が違っても、「宿舎」の字を見つけられる。
「明日、帳場へ言うつもりだった。これを全部比べてもらう」
「私も帳場へは行くよ。残っている賃を受け取りたい」
「先にもらったら、終わったことにされない?」
女は布の裏へ針を出した。糸が通りきらず、途中で止まった。布を膝へ置き、糸だけをもう一度引いた。
「じゃあ、もらわずにいれば、部屋代は待ってくれるかい」
サナは女を泊めている知り合いのことを思い出した。窓の下にはいつも二人分の布が干してある。サナが来た日に、自分の椀を寄せて食べさせてくれたこともある。
「紙に、受け取ったら残りはいらないって書いてあるか、それを見てほしい」
女は言った。
「分かる?」
「分からない字があったら、聞く」
「聞いて。それから私に教えて」
女は縫ったところを、サナへ向けた。細い線が少し斜めに進んでいる。サナが端を引くと、縫い目は開かなかった。
「ほどかなくていいね」
「うん」
二人で布を見た。サナはようやく、持ってきた紙を畳んだ。
翌朝、女は自分の針包みを持ってきた。サナの隣には、去年から別の者が座っている。女はそこへ戻れとは言わず、入口に近い台へ荷袋を一つ置いてもらった。
小さい袋だったが、口の周りは厚く重なっていた。女は台の端で布を押さえ、針を通した。引くと、布も一緒に寄った。
サナが向かいへ回って押さえた。女は続きを縫いかけ、針を置いた。
「それを、毎回してもらうわけにはいかない」
「今日はできるよ」
「おまえの袋は誰が縫う」
奥で、監督役が仕上がった数を呼んでいた。サナの台にはまだ、昨日からの袋がある。女は針を抜き、刺した穴を指で確かめた。
「薄いところだけなら、縫えそうなんだけどね」
監督役が来た。女の手を見て、大丈夫なのかと聞いた。女は、大丈夫とはまだ言わない、と答えた。
「口は厚くて、今日は続けられない。胴の穴ならやってみたい」
「穴だけ残すわけにはいかんぞ。最後は、口も締まらなきゃ袋にならない」
監督役は、女の袋を脇へ寄せた。サナが、口の分は自分が縫うと言うと、それぞれの取り分をどう数えるのかと聞かれた。
サナは袋を見た。二人で仕上げれば一枚になる。それは、今の賃の数え方には出てこなかった。
「また今度来るなら、先に話してくれ」
監督役はそう言い、床の大袋から、繕う袋を出し始めた。
サナは女と一緒に拾おうとして、止まった。女は、出てきた袋の底へ顔を近づけている。布が透け、折り目に沿って小さな穴が並んでいた。
「これは、こっちへ」
女は足元へよけた。
「そこへ置かれると、次が出せない」
「縫わずに切った方がいいよ。穴を塞いでも、引けば別のところが開く」
監督役は袋の端を取った。女は、そこではなく、底の曲がったところを引いてみるよう言った。引くと布が薄く裂け、穴がつながった。
サナは、似た袋を昨日縫っていた。穴へ継ぎ布を当て、口を直し、最後に端を引いた。布が裂けたのは、そのあとだった。
「先に分ければ、縫う分が減る」
女が言った。
監督役は裂けた袋を端布の山へ置いた。次を出し、女へ渡した。
「これもか」
「見てから言う」
女は台へ広げ、片手で底を返した。指がうまく入らず、布を少し持ち上げてから、自分の膝を使った。サナは向かいに立ち、女に示されたところを引いた。
そこは裂けなかった。女は別の継ぎ目を指し、サナにもう一度確かめさせた。
「これは縫える。口をやり直せばいい」
監督役は、まだ大袋に手を入れていた。女は、残りも全部出せとは言わなかった。
「今日はこの束を分ける。それでいくらになる?」
監督役は数を見て、仕分けに出せる賃を答えた。女は低すぎると言った。縫うつもりで開いたあとに捨てる袋が減る、と裂けた布を見せた。サナも昨日無駄にした継ぎ布を指した。
少しだけ額が増えた。女はそれでいいと言い、台の手前へ自分の包みを置いた。
「サナ、あんたは自分のへ戻って。引いてほしいときは呼ぶ」
サナは戻った。隣に女はいない。入口から時々呼ぶ声がするたび、サナは糸を始末して立った。
昼前、女の台には、分けた袋が三つの山になっていた。口を縫い直すもの、底に継ぎ布が要るもの、切って端布にするもの。脇にはもう一つ、小さく積んだ袋があった。サナは一番小さな山を運ぼうとしたが、女に止められた。
「それ、まだ見てない分だよ」
「山が違うんだ」
「私には分かるけど、渡す人には分からないね」
女は腰を伸ばした。サナは自分の台から布の切れ端を持ち、別の束の縄へ結びかけた。女が、なぜそっちなのかと聞いた。目印がなければ混ざる、とサナが言うと、女は赤い端布を指した。
「それは切る分にして。急いで縫う人が、先に持っていける方を教えて」
サナは縄をほどいた。紙が一枚欲しいと言い、監督役から端の汚れた紙をもらった。墨は帳場にある。袋を渡しに行くとき、借りて書いた。
口。底。切る。
底の字が思い出せず、帳場の古い荷書付を開いてよいか聞いた。書記が、そこには出ていないと言い、別の紙を指した。サナは目で追って見つけ、紙の上で形を確かめてから、自分の方へ書いた。
「そんなに長く眺めなくても」
「次は、見ずに書きたいんです」
書記は先に賃銀票を揃え始めた。サナは墨を返し、紙を台へ持ってきた。
女は三つの字を読んでもらい、切るの一枚を指した。
「これだけ、赤い布と一緒にして。読めない人が取っても分かるように」
サナは頷いた。紙を結ぶと、別の女工が来て、口の束を自分の台へ運んだ。女に聞き返さず、先に縫うものを取った。
「持っていったよ」
サナが言うと、女は笑った。
「渡すために分けたんだから、持っていってもらわなきゃ」
昼、女は手を休めた。袋を追加で渡そうとした監督役に、今日はそこまでだと言った。小さな袋の賃ではなく、分けた束の賃を受け取る。明日も来るとは答えず、指の様子を見て決めると言った。
サナはもう少しで自分の分が終わるので、待っていてくれと頼んだ。女は台へ座らず、薬湯を売る店の前で待つことにした。
サナは袋を仕上げると、店の前へ迎えに行った。女は針包みを持ち、二人で帳場へ戻った。
帳場には、以前の賃から渡せる分が出ていた。書記が金と受取の紙を並べる。サナは紙を読み、途中で止まった。受け取る額の下に、残りの扱いが書かれていなかった。
「これで、全部払ったことになるんですか」
「全部ではない。渡す分の受取だ」
「どこを読めば分かる?」
書記は紙を引き寄せ、額のところを指した。サナは控えから、願い出た分も別にあると示した。書記は、それは見直している分だと答えた。
女はサナの向こうから手を伸ばした。
「今くれる分を、私にも数えて。ほかの分は、今日は分からないんだね」
書記が数えると、女はひとつずつ確かめた。サナは余白へ、今日受け取る額と、宿舎費などの見直しはまだ返答がないことを、書いてよいか聞いた。
「受取へ願い出の話を混ぜられると、こっちが困る」
サナは女の顔を見た。女は、渡された金をまだしまっていなかった。
「全部済んだと言ってないなら、そう言ったのを覚えておいてくれるかい」
書記は頷いた。サナは自分たちの控えにだけ書き、女へ読んだ。女は今日の受取を渡した。
サナは、もっと粘るつもりで持ってきた紙を、袋へ戻した。全部の見直しを進める話にはならなかった。女の受け取った金を見ると、負けたように思う気持ちが、まだ少し残った。
仕事場を出て、薬湯の店へ行く途中、女は寝藁を売る者の前で止まった。知り合いの部屋へ新しい分を入れたいという。
「まだ引かれていたのに、こっちでも払うんだ」
サナが言うと、女は並べた寝藁の一つを押した。
「払うよ。あの人は、私が払えるまで待ってくれた。帳場を待ってるのとは、違う」
女は自分で束を選んだ。重いので、運ぶのはサナに頼んだ。サナは肩へ載せ、二人で部屋まで歩いた。
窓の下へ着くと、女は針包みから朝の布を出した。端へ細い縫い目が続いている。
「これは、部屋で少しずつやる。厚いところは、急がない」
「明日は?」
「起きてから考える。今日の指と、明日のは違うかもしれない」
サナは寝藁を置いた。控えの紙を出し、今日の行をもう一度読んだ。女は、日と受け取った額が合っていると言った。その下に続ける行は、まだ空いていた。
夜、施療所でサナは「底」を練習した。
ユナが見て、何の底かと聞いた。サナは荷袋と答え、今日分けたものを説明した。分け終わった袋だと思っていたら、未確認の分だったことも話した。
「字があれば、違う山を持っていかずに済んだんです」
「字を置く前に、どれがどれか聞いた?」
「聞きました。最初は、間違えたあとに」
ユナが笑った。サナも笑った。練習板へもう一度底と書き、上に袋の字を足した。自分が昼に触っているものを、机の上へ持ってこられた気がした。
隣の男が覗き込み、袋の口も書いてくれと言った。恋文を書きたいと言っていた男だった。
「それも手紙に書くの?」
「袋の紐を直してもらった。お礼を言いたい」
サナは口の字を書いた。男が写すと、少し丸くなった。二人で字を眺め、これだと結べないね、と笑った。
帰る前に、サナは昼の紙と同じ大きさに切った紙へ、三つの字を書いた。今度は底も見ずに書けた。切るの紙には赤い端布を結んだ。
翌朝、縫い場へ行くと、入口の台は空いていた。女は来ていなかった。サナは勝手に新しい袋を分けず、昨日の束を確かめた。
字と赤い布を、残っている縄へ掛け直す。
奥から来た女工が、すぐ縫える束を取った。サナはもう引き止めず、先に上がった方から台へ回してね、と声をかけ、自分の針へ糸を通した。