白き怪鳥 作:かぼちゃ頭
真夜中の侵入者
城塞都市クロスフィードへ潜り込むこと自体は、それほど難しいことではない。
問題になるのは、その後だ。
数日なら宿を転々としてもいいが、いつまで続くか分からない調査となれば、街の中で不自然に見えない身分と生活の基盤が必要になる。そこでユリウスが頼ったのが、以前からマフティーへ物資や情報を融通している商人だった。
表向きは食料品から衣類、はては装甲機竜用部品の輸送まで手広く扱う商会で、王立士官学園とも少なからず取引がある。帝国時代からこの街で商売を続けてきた男であり、徴発や強制徴兵で生活を壊された人々を何人も見てきたことから、数年前よりマフティーの活動へ協力していた。
「これが滞在許可証で、こっちはうちの従業員証だ。倉庫も店も好きに使ってくれて構わないし、お前の機竜もすでに運び込んである。人に聞かれた時は、地方から来た仕入れ担当兼護衛ということで話を通してある」
商会の奥にある応接室で、恰幅のいい中年の男が二枚の書類を机へ滑らせる。ユリウスは内容へ一通り目を通したあと、懐へしまった。
「助かる」
「こっちこそ、随分助けてもらってるからな。帝国がなくなってから昔よりはましになったが、国の名前が変わったくらいで悪党まで消えるわけじゃない」
「消えてたら俺たちも楽なんだけどな」
「その割には、また面倒そうなのを追ってるじゃないか」
商人が苦笑すると、ユリウスは机の端に置かれていた焼き菓子へ手を伸ばした。一つ口へ入れ、続けて二つ目も取る。
商人の眉が上がった。
「遠慮しないな」
「うまい」
「感想を聞いたんじゃない」
「だったら何だ?」
「普通、客はもう少し遠慮するものだ」
「俺も一応仕事で来てる」
「だからって客用の菓子を三つも食う理由にはならんだろ」
会話をしている間に三つ目まで平らげていたユリウスが、四つ目へ伸ばしかけていた手を止める。
「糖分が必要なんだ」
「何に?」
「頭に」
「お前の頭は砂糖で動いてるのか?」
「半分くらいは」
「冗談に聞こえないのが嫌だな」
商人は呆れたように笑ったものの、皿を取り上げることまではしなかった。ユリウスもそれ以上は菓子へ手を伸ばさず、机に広げられたクロスフィード周辺の地図へ視線を戻す。
今回、マフティーがこの街へ人を入れた理由はまだ曖昧だった。
ここ数か月、旧帝国と関係のあった人間がクロスフィード周辺で動いているという報告がいくつか上がっている。不自然な資金の流れや、軍用へ転用可能な資材の購入も確認されていたが、それだけで武力介入する理由にはならない。
旧帝国軍人だったことも、旧帝国の貴族だったことも、それだけで罪になるわけではない。過去の所属だけを理由に人間を裁くなら、自分たちが否定してきた旧帝国と何も変わらなくなる。
今はただ、彼らが何をしようとしているのかを見る。
「連絡があった例の二人、元帝国軍人と旧貴族については、こっちでも少し洗ってみた」
商人が地図の端を指で叩いた。
「何か出たか?」
「今のところ、決定的なものはない。元帝国軍人の方は機竜使いだったらしいが、新王国になってからは大人しく新王国軍で勤務している。旧貴族の方も家の規模は縮小しているが、金そのものは多少残してるようだ」
「二人の接触は?」
「そこもまだ取れてない。ただ、別々に動いてる割には、金と物の流れに妙な重なりがある」
ユリウスは少し考えた。
「なら、もう少し見る」
「そうすると思ったよ」
「今叩いて、何もありませんでしたじゃ済まないからな」
「分かってる。こっちでも追わせる」
商人は一度地図から視線を外し、思い出したように口を開いた。
「そういや、学園の方でも少し変わった話がある」
「旧帝国絡みか?」
「いや、そっちはたぶん関係ない。ただ、男が一人来るらしい」
「男?」
王立士官学園は、装甲機竜を扱う女性士官候補生のための学園だ。男性が立ち入ること自体が皆無というわけではないものの、学生として在籍する例はない。
「レリィ学長が直接呼んだらしい。機竜整備士の見習いだとかなんとか」
「名前は?」
「ルクス・アーカディア」
ユリウスの手が止まった。
商人はその反応に気付かず、話を続ける。
「旧帝国の第七皇子。帝国が滅びてからは借金返済のために国中を回って、雑用でも護衛でも何でも請け負ってるからな。変わった皇子様だ」
「……そうか」
五年前の帝都、王宮上空で《ペーネロペー》へ真正面から食らいついてきた黒い神装機竜《バハムート》。
あの時、その使い手がルクス・アーカディアである可能性は限りなく高いと判断した。それでも、本人と直接顔を合わせたことはない。
「知ってるのか?」
「名前くらいはな」
嘘ではない。
全部を話していないだけだ。
「旧帝国の皇族ってだけで面倒を起こす奴もいる。そっちまで首を突っ込むなよ」
「本人が面倒を起こさなければな」
何気なくそう返したユリウスだったが、この数時間後、その言葉を少しだけ撤回したくなることになる。
◇
日が落ち、クロスフィードの街に灯りがともり始めた頃、ルクス・アーカディアは一匹の猫を追いかけていた。
「待って! それ返して!」
猫の口には、小さなポシェットが咥えられている。
昨夜、宿を提供してくれた酒屋の少女の物だった。少女が泣きそうな顔で困っているのを見てしまえば、放っておける性格ではない。
今夜は王立士官学園の学長、レリィ・アイングラムから依頼された機竜整備補助のため、学園へ向かわなければならなかったが、まだ多少の時間はある。
すぐに取り返せばいい。
そう思って追いかけ始めたのが間違いだった。
猫は路地を曲がり、積まれた木箱へ飛び乗ると、そのまま低い屋根へ駆け上がっていった。
「そっちに行くのか……!」
ルクスも塀へ手をかけて屋根へ上がる。
帝国崩壊後、新王国の恩赦によって助命された代わりに国家予算の五分の一に相当する借金を背負わされ、各地で様々な仕事を請け負ってきた身体は、こういう時にも無駄に役立った。
しかし猫は止まらない。
一つ屋根を越え、また次へ移る。追うことへ集中しているうちに、自分がどこまで入り込んできたのか分からなくなっていた。
周囲の建物も少しずつ大きくなり、外から見れば明らかに何らかの施設の一角なのだが、ルクスの視線はポシェットを咥えた猫へ向いたままだった。
「あと少し……」
猫が立ち止まる。
ルクスも慎重に距離を詰めた。
「いい子だから、それをこっちに――」
手を伸ばした瞬間、猫がひらりと身を翻した。同時にポシェットが口から落ちる。
「あっ!」
ルクスは反射的に身体を伸ばし、屋根へ落ちる寸前のそれを掴んだ。
「取った……!」
ようやく息を吐いた、その直後。
足元から、ミシッ、と嫌な音がした。
「……え?」
視線を落とすと、古びた屋根板が明らかに沈んでいる。そこで初めて、周囲に比べてこの部分だけ建材が傷んでいることへ気付いた。
遅かった。
バキッ、と乾いた音が響いた瞬間、ルクスの足元が抜ける。
「うわっ――!?」
身体が落ち、視界いっぱいに湯気と広い浴槽が飛び込んできた。
そして、その真下には金色の髪を濡らした一人の少女がいる。
「え――」
避ける暇はなかった。
「きゃっ!?」
激しい水音とともに、ルクスは少女を巻き込むように浴場へ落下した。反射的に両腕を突いて身体を支えると、至近距離に少女の顔があった。
濡れた金髪が肩へ張り付き、赤みを帯びた瞳がこちらを見開いている。
そこでようやく、自分がどう見ても少女を押し倒したような体勢になっていることへ気付いた。
「……」
「……」
ほんの数秒、二人とも固まった。
やがて少女の顔が見る見る赤く染まっていく。
「い……」
「ち、違うんです!」
「いつまでわたしの上に乗っている気だこの痴れ者が――っ!!」
次の瞬間、ルクスは凄まじい勢いで突き飛ばされた。
◇
同じ頃、ユリウスはクロスフィードの人通りの少ない夜道を歩いていた。
商会側が集めた情報を確認し、周辺の様子を一通り見た帰りだった。片手には、途中の店で買った焼き菓子の紙袋。
腰に下げた《エクス・ワイバーン》の《機攻殻剣》には、使用者認証や機竜召喚だけでなく通信機能も備わっている。その機能を介し、遠方にいるガウマンの声が聞こえていた。
『そっちはどうだ?』
「今のところ何もない。例の二人も今日は動かないと思う」
『なら深入りするなよ。初日から正体ばらしてどうする』
「分かってる」
『あと、仕事中に菓子買い漁るな』
ユリウスは足を止めた。
「どうして分かった」
『お前が菓子屋を見つけて素通りする方が不自然だ』
「随分な言われようだな」
『袋持ってるだろ』
「持ってる」
『ほら見ろ』
「監視してるのか?」
『街をだ。お前を見張ってどうする』
そんなやり取りをしていた時、王立士官学園の方角から大きな悲鳴が上がった。
「きゃああああああああっ!!」
ユリウスが足を止める。
『何だ?』
「学園の方が騒がしい」
ガウマンの声が少しだけ真面目になる。
『襲撃か?』
ユリウスも一瞬警戒したが、すぐに続いて聞こえてきた叫びで、その可能性は消えた。
「覗き魔ーっ!」
「捕まえて!」
「逃がすな!」
「……」
『……』
通信の向こうでガウマンも黙った。
「襲撃じゃなさそうだな」
『だな』
学園の敷地内から、一人の少年が飛び出してきた。
ずぶ濡れだった。
服も髪も完全に濡れ、胸元へ何か小さな袋を抱えながら全力で走っている。その後ろから、大勢の女子生徒が追いかけていた。
「待ちなさい!」
「話を聞いてください! 本当に事故なんです!」
「猫を追って女子浴場まで来るわけないでしょう!」
「本当なんです!」
ユリウスは紙袋から焼き菓子を一つ取り出し、口へ入れながらその光景を眺めた。
どこかで見覚えのある顔だった。
「……あれ」
『どうした』
「ルクス・アーカディアだ」
通信の向こうで、少し間が空く。
『第七皇子か?』
「多分」
『何してんだ』
「追われてる」
『それは聞けば分かる。何やった』
その問いに答えるように、女子生徒の一人が叫んだ。
「覗き魔ーっ! 下着泥棒ーっ!」
「違います! これは僕のじゃなくて――!」
ルクスが振り返った拍子に、抱えていたポシェットの口が開いた。
中から一枚の布が飛び出し、夜風に舞う。
それを見て、追いかけていた女子生徒たちの足が一瞬だけ止まった。
女性用の下着だった。
ルクス自身も止まる。
「……」
「……」
「違うんです」
誰も信じていない顔をしていた。
「捕まえろーっ!!」
「なんでですかーっ!?」
追跡が再開される。
ユリウスは口の中の焼き菓子を飲み込みながら、その光景を見送った。
『……若』
「何だ」
『あれ、本当にお前が言ってた奴か?』
「何が」
『五年前、お前と王宮上空でやり合った《バハムート》の使い手』
ユリウスは答えなかった。
帝国王宮の空で、《ペーネロペー》の異常な挙動へ食らいつき、こちらの死角から迫った敵まで瞬時に斬り払った機竜使い。
その正体だと思っていた少年が、今は女性用の下着を片手に女子生徒から逃げ回っている。
「……人違いかもしれない」
『おい』
「冗談だ」
『半分くらい本気だっただろ』
「少しだけ自信が揺らいだ」
ガウマンが呆れたように息を吐いた。
◇
一方のルクスに、そんな会話を知る余裕は当然なかった。
何度説明しても信じてもらえない。
浴場へ落ちたのは事故で、ポシェットも盗んだものではなく、猫から取り返しただけ。中に女性用の下着が入っていたことなど、ルクス自身も今知ったばかりだ。
それなのに追跡は止まらない。
加えて、ついには装甲機竜まで動員されている始末だった。
「止まりなさい。止まらないと撃ちます。止まっていれば優しく撃ちます」
「優しくってどういうこと!?」
「Yes. 死なないといいなぁ。的な意味です」
「気持ちだけの問題!?」
「Yes. あとなるべく苦しまないといいなぁ。的な意味でもあります」
「殺すのもやむなし!?」
先ほど《ワイバーン》と《ワイアーム》でルクス捕獲を試みた少女たちの中から、ノクトと呼ばれていた少女は特装型機竜《ドレイク》を纏い、なおも追跡を続けていた。
「くっ……!」
背後で引き金を引く気配を感じ取ったルクスは、とっさに斜め前方へ思いきり飛び込む。
その刹那、乾いた音とともに《機竜息銃》から放たれたエネルギー弾が地面を穿った。
「本当に撃ってくるなんて……!?」
背中に冷たいものを感じながら、ルクスは暗がりを抜け、篝火によって明るく照らされた正門への道へ駆け込む。
「ッ……!?」
瞬間、ノクトはそれまで使用していた装甲のゴーグルを自らの手で覆った。
《ドレイク》は《ワイバーン》や《ワイアーム》と比較して基本性能こそ控えめではあるが、索敵や迷彩など特殊な機能を複数備えた機竜だ。
ノクトはその機能の一つ、高感度のセンサーを用いて暗闇の中でもルクスを追跡していたのだが、篝火の炎の光によって、感度を高めていた視界が一瞬でホワイトアウトした。
「Yes. 《ドレイク》の特性は知っているようですね。ですがそれだけでは――」
ノクトが再び《機竜息銃》を放とうと、顔を出した刹那、眼前に火が迫る。
「――!?」
慌てて装甲腕を振るい、迫りくる薪を払うノクト。
一瞬の隙をついてルクスは、火のついた薪をノクトめがけて投げていたのだ。
怯んだその隙をついて、ルクスは正門近くまでたどり着いていた。
「ありえない……いかに手加減していたとはいえ、装甲機竜から逃げおおせるなんて……」
ノクトの驚愕に満ちた呟きは、夜の闇に消えていった。
ようやく出口近くまで辿り着いたルクスは、前方に正門を確認した。
あと少しだ。
逃げるのは良くないが、少し時間を置けば向こうも落ち着き、事情を説明できるかもしれない。
そう思った時だった。
「……ずいぶん可愛らしい覗き魔ね。しかも痴漢に下着泥棒まで。まだ子供じゃない」
前方から落ち着いた声がした。
ルクスが足を止める。
門の近くに、一人の少女が立っていた。
長い蒼銀色の髪に、涼しげな瞳。年齢以上に大人びた雰囲気を纏い、これだけの騒ぎの中にいても不思議と慌てた様子がない。
少女はずぶ濡れのルクスと、その後ろから迫ってくる女子生徒たちを見比べると、僅かに目を細めた。
「えっ……!? い、いや僕は――」
ルクスが説得しようとすると、少女は不意に悲しそうな表情を見せた。
「でも、子供だからといって犯罪者を見逃すわけにはいかないのよ」
「だから事故なんです! それに僕は十七歳なんですけど!?」
気にしていたことを突かれたルクスは悲鳴じみた声を上げながら、少女をかわして逃げようと試みる。
しかし少女――クルルシファー・エインフォルクは、わずかに口元を緩めた。
「――甘いわね」
「え?」
次の瞬間、ルクスの腕を取る。
身体が浮いた。
何が起きたのか理解するより早く、天地が反転する。
「うわっ!?」
綺麗な投げだった。
背中から地面へ落ちた衝撃で息が詰まり、視界が揺れる。
最後に見えたのは、こちらを見下ろす蒼銀色の髪と、ようやく追いついてきた女子生徒たちだった。
「それじゃ、あとは任せるわ。私はお風呂に行ってくるから。もう覗き魔はいないわよね?」
そんな声を最後に、ルクス・アーカディアの意識は途切れた。
◇
少し離れた場所から、その結末まで見届けていたユリウスは、最後の焼き菓子を口へ放り込んだ。
「投げられた」
『誰が』
「ルクスが」
『……黒き英雄が?』
「ああ」
『誰に』
「女の子に」
しばらく通信の向こうが静かになる。
『……大丈夫なのか、新王国』
「そこまで話を広げるな」
ユリウスは空になった紙袋を小さく畳みながら、学園の方へ視線を向けた。
ルクスの周囲には女子生徒たちが集まり、そのまま学園内へ運ばれていくらしい。
今のところ、こちらの調査とは無関係だ。
少なくとも今夜は。
それでも、五年前に一度だけ刃を交えた少年が、想像していたよりずっと普通の人間らしいことだけは分かった。
「……面白い奴だな」
『何が?』
「何でもない」
ユリウスは学園へ背を向けた。
クロスフィードへ来た最初の夜は、予想していたものとは随分違う形で終わろうとしている。
そしてこの時、ユリウスもルクスもまだ知らない。
この小さな騒動をきっかけに、五年前に一度だけ交差した白と黒が、再び同じ戦場へ向かい始めていることを。