白き怪鳥 作:かぼちゃ頭
王立士官学園の機竜格納庫には、数十機の装甲機竜が整然と並べられていた。
飛翔型《ワイバーン》、陸戦型《ワイアーム》、特殊装備型《ドレイク》。実習用として使われる機体が中心ではあるものの、王立士官学園というだけあって整備状態はどれも良好だった。
その一角で、ルクスは自分が普段使用している、改造した《ワイバーン》の状態を確認していた。
装甲各部の接続、機関部、武装。模擬戦とはいえ装甲機竜を使用する以上、事前点検を怠るわけにはいかない。
「特に異常はありませんね」
少し離れたところで確認していたアイリが言う。
「そういえばリーズシャルテ様って、どんな戦い方をするの?」
ルクスの問いに、アイリは少し考える。
「二年生主席です。この学園でも間違いなく最高水準でしょう。攻めに回った時の圧力も強いですし、火力を活かした戦闘を得意としています。事実、学園内の模擬戦では無敗です」
「火力……」
「それに、神装機竜を使い始めてからは圧倒的な強さを見せています」
ノクトも小さく頷く。
「Yes. 姫様を甘く見ないことを推奨します」
「もちろん。そのつもりはないよ」
そう答えながら、ルクスは《ワイバーン》の《機攻殻剣》へ手を触れた。
リーズシャルテが二年生主席ということは、すでに聞いている。
それだけでも相手の実力を軽視する理由などない。
だが、ルクスが考えていたのは勝つための方法ではなかった。
どうすれば負けずに済むか。
いつも通り、それだけだった。
◇
同じ頃。
王立士官学園から少し離れた建物の屋上で、ユリウスは演習場の方向を眺めていた。
学園内にいるマフティーの協力者から連絡が入ったのは、つい先ほどのことだった。
新王国第一王女リーズシャルテ・アティスマータと、旧帝国第七皇子ルクス・アーカディアが装甲機竜による決闘を行う。
それだけなら、マフティーがわざわざ関心を向けるような話ではない。
だが、対戦する片方が新王国第一王女であり、それも神装機竜を保有する機竜使いとなれば話は変わる。
腰へ下げた《
『本当に見に行ったのか』
「見に来ただけだ。学園には入ってない」
『そういう話じゃない。例の二人の監視はどうした』
「商会側に頼んである。今のところ動きもない」
『だからって王女様の決闘見物か?』
ユリウスは手にしていた遠眼鏡を僅かに下ろした。
「新王国の姫の腕前と、神装機竜を確認するためだ」
『随分真面目な理由だな』
「最初から真面目だ」
『その手に持ってる紙袋は?』
ユリウスは黙った。
中には途中で買った砂糖菓子が入っている。
「……観察には糖分が必要なんだ」
『本当に便利だな、その理屈』
ガウマンの呆れた声を聞き流し、ユリウスは遠眼鏡を再び演習場へ向けた。
◇
決闘の噂は、既に学園中へ広がっていた。
演習場を囲む観客席には多くの生徒が集まり、普段の模擬戦とは比較にならないほどの熱気に包まれている。
新王国第一王女と旧帝国第七皇子。
“朱の戦姫”と“無敗の最弱”。
そして何より。
「姫様ー! 覗き魔なんかやっつけちゃってー!」
「下着泥棒に負けないでー!」
「だから違うんですって!」
演習場の中央に立つルクスの叫びは、観客の歓声に呑まれた。
観客席の一角では、アイリとノクトのほか、三和音《トライアド》のティルファーとシャリスも決闘の開始を待っている。
「いやー、すごい人気だね、アイリのお兄さん」
ティルファーが楽しそうに笑う。
「兄さんには一度痛い目を見てもらったほうがいいんです」
アイリは不機嫌そうに答えた。
シャリスが演習場を見下ろしながら苦笑する。
「それにしても、相手が姫様とは運が悪いな。“無敗の最弱”って噂は聞いたことがあるけど、実際どれくらい強いんだ?」
「強いかどうかという質問なら、答えに困りますね」
アイリの言葉に、ティルファーが首を傾げる。
「どういうこと?」
「見ていれば分かります」
その頃、演習場の中央ではルクスとリーズシャルテが向かい合っていた。
リーズシャルテは既に《機攻殻剣》を手にしている。
「逃げずに来たな、王子サマ」
「約束しましたから」
ルクスも《機攻殻剣》を握る。
そして、ふと思い出したように尋ねた。
「一つ確認してもいいですか?」
「何だ?」
「今回の決闘、引き分けになったら手打ちにしてくれませんか?」
「……何?」
リーズシャルテの眉が僅かに動く。
「ふっ、わたしの気のせいかな?」
ルクスの問いかけに、リーズシャルテは蜂蜜色の髪をかき上げてほほ笑む。
「この期に及んで、寝言が聞こえた気がしたが」
「え? 僕は寝言じゃなくて……」
リーズシャルテは目を細めながら、腰の《機攻殻剣》を抜く。
「わたしの正体に気付いて言っているのなら、それでもいい」
射貫くような視線に、ルクスの背中へ冷たいものが走る。
「ルクス選手、接続の準備を」
同時に審判役の教官が、ルクスを促した。
ルクスは仕方なく《ワイバーン》の《機攻殻剣》を抜き、柄のボタンを押しながら声を上げる。
「来たれ、力の象徴たる紋章の翼竜。わが剣に従い飛翔せよ、《ワイバーン》」
機竜を格納庫から転送するための詠唱符(パスコード)。
契約者の声に反応した刀身が青白い光を帯びる。
キィン、という音とともに光の粒子がルクスの前に集まり、格納庫で眠っていた蒼の機竜が現れる。
「
さらに呟くと装甲が開かれ、ルクスの体を包む。
「そのもう一本の剣は飾りか、ルクス・アーカディア?」
その声にリーズシャルテへ視線を向けたルクスは、驚愕に目を見開いた。
リーズシャルテの姿が、深紅の見たことのない機竜に覆われていた。
「新王国の王族専用機、神装機竜《ティアマト》。この機竜はそこらのものとはわけが違うぞ?」
自信に満ちたリーズシャルテ。
神装機竜――世界でそれぞれ一機しか確認されていない希少種。
操縦者への負荷と操縦難度は非常に高いが、その性能は汎用機竜とは一線を画する。使用時の疲労によって命を落とす事故すらあり、所持は各国で厳しく制限される。
それを扱えるという事実そのものが、リーズシャルテの努力と才能を如実に示していた。
性能差だけを見れば、まともな勝負になるとは思えない。
それでもルクスは静かに剣を構えた。
賑やかだった観客席が静まり返り、空気が張り詰める。
その緊張を破るように、甲高いベルが演習場へ響いた。
――決闘開始。
◇
決闘開始の合図と同時に、最初に動いたのはリーズシャルテだった。
《ティアマト》が巨躯を感じさせない速度で、一気に上空へと駆け上がる。
「速い……!」
ルクスもすぐに《ワイバーン》を飛翔させ、使い慣れた《
先に高度を取られれば、それだけで戦いは不利になる。
リーズシャルテを追うように上昇したルクスだったが、その途中で《ワイバーン》を中空に停止させた。
上空で反転した《ティアマト》が、破壊力に優れた巨大な《
「いきなり……?」
《機竜息砲》は《
しかも決闘が始まったばかりで、互いの距離も十分に離れている。
これだけの間合いがあれば、発射を見てからでも回避は間に合うはずだった。
わざわざ序盤から使う理由が分からない。
ルクスが疑問を抱いている間にも、《機竜息砲》の砲身へ光が集束していく。
そして発射の瞬間、リーズシャルテは砲口をほんの僅かに横へずらした。
「……?」
狙いが外れた。
いや、外した?
そう思った刹那、ルクスの側面から凄まじい衝撃が叩き込まれた。
「っ――!?」
完全な死角から何かに殴りつけられ、《ワイバーン》が真横へ弾き飛ばされる。
その先にあるものを認識した瞬間、ルクスの顔色が変わった。
《機竜息砲》の射線。
「しまっ――!」
直後、眩い閃光が視界を埋め尽くした。
回避する時間はない。
ルクスは反射的に《機竜牙剣》へエネルギーを集中させ、青白い光を刀身へ纏わせる。
真正面から受け止めれば、《ワイバーン》の出力では耐えきれない。
機体ごと剣を斜めに傾け、襲いかかる光の奔流を横へ受け流す。
「くっ……!」
轟音とともに凄まじい衝撃が両腕を突き抜けた。
傾斜をつけた《機竜牙剣》に沿って砲撃の大半は横へ逸れていくものの、完全に殺しきることはできない。
残った衝撃だけでも《ワイバーン》は大きく押し流され、ルクスは空中で体勢を崩した。
そしてリーズシャルテは、その隙を逃さなかった。
間髪入れず、四つの影が《ワイバーン》へ襲いかかる。
「っ――!」
一基目が側面から激突する。
ルクスは咄嗟に《機竜牙剣》を振るい、その突撃を受け止めた。
しかし姿勢を立て直す暇もなく、反対側から二基目が迫る。
機体を捻って辛うじてかわした直後、その回避先へ三基目が飛び込んできた。
ルクスは障壁を展開して直撃を防ぐが、その衝撃で《ワイバーン》はさらに後方へ押し流される。
そして背後から四基目。
振り向く余裕はない。
ルクスは咄嗟に高度を落とし、頭上すれすれを飛翔兵装が通過していく。
ようやく包囲から抜けた《ワイバーン》は大きく距離を取り、どうにか姿勢を立て直した。
「これは……」
周囲を旋回する四基の小型兵装。
《ティアマト》の固有兵装の一つ、《
その姿を見た瞬間、ルクスは最初に自分の側面へ叩き込まれた衝撃の正体を理解した。
「よく防いだな。あの体勢から防がれるとは思っていなかったよ。流石は“無敗の最弱”だな」
上空のリーズシャルテが不敵に笑う。
「どうした? 妹からわたしのことは聞いていたんだろう?」
「武装については聞いていましたけどっ……!?」
単純に《機竜息砲》の火力で押し切るのではない。
《空挺要塞》で相手の位置を動かし、自らの攻撃が最も効果的に通る場所へ追い込む。
最初の一撃もそうだ。
《機竜息砲》そのものを当てにいったのではなく、《空挺要塞》でルクスを射線へ押し込み、砲撃を凌いで体勢を崩したところへさらに追撃を重ねた。
高火力だけではない。
複数の兵装を同時に操り、相手の動きを支配する。
それがリーズシャルテ・アティスマータの戦い方だった。
四基の《空挺要塞》が再び迫る。
一基目を《機竜牙剣》で受け流し、二基目を障壁で弾く。
三基目を急上昇でかわし、その勢いのまま四基目の上を取って包囲を抜ける。
《ワイバーン》が距離を取ったところで、リーズシャルテの表情が僅かに変わった。
先ほどまでの苛立ちとは違う。
そこに浮かんでいるのは、目の前の相手への明確な興味だった。
「見くびっていたが、なかなかやるじゃないか。撤回するよ」
ルクスは《機竜牙剣》を構え直す。
先ほどの《機竜息砲》を受けた影響で、使い込まれた《ワイバーン》の装甲にはさらに傷が増えていた。
リーズシャルテはその機体を眺めたあと、ルクスの腰へ視線を移す。
《ワイバーン》を召喚したものとは別に、もう一本残されている漆黒の《機攻殻剣》。
「だからこそ言ってやる。その壊れかけの《ワイバーン》を解除して、もう一本の《機攻殻剣》を使うといい」
「どんな機竜かは知らないが、その壊れかけよりはマシだろう?」
リーズシャルテの声からは、先ほどまでの刺々しさが薄れていた。
自分とまともに渡り合える相手を見つけたことを喜ぶような、どこか親愛すら感じさせる声音だった。
「見せてみろ、お前の全力を」
だがルクスは、腰に残された《機攻殻剣》へ一瞬だけ視線を落としたあと、静かに首を横へ振る。
「悪いけど、こっちの剣は使うことはできません」
「……何?」
「それと、このまま引き分けになったら……今回の件は手打ちにしてもらえませんか?」
リーズシャルテの表情から、笑みが消えた。
「…………」
自分は目の前の相手を認め、全力を見せろと促した。
それなのにルクスは、もう一本の《機攻殻剣》を使うことすら拒み、壊れかけの汎用機竜でこのまま自分を凌ぎ切れると言っている。
先ほどまで芽生えかけていた親しみが、急速に苛立ちへと塗り替えられていく。
「……貴様」
低い声が漏れた。
「どこまでわたしを舐めれば気が済む……!」
「いや、そういうつもりじゃ――」
「黙れ!」
怒声が演習場へ響き渡る。
リーズシャルテは《機攻殻剣》を強く握り締めると、深紅の神装機竜へ命じるように叫んだ。
「《ティアマト》よ! 本性を顕せ!」
その言葉に応えるように、《ティアマト》の各部が低い駆動音を響かせた。
巨大な兵装が転送され、右腕部の装甲へ接続されていく。
七つの砲口を一つに束ねた、異形の重砲。
「――《
先ほどの《機竜息砲》より二回りは大きい。
その威容だけでも、汎用機とはまるで次元の違う火力を秘めていることが分かる。
ルクスはその威容に僅かに身を強張らせた。
しかし、《ティアマト》の本性はそれだけではなかった。
その周囲へ新たな《空挺要塞》が次々と出現していく。
四基。
八基。
十二基。
そして十六基。
先ほどの四倍となる十六基もの《空挺要塞》が、深紅の《ティアマト》を中心に空中へ広がった。
それぞれが異なる位置を取り、逃げ道そのものを覆い尽くすように《ワイバーン》を包囲していく。
リーズシャルテは右腕の《七つの竜頭》をゆっくりと持ち上げた。
怒りに満ちていたはずの顔に、次第に獰猛な笑みが浮かぶ。
「踊りは得意か、ルクス・アーカディア」
その笑顔を見た瞬間、ルクスの背中へ冷たいものが走る。
「わたしのダンスは少々荒っぽい。楽しませてくれよ、王子様」
その光景を目にした審判役の教官の顔色が変わった。
「ちょっと待ちなさい! リーズシャルテ姫! 相手を殺す気ですか!?」
十六基の《空挺要塞》と《七つの竜頭》。
模擬戦へ持ち込むには、明らかに過剰な火力だった。
リーズシャルテは僅かに教官へ視線を向けると、再びルクスを見る。
「……だ、そうだが? 負けを認めるか?」
ルクスは周囲へ視線を走らせた。
四方を取り囲む十六基の《空挺要塞》。
真正面には、七つの砲口を束ねた《七つの竜頭》。
先ほどまでとは、危険度がまるで違う。
それでも《機竜牙剣》を握る手を緩めることはなかった。
「……僕からは、まだ」
リーズシャルテの目が一瞬だけ見開かれる。
そして次の瞬間、その表情に獰猛な笑みが浮かんだ。
《ティアマト》の出力が一気に跳ね上がり、十六基の《空挺要塞》が同時にルクスへ狙いを定める。
右腕に装着された《七つの竜頭》にも、膨大なエネルギーが集束していく。
「ではこの場で朽ち果てろ!」
演習場にリーズシャルテの声が響き渡る。
「旧帝国の誇りと共にな!」
◇
王立士官学園から少し離れた建物の屋上。
ユリウスは遠眼鏡越しに、深紅の《ティアマト》を追っていた。
『どうだ? 王女様は』
「強いよ」
ユリウスは即答した。
《ティアマト》そのものの出力が高いのは間違いない。
だが、それ以上に兵装の使い方がいい。
高威力の《機竜息砲》を真正面から当てにいくのではなく、《空挺要塞》を死角から叩き込み、ルクスの位置を強制的にずらして射線へ押し込んだ。
さらに砲撃を凌いで体勢を崩したところへ、四基を使って間髪入れず追撃する。
「機体の性能に振り回されてるだけじゃない。《空挺要塞》を独立した武器として動かしながら、自分は《ティアマト》を操縦して、《機竜息砲》まで合わせてる。火力が高いだけの操縦じゃない」
『そんなに難しいのか?』
「難しいよ。自分の機体だけ見てればいいわけじゃない。四基全部の位置と速度、相手との距離、それに次の動きまで頭に入れておく必要がある」
《空挺要塞》を見ていると、どうしても《ペーネロペー》の兵装が頭に浮かぶ。
ファンネル・ミサイル。
構造も制御方式もまったく異なるが、本体とは別方向から兵装を動かし、複数の攻撃軸を同時に作るという点では共通している。
そしてユリウス自身、それを扱っているからこそ分かることもあった。
「似てるな……」
『何が?』
「《ペーネロペー》のファンネル・ミサイルとだ」
ユリウスは遠眼鏡越しに四基の《空挺要塞》を追う。
ファンネル・ミサイルは、敵へ向けて独立誘導し、回避方向を読んで多方向から追い詰めることができる。
だが、最終的には敵機へ命中させて爆発させる兵装だ。
一度使えば、それで終わる。
「ただ、こっちは少し違うな」
『どう違う』
「ファンネル・ミサイルは当てれば爆発して消える。撃った一発をどう通すかが重要だけど、《空挺要塞》はそうじゃない」
一度攻撃を仕掛けても、破壊されない限り空中へ残り続ける。
相手を押し出し、離脱し、位置を変え、もう一度死角へ回る。
そして、また別の攻撃へ使える。
「同じ一基を、何度でも使い回せる」
ユリウスの目が僅かに細くなる。
「だから継続して使うなら、こっちの方が面倒だ。四基がずっと戦場に残って、位置関係も変わり続ける。その全部を把握しながら本体まで動かさなきゃならない」
『なるほどな』
「しかも、ただぶつけてるだけじゃない」
一基でルクスを《機竜息砲》の射線へ押し込み、その後は四基すべてを追撃へ回した。
兵装を消費して攻撃するのではなく、戦場に残し続け、状況に応じて何度も役割を変える。
「数が多いから強いんじゃない。何度でも配置を組み替えられるから厄介なんだ」
『似たようなの使ってるお前が言うと説得力あるな』
「ファンネル・ミサイルは一発限りだからな。こっちは生き残れば次がある」
遠眼鏡の中で、ルクスが四基の《空挺要塞》による追撃を凌ぎ切った。
《機竜息砲》の射線へ押し込まれながら、《機竜牙剣》へ角度をつけて威力を受け流し、体勢を崩した直後の追撃までかわしている。
「……あっちも大概だな」
『ルクスか?』
「ああ。今のは普通なら最初の砲撃で終わってる」
ましてやルクスの《ワイバーン》は改造されているとはいえ、汎用機竜。
機体性能だけなら、《ティアマト》とは比較するのも馬鹿らしいほどの差がある。
それでも落ちない。
五年前、帝都上空で交戦した黒い神装機竜《バハムート》の姿が、一瞬だけ脳裏を過った。
だが、今はそちらを確かめに来たわけではない。
ユリウスは再び《ティアマト》へ視線を戻す。
その直後、演習場の空気が変わった。
リーズシャルテが何かを叫ぶ。
遠すぎて肉声までは聞こえない。
だが、その直後に起こった変化を見れば、何かの制限を外したことだけは分かった。
《ティアマト》の右腕へ、それまでとは比較にならない巨大兵装が接続される。
七つの砲口を束ねた重砲。
そして周囲へ展開される《空挺要塞》の数も増えていく。
四。
八。
十二。
十六。
ユリウスの表情から、僅かに笑みが消えた。
「……十六基か」
『四基の時より凄いのか?』
「単純に四倍じゃない」
遠眼鏡の中で、十六基の《空挺要塞》がそれぞれ別の位置へ広がっていく。
「一度撃ったら消えるミサイルなら、発射した分だけ管理対象は減っていく。でも《空挺要塞》は残る。十六基全部が、次の攻撃にも、その次にも使える」
『つまり?』
「使い手の頭の中じゃ、十六基全部がずっと動き続ける」
それぞれの位置、速度、進路。
ルクスとの距離。
互いの干渉。
本体との連携。
そして巨大な《七つの竜頭》まで同時に扱う。
「……とんでもないな」
その言葉に、今度は素直な感嘆が混じっていた。
《ペーネロペー》のファンネル・ミサイルを知るユリウスだからこそ、多方向兵装を十六基も継続制御する異常さが分かる。
『王女様、相当なもんか』
「ああ。少なくとも機体任せじゃない」
演習場では、審判役らしい教官が慌てて何かを叫んでいる。
だがリーズシャルテは構えを解かない。
ルクスへ何かを問いかけ、それに対してルクスも短く返したらしい。
その直後、《ティアマト》の出力が跳ね上がる。
十六基の《空挺要塞》が一斉に散開し、《七つの竜頭》へ膨大なエネルギーが集束し始めた。
『……止めないのか、教師は』
「止めようとはしてるみたいだな」
『で、王子様は?』
「降参しなかったらしい」
通信の向こうで、ガウマンが小さく息を吐く。
『馬鹿なのか?』
「かもしれない」
ユリウスはそう答えながらも、遠眼鏡を下ろそうとはしなかった。
十六基の《空挺要塞》。
《七つの竜頭》。
そして、それらを相手に壊れかけた《ワイバーン》一機。
ユリウスは紙袋から砂糖菓子を一つ取り出し、口へ放り込む。
「……さて」
再び遠眼鏡を構える。
「どう凌ぐ、ルクス・アーカディア」
◇
十六基の《空挺要塞》が、一斉に動いた。
四方へ散開したそれらは、先ほどのようにただルクスへ突撃するのではなく、上下左右から複雑に軌道を交差させながら《ワイバーン》の周囲を埋め尽くしていく。
同時に、リーズシャルテの右腕へ装着された《七つの竜頭》が轟音を響かせた。
七つの砲口から放たれた光が一つへ束ねられ、巨大な奔流となって空を薙ぐ。
「っ……!」
ルクスは《ワイバーン》を急降下させる。
その進路へ三基の《空挺要塞》が回り込み、左右からさらに二基が迫った。
逃げ道を潰されたと見るや、《機竜牙剣》へエネルギーを纏わせ、一基目を斬り払うのではなく刃の腹で弾き、反動を利用して機体を横へ滑らせる。
そのすぐ脇を《七つの竜頭》の砲撃が駆け抜けた。
間髪入れず、背後から《空挺要塞》が迫る。
障壁で受ける。
衝撃に押し出され、その先にはまた別の《空挺要塞》。
ルクスは空中で機体を半回転させ、装甲の肩口を掠めさせながら辛うじて抜ける。
だが、息をつく間もない。
十六基。
一つを凌いでも、次が来る。
それをかわしても、《七つの竜頭》が待っている。
観客席から見れば、完全な防戦一方だった。
「あっちゃー! もう無理だよ! 先生に言って止めないと!」
ティルファーが思わず身を乗り出す。
演習場の空では、深紅の《ティアマト》が圧倒的な火力を振るい、蒼い《ワイバーン》を追い立て続けていた。
「姫様、完全に本気じゃないか。あのままだとお兄さんの命まで危ないぞ……」
シャリスも表情を引き締める。
だが、アイリだけは静かに戦場を見つめていた。
「あなたが気に病む必要はありませんよ、シャリス先輩」
アイリは真顔のまま、むしろ僅かに笑みすら浮かべて答える。
「この一件は兄さんが勝手にやったことですから。自業自得です」
あまりにも傍観気味なその態度に、三和音の三人が揃って困惑する。
「中途半端な正義感なんて持ってるから、いつも事件に巻き込まれるんです。一見繊細そうですが、実際はお人よしの単純バカなので、仕方ありません」
「……意外に面白い子だな、君は」
呆気に取られるシャリスをよそに、アイリはそのまま続ける。
「でも、そんな兄さんでも一つだけ。私も認めている、いいところがあるんです」
アイリは空を見上げる。
十六基の《空挺要塞》に追い回されながら、それでも《ワイバーン》はまだ落ちていない。
「一度決めたことは、必ずやり遂げるところです」
そう言ったアイリの表情は、先ほどまでの辛辣なものとは違っていた。
それは兄を信じ、自慢する年頃の妹らしい顔だった。
◇
「……上がってるな」
遠く離れた屋上で、ユリウスが小さく呟いた。
『何がだ?』
ガウマンの声に、ユリウスは遠眼鏡を覗いたまま答える。
「防御と回避の精度だ」
最初は《空挺要塞》へ大きく反応していた。
障壁を使い、機体を大きく動かし、とにかく直撃を避けることを優先していた。
だが、今は違う。
《空挺要塞》が接近しても必要以上に動かない。
《七つの竜頭》が照準を合わせても、ぎりぎりまで待ってから最小限の移動で射線を外している。
「最初より動きが小さくなってる。しかも、さっきから同じ攻撃をほとんど同じ方法では受けてない」
『慣れてきたってことか?』
「それだけじゃないな」
ユリウスは十六基の《空挺要塞》を追う。
「攻撃されるたびに、リーズシャルテの手札を覚えてる。射角、間合い、《空挺要塞》を動かす癖、《七つの竜頭》を撃つ前の間……少しずつ読んでるんだ」
攻撃を見てから、ただ反射的に防いでいるわけではない。
戦いながら相手を学習し、その分だけ無駄を削っている。
『嫌な戦い方するな』
「攻める側からしたら最悪だろうな」
ユリウスは僅かに口元を上げる。
「時間が経てば経つほど、倒しにくくなる」
そして遠眼鏡の向こうで、《ワイバーン》がまた一つ、《空挺要塞》の包囲を抜けた。
◇
「……まだ、落ちないのか」
リーズシャルテの額を、一筋の汗が伝った。
十六基の《空挺要塞》。
《七つの竜頭》。
《ティアマト》の圧倒的な出力。
これだけの差がある。
それでもルクスは落ちない。
一方的に押している。
どう見ても優勢なのは自分だ。
だが、仕留められない。
それどころか時間が経つほど、《ワイバーン》の動きから無駄が消えていく。
《空挺要塞》を一基かわし、次を障壁で弾く。
三基目が死角へ入る前に、既に機体がそちらへ傾いている。
《七つの竜頭》を撃てば、先ほどまで大きくかわしていたはずが、今では僅かに高度を変えるだけで射線を外していた。
最初、リーズシャルテはルクスに舐められていると思った。
神装機竜を使う自分を相手に、壊れかけの《ワイバーン》一機で引き分けにできると言われたのだから当然だった。
だが。
「……違う」
小さく声が漏れる。
あれは挑発ではない。
虚勢でもない。
まして、自分を侮っているわけでもない。
ルクス・アーカディアは最初から、本気でそう判断していたのだ。
この《ティアマト》を相手にしても、自分なら最後まで守り切れる。
引き分けに持ち込める。
ただそれだけの、純然たる事実として。
「……そういうことか」
リーズシャルテの口元が上がる。
先ほどまで胸の中に渦巻いていた苛立ちが、静かに消えていく。
代わりに湧き上がってきたのは、戦う者としての昂揚だった。
「だったら――」
《ティアマト》が上昇する。
十六基の《空挺要塞》が動きを止め、深紅の機体の周囲へ静かに集結した。
突然攻撃が止んだことで、ルクスも《ワイバーン》を空中へ停止させる。
「……?」
リーズシャルテは荒くなり始めた呼吸を整えながら、ルクスを見る。
「認めるよ、ルクス・アーカディア」
その声から、もう先ほどまでの怒りは消えていた。
「どうやら、わたしが間違っていたらしい」
「え?」
「貴様はわたしを舐めていたわけじゃない」
リーズシャルテは笑う。
どこか晴れやかな、戦士として相手を認めた笑みだった。
「本当に、このわたしを相手に引き分けるつもりだったんだな」
ルクスは少し困ったように笑った。
「最初から、そのつもりなんですけど……」
「ふっ。今なら分かる」
リーズシャルテは《七つの竜頭》を下ろした。
「だからこそ、こちらもそれに応えなければ失礼というものだ」
ルクスの表情が変わる。
リーズシャルテは《機攻殻剣》を握り直した。
《ティアマト》の装甲各部から、これまでとは異なる低い駆動音が響く。
「ルクス・アーカディア」
赤みを帯びた瞳が、真っ直ぐルクスを見据える。
「ここから先は、わたしも出し惜しみはしない」
空気が変わった。
次の瞬間。
「――《
《ティアマト》を中心に、目には見えない力が一気に広がった。
◇
「ぐっ――!?」
突如として《ワイバーン》が沈んだ。
何かに掴まれたわけではない。
攻撃を受けたわけでもない。
それなのに、機体が地面へ叩き落とされる。
「これは……!」
翼が軋み、腕が下がる。
《機竜牙剣》を持ち上げようとしても、まるで何倍もの重量が加わったかのように動かない。
ルクスは即座に理解した。
「重力……!」
「正解だ」
リーズシャルテの声が響く。
《ティアマト》の神装《天声》。
一定範囲内の重力へ干渉し、対象へかかる力そのものを操る能力。
先ほどまでの火力とも、《空挺要塞》とも次元が違う。
避けるという選択肢そのものを奪う力だった。
「どうだ? これでもまだ守り切れるか?」
ルクスは歯を食いしばり、《ワイバーン》の出力を上げる。
だが動かない。
それどころか、機体各部から軋むような音が響く。
元々損傷していた装甲へ、さらに負荷が加わっていく。
リーズシャルテはゆっくりと《七つの竜頭》を構えた。
七つの砲口が、完全に動きを封じられた《ワイバーン》へ向く。
逃げられない。
防御姿勢すらまともに取れない。
ルクスの視線が、一瞬だけ腰へ落ちた。
もう一本の《機攻殻剣》。
黒い神装機竜《バハムート》。
あれを使えば。
ほんの一瞬、その選択肢が頭を過る。
だが。
「……駄目だ」
使うわけにはいかない。
ルクスは《機竜牙剣》を握り直す。
まだ、終わってはいない。
◇
「……かなり無茶してるな」
遠眼鏡越しに《ティアマト》を見ていたユリウスが呟いた。
『王女の方か?』
「ああ」
神装を使った瞬間、機体出力が明らかに跳ね上がった。
《空挺要塞》十六基。
《七つの竜頭》。
そこへさらに重力制御。
一人の使い手へ要求される処理量としては、明らかに大きすぎる。
だが、それだけではない。
ユリウスはリーズシャルテ本人へ焦点を合わせる。
「……呼吸が乱れてる」
《ティアマト》の性能が足りないわけではない。
機体側は、まだ動く。
だが操縦者側の身体が、その出力についていけていない。
『持たないのか?』
「すぐにどうこうなるとは思わない。でも――」
ユリウスが言葉を止める。
《ティアマト》の右肩が、僅かに下がった。
リーズシャルテの身体が、一瞬だけ傾く。
「……まずい」
その直後。
ルクスへかかっていた重力が、不意に揺らいだ。
◇
《天声》の重力場が乱れる。
ルクスを押さえつけていた圧力が瞬間的に弱まり、拘束が途切れかけた。
だが、ルクスが見たのはそこではなかった。
《ティアマト》の右肩が不自然に落ちる。
リーズシャルテの身体も、それに引かれるように僅かに傾いた。
さらに《空挺要塞》の軌道まで乱れている。
「……まずい」
ルクスの表情が変わった。
これは単なる疲労ではない。
機体と操縦者の動きが、噛み合っていない。
「暴走……!?」
《ワイバーン》が一気に出力を上げる。
重力の拘束が弱まった瞬間を利用して抜け出すと、ルクスはそのまま《ティアマト》へ向かって加速した。
「なっ――!」
リーズシャルテが目を見開く。
ルクスは攻撃のために剣を振り上げているわけではない。
暴走の兆候を見せる《ティアマト》を止めるため、その懐へ飛び込もうとしていた。
「危険です! 早く解除を!」
「黙れ――!」
リーズシャルテは反射的に《空挺要塞》を動かそうとする。
だが、一基、二基と反応が遅れる。
いつもなら思考とほぼ同時に動くはずの兵装が、僅かにずれている。
そのずれを無理やり補おうとした瞬間、今度は《ティアマト》本体が大きく傾いた。
「っ、う……!」
リーズシャルテの身体も装甲に引かれるように崩れる。
《天声》の重力場が激しく揺らぎ、十六基の《空挺要塞》も次々と軌道を乱していく。
観客席から悲鳴が上がった。
「姫様!?」
それでもリーズシャルテは意識を手放さない。
接近してくるルクスを見据え、《機攻殻剣》を強く握り締めた。
「まだ……だ!」
荒れた呼吸を押し殺す。
《天声》による重力制御。
《ティアマト》本体の飛翔。
十六基の《空挺要塞》。
そして《七つの竜頭》。
それらすべてを同時に扱ったことで、操縦者であるリーズシャルテの体力と処理能力が限界を迎えかけていた。
その影響は、すでに《ティアマト》そのものにも現れている。
操縦者の意志と機体の反応が噛み合わず、深紅の神装機竜は不規則に震え、制御を外れかけていた。
「くっ……!」
このまま無理に押さえ込めば、本当に暴走する。
リーズシャルテは即座に判断した。
十六基の《空挺要塞》への制御を切る。
続けて《天声》も解除し、乱れていた重力場を完全に消失させた。
その瞬間、頭の中を埋め尽くしていた膨大な情報が一気に減る。
「はぁっ……!」
大きく息を吐き、意識を《ティアマト》本体へ集中させる。
不規則に揺れていた機体が、ゆっくりと姿勢を取り戻していく。
遅れていた反応も次第に操縦者の意思へ追いつき、暴走しかけていた《ティアマト》は寸前のところで再びリーズシャルテの制御下へ戻った。
一方、重力の拘束から完全に解放されたルクスは、すでに《ワイバーン》を加速させていた。
「リーズシャルテ様!」
先ほど《ティアマト》が見せた異常。
それが単なる疲労ではないと感じ取ったルクスは、機体を止めるために接近していた。
だが距離を詰める途中で、異変が収まっていく。
乱れていた《ティアマト》の姿勢が戻り、《空挺要塞》も動きを止めている。
そしてリーズシャルテ自身も、再び真っ直ぐにルクスを見据えていた。
「……持ち直した?」
リーズシャルテは制御対象を《ティアマト》本体と、《七つの竜頭》ただ一つへ絞る。
七つの巨大な砲口が、接近する《ワイバーン》を真正面から捉えた。
「こんな、こんなことでッ! わたしが負けるかぁぁああ!!」
《七つの竜頭》へ、膨大なエネルギーが集束していく。
対するルクスも《機竜牙剣》を構え直し、《ワイバーン》の速度を緩めない。
暴走の危険は去った。
ならば今度こそ、互いに残された力で決着をつける。
二機の距離が急速に縮まっていく。
その時だった。
演習場の上空を、巨大な影が横切った。
「――?」
ルクスが反射的に顔を上げる。
警報は鳴っていない。
誰かが接近を知らせたわけでもない。
――ただ、そこにいた。
雲の切れ間から現れた異形の影が、ゆっくりと翼を広げる。
人に似た胴体。
大きく発達した両翼。
金属を思わせる硬質な外殻に覆われた四肢。
その姿を認識した瞬間、演習場の空気が凍りついた。
「
誰かの声が、観客席から上がる。
ガーゴイル型と呼称されるそれは、何の前触れもなく、王立士官学園の演習場上空へ姿を現していた。