夏休み。少女は「一人モラトリアム」なんて気取って、人の気配のしないハイキングコースをのんびりと歩いていた。
しかし根っからのインドア派の彼女にとって、本格的な山道は過酷すぎた。
コースの序盤だというのに、すでにフラフラだ。
あたりを見渡すと、コース外れの少し開けた場所に、古い山小屋が見えた。
(あ、ちょっと影がある…あそこで休憩しよう)
山小屋に近づくと、その脇に錆びついた古い物置が建っているのが見えた。
その物置から、小さな声が聞こえてくる。
「う…ううっ…」
彼女は足を止め、耳を澄ませた。
よく聞くと、どうやら子供の泣き声のようだ。
もう一度周囲を見渡してみるが人影はない。そもそもここは山の中だ。
気になった彼女は、物置の方へ歩いていった。
近づいてみると、シャッターが下りている。
泣き声は、その閉ざされたシャッターの向こうから漏れ出ているようだった。
「誰かいるの!?」
彼女は慌てて物置に駆け寄ると、そう呼びかけながら、シャッターに手をかけた。
「あつっ!」
直射日光に照らされた鉄のシャッターは火傷しそうなほど熱い。しかも、経年劣化で歪んでいるのか、力を込めてもびくともしない。
中から聞こえてくる泣き声は止まらない。
「どうしよう…。そうだ。110番」
スマホを取り出そうとして、物置に触れた手の熱さを思い出す。
この暑さの中で、熱された物置に閉じ込められていたら命に関わる。
救助を待っている余裕があるとは思えない。
その手を止め、彼女は周囲を窺った。山道には、やはり誰の姿もない。
「…今なら」
彼女は覚悟を決めた。
「ちょっと待ってて!今すぐ助けるからね!」
彼女は大急ぎで物置の裏手に隠れて、身につけていた衣服を脱ぎ捨てた。そして裸になると急いで物置へ戻った。
(全力でやると、全部壊しちゃう!)
息を止めて力をこめると、鉄のシャッターに指をかける。引き上げるのは一瞬だけ。力の向きを逃がすように、そっと引いた。
「バキッ!!ガラガラァン!!!」
結局、頑丈なシャッターはレールごと引き剥がされて吹き飛んでいき、地面へと転がっていった。
「大丈夫!?怪我してない!?」
シャッターの向こうにいた男の子は、あまりの衝撃にびっくりしながらも首を縦に振る。
呆然とした顔で彼女を見つめている。
「……」
見つめられた彼女は、自分の今の格好が全裸であることを思い出し、背筋が凍りついた。
「ちょっと待ってね!」
パニックに陥った彼女は、文字通り飛ぶように物置の裏へ戻り、涙目になりながら普段着に着替えた。
恐る恐る物置の前に戻ると、男の子はまだポカンとした顔で座り込んでいた。
「大丈夫?一緒に帰ろうね」
「お姉ちゃん、すごい!変身だ!」
男の子がうれしそうに彼女の元に寄ってくる。
彼女は激しく首を横に振った。
「いや、違うの」
「かっこいい!もう一回変身できるの?」
「無理っていうか、違うの」
「お姉ちゃん、すごい!ヒーローだ!」
「違うってば…今のは…その……」
説明できない。
「……大人の事情」
男の子は理解できていないようだった。
しかし、男の子を置いていくわけにはいかない。彼を連れてハイキングコースを戻ることにした。
「おうちどこ?」
男の子に聞いてみると、山の近くに住む幼稚園児らしい。遊びに来て物置の中に入り込んだところ、シャッターが閉まって出られなくなっていたそうだ。
閉じ込められていたとは思えないほど元気いっぱいの男の子とは対照的に、彼女のスタミナは限界を迎えていた。全身の筋肉も悲鳴を上げ続け、山小屋に着いた時以上にフラフラだ。
疲労のあまり、道中はそれ以上まともな会話もできなかった。
山を下りると、男の子の家はすぐ近くにあった。
「あのね、さっきのことは、お父さんやお母さんにも絶対に秘密だからね!約束!」
必死に口止めすると、
「うん!ヒーローとの約束だもんね!」と元気に返事をしてくれた。
数日後。彼女は、スマホでSNSのタイムラインを見て固まった。
画面には、あの子が一生懸命に描いたであろう「ぼくのヒーロー」というタイトルのクレヨンの絵がアップされていた。子供らしいタッチで「あのときの自分の姿」が、見事に再現されている。
『【拡散希望】先日、息子が山で迷子になった際に出会った不審者です。近隣の皆さん気をつけてください!警察には通報済みです!』
リプ欄には「変質者怖すぎる」と恐怖の声が並んでいた。
彼女は未だ残る筋肉痛と戦いながら、「私は変態じゃない…」と布団の中で悶えるのであった。