階段にタンスを放置した少女は、帰ってきた家族に当然のように怒られた。
さらに翌日は筋肉痛で動けなくなった。
ベッドの上で全身の痛みと戦いながら、彼女は誓う。
「もう二度とこんな力使わない!」
しばらく経ったある日、彼女が近所のコンビニでアイスを買って帰る途中のことだった。
「火事だ!」
「おい、中に人がいるぞ!」
聞こえてきた叫び声に顔を上げると、少し離れた古い雑居ビルから黒い煙が噴き出していた。
ビルの正面はすでに防火シャッターが下りて出口を塞いでおり、住人の脱出を阻んでいるようだ。
中からは煙に巻かれた人々の声が聞こえてくる。
「せーのっ!!…だめだ!」
ビルの前では数人の男たちが、体当たりをしたりバールでこじ開けようとしているが、頑丈な鉄のシャッターは動かない。
(…私なら、助けられちゃうな)
(でも…)
あの力を呼び出すには、あまりにも条件が悪すぎた。
野次馬が多すぎる。誰かに見られたら、スマホで写真を撮られたら、警察が来たら…。
シャッターは開かない。煙は濃くなっていく。
彼女は唇を強く噛み締める。
(でも、あれ…。私なら、助けられちゃうんだよな)
一歩後ずさりしてから、踵を返した。
「…もう、知らない!」
そして、すぐ近くの薄暗い路地裏へと駆け込んだ。
涙目になりながら、急いで衣服を脱ぎ捨てる。
身に纏うものは何もない。
「…よし!」
彼女はもう一度、火災現場へと走った。
数人がかりでもびくともしなかった鉄のシャッターへ真っ直ぐに向かう。
「どいてください!」と叫ぶ間もなかった。
シャッターのくぼみに手をかけると、大きく息を吸い込む。そして息を止め、全力を込めた。
ギギギギギギギ……!
分厚い鉄製のシャッターがみるみるうちに歪んでいく。
周囲の野次馬たちが、あまりの光景に息を呑んだ。
バキンッ!!
凄まじい音と共にシャッターが壁から完全に引き剥がされた。
「なっ…!?」
周囲からどよめきが起こる中、開いた隙間から、煤にまみれながらも住人たちが次々と外へ飛び出してくる。
「よかった!」
住人たちの無事な姿を見て、彼女は大きく息を吐き出して、力を抜いた。
(…って、ああああああああっ!!)
自分がどんな格好をしているかを、今さらになって思い出す。
周囲には大勢の人がいる。呆然とこちらを見ている人もいる。スマホを構えている人も何人か視界に入った。
「無理無理無理!!」
急いで逃げないと!
彼女はふと思いつく。
(この力を使ったら、逃げられるかもしれない!)
半泣きになりながらもう一度大きく息を吸い込むと、彼女は地面を蹴って逃げ出した。
一歩目。
ドンッ!
衝撃と共に彼女の身体は前方へと弾かれる。
(え、嘘っ!?)
体勢を崩しながらも、慌ててもう片方の足を前に出す。
ドドンッ!
(は、速っ…!)
ドドドンッ!
(ちょ、待って!止まれない、止まれないーっ!!)
転びそうになりながらも、彼女は逃げ去っていった。
こうして彼女は数人の命を救った。
しかし、火災現場には奇妙すぎる目撃証言が残されることとなった。
「おい、あのシャッターを引きちぎったの、裸の女の子だったぞ」
「なんか、すごく小さくなかった?」
「写真は!? 誰か撮ってないのか!」
「撮ろうとしたんだけどさ、その前に一瞬で消えちゃったんだよ」
「あんな人間離れした速さで走れる奴がいるかよ?」
「なんか、走るっていうか、なんか浮いてたし飛んでるみたいだったぞ…」
「…妖精とか?」
「いや、妖精はいないだろ」
「でも、そうじゃなきゃ他に説明がつかなくないか?」
そんな会話が現場の野次馬たちの間で交わされていた頃。
「怖かったぁ…!」
帰宅した彼女は、袋の中から溶けたアイスを取り出した。
「……」
無言でゴミ箱に放り込む。
そのまましゃがみ込み、未だに震える自分の両手を見つめる。
「でも、間に合ってよかった…」
ふと顔を上げる。
「…写真、撮られなかったよね?」
しばらく考える。
「……大丈夫だよね?」
その日の夜。
ネットには、一つの奇妙な目撃情報が投稿されていた。
「火事の現場で、裸の女の子がシャッター引きちぎったらしい」
「急に現れて急に消えたらしいよ」
「写真を撮ろうとしたら間に合わなかった」
「妖精みたいだった」