制限こそあるものの、現代社会においては圧倒的ともいえる透明化の力をもつ彼女。
そんな彼女は今、絶体絶命の危機に瀕していた。
狭い路地裏の自動販売機の影に、衣服とバッグを隠す。そこまでは完璧だった。
目的を果たした後、路地裏へと逃げ帰ってこれた。ここまでもまだ良かった。
しかし一つだけ誤算があった。
彼女のバッグの持ち手は隠しきれていなかったのだ。
裸の彼女が路地裏へと戻ってきたとき、そこには先客がいた。
白髪を綺麗に整えた、三つ揃えを着た老紳士。
彼は自販機の横で足を止めていた。そこには彼女が隠した衣服とバッグがあった。
こんなところに隠されているとは…何か事件でもあったのか?
おじいさんは不審そうにそれらを見つめていた。
衣服を今すぐ回収したい。しかしおじいさんがいる。
彼女は塀の影から見守るしかなかった。
(うそ…おじいさん、お願いだから早くどこか行って!)
「こういうのって、110番もした方がいいのでしょうか?」
おじいさんはポケットからスマホを取り出すと、しばらく悩んでいた。
「…まさか、ね」
やがて、おじいさんは首を振ると、バッグへと手を伸ばした。
(待って!それ持って行かれたら、私帰れなくなる!)
彼女は覚悟を決めた。
大きく息を吸い込み、呼吸を止める。
自分の身体が見えなくなったことを確認すると、彼女はおじいさんの元へと走った。
おじいさんがバッグを持ち上げようとしたタイミングで、透明な手がバッグの端をぐっと引っ張った。
「おや?」
おじいさんの手から、バッグがするりとすり抜けた。
おじいさんは不思議そうに首をかしげる。
「何かに引っかかりましたかね?」
彼女は内心で叫んだ。
(お願いだから、どこかへ行ってぇぇ!)
おじいさんは怪訝な顔でバッグに手を伸ばし、少し力を込めて引っぱる。
(手を離してぇぇ!)
彼女の限界は近い。必死にバッグを掴んで抵抗する。
(頼むから!もう諦めて!)
そのときだった。
遠くの通りから、叫び声が聞こえてきた。
「誰か来て!!」
おじいさんが声の方に振り向くと、少し離れた雑居ビルから、黒い煙がうっすらと立ち上っているのが見えた。
「先にあちらを確認したほうがよさそうですね」
おじいさんは持ち上がらないバッグをその場に残したまま、煙の方向へと走り出した。
「ぶはぁっ!!!!!」
おじいさんが路地の角を曲がった瞬間、彼女は激しく息を吐き出した。
それと同時に全裸の彼女が出現する。
「はぁ、はぁ、し、死ぬかと思った!」
彼女は涙目になりながら、大急ぎで衣服を身に着け、バッグを持った。
そして周囲を不審者のように警戒しながら、こそこそとその場から逃げ去っていった。
それからしばらくして、おじいさんが先ほどの路地裏へと戻ってきた。
「怪我人がいなくて本当に助かりました」
おじいさんはそう言いながら先ほどの自販機の影に目をやる。
しかし、そこに何一つ残されていなかった。
「…無くなっていますね。あの落とし物は結局何だったのでしょうか?」
不思議そうに首をかしげながら、その場を後にした。
それからしばらくして。
最寄り駅の公衆トイレの洗面台では、少し乱れた服装と髪を整えている女性の姿があった。彼女はバッグを握りしめて誓っていた。
「…次は、もっと、絶対にバレない場所に隠す!!」