午後。
喫茶リコリコには、いつもの穏やかな時間が流れていた。
店内には数人の常連客。
カウンターではミカがコーヒーを淹れ、厨房ではミズキが和菓子を作っている。
千束はカウンター席に座りながら、暇そうに足を揺らしていた。
「……暇だなぁ」
「仕事してください」
たきなが即座に突っ込む。
「してるよ。こうしてお客さんを待ってる」
「座ってるだけでしょ」
「細かいことは気にしない!」
そんな二人のやり取りが続いていた、その時。
――カラン。
店の扉が開いた。
「いらっしゃいませー!」
千束が声を上げる。
入ってきたのは――。
「……あ」
ユイトだった。
千束の顔が一瞬で明るくなる。
「ユイトさんじゃん!」
「こんにちは」
ユイトが軽く頭を下げる。
「また来てくれたんだ」
「はい。……ここ、落ち着くので」
「へぇ~?」
千束の視線が、厨房へ向かう。
そこにはミズキがいた。
ユイトもつられてそちらを見る。
「……」
目が合った。
「あら、ユイトくん」
ミズキが笑う。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
ユイトの胸が――。
ドクン。
「……?」
千束がニヤリと笑った。
「……また鳴ったね」
「え?」
「心臓」
「……」
ユイトが気まずそうに目を逸らす。
「恋だねぇ」
「だから、何の話ですか……」
たきなが呆れたように千束を見る。
「千束、あんまりからかわないように」
「だって面白いんだもん」
ユイトは苦笑する。
ミズキが厨房から声をかけた。
「今日は何にする?」
「えっと……ブレンドコーヒーと、おはぎセットで」
「はいはい。ちょっと待ってて」
ミズキが厨房へ戻っていく。
ユイトはカウンター席に腰を下ろした。
千束も隣に座る。
「ねえ、ユイトさん」
「はい?」
「前から聞こうと思ってたんだけどさ」
「何ですか?」
「ユイトさんって、普段何してる人?」
「……俺ですか?」
「うん」
ユイトは少し考えた。
「家政婦のアルバイトをしています」
「家政婦?」
たきなが反応する。
「はい。掃除とか、料理とか。あとは買い物をしたり」
「へぇ~。料理もするんだ」
「はい」
ユイトが少しだけ笑う。
「将来、料理人になりたいと思っているので」
「料理人?」
千束が目を輝かせる。
「いいじゃん!」
「ありがとうございます」
「じゃあ、料理得意なんだ?」
「まだまだです」
ユイトは苦笑する。
「人に出せる料理は作れますけど、プロとしてやっていくには、もっと勉強しないと」
「へぇ……」
たきなが少し感心したようにユイトを見る。
「ちゃんと目標があるんですね」
「はい」
ユイトは頷いた。
「昔から料理をするのが好きだったんです」
「どうして料理人になろうと思ったの?」
千束が尋ねる。
ユイトは少し考えた。
「料理を食べた人が、笑ってくれるのが好きなんです」
「……」
「自分が作った料理を食べて、『美味しい』って言ってもらえると……嬉しくて」
千束がニッと笑う。
「それ、ミズキに向いてるんじゃない?」
「え?」
ユイトが厨房を見る。
そこではミズキが、おはぎを盛り付けていた。
「和菓子も料理の勉強になるでしょ?」
「まぁ…そうだけども」
千束がミズキに声をかける。
「ミズキ!」
「何よ?」
「ユイトさん、料理人目指してるんだって!」
「へえ?」
ミズキがユイトを見る。
「料理人?」
「を目指してます。」
「それなら、うちで作ってみる?」
「……いいんですか?」
「別にいいわよ」
ミズキはあっさり答えた。
「和菓子だけならここでよく作ってるし。」
「ありがとうございます!」
ユイトの表情が明るくなる。
千束はその様子を見て、ニヤニヤしている。
「よかったねぇ」
「はい!」
「千束」
たきなが千束を見る。
「今の顔、完全に楽しんでる」
「だって恋してるじゃん」
「……そう」
ユイトは二人の会話を聞きながら苦笑する。
そこへミズキが、おはぎとコーヒーを運んできた。
「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」
ユイトはおはぎを一口食べる。
「……美味しい」
「でしょ?」
「餡の甘さもちょうどいいですし、もち米の食感も……」
ユイトが真剣な顔でおはぎを見る。
「これ、どうやって作ってるんですか?」
ミズキが少しだけ嬉しそうに笑う。
「今度、作ってるところ見せるわ」
「本当ですか?」
「ええ」
「ありがとうございます!」
その様子を見ていた千束が、たきなに小声で話しかける。
「……料理の話になると、急に目が輝くね」
「本当に好きなんだと思う」
「そっかぁ」
千束は少しだけ嬉しそうに笑った。
しばらくして。
千束がふと、ユイトに尋ねる。
「ねえ、ユイトさん」
「はい?」
「家族は?」
その瞬間。
ユイトの手が止まった。
「……家族、ですか」
「うん」
千束の声から、少しだけ軽さが消える。
ユイトはコーヒーを見つめた。
「……今は、いません」
「……そっか」
千束は、それ以上聞こうとはしなかった。
けれどユイトは、少し迷ったあと、自分から話し始めた。
「昔は……家族と暮らしていました」
「うん」
「でも、いろいろあって」
ユイトは少しだけ視線を落とす。
「今は一人です」
たきなは黙ってユイトを見る。
「寂しくない?」
千束が聞く。
ユイトは少し笑った。
「……寂しいですよ」
「そっか」
「でも、料理をしていると忘れられるんです」
「料理?」
「はい」
ユイトは自分の手を見る。
「誰かのために料理を作っていると、その人のことを考えるじゃないですか」
「……」
「どんな味が好きかな、とか。何を食べたら喜んでくれるかな、とか」
ユイトは穏やかに笑った。
「そうやって考えていると、一人じゃないような気がするんです」
千束は黙っていた。
たきなも何も言わない。
店内に、コーヒーの香りと和菓子の甘い匂いが漂っている。
「だから……」
ユイトが店内を見回す。
「こういう場所も、好きなのかもしれません」
「こういう場所?」
「ここに来ると、誰かがいて」
千束を見る。
たきなを見る。
厨房のミズキを見る。
そして、カウンターのミカを見る。
「なんとなく、安心するんです」
千束が笑った。
「じゃあさ」
「はい?」
「いつでも来ればいいじゃん」
「……え?」
「ここ、いつ来てもいい場所だから」
千束が笑顔を向ける。
「ね、店長?」
ミカがちらりと千束を見る。
「……まあ、そうだな」
「ほら!」
「常連客は大事だからな」
「だって!」
ユイトは驚いたように三人を見る。
「……ありがとうございます」
「いいって、いいって」
たきなも小さく頷く。
「また来ればいいと思います」
「……はい」
ユイトは笑った。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
最初は――。
ミズキに会いたかった。
それが、この店へ来るきっかけだった。
けれど今は、それだけではない。
料理を学べる場所。
安心できる場所。
そして――。
自分を受け入れてくれる人たちがいる場所。
ユイトはもう一度、おはぎを口に運んだ。
「……やっぱり美味しいです」
「でしょ?」
ミズキが笑う。
穏やかな午後。
この日だけは――。
UNKNOWNのことも。
アギトのことも。
何も考えなくてよかった。
ただ一人の青年として。
料理人を目指すユイトとして。
彼は少しずつ、この場所に自分の居場所を見つけ始めていた。