リコリスリコイル 不可能犯罪   作:鼻眼鏡26号

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少しだけ身の上話

 

 

 午後。

 

 喫茶リコリコには、いつもの穏やかな時間が流れていた。

 

 店内には数人の常連客。

 

 カウンターではミカがコーヒーを淹れ、厨房ではミズキが和菓子を作っている。

 

 千束はカウンター席に座りながら、暇そうに足を揺らしていた。

 

「……暇だなぁ」

 

「仕事してください」

 

 たきなが即座に突っ込む。

 

「してるよ。こうしてお客さんを待ってる」

 

「座ってるだけでしょ」

 

「細かいことは気にしない!」

 

 そんな二人のやり取りが続いていた、その時。

 

 ――カラン。

 

 店の扉が開いた。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 千束が声を上げる。

 

 入ってきたのは――。

 

「……あ」

 

 ユイトだった。

 

 千束の顔が一瞬で明るくなる。

 

「ユイトさんじゃん!」

 

「こんにちは」

 

 ユイトが軽く頭を下げる。

 

「また来てくれたんだ」

 

「はい。……ここ、落ち着くので」

 

「へぇ~?」

 

 千束の視線が、厨房へ向かう。

 

 そこにはミズキがいた。

 

 ユイトもつられてそちらを見る。

 

「……」

 

 目が合った。

 

「あら、ユイトくん」

 

 ミズキが笑う。

 

「いらっしゃい」

 

「こんにちは」

 

 ユイトの胸が――。

 

 ドクン。

 

「……?」

 

 千束がニヤリと笑った。

 

「……また鳴ったね」

 

「え?」

 

「心臓」

 

「……」

 

 ユイトが気まずそうに目を逸らす。

 

「恋だねぇ」

 

「だから、何の話ですか……」

 

 たきなが呆れたように千束を見る。

 

「千束、あんまりからかわないように」

 

「だって面白いんだもん」

 

 ユイトは苦笑する。

 

 ミズキが厨房から声をかけた。

 

「今日は何にする?」

 

「えっと……ブレンドコーヒーと、おはぎセットで」

 

「はいはい。ちょっと待ってて」

 

 ミズキが厨房へ戻っていく。

 

 ユイトはカウンター席に腰を下ろした。

 

 千束も隣に座る。

 

「ねえ、ユイトさん」

 

「はい?」

 

「前から聞こうと思ってたんだけどさ」

 

「何ですか?」

 

「ユイトさんって、普段何してる人?」

 

「……俺ですか?」

 

「うん」

 

 ユイトは少し考えた。

 

「家政婦のアルバイトをしています」

 

「家政婦?」

 

 たきなが反応する。

 

「はい。掃除とか、料理とか。あとは買い物をしたり」

 

「へぇ~。料理もするんだ」

 

「はい」

 

 ユイトが少しだけ笑う。

 

「将来、料理人になりたいと思っているので」

 

「料理人?」

 

 千束が目を輝かせる。

 

「いいじゃん!」

 

「ありがとうございます」

 

「じゃあ、料理得意なんだ?」

 

「まだまだです」

 

 ユイトは苦笑する。

 

「人に出せる料理は作れますけど、プロとしてやっていくには、もっと勉強しないと」

 

「へぇ……」

 

 たきなが少し感心したようにユイトを見る。

 

「ちゃんと目標があるんですね」

 

「はい」

 

 ユイトは頷いた。

 

「昔から料理をするのが好きだったんです」

 

「どうして料理人になろうと思ったの?」

 

 千束が尋ねる。

 

 ユイトは少し考えた。

 

「料理を食べた人が、笑ってくれるのが好きなんです」

 

「……」

 

「自分が作った料理を食べて、『美味しい』って言ってもらえると……嬉しくて」

 

 千束がニッと笑う。

 

「それ、ミズキに向いてるんじゃない?」

 

「え?」

 

 ユイトが厨房を見る。

 

 そこではミズキが、おはぎを盛り付けていた。

 

「和菓子も料理の勉強になるでしょ?」

 

「まぁ…そうだけども」

 

 千束がミズキに声をかける。

 

「ミズキ!」

 

「何よ?」

 

「ユイトさん、料理人目指してるんだって!」

 

「へえ?」

 

 ミズキがユイトを見る。

 

「料理人?」

 

「を目指してます。」

 

「それなら、うちで作ってみる?」

 

「……いいんですか?」

 

「別にいいわよ」

 

 ミズキはあっさり答えた。

 

「和菓子だけならここでよく作ってるし。」

 

「ありがとうございます!」

 

 ユイトの表情が明るくなる。

 

 千束はその様子を見て、ニヤニヤしている。

 

「よかったねぇ」

 

「はい!」

 

「千束」

 

 たきなが千束を見る。

 

「今の顔、完全に楽しんでる」

 

「だって恋してるじゃん」

 

「……そう」

 

 ユイトは二人の会話を聞きながら苦笑する。

 

 そこへミズキが、おはぎとコーヒーを運んできた。

 

「はい、お待たせ」

 

「ありがとうございます」

 

 ユイトはおはぎを一口食べる。

 

「……美味しい」

 

「でしょ?」

 

「餡の甘さもちょうどいいですし、もち米の食感も……」

 

 ユイトが真剣な顔でおはぎを見る。

 

「これ、どうやって作ってるんですか?」

 

 ミズキが少しだけ嬉しそうに笑う。

 

「今度、作ってるところ見せるわ」

 

「本当ですか?」

 

「ええ」

 

「ありがとうございます!」

 

 その様子を見ていた千束が、たきなに小声で話しかける。

 

「……料理の話になると、急に目が輝くね」

 

「本当に好きなんだと思う」

 

「そっかぁ」

 

 千束は少しだけ嬉しそうに笑った。

 

 しばらくして。

 

 千束がふと、ユイトに尋ねる。

 

「ねえ、ユイトさん」

 

「はい?」

 

「家族は?」

 

 その瞬間。

 

 ユイトの手が止まった。

 

「……家族、ですか」

 

「うん」

 

 千束の声から、少しだけ軽さが消える。

 

 ユイトはコーヒーを見つめた。

 

「……今は、いません」

 

「……そっか」

 

 千束は、それ以上聞こうとはしなかった。

 

 けれどユイトは、少し迷ったあと、自分から話し始めた。

 

「昔は……家族と暮らしていました」

 

「うん」

 

「でも、いろいろあって」

 

 ユイトは少しだけ視線を落とす。

 

「今は一人です」

 

 たきなは黙ってユイトを見る。

 

「寂しくない?」

 

 千束が聞く。

 

 ユイトは少し笑った。

 

「……寂しいですよ」

 

「そっか」

 

「でも、料理をしていると忘れられるんです」

 

「料理?」

 

「はい」

 

 ユイトは自分の手を見る。

 

「誰かのために料理を作っていると、その人のことを考えるじゃないですか」

 

「……」

 

「どんな味が好きかな、とか。何を食べたら喜んでくれるかな、とか」

 

 ユイトは穏やかに笑った。

 

「そうやって考えていると、一人じゃないような気がするんです」

 

 千束は黙っていた。

 

 たきなも何も言わない。

 

 店内に、コーヒーの香りと和菓子の甘い匂いが漂っている。

 

「だから……」

 

 ユイトが店内を見回す。

 

「こういう場所も、好きなのかもしれません」

 

「こういう場所?」

 

「ここに来ると、誰かがいて」

 

 千束を見る。

 

 たきなを見る。

 

 厨房のミズキを見る。

 

 そして、カウンターのミカを見る。

 

「なんとなく、安心するんです」

 

 千束が笑った。

 

「じゃあさ」

 

「はい?」

 

「いつでも来ればいいじゃん」

 

「……え?」

 

「ここ、いつ来てもいい場所だから」

 

 千束が笑顔を向ける。

 

「ね、店長?」

 

 ミカがちらりと千束を見る。

 

「……まあ、そうだな」

 

「ほら!」

 

「常連客は大事だからな」

 

「だって!」

 

 ユイトは驚いたように三人を見る。

 

「……ありがとうございます」

 

「いいって、いいって」

 

 たきなも小さく頷く。

 

「また来ればいいと思います」

 

「……はい」

 

 ユイトは笑った。

 

 胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 

 最初は――。

 

 ミズキに会いたかった。

 

 それが、この店へ来るきっかけだった。

 

 けれど今は、それだけではない。

 

 料理を学べる場所。

 

 安心できる場所。

 

 そして――。

 

 自分を受け入れてくれる人たちがいる場所。

 

 ユイトはもう一度、おはぎを口に運んだ。

 

「……やっぱり美味しいです」

 

「でしょ?」

 

 ミズキが笑う。

 

 穏やかな午後。

 

 この日だけは――。

 

 UNKNOWNのことも。

 

 アギトのことも。

 

 何も考えなくてよかった。

 

 ただ一人の青年として。

 

 料理人を目指すユイトとして。

 

 彼は少しずつ、この場所に自分の居場所を見つけ始めていた。

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