リコリスリコイル 不可能犯罪   作:鼻眼鏡26号

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まだ見えない敵

DA本部。

 

 千束とたきなは、楠木に呼び出され、司令室へと向かっていた。

 

「急に呼び出すなんて、何だろうね?」

 

 千束はいつもの調子で笑いながら歩いていた。

 

「緊急の任務ではないでしょうか」

 

「でも、たきなも呼ばれてるんだよね?」

 

「はい」

 

「じゃあ、きっと大事な話だ」

 

 そう言って笑う。

 

 まだ、この時の千束は何も知らなかった。

 

 司令室の扉が開く。

 

「来たか」

 

 楠木が一人で待っていた。

 

「楠木司令、何かあったんですか?」

 

 千束がいつものように尋ねる。

 

 だが、楠木はすぐには答えなかった。

 

 机の上に置かれた資料を見つめている。

 

 やがて、顔を上げた。

 

「……まず、落ち着いて聞いてくれ」

 

 その一言で、千束の笑顔がほんの少しだけ消えた。

 

「……何か、あったんですね」

 

「ああ」

 

 楠木は二人に向き直る。

 

「昨夜、サードリコリスの部隊が任務に出た」

 

「サードリコリスが?」

 

 千束はまだ驚いただけだった。

 

 サードリコリスが任務に出る。

 

 それ自体は、珍しいことではない。

 

「任務内容は?」

 

 たきなが尋ねる。

 

「現場周辺で確認された不審人物の調査だ」

 

「なるほど」

 

 千束は小さく頷く。

 

 まだ表情に大きな変化はない。

 

「部隊は現場へ到着。その数分後、最初の通信が入った」

 

「どんな通信ですか?」

 

「敵性存在を確認した、というものだった」

 

「敵性存在?」

 

 千束の眉が僅かに上がる。

 

「ただし、それ以上の詳しい報告はなかった」

 

 楠木が続ける。

 

「その直後――通信が途絶した」

 

「……途絶?」

 

 今度は、千束の声が少し低くなった。

 

「こちらから何度呼びかけても応答なし。位置情報も失われた」

 

「救援部隊は?」

 

 たきなが尋ねる。

 

「すぐに向かわせた」

 

 楠木が一枚の資料を取り出す。

 

「だが、救援部隊が現場に到着した時には――」

 

 そこで、言葉が止まる。

 

 千束の胸に、嫌な予感が走った。

 

「……何があったんですか?」

 

 楠木は千束を見る。

 

「サードリコリスは、全員死亡していた」

 

「…………」

 

 千束の表情が止まった。

 

 ほんの一瞬。

 

 理解が追いつかない。

 

「……全員?」

 

「ああ」

 

 楠木は静かに頷く。

 

 千束は何か言おうとした。

 

 けれど、言葉が出てこない。

 

 サードリコリス。

 

 同じDAの仲間。

 

 それが――全員。

 

「……どうして?」

 

 ようやく出た声は、普段よりずっと小さかった。

 

「問題は、死因だ」

 

 楠木が一枚目の写真を置く。

 

「現場には銃撃の痕跡が残されていた」

 

「なら……武装した敵と交戦したんですか?」

 

 千束はそう言った。

 

 まだ、そうであってほしいと思っていた。

 

 銃撃戦なら理解できる。

 

 武装勢力なら対処できる。

 

 DAの敵として説明がつく。

 

 だが――

 

「それだけでは説明できない」

 

 次の写真が置かれた。

 

 壁に刻まれた、巨大な傷跡。

 

 千束の視線が止まる。

 

「……何、これ」

 

「現場の壁に残されていた」

 

 楠木は淡々と説明する。

 

「刃物とも銃器とも一致しない」

 

 次の写真。

 

 地面に残された巨大な足跡。

 

 千束が息を止める。

 

「……これ、人間の?」

 

「違う」

 

「……動物?」

 

「該当する動物も確認できていない」

 

 千束の眉間に皺が寄る。

 

 さっきまでの「仲間が死亡した」という衝撃が、別の種類の恐怖へ変わり始めていた。

 

「ちょっと待って」

 

 千束が写真を見る。

 

「じゃあ……誰がやったの?」

 

「分からない」

 

「目撃者は?」

 

「いない」

 

「監視カメラは?」

 

「決定的な映像は残っていない」

 

「……」

 

 千束の質問が止まった。

 

 何も分からない。

 

 敵の姿も。

 

 目的も。

 

 正体も。

 

 ただ、サードリコリスだけが殺されている。

 

 楠木が最後の写真を手に取った。

 

「そして、これが最も不可解なものだ」

 

 写真が机に置かれる。

 

 そこに写っていたのは――

 

 床に残された衣服。

 

 靴。

 

 装備。

 

 そして、それ以外には何もない。

 

「……」

 

 千束の目が写真に釘付けになる。

 

「これ……誰の?」

 

「サードリコリスの一人が身につけていたものだ」

 

「……本人は?」

 

「確認できていない」

 

 千束の呼吸が、一度だけ止まった。

 

「……確認、できてない?」

 

「ああ」

 

「じゃあ……」

 

 声が掠れる。

 

「どこにいるの?」

 

 楠木は答えない。

 

 その沈黙だけで、千束には分かった。

 

「……まさか」

 

 指先が震え始める。

 

 たきなが写真を見つめる。

 

「人体だけが……なくなっている」

 

「ああ」

 

 楠木が頷く。

 

「現場には異常な高熱の痕跡が残されていた」

 

 千束は無意識に自分の胸元へ手を当てた。

 

 息が浅くなる。

 

「焼けた……ってこと?」

 

「通常の火災では説明できない」

 

「爆発?」

 

「違う」

 

「じゃあ……何?」

 

 楠木は答えなかった。

 

 答えられないのだ。

 

 その事実が、一番怖かった。

 

 千束は写真から目を離せなくなっていた。

 

 衣服だけが残っている。

 

 その中にいたはずの人間が、いない。

 

「……こんなの」

 

 千束の唇が僅かに震える。

 

「人間がやったことじゃ……」

 

 そこで言葉が止まった。

 

 自分で口にした言葉に、自分自身が怯えた。

 

 司令室が静まり返る。

 

 楠木は二人を見つめた。

 

「現時点で、我々はこの事件を通常の犯罪とは考えていない」

 

 資料を一枚めくる。

 

「そして、この存在を仮にこう呼んでいる」

 

 紙には、一つの言葉。

 

 UNKNOWN

 

「アンノウン」

 

 千束が小さく呟いた。

 

 その声には、もういつもの明るさはなかった。

 

「何者なのかも分からない」

 

 楠木が言う。

 

「何体いるのかも分からない」

 

「……」

 

「目的も分からない」

 

 千束の指が、ぎゅっと写真の端を握る。

 

 楠木は最後に告げた。

 

「だが、一つだけ分かっている」

 

 千束が顔を上げる。

 

「サードリコリスを、全滅させるだけの力を持っている」

 

 千束は何も言えなかった。

 

 さっきまでなら、冗談の一つでも返していただろう。

 

 けれど今は――

 

 喉が乾いて、声が出ない。

 

 目の前の写真から、目を逸らせない。

 

 そして初めて。

 

 千束は、この事件そのものに対して――

 

 怖いと感じていた。






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