午後。
喫茶リコリコ。
店員用の控え室として使われている和室では、静かな時間が流れていた。
畳の上に置かれた座卓。
その奥にある押し入れの中では――。
「…………」
クルミがノートパソコンを操作していた。
襖を少しだけ開け、その隙間から店内の様子を窺いながら、画面に表示された情報を確認していく。
そこに映っているのは、DAのシステム。
正確には――。
クルミが独自に覗き込んでいる、ラジアータの発信データだった。
「……ん?」
クルミの指が止まる。
画面の一部に、新たな反応が表示された。
「……また変な反応」
発生地点を確認する。
市街地。
これまでにも何度か確認されている、異常な反応。
「…………」
クルミはデータを拡大する。
ラジアータからの発信時刻を確認。
「まだ正式な連絡は来てないか」
クルミは小さく呟いた。
その時。
店内から声が聞こえた。
「……あれ?」
クルミが顔を上げる。
襖の隙間から店内を見る。
厨房では、ユイトがミズキに教わりながら和菓子を作っていた。
「どうしたの?」
ミズキが尋ねる。
「……いえ」
ユイトの手が止まっている。
胸元に手を当てていた。
「なんだか……」
ユイトは眉を寄せる。
「嫌な感じがします」
「嫌な感じ?」
「はい……」
ユイトが店の外へ視線を向ける。
「何かが起きそうな……そんな感じです」
「大丈夫?」
「分かりません」
ユイトはしばらく黙っていた。
そして――。
「……誰かが、危ない気がします」
クルミの目が細くなる。
「…………」
ユイトは目の前の和菓子を見る。
まだ作りかけだった。
ミズキから教えてもらっている途中。
だが。
「……すみません」
「え?」
「これ、途中なんですけど……」
ユイトはエプロンを外した。
「ちょっと、行ってきます」
「ちょっと待って。どこへ?」
「分かりません」
「分からない?」
「でも……」
ユイトは胸元を押さえる。
「行かないといけない気がするんです」
その言葉と同時に、ユイトは店を飛び出した。
「ユイト君!?」
ミズキの声が店内に響く。
扉が閉まる。
「…………」
押し入れの中。
クルミは無言でパソコンの画面を見つめていた。
ラジアータの発信時刻。
そして――。
ユイトが突然、店を出ていった時刻。
「…………」
クルミは時計を見る。
もう一度、画面を見る。
「……同じくらいだ」
偶然。
そう考えることはできる。
だが――。
ユイトは何も知らないはずだ。
ラジアータの存在も。
DAが何を検知したのかも。
それなのに、異常反応が発信された直後に、何かを感じ取ったように動いた。
「……気になるな」
クルミは顎に手を当てる。
「しかも、向かった方向が……」
画面に表示された異常地点。
ユイトが走っていった方向。
ほぼ一致している。
「…………」
クルミはしばらく考えた。
千束にも。
たきなにも。
ミカにも。
何も相談しなかった。
DAへ報告するつもりもない。
まだ、ただの疑念だ。
確証もないのに騒ぎにする必要はない。
それなら――。
「……ちょっと、追ってみるか」
クルミは自分だけで確かめることにした。
ノートパソコンを操作する。
別の画面が開く。
そこには、小型ドローンの操作画面。
「行ってこい」
クルミがキーを押す。
店の外。
目立たない場所に待機していた小型ドローンが起動した。
――ウィィィン。
プロペラが回転する。
小型の機体が静かに浮かび上がった。
カメラが街を映す。
「……いた」
画面の中に、ユイトの姿が映った。
すでにかなり先まで走っている。
「速いな……」
クルミはドローンを操作する。
一定の距離を保ちながら、ユイトの後を追わせる。
ユイトは振り返らない。
ただ、何かを探すように走り続けている。
路地を曲がる。
大通りを横切る。
さらに別の道へ。
「…………」
クルミは画面を見つめる。
そして、地図上に表示されたユイトの進行方向と、ラジアータが示した地点を重ねる。
「……やっぱり」
クルミの表情が少しだけ変わった。
「同じ方向だ」
偶然なのか。
それとも――。
クルミは答えを出せないまま、ドローンを追従させる。
画面の中。
ユイトはただひたすら走っていた。
その表情には焦りがある。
何かに追われているわけではない。
むしろ――。
何かに呼ばれているようだった。
「……ユイト」
クルミが小さく呟く。
「お前、何を感じてるんだ?」
その時。
ユイトが細い路地へ入った。
クルミもすぐにドローンを進ませる。
「右……」
ユイトが曲がる。
ドローンも追従する。
その直後――。
――ブツッ。
「……え?」
画面が一瞬だけ乱れた。
「ちょっと……」
クルミが身を乗り出す。
映像が戻る。
だが――。
「…………?」
そこにユイトの姿はなかった。
映っているのは、誰もいない路地だけ。
「……どこ行った?」
クルミはドローンを旋回させる。
路地の奥。
いない。
反対側。
いない。
上空へ移動。
周囲の道路を確認する。
それでも――。
「……見失った?」
クルミは眉を寄せる。
すぐに追跡システムを確認する。
ドローンとの通信は正常。
カメラも正常。
機体にも異常はない。
なのに――。
ユイトの姿だけが、どこにもない。
「…………」
クルミは画面を見つめた。
「さっきまで、そこにいたのに……」
もう一度、ユイトの最後の映像を確認する。
路地へ入る。
曲がる。
そして――。
消える。
「…………おかしい」
クルミの指が止まる。
まだ、何も分からない。
ユイトが何者なのかも。
なぜ異常を感じ取ったのかも。
そして――。
どうして、こんなにも突然姿を消したのかも。
「……ユイト」
クルミは画面に映る誰もいない路地を見つめる。
「お前……どこ行ったんだ?」
返事はない。
ただ、ドローンだけが空中に残されていた。